ひろかずのブログ さん プロフィール

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ひろかずのブログさん: ひろかずのブログ
ハンドル名ひろかずのブログ さん
ブログタイトルひろかずのブログ
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/hirokazu0630
サイト紹介文加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供385回 / 365日(平均7.4回/週) - 参加 2014/12/02 13:43

ひろかずのブログ さんのブログ記事

  • 東播磨の中世の石塔と文観(7) 真言律宗の寺々
  •  今日のブログの内容は、多くを山川均論文「東播磨の中世石塔と文観」からお借りしています。 詳しくは「東播磨の中世石塔と文観」(奈良歴史史学会)をお読みください。    やはり文観は、加古川出身者 文観(1278〜1357)は、殊音とも称する真言律宗の僧侶です。 ここでは、文観の調べてみましょう。 「・・・文観の弟子であった宝蓮が筆写した『瑜伽伝灯抄』によれば、文観は源雅信第十三代の子孫・大野源大夫重真の息 [続きを読む]
  • 東播磨の中世石塔と文観(6) 伊派石工集団
  •     伊派石工集団 常楽寺の墓地に立派な宝塔があります。 この近辺は石の産地であり、石造物はそれらの石を材料とするのが普通です。 近辺で産出する石は、凝灰岩で、やわらかく細工がしやすく、従って、安く作ることができます。 常楽寺の宝塔は、凝灰岩ではありません。硬い細工の難しい花崗岩を材料とした宝塔です。 先に紹介した、報恩寺の四基の五輪塔も花崗岩です。 そして、報恩寺には見事な花崗岩の十三重の層塔 [続きを読む]
  • 東播磨の中世石塔と文観(5) 常楽寺は真言律宗の寺
  •  文観を追っています。その前にしばしば登場する確認してほしい用語があります。 それは「真言律宗」と「伊派石工集団」です。 ここで学習しておきましょう。きょうは「真言律宗」です。    常楽寺は真言律宗の寺 鎌倉時代、世の中は乱れました。 人々は、新興の仏教(浄土宗・一向宗・日蓮宗など)に救いを求めました。 新興の仏教は、「念仏を一心に唱えれば浄土は約束されている・・・」と説いたのです。 鎌倉仏教は [続きを読む]
  • 東播磨の中世石塔と文観(4) 常楽寺のはなし
  •    常楽寺のはなし『大野史誌』から、その歴史を見ておきます。  「・・・(常楽寺は)正嘉(しょうか)二年(1258)八月、後深草天皇のとき、暴風雨のため堂宇は破壊され、一字だけ残る。  その後、小野文勧(文観)僧正(1278〜1357)によって復興され、堂宇は古(いにしえ)のように造営された。  末寺18ヵ寺、僧坊は56宇、寺領は三百石であったという。  永禄年間(1558〜1570)、三本城主・別所長治の祈願所となって繁栄 [続きを読む]
  • 東播磨の中世石塔と文観(3) 伊派の石造物
  •    伊派の石造物 報恩寺(平荘町山角)の五輪塔の話です。 報恩寺の境内の奥にみごとな4基の五輪塔(県指定文化財・写真)があります。この一基から金銅製の骨臓器がみつかりました。 正和五年(1365)の造立であることも明らかになりました。 これらの五輪塔は、報恩寺の僧の墓塔であり、作者は、大和の名工・伊行恒(いのゆきつね)であることもわかりました。 これと常楽寺五輪塔を比較すると、両者の規模は同じ六 [続きを読む]
  • 東播磨の中世石塔と文観(2) 常樂寺の宝塔は、文観慈母塔ではない
  • 常樂寺(加古川市加古川町大野)の宝塔は、 文観慈母塔ではない 加古川市と文観の関係を述べる場合、なんといっても常楽寺の宝塔から始めなければならないようです。 常楽寺は、加古川市加古川町大野の高野山真言宗の古刹です。 山門への石段の前を流れる新井(しんゆ)用水路を少し西へ行くと、大きな五輪塔に挟まれた立派な花崗岩製の宝塔と凝灰岩性の五輪塔があります。 まず、宝塔について調べてみます [続きを読む]
  • 東播磨の中世石塔と文観(1)  文観を追え
  •    文観(もんかん)を追え 先日(17日・日)の神戸新聞は、加古川市教育委員会は、同市加古川町大野の常楽寺にある「石造十三重塔」を市文化財に指定したことを報じました。 以下の記事はその一部です。 ・・・過去の記録によると、(石造十三重塔の)塔身には制作年代を示すとみられる銘文が刻まれていた。 判読できるのが一部分のみだったため、文安2(1445)年とする説もあるが、形式などから正中2(1325)年の建立 [続きを読む]
  • 【歴史発見】志方の城山界隈ハイキング 〜山頂でお花見〜
  • 「魅力いっぱい」の春の東志方城山界隈を歩きにいきませんか?https://www.facebook.com/sikatasiroyama/おひとり様での参加、午前のみ、午後のみの参加も可能です。中道子山城跡の遺構を、中世の歴史を専門に研究されている先生とめぐります。約30年前に発掘調査が行われただけですので、新たな発見があるかもしれません。中世の城郭、赤松氏や播磨の歴史に興味を持たれている方、ぜひ多数のご参加をお待ちしております。■みど [続きを読む]
  • 地域(加印)の風を読む(47)  もう一つの日岡神社
  •   もう一つの日岡神社 福留の集落を流れる曇川に架かる福留橋のすぐ北に、なんと日岡神社(写真)が鎮座します。 「日岡神社」というと、すぐ日岡山(大野)にある日岡神社が思い浮かべます。 日岡神社の支社かと想像してみますが、関係は、今のところはっきりしません。 大野の日岡神社の支社でもありません。 が、祭神は、大野の日岡神社の祭神一柱の豊玉姫(トヨタマヒメ)です。 福留の日岡神社の堀 [続きを読む]
  • 地域(加印)の風を読む(46) 若狭の水が加古川の井戸から?
  •  昨日(20日・月)の神戸新聞に福留(神野町)の伝承が紹介されていました。楽しい記事です。ひろかずブログでも取り上げさせていただきました。 なお、「ひろかずのブログで(2007・9・24)」でも、このニュースを「もう一つの日岡神社」として取り上げましたので、合わせてお読みください。 今日は、no3515、no.35162の2号での紹介です。     若狭の水が加古川の井戸から?         「聖水伝承」の謎調査 [続きを読む]
  • 地域(加印)の風を読む(45) 文観(もんかん)ってWHO?(2)
  •     文観は、後醍醐天皇と結びつく 醍醐寺は、もともと天皇家と縁が深い寺でした。中でも醍醐寺の道淳(順)が、後醍醐天皇の信頼を得ていました。 文観は、この道淳の直弟子でした。 文観は、師である道淳の線に連なって、後醍醐天皇に近づいたのでしょう。 たちまち、双方の政治家的な気質、野心家的な素質が急激に二人を親しくさせていきました。     鎌倉幕府打倒を・・・・ この二人が結びついたとき、「政 [続きを読む]
  • 地域(加印)の風を読む(43) 石造十三重塔市文化財に
  •  いま、「ひろかずのブログ」では、昭和20年代の「加古川市広報」から記事を紹介していますが、昨日(17日・火)の神戸新聞に常楽寺(加古川市大野)の十三重塔が市の指定文化になったことを大きく報じました。 このブログでも、余話としてこの記事をお借りします。 常楽寺は、記事にもあるように文観(もんかん)と関係がある寺です。 文観については、次号で少し説明しておきましょう。    石造十三重塔(加古川市大野) [続きを読む]
  • 地域(加印)の風を読む(41) 近江絹糸工場誘成る
  •  「加古川市広報」(昭和29年5月号)で、「近江絹糸株式会社加古川工場の誘致成る」のタイトルで、近江絹糸の加古川市への誘致を以下のように大きく報じました。 近江絹糸の建設予定地は、もと加古川飛行場跡地で、保安隊(現:自衛隊)の利用計画も考えられていたようです。    近江絹糸工場誘成る  市内に大会社工場を誘致して、都市産業の拡充をはかり、市勢の発展基盤を充実して、市民生活の向上を図ることは、いずれ [続きを読む]
  • 地域(加印)の風を読む(40) 余話:別府川
  •     余話:別府川 前号で「加古川の水害」を取り上げましたが、今日はその補足です。 地図の神野町西之山から東への流れる川は、曇り川(くもりがわ)です。 曇り川は「雨の時(曇ったとき)だけ流れがある」 といわれ、ふだんは雨が少ない川です。 そんな川ですが、ひとたび長雨が続くと濁流となり、一気に加古川へ水を吐き出す川です。 大雨の時は、加古川の川も大水です。その時、水は加古川に流れこんでくれません。 [続きを読む]
  • 地域(加印)の風を読む(39) 加古川市の水害
  •     加古川市の水害 加古川市広報(15号・昭和27年7月発行)は、加古川市内の水害を大きく取りあげています。 以下は、「加古川市広報」からの抜粋です。(文字等一部変えています) 写真は、昭和36年の加古川駅前通りの水害のようすです。      根本的対策を急ぐ! (昭和27年)6月末から降り続いた雨は、7月に入り熱帯性低気圧の影響を受けて、さらに、ものすごい豪雨となったため各河川は刻々と増水しは [続きを読む]
  • 地域(加印)の風を読む(38) 加古川市と別府町との合併の経過②
  •    加古川市と別府町との合併の経過②「世論調査の投票」(拘束力を持たない)の結果は、別府町と加古川町の合併は反対となりました。 事態は、加古川市制実施予定の(昭和25年)6月1日に向けて、ますますの緊迫してきました。 そのため、今度は拘束力のある「決戦投票」の結果にゆだねることにしました。投票は、昭和25年5月6日に実施され、結果は、加古川町との合併賛成:1250 票、合併反対:1164 票で、結果は、加古 [続きを読む]
  • 地域(加印)の風を読む(37)加古川市と別府町との合併の経過①
  •  昭和26年9月発行の「加古川広報」は、別府町との合併を取り上げています。 以下は、そのリードの部分です。 ・・・市制施行当時からの懸案であつた別府町との合併は、(昭和26年)8月25日、市役所で合併調印式が挙行され、本市多年の宿願はここに遂成されるに至りました。 そこで、別府町合併に伴う経過等について広く市民の皆さんに承知していただくため、詳細にわたりご報告することと致しました。・・・・ 以下経過の詳細 [続きを読む]
  • 地域(加印)の風を読む(36) 課題は山積(財政問題)
  •  昭和26年8月発行の「加古川市広報」の一部を読んでみます。 加古川市が誕生して1年がたちましたが、加古川市の財政は、火の車のようです。 その財政を補うため「市営競輪」の運営も計画されていました。    課題は山積(財政問題)          市営競輪も計画に ・・・市制施行後の一年は、いくたの諸間題と、山積する諸事業の処理遂行に.市理事も議会も文字どおり、工夫と努力の連続であった。 上水道施設問題 [続きを読む]
  • 地域(加印)の風を読む(35) 食糧難の時代
  •  下記の「加古川広報」の記事は、現在の私たちから読むと、まるで、「物不足の戦争中のお知らせか」と思えるのですが、昭和25・6年の戦争が終わって間もないころです。 この記事から、当時の世相を想像ください。     配給制度はなくなったが (昭和25年)11月1日から主要食粗の新配給刷度が実施されていることは、既に皆様ご承知の通りでありますが、いよいよ(昭和26年)2月末日をもって食糧配給公団が廃止になります [続きを読む]
  • 地域(加印)の風を読む(34) シャウプ勧告・市の財政は火の車
  •     シャウプ勧告・市の財政は火の車 「加古川市広報(2号)」(昭和26年1月)には、「税制と市財政と税務」という記事を載せています。 ・・・シャウプ勧告に基づく税制改革の一環として去る八月改正税制が実施されました。   (略)  その改正税法は、即ち.国税.府県税に依存する従來の課税方法は廃止され、市町村税が当該市町村の財政を賄いうることを目途として確保されることになり、いわゆる財政自主性が、よう [続きを読む]
  • 地域(加印)の風を読む(33) 「加古川市広報」第1号を発行
  •  「加古川市広報」第1号 昭和25年(1950)6月15日、 旧加古郡の町村が合併により加古川市が誕生しました。 そして、さっそくその年の12月20日に「加古川市広報」が発行され、市政のみえる化(透明化)を宣言しています。 「ひろかずのブルグ」では、しばらく加古川市広報に、発行当時の加古川市を見ることにします。 (古い漢字は新漢字に、一部漢字は「ひらがな」に変えています)     発刊の辞  加古川 [続きを読む]