ひろかずのブログ さん プロフィール

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ひろかずのブログさん: ひろかずのブログ
ハンドル名ひろかずのブログ さん
ブログタイトルひろかずのブログ
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/hirokazu0630
サイト紹介文加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供392回 / 365日(平均7.5回/週) - 参加 2014/12/02 13:43

ひろかずのブログ さんのブログ記事

  • 加古川の味、かつめし(11) Aさん宅のカツメシのレシピ 
  •     美味しい、カツメシをつくろう    材料 牛薄切り肉  パン粉  小麦粉  卵           デミグラスソース  ウースターソース  ケチャップ  バター  キャベツ  ご飯                               Aさん宅のカツメシのレシピ  1  キャベツは2?四方位に切り、茹でて水気をきっておく! 2  鍋にデミグラスソースにケチャップ・ウースターソース・ [続きを読む]
  • 加古川の味、かつめし(10) 余話:ギュッとめし
  •  「カツメシ」の紹介をしていますが、新しく加古川市に新しい名物「ギュッとメシ」が誕生しました。 8月11日の神戸新聞は「ギュッとメシ」を取り上げました。紹介しておきます。 蛇足ですが、「ギュッとメシ」は「牛とめし」をコラボレーションしたという意味です。 すき焼き丼にピラフ・・・     ギュッとメシ提供店ふえた 兵庫県加古川市の新たなご当地グルメ「加古川ギュッとメシ」を提供する店舗が4店増え、同市内 [続きを読む]
  • 四季の花(4) ヒルガオ
  •       ヒルガオ ヒルガオの名前は、以前からよく知っていました。 名前に何の不思議も感じませんでした。 アサガオは、朝に咲いて、午後にはしぼみ、ヒルガオは昼から咲く花と考えていました。   「ヒルガオは昼になっても咲いている」から 朝咲いて昼にしおれるのをアサガオといい、昼から咲くのをヒルガオと信じていたのです。 長らくこの思いこみを疑いなく信じ込んでいました。 インターネットで調べてみました [続きを読む]
  • 四季の草花(3) 余話として・福田寺の層塔
  •  余話として、福田寺の層塔に触れておきます。 でも、唐突に、文観・後醍醐天皇・層塔の話が出てきましたので、筋が追えないと思われます。 詳しくは「ひろかすのブログ」のカテゴリーで「東播磨の石塔と文観」をお読みください。          余話として・福田寺の層塔 稲屋は、『日本書紀』に「鹿子の水門(かこのみなと)」が加古川の河口部にあったという場所です。 研究者は、「鹿子の水門」は、現在の稲屋( [続きを読む]
  • 四季の草花(2) 福田寺のユリ(2)
  •   福田寺のユリ(2)・地蔵堂横のユリ きょうも福田寺(ふくでんじ)のユリの話です。 山門をくぐると、境内いっぱいにユリの花が咲いています。 突き当りは本堂で、その西に地蔵堂があり、通路は西に折れています。 その突き当たるところの門まで、境内と同じようにユリの花がいっぱいです。 名前を知りたいのですが、知識がありません。 図鑑で調べてみました。ユリはテッポウユリのようですが、葉がテッポウユリのよ [続きを読む]
  • 四季の草花(1) 福田寺のユリ
  • 福田寺(ふくでんじ)のユリ(1) 散歩中に見つけた「四季の草花」を歴史から始はじめます。『日本書紀』応神天皇13年の条に、次のような話があります。 ・・・天皇が淡路島に狩に出かけた時に、多くの鹿が「鹿子水門(かこのみなと)」に入るのを見たので、調べてみると、日向(宮崎)の豪族の娘(髪長媛-かみながひめ-)が都に仕えるために東上するための一行だった。 彼らが鹿皮の衣を着ていたので、鹿と見あやまったのだ [続きを読む]
  • 加古川の味、かつめし(9) カツメシは戦後間もないころ誕生
  •   「ひろかずのブログ」では、「江戸時代、高砂の商業活動」がおわりました。 いよいよ、次の話題「加古川の味、かつめし」を本腰を入れて纏めたいのですが、前に書いたように、材料がありません。 そのため当分の間、加古川市観光協会の記事等を利用させていただきます。 きょうは、加古川市地域振興部観光振興課の辰巳公哉さんがかつめしを紹介されておりますので、お借りします。 しばらくの間は「カツメシ」の記事は少な [続きを読む]
  • 江戸時代、高砂の商業活動(45) 竜山石
  •     竜山石 竜山石について触れておかねばいけません。 古代の加古川の主流は、現代の加古川よりも西をながれていたと想像されます。 河口は、竜山の採石場(写真)のあたりだったのでしょう。 このあたりは、加古川の河口というよりも、海がせまり湾のような地形をつくっていたようです。 そこに、竜山石の採石場がありました。 真壁夫妻の研究によれば「五世紀ごろの畿内大王家の古墳のほとんどは竜山石であり、竜山が [続きを読む]
  • 江戸時代、高砂の商業活動(44) 高砂の漁業
  •  きょうの高砂の漁業は、今井修平先生の書かれた「たかさご史話(49」」をお借りしました。(文章を少しだけ変えています)    高砂の漁業 高砂では漁業も盛んでした。 安永2年(1773)の高砂町の明細帳には「漁船118艘・船持115人、曳網船25艘・船持20人」とあります。 また、町名にも漁師町、釣舟町、狩網町があって.それぞれ51世帯202人、111世帯、435人、68世帯296人が住んでいました。 漁船の数からいえば、その大部分が [続きを読む]
  • 加古川の味、かつめし(8) 勝めし神社
  •     勝めし神社 受験に失敗をしたことはありませんか。 スポーツの試合に負けたことはありませんか。 恋愛に失敗したことは・・・ こんな質問は、ナンセンスですね。 普通の人は失敗だらけではないでしょうか。 もちろん、失敗を少なくする方法はあるようです。 学問(心理学)では、失敗を少なくする方法について、いろいろと研究されています。 そんなむつかしい方法ではなく成功(勝つ)方法はあるんです [続きを読む]
  • 江戸時代、高砂の商業活動(41) 幻の高砂染(3)・高砂染の終焉
  •      幻の高砂染(3)・姫山絞の台頭 明治時代も高級品として生産が続いていた高砂染は、大正10年代になると新たに姫山絞(ひめやましぼり)の生産が目につくようになりました。 大正14年(1925)発行の『姫路商工案内』の広告ページに、姫路染色業組合の22名の名が掲載されています。 それを見ると、組合長として「寺島仙吉」、副組長として「吉田廣吉」の名があり、最後に高砂染の「井上勘右工門」も名を連ねています。  [続きを読む]
  • 江戸時代、高砂の商業活動(40) 幻の高砂染(2)・相生屋勘右衛門説
  •  高砂染の始まりには二説があります。 前号では高砂の尾崎庄兵衛説を紹介しましたが、他の説は次のようです。   相生屋勘右衛門説 高砂染は、相生屋勘右衛門のはじめた染物であるとする説です。 「相生屋の先祖は、徳島の藩士・井上徳右衛門といい、約三百年以前に姫路へ来て染め物業を始め、五代目・勘右衛門に至って、藩主・酒井侯により松の模様を染めて献上して、屋号の相生屋を賜わりました。これが高砂染の起源である [続きを読む]
  • 江戸時代、高砂の商業活動(38) 申義堂(13)・申義堂、高砂へ帰る
  •     申義堂、高砂へ帰る  先に紹介したように、申義堂の建物は、高砂警察署ノ建設に伴い、明治12年5月に姫路光源寺の説教所として印南郡(現:加古川市)東神吉村西井ノロに移築されました。  昭和7・8年ころまでは光源寺の説教所として使われていたようですが、戦争中は軍の宿舎となり、戦後は村の倉庫に転用されて、もと、どういう建物であったかも忘れられて、物置同然の荒れた姿になっていました。  それが、「申義堂」 [続きを読む]
  • コーヒーブレイク  7月の散歩: 毎日、10.000を達成
  •  毎日暑い日が続きますが、いかがお過ごしですか。 今年の私の夏は、例年になく腰もあまり痛くなく順調で、7月は毎日10.000歩を歩きました。 今日から8月、この調子を続けます。      7月の散歩: 毎日、10.000を達成  1日(土)  10.992 歩  自宅周辺・ウェルネス  2日(日)  11.737 〃  自宅・平荘湖周辺  3日(月)  11.054 〃  自宅・平荘湖周辺   4日(火)  1 [続きを読む]
  • 加古川の味、かつめし(5) かっつんとデミちゃんは9歳
  •     かっつんとデミちゃんは9歳 私たち(写真)は、かっつんとデミ―ちゃんです。 平成20年(2008)、兵庫大学短期大学美術デザイン学科の学生さんたちにより誕生しました。 その翌年の平成21年(2009)にはベルデモール商店街にかっつんとデミ―ちゃんの石像も造られ華やかにデビューをしました。 以来、9年が経ち、この間に、「かつめし」もずいぶん広く知られるようになりました。私たち(かっつんとデミーちゃん [続きを読む]