松原洋一・UAG美術家研究所 さん プロフィール

  •  
松原洋一・UAG美術家研究所さん: 松原洋一・UAG美術家研究所
ハンドル名松原洋一・UAG美術家研究所 さん
ブログタイトル松原洋一・UAG美術家研究所
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/ma2bara
サイト紹介文近世から明治中期に活動し、ネット検索をしても出てこない画家を中心に紹介。ただいま福岡県を探索中。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供331回 / 365日(平均6.3回/週) - 参加 2014/12/04 17:27

松原洋一・UAG美術家研究所 さんのブログ記事

  • 筑前秋月藩御用絵師・斎藤秋圃と門人
  • 文献:斎藤秋圃と筑前の絵師たち、御用絵師 狩野探幽と近世のアカデミズム、福岡県日本画 古今画人名鑑筑前秋月藩の御用絵師・斎藤秋圃(1769-1861)は、京都に生まれ、円山応挙に学び、応挙没後は森狙仙に師事したと伝えられる。大坂時代の秋圃は、新町遊郭の風俗を題材とした「葵氏艶譜」の刊行などで知られている。その後、秋月藩の御用絵師になるまで、九州を巡り、肥前有田では陶器の絵付けや下絵の制作を手掛けたとされる。 [続きを読む]
  • 豊前小倉藩御用絵師・高木豊水と小倉の町絵師
  • 文献:北九州ゆかりの絵師たち、御用絵師 狩野探幽と近世のアカデミズム、福岡県日本画 古今画人名鑑、日本画 その伝統と近代の息吹き小倉藩の御用絵師に関しては、残された史料が乏しく、存在さえも断片的にしか追跡できていない。記録に残るもっとも古い小倉藩御用絵師は、雲谷等益の門人で萩藩の絵師だった黒川等育で、小倉藩二代藩主・小笠原忠雄の時代、絵の修業のため九州を巡り、小倉を訪れた際、忠雄の所望に応じて描いた [続きを読む]
  • 3月22日(水)のつぶやき
  • 筑後柳河藩御用絵師・梅沢晴峩と北島勝永 goo.gl/90w5Vj― UAG美術家研究所・碧子 (@yuagariart) 2017年3月22日 - 09:04文献に『柳川の美術Ⅰ』を追加しました。トップ画像:梅沢晴峩「鷹搏撃雁図」yuagariart.com/artist-labo/li… pic.twitter.com/SAHBNcE2EO― UAG美術家研究所・碧子 (@yuagariart) 2017年3月22日 - 09:07 [続きを読む]
  • 筑後柳河藩御用絵師・梅沢晴峩と北島勝永
  • 文献:柳川の美術Ⅰ、御用絵師 狩野探幽と近世のアカデミズム、福岡県日本画 古今画人名鑑、日本画 その伝統と近代の息吹き 柳河藩においては、江戸初期から中期にかけての文書や書画類が多く焼失しており、御用絵師の存在を確認できるのは江戸後期になってからである。それ以前の柳河藩には、福岡藩の尾形家や久留米藩の三谷家のように代々家系を引き継いだ国住の御用絵師は存在しなかったのではないかと考えられている。確認で [続きを読む]
  • 雲谷派が祖となった筑後久留米藩御用絵師・三谷家
  • 文献:御用絵師 狩野探幽と近世のアカデミズム、福岡県日本画 古今画人名鑑、日本画 その伝統と近代の息吹き安芸国広島に生まれた雲谷派の三谷等哲(不明-1630)は、主家の断絶とともに浪人となり、子の等悦とともに筑後の久留米に移住した。久留米藩二代藩主・有馬忠頼は、等哲・等悦父子の人格技量を認め、等哲没後に等悦を藩の御用絵師として召し抱えた。等悦には安俊(1634-1671)、安常(1634-1671)と二人の子がおり、ともに [続きを読む]
  • 福岡藩御用絵師・衣笠家と上田家
  • 文献:御用絵師 狩野探幽と近世のアカデミズム、狩野派と福岡展、筑前名家人物志、福岡県日本画 古今画人名鑑、斎藤秋圃と筑前の絵師たち 福岡藩御用絵師筆頭の尾形家が、藩主画像や城郭殿舎の内部絵付、席画や寺社の寄進画の制作などを主な仕事にしていたのに比べ、次席に位置する衣笠家が藩主画像や席画の御用にあたった形跡はほとんどなく、絵図の御用が多かったとみられる。福岡藩の御用絵師はすべて狩野派だったが、衣笠家で [続きを読む]
  • 福岡藩御用絵師尾形家の絵師
  • 文献:御用絵師 狩野探幽と近世のアカデミズム、狩野派と福岡展、福岡県日本画 古今画人名鑑、筑前名家人物志 尾形家は、6代洞谷(1753-1817)の代になって、師家を鍛冶橋狩野家から駿河台狩野家に変更した。また、姓を公式に小方から尾形に改めたのも洞谷の代だった。7代の洞霄(1791-1863)は駿河台狩野家に入門し、江戸滞在中に洞谷の養子となった。嘉永4年、黒田藩江戸新御殿内部装飾の際には、子の8代探香(1812-1868)と [続きを読む]
  • 筑前福岡藩御用絵師となった狩野宗家中橋家の狩野昌運
  • 文献:特別展 御用絵師 狩野探幽と近世のアカデミズム、狩野派と福岡展、筑前名家人物志、福岡県日本画 古今画人名鑑狩野宗家中橋家で組織の確認と整備を図り、宗家の大番頭と称されていた狩野昌運(1637-1702)は、筑前福岡藩の第4代藩主・黒田綱政に招かれ、晩年の10年余りを福岡藩御用絵師として過ごした。絵師のなかでも最も高位に格付けされていたと思われ、担当した絵事は、藩主の御前での席画、寺社への奉納画が中心で、 [続きを読む]
  • 写実理論を作品と執筆の両面から確立しようとした前田寛治
  • 文献:近代洋画・中四国の画家たち展、前田寛治展−一九三〇年協会の仲間とともに−鳥取県中部の中北条村国坂の農家の二男として生まれた前田寛治(1896-1930)は、倉吉中学を卒業後、東京美術学校を卒業して倉吉中学に赴任したばかりの中井金三の勧めもあって画家を志し、上京して東京美術学校に入学した。在学中から休暇ごとに帰郷し、中井が結成した「砂丘社」に創立当初から参加、鳥取の子供たちや田園ののどかな風景を好んで [続きを読む]