なまりほ之都奈 さん プロフィール

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なまりほ之都奈さん: あっ島!淡路とは
ハンドル名なまりほ之都奈 さん
ブログタイトルあっ島!淡路とは
ブログURLhttp://ahadishimatoha.sblo.jp/
サイト紹介文淡路島地方史・国生みの理由島名の由来から五色塚古墳・邪馬台国へと、幕末砲台史もみかんです。
自由文師匠から淡路島史をやれと言われたのがきっかけ。歴史も教師も嫌いだったのに、県立博物館にお勤めの方と専門の会話が弾むことになろうとは。無名の気楽さで書いてます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供9回 / 365日(平均0.2回/週) - 参加 2014/11/19 22:00

なまりほ之都奈 さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 大門の哀(かな)しみ eoブログ転載1(初出08/09/12)
  •  成相寺(なりあいじ)の大門を出ると、大きな壁にぶつかる。 ため池の大門の屋根より高い土手が、行(ゆ)く手をふさぐ。 かっては街道筋、八木の鳥居から十八丁(淡路国名所図絵巻二)、なだらかな坂を登りきったところに、大門があった。眼下には春の桜や秋の紅葉が見事な桃源郷、成相寺の境内(けいだい)を見下ろすことが出来た。  明治になって、大門前の参道表は溜め池になった。成相渓(けい)沿いに新しい近道がで [続きを読む]
  • 小話6 新聞記事(2016/10/27)
  • 1.はじめに 地元の神戸新聞が、朝刊一面に「淡路と出雲 兄弟銅鐸続々」と取り上げたのをかわきりに、大手新聞各紙も銅鐸の記事を取り上げたことを、覚えてらっしゃる方もおられるかと、思います。 もう一度新聞記事を読みたいとお考えでしたら、毎日新聞がおすすめです。島根県(荒神谷・加茂岩倉)と兵庫県の淡路島(松帆)だけでなく、島根県出土銅鐸との同笵(どうはん関係が地図と、表でまとめられており、わかりやすいと [続きを読む]
  • 小話7 紐(ちゅう)と内面突帯(ないめんとったい)の前書き
  •  しまの一歴史愛好家が、新聞報道(20015/5)から1年半かけて、書いてみようとして、七転八倒。前回の銅鐸の続きは、9月頃の予定が、なかなかまとまりません。 「紐と内面突帯」という題で書き出した最初の部分を、「小話」のシリーズ(前書き)に入れることにしました。本編は現在原稿用紙換算で、22枚程度、まだ未完成です。遅れている理由は、「あっ島!日本とは」という日本史全体のブログをたち上げ、そこへ「銅 [続きを読む]
  • 淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま)小話5 中国産唐三彩
  •  今回は、淡路国分寺(国指定遺跡1951年)のお話です。国生み神話が書かれている日本書紀が編纂されたのは720年で、淡路国分寺の創建は、8世紀第3四半期頃のことですから、およそ40年前後?ずれております。 「南海道に属する5国の中で淡路国分寺の造営はもっとも遅れていたようで・・・(淡路国分寺 1993 三原町教育委員会)」とあります。でも、淡路島は、「御食国(みけつくに)」でしたよね。島内では、御食国 [続きを読む]
  • 淡路島の銅鐸(どうたく)3 わからないこと
  • 1.始めに 淡路島の銅鐸で、銅鐸本体をささえるものと、それを鳴らすための内部の舌(ぜつ 銅合金の棒状のもの)をつなぐ「紐(ひも)」が発見されました。本体をささえたものは加工されてないようですが、舌とをつなぐものは、「イネ科?の植物」で出来た繊維状のひもであることがわかりました。2.集落規模 以前銅鐸の役割は駅鈴のように使われたのではないか、と書きましたが、この仮説は撤回します。 淡路島には、弥生時 [続きを読む]
  • 淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま)小話4 穂の狭分けから
  • 1.はじめに 去年12月に「穂之狭別(ほのさわけ)改訂17 2015/12/23 」をアップしました。「穂之狭別」とは、「穂」が現在の生穂(いくほ)であり、「狭別」とは隣接する志筑(しづき)の地形を示しているというお話でした。つまり「穂之狭別」とは、実在する淡路島の特定の地名と地形であり、架空のものではないという、夢(ロマン)が無くなる?お話でした。すみません。 古事記では、神代(かみよ)の国生みの最初に、淡 [続きを読む]
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