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狛犬と石仏と https://blog.goo.ne.jp/ts-urawa

神社・仏閣に狛犬と石仏を訪ねて 時には花を愛でての山歩きも デジカメ片手に気楽にのんびり 足の向

浦和のたぬき
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2014/12/21

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  • ゴジラ岩と観音岩

    ゴジラがあたかも海から上陸してきたような・・・・は、大げさだが敢えてこじつければそう見えなくもない奇岩にウミネコが戯れて。。。なかなかの見ものだクルーズの船待ちのひと時空想をめぐらせるのっしのっしと巨体が静かな漁村を席巻して・・・・・。揺れ具合レベル4と言う荒れた海に小型船が乗り出す手振れ防止なんてのは役に立たない必死に構えてファインダーをのぞくその先にあった!お目当ての観音岩こうして観ると岩山に鎮座する如く自然石が造ったとは思えないほどほぼ洋上からしか拝めない自然の造形に船酔いもしばし忘れ感動に酔いしれる旅仲間数人とで知床の旅情を愉しむ6月27日3泊4日の旅の二日目乾いた空気とそよ風と友人との語らいが嬉しいゴジラ岩と観音岩

  • 瀧野川・正受院 と 近藤 重蔵

    長年わが書架に眠っていいる本がこの先いつか買いにも借りにも行けなくなるそんなときが遠からず訪れてくるその日の為にとためたのが今では当面読み本に困らないだけあるそんなほこりをかぶったままの中に逢坂剛の「重蔵始末」なる本があったのを思い出す瀧野川に重蔵の石像があったこともふと思い出し出かける近藤重蔵、江戸期に火盗改め松平金吾の下で与力としての活躍の快談を描いている一方重蔵の事績としては寛政10年幕府の蝦夷地視察一行に加わりクナシリからエトロフにいたりエトロフに『大日本恵土呂府』の標識を発てたとのことその際なぜか甲冑に身をかためてとかその姿が晩年この地に書庫を構えたここ滝の川・正受院にあるので参拝する江戸時代の文人・画家として知られる谷文晁が下絵を画いたらしい所用で出かけた王子でここに立ち寄り珍しい江戸期の武人の石像...瀧野川・正受院と近藤重蔵

  • 首なし石仏

    薩長の馬鹿共がと、その愚行を責めたのは誰だったろうか廃仏毀釈のことだ時の権力の圧力に屈服してか御先走って自発的にか貴重な仏教遺産が破壊された例はいたるところで散見されるわが愛する石仏もまたその例に漏れないこうして悲劇的な残骸をさらしているのを観るのは忍びないが一方でよく「遺跡」として残してくれたと土地の方への感謝の思いも。明治初期に廃寺となった金剛寺廃寺跡地を訪ねる奥には小さいながら毘沙門堂もあり行基作と伝わる立派な毘沙門天座像が鎮座していたらしいが昭和の初めに盗難にあって今は小さな代替品が祀られているのみである明治の薩長の人間と現代の人間との間にある殺伐とした心にはさして違いがないと寂しい気持でお堂を後にした6月2日暑い日に川崎・黒川毘沙門天堂跡にて首なし石仏

  • あじさい寺で

    柿生(川崎)の紫陽花と五百羅漢で知られる《淨慶寺》を訪ねる女心のようにその色を七色に変化させるにはいまだ早いのは承知の上白から薄青に変わるこの季節も嫌いではないのだと言っても今日のところは再訪を期しての様子うかがいと言ったところあじさいに囲まれた石仏を撮るのはその季節に出直すとしてそこかしこにある遊び心が横溢している~石仏らしきもの~を撮り歩くいつもなら無視して通る”可愛げ”のあるものばかりを。5月25日「花と寺の町」と幟が下がる柿生で病みつきになりそうな予感があじさい寺で

  • 地蔵尊に 想う

    眠るがごとく半ば閉ざされた眼だが怖い眼だこちらの心は全て見透かされていそう邪心は捨てよ物欲に走るなと諫めてくれているごとくこちらは幾分やさしげだなぁに地獄の苦しみは救ってあげる今のうちにせいぜい善行を積むことだと、語りかけてくれているごとく石の地蔵菩薩に魅せられ想像をめぐらせたひと時わが身を振り返ってこの世でさして良いことをしてきたわけではないがさりとて死後餓鬼道や修羅や畜生道に落ちるのは後免だと虫の良い願いで手を合わせた5月21日暑い日の五島美術館で地蔵尊に想う

  • 道祖神に 合掌

    往時の人たちは道祖神にどんな祈りを込めたのだろうか村の辻に立って疫病が村内に入り込まないようにとか家族の病気平癒を祈ったり良い子が授かりますようにとの願いを込めたりとか朝夕野良の行き帰りに手を合わせて拝んだに違いないやさしく抱きあう姿に平穏な幸せがいつまでもともそんなたくさんの想いを込めた小さな石像が静かに午後の陽ざしを浴びて寺の片隅にたたずんでいる環状8号線の騒音を一瞬忘れさせてくれるひととき私もまた往時の人と同じそうした思いを込めて合掌小豆沢龍福寺にて道祖神に合掌

  • 植村 直己さんを 想う

    し地球にはもう彼はいないけれども生きている修身に化けて植村直己は私たち心中に生きつづける草野心平ネットから故人の素顔を垣間見る・人より怖がりですね高所恐怖症です・私は精神的に弱いので、逆にそれを人にさらけ出して、どうしてもやらざるを得ない状況に自分を追い込んでゆく~~・探検家になるために必要な資質は臆病者であることですあの『冒険家』の植村直己にしてこの克己心だ俺も頑張らにゃと思わせられる近頃好奇心が薄れただの体力の衰えがなどと弱音をはいてはいられない全力で走り抜けた偉人からパワーを頂いた思いの一日5月3日東京・板橋乗蓮寺で植村直己さんの墓に詣でる植村直己さんを想う

  • はなの苑 で

    この時期冬の間巣にこもっていたミツバチが忙しく立ち働く季節なのだろうか働き蜂は蜜や花粉を集めて女王蜂の誕生を迎える準備に明け暮れるのだろうリンゴの受粉のお手伝いをしながら・・・こんな自然の営みについて何も知るところはない知らないままに季節は移ろいやがて初夏を迎えようとしている春の一日花を愛でて過ごす自然災害や世の喧騒をよそに平和ボケのわが昨今おおいなる自戒の念が無くもないのだがただ漫然とした日が通り過ぎていくしゃんとせんかいと思いつつもなすすべも思い浮かばず流されていく日々が哀しい4月27日多摩川京王フローラルガーデンでシニア写真仲間と共にはなの苑で

  • 廃校の春

    桜はその散り際の潔さ、美しさを愛でるる人が多い別にそれを意識したわけではないが「内憂外患」のわが昨今今年の桜は半ばあきらめていたのだが思い立って桜を撮るならここと決めていた場所に出かけることに桜吹雪の中とはいえどうやら間に合ったようだ三日見ぬ間の桜と、言うこの風で明日の花の保証はないこころ行くまで堪能した数年前の訪問とは様変わりでカメラマンの多さに驚きの4月9日秩父小川町下里廃校にて廃校の春

  • 北海道神宮とその周辺で

    札幌へ出かける病気・入院見舞いという本来遊びにはふさわしくない用事は承知しているのだが病気平癒祈願を口実に北海道神宮に遊ぶついでに欲が出て何時もの狛犬と石仏探しにも気に入りとは程遠いのだが他に石像狛犬は見当たらないので。明治44年と刻まれている広い境内林を歩くさすが北海道キタキツネが物欲しげにじゃれてくるあの尾が細いのは時々悪さをするんですよと、聞いたがこれと言った悪さされることもなくすばしっこく動き回るリスを撮らんとしたが追いつかない物見遊山の旅ではないと自らに言い聞かせこんなところで断念丸山に続く山道入り口で石仏を発見あてもなく歩き始める行当たった寺で石仏を撮る北国の六地蔵さんは防寒マントを着用お似合いだが春が足元まで来ているのに本来の目的の病人は気丈にも明るく対応してくれたのに便乗しての遊び心だが彼らの心...北海道神宮とその周辺で

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