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プロフィール

ハンドル名nerd さん
ブログタイトル窯ぐれ
サイト紹介文伝統への対峙、、陶芸家、羽鳥誠の芸術文化批評論エッセー
自由文関連サイト
http://www2r.biglobe.ne.jp/makoto-h/
参加カテゴリー
更新頻度(2年)情報提供32回 / 1300日(平均0.2回/週) - 参加 2005/06/16 18:44

nerd さんのブログ記事

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  • 2008/02/06 11:04リトアニア国際陶芸シンポジウム
  •  リトアニア国際陶芸シンポジウムに参加してから、10年が過ぎた、いま、この間の1996年から2006年における、参加者の滞在制作作品のカタログが届いた。リトアニア国際陶芸シンポジウムは、1983年、パネバジスのガラス工場を制作工房として始まった。旧ソ連から独立間もないこの小さな国において、それは、画期的な出来事であろう。自然資源のないこの国において、文化を育てることこそ、この国が、世界に向かってい... [続きを読む]
  • 2008/01/22 22:00Chen Lu、山頂に栄える陶芸の里
  • Chen Lu 陶芸村は、西安から車で、約4時間、、けわしい山間をくねると突然、頂上に栄える陶芸の集落である。ほとんど平地らしきもののない、その地において千年もの歴史のあいだ、その時どきの皇帝の日常陶器をつくり続けてきた。現在、ご覧のように観光陶芸村と化したとはいえ、、いまも辺境に位置するその驚きとは、その圧倒的存在感であり、古来、中国の現実主義、いま生きる者の生活そのままの逞しさへの実感である。... [続きを読む]
  • 2007/11/15 12:10国際陶芸誌編集者会議
  •  陶芸に関する国際会議のひとつとして、この11月5日から9日まで、中国、西安から約70kmの北東、陝西省、富平(フピン)にある富平陶芸ヴィレッジ(FPV)に展開する会議場にて、第2回国際陶芸誌編集者会議(ICMEA)が開かれた。国際陶芸アカデミー(IAC)、アメリカ-陶芸教育全国協議会(NCECA)の協賛。わたしは、この会議に招待の発言者として参加した。富平陶芸ヴィレッジは、富陶産業グループが運営し、その広大な敷地に展開する... [続きを読む]
  • 2007/11/05 18:30国際陶芸誌編集者会議(下)
  •  第二回、国際陶芸誌編集者会議 (The ICMEA 2007 Conference) は、西安から約1時間半、、富兵 (Fuping) 陶芸村で開催される、、明日がその日である。... [続きを読む]
  • 2007/11/01 16:53国際陶芸誌編集者会議(上)
  •  国際陶芸誌編集者会議 (International Ceramic magazine Editors association) が、11月5日から11月9日の期間、中国、西安から、北東に1時間半にある、富平陶芸ヴィレッジ (FPV)http://www.flicam.com/にて、「陶芸の認識」のテーマのもとに開催される。プログラムの一環として、16名の招待スピーカーのうちの一人として、「伝統の展開」のもとに、わたしも発言者として、招待されております。追って雑感を書きます。... [続きを読む]
  • 2007/08/11 11:00学問と学問的素養 −伊能忠敬
  •  松本清張の評伝に「老十九年の推歩」なる作品がある。測量家、伊能忠敬に対する、語られてきたこれまでの偉人伝的人物像への懐疑、、商人として功なりしその人生後半から、一転、測地家として、勉学を始め、そのほうでも一家をなすにいたる、伊能忠敬の学問的素養とは、はたして巷間伝え聞かされた学問としての測地学だったのか、それが学問であるなら、それは、学者としての偉人伝なるものであったのだろうか、との疑念を追った... [続きを読む]
  • 2007/07/14 11:01方丈、、窯と陶芸
  •   東洋、、もちろん日本もそうだが、、古来から、中華思想の影響を受けずにはいられなかった東アジアの精神性のなかには、玉 (ぎょく) に対する崇拝ともよべる高貴なる憧れが存在する、、、小さきもの、愛らしいものにこそ、、そこに美、、真実の存在を認め、、反転、、広大なる宇宙と折り重ねる、、壷中居 (こちゅうのきょ)、一壷天 (いっこてん)、、あるいは、求めた美は、纏足 (てんそく) にまでいき着くのか、、、そ... [続きを読む]
  • 2007/01/31 21:55「会議は踊る」
  • 「会議は踊る、、」 2008 Sidney Myer Fund International Ceram
    ics Award (Friday 7th March 2008 to 27th April 2008) 出展。... [続きを読む]
  • 2007/01/18 10:09死者から学ぶ
  •  かっての、その一国の指導者が、処刑される画像をめぐり、さまざまに、その立場を異にする視点から、その画像そのものの是非をめぐる見解がだされている。しかしながら、そこにあるものとは、死という恐ろしく絶対的なものに対する認識は抜けおち、もっぱら素材、画像そのものが及ぼす、かれら自身の立場の利益不利益のみが喧伝されている。... [続きを読む]
  • 2006/09/15 21:17日芸
  •  先日、五年ぶりに西武池袋線に乗る。列車は、池袋をでるとすぐ立体高架橋の上をはしる。車窓の眺めは、随分と変わってしまった。学生の頃の沿線風景は、とうになくなっているし、椎名町、付近をまるで、家並みをかするように疾走する感覚は、当然なくなっていた。そんな池袋線は、いわば下駄履き感覚の列車だった気がする。 暫くすると、わたしは、身体を斜めに車窓の光景に目を凝らしていた。流れの中に見えた、日芸は、いまま... [続きを読む]
  • 2006/09/13 10:55やわらかなるもの
  •  農耕民族のならいで、、わたしたちは、堅牢なる「かたち」あるものの文化に突き進むことなく、土を捏ねながらも、石や鉄を通過、、いまに至るも土を捏ねつつ、あいまいな情感におもいを託す精神的文化のなかに暮らしています、、見わせば、、土の文化なのです、、、壊れやすいもの、はかないものに、心情を託し、、この世を処世する伝統的精神、美意識は、至るところ、、わたしたちの生活にみうけることが出来ます、、これほど、... [続きを読む]
  • 2006/08/29 21:06「数」
  •  英国の陶芸作家のなかで、作品で生活、飯が(ポテト、、)食べられる作家の数は、英国全体で、五十人であると、10年前に現地で聞いたことがあります。作家活動のほか、美術教員、あるいは、工房を教室にしたり、、もちろん、陶芸の実作者数は、かなりの員数になるわけですが、いまいった数の内容は、雑器の量産を糧とする工人を省いてのことですが、とにかく、少ないわけです。わたしの住む県内ですら実作者数は、300人とも... [続きを読む]
  • 2006/08/03 21:16時間性その同時展開と逆作用
  •  作品を作り続けますと、当然、作品は増えます、、そのどれもが、納得のいく作品であろう筈はありません。その何点かは、破棄したい衝動に駆られ、その場の感情によっては、壊されることになります。壊す行為もまた、創作行為の延長なのです。壊されしものは、残されしものの相対として、破棄されたわけではありません。残されしものと時空間を共有する、そのものとして、残されしものが、存在する限りそれもまた、存在することに... [続きを読む]
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  • 時空
  • 2006/07/22 21:38こだわりと創造性
  •   うつわ、伝統的うつわ作品は、論外として、私の彫刻的作品には、前作(まえさく)を、手直す作業がしばし取り入られます。削る、つける、という手仕事が、焼成された作品に加わります。陶芸は、ややもすると、焼成が、制作工程の終了を意味すると、理由もなく思い込んでいないでしょうか。伝統的な陶芸観からは、それもひとつの方法です。しかし、創造という囚われのない表現の作品化においては、何をしてもし過ぎることはない... [続きを読む]
  • 2006/07/18 09:58金正日の芸術性
  •   パフォーミング・アーティストとしての、金正日の芸術性について、、今日日巷間、テポドン、、ミサイル、、いや、ロケットだと騒がれていますが、パフォーマーとしての彼は、どのような表現者であるか、大変興味あるところです。独特のヘア・スタイル、、あれしか整髪のしようがないのでしょうが、、体型に裁断されたジャンパー、足下のヒールにいたるまで、表現者としての彼は、十分個性的にきめております。表現作品について... [続きを読む]
  • 2006/07/05 21:50大成することへの勘違い
  •   こと日本において、斯界での大成は(大方は、勝手に本人がそう思い込みを、自ら演じているわけであろうが)、自らが属する、その業界の現状に対して、予期に計らえ、、になるのだろう。そう振舞うことが、大人たる取るべき態度とでもいうかのごときに。そんな感じをつくづく感じる場が、海外におけるシンポジウムに参加した時である。なぜ、日本の名だたる作家の参加はないのであろうか。人間国宝、いわゆる高級職人が、海外に... [続きを読む]
  • 2006/06/06 09:35ハンガリ−国際陶芸スタジオ・シンポジウム印象記、比較論
  •  ハンガリ−国際陶芸スタジオにおける、2006年度プログラム CLAY, WOOD, FIRE & SALTのシンポジウムに招待され、作品 "Phase Inversion " の制作とスライド・レクチャーのショーを済ませ、5月31日帰国しました。国際陶芸スタジオならびに参加作家にかんするまとまった印象記を書くには、インプレッションが希薄で、おいおい加筆することとします、、滞在中には作品の制作にほとんどの時間をさかれ、事実、私の... [続きを読む]
  • 2006/03/18 22:33アマチュア陶芸を審査する愚
  • 過日、書店で立ち読みをしたおり、数多あるそのての、趣味の陶芸雑誌に、県内さる陶芸家と、さる陶芸美術館学芸員が、その雑誌が主催する、読者相手の(たぶん、それ以外の衆目にその企画が喧伝されることはない)アマチュア作家の公募作品の審査をする姿が掲載されていた、、仰々しい受賞作品の頁をみて、ここにも伝統的な勘違いを、すなわち、日本の(陶芸教育における)古典的ともいえる技法至上主義をみた思いだった。 どこ... [続きを読む]
  • 2006/03/09 20:58企画性なき二番煎じ、地方美術館から、、
  •  3月1日より、茨城陶芸美術館にて開催されている、現代茨城の陶芸展「かたちの行方(ゆくえ)」なる展示は、2004年11月17から2005年2月13日まで、「自律する陶のかたち」なる企画展とまるごと、同様な作品内容であり、発行されたリーフレットそのものは、表紙を変えただけである。無策かつ厚顔な学芸員の態度には呆れる。ふたつのタイトルの間にはなんらの脈絡はなく、今般の展示を企画したとするその意図は微塵... [続きを読む]
  • 2005/09/03 15:04農村文化の改革と郵政
  •  郵政改革、これは、社会問題なのですが、政治的話題として喧伝されています。もっとも、科学的にその差異はなく、問題の切り口の方向性によるところ大なのでしょう。そんな郵政改革の是非云々とは、究極、農村文化が動かしてきたあらゆる日本の組み合わせ構造、、政治、社会、芸術文化もろもろ、風習、習慣にいたるもろもろのあやしげな、ごまかしが、焙りだされたいうことではないでしょうか。 それは、坂口安吾が「続堕落論」... [続きを読む]
  • 2005/06/19 11:24展覧会名からみた問われる企画力、、地方美術館からみた
  •  美術館ギャラリーにおける企画される展覧会の名称は、ことのほか重要な意味合いをもつ。そこに込められた短いコピーは、スポーツ紙の見出しの類であってはならないし、洋画の配給元がふり付ける観客動員を狙った、およそ原題から遊離した類のものであってもならない。美術館ギャラリーを会場にした、造形美術における展覧会の名称は、たとえば、単独の作家の作品であれば、その個人名に集約されるからとて、ただ漠然と、彼の年代... [続きを読む]
  • 2005/05/19 09:31表現なき、てんこ盛り、その猥雑性
  •  はなはだ、地域限定的話題である。しかし、ことの状況はどこでも同様、中央と称される場合でも同様であろう。開催されたここ茨城の工芸美術展。作品を出品するのは会員である。板谷波山の提唱で発足した、この会の歴史は古く、昭和5年から現在まで76年を経過している。主体となってしまう陶芸以外さまざまな工芸分野の作品が展開される。会場で感じた陶芸の展示作品にかんして、総じて、その猥雑性にまっわる印象がいったい、... [続きを読む]
  • 2005/05/14 22:15喧伝される、ものづくり、の危うさ
  •  喧伝される "もの造り" の底から、、連想されること、、それは、精神主義的自然趣味ではないでしょうか。生産性を要求される工業経済の現場からは、なに計んや、職人性に属す部分大きい美術工芸の世界においてもノスタルジアを含んだ喧伝がなされています。失いつつあるものそれはいつの場合でも、それが時代の必然であるにしろ、追い求めるもののようです。日本の伝統的美術工芸の世界において、その文脈文化は、きっ... [続きを読む]
  • 2005/05/06 19:36名が芸をつくり上げるとは、、、
  • 伝統芸能にみられる襲名とは、本来、興業主からみた経営上の収益獲得手段である。抱える芸人にそれを求め華やかに演出するのは、興業主である。すべては営業という経営に添うことである。今日のそれも、芸ごとの習熟練達の度合いに応じた名代への展開へとはいい難く、その関係はほとんど連動してはいない。あるのは、とりまく立場にまとわりつくめんめんの、阿吽の呼吸ひとつである。なんとも曖昧な、出世魚が聞けば激高しそうな... [続きを読む]
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