Wonder Graphics さん プロフィール

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Wonder Graphicsさん: [外伝]
ハンドル名Wonder Graphics さん
ブログタイトル[外伝]"Monochromeの北海道1966-1996"&Ektachromeの頃
ブログURLhttp://northernrailways2.blog.fc2.com/
サイト紹介文["Monochromeの北海道1966-1996"そしてEktachromeの頃] からのスピンオフBlogです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供10回 / 365日(平均0.2回/週) - 参加 2014/12/22 00:36

Wonder Graphics さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 北海道旅客鉄道のゴマカシにマヤカシ
  • 日本貨物鉄道の公表している資料によれば、五稜郭機関区の管理するEH800型電機には20の仕業が組まれている。すべてが五稜郭から青森信号場を往復する所謂「ひと山」運用に統一され、青函間を通過する18往復-36本の定期列車に、季節列車と臨時列車のそれぞれ1往復を含む40本列車がその行路である。その函ダイヤを棒ダイヤに起こせば、運用順までは分からぬものの、それは17両の配置に対して使用16両/予備1両の需給と知れる。仕業番 [続きを読む]
  • Ektachrome E100系列を惜しむ
  • まだポジでも撮っている。諸兄はご承知のことと思うが、ポジフィルムとは完全にノウハウの世界であり、発色のコントロールは、様々な撮影条件下で繰り返したテスト撮影のデータに対して本番からのフィードバックにて蓄積した経験と勘に頼ることになる。仕事写真ではとっくに不要と成り果てた技術なのだが、それこそ数十年を掛けて獲得してきただけに簡単に捨て去るのも口惜しく、趣味写真で楽しみながら温存を図るつもりなのであ [続きを読む]
  • 情趣、殺がれる
  • カメラも持たずに線路端に立った日々から数えると、道内鉄道の半世紀あまりを眺めて来たことになる。それが、趣味的に「愉し」かったのは、せいぜい70年代後半までのことで、1980年10月改正から此の方は情趣の殺がれるばかりと感ずる。特に近年はその思いが色濃い。機関車屋にしてみれば、貨物輸送システムの一大転換だった1984年2月改正や、国有鉄道の民営化を見据えた1986年11月改正に打撃を受け、特に後者以降に函館山線や釧網 [続きを読む]
  • 右翼政権のウソにマヤカシ
  • 1970年代初頭には早急な手当の叫ばれながら、21世紀の現在に至るまで何一つ改善されることは無かったのが国家財政の健全化である。乱暴な言い方をしてしまえば、歴代の為政者達による対策やら施策が核心に踏み入れること無く、その全てがそれを名目とした政財界の権力温存に終始した結果と云える。国鉄の分割・民営化などその最たるものであろう。国民の公有財産であったそれは、国家財政の改善に一切寄与すること無く財界の手に落 [続きを読む]
  • 道南周遊乗車券
  • 島内で完結する北海道は周遊型の観光に適しており、そこを自由乗降とした乗車券は、戦前に制定の遊覧券でも戦後に同様の制度として復活した周遊割引乗車券制度下の均一周遊券でも最初に発売されている。1956年が初年度の周遊乗車券設定は成功裏に終わり、6月1日から10月30日までの季節発売は翌年には通年に改められ、次いでは九州/四国/東北と年毎に設定地域も拡大された。60年代から70年代には、高度成長にともなうレジャー指向の [続きを読む]
  • 待合室に灯りのある幸福な旅
  • 夜行列車の衰退と共に、深夜を通して明かりの灯った待合室も昔語りとなった。それの往来した駅での待合室の終日開放は当たり前であり、国有鉄道は夜行の到着を待つ旅客に対しては勿論のこと、それを降りて朝の列車へ乗継ぐ旅客にも配慮していたことになる。夜行急行の車内放送での接続案内にて、「◯◯線◯◯方面は明朝◯時◯分の連絡です」とのアナウンスをご記憶の向きは多かろうが、1980年代までなら実際に多くの旅客がこのよう [続きを読む]
  • 柴田踏切
  • エントモ岬手前に所在する柴田踏切へは幾度も通った。エントモトンネルからのR=600M曲線を旋回して来る8002列車を低く黄味を帯びた光に捉える目論見からである。16時12分だった通過時刻には、陽の高い季節の順光こそ面白くも何ともなかったけれど、10月ともなればトンネルを抜けた列車は側面への低い斜光を浴びたのだった。秋分の近づく9月半ば以降なら通過時刻での太陽方位は、ほぼ真西の270度近辺となって位置としては申し分無く [続きを読む]
  • 5年目の御礼
  • 本来なら、本編「"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃」に記すべきなのだろうが、機会を逸してしまったので、こちらとさせていただく。2011年12月13日付が最初の投稿だった本編Blogは、お陰さまで丸4年を経過したことに気がつかずにいたのである。この間、旧い写真におつき合い下さった皆様には心より御礼を申し上げたい。この間の投稿数は734回を数える。Webで拝見する同好諸兄のBlogに比すれば、まだまだ途上 [続きを読む]
  • 秘境に駅のあろうはずが無い
  • 前回の記事に、最近にブームとされる鉄道趣味への多面的参入を以て「裾野の広がりは歓迎」と書いた。「汽車を撮りに来た」と云えば、珍しがられるばかりだった旧い鉄道屋としては本心に違いないのだけれど、社会的認知は裾野のあたりのことと思えぬでもない。裾野の広がれば、当然に悪貨も包含するには、白滝在住のJamさんからいただいたコメントのごとく、裾野周辺のさらに外側の人々がその馬鹿っぷりを披露するところとなってい [続きを読む]
  • 「駅ノート」なる悪習
  • この10月から11月に架けては旅ばかりしていた。往き先は言わずと知れた道内で、幾度かに分けつつも永くをそこに過ごした。このBlogもそうだけれど、本編更新の滞りはそのせいと言い訳しておく。そこにも書いたのだけれど、夜行急行の無くなってからの道内移動は本当に不便極まりない。今回は、どこに行っても御同業と合席しそうな(特に月・水・土曜日の)函札幹線は落ち穂拾い程度に留め奥地を目指したものの、道北・道東間の移動に [続きを読む]
  • 中丿沢 林立道路踏切
  • 鉄道における距離標と云うのは古くは哩程標と呼ばれ創成期からのものである。線状の構造物上での地点を特定するには一端からの距離によるのが最も合理的ゆえに当然ではあろう。鉄道に関わる最初の体系的統一的法規であった「鉄道建設規程」(1900年8月10日逓信省令第33号)と同時に部内規程としてまとめられた、後に云う線路諸標に関わる「定規」は、その冒頭に「現在ノ諸標ハ建換ノトキ迄存置スルモノトス」の一行を置いて、哩程標 [続きを読む]
  • 1980年の夏旅
  • たまたま年月の重なるだけなのだけれど、本編Blogの表題とした1966年から1996年までのモノクロームで撮っていた時代は、飯の種でもあった写真にストイックに向き合っていた頃であり、趣味に向かう旅と云えども道内に入れば、ただひたすらに写真生活をしていた。90年代にも至ればそうでもなかったが、移動の夜行急行でも翌日のコンテの検討やら光線のシミュレイションに忙しく、缶ビール1本さえ手にしないのだから禁欲も度を超して [続きを読む]
  • 教条主義な一群
  • ディジタル写真機の普及は、いったいどれだけの写真需要を掘り起こしたものか。撮られるべき写真はフィルムの彼方からでも存分に撮られていたから、正しくはユーザー需要と云うべきなのだろう。それを手にした撮影者の爆発的増加は、写真趣味への大量の参入者を生み、鉄道の分野へもかなりの数が流入したと見られる。しかも、同じくディジタル技術がもたらした個人レヴェルでの情報発信を伴ってのことだった。ハーフ判写真機を片手 [続きを読む]
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