山城めぐり さん プロフィール

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山城めぐりさん: 山城めぐり
ハンドル名山城めぐり さん
ブログタイトル山城めぐり
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/tomiokamusasi
サイト紹介文新潟、山梨、長野、群馬、栃木、埼玉県などの埋もれた城跡を探索しております。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供388回 / 365日(平均7.4回/週) - 参加 2014/11/17 21:53

山城めぐり さんのブログ記事

  • 猿小屋砦
  • 信州はお気に入りの山城を紹介しています。猿小屋砦は松本市赤怒田にあります。信州ゴールデンキャッスルを目指します。猿小屋砦地図国道143号線でバス停矢室から県道181号線に入ります。バス停公民館を過ぎて600mくらいを右折します。金山沢に沿って市道を進むと、お城のような建物がゴールデンキャッスルです。この道を進みますが、駐車はできませんので、手前の所に停めて、ここを歩きます。100mほど歩くと神社が [続きを読む]
  • 長野原城⑧
  • 曲輪11から天狗岩へ東尾根を進み、峰が見えてきます。これが曲輪11の城壁です。曲輪11の西城壁長野原城の特徴で曲輪11は北側に土塁を残しています。おそらく尾根の南を削ってこの曲輪を作っていると思います。さらに東尾根を進みます。岩尾根が見えてきました。天狗岩南東に見える景色、真田新六郎が守る長野原城の奪回のために敵である岩櫃城の斎藤氏が来るとすれば、東側からですから、ここは物見として最適であると思わ [続きを読む]
  • 長野原城⑦
  • 曲輪9から曲輪10(箱岩城)へ曲輪9、秋葉社が祭られています。南側秋葉山大神、櫓があったのでは?東尾根を進み、曲輪10へ堀切曲輪10の城壁曲輪10(箱岩城)曲輪10から東尾根へ縄張り図でオとされている曲輪、チェーンを外して、その先はオの曲輪はこの大岩の上にありました。鎖を伝って降りられます。のどかな長野原町、山裾は無残にも道路工事でずたずたです。斎藤憲広のライバル、鎌原氏について鎌原氏の登場  鎌 [続きを読む]
  • 長野原城⑥
  • 東尾根、曲輪9へ二重堀から曲輪9の城壁曲輪9から南支尾根が下っています。支尾根先端に南支尾根曲輪(仮に)曲輪9を見上げています。南支尾根東曲輪(仮に)宮坂氏はこの辺は縄張り図には描いておりません。東曲輪から南支尾根曲輪の城壁を見ています。南側はとてつもない断崖南支尾根東第二曲輪東段曲輪長野原市街、三島根小屋城を突っ切ってしまう計画の元、上信自動車道の建設が行われています。50年前に計画された川原湯 [続きを読む]
  • 長野原城⑤
  • 二の丸から本丸へ左下の曲輪2へ曲輪2宮坂氏の縄張り図に順じておりますが、曲輪2を私は本丸と思います。曲輪2の西虎口曲輪2も南側に土塁を成しています。土塁を東に視点を転ずれば曲輪1です。碑が建てられています。前回記事での通り、斎藤氏と真田氏との城の攻防が書かれています。曲輪2は北側にも展開しています。北から南土塁を見ています。碑の曲輪1から東尾根が伸びていて二重堀切があり、曲輪9の城壁が見えています [続きを読む]
  • 長野原城④
  • 曲輪6から曲輪8へ曲輪6から南下へ曲輪8曲輪8の南下曲輪南下曲輪からもっと斜面を下ると、橋頭堡のような曲輪曲輪8に戻って曲輪6方面を見ています。曲輪5から曲輪6の南城壁縄張り図は「山城探訪 上野編」曲輪6と8の位置を確認してください。曲輪6の土塁上土塁上から曲輪6を見下ろしています。土塁は曲輪2と本丸へ通じており、堀切土塁の先に本丸、左下が曲輪2と宮坂氏は縄張り図に描いておりますが、本丸は曲輪2の [続きを読む]
  • 長野原城③
  • 曲輪3の支尾根を下って歩き、そして主郭部へ曲輪3曲輪3の北側一段下がって曲輪4南を振り返って曲輪7・6の城壁を見ています。曲輪4の西下に土塁によって空堀が受け土塁から下ると北支尾根第一曲輪第一曲輪から曲輪4方面を見返しています。北支尾根第二曲輪第二曲輪の先端部は谷になり、武者走りの通路によって南に連絡しています。曲輪3に戻って縄張り図の曲輪6を見てください。曲輪6の虎口曲輪6に入りました。長野原城 [続きを読む]
  • 長野原城②
  • 中央の支尾根を下ります。東に登って来て大手を進みます。曲輪7を見下ろしています。反対側が虎口です。この虎口を登れば主郭部になります。中央支尾根の曲輪7縄張り図は「山城探訪 第十九集 上野編」曲輪7の西下第一曲輪第一曲輪の城壁を見上げています。西下第二曲輪西下第三曲輪西下第三曲輪から南を見ています。谷の南側が大手として記事①で歩いてきたところです。曲輪7に戻り、縄張り図の曲輪4を見ています。この曲輪 [続きを読む]
  • 長野原城
  • 長野原城は群馬県長野原町長野原にあります。長野原城地図長野原役場の裏の駐車場から西に進み、民家の手前から山道があります。国道145号線沿いにある長野原役場、この裏手に廻り役場裏にある空き地を西に民家の手前から北裏に山道があります。15分も登ればこの峠になります。この分岐で右に行けば大手、左手に下れば長い土塁と空堀が待っています。曲輪を基点に北へ下り、右手に空堀が沿っています。この空堀は、山側と城内 [続きを読む]
  • 城ノ入城⑤
  • 詰め丸へ曲輪5はとても長い曲輪です。次にこの岩場の尾根を登ると詰め丸です。宮坂氏の縄張り図は曲輪5までです。奥に見える物見台?を登ります。木々の伐採があれば、北、東の眺望が聞きます。物見台から北下の詰め丸を見ています。物見台南下の堀切近づいて見ています。岩を削って堀切を作っています。堀切を横から見ています。詰め丸南城壁を見上げています。城ノ入城はこれで終了です。次回 長野原合戦の舞台、長野原城です [続きを読む]
  • 城ノ入城④
  • 信更町田野口に勢力を持っていた和田城主、田口越前守は上尾城主の配下であった。「信州の山城と館」宮坂氏著上尾城主 平林氏について平林正直【ひらばやしまさなお(15??〜15??)】上水内郡上尾城主。平林正直(同名)の男。嫡男平林正頼が幼少の為、弟平林直長に家督を譲るが、平林正頼が元服しても家督を譲らず、お家騒動になった。平林直長が破れ、平林正頼が家督を相続した。平林正家【ひらばやしまさいえ(15??〜15??)】平 [続きを読む]
  • 城ノ入城③
  • 曲輪3から本丸へ曲輪3は三段の階段状になっています。曲輪3の二段目空堀空堀越しに曲輪3を見返しています。曲輪2の下にある狭い曲輪、これを北から曲輪3を見れば三段に見えます。曲輪2の北城壁曲輪2曲輪2の南側堀切これを登れば本丸です。縄張り図は「信濃の山城と館 長野・更埴編」本丸への北尾根、小曲輪を連続させて守っています。本丸北城壁、本日はここまで三島根小屋城の件お問い合わせの件ですが、根小屋城はご指 [続きを読む]
  • 城ノ入城②
  • 曲輪4から曲輪3へ北尾根第三曲輪第三曲輪を見下ろしています。北尾根第四曲輪北尾根第五曲輪この上が曲輪4曲輪4曲輪4の西側は袖曲輪曲輪4を南から見ています。中央に段差があります。曲輪3との間の空堀空堀を近くで見ています。手頃の石が転がっていて石垣があったのかもしれません。曲輪4の袖曲輪を見返しています。曲輪3次回 曲輪2から本丸へ歴史 信更町田野口地区は、戦国時代に和田城を本拠地にした田口越前守がお [続きを読む]
  • 城ノ入城
  • 信州は有名ではないが、縄張りは素晴らしい山城を再度報告しています。何度か登ると新しい発見もあります。城ノ入城は長野県長野市信更田野口字大森にあります。城ノ入城地図結構見つけるのに苦労しました。地方道70号線(新町街道)でバス停田野口から50mほど北に進むと信田小の看板があり、これを左折し1.5kmほどで大森地区になります。大森地区で主要道から二又を左手に下ります。民家の先に聖川があり、橋を渡ります [続きを読む]
  • 根小屋城(三島根小屋城)
  • 西尾根を歩きます。本丸西下の大堀切から二重堀本丸西城壁二重堀から見返しています。西尾根を進み、二重堀がまた現れます。本丸方面を見返しています。二段目の二重堀を近くで見ています。二段目の二重堀を下から見上げています。西尾根第二堀切、ここが城域です。前回記事で三島根小屋城の東先端部にある館と思われる曲輪が上信自動車道によって破壊されようとしています。群馬県教育委員会文化財保護課に計画の見直しをされるよ [続きを読む]
  • 根小屋城(東吾妻町)④
  • 根小屋城の記事①で報告しましたように、三島根小屋城の東側の諏訪神社上の曲輪は上信越道が通るため破壊されるようです。東吾妻町の文化財課の回答です。お世話になります。東吾妻町で文化財を担当している吉田と申します。 お問い合わせの件ですが、根小屋城はご指摘の通り上信自動車道建設の線形上に位置しており、今後は埋蔵文化財調査を行った上で記録保存をし、後生にその記録を残していくこととなります。実際には線形が決 [続きを読む]
  • 根小屋城(東吾妻町)③
  • 曲輪Aから西に進みます。曲輪Aを見下ろしています。東尾根を登ってゆきます。堀切と峰縄張り図に記号がないため、二重堀東下曲輪とします。二重堀いよいよ本丸の峰が見えてきました。本丸東城壁と東尾根を守る本丸東下腰曲輪東下腰曲輪を見下ろしています。本丸から北尾根を下ります。(ここの北尾根は宮坂氏は描いておりません。)北尾根第一曲輪北尾根第一空堀空堀から見返しています。北尾根第二曲輪北尾根第三曲輪北尾根第四曲 [続きを読む]
  • 根小屋城(東吾妻町)②
  • 東尾根を登ってゆきます。空堀東尾根第三曲輪の城壁で左手は石積第三曲輪を見下ろしています。東尾根八合目あたり第一段曲輪第二段曲輪第二空堀尾根に着き、曲輪A縄張り図は「山城探訪 上野編」宮坂武男氏著 曲輪Aは筑紫の穂のような形で、北、南に支尾根があるところです。曲輪Aから北支尾根へ北支尾根第一曲輪北支尾根第二曲輪第二曲輪から北支尾根を見返しています。曲輪Aにもどりました。城主は江見下野守で大戸浦野氏の配下 [続きを読む]
  • 根小屋城(東吾妻町)
  • 根小屋城は群馬県東吾妻町三島にあります。根小屋城地図国道145号線で岩島中を過ぎて1.2kmくらいでバス停机から町道を左折します。吾妻川を渡って右折します。根小屋集落の公民館がありその反対側の木材所のわき道を進み、突き当たって左折します。澤に沿う道を奥に進むと諏訪神社になり、その上に館と思われる曲輪があります。北曲輪(仮に)を南から見ています。北曲輪の東城壁50m×30mの大きさの北曲輪まだ確かめ [続きを読む]
  • 「謎解き本能寺の変」藤田達生著
  • 「今日のおすすめ」とのサイトで野中幸宏氏が推薦文を書いています。藤田さんは将軍足利義昭を本能寺の変のキーパーソン(黒幕)としています。普通、信長に義昭が追放された時をもって室町幕府は滅亡し、織豊時代の幕開けと考えられています。義昭は“表舞台”からは去ったように見えますが、実際は影響力は衰えたりとはいえいまだに確固たるものとして存在していました。──実際にはこの時点で幕府は滅亡しておらず、義昭も在国 [続きを読む]
  • 天狗山の砦②
  • 注目記事小牧山城跡 戦国ロマンに思いはせ 発掘現場を公開毎日新聞2016年10月16日 13時15分(最終更新 10月16日 13時15分)小牧山城の発掘調査の説明を受ける見学者たち=愛知県小牧市で 織田信長の築城とされる愛知県小牧市の小牧山城跡の発掘調査現場が15日、市民に公開された。信長が稲葉山城(岐阜市)に侵攻後、廃城になった小牧山城は天正12(1584)年、徳川家康が「小牧・長久手の合戦」の陣城として改修したとされ [続きを読む]
  • 天狗山の砦
  • 注目記事一夜の城:織田の高遠城攻め 一夜で築けず 「一夜の城」は一夜では建たなかった−−。長野県伊那市教育委員会は7日、戦国時代の1582年(天正10年)に織田信長の長男信忠による武田軍の高遠城攻めで一夜にして築かれ、陣を構えたと伝承がある「一夜の城」の発掘調査で、城の入り口にあたる虎口(こぐち)側で巨大な堀が見つかったと発表した。四方を堀で囲まれていたとし、一夜で築かれた城ではなかった可能性が強い [続きを読む]
  • 大明神山の砦②
  • 本丸へ本丸に向かい東虎口に入ると本丸南下曲輪と空堀空堀を西に下ると西帯曲輪本丸東城壁東側を見下ろすと、狭い腰曲輪の間から下を見下ろせて、大手道を眼下にできます。本丸この説明板では北条氏の侵攻に備えて真田昌幸が築城したものと伝えているという。縄張り図は「山城探訪 上野編」宮坂武男氏著倉渕村村史②沿革書の記載から推察して、はじめこの地方は(倉渕村三ノ倉)木部氏が支配し後に長野市がこれに代わったとみる。 [続きを読む]
  • 教育勅語
  • 安倍や稲田防衛大臣が素晴らしいという教育勅語とは安倍首相いわく「大変素晴らしい」ものらしいが……。  調べると、教育勅語が出た翌年、1891年に出版された解説書「勅語衍義(えんぎ)」に行き着いた。勅語の読み方を詳述したものだ。  ただの解説書ではない。宮内省帝室編修官を務めた渡辺幾治郎の「教育勅語渙発(かんぱつ)の由来」(1935年)などによると、明治天皇の命で時の文相・芳川顕正が哲学者・井上哲次郎 [続きを読む]
  • 大明神山の砦
  • 大明神山の砦は高崎市(旧倉渕村)川浦にあります。大明神山の砦地図旧倉渕村の国道406号線で東善寺(小栗上野介の墓地がある)の前から地方道33号線に入り300mくらいのバス停、宮原を右折しますと、浅間神社があります。この神社の南側にある絶壁の山が城山です。また東善寺の北800mに権田城があり大戸浦野氏が城主でした。浅間神社、道路北に路駐帯があります。神社の道路際に説明板があり、天正十年の頃、武田氏に [続きを読む]