松原洋一・UAG美術家研究所 さん プロフィール

  •  
松原洋一・UAG美術家研究所さん: 松原洋一・UAG美術家研究所
ハンドル名松原洋一・UAG美術家研究所 さん
ブログタイトル松原洋一・UAG美術家研究所
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/ma2bara
サイト紹介文近世から明治中期に活動し、ネット検索をしても出てこない画家を中心に紹介。ただいま福岡県を探索中。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供327回 / 365日(平均6.3回/週) - 参加 2014/12/04 17:27

松原洋一・UAG美術家研究所 さんのブログ記事

  • 自己の信じる写実に徹した高島野十郎
  • 文献:没後30年 高島野十郎展、福岡県の近代絵画展、近代洋画と福岡県、西洋絵画への挑戦-洋風画から洋画へ,そして久留米生まれの高島野十郎(1890-1975)は、昭和50年に85歳で没するまで、どの団体にも属さず、福岡と東京で開いた数少ない個展を唯一の発表の場とした。「画壇と全く無縁になる事が小生の研究と精進」との信念のもと、美術の流行や画壇の趨勢には見向きもせず、自然のみを師とし、自己の信じる写実に徹した。生 [続きを読む]
  • 上田宇三郎と福岡の異色日本画家
  • 文献:福岡県の近代絵画、日本画 その伝統と近代の息吹き、久野大正水墨画展戦後の福岡での最初の美術運動といわれる「朱貌社」は、洋画家の宇治山哲平、赤星孝、山田栄二と、日本画家の上田宇三郎(1912-1964)、久野大正(1913-1987)によって、昭和22年創設された。同社は新しい時代が求める新しい表現を、ジャンルを越えて探求しようとしたもので、この運動の中で上田も久野も独自の水墨画表現を展開することとなった。また [続きを読む]
  • 児島善三郎と福岡の独立美術協会
  • 文献:田園の輝き児島善三郎、福岡県の近代絵画展、近代洋画と福岡県、北九州市立美術館コレクション 1974-1991日本の自然風景を装飾化、様式化することによって「児島様式」と呼ばれる日本的洋画を完成させた児島善三郎(1893-1962)は、昭和5年二科会を脱退し、日本のフォビスムを旗印に同志14名とともに独立美術協会を創設した。児島の活動拠点は東京だったが、独立美術協会を通じて多くの後進に影響を与え、福岡には児島に [続きを読む]
  • 古賀春江と福岡の二科会
  • 文献:福岡県が生んだ画家たち展、福岡県の近代絵画展、西洋絵画への挑戦-洋風画から洋画へ,そして大正3年、文部省展覧会から分離して、在野の洋画団体として二科会が誕生した。その創立会員に久留米出身の坂本繁二郎が名を連ねていた関係で、坂本を慕う同郷の若い画家たちの多くが二科会に参加した。こうした画家たちの筆頭が、久留米生まれの古賀春江(1895-1933)である。古賀は、当時の日本に新潮流として紹介されるさまざま [続きを読む]
  • 実直な写実を貫いた中村研一と福岡の官展系洋画家
  • 文献:中村研一回顧展、福岡県の近代絵画展、西洋絵画への挑戦-洋風画から洋画へ,そして、福岡県西洋画 近代画人名鑑宗像郡生まれの中村研一(1895-1967)は、東京美術学校で岡田三郎助に師事し、早くからその才能が注目され、卒業の年には帝展に初入選した。美校在学中から留学を希望し、大正12年についに渡仏したが、パリ画壇で湧き起こっていた新表現を標榜する潮流には目も向けず、モーリス・アスランに私淑して実直な写実を [続きを読む]
  • 筑前洋画の先覚者・吉田嘉三郎とその後継者・吉田博
  • 文献:近代洋画と福岡県、福岡県西洋画 近代画人名鑑、西洋絵画への挑戦-洋風画から洋画へ,そして、福岡県立美術館所蔵品目録筑後洋画の先覚者が森三美なら、筑前洋画の先覚者は吉田嘉三郎(1861-1894)だろう。大分県生まれの嘉三郎は、京都で田村宗立に学んだのち、上京して彰技堂で本格的に西洋画を学んだ。明治22年に福岡市に移り、中学修猷館で教鞭をとったが、のちに生徒だった吉田博(旧姓上田)を養子に迎えて後継者とし [続きを読む]
  • 青木繁・坂本繁二郎を指導した筑後洋画の先覚者・森三美
  • 文献:森三美−筑後洋画の先覚、近代洋画と福岡県、福岡県西洋画 近代画人名鑑、西洋絵画への挑戦−洋風画から洋画へ,そして福岡県久留米市とその周辺は、筑後洋画壇とよばれる独特の芸術風土を持ち、明治以来青木繁や坂本繁二郎ら多くの優れた洋画家を輩出してきた。そうした芸術風土や人脈形成にはさまざまな要因が考えられるが、京都で学んだ洋画の技法を久留米の地にもたらした森三美(1872-1913)の功績が大きいといえる。森 [続きを読む]
  • 官展で活躍した福岡県の近代日本画家
  • 文献:福岡県日本画 古今画人名鑑、日本画 その伝統と近代の息吹き官展で活躍した福岡県の近代日本画家としては、ます最初に吉村忠夫(1898-1952)が挙げられる。吉村は北九州市に生まれ、東京美術学校を首席で卒業、のちに松岡映丘に師事し、師と同様に歴史風俗画を得意とし、官展の重鎮として活躍した。また、福岡市生まれの水上泰生(1872-1951)は、東京美術学校で寺崎広業に師事し、首席で卒業後は文展で3回連続受賞するなど [続きを読む]
  • 新南画ともいえる独自の画風を開拓した冨田溪仙
  • 文献:福岡県日本画 古今画人名鑑、日本画 その伝統と近代の息吹き福岡県を代表する近代日本画家としては、福岡市生まれの冨田溪仙(1879-1936)が挙げられる。溪仙は、上田鉄耕に学んだのち、京都に出て四条派の都路華香に入門、25歳で華香門を独立した。明治45年、文展初入選作が横山大観に認められ、大正4年には再興日本美術院の同人として迎えられ、その後は院展を舞台に活躍した。仙厓義梵、池大雅、与謝蕪村らに傾倒し [続きを読む]
  • 4月5日(水)のつぶやき
  • 近代大和絵の黎明期を担った川辺御楯 goo.gl/3m1PxZ― UAG美術家研究所・碧子 (@yuagariart) 2017年4月5日 - 09:18文献に『川辺御楯と近代大和絵の系譜』を追加しました。トップ画像:川辺御楯「尹大納言赴比叡山図」yuagariart.com/artist-labo/li… pic.twitter.com/bdoBQfmaRX― UAG美術家研究所・碧子 (@yuagariart) 2017年4月5日 - 21:27 [続きを読む]
  • 近代大和絵の黎明期を担った川辺御楯
  • 文献:川辺御楯と近代大和絵の系譜、柳川の美術Ⅰ、福岡県日本画 古今画人名鑑筑後国山門郡柳川上町(現在の柳川市)に生まれた川辺御楯(1838-1905)は、守住貫魚、山名貫義、川崎千虎らと共に近代大和絵の黎明期を担った、明治初期を代表する大和絵歴史画家として知られている。しかし、同時期に活躍した他の大和絵師に比べ、御楯の系譜はのちの近代日本画の展開の中で次第に薄れていった。最晩年の弟子・中村岳陵は、例外的に一 [続きを読む]
  • 4月3日(月)のつぶやき
  • 福岡南画壇の育ての親と称される中西耕石 goo.gl/av15H3― UAG美術家研究所・碧子 (@yuagariart) 2017年4月3日 - 09:25文献に『日本画 その伝統と近代の息吹き』を追加しました。トップ画像:中西耕石「青緑山水図」 yuagariart.com/artist-labo/li… pic.twitter.com/VSMNSSX259― UAG美術家研究所・碧子 (@yuagariart) 2017年4月3日 - 22:13 [続きを読む]
  • 福岡南画壇の育ての親と称される中西耕石
  • 文献:日本画 その伝統と近代の息吹き、福岡県日本画 古今画人名鑑福岡県の近代南画の先駆者としては、福岡南画壇の生みの親とも育ての親とも称される中西耕石(1807-1884)が挙げられる。耕石は、遠賀川河口の貿易港として江戸時代に栄えた芦屋に生まれ、京都で松村景文に師事し、のちに日根対山と南宗画の双璧と謳われた。多くの門人を育て、そのなかには大宰府南画の継承者・吉嗣拝山(1846-1915)や冨田溪仙の師である上田鉄耕 [続きを読む]
  • 江戸後期の筑前四大画家
  • 文献:斎藤秋圃と筑前の絵師たち、筑紫路の絵師−斎藤秋圃と吉嗣家・萱島家−、福岡県日本画 古今画人名鑑、筑前名家人物志江戸後期、狩野派の御用絵師たちが粉本主義に陥り、精彩を失っていくなか、筑前画壇では町絵師たちが独自の画業を展開していた。なかでも元秋月藩御用絵師でのちに大宰府で町絵師として活躍した斎藤秋圃、藩から召し抱えの交渉があったが固辞して大宰府に閑居した四条派の桑原鳳井(1793-1841)、浦上春琴に [続きを読む]
  • 3月30日(木)のつぶやき
  • 文献に『筑紫路の絵師−斎藤秋圃と吉嗣家・萱島家−』を追加しました。トップ画像:斎藤秋圃「仁田四郎猪退治図絵馬」「熊谷直実と平敦盛図絵馬」「張良・黄石公図絵馬」yuagariart.com/artist-labo/li… pic.twitter.com/Ajc04b3wds― UAG美術家研究所・碧子 (@yuagariart) 2017年3月30日 - 10:28 [続きを読む]
  • 大宰府画壇を盛り上げた吉嗣家と萱島家
  • 文献:筑紫路の絵師−斎藤秋圃と吉嗣家・萱島家−、福岡県日本画 古今画人名鑑、日本画 その伝統と近代の息吹き、筑前名家人物志天満宮の門前町として栄えた大宰府は、昔から文人墨客が往来し賑わいを見せていた。文政9年には秋月藩御用絵師を退いた斎藤秋圃が大宰府に移り住み、自由な町絵師として活躍した。秋圃の描いた絵馬は、大宰府、筑紫野から博多、飯塚まで数多く見られ、掛軸などの絵画もこの地域の寺社、個人宅に多く伝 [続きを読む]
  • 筑前秋月藩御用絵師・斎藤秋圃と門人
  • 文献:斎藤秋圃と筑前の絵師たち、御用絵師 狩野探幽と近世のアカデミズム、福岡県日本画 古今画人名鑑筑前秋月藩の御用絵師・斎藤秋圃(1769-1861)は、京都に生まれ、円山応挙に学び、応挙没後は森狙仙に師事したと伝えられる。大坂時代の秋圃は、新町遊郭の風俗を題材とした「葵氏艶譜」の刊行などで知られている。その後、秋月藩の御用絵師になるまで、九州を巡り、肥前有田では陶器の絵付けや下絵の制作を手掛けたとされる。 [続きを読む]