松原洋一・UAG美術家研究所 さん プロフィール

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松原洋一・UAG美術家研究所さん: 松原洋一・UAG美術家研究所
ハンドル名松原洋一・UAG美術家研究所 さん
ブログタイトル松原洋一・UAG美術家研究所
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/ma2bara
サイト紹介文近世から明治中期に活動し、ネット検索をしても出てこない画家を中心に紹介。ただいま佐賀県を探索中。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供267回 / 365日(平均5.1回/週) - 参加 2014/12/04 17:27

松原洋一・UAG美術家研究所 さんのブログ記事

  • 南蛮美術と長崎の南蛮絵師
  • 文献:原色日本の美術 20 南蛮美術と洋風画、長崎の美術−300年展、南蛮絵師・山田右衛門作、長崎絵画全史天文12年、種子島に漂着したポルトガル人が日本に鉄砲を伝え、続く天文18年、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルによってキリスト教が伝えられた。この時に来日したポルトガル人やスペイン人を総称して南蛮人と呼び、彼らがもたらした西洋文化に刺激されて形成された異国情緒豊かな美術を南蛮美術と称した。多彩 [続きを読む]
  • 佐賀美術協会の創立と佐賀出身の画家たち
  • 文献:佐賀幕末明治500人、西洋絵画への挑戦-洋風画から洋画へ,そして、近代洋画の開拓者たち−アカデミズムの潮流−大正2年、東京上野の茶屋に久米桂一郎、岡田三郎助ら佐賀県出身の画家が集まった。メンバーは久米、岡田のほかに、田雑五郎、山口亮一、御厨純一、北島浅一、さらに藤田遜ら東京美術学校の在学生たちも加わった。この会合で佐賀で展覧会を開くことが決まり、さっそく佐賀美術協会が創設された。第1回展の出品 [続きを読む]
  • 北島浅一ら東京美術学校に学んだ佐賀の洋画家
  • 文献:東京藝術大学百年史、西洋絵画への挑戦-洋風画から洋画へ,そして、近代洋画の開拓者たち−アカデミズムの潮流−明治20年に東京美術学校が創設され、29年に西洋画科が新設されると、佐賀県の若者たちも上京して洋画を学ぶようになった。明治期に東京美術学校西洋画科に学んだ佐賀県出身の者としては、明治35年に入学した陣内貞義が最初である。次いで、38年入学の北古賀順橘、39年の山口亮一、中溝四郎、40年の北 [続きを読む]
  • 明治洋画壇で指導的役割を果たした久米桂一郎と岡田三郎助
  • 文献:西洋絵画への挑戦-洋風画から洋画へ,そして、近代洋画の開拓者たち−アカデミズムの潮流−黒田清輝とともに日本洋画に外光派の画風を取り入れ、洋画団体白馬会を結成するなど、明治洋画壇で指導的役割を果たした久米桂一郎(1866-1934)は、佐賀城下に生まれ、8歳の時に家族とともに上京した。幼いころから画に関心を示していた久米は、18歳で藤雅三に師事、その後は藤の紹介により渡仏し、外光派の画家、ラファエル・コ [続きを読む]
  • 百武兼行によってはじまる佐賀洋画
  • 文献:西洋絵画への挑戦-洋風画から洋画へ,そして、近代洋画の開拓者たち−アカデミズムの潮流−、佐賀幕末明治500人佐賀藩最後の藩主となった鍋島直大は、維新後は新政府の要職につくほか、明治4年には政府派遣の欧米視察団としてアメリカに渡り、その後はイギリスに留学した。その時に直大に随行したのが、御相手役として直大に仕えていた百武兼行(1843-1884)である。百武は、明治7年と12年に一時帰国しているが、15 [続きを読む]
  • 天龍道人ら肥前佐賀の南画家と岸派
  • 文献:肥前の近世絵画、郷土の先覚者書画、佐賀幕末明治の500人18世紀に入ってから盛んになった南画では、文化6年に92歳で没した異数の人・天龍道人(1718-1809)がいる。天龍道人は、肥前鹿島に生まれ、のちに諸国を漫遊し諏訪で一家を成した。鷹や葡萄の画をよくし、晩年は葡萄和尚と称した。幕末期に文人趣味による画をよくした武富圯南(1806-1875)は、佐賀の文化、学術の発展につとめた。圯南に学んだ柴田花守(1809 [続きを読む]
  • 名所図会絵師として名を高めた長谷川雪旦と唐津藩
  • 文献:江戸の絵師 雪旦・雪堤 その知られざる世界、肥前の近世絵画、郷土の先覚者書画、佐賀の江戸人名志唐津藩の御用絵師としては、文化14年以降この地を治めた小笠原氏の絵師となった江戸の画家・長谷川雪旦(1778-1843)が知られている。雪旦は、40代で唐津藩小笠原家の御用絵師となり、藩主小笠原長昌と一緒に唐津に随行した時の道中の景観や様子を画帖に仕立てている。唐津には2度ほど滞在し、江戸ではあまり見ない構図 [続きを読む]
  • 草場佩川と多久の先覚者
  • 文献:佐賀偉人伝 草場佩川、多久の先覚者書画早い時期から東原庠舎や多久聖廟が創建された多久では、文教の基盤が確立され、幕末から明治にかけて日本の近代化に貢献した先駆者を多く輩出した。多久生まれの草場佩川(1787-1867)は、詩歌書画にすぐれ、東原庠舎、弘道館の教授として多くの人材を育てた。その子・草場船山(1819-1887)は、幼いころから頭角をあらわし、東原庠舎の教授となり、さらにその子・草場金台(1858-1933 [続きを読む]
  • 鱗が1枚欠けた蟠龍・御厨夏園による多久聖廟の天井画
  • 文献:肥前の近世絵画、郷土の先覚者書画、佐賀の江戸人名志佐賀藩多久領四代領主・多久茂文(1669-1711)は、幼いころから学問を好み、18歳で家督を相続してからは、多久の人々の教育促進のため、学問所である東原庠舎や、孔子像を安置した多久聖廟を建立、文教の地の基盤をつくった。現在でも多久市は「孔子の里」としてその精神を受け継いでおり、多久聖廟は国の重要文化財に指定されている。多久聖廟の天井には巨大な蟠龍が [続きを読む]
  • 二人の広渡心海と肥前武雄の絵師
  • 文献:肥前の近世絵画、郷土の先覚者書画、佐賀の江戸人名志肥前武雄では、広渡雪山の弟にあたる初代広渡心海(1596-1685)が、武雄邑主のお抱え絵師として活躍した。心海の没後は、心海に嫡男がいなかったため、女婿の広渡武則に家督を継がせて絵師としたが、武則の嫡男・権八に子がなく、その技法を継ぐものもおらず、武雄での広渡家は一時途絶えてしまった。一方で、広渡家の支流として、初代心海に学んだ広渡一湖が長崎で唐絵 [続きを読む]
  • 佐賀藩三代藩主・鍋島綱茂とその時代の画人
  • 文献:鍋島綱茂の文芸、肥前の近世絵画、郷土の先覚者書画肥前佐賀藩三代藩主・鍋島綱茂(1652-1706)は、博学で諸芸に通じ、才智無双の殿様として世人に称嘆されたという。幕府の学問を司っていた林家一門、殊に林鳳岡や人見竹洞と懇意にしており、鳳岡、竹洞の詩文集にもしばしばその名がみられる。二代藩主・勝茂の頃までは乱世の時代で、佐賀藩としても儒者を召し抱えることはなく、文章などを書くのは主に僧侶だったが、三代 [続きを読む]
  • 肥前佐賀藩の絵師たち
  • 文献:肥前の近世絵画、郷土の先覚者書画肥前佐賀藩においては、初代藩主・鍋島勝茂、三代・綱茂、八代・治茂の代に比較的多くの絵師の名前がみられる。しかし、藩御用絵師の世襲、または門人らによる画風の継承はきわめて断続的だったようである。初代藩主の勝茂の時代には、葉山朝湖、狩野友巴、大園明政、小原友閑斎、広渡雪山らが藩の絵師として名前が残っているが、葉山朝湖(不明-不明)は、藩主の命によって江戸で狩野派を [続きを読む]
  • 日本初のユネスコ世界記憶遺産・山本作兵衛の炭坑記録画
  • 文献:山本作兵衛と炭鉱の記録、山本作兵衛展筑豊炭田の中心地である嘉穂郡に生まれた山本作兵衛(1892-1984)は、7歳のころから親の手伝いで坑内で働きはじめ、以来50年以上を炭坑労働者としてヤマとともに生きた。当初は高度経済成長とともに発展していた炭坑だが、石炭産業合理化により衰退、閉山が相次ぐようになった。炭鉱の閉鎖により夜警宿直員として働いていた作兵衛は、消え行く炭坑の様子を子孫に伝えなければならな [続きを読む]
  • タイガー立石と筑豊の画家
  • 文献:多彩な美 田川市美術館の歩み、福岡県の近代絵画展、福岡県西洋画 近代画人名鑑、福岡県が生んだ画家たち展炭鉱で栄えた筑豊地区は、戦中戦後の混乱期に石炭増産に沸き、中央から映画や芝居、漫画といった多くの大衆文化が流入してきた。戦後前衛美術の旗手の一人として活躍したタイガー立石(1941-1998)は、田川に生まれ、その特異な活気の中で多くのものを吸収し、作家としての素養を形成していった。上京後は「観光」を [続きを読む]
  • 寺田政明と福岡の異色洋画家
  • 文献:生誕100年 寺田政明展、福岡県の近代絵画展、近代洋画と福岡県、福岡県西洋画 近代画人名鑑福岡県八幡市(現北九州市)に生まれた寺田政明(1912-1989)は、16歳で上京、福沢一郎や松本竣介らと前衛美術運動を展開し、池袋モンパルナスの中心人物として活躍した。田川郡赤池町生まれの長末友喜(1916-1949)は、寺田のすすめで活動をともにし八幡市美術協会の設立に参加するなど地元でも活動していたが33歳で早世した [続きを読む]
  • 自己の信じる写実に徹した高島野十郎
  • 文献:没後30年 高島野十郎展、福岡県の近代絵画展、近代洋画と福岡県、西洋絵画への挑戦-洋風画から洋画へ,そして久留米生まれの高島野十郎(1890-1975)は、昭和50年に85歳で没するまで、どの団体にも属さず、福岡と東京で開いた数少ない個展を唯一の発表の場とした。「画壇と全く無縁になる事が小生の研究と精進」との信念のもと、美術の流行や画壇の趨勢には見向きもせず、自然のみを師とし、自己の信じる写実に徹した。生 [続きを読む]
  • 上田宇三郎と福岡の異色日本画家
  • 文献:福岡県の近代絵画、日本画 その伝統と近代の息吹き、久野大正水墨画展戦後の福岡での最初の美術運動といわれる「朱貌社」は、洋画家の宇治山哲平、赤星孝、山田栄二と、日本画家の上田宇三郎(1912-1964)、久野大正(1913-1987)によって、昭和22年創設された。同社は新しい時代が求める新しい表現を、ジャンルを越えて探求しようとしたもので、この運動の中で上田も久野も独自の水墨画表現を展開することとなった。また [続きを読む]
  • 児島善三郎と福岡の独立美術協会
  • 文献:田園の輝き児島善三郎、福岡県の近代絵画展、近代洋画と福岡県、北九州市立美術館コレクション 1974-1991日本の自然風景を装飾化、様式化することによって「児島様式」と呼ばれる日本的洋画を完成させた児島善三郎(1893-1962)は、昭和5年二科会を脱退し、日本のフォビスムを旗印に同志14名とともに独立美術協会を創設した。児島の活動拠点は東京だったが、独立美術協会を通じて多くの後進に影響を与え、福岡には児島に [続きを読む]
  • 古賀春江と福岡の二科会
  • 文献:福岡県が生んだ画家たち展、福岡県の近代絵画展、西洋絵画への挑戦-洋風画から洋画へ,そして大正3年、文部省展覧会から分離して、在野の洋画団体として二科会が誕生した。その創立会員に久留米出身の坂本繁二郎が名を連ねていた関係で、坂本を慕う同郷の若い画家たちの多くが二科会に参加した。こうした画家たちの筆頭が、久留米生まれの古賀春江(1895-1933)である。古賀は、当時の日本に新潮流として紹介されるさまざま [続きを読む]
  • 実直な写実を貫いた中村研一と福岡の官展系洋画家
  • 文献:中村研一回顧展、福岡県の近代絵画展、西洋絵画への挑戦-洋風画から洋画へ,そして、福岡県西洋画 近代画人名鑑宗像郡生まれの中村研一(1895-1967)は、東京美術学校で岡田三郎助に師事し、早くからその才能が注目され、卒業の年には帝展に初入選した。美校在学中から留学を希望し、大正12年についに渡仏したが、パリ画壇で湧き起こっていた新表現を標榜する潮流には目も向けず、モーリス・アスランに私淑して実直な写実を [続きを読む]
  • 筑前洋画の先覚者・吉田嘉三郎とその後継者・吉田博
  • 文献:近代洋画と福岡県、福岡県西洋画 近代画人名鑑、西洋絵画への挑戦-洋風画から洋画へ,そして、福岡県立美術館所蔵品目録筑後洋画の先覚者が森三美なら、筑前洋画の先覚者は吉田嘉三郎(1861-1894)だろう。大分県生まれの嘉三郎は、京都で田村宗立に学んだのち、上京して彰技堂で本格的に西洋画を学んだ。明治22年に福岡市に移り、中学修猷館で教鞭をとったが、のちに生徒だった吉田博(旧姓上田)を養子に迎えて後継者とし [続きを読む]
  • 青木繁・坂本繁二郎を指導した筑後洋画の先覚者・森三美
  • 文献:森三美−筑後洋画の先覚、近代洋画と福岡県、福岡県西洋画 近代画人名鑑、西洋絵画への挑戦−洋風画から洋画へ,そして福岡県久留米市とその周辺は、筑後洋画壇とよばれる独特の芸術風土を持ち、明治以来青木繁や坂本繁二郎ら多くの優れた洋画家を輩出してきた。そうした芸術風土や人脈形成にはさまざまな要因が考えられるが、京都で学んだ洋画の技法を久留米の地にもたらした森三美(1872-1913)の功績が大きいといえる。森 [続きを読む]
  • 官展で活躍した福岡県の近代日本画家
  • 文献:福岡県日本画 古今画人名鑑、日本画 その伝統と近代の息吹き官展で活躍した福岡県の近代日本画家としては、ます最初に吉村忠夫(1898-1952)が挙げられる。吉村は北九州市に生まれ、東京美術学校を首席で卒業、のちに松岡映丘に師事し、師と同様に歴史風俗画を得意とし、官展の重鎮として活躍した。また、福岡市生まれの水上泰生(1872-1951)は、東京美術学校で寺崎広業に師事し、首席で卒業後は文展で3回連続受賞するなど [続きを読む]