唯識に学ぶ・誓喚の折々の記 さん プロフィール

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唯識に学ぶ・誓喚の折々の記さん: 唯識に学ぶ・誓喚の折々の記
ハンドル名唯識に学ぶ・誓喚の折々の記 さん
ブログタイトル唯識に学ぶ・誓喚の折々の記
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/seikannamo
サイト紹介文私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思ってい
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更新頻度(1年)情報提供207回 / 365日(平均4.0回/週) - 参加 2014/11/27 21:21

唯識に学ぶ・誓喚の折々の記 さんのブログ記事

  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(23)上座部等と破す。
  •    第三は、上座部等の説を論破します。 「有るが執すらく、滅定等には、猶第六識有るを以て、彼の有情に於て能く食事と為ると云う。彼が執ずること理に非ず、後に當に広く破すべし。」(『論』第四・三右) 初めには、上座部の説を論破し、後に経量部及び有部の説く所を論破します。 注意するところは「猶第六識有るを」です。「猶有」は細を表しますから、ここは細意識ということになります。微細な意識で、行相・所縁に覚 [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(22)
  •     心豊かな人とは、合掌礼拝の出来る人なんでしょうね。そして、心貧しき人とは、合掌礼拝の出来ない人なんではと思います。合掌に始まり、合掌で終える。人として最低限の行為だと思いますが、そこには、如来は大悲を以て、寝ても覚めても四六時中、合掌礼拝してくださっているのですね。合掌礼拝は、如来のご苦労に報いる、御恩報謝になるんでしょうね。 「段等の四食に摂めざる所なるが故に。」(『論』第四・二左) 「 [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(21)心不相応行法について
  •   基本図書としてお薦めです。 前回は心不相応行法について概略を述べていましたが、参考文献として良遍著『法相二巻鈔』を引用させていただきます。いきなり原文で申し訳ありません。 「不相應二十四ト云ハ。又百法論ニ列タル二十四ナリ。是皆假法也。此二十四ヲ名不相應事ハ。五蘊ト申ス法門アリ。色・受・相・行・識是也。此五ガ中ノ第四ノ行蘊ニハ。諸ノ心所并得・命根・衆同分等ノ法ヲ攝タリ。其中ニ。心所ハ心王ト相應スト云ハ [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(20)論破
  •    東寺 今日は、不相応行法という、五位の中の一つですが、詳しくは、心不相応行法といい、唯識は24に分けて説明しています。行のうちで心とも色とも相応しない法という意味になります。 本科段はすでに有部の本計(ホンケ・根本の主張)を論破し終って、「救して言うならば」という、救は救済措置といってよいのでしょうか、一旦有部の主張を認めて、再度論破するという方法です。 「又、無想定の等きと不相応行とを、即ち [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(19)論破
  •    僕は、家庭でも食事を頂く所に、このように手を合わすことが出来たら十分、僧堂・食堂という意味をもつのだと思います。ただ単に食事をとるところではなく、身心を養い育て、そして生きていく上で何が大切なのか、日頃からあらゆる命を頂いて、我が身を育てて頂いていることへの眼差しが育てられてくるのだと思います。できれば家にはお内仏を、食堂には、食前の言葉、食後の言葉を掲げ、手を合わせていけるようにしてゆきた [続きを読む]
  • 食堂(ジキドウ)と食堂(ショクドウ)の違い
  •   永平寺僧堂。参拝者や参禅者は中には入れません。修行僧のみの結界です。 食堂(ジキドウ)の意味。 大谷大学教員エッセイより転載しました。  沙加戸 弘(さかど ひろむ)(国文学 教授) 「学生食堂は、学食と略称され、大衆食堂は、やゝ古色を帯び、食堂車は運行時間の短縮によって姿を消したが、「しょくどう」とよめばこれはたしかに現代日常用語である。  「しょくどう」のよみは明治以後のことになる。学校教育 [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(18)論破
  •    興福寺伽藍と食堂(現国宝館) 昨日は因明から有部の説を論破する一段を読ませていただきました。三支作法からですね、 《宗》「無心位の過去や未来の識等は、食の体用が無い」    「定の前後去・来の有漏の順益するの識は食の体用に非ざるべし。」(『述記』) 《因》「現でも常でもないからである」    「現常に非ざるが故に」(『述記』 《喩》「空華の如く」    「空華等の如くと」(『述記』 こういう [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(17)論破
  •   薬師寺食堂と壁画(阿弥陀三尊浄土図)  部派からの主張を護法さんが論破する科段になります。 護法さんが勝手に論破するのではありません。経典の記述から、部派の矛盾点を指摘し、第八識の存在を論証しておられるのです。 「諸の有(アルヒト)の、第八識無しと執ぜるは、何等の食に依ってか、経に是の言(ゴン)を作(ナ)して、一切の有情は、皆食に依って住すといえる。」(『論』第四・二右)  部派の主張には二十ある [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(16)問題点を検証する。
  •   法隆寺食堂・細堂 部派仏教の主張を論破する総論は先に述べましたが、本科段から個別に問題点を指摘し、前六識は識食とならないことを論証します。 初めに先に述べました六識には間断があるという点から説明されます。 「謂く、無心定と熟眠(ジュクメン)と悶絶と無想天との中には、間断すること有るが故に。」(『論』第四・二右) つまり、前六識は無心定と熟眠と悶絶と無想天の中では間断するからである。 本頌の第十六頌 [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証に対する雑感
  •    昨日は、諸部派の現行に対する説明は前滅の意を所依とすると述べましたが、第二能変の六二縁証において詳細が述べられていますので紹介します。 第二は六二縁証を以て第七末那識の存在を証明します。先ず経典(『世親摂論』)を引用して証拠とし、後に諸部派を論破します。この科段は初である。 「又契経に説かく、眼と色と云はば、縁と為って眼識を生ず。広く説かば、乃至意と法といい縁と為って、意識を生ずと云う。若し [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(16)論破
  •    次科段より、部派仏教の説を論破します。『述記』によりますと、 「自下は第二に諸識を執して識食と為する者えお破す。中に於て四有り。一に総じて諸部を破し、二に薩婆多を破す。三に別して上座を破し、四に別して経部を破す。」(『述記』第四末・七右) と科門をほどこしています。  第一に四食について説明がありました。 第二が部派仏教の説を論破します。それが師四つの部門を以て説明されます。 (1) 総論で [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(15)界を弁ず (2)
  •   後の三食について述べます。 「触と意と思との食は三界に遍せりと雖も、而も識に依って転ずるを以て、識に随って有無なり。」(『論』第四・二右) (触食と意思食は三界に存在するとはいっても、しかし、この触食や意思食は識に依って、識を依り所として働いているものであるので、識に随ってその有無がある。) 少し論題から離れますが、地獄・極楽を死後の世界と捉えると、死後の世界なんて信じられへんという返事が返っ [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(14)界を弁ず (1)
  •   私たちは有漏の身を生きていますから、老病死はさけられません。生もまた老病死は私そのものです。「生のみが我等に非ず、死もまた我等なり」とは清沢師の遺訓ですが、生のみの謳歌を考えるところに人生の問題があるのでしょうね。 如何に死するかではなく、如何に生きるか。人生の問題、生きることの問題がすべてだと。そうしますと、老病死は厄介ですよ。老いたくない、いつまでも若くありたい。病気は嫌だ。死を考えない。 [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(13)食の意味
  •    第三に、食の意味を説明します。 「此の四いい、能く有情の身命を持して壊断(エダン)せざら令む、故に名づけて食と為す。」(『論』第四・二右) この四食は、よく有情の身命を保持し長養して(資養)壊さない、そのことに由って食と名づけるのである。 食は身を養い、身を養うことにおいて生命を養っている。原語ですと、「能持」となりますから、積極的にですね、身命を保持して壊断せしめないということよりも、身命を [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(12)
  •  禅における食事のことば。   真宗の味わい(龍谷学園HPより) 「食」 それは「多くのいのち」をいただいています。 「食」 そこには「みなさまのおかげ」がありました。 「食」 仏さまの「ご恩」を深く喜ぶことができます。 「食」「慚愧」と「歓喜」の心でもって「仏恩報謝」につとめてまいりましょう。 わたしたちは、食べ物をいただくことで、毎日を過ごしています。この食事には多くのいのちをいただいています。また [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(11)
  •      四食の次科段は、四食は、三蘊(色・行・識蘊)と五処(香・味・触・意・法処)と十一界(七心界と香・味・触・法界)に属すのであることを述べます。 つまりですね、五蘊・十二処・十八界の三科の分類の中でどこの属するのかを問うているわけです。 「是に由って集論(『大乗阿毘達磨集論』)に、此の四食は、三蘊(色・行・識蘊)と五処(香・味・触・意・法処)と十一界(七心界と香・味・触・法界)とに摂すと説け [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(10)識食(シキジキ)の体
  •    識食の体についての説明です。 「此の識は、諸識の自体に通ずと雖も、而も第八識いい食の義偏に勝れたり、一類に相続して、執持すること勝れたるが故に。」(『論』第四・初左) 此の識(識食)は、諸識の自体に遍満しているとはいえ、第八識が食の義ということでは他の諸識に対して偏に勝れているのである。 何故ならば(理由を挙げます)①一類に ②相続して ③執持する作用が勝れているからである。 従って、第八識 [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(9)識食(シキジキ)
  •    今日から識食の説明に入ります。 識食は、諸識の持つ作用を以て体とするもので、有漏の識が段食と触食と意思食との力に由って増長することがよく食の事となることを明らかにしています。 「四には識食、執持(シュウジ・シッチ)することを以て相と為す。謂く、有漏の識が、段と触と思との勢力(セイリキ)に由って増長することにおいて、能く食の事と為る。」(『論』第四・初左) 問題は「執持することを以て相と為す」一段だと思 [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(8)意思食 (4)
  •    パソコンでの検索も随分便利になっていいのですが、苦労して読む、或は専門図書を探すという地道な作業が必要としないのには、やっぱり問題が潜んでいるのでしょうね。 今日は国立国会図書館のデーターベースから『国訳大蔵経』論部第十一巻(p637)より、意思食の喩を読んでみたいと思います。意訳は先日施しましたが、原漢文の読み下しを引用します。 意思食は触食・識食の二食を摂し、触食・識食は意思食と相応すること [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(7)意思食 (3)
  •    識食に入る前に、意思識の補足をします。 『成唯識論要講』で太田久紀師は意思食について次のように述べておられますので紹介します。 「第三番目が意思食、「希望するを以て相と為す。」これもいいですね、意思食は希望です。希望する。意志の力、心の智から、そういうものによって私共は自分の命を支えていく。お経の中に出てくる話です。貧しい家の子供が危篤状態になった。出稼ぎに行っているお父さんが帰ってくるまで [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(6)意思食(イシジキ)(2)
  • 希望(ケモウ)なのですが、、生きる望みがあることと解釈していいと思います。 『摂大乗論釈』(無著造。世親釈。玄奘訳)から意思食を考えてみますと、  「意思食者。是能悕望。由希望故饒益所依。如遠見水雖渇不死」(大正31・332b)巻第三・所知依分第二の三にですね、識食の証明について述べられる中で四食の説明がされています。そしてこの意思食なのですが、「意思食とは是れ能く希望す、希望に由るが故に所依を饒益(ニョウヤ [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(5)意思食(イシジキ)
  •   第三番目に、意思食が述べられます。意思もまた「食」と成り、身を資養し、生の充実を図るものとして大変重要な要素を持っていることを明らかにします。 「三には、意思食、希望(ケモウ)することを以て相と為す。謂く、有漏の思(シ)が欲と倶転(クテン)して、可愛(カアイ)の境と希(ネガ)うて、能く食の事と為る。」(『論』第四・初左) 希望(ケモウ)とは、ねがい望むことですが、意思食は「寿命を貪愛し、存活を希望す」という有 [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(5) 触食(ソクジキ)の体
  •    触食の体について説明します。 「此の触は、諸識と相応すと雖も、六識に属せる者、食の義偏に勝れたり。麤顕(ソケン。はっきりと認識されること)の境に触し、喜と楽と及び順益の捨とを摂受して、資養すること勝れたるが故に。」(『論』第三・初右) 諸識は、八識を指す、 本科段でいう「捨」は身を順益する捨受である。 触食の触は遍行の触の心所で、触食の体になります。「触食、境に触るるを以て体と為す。」 問題は [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(4) 触食(ソクジキ)
  •    今日からは触食の説明に入ります。 はじめに、触食とは? 「二には触食、境に触るるを以て相と為す。謂く、有漏の触が纔(ヒタタ。わずかに)境を取る時に、喜等を摂受(ショウジュ)して、能く食の事と為る。」(『論』第四・初右) 二番目に触食が説かれます。 境(認識対象)に触れることをもって相(体)とする食(ジキ)である。 つまり、有漏(迷い)の触の心所(遍行の触)がわずかに認識対象を認識する時に喜受・楽受・ [続きを読む]
  • 阿頼耶識の存在論証 四食証(シジキショウ)(3) 段食にならないもの(2)
  •    色は境と相応するので、食とはならないことが論証されます。 「又色は麤著(ソジャク)にして根と相離せり、方(マサ)に能く境と為る、根を合せざるが故に是れ食(ジキ)に非ず。」(『述記』第四末・三右) 色は境と合せて、対象物でありますから、対象物をもって食とすることは出来ない、つまり、目の前に有る対象物が、身命を養い育てることは無いのだと。 では、声境・法境はどうであるのかといいますと、『述記』には説明 [続きを読む]