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手作りの塾と、明日へ https://blog.goo.ne.jp/bemaster

一念発起して立ち上げた私塾。 難しいのは、承知の上。自らが、どこまで行けるものか。峠の向こうにある

手作りの塾と、明日へ
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2014/11/17

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  • 長い長い独り言の、始まり始まり~。

    前回のブログの続きという恰好にはなるが、付け足して語りたいことが、精神的な力と、精神的な健康を守ることについて、だ。精神力、メンタル面の力というのは、まあ、既にいろんな人が、いろんな持論を展開し、論じてきていることだろうが、やはり私にも持論があるというわけだ。まあ、これといって目新しさはなかろうし、オリジナルっていうほど、そこを強調できるほどのことを語るつもりでもないが。しかし、それにしても、肉体的な力にはある分かり易さがないよなあ、精神的な力って、とつくづく思う。見た目で筋肉隆々だったり、歩き方、走り方を見ていれば、その人がどれくらい体を鍛えているか、普段しっかり運動できているかとか、ある程度伝わってきたりする。見た目だけで、ね。しかるに、だ。メンタル面の力って、今更だが、目に見えない。だから、見た目で...長い長い独り言の、始まり始まり~。

  • 教育への思いと、自分の人生への思いと。

    月並みな話だろうが、教育に携わろうとする身の上からすれば、勉強のやる気がないという後進たちにどうしても言っておきたくなることが、やはり幾つか頭に浮かんできたりする。先に断った通り、ごく月並みな内容ではあるが、だ。すぐに頭にその内容が浮かぶわけでもないのだが、今、頭に浮かんでいるのは、これかな、と。勉強は、基本的に自分の努力が正直に反映され、未来への道を有利に切り開いていくことができる手段の一つであるという側面がある。あくまでも一つの側面であり、そこにだけ勉学の、学問の意義を見るというのは違うと思うが。話を元に戻せば、社会に出て、どこの馬の骨とも分からない者が創設した会社という王国に入り、その一員として労働するようになれば、勉学の時のように、自分の努力がそう正直に結果に反映されてくれるとは限らないということ...教育への思いと、自分の人生への思いと。

  • 幸せとか、評価とかは、自分で決めること。

    今日はつい調子に乗って、連続してこのブログをダラダラと、どうでもよいことをまとめて書き続けている感じだ。父親のアルツハイマー発症の件を少し語れば、京都・大阪間で、電話のみのコミュニケーションを一日に朝・昼・夜と3回ほど、ちょっと会話を交わすだけの日々ではあるが、まあ、何とかちょっとでも彼に会話をさせたいと考えて、少し前から継続している日課である。まあ、朝・昼の時間帯は、こっちもバイトがあるから、ほんとに短い会話だが。朝はただのモーニングコールくらいのものだし、な。父は現在、月・木・土の週3回、デイサービスに通所しており、同居する兄の少しでも負担を軽くできればと思うのだが、まあ、とりあえず朝はモーニングコールを掛けて、寝過ごさないように誘導する日々だ。まあ、しかし、父と電話で会話を試みると、アルツハイマーと...幸せとか、評価とかは、自分で決めること。

  • 幸せとか、評価とかは、自分で決めること。

    今日はつい調子に乗って、連続してこのブログをダラダラと、どうでもよいことをまとめて書き続けている感じだ。父親のアルツハイマー発症の件を少し語れば、京都・大阪間で、電話のみのコミュニケーションを一日に朝・昼・夜と3回ほど、ちょっと会話を交わすだけの日々ではあるが、まあ、何とかちょっとでも彼に会話をさせたいと考えて、少し前から継続している日課である。まあ、朝・昼の時間帯は、こっちもバイトがあるから、ほんとに短い会話だが。朝はただのモーニングコールくらいのものだし、な。父は現在、月・木・土の週3回、デイサービスに通所しており、同居する兄の少しでも負担を軽くできればと思うのだが、まあ、とりあえず朝はモーニングコールを掛けて、寝過ごさないように誘導する日々だ。まあ、しかし、父と電話で会話を試みると、アルツハイマーと...幸せとか、評価とかは、自分で決めること。

  • 高等学校の学科は、やらなけりゃ、損。

    今年は何とか、私塾というか、学習指導の活動を再開したいな、と。正直なところを言えば、バイト代だけではキツいから、何か副収入を得る必要があるし、そうなると、やっぱりどうせなら、志の活動でもって収入を得るのが一番だし、というわけだが、恥ずかしながら、まだまだ学習準備が不十分のままだからな…。それにしても、ちょっと話を進めるが、高校生の科目を復習というか、ほとんど初めましてになるわけなんだが、私の場合、めっちゃ高校時代の授業をサボっていたからなあ。しかし、それにしても、だ。高校生の科目って、まだまだ全然手が付けられていない有様なんだが、例えば数学。専門用語に最初は圧倒されて、「あ、無理」ってなりがちなんだが、やって見ると、変な駆け引き無しに、心から「面白い」と思うのだ。いや―、数学アレルギーみたいな感じで、食わ...高等学校の学科は、やらなけりゃ、損。

  • 良い曲と、優れた歌い手と。

    歌手の中島みゆきさんをリスペクトしている。突然だが。良いよねえ。あの、小節を利かせた、というべきか、あの歌声は、もしも彼女がいなくなってしまったら、なんて縁起でもないが、もしそうなった場合、彼女が生み出した名曲の数々は確かに楽譜という形でも長く残ろうし、CDなどで歌声の音源も残されようが、それも時と共に露出はどんどん減っていくだろうし、何より、リアルタイムで、生で彼女の歌声を味わうことはもうできないということになる。どこかで聞いたことがあったが、歌というのは、誰もが一様に演奏し、歌唱できるように楽譜というものが発明されているわけだが、そもそも歌声というのは、一人一人違うし、同じ人が歌っても、毎回全く同一の音で歌い上げられるわけでもなく、楽譜には表れない微妙な音、音色が、それぞれの個人によって紡がれているも...良い曲と、優れた歌い手と。

  • ゴールとか、評価とかではなくて。

    普段いろいろ想っていることや言いたいこと、語りたいことはあって、ぽかんと時間が空いた時などにそういうことについて、どうでもいいようなことも含めて、あれこれ頭の中で考えることは悪くないなと、最近改めて思うようになっている。主に勤め先の劣悪なブラック職場から被る極度のストレスによって、積年苦しめられてきている経歴が私にはあるから、「考える」というと、どうしても悪いイメージが先行してしまう嫌いがあったりもするのだが、極度のストレス症状から引き起こされる「考える」という営みと、それ以外の場面での「考える」営みは、本来、区別すべきことであろう。前者の場面では、たいていノイローゼ的な要素を伴っており、いったん語り出すと際限のない底なし沼に沈んでいくような気さえするくらい、その辺りの専門家でもない、あくまで素人の私には...ゴールとか、評価とかではなくて。

  • 指導する為の準備と、今の時点での率直な想い

    中学理科の科目の学習指導について、塾・家庭教師等の領域において、指導者の成手が不足しているのではないか。だいぶ以前から感じていることであるが、実際はどうなのか。某大手学習講義動画配信会社の講義動画は、このブログでも以前に一度くらいは触れたかと思うが、普段、私の独学用としてガッツリ利用させて頂いており、初めて利用してから、かれこれどのくらい経ったか、ちょうどコロナの問題が表面化する、ほんのちょっと前からだったと思うから、2019年の終盤頃からだったかと思う。本当に長い間お世話になっていて頭が上がらないという感じだが、中学理科の科目の講義に限ってと言う感じで、用意されている講義の種類や数に不満がある状況のまま、現在に至っている。まあ、お世話になっていながら、こういった、一応公の場で苦言を呈するのは具合が悪いと...指導する為の準備と、今の時点での率直な想い

  • 年を取ることと、その度に積み重なっていくものとを見つめて。

    父が認知症、正確に言うと、アルツハイマー型認知症か、を発症してから、結構時間が経つ。まあ、ぶっちゃけ、悲しいことだとは無論思う。記憶力の問題に留まらず、認知力そのものが、衰退しているというよりも、日に日に破壊されていっているというイメージの状況であり、やはり、その時々、日によっても浮き沈み、波がある為、当人に対する心構えというか、心の準備も狂わされがちというか、基本的に、まともな意思疎通は既に不可能な状況になっているのだが、本人の調子も良さ気で、意志疎通もそこそこできる時もあり、そうすると、こっちも調子に乗ってしまってというか、つい「イケる」つもりになってしまい、話が通じないと気づいてからも、そのまま無理に意思疎通を図ろうと変に頑張ってしまい、結果、口論のようになり、まあ、私側が不愉快な思いをするというの...年を取ることと、その度に積み重なっていくものとを見つめて。

  • 生きる執念と、生き恥と。

    本日も、他愛のない独り言をこぼしていこうかと思う。少し以前、海上で遭難し、何とか救出された女性のニュースを知って、大いに感動した。何か、SUP(サップ)って言ったっけ、スノーボードみたいな板とボートを漕ぐ時のオールみたいなのを使って海上を進むマリンスポーツがあるようだが、それに興じている内に家族やインストラクターからはぐれてしまい、そのまま遭難し、海上で何日か、何十時間か漂流した挙句、救出されたということだった。手に持ったオール様のものを振りかざして助けを求める彼女に気づいたレスキュー隊の隊員たちが駆け付けた時、彼女はブルブル身体を震わすばかり、声も出ない様子だったと言う。恐ろしい海上で、とりわけ夜間などは、それこそ生きた心地がしなかったろう。どんな想いで漂流していたのかなど、想像を絶するし、付近の海が穏...生きる執念と、生き恥と。

  • いつもの通り、適当なつぶやきで

    新しい年が明けた。明けて、はや9日が経つ。ここ何年か、この同じ時期に、まるで同じことを言っているようで、自分でも笑ってしまうくらいだが、まあ、ホントに同じことを言っているか、本ブログの投稿履歴を調べてみる気はないが、このペースで時間が過ぎてしまえば、ホントにすぐ年を取ることになるわけで怖いという話。ああ、しかし「怖い」という表現を思わず出してしまったが、これは初めてかも。まあ、新年早々、生々しい話はよしなさい、という感じだが、さりとて、そこをごまかすようなのも何か良くない気もするし、まあ、老いることの怖さを日々思い知らされているということは、あっさりここで白状しておきたい。ただ、昨年、何か若者の自殺者の報道が、まあ、たいていネットニュースでの話だが、結構、個人的に目立ったと感じていて、何か心が痛むのは無論...いつもの通り、適当なつぶやきで

  • 久しぶりで、しかも長い長い独り言。

    今年も気づけば、残りわずか。いつも言っていることで、マンネリ感すらあるが、ホントに時間が経つのは速い。アンパンマンのテーマの歌詞にもある通り。いつもながら、当然、反省点も多いけど、今年もここまで自分なりに誠実に歩いて来られているのかなとは思う。このブログも、忙しさを理由に、なかなか投稿できていないが、途中まで書いて、下書き止まりになっているものも少なくない。まあ、途中で投げ出しているとだけ評価すれば、望ましくない状態なのかもだが、別にこれはノルマでも何でもない。好きでやっていること。最後まで完成できなければできないで、それでも構わない。そんなに堅苦しい試みではない、このブログを書くという営みは。ただ、思ったこと、考えたこと、感じたことを表に出しておきたいということ、あと、作文の力を付けたいこと。ああ、作文...久しぶりで、しかも長い長い独り言。

  • 2022/10/06

    クソコールセンター勤務中。相変わらずケンカを売られまくりだ。殺されないと分からない連中は、想像を遥かに超えて、のさばっている。全く面倒くさいにも程がある。この舐めた業界を必ずこの手で「教育」してやる。さて、強気の後で早速の弱気になる話だが、次の仕事だな。全くダルいわ。またこのふざけたコロナ現場に付き合わされると思うと救いがないが、残念ながらそのコースしか視界に見当たらねえわ。父は今日デイサービスに行ったろうか。しばらく事件は起こっていないが、いつまでも平穏は続くまい。いずれにせよ、最期の時までに何とか、何か喜ばせるようなことができればいいのに、と思う。今の我がザマを見て、なかなか明るい未来を想像することも、信じることも簡単ではない。容易くないが、それでも自分を信じたい。挑発を受けた時は、大事な時である。そ...2022/10/06

  • 2022/09/25

    大事にしないといけないなと思う言葉の一つに恩返しという言葉がある。その大小は問わず、誰かに、何かに恩を受けたなら、ずっと忘れずにいたい。命の恩人ともなれば、さすがにどんな人だって簡単に忘れることはないだろうと思うところだが、いやいや、結構そうでもなさそうだ。その証拠がこの私だ。これだけ生きてくれば、命を救ってくれた人というのが二、三人居てもおかしくない。なのに、唯の一人も思い浮かばないというから、困った者だ。どれだけ恩知らずなのか、我ながら情けない。しかし、そうこう語る間にも、ふと想いを馳せれば、食べ物を喉に詰めてしまい、母に背中を叩いてもらったような場面が脳裏に浮かんできたりする。本当にあったことか定かでもないが、ただ、ちょっと立ち止まって振り返れば、これまで人から受けた親切や思い遣りや献身が、結構ぞろ...2022/09/25

  • 2022/09/18

    あれほどハードルの高かった日記。スマホの日記アプリが凄く「使える」こと最近になって知る。使いやすい。いつの間にかスマホ慣れしているからということもあるが、文字入力も、想像していたよりもサクサクできて、下手な手書きの仕上がりに不快にさせられることもない。スマホの鮮明なディスプレイに表示されるデジタルの活字が美しい。稚拙な表現、分かりづらい構文、誤りのある箇所なども修正し易く、手書きのように訂正箇所が見づらくなることもないから、修正後の見直しも快適に行える。何より、文字入力の操作そのものに楽しさを感じることができているのが良い。こんな具合だから、今回こそは、日記を続けるという、出来そうで出来ない至難の業をついに達成できそうだと、独り喜んでいる。しかし、心残りが一つある。できれば、IT機器に頼らず、紙とペンとだ...2022/09/18

  • 2022/09/21

    長時間拘束の労働も、あと3時間ほど。相変わらずの、ヘドが出る、マウンティング、これ見よがしにまみれた不愉快な職場。さて、日中の気温も過ごし易くなってきた。私のような体質の者にとって、夏の暑さは何が困るって、人より汗をかくのが、いろいろと支障を招くことだ。書き物をするノートにポタリ、食事中の皿の上にポタリ、その他汗を落としてはいけないモノの上にもボタボタと落ち続けて、止める術がない。特に今のコロナ禍だ、人の汗に触れることなどは、常以上に不快感、嫌悪感を覚えるところだ。そんな季節も、もうじき過ぎ去る。秋、か。歳のせいで食欲が落ちたとは思わないが、そんなに量は必要なくなっているようだ。食べ出して早いうちに満腹感が来る。経済的だが、一抹の寂しさは否めない。しかし、こうして作文する間も、腹がへっている。今晩は何を食...2022/09/21

  • 2022/09/23

    今日も職場の拘束時間を終えた。それにしても、幼稚園児並みと言っては園児に失礼だが、稚拙で挑発的な輩が幾らもいて、職場で幅を利かせ、リーダー格のポジションに立っているから、我が目を疑う。が、疑っても現実だから、幻と消えてくれるわけもない。困った話だ。自分が選んでもいない奴が人の上に立つ、会社という組織。そこに雇われて給料を得ないと生きていけないという仕組みらしいから、当たり前と言われればそれまでなのかもしれない。しかし、いつからか、タチの悪い輩には我慢ならないという私だから、当然角が立つ。その喧嘩の結果は、いつも決まっている。会社の役に立つとされる悪人がその場に残り、挑発に乗って腹を立てた正義の浪人が居場所を追われ、またさすらいの旅に出ざるを得なくなると言うもの。全く面倒臭い話だ。話を変えよう。コロナは相変...2022/09/23

  • 2022/09/22

    電車の人身事故は定期的に報道されているようだ。この前は、十代の少女が二人、レール上で抱きあうようにしたまま列車に跳ねられたとか。身投げ。大切な命を自ら投げ出してしまったのか。少なからず衝撃を受けたが、重く受け止めるべきは、彼女らの最期の在り方でない。若者をそこまで失望させた社会を作っている我々大人の責任である。ネットの書き込みの中に、電車が人を跳ねる光景を「ホームラン」と形容する人がいることに触れたモノを見かけた。言葉を失ってしまうが、人の不幸を見て気持ちが高揚してしまうことは、残念ながら誰にも心当たりがあること。無論、だからといって、不謹慎な言動が通るわけでない。私はこれから何ができるだろうか。弱肉強食、自然淘汰、競争社会。敗者とは、一体何だろうか。負けたモノ、勝てないモノ、あるいは勝つ気のないモノは、...2022/09/22

  • 2022/09/22

    大阪市、京橋、「もとや食堂」。今となってはすっかり見なくなった、すごく気前の良い飲食店。定食、うどん、丼もの、焼きそば、ラーメン。一通りの種類が揃っているし、何より安い。どうしてこんなに値段を落とせるのかと、訊ねたくてウズウズするくらいだが、色んな意味で、答えを聞くのも怖い気がする。正直、味はどうかと言うと、美味しいと言い切ることは難しい。そうかと言って、決してまずいというわけでもない。では値段相応の味なのかと言うと、そう言う言い方もできない。あの値段で、あの味、あのボリュームは大変有り難い。どういったつもりで、こういう経営を続けているのかまるで知らないが、値段にも接客にも愛情を感じる。たまによそで聞いたことのある話だが、安い値段でお腹いっぱいにしてあげたいとする料理人魂というか、人の母性というか。世に多...2022/09/22

  • 2022/09/17

    隅っこや暗い所で生きるモノ。その強かさを改めて思う。誰も好き好んでそうするのではなかろう。だって、そういうところは、色々不利なものだから。スマホ3台持ちプランは、結局止めとする。結論は、色々無理がある割に、意義がほとんどないということ。意義がなければ、決定的だ。冷蔵庫内で見捨てられたコーンスープの1リットル入り紙パック。賞味期限切れ後一年以上経過品。昨日とうとう手を出して、判定はセーフ。マジか。結構美味しく頂けたというのだから、タフな話。すっかりダメになったと思ったモノが、実はまだ活きていたりする。世の中に意外やしぶとさがあるからこそ、人は前に進めるのかもしれない。人が人を評価するだなんて、考えてみれば、無茶な話。その評価を気にするのは、輪を掛けて馬鹿な話だ。馬鹿にも猿にもなりたくない。前もここで独りごち...2022/09/17

  • 頭は切り替わるようにできている

    また少し喉の痛みを覚える。そう言えば、コロナ禍以前は、こう言った感じの咽頭痛ってなかったかもだが、電話対応の仕事で喉を傷めがちなのが元になっているのかも知れずで、結局原因ははっきりしない。スマホの3台持ちをするかどうかをしつこく悩んでいる。馬鹿げているのは、言われなくとも分かっている。分かっちゃいるが、私という人間がこういう悩み方をするときは大抵それなりの程度の事情があるということもまたお馴染みのこと。己れをどのくらい知っているかと、ふと振り返る。知っているような、実は未だに何も知らないような気もしてくる。ただ一つ言えるとすれば、視線はいつも未来に向かっていると言えるかも。現在地ではなく、結構先の未来。だから、人より転びやすい。そう言うことか。全然利用できていないiPadmini6を入れれば、全部で4台。...頭は切り替わるようにできている

  • 2022/09/08

    いつもPCから書いてきたこのgooブログ。スマホのアプリの利用は、今回が初めまして、だ。職場近くのチェーンのカフェにて、大阪城を見晴らせる席で、だなんて、オシャレで結構だが、言われない先に言っておくが、私の柄ではない。至って似つかわしくない。スマホは必要ないとして、久しくガラケーと共に過ごし、随分迷いながらiPhone5の購入に至る。隠居生活に終止符が打たれたと思われたのも束の間、「ほとんど使わないから」とiPhone5の手放しを決めた。契約期間は1年あったろうか。詳しく覚えていないが、解約した時のショップの女子店員の軽蔑したような物腰は結構頭に残っている。解約する理由が理解できないとでも言いたげだったが、大きなお世話である。そんなことより、以前は、これまたまるで興味のなかったことだが、写真付きのブログを...2022/09/08

  • 夏の日と、命の灯と。

    暑い日が続いているが、さあ、どうだろう、盆の終わり頃まで耐えれば、和らいでいってくれるか。命の危険を感じる昨今の夏の暑さだが、それでも未だに、夏も終わりに近づく頃、日差しの勢いの衰えを感じると、ちょっと寂しさに似た思いを抱いたりするもの。ちょうど、ある日、父親の老いを感じて悲しくなるあれと同じ。それまでは、その力強さに圧力を感じ、あまりの威圧に憎らしささえ覚えていたところに、ふいにそんな日が訪れて、調子も狂うし、急に張合いを失くして、大いに心が乱されるのである。夏の終わりと、肉親の老いを重ね合わせた夏があって、そうこうする内、今は自分の老いが、ヒタヒタと、いや、ジワジワと心身に圧し掛かっている。力尽きたセミらが、ゴミ屑のように地面の至るところに打ち捨てられている。いやー、夏の景色って、考えてみれば、結構、...夏の日と、命の灯と。

  • 自分を大事に。

    もう少しで48歳か。光陰矢の如し。耳にタコな話だが、やはりあっという間であった。無論、思うことは尽きないが、よくこの年まで来られたものだ、というのが真っ先に思い浮かぶこと。両親のお蔭で命を授かり、愛情をもって育ててもらい、いろいろあったが、ここまで走ってくることができた。これまでの足跡を振り返り、頭に浮かんでくる景色。為してきたことを、良いことも悪いことも数え上げてみようか。何も為せていないというのが、結構な負い目だったりするのだが、細かいところまで拾い上げていけば、まあまあの数に上りそうな気もしてくる。残された時間を思って身震いしたことは幾度もあって、そんな自分を恥ずかしく思うこともやっぱりあるが、遠い遠い幼い日に、いつかこうなることを予感した記憶が残っていたりもして、ともかく、何か可笑しくて笑ってしま...自分を大事に。

  • 学習支援事業、それ自体、悪いとは言わない。

    学習支援の活動は、いろいろなところで行われているかと思うが、そういった動き自体は、無論とても良いことだと思う。ただ無論、ぜひその内容や質も伴ったものであってほしいと切に願う。ついこの間まで、ある学習支援活動に参加していたが、正直に言って、あまり良い印象を持てない活動だった。対象は中学生で、主に低所得世帯の学習支援を必要とする生徒ということになっているようだった。行政事業の一環であり、無論、こういう場で安易に批判的なことを書くのは具合の悪いことだろうと承知しているし、いずれにせよ、自分以外の人や組織について何か意見する時には、細心の注意を払う必要がある。まずは、学習塾を含め、教育現場で子供を叱れなくなっているという現状の複雑さ、困難さを改めて思う。学習時間中にスマホを出して遊んでしまう生徒がいても、講師が何...学習支援事業、それ自体、悪いとは言わない。

  • 暑いなあ。

    暑い日が続く。私の認識・記憶が正しければ、8月16日の、盆の終わり頃からは、ようやく暑さも衰え始めて、何とか凌げるようになってくるはずなのだが、温暖化のこともあるし、人に言われずとも、当てにならない話であることは百も承知している。私事だが、ていうか、基本、このブログに書くのはいつも私事であるが、いつ頃から始まったことか我ながらよく覚えていないのだが、私の家は、夏に扇風機を、基本、使わない。「何だ、この慣わしは」と、我ながら馬鹿々々しく思うのだが、いや、その前に、うちにはまずクーラーがないのだ。扇風機を使わないことについては、理由を聞かれれば、特に考えてもいないのだが、一つには、どうせ元々熱い空気を送ったところで、ぬるい風が当たっても大して涼しくならなかろうという頭があるような気がする。あとは、扇風機を解禁...暑いなあ。

  • 簡単に棄権してくれるな。

    気づけば、セミの声が鳴り響いている。夏が進んでいるということらしい。夏自体はとても好きな季節なのだが、毎年、汗がベタつくこの季節は、体質上、世間一般以上に嫌悪感が結構勝ってしまう。繰り返すが、夏自体は大好きなのだが…。あと、蚊も嫌だねえ。でも、嫌なことを挙げれば、ドンドン出て止まらなくなりそうだが、恋の季節とか、海、キャンプ、水着、プール、かき氷、スイカ。楽しいこともめっちゃあるのよねえ。ドサクサに紛れて水着とか挙げてしまう辺りにスケベが出てしまっているな。まあ、いいか。参院選、本日だったな。安倍元首相にあんなことがあって、投票率に劇的な影響があるかも、とちょっと予感していたが、ほとんどそういったものを感じさせる結果にはならなかったようだ。選挙速報の報道番組で、投票の有無についてインタビューを受けた人の映...簡単に棄権してくれるな。

  • よく考えることの意味を、今一度。

    敢えて安倍元首相銃撃についてのことは、今はまだ書かないつもりだ。まだ頭の中の整理がついていないし、湧いてくる思いも取り乱れているような感じだ。こんな状態で書く気にはなれない。それにしても、結局関連する内容だと思うが、「考える」という営みについて改めて思う。小さい頃は、やっぱり「考える」ということを聞けば、とにかくシンドい行為、頭が痛くなるものというようなことを連想するばかりだったのではないかと思う。まあ、実際、考えることにそういった側面があるのは間違いないとは思う。わざわざ考える時って、たいてい難しい物事を取り上げている時が多かろうし、簡単に答えは出てくれない。努めても上手くいってくれない場合、やっぱりそれはストレスになる。イライラして体がムズムズしてきたり、呼吸が浅くなって息苦しさを覚えたり。だから、考...よく考えることの意味を、今一度。

  • 為せないままに終わりそうなモノを数えて

    若い頃、「少年老い易く学成り難し」「一寸の光陰軽んずべからず」あたりの言葉を受けて、人生の短さを直感し、とても切ない思いに襲われた、というようなことがあった。年を取ってから初めて若さの有難さを思い知り、それまでの時間の費やし方を後悔するものというのが、人生のありがちな典型というイメージはあるが、それでも実際のところは、大抵の人はそれほど愚かでもなくて、若い段階である程度将来を予見し、気を付けて生きようとしても、結局、大なり小なり、あの時をああすれば良かった、こうしておけば良かったという展開は免れないのだろうなあと予感しているものなのだと思う。上記のような感傷の情を覚えたのも、よくは覚えていないが、小学校の低学年の頃とか、それくらいの幼い時期だったかと思う。自分の経験・記憶からも承知しているはずのことだが、...為せないままに終わりそうなモノを数えて

  • 大切なものが守られる世の中を

    いやあ、暑い。恥ずかしながら、今年も経済力等の問題で、我が貸家にエアコンは無い。まあ、毎年のように自問自答していることだが、今年もまた、暑さがいつまで続くか、それまで体は持つかという計算が、私の頭の中で為されている。まあ、社会から孤立したような生き方をするようになって久しく、ある程度接触のある者から「変わり者」という目で見られるような在り方になってからも久しい。今さら特に守るものなど無いような気もするが、今年もギリギリまで扇風機も付けないという、「修行」モードな調子で多分行くと思う。まあ、別に特別節電に協力しようという考えがあるわけでもないが、まるで無いわけでもない。まったく、原発反対の世論も予想された通り、着実に廃れつつあり、ここに来て、ウクライナ侵攻に関連すると思われる物価高、電力供給不足の影響が懸念...大切なものが守られる世の中を

  • 学習機会と子供の素行とについて、ボヤキ調で。

    学習塾と銘打ったものが日本にはあり、少子化の為に盛り上がってはいない様に見受けられるが、私の身の回りにも幾つか見掛ける。いろいろ言いたいことはある。とりわけ私などは、以前から公言するように私塾を営みたいと志している者だけになおさらだ。社会人の習い事に比べると、しかし、学習塾というのは、いろいろ「タチ」の悪い代物だなと、率直に言って私はそう思うのだ。何がタチが悪いって、ズバリ、子供のほうはまるでやる気がないにも関わらず、親にうるさく言われ、仕方なく学習塾の門戸を叩くという場合が目立つことである。社会人の場合なら、実際に始めてみて、「思っていたのと違う」となった場合、通常なら、運営者に適当な理由を告げて、そのまま辞めれば良いだけの話。やる気がなくなっているのに無理に続けようとすることは、普通はない。ところが塾...学習機会と子供の素行とについて、ボヤキ調で。

  • 刻まれる記憶

    いやあ、暑くなってきたな。夏は好きかと問われると、さてどう答えたものかと、ちょっと悩んでしまう。基本的には、好きである。ただし、嫌いな面もいろいろあって、しかもいろいろというより、結構あるという感じ。たとえばであるが、今住むような関西の都心などになると、今ぐらいの水準の暑さになってくると生じてくる症状なのだが、うなじの辺りに触れている身に付けたTシャツ等の感触が、とても不快になってくるのだ。上手く言葉で説明できているか知らないけど、この不快感がかなりキツいレベルであり、無論、外にいる間はどうしようもないが、自宅内でいる間などは、たいてい我慢ができなくて、上半身は裸にならないと気が済まなくなったりする。普段、人から、「あなたは神経質だ」みたいなことを言われると、どこを以てそう指摘するのかと、甚だ納得もいかな...刻まれる記憶

  • 衰え行く灯と、未来を照らす灯と、その間で立ち往生する灯と。

    5月ももう終わろうとしている。気温が35℃を越える日が早くも出ていて、地球温暖化の話も何かウンザリな感じはあるけど、ウクライナの戦争の行方のことも含めて、このまま地球はどうなってしまうのだろう、なんて、ホントに、何か嫌になってしまう感じ。NHKの「100分de名著」を動画配信サービスで視聴したりしているけど、今回のアリストテレスの話もとても良かったなと思う。文学にずっと関わり続けていきたいと思っているし、文学と大学で出会えて本当に良かったと思っている私だけど、改めて、文学って良いなあって思わせてくれる優良番組。伊集院光氏のコメントがとても心に響きまくりで、毎回本当に楽しみな番組だ。同じMCの阿部みちこ氏も、いつもながら、品があって、容姿端麗で、深い教養を感じさせる物腰。相変わらず素敵なお二人だなと思う。本当の友...衰え行く灯と、未来を照らす灯と、その間で立ち往生する灯と。

  • 精一杯生きるとは。

    5月ももうじき終わろうとしている。いつ頃から降り始めたものか、重厚な音を立てながら、窓の向こうに本降りの雨が降り続けている。今年も明けてからここまで、結構いろいろあった気がする。けど、思いを馳せようとしたって、そんなに容易く思い浮かんできたりはしない。いつだって気を抜いた時に過去は甦るもの。気の張っているうちは不思議なくらい、過去は空白になる。中学生の学習支援の活動をしているが、今日も活動はあった。明日、定期テストだと言う生徒が何人かいた。英単語を大学ノートにビッシリと、繰り返し何度も書いて暗記しようとする生徒がいた。あの頃の自分も同じことをやった癖に、「そんなやり方をしたって値打ちがないのに」などと、否定的な目を隠しながら彼を見守った。こちらの学力を軽く見ているのか、積極的に質問しようとする生徒はほとんどいな...精一杯生きるとは。

  • 人から嫌われるということについて。

    人に嫌われるということは、誰にとっても嫌な事、辛いことだろう。無論、私にとっても。まあ、特に、というか、特定の誰かから嫌われるというより、いわゆる「総スカン」と言うのか、一定の大きさ以上のグループの全員や、全員とまではいかなくとも、その中の結構な複数から嫌われるに至った場合は、やはりかなり嫌なもの。というのも、特定の一人から嫌われた場合などなら、その人がたまたま変わった人だから、と軽く流すこともさほど難しくない。これが同グループの無視しづらい数になる場合、私のように勝気で、つまらない相手は相手にしないようにしている人であっても、さすがに、「そんなに悪いことでもしたかな」と、気にするのは馬鹿らしいと分かっていながら、最終的に、結構気にするような結果になったりもする。まあ、相手がいい年をした大人ならまだしも、相手が...人から嫌われるということについて。

  • 語り始めたはいいが、結局最後は、自分の夢の話に。いつものごとく、まとまりなく、言いっぱなし。

    ついさっき、お笑い芸人の上島竜兵氏が亡くなったというネットニュースを知った。うむ…、こういう報道について、当たり前だけど、言葉が見つからない。以前、人気女子プロレスラーが自死された報道が話題になっていた時も感じたが、精神的に強いイメージのお笑い芸人の方が同じことになったということに、何と言うか、複雑な思いがする。無論、精神的に強そう、などというのは、世間が、私どもが勝手に抱いたものであって、別段、確かな根拠があるわけでもなかろう。改めて、人生を生きるということは厳しいことなんだと、しみじみと思う。心は、弱そうに見えて、案外丈夫に感じる時もあるんだけど、やっぱり、強そうに見えていて、あっさりと折れてしまうことがある代物だと、今更のように思う。希望ということを、少し考えてみたいかな…。私は、以前もこのブログで言及し...語り始めたはいいが、結局最後は、自分の夢の話に。いつものごとく、まとまりなく、言いっぱなし。

  • たまには休日の外出も。(続き)

    美術館に久しぶりに行ったということだが、ほんと、行って良かったと思う。まあ、確か宮沢賢治も言っていたと思うが、芸術に親しむって、すごく大事なことかと思う。まあ、必要なことっていうふうに言い切るのは、ちょっと迷ってしまうが、大事であることは間違いなかろう。無論、無くても生きていけよう。けど、ただ生きながらえれば、それで良しってふうにはならないのが、人。芸術を味わうことって、こんな年になって、いや、なったからこそか。ほんと、今更のように、その大切さ、重要さをしみじみ思う。まあ、芸術関係の話になると、どうしても階級差別というか、偏見というか。気取った響きも付きまとうし、なんか、庶民から反発されそうな雰囲気はあるかと思う。でも、別にクラシックでなくても良いが、ゆっくり落ち着いて音楽を聴いたり。もちろん、何か他のことをし...たまには休日の外出も。(続き)

  • たまには休日の外出も。

    今年のゴールデンウィークも終わろうとしている。相変わらず、私のゴールデンウィークは、今年も、これといった特別感も、キラメキ感もありはしなかった。まあ、ホリデー・プレッシャーなんていう言葉を最近どこかで聞いたけど、そういった圧力に屈したと思いたくはないが、かねてから、久しぶりに行きたいと考えていた美術館とプラネタリウムには、実は行ったのだった。うむ、なかなか良かったな。天王寺の美術館は、低料金で鑑賞できると当てにしていたのだったが、ちゃっかり、と言っても1000円程度だったが、料金発生。貧乏人としては、結構それだけでも億劫になってしまうのだが、行ってみると、「ああ、来てよかった」となったりするわけなのである。でも、どうかな。今、美術館の鑑賞を楽しめる心を持ち合わせているというのも、ちょっと不純な節があるように思っ...たまには休日の外出も。

  • 体罰より暴言、独断よりも空気読みが待遇されるらしい

    アカデミー賞授賞式での平手打ちの件。報道について、詳細を知らないくせにその是非を語ることは、なるべくならしたくないが、今回は少し述べよう。平手打ちの是非については、いったん脇に置くとして、なぜ暴言を放った方を放置してしまうのかが分からない、というか、許しがたいような、もどかしいような、腹立たしい気持ちにさえなる。学校教師の体罰もそうで、以前から不満に思っているというか、理解しがたいというか。まあ、いろんなケースがあろうから、一概に、一括りで語るのは具合が悪かろうが、素行の良くない、あるいは暴言等のあった生徒に対し、教師側が体罰をしたり、暴言等で返したりというケースについても、なぜ生徒側の素行不良については、何事もなかったかのようにお咎めがないのか、ということ。無論、報道で言及がないだけで、実際には何等かの、相応...体罰より暴言、独断よりも空気読みが待遇されるらしい

  • さて、今日も独り言ちるとするか。

    さあ、今回は何を語ろうか。職場で心を閉ざし、無口になっていようと、前に触れたように、単純にしゃべるのが嫌いな人などは、そんなにはいないと私はそう思っている。と言うことで、しゃべる気満々なわけだが、何を語ろうか。教育のこと?一流とされている大学に入りたくて合格を目指すことは、別にそれを否定する必要はないはず。が、冷静に考えれば、一流大学という看板だけに釣られて、その進学を目指すと言うのも、何かこっけいというか、何か変な話。赤の他人が良しとして、有難がっているものを、そのまま、よく考えもしないで受け入れて、自分の目標としてしまうというのも、何か間抜けな話に思えてもくる。ただこれは、中高年になった今、いろいろ社会を見て回って、実際にいくつかの経験もした上で改めて思うことであり、最初からそうであったわけではない。若い頃...さて、今日も独り言ちるとするか。

  • 精神力と、恥と。また独り言つ。

    今、LPGA女子ゴルフ、渋野選手が戦っている。今日が最終日、優勝は難しいスコアだが、今日のスコア次第では上位に食い込むことも可能ではないかというところだった。が、初めの2ホールで連続ボギーのスタート。大きく気持ちを挫かれたことだろう。その後、立て直しができないまま、ズルズルとスコアを落としていくことになった。精神力とか、心の強さとか、よく問われること。無論、世の中、たいていのことは弱いより、「強い」に越したことはないとは思う。しかし、それにしても、心をお題にした時、心の強さというのは、やっかいというか、実に掴みどころがない。精神的に崩れていると自覚して、「ああ、ヤバい。立て直さなきゃ」と思えば思うほど、心は逆の方へ逆の方へ行ってしまう。私はこの手の話、つまり心がどうのこうのっていうお題になると、自分の中では結構...精神力と、恥と。また独り言つ。

  • 人の痛みも、自分だけの言葉も、どちらも。

    全く、コロナコロナと疲弊しているところへ、ロシアがやってくれた。言葉もないというのが正直なところだが、言葉で作文して、表現しないといけないと、改めて思う。黙っていてはいけない。込み上げる言葉を呑み込むほうが、言葉を紡ぐより、それは簡単で楽だろうが。前から触れていることだと思うが、作文とか、口頭で物語るとかって、傍で見る以上に気力を要する行いなのだと思う。雑談はまた、これとは違う。明らかに別の種類の行為。考えなくていいし、雑談は。ていうか、むしろよく考えて、独自の主張を出してしまうと、たいてい角が立つし、それを避けようとする人のほうが圧倒的に多かろう。たいていは、聞いている人に受け入れられそうな主旨のことを、受け入れられそうな調子で話すのが、ほとんど一般常識、マナーであるかのようになっているのかと思う。まあ、私は...人の痛みも、自分だけの言葉も、どちらも。

  • 思いついたままに口に出してみるか

    前々から語ろうとして、語っていないことは少なくないが、その内の一つ。理科の勉強で、電流の流れる向き。プラス極から出て、マイナス極へ向かう、だと?いい加減にしてくれと言いたい。電子の流れが電流なのだから、マイナスからプラスだろうが、と言うこと。何か、最初に定義した人が電子のことを知らなかったからとか何とか説明されているようだが、間違いだったならば、訂正しなさい、ということ。なぜ訂正しない?このモヤモヤは、ずっとイライラであり、理科嫌いの子供が多いのは、実はこういういい加減なことをしているからなんじゃねえの、って本気で思ったりする。なぜ電子の流れの向きと反対向きに電流は流れる、などと考える必要があるのか。全く意味不明である。権威のあった者が定義したことを否定することは、その者がそれまで築き上げた業績や名誉を損なうこ...思いついたままに口に出してみるか

  • 今、目の前で起きていること

    戦争が起きてしまった。事実が、事実であると認めることが難しい時がある。いや、認めたくない時があるというべきか。例えば、それが自分にとって、とても都合の悪いものである時だ。悪い夢であったとしたりなどして、まず否定しようとしたりしがち。その様はいかにも人間らしく、その人の世代の如何を問わず、まこといじらしく、愛らしさの念さえ禁じ得ないもの。今回の戦争も、まさにそんな感じ。起きたことを認めたくないはないが、それでも、本当に起きてしまったのである。はっきりとここで頭に刻みたいと思う。私塾を営みたいという志の為、空いた時間があれば、なるべく小中高生の学科の勉強をし、無論、ただ勉強するだけなら、ただの受験生と変わらないような感があるが、そうでなく、どのあたりに難しさがあるのか、なぜそれは難しいのか、どうすれば理解できるよう...今、目の前で起きていること

  • 深い呼吸って、奥が深い。

    私塾を営みたいという志を温めたまま、空いた時間を見つけては、高校までの学科の復習に取り組み、いつでも開業できるように準備を進めている。一体いつになれば準備が整い、開業できるのか。正直、気持ちは逸り、過呼吸になるような有り様。全く、小心者というか、情けない話だが、本当の話。近年、呼吸に着目したようなマンガやアニメ作品の設定を見かけることがあるが、人のする呼吸には、本当に何か、不思議な力というか、影響力が秘められていそうだなあと、素人ながら、思い当たる節がある。ちょっと以前から思うことだが、本当に呼吸にまつわる仕組みというか、これは本当によくできているなあと感じる。何らかのストレスが心身に及ぶと、無意識に呼吸が速くなったり、荒くなったりする。そうして、速くなった呼吸のせいで、心身に、特に身体にさまざまな宜しくない変...深い呼吸って、奥が深い。

  • オンラインの可能性と、いま語りたいことと、語るべき事。

    YOUTUBEの動画配信って、いつから始まったのか。いきなり己の無知をぶちまけてどうしようというでもないのだが、YOUTUBE動画には、何かうまく言えないが、いまさらだろうが、可能性を感じる。これらの動画コンテンツの存在を知り、実際に利用するようになったのは、私の場合、ごく最近になってからである。実にさまざまなテーマ、目的のコンテンツが配信されているようだが、私にとってとりわけ興味深いのは、教育系というか、レッスン系の動画である。私はこれから私塾を営んでいきたいとする者であるが、だから当然、小中高生対象の学習指導のレッスン動画には関心が高い。しかし、YOUTUBE上には、英語や数学といった、そういった学生対象の学習指導ものだけに留まらず、社会人対象で、さまざまな資格や技能、知識を教授するレッスン動画も実に幅広く...オンラインの可能性と、いま語りたいことと、語るべき事。

  • 絶滅危惧について

    少し前、タイトルはちゃんと覚えていないが、「絶滅危惧種もうすぐいなくなります」というようなタイトルの書籍を購入。それ以前にもいくつかの本屋の店頭で見掛けたことがあったと記憶しており、まあ、結構売れた本ではなかったかと、勝手にそう思っている。タイトルに惹かれて手に取り、ペラペラページを繰って、大体期待した感じの内容だと確かめると、それほど躊躇もなくカウンターに持っていき購入した。「絶滅危惧」と言われると、「それ、俺のことじゃん」って密かに思う私はやはり、健全だとは言えないかもしれない。ちなみに買ってから結構日が経つが、まだ中身は全然読めていない。以前も語ったと思うが、近頃はやたら読みたい本ばかりが目にちらつくが、それでいて、せっかく購入しても、「積ん読(つんどく)」。読む余裕が無く、本棚に積んだまま、ほとんど読め...絶滅危惧について

  • 考える人になること

    考えるということは、いきなりだが、大事なことだなあと、この年にして、中高年の今になって、初めてのように思う。唐突な話で恐縮だが。このテーマで一つ、小説というか、物語を書いておきたいなと思っているくらい。あと、考えるだけでなく、自分の考えを表に、言葉にして表現することも、同じくらいに大切だなあと、しみじみとというか、初めてのように、今、思う。思っている。どちらも、実際、簡単なことではないと思う。容易いことでないから、できている人が案外、想像以上に、少ないのかと思う。前回も少し、このことについて語り始めて、結局、他の話に脱線し、元の軌道に戻ることなく、そのまま終了となったわけだが。考えるということは、まず、負の、否定的なイメージが付きまといがちかと思う。例えば、深く考え過ぎて、思い詰めて、挙句、自殺、みたいな。この...考える人になること

  • 忘れてはいない

    自分のブログのタイトル「手作りの塾と、明日へ」にふと目が留まった。「ああ、こういうタイトルにしたんだったっけ」という感じである。まあ、随分無責任な話だが、「塾」の話はどこへやら、と。でも、忘れているわけでなく、というより、いつも「その」ことを考えている。早く学習指導の活動を始めたいのはヤマヤマだが、そう簡単には行かない。行かせてくれない。お恥ずかしながら、いまだ学力の準備が不十分であり、オリジナルのテキストをと意気込んでいたのだが、それも未だ。日が暮れるというか、人生が暮れてしまうではないか。と、誰に言うでもなく、独り言つ今日この頃。「やる気はあるけん、体が付いてこん!」いつかやっていたCMに確かこんなフレーズがあったな。何十年前のCMだろうか。このフレーズばかりで、その他の映像の断片などの記憶はこれっぽちも残...忘れてはいない

  • 書くことを後回しにしてばかりもいられない

    コロナが長い。うんざりすると言うのも、うんざりするほどに。そうして、嘆いていても仕方がないから他に気持ちを向けようという、誰へとの呼びかけでもない呼びかけをするのにも飽きている今日この頃。皆さん、いかがお過ごしか。唐突だが、最近、ある読書家のブロガーさんのブログを知り、その恐るべき読書量というか、読書ペースに驚く。一日に文庫本を約1冊読み終えるペースだとか。長距離の電車通勤の為、往き帰りの通勤時間を利用しているとか言う話だったと思うが、いやはや、ツワモノである。大食いタレントさんの食べっぷりを見て、美味しいものをなるべくたくさん食べたいという、誰もが望むであろう欲求を代わりに果たしてくれている感じ。年を食ってから、すっかり読書欲に目覚めてしまったクチの私には、このブロガーさんのような人が、自らの代わりにその欲求...書くことを後回しにしてばかりもいられない

  • いろいろあるけど、それでも地球は青くて。

    急逝した女優神田沙也加さんのこと。亡くなった方のことについてあれこれ言うのは、やはり控えるべきだとは思うが、少しだけ。私は、聖子ちゃん世代というか。松田聖子が全盛の頃、確か小学生の何年生ぐらいの時だったっけ、という辺りの世代。大人気だった彼女の娘さんということだが、2世ということで、やはりいろいろあったのかと思うが。ともかくも、自ら命を絶ったのかどうかといったことについては、とやかく言っても仕方がなかろうし、言う気もない。ただ、神田沙也加さんが、死の直前に交際相手ともつれていたような報道がなされているようで、それを聞いてちょっと、私なりに感じることがあった。もしも別れ話に絶望して若い女性が一人、この世を去ったのだとすれば。何と言うか。もちろん、公に口にできることなど思い当たらない。恋愛が人生にとって大きな、とて...いろいろあるけど、それでも地球は青くて。

  • 皆が皆の為に、立ち向かうこと

    本日、衆議院選挙の投開票日。投票する意味に疑問を持ち、棄権する動きが今回も見られるようだ。現状を見た時、それも無理もないとは思う。政治のことを含め、まだ不勉強な私がこの手の話に意見するというのもおこがましいとは承知している。だが、それでもやはり、選挙権を決して放棄してはならないと考えている。無論、放棄するというのが、一つの意志表示であるという見方があるのは承知している。その社会が歩む長い道のりの中で、有権者の多くが選挙権を放棄するという動きが、一時的に生じるということならば、有権者の出した一つの返答として、それなりの意味があると見て良いのかもしれない。しかし、今の有り様は全く一時的なものとは言えない。独裁的な政治が平然と行われている国々が台頭しているような極めて不穏な世界情勢の今である。そんな中で、選挙権が放棄...皆が皆の為に、立ち向かうこと

  • とてもお世話になっていながら。

    某映像授業のお世話になっている。いきなりだが。前も、この話はここでちょっと触れたと記憶している。が、前回は本当に触れただけ、かすっただけ。大してこれと言ったことは何も論じてはいなかったかと思う。まあ、今回もどれだけ書けるか、語れるか。できれば内容のあることを述べたいとは、そりゃあ思っているのだが、筋道立てて、内容のあることを語るというのが、いかに普通のことでないか。簡単なことでないか。最近になってようやく悟り始めたという感じで。ほんと、普通のことじゃない。決して。だからこそ多くの人が、本当に訴えないといけない内容を語らず、SNS上で安易な野次飛ばしの投稿に明け暮れているというような、残念な営みに時間を割き、エネルギーを費やしているのかと、そんなふうにちょっと想ったりするのだ。著名人のバッシングに参加してストレス...とてもお世話になっていながら。

  • 頭に浮かぶことを、ダラダラと。

    いかにも秋の陽気という感じか。秋晴れが気持ち良い。春と秋は、何と言うか、夏や冬が持っている、強い魅力はないというか。刺激は少ないというか。でもその分穏やかさに優れていて、過ごしやすい分、いかに暮らすか、主題は、主役はその人そのものになる気がする。夏の、テンションを上げさせる、あの高揚感。魅惑という言葉が連想されるような、小悪魔的、否、悪魔的な引力。まあ、これは勝手に私が水着とか、浴衣とか、恋だの、汗ばむ肌だの、スケベな連想をしているからという、ただそれだけのことだろうと、言ってしまえばそこまでだろうが。まあそれでも、夏や冬は、季節の方が目立っていて、どちらかというと人の方は脇役に成り下がりがちなのかも、などと思ったりするのである。世の中で必要とされるもの。否、必要とされるように一見、見えるものと、本当に必要なも...頭に浮かぶことを、ダラダラと。

  • 独り言ち、二日目。

    少女ポリアンナという児童文学作品の中で、その父親が主人公ポリアンナに良かった探しというゲームを教える。良かったと思えることを日々の暮らしの中で探しなさいと言う。毎日探していれば、きっとお前は幸せになれると。私が好きな文学作品の中でも、特に大切にしたいと思わせる作品である。この手の話をすると、「説教はいらない。特にフィクション由来のものは、ね」と煙たがる人が必ずいると思うが、それはそれで一向構わぬ。この良かった探しのエピソードについては、著者がアメリカのポーターという人で、キリスト教という宗教文化の影響が色濃く出ているなあって感じるわけだ。まあ、私は通常の日本人の例に漏れず、無宗教の国の人なわけで、宗教の影響が至る所に現れている欧米などの国民文化について、毎度のように何か特別なものを感じる。国民一人一人の背後にあ...独り言ち、二日目。

  • 久しぶりに独り言みたいのを、少々。

    コロナの感染者数が減少傾向にあるとの報道がしばらく続いているようだ。「しばらく続いている」と言っても、「何日か」続いているという感じのニュアンスに思える。ちゃんと毎日ニュースを押さえているわけでないので、あまりいい加減なことは言えないのだが。まあしかし、どうせ「第6波」がすぐ来るんでしょうという感じが、みんな気持ちは似たようなものかと思うんだが、とてもストレスな感じ。みんな、「もういい加減にしてくれ」という発言すら口に出す気力が失せてきているような節があると思うが、どうだろうか。相変わらず続く、世間全体に漂う気だるいような、重たい空気感。これも私だけのことなのか、正直、自信はない。案外お構いなしに人生を駆け抜けている人も少ないのかもしれない。もっとニュースもしっかり目を通して、外の世界に目を向けて、というような...久しぶりに独り言みたいのを、少々。

  • 人付き合いの下手なことと、人としての価値について

    東京オリンピックが終わった。終わったと言っても、もちろんパラリンピックがある。決して忘れてはいない。今、窓の外で、雨が降っている。厳しい暑さが続いているが、台風の前後には、風があって、少し涼感が得られたりするし、雨の後もまた然り。考えさせられる材料は、ほとんどいつも十分にあって、いろいろ想うけれど、今回は何を語るべきか。うちの父親の認知症が進行している。いろいろ危なっかしいトラブルを起こしてくれていて、いつ、どんなことが起こってもおかしくない様相。最近、診断を受けて、アルツハイマー型のものと聞いた。ウィキペディアを軽く参照したが、脳の細胞が死滅していくイメージ。なるべく頭を使う活動を促せば、回復するかもしれないという期待を残していたのだが、やはり甘かったらしい。前に少し語り掛けて、中途半端になったままだと思うが...人付き合いの下手なことと、人としての価値について

  • 言葉の引力

    今日は何から話そう。そうそう、最近、「ヤフージャパンニュース」にコメントを投稿するのが、マイブームになっているというか何というか。それとも、前も同じことを述べただろうか。ともかく、以前から、このブログで、文章力を付けたいという旨を述べていると思うが、こんなふうな、ネットニュース記事に対するコメント投稿は、作文力の練習に恰好であると、密かに手応えを感じていたりする。うん、多分、以前このブログで、既におんなじことを記した記憶がある。ヤバいな、ほんと。父親の認知症発症を嘆いている場合でないな、ほんと。ええい、繰り返しでも、構わぬ。400字という字数制限の丁度良さ。お題を与えてもらえる楽さ。いろいろ、合格。まあ、この調子で地道に練習していけば、結構、上手くなれるかも。それに。「いいね」「バッド(悪い)」の、ユーザーから...言葉の引力

  • ちっぽけな独り言を、今日も。

    ネットニュースにコメントを投稿することが、密かにマイブームになりそうな兆しである。まず、文章の練習に恰好であるということ。筆力を上げたい私としては、まずは文を書かないと始まらないわけだが、なかなか億劫で。このブログもそう。まず、お題がなかなか見つからなかったりするし、既にあったとしても、面倒くささの気持ちが勝ってしまい、途中まで進んでも、後がなかなか続かないのである。そこへ来ると。ヤフーニュース記事などは、誰でも自由にコメントができるようになっているではないか。400字という字数制限があるのが、かえって、私のような筆不精には都合が良いくらいである。始めから、「長く書かないといけない」とされてしまうと、そこでおそらく気持ちが竦んでしまう。そこへ来ると。短くて良いというのだから、ハードルが低く、気軽に参加できる。そ...ちっぽけな独り言を、今日も。

  • 自分自身が、それを決めたらいい。

    さて、今日は何を語ろうかと思う。ただ、その前に一つ。今の、世界の、いやとりあえず日本の現状とは、いったいどういうものか。そんなことを想う。コロナコロナで、ドタバタドタバタ。庶民も、政治家も、著名人も、スポーツ選手も、経済界も。ドタバタ。何もかもが混乱しているように見える今。でも、他者が、世界がどうあれ。個人として、一人一人。生き延びねばならない。そうして、ただ生きるだけでなく、一日一日を、大切にしたい。これは皆、同じ気持ちかと思う。このコロナ禍。なかなか希望を見出しにくい。私も個人的に、いろいろとしんどい毎日。辛くないはずはない。それでも。女子ゴルフの渋野氏のひたむきな姿、将棋や囲碁の世界では、若い世代の活躍が目覚ましく、プロ野球も、何年に一度とかの、阪神の活躍とか。なんやかんや言われながらも、オリンピックがも...自分自身が、それを決めたらいい。

  • 恩返しという、美しい慣わし

    毎日、やはりコロナの話ばかりになりがち。そういえば、以前、我が子に「悪魔」という名前を付けた親についての報道がなされて随分話題になったと記憶している。今、「ころな」と名付けた親が既に何人か現れているのだろうか。付けられた子供が哀れだが、子供に親は選べない。父の認知症発症の話を既にしたが、今度、縁があって、あるケアマネジャーさんにお世話になることになった。最近急速に症状を悪化させているように見える父に、今から何をどういうふうにしてあげられるのか。ほとんどそのケアマネジャーさんにお任せすることになりそうだが、ともかく、相談できる人を今回、幸いにも持つことができ、本当に感謝している。自分だけで抱え込むのでなく、自分以外の誰かに相談ができるということ。これは本当に大きなことであると、改めて思い知らされるような気がする。...恩返しという、美しい慣わし

  • 婆さんと、親父と、力と輝きと。

    うちの親父の認知症の症状は、着実に進行しているようだ。電話越しに、どうでもいいような話は適当に捌くことはできても、正しく意思疎通を図らないといけないような場合は必ず訪れるわけで、そういった場合に求められる、まともな対話はほとんど成立しなくなっている。まあ、80歳である。よくここまで長生きしてくれていると、感謝や労いの言葉こそ掛けるべきで、もう少ししっかりしてくれとか、認知症を改善すべく、いや改善できないまでも進行を遅らせるべく、暮らし方の改善を促すとか、そんなことは手酷く無思慮で、思いやりも情もない関わり方であると、頭では分かっているつもりである。だが、しかし。結局私も、自分の都合ばかりを考えているから、こんなふうなのかもしれないなと、嫌な想いに包まれる。こんなことを考えているところへ、窓の向こうから、近所の婆...婆さんと、親父と、力と輝きと。

  • 守ることと、その為の力と。

    大阪市のラーメン店の二両半、南船場店。閉店してしまい、移転先が決まり次第、ブログで伝えるとされているが、いまだにその知らせはない。もう大分以前の話になるが、大阪・梅田界隈にあった、「弁天堂」という屋号だったか。讃岐うどん系の、麺にコシがあって、庶民価格の、とても良いうどん屋があったが、それも閉店してしまった。このうどん屋に関しては、おそらく個人で経営されていたから、その経営者が辞めてしまえば、それまで。再びそのうどん屋に、別の場所で再会できる可能性はない、と認めたくもないが、まずないのが現実。前もこのブログで触れた気がするが、良いものは、守らなければならない。油断していると、すぐにいなくなってしまう。守ってやる必要があるのだ。その代わりと言っては何だが、つまらないものほど、放っておいても、平気で長持ちするらしい...守ることと、その為の力と。

  • 父の認知症について、少し

    私の父が認知症を発症していることは、以前、このブログで触れたかと思う。父のことを語るのは、正直、億劫である。というのも、まずどう考えても、話が長くなるからだ。まあ、以前、このブログでも、父の良いところというか、自分の父ながら、彼が大変優れた人物であると私が考えている、というか、私自身も年を取って、そう考えるようになったのだが、その辺りのことを語ろうとして、書き始めたまでは良かったが、やはり続かず、しんどくなって、途中で中断した。途中といっても、ほんの書き始めの時点だったかと思う。話を戻して、認知症。今晩も、ワクチン接種のことで、彼はまだ接種しておらず、今年で80歳になったようだが、予約とかちゃんとできているか心配になり、電話したのだが、まるで話が通じず、頭に血が上り、つい暴言を吐いてしまい、口論に。まあ、普段の...父の認知症について、少し

  • 思慮の欠如したさま、見るに忍びず

    誠に恥ずかしながら、普段、あまりニュースや新聞に目を通せておらず、世間の動向に疎くなりがちである。無論、個人的な事情から、インターネットの利用は多すぎるほど利用しており、その際否応なく目に留まるネットニュースにて、その情報の質の貴賤の問題も気になるところではあるも、大雑把な時事ネタは一定程度、押さえているつもりではある。そんな頼りない状態であるため、政治・経済の問題はもちろんのことであるが、何か事件があったとしても、詳細を把握できているわけでないことが多く、事の是非を公に語ることなどは慎むべきだと承知しているつもりである。よく事の仔細、経緯を知りもせず、ヘッドラインの、ニュースの見出しだけか、それに準じたような、切り取られた情報を元に、事の是非を公に語るなどあるべきでないと、日頃自分に言い聞かせているつもりであ...思慮の欠如したさま、見るに忍びず

  • ちゃんと怒る自分でいたい。

    さて今日は何を語ろうかと思うが、まず最初にコロナのことに触れずにはいられない昨今である。第4波だっけ?この言い回しからしても、コロナはすでに歴史の1ページに刻まれているのだなと、改めて思う。最初の頃がどうだったとか、第2波の時はこうだったとか。不謹慎な言い方かもしれないが、それぞれの当時の様子を早くも忘れ始めている自分がいるし、私以外の人も、意識の持ち方の高低差から、違いはあろうが、結構似たようなものかもしれない、などと思ったりもしている。とにかく既にご承知の通り、「しつこいな、今度のやつ」などと呑気なことを言ってもいられないような様相を呈している現在である。オリンピックがどうなるかというところが、以前からやはり、頭にチラチラ、ちらついているが、さあ、どうだろうか。「無茶だ」「無謀だ」といった声が日増しに高まっ...ちゃんと怒る自分でいたい。

  • コロナ禍のGW。雨降りの最終日に思うことを少し。

    コロナ禍のゴールデンウィークも最終日を迎えた。しとしとと小振りの雨が降る中、その柔らかな雨音が、明日から再開する出勤を控え、気の張り始める神経をそっと撫で下ろすかのようである。まあ、予想通りと言うか。まとまった休暇中に進めたかった勉学は、平常と変わらぬ程度にしか進捗せず。不覚と言えば不覚だが、まあ、仕方がないとしよう。まあ、いつ頃からか知らないが、コロナ以前から、ささやかな幸せを十二分に感じ取る能力のあると自負している私は、今回のGWも結構楽しくできたと感じている。5月1日だったけか。女子バレーの若い選手らのハツラツとした活躍を、TVでではあるが堪能し、ついでといっては大変失礼であるが、続けて視聴した男子バレーでは、大型選手の揃う中国チーム相手に連勝。「えっ、中国より強いんか」と半ば衝撃的に、嬉しく驚かされたも...コロナ禍のGW。雨降りの最終日に思うことを少し。

  • いい加減、だれる気持ちも分かるのだが。

    ゴールデンウィークが終わろうとしている。「ゴールデン」らしさがない今年のゴールデンウィークであるとしても、やはり休みは単純に嬉しいし、いつまでも終わらないでほしいなどと、子供のような悪あがきをしてしまうし、そんな自分を少しも恥じる必要もない。すべて自然の理。さて。世間に目を向ければ、コロナの我慢疲れというか。繰り返される自粛期間に対する苛立ち、反発がいよいよ表面化してきている感がやはりある。誠に無責任極まる個人的な第一感想を言うのが許されるならば、緩んできたことを責めるよりまず、よくここまで我慢してきたものだ、というのが、やはり正直な感想である。医療現場の崩壊、重傷者や死者の数など、連日、報道される内容を考えれば、政府の「お願い」に対して、従順な自粛ムードが浸透するのは何の不思議もないこととも言えよう。が、基本...いい加減、だれる気持ちも分かるのだが。

  • 口に出しにくいタブーを、ポロっと。

    ゴールデンウィークに入ったわけだ。しかし、ちっとも「ゴールデン」でない、とあちこちから嘆きが聞こえるようである。私は相変わらず、コロナがあっても無くても、ステイホームでやらなくてはならないことがある。どっちみち「ステイホーム」なのである。今日、美容院へ行ってきた。初めてのところだ。相変わらず、「引き」が悪いと思った。人の薄毛のことを何度も言及して、「髪にまるで腰が無い」「でも、大丈夫」「諦めなくて良い」と、癇に障る同じフレーズを幾度繰り返すことやら。向こうとしても、私のような者を相手にして、話題を見出すのが難しかろうとは察するものの、やはり余計なことを話すくらいなら、静かにやってほしい、というのが正直な感想である。癪に障る薄毛がらみの講話と、求めた覚えのない育毛アドバイスを延々と聞かされ、正直、愉快ではないし、...口に出しにくいタブーを、ポロっと。

  • 本音と建前との話を、また

    本音と建て前。しばしば、大人の社会の中でそれを感じ、その虚しさと滑稽さ、愚かさを私たちは思い知る。もうすでにいろんな人がここに触れているだろうが、コロナ禍の中、まさにこのことを思い知らされるようだ。私の今の職場で、周りの人の様子を見る限り、手洗い励行だの、手指のアルコール消毒だの、真面目に行う者はほとんどいないと言って良い。とりあえず、出入口の前や、洗面所などに消毒用アルコールのスプレーは設けられている。いかにも「ちゃんと決められたことをやって」いますよ、と言わんばかりに。しかし、実態は違っていて、さほどの監視や観察をするまでもなく、それを小まめに利用する者がいないことはすぐ分かる。だって、ほとんどの者がそのスプレーの前を素通りしているから。にも関わらず。従業員に割り当てられたPCに届く周知メールには、「コロナ...本音と建前との話を、また

  • 「速い」を追いかけ過ぎである

    自身の勉強のため、某映像授業をおよそ一年ほど前から受講しているが、今回、サービス内容の「改悪」があり、大変がっかりしている。まず、黒板に講師が板書していたところが、デジタル化された。予め用意された、デジタル化された解説文や図が、これまたデジタル化されているホワイトボード上に、授業に沿って次々に映し出されていくのである。人によっては、「板書が見やすくなった」とか「講師の板書中、待たされることがなくなって良かった」などと、素直に喜んでいるだけの人もひょっとしたらいるかもしれない。「アナログ世代」とか何とか言われても一向構わぬが、まず「黒板に板書」が良い。誰が何と言っても良い。まあ、これはまず、好みの問題と、軽く扱われる嫌いがあるやも知れない。が、主張するだけの根拠は、一応あるようにも思う。黒板はよくできているなと、...「速い」を追いかけ過ぎである

  • 前から言ってるが、しつこいのが嫌い。

    新型コロナウィルスが、本当にしつこい。「しつこい」という言い方をしたが、だけど、こういった表現をしているところに、「危機感の不足が表れているのかもしれない」と、ふと思ったりもする。というのも、「しつこい」と感じている時というのは、つまり、「度を越しているから、もう止めるべき」と考えられる時であるからだ。すなわち、新型コロナウィルスの流行は、もう収まって良い時期だと、自分で判断しているわけである。が、現実は違うはず。「ずっとこのまま」の状態が永続しても、特に不思議はない。つまり、「ずっとマスク」「ずっとソーシャルディスタンス」。まあ、マスクについて言えば、これは無論、半分ジョークではあるが、全員が花粉症になったと思えば、さほど、思うほどは、無茶な話ではないのかもしれない、などとちょっと思ったりする。私は御陰様で、...前から言ってるが、しつこいのが嫌い。

  • いい加減、急ぎ過ぎだろ。

    スマホの5Gとか。量子コンピューターだとか。大分前からの話だろうが、やたら速くしようとしている。何でもかんでも。直感的に、その負の側面が、決して小さいものでないことを悟っているのは、無論、私だけではなかろう。が、そのことを指摘しようとする者の口元を、大きな川の流れのような力が塞いで、その声が届かなくなるくらい、小さいものにしてしまう。その流れの去り際には、「時代の流れさ」みたいなうざったい囁きが、投げつけるように残される。「時代の流れ」だと。下手くそで、的が外れていて。思考が停止した人の口から、いかにも出てきそうなセリフ。くそ職場のくそ共の口から出る、あれ。「深く考えすぎ」あれと同等。見当が違う。世界はこの動きを止めたり、変えたりするつもりはないらしいが、それなら、私は「ゆっくり」をあえて掲げて生きていこうか。...いい加減、急ぎ過ぎだろ。

  • 一人にもたれ掛かるな

    新型コロナウィルスの感染急拡大。いつの間にか、東京を抜き、最も危険な地域となっている大阪。それも大阪市。そこに今、私は暮らしている。私の場合、このことに関し、何よりまず、今頭に浮かぶのが、大阪府知事の吉村洋文氏のことである。コロナ禍の、大阪都構想の住民投票に敗れ、その落胆は想像に余りある。その大きな傷を癒す暇もなく、コロナ対策に追われ続けて、今日に至っているわけである。途中、コロナ対策に取り組む直向き、真摯な姿勢が大いに世間に評価された。しかし、本当に世間とは勝手なもので、形勢の良いときは乗っかかるようにして大絶賛。ちょっと悪くなった途端の、手のひら返し。あちこちから、すぐさま批難が飛び交い始める。その変わりようの早さと来たらない。橋下徹元大阪府知事、大阪市長のことも含めて、本当にしみじみと思う。こんなことで、...一人にもたれ掛かるな

  • 桜散る。さあ、その後は。

    桜が大方散ってしまった。やっぱり寂しさがある。でも、散った後に残る、豊かな緑の葉。そういえば、桜餅の桜の葉が食べられると知ったのは、結構後になってからのことだった。それはさておき。桜の葉っぱも、すごく豊かな緑をしていて、十分、目を惹きつける力を持っているものだと、今更のように気づかされる。これから始まる会計年度を祝うかのような、桜の宴は終わった。もちろん、大切なのは、ここから。この年度を、どんな一年にするのか。運や、災厄など、人の力を超えるものが、鍵の一端を握っていることは事実。だが、あくまでも主役は気持ち、意志。何をするか。何のためにするか。どのようにするか。今回だって、同じ。これまでと、そういった意味では何も変わらない。知性、理性をフル回転して。無論、肉体にも頑張ってもらわないと。私の心身。今年もよろしく。...桜散る。さあ、その後は。

  • 無茶苦茶してる、が多すぎる。あと波紋という言葉。

    「何か無茶苦茶してるなあ」っていう報道が、特に近頃、目立つように感じている。もちろん、ミャンマーのクーデターの問題を含める。コロナの問題で世界中が疲れ切っているような印象の今、それに関連した問題がいろいろ起こってしまうことについては、ある程度、同情すべきところがある場合もあるとは思う。だが、非情な響きはあろうが、先立つ原因がいかにあろうと、基本の道理は変わらないし、無論、変えるべきでもない。「ダメなものはダメ」である。話をいきなり変えて申し訳ないが、渋野日向子氏、今回の海外初戦は誠に残念な結果になってしまったが、まずは、その戦いの労を労いたい。本当にお疲れ様でした。まずは、ゆっくりと休んで、次戦に備えていただきたい。「この大会の、今年のグリーンはとても硬くて、去年より難しくなったようだ」大会前のインタビューを受...無茶苦茶してる、が多すぎる。あと波紋という言葉。

  • ちゃんと見ていない。

    桜がそろそろ往こうとしている。今年もまた、ゆっくりと、落ち着いて、日本で一番愛されているこの花を、味わうということは、できなかったと思う。花をちゃんと愛でるためには、心が本当に健康でないといけないのだと思う。だから、健康とはとても言えないから、ちゃんと愛でることができなかったと思う。ただ桜の前を、見上げながら通り過ぎているだけ。「ああ、桜だ」と確認しただけなのである。これは、言われるまでもなく、寂しく、貧しいことである。桜の色の、あの何とも言えない、淡い色合い。白の中に、ほんのりと、僅かに感じるだけのような桃色の色味。あの微妙で繊細で、品の良い色味と、春という季節が持っている、始まりの興奮、どこからか湧き上がる期待感とが、見事なまでに、人の心の中で重なり合う。もっと、ちゃんと味わわないと、バチが当たる。そんな気...ちゃんと見ていない。

  • 当たり前に思われて、当たり前でないこと

    いやー、本当にしつこい。コロナ。しかし、「コロナ」という名前については、よそでも聞いたことがある話だが、名前の響きは悪くない。ていうか、「きれい」と「かわいい」とを併せ持っているような、「きれかわいい」響きでよろしいのだが。そういえば、「これをさっそく自分の子供の名前にした親がいる」とか言って、少し前、報道されていたような、いないような。よく覚えていないが。まあ、こういうことについて、わざわざコメントする気にもなれんが。とりあえず言いたいかな。「レベルが低い」さて、今日の深夜11時30分頃からだな、渋野日向子氏の海外初戦。あー、楽しみをくれて、本当にありがたい。彼女の活躍を楽しみにしている多くの人がいる。毎日、嫌な事も少なくない人生。こういう楽しみをもたらせてくれる人がいる。あー、ありがたいありがたい。くそムカ...当たり前に思われて、当たり前でないこと

  • 親父について、書き残したい想い

    幸せということを考えた時、今思うこと。今、自分は幸せなのか。あるいは、ここまでを振り返って、全体的に幸せな人生を送っているのか、否か。こういう話題は、掴みどころがないようには思う。でも、まずは、自分がどう思っているのかということと、人からどう思われているかということで、違ってくる場合があるだろう。まず、自分がどう思うかということから。結論を言うと、幸せである。さて、ここからが難しい。理由を述べないといけない。その前に、自分の親父について、述べたいことがある。この親父が、正確にはいつ頃からか、はっきりしないのだが、認知症を発症していることは、前回までの投稿ですでに触れていることだ。もともと、話が通じないタイプであったが、発症したことで、会話の相手をするのは、本当に大変で、こっちの話は相手に伝わらず、相手の話も、外...親父について、書き残したい想い

  • くだらぬ世論が、今日も。

    テレビ朝日のニュース番組「報道ステーション」が3月22日、新しく番組のウェブCMを公開。SNS上などで「女性をバカにしている」「ひどいCM」などと批判が相次いだとのこと。この手のニュースは、もううんざり。目に余るものがあり、コメントすることにする。批判殺到?何の批判なのか、まったく理解できない。制作者の意図は何かと、想像して一考してみることもせず、ただ「ジェンダー平等」「時代遅れ」などのキーワードに反射的に反応して、「今どきの風潮なら、このあたりのワードを叩けば、世間の支持を得られそう」などと安易に期待した、極めて短絡的な、不健全きわまる群衆の心理をそこに見る思いがする。発言するなとは言わない。だが、人の話を聞かない人、聞けない人があまりに多すぎるようで、怖いくらいである。人の話をよく聞いて、人の書いたものをよ...くだらぬ世論が、今日も。

  • 雨の中で戦う背中を見る人と、見られる人と。

    よく降る雨だ。TポイントxENEOSゴルフトーナメント、女子ゴルファー、渋野日向子氏。悪天候の中、自分の腕を武器にして、今日も戦い続けている。過ぎた贔屓目は憚られるが、他の出場ゴルファーを含め、遠いところから声援を送りたいと思う。彼女の優勝した大会の公開動画を、この週末は、繰り返し繰り返し、「何回見んねん」というくらい、何度も見ている。また、お気に入りの小説、今回は「坊ちゃん」(著者:夏目漱石)の冒頭の件と、この作品の解説者の解説文を、繰り返し、しつこく読み返したりしている。しかも、音読で。物語のシーンを音読する間、自分の声に耳を傾ける観客と、映画や舞台のように映像化した、物語の映像を頭の中に思い浮かべる。自分のお気に入りのシーンを、自分が望む通りの反応をしたり、表情を浮かべながら聞き入る視聴者を想像するのが好...雨の中で戦う背中を見る人と、見られる人と。

  • 低レベルな光景が、目に付く

    新型コロナウィルスは本当にしつこい。まあ、それにしても、何度か耳にした話だが、マスクの着用とか、日本人は特に、まじめに、健気に、あまり文句も聞かず、よくやっているなあと本当に思う。せっかくちゃんとやっているのだから、余計なことは言わなくて良いのだろうが、もう少し、文句タラタラ、垂れ流している声を聞いたり、マスクを怠ったり、拒否したりといった光景があるほうが自然だろうに、などと思う。もちろん、文句言ったり、拒否や反発したりという様子もたまに見かけたり、報道されたりしてはいるが、それにしても、「真面目か」と少々ツッコミたくなりそうなくらい、大方が真面目な様子なのには、本当に不自然さを感じるくらいである。まあ、日本人はとりわけ、そういう傾向が強いようだが、世界と比べて。まあ、自国民のこととして、誇らしいというか、何と...低レベルな光景が、目に付く

  • 思ったことを、今日もちょっと。

    昨日に引き続き、今日もまた、晩飯は外食に頼った。某餃子店で、餃子定食をオーダーする。そうして、ちょっと迷ってから、生ビールの中ジョッキを追加注文した。今日も例の職場では、しっかりと痛めつけられ、消耗し、屈辱を十分に味わう。会社からの帰り道、帰宅後、自炊に取り掛かる気力を出せるかを、ちょっと頭の中で想像して、結局、外で済ますことを選んだわけだ。この外食も「不要不急」なのかと、後ろめたさも覚えるし、もちろん感染リスクを少しでも小さくすべきだとする考えもある。それでも、最後には外食することにしたのである。通勤用のカバンから今朝の新聞を取り出し、注文したものが来るのを待つ。新聞を読む時間を「嬉しい」と感じていることに気づく。活字を読むことを「しんどい」としていた子供の頃をふと想い返す。いったいいつ頃から、活字に対する見...思ったことを、今日もちょっと。

  • 今年は何か、良いことがある気がする

    明けたからには、おめでとうと言うしかあるまい。今年は丑年だと。「うし」の漢字は「丑」か。勉強になる。やはり書かないといけないと、しみじみ思う。書こうとすれば、正しく書きたいと思い、知らなかったり、自信のない物事を調べようとする。辞書は面倒がって、主にインターネット頼りではあるが。ともかく、書くか話すか、どちらかはしないと、言葉が衰える一方だ。話し相手を持たないのだから、せめて書くことには、普段から力を入れておいたほうが良い。「丑年だから、牛のように、一歩一歩ゆっくり、焦らずに事を進めるつもりでいたい。」などと、既に大勢の人が発言したことかと思うが、本当にそう思っている。牛のような大らかな歩みや、猫のようなマイペースぶりを目の当たりにして、蔑みを覚えたかと思えば、憧れを抱いたりもする。差し当たり今の私は、憧れの目...今年は何か、良いことがある気がする

  • 夏は、どちらかと言えば、好きだ

    夏はやっぱり暑い。改めてそう想う。冬もそうなのだが、いったん通り過ぎてしまうと、夏の辛さや苦しみも、綺麗に忘れ去ってしまう。そして、そんなに言うほど大したことはなかったのではないか、と思い違いをするのだ。全く人間というのは、本当に愚かな者だと、つくづく思う。それとも、ここまで愚かなのは、私だけだろうか。ところで梅雨明けはどうなっているのだろう。インターネットで調べると、本州などは、まだのようだ。相変わらずの情報弱者であり、この程度のことさえ、インターネットに頼らないと分からない。新聞やテレビにほとんど目を通さない毎日。さらに人間関係をまともに持っていないため、ちょっとした情報も、自然に耳に入ってくるということがない。と、また生々しい孤立生活の報告は、ひとまず、さておいて。最近の話題と言えば、やはりこれ、コロナ。...夏は、どちらかと言えば、好きだ

  • 大事な事を、大事だと分かるように

    令和2年も早23日が過ぎようとしている。時の経ち方のあまりの速さに、この頃では恐怖さえ感じる。と、まあ、同じことは、このブログでも幾度も書いてきたように思うが、やっぱり改めて感じるし、感じる以上、ここにも書かざるを得ない。時と言えば、この間、時計の電池を交換してもらった。時計というのは、長らく愛用(?)している腕時計のことで、近所の小さな時計屋の主人に電池交換をお願いした。同じ主人に前回お願いしてから、そんなに日が経っていないように思うのだが、ただ電池が消耗したばかりなのか、腕時計本体が古くてダメになってきたのか分からない。時計に見切りを付け、本体を買い替えることも考えたが、とりあえず今回は電池を換えるに留まり、しばらく様子を見ることにした。まあ、それにしても、腕時計一つにしても、一定の間以上付き合ってきたもの...大事な事を、大事だと分かるように

  • 年の初めに、あれこれと想う

    今年をどんな一年にしたいか。無論、良い一年にしたいと思う。初詣は、とりあえず済ませた。まずは去年のご加護のことを感謝し、そうして今年も引き続きご加護頂きたいことをお祈りした。年のせいか、いろいろなことがしみじみと身に染みて感じるようになっている気がするのだが、そのことは、これまでにもこのブログに記していると思う。神様のこともそうで、本当によく守って頂いていると、つくづくと想う。普段から無理をしてばかりだし、無茶もしてばかり。心身共に衰えてきていることを感じているし、でも他からそこに触れられると、何と失礼な輩だと、頭に血が上ったりすることも、しばしば。まあ、あまり良い年の取り方をしていないということは確かだろう。今年のことだが、とりあえず、もう少しこのブログの投稿もまめに行いたいと思う。作文の力を鍛えたいと期しな...年の初めに、あれこれと想う

  • 新しいは、気持ち良い

    新しいものがいつも良いものとは限らないとは言え、新年を迎えるというのは、やはり悪くない。気持ちが良い。年が改まったからといって、突然何かが変わるわけではないと、よく言われることではある。でも、そうはいっても、年明けを区切りに、悪い流れが変わってほしいと願うのが、人の常であろう。無論、今の私もその一人である。昨年もいろいろなことがあったと思うが、やはり悪いことのほうが強く記憶に残っていると思う。新年早々、口に出す話題ではないと思うも、体の不調・違和感を覚え、このままどうかなってしまうのではないかと、血の気の引くような思いに襲われたことが、幾度かあった。どんな不調・違和感なのかと問われても、生々しい話になってしまうので、ここで触れるのは控えたい。ただ、月並みな言い回しであろうが、若かった以前には考えられなかったこと...新しいは、気持ち良い

  • 消費増税が来て、台風が来て

    消費増税となって早ひと月が経とうとしている。もちろん痛い。個人的には無論反対する気持ちでいたが、社会的には仕方がないことだと言う。それならば甘んじるしかないかというところだが、本当に仕方がないのかというところは、ちゃんと政治や世の中のことをお勉強していなくては判断できるわけがない。相変わらず忙しさにかまけて、毎日の新聞はポストから取り出した後は、一面を少し見渡して、その日一番のニュースを確認するだけ。その後は所定の置き場にホイッと置き去りにしてしまう。馬鹿、バカ、俺のばか。何をしている。そんなことでどうするという感じだが、今のところ、この流れを変えられないままである。月におよそ5千円ほど費やす意味がどこにある。その他、英字新聞も取っているがこれも同様。子供向けに子供新聞、学生新聞を一部ずつ取っていたりするのだが...消費増税が来て、台風が来て

  • 新しい時代を迎えて

    令和になろうとしている。無論、元号が改まるからと言って、それだけのこと。外面が変わるばかりで、中身は何ら変わらない。皆それは分かっている。が、これをきっかけに良い方に変わるものなら、変わってほしいと願ってしまうのが人情ということだろう。認知症を発症したと断定しても良い父親のことだが、それもこれを機会に治ってくれないものかと、つい調子に乗りたくもなる。まあ、無理だろうなあ。そうこう言っている間に、こっちの身が危ないことを感じる。近頃、物忘れが酷くなってきた節があるし、物覚えも悪くなっている感じがしてならない。全く…。って感じだが、水泳の池江選手とか、最近では歌手の岡村孝子さんだったっけ。白血病。まだこれからという時に、映画とかドラマでよくありがちだったこの病。現実にも普通に起こって。まあ、ここいらの天才肌の有名人...新しい時代を迎えて

  • 優しさとは何か

    桜が開いている。うちの近所にちょうど良い感じの公園がある。そこにも幾らか桜の木がある。休日には家族連れやら友達グループ、カップルたちが集う良い感じの公園。そこの桜の木も良い感じに桜が咲いてきた。淡い桃色の品の良さ、瑞々しさというか、愛らしさというか。月並みであるが、本当に美しいと思う。季節の、四季の中で、最も「優しい季節」と言えば、どれなのか。やはり春だろうか。いや、優しいって、そもそも何だろう。良いことなのか、悪いことなのかって、ちょっと思う。今回で年度が替わる。昨年度について。他塾でアルバイトをしたが、やはり痛感したことの一つは、甘やかされた生徒について。甘やかしているのは、つまり周囲の大人だ。甘やかすと言う言葉は、それ自体、批判が込められている。つまりは悪口だ。厳しく望まない姿勢は、見方によっては、優しさ...優しさとは何か

  • ほぼ春

    春が来ていると言って良いのだろうと思う。うちの植木も春になっている。ついこの間まで枯れていた枝に新芽が出て、花を咲かせているものもある。動きを止めたように見えていたものが動き始め、閉ざしていたものが、次々に開きだしている。春。毎年思うけど、やっぱり良い。四季折々。夏も冬も、秋もそれぞれ魅力があって、どれが一番だなんて決められないのだろうけど。春の持つ高揚感、期待感、湧き上がるようなエネルギー感。何だろうな、これは。やっぱり、美しい「未来」を感じさせるのが春という季節なのかなと、ふと思う。例えば、夏なんかは、連想するのが「盛り」とかではないだろうか。絶頂にあるという充実感と、それに伴う、その先に来たるべき「衰退」を同時に感じることへの言い知れない複雑さ。幸せと不幸せの同居というか。まあ、ともかくは、四季のある暮ら...ほぼ春

  • 子供たちの現在

    子供をむやみに子供扱いにしないというのが、私のポリシーの一つであるように思っている。子供を甘く見ている大人はいると思うが、私の目には、そんなふうには映らない。見かけでは計れない、子供の持つ力。考える力もそう、感じる力も然り。事によってはそこらの大人を遥かに凌ぐ能力を身に付けた子供は幾らもいる。子供を見下す理由なんか特にありはしない。が、弱点ということを考えたとき。子供は基本的に弱いということ。無論、大人だから強いなどと言うことも言えないのだがだ。今までというか。最近というほど最近に限った話でもないが。いくつか、学習塾で講師のアルバイトをする機会を持った。むやみに他人や法人を批判することは好きではない。いや好き嫌いというより、ともかく気分の良いことでないことは確かだろう。がそれでも言うのなら、ろくな人に出会わない...子供たちの現在

  • 雨も悪くない

    雨がジャンジャカ降っている。途中勢いを変えながらも、絶え間なく降り続いている。昼過ぎくらいからだったか。ついに降り出した雨は、私が横になっている間も構わず降っていたらしい。雨も悪くなかろう。晴れていれば良いというわけでもない。大事なのは、どんな心持ちで過ごせているかということ。とは言え、休日の今日は、できれば表をのんびりと散歩することはしたかった。まあ良いけど。オークションで購入したVHSテープを鑑賞し終えた。ドラマ「王様のレストラン」だ。随分古いドラマらしいが、グルメ系のドラマや劇画類が好きな私は、ある時そのあらすじを知り、どうしても視聴したくなった。が、調べたところレンタルDVDが存在しないことを知り、やむなくVHSを、しかもオークションで購入することに踏み切った。販売用DVDはあるようだったが、相応の価格...雨も悪くない

  • 急な話

    もう春と言って良いのではないか。温かい。日差しが温かく、時に暑いくらいに体を照らしている。うちの植木の沈丁花が香しい。植えてから3年目に入ろうか。前にも書いたろうが、この花の香りは格別だ、私にとっては。過ぎし日の甘酸っぱい思い出が詰まった香り。この木を含め、幾鉢かの植木に見守られての暮らし。ついこの間まで死んだようにしていた鉢植えたちが、緑の新芽を出し、小花を開いたりしている。なんか化かされているような気にさえなる。でも、これはおそらく、命を感じているということなのだろうと思う。世の中の生々しい勝ち負けの光景に目をやられるのか。我々現代日本人は多分、命の愛おしさを捉えられなくなっているのではないか。そんなふうに思って、寂しさが襲う。父が認知症を発症した。そう言い切らざるを得ない状況がある。若い頃から危なっかしい...急な話

  • 再始動

    この間から、訳あって仕事を休んでいた。今日からまた仕事だ。結構、間隔が空いた。これだけまとまった休みは、どれだけぶりだろう。志の為に、しっかりと勉強に費やしたかったが、気が緩み、残念な内容となってしまった。無念である。この間に寒さが厳しくなってきた。炬燵の温もりが癖になり、なかなか足を外に出す気になれない。前から言っていることだろうが、温暖化を気に掛けている一方で、寒さの控え目な冬を歓迎している自分がいたりする。全く情けない。寒さと言えば、温かい飲み物のこと。ちょっと前に購入したコーヒーメーカーは、今のところ、まだ活動している。挽き立てのコーヒーは、良いものである。月並みな話だが、香りが良く、口当たりも良い。コーヒー豆が安くないことと、準備する面倒は決して小さいことではないのだが、まあ今のところは、それだけの価...再始動

  • 組織というものが嫌いだ、俺は。

    嫌いなものは仕方がない。嫌いなものは嫌い。しょうがない。人が変わるという言葉がある。一対一で話す分には、すごく真面目というか、誠実に話ができる。でも、他の仲間と一緒になった途端、人が変わったように素行が不誠実になる子がいる。それも特定の子だけに言えたことではない。その他のたくさんの生徒に当てはまるのではないかと思う。組織とか、群れとか、グループとか。いくつか言葉はあろうけど、とにかく感じ悪い。俺はとにかく嫌いだ。何か、魔物でも住んでいるんじゃねえか。そんなふうに思う。そりゃあ、人は一人では生きていけないだろうさ。分かってる、そんなことは。俺も、普段いろいろ強がってしまっていると自覚あるけれど、一人でいるというのは、孤立した状態っていうのは、何かと都合が悪い。それは認める。だから、群れることは必要なのだろうし、群...組織というものが嫌いだ、俺は。

  • 正しく見ること

    正しく見たいなと思う今日この頃。正しく?そもそもが、何が正しいのかなんて、誰にも言い切れないわけで。でも…。正しく見るように努めること。その気持ちを持ち続けること。大事なのは、そこではないか。例えば。あの子は勉強ができない、やる気がないとなじる講師が居たとする。講師の質問に答えられないから、問題が解けないから、自習が進んでいないから、そう言うのだろう。別に、言ってはいけないとは言わない。でも。物事には必ず理由がある。所以がある。いきさつがある。講師は、そこに目を向けるものだろう。でも、その理由やいきさつは簡単には分からない、見抜けない。神様じゃないのだから。だから、見間違いが起こる。人間だから。間違うなと睨みつけたって仕方がない。人間だから。怖いのは、何より怖いのは、簡単に決めつけることだ。本当に正しいだろうか...正しく見ること

  • 地震で

    目が覚めて、などと言うのでは勿論ない。が、久しぶりに何か書こうかという気になったから書くことにする。そうなることは十分にあり得ることで、覚悟、心の準備はしておかないといけないと思いながら、でも、心のどこかで、事が起こるとしても、それまでにはもう少し時間があるだろうという、ただただ自分にとって都合の良い予測。今回の地震もそうだし、父親の認知症発症の疑いもそうだ。前も呟いた気がするが、時は待ってはくれないらしいということ。そんなに急ぐなよと抗議したいが、相手は聞く耳を持たないのだろう。「くそっ」て感じ。悪いことが続き、良いことは中々起こらないなどということは、今に始まったことでもない。そうして、何だかんだ言っても、本当に運が悪けりゃ、ここまで来られていないはずという、自分に向けた諭しの言葉。それにしても疲れている。...地震で

  • 明けました

    新しい年がまた明けたわけだ。例により、元旦は仕事が入り、ろくにそれらしく過ごすことは叶わなかった。仕事が終わったのは夕方で、日も暮れて辺りは薄暗い。帰り道、近くのこじんまりとした神社で、形ばかりの初詣。願掛けを落ち着いてしたかったのだが、後ろに他の参拝者もいて、できなかった。一応しておいたのは、願い事というか、今年の抱負をお天道さまに聞いていただくというものだった。「私塾の準備の完了を目指す」「私塾を含めた意味で、独立を果たすため、そのための武器となるものを身に付ける」その具体的に意味するところは、また次回以降、どこかで述べる機会を持ちたい。境内ではおみくじを引いた。「半吉」だった。「雨そそぐ軒の下石くぼみけりかたきわざとて思ひすてめや」(奮闘努力は成功の基なり。数度の失敗にも落騰せず心を強く持ち、行を正しくし...明けました

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