星 光輝 さん プロフィール

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星 光輝さん: 桜梅桃梨
ハンドル名星 光輝 さん
ブログタイトル桜梅桃梨
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/kabusikikaisya_yokohachi
サイト紹介文桜梅桃梨は、白や濃淡のピンク色をした花を咲かせ、それぞれが個性的であり、私の心を癒してくれる
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供20回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2015/01/10 05:19

星 光輝 さんのブログ記事

  • 「私」のなかの「わたし」
  • 老い逝く余もドクダミと同じ日蔭の存在ドクダミは、雑草扱いされ、やや日蔭の湿った場所を好み、どこにでも生え野山や空き地で見ることができる。日が当たらない仄暗い木立の下に咲くドクダミの花の白さに魅せられてしまい、花言葉は「白い追憶」という素敵な意味が込められている。ドクダミの葉は、独特の「臭い」があり、「悪臭」の花と誤解へ偏見を受けやすく邪魔者扱いされる。それでもドクダミは、昔から日本人にとって、ドク [続きを読む]
  • 遠くの「子ども」より近くの他人 其の2
  • 「自分のことよりも他者に気遣う」私は婦警に勝手口の鍵を渡した。勝手口を開けた婦警ともう一人の警察官は中に入る前に警官靴の上から靴底にあてはまるビニール袋を履いた。私は靴を脱ぎ靴下のまま、後からついて行った。部屋の中は暗闇状態にあり、電気を点けた。以前、居間で転倒したことがあったので、私は居間から見た。いつもより冷え込みが強く寒い日であったにもかかわらず、ファンヒーターは点いておらず居間は寒々とした [続きを読む]
  • 遠くの「子ども」より近くの他人 其の1
  • 「連絡がとれない」老いて、最期どのような死に方をするのか、それは誰も予測はできえない。今年で88歳を数える上畑ヨネさんは、南陸奥市で独り暮らしをしていた。3年位前頃から物忘れが始まり、かかりつけ医からアルツハイマー型認知症と診断された。週4回ほどヘルパーの支援を受け なんとか独り暮らしを続けることができた。新幹線で60分ほど離れた県都に住んでいる長女から朝夕、安否確認の??をかけていた。冷え込みが [続きを読む]
  • 誰かの役に立ちたい
  • 島藤千代子さんが一年前に観た南湖公園今年も厳しい冬の寒さを乗り越えあと2週間足らずで また桜の花を観ることができる「息子は料理人」のところで書き足りないことがあった千代子さんに「いくつですか」と尋ねると素直に「40歳かな」と涼しく答える(本人は本当にそう思っている)65歳を越えた息子だが、千代子さんの気持ちのなかでは小学生の息子なのだ高熱をだし体が弱っているから 何か栄養のあるものでも食べさせてあ [続きを読む]
  • 息子は料理人
  • 「息子は料理人」苦しかったことや辛かったことなどは、なかなか忘れることはできず、逆に思い出となって残ることがある。 齢を重ね、75歳を過ぎると後期高齢者と呼ばれ、物忘れも出始めてくる。島藤千代子さん(90歳)は、時々長男の名前を忘れてしまうこともある。いまさっき南湖公園の桜を観に行ってきたことも記憶にない。つねにいま、生きている千代子さんである。 食事中にふと彼女は、「うちの息子は料理人」だと話し [続きを読む]
  • スマホ
  • スマホ若い人には「鶴田浩二って誰〜」と思われるが・・・鶴田浩二のヒット曲『傷だらけの人生』のセリフに「古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ 新しいものを欲しがる」私も古い人間になってしまったのか時代遅れの酒場ならぬ「時代遅れの古代物」と22歳年下の妻から言われてしまうカップルの若者が長い時間言葉を交わすこともなくスマホに熱中している様をみて古い人間の私は理解しがたく思ってしまう互いの顔をみなが [続きを読む]
  • 俺は誰だ!
  • 俺は誰だ!他者のことはよく見える自分のことは自分が一番知っている、と見えていない自分を見えていると錯覚している自分という人間大きな鏡の前に立ち鏡に映った自分の顔はたるみと浮腫みで肌艶はない「これが俺の顔か」なのかと自分に思わず呟いてしまったいまは朝風呂のあと顔をマッサージしクリームを塗っている夫の名前をも忘れ30余年住み慣れた家に居ても「家に帰る」とそわそわしだす齢83歳の春田梅さん或る日鏡に向 [続きを読む]
  • 桜便りが待ち遠しい
  • 桜便りが待ち遠しい東京では桜が開花した白河の関を越えた南陸奥はいまは梅の花が咲いている今日の朝 beagle元気と散歩していたら急に灰を捲いた空に変身遠くに見えた那須連山は灰色の絵の具で塗り潰され消えてしまった雲の上から泣いた赤鬼の涙が桜の花に似た雪が舞い降ってくる掌に落ちた雪の花びらは 儚く消えてしまった [続きを読む]
  • 「いま、ここに生きる」 其の2
  • 認知症老人から時間の大切さを教えて頂いた失敗であった過去は忘れ過去がなくても人間生きていける大切なのは 現在(いま)を懸命に生きること明日があるかどうかは 誰もわからないわかっていることは背後から死が追いつき「もう終わりだよ」と耳朶でささやかれることだから過去を悔やんだり死を怖れたりせずいま ここに生きること失敗だった人生を悟り今更ながら 生かされてきたことに気づく人生は砂時計のようなもの時間が有限 [続きを読む]
  • 「いま ここに生きる」  
  • 日本昔話 浦島太郎は自分の事であった気がついた時には 還暦余年となり長く生きて来た過去は失敗であったと 後悔したところで時計の針を巻き戻す事は出来ない幸福とは何であったのかマイホームを建て休日には ショッピングと外食を世間並に楽しむテレビから溢れんばかりに流れるCMに踊らされ 消費生活に浸かってきた物欲の充足で幸福感は得られたのかそれは泡沫の如く儚く消え行くだけ物欲より大切なものは何であったのか還暦 [続きを読む]
  • 食べることの意味 6 「食の飢えは、愛の飢え」
  • 「食の飢えは、愛の飢え」一人暮らしでなく息子夫婦が同じ屋根の下に暮らしていても、食が十分に満たされていない老人もいる。「家」があっても「家族」の絆が希薄になってきている。長男夫婦は、どちらも医療従事者の仕事をされ、朝早く夜遅くと家に居る時間が少ない。学校から帰ってくる二人の孫が、東登志子さん(88歳)にとって唯一の楽しみでもあった。日中、一人暮らしの状態となり、台所までようやく歩き辿り着くことは [続きを読む]
  • 那須連山が眺望できる南陸奥から 梅だより
  • 梅の枝を折らぬ馬鹿 という言葉を聞いたことがあるつい親枝から落ちそうな小枝に遭遇した蕾から花開く状態にあったのだが半分折れかかった小枝の梅花は精気がなく萎れかかっていた思い切ってその小枝を折り手にした男は自室に持ち帰り 飲み干した缶コーラーに水を入れ梅の小枝を挿した翌朝 小枝を見ると元気になり見事に花を咲かす花に限らず老いた人間も同じく 水を欲す水を飲むことをわからなくなってきた認知症老人オシッコ [続きを読む]
  • 陽光
  • 6時近かったであろうか阿武隈川上流の岸辺を散歩傍らに我が家の長男 まもなく5歳になるがいまだ直立歩行は難しく 両手両足を使い歩行走り出したら 自分よりは超早く 追いつくことができないまだカメラを持ち歩くまでの環境が整っていないため素敵な自然の景色を撮る逃すことが多い今日は 素敵な朝陽に遭遇阿武隈川を鈍く反射した朝陽の光に心奪われる朝陽に手を合せ 今日も生きられることに感謝する [続きを読む]
  • beagle元気
  • 我家の息子の名は「元気」平成23年4月8日に 青い地球(ほし)に生まれた  この日はお釈迦様生誕でもあるもしかしたらお釈迦様の生まれ変わり なんて言ったら  罰当たりかな臭いに敏感であり散歩のときは 他の犬が先に歩くものなら鼻を地面に擦り付けてしまうので口の下が擦り切れ血が滲み痛々しい羽田空港では 麻薬犬として活躍するbeagle辺境の地 阿武隈川の岸辺を散歩する遥か遠くには残雪の那須連山が青空に浮かぶ [続きを読む]
  • 食べることの意味 5
  • O・ヘンリー『最後の一葉』から食べることの意味を考える 21頁余りにわたって『最後の一葉』のあらすじを紹介したのは、肺炎を患い生きる意欲を失せたジョンジーは、少しのスープでも飲むことを拒み、「最後の一葉」が落ちたら私も死んで行くのだわ、と死ぬことだけを考えていた。しかし、「最後の一葉」は叩きつけるような雨と激しい突風にも耐え抜き落ちずにあった、「最後の一葉」は、私に教えてくれた。死を願うなんて、悪 [続きを読む]
  • 食べることの意味 4
  • O・ヘンリー『最後の一葉』から食べることの意味を考える1905年に執筆されたO・ヘンリーの短編小説の一つである『最後の一葉』を最初に読んだのは、高校1年のときであった。「現代国語」の教科書で目にしたが、そのときは単なる字面でしかなかった。介護の世界に身を置くようになってから、初めて文学の素晴らしさに気づかされた。ところで、O・ヘンリーの短編小説『最後の一葉』と“食べる”がどのような関わりを持ってい [続きを読む]
  • 食べることの意味 3
  • 「もう食べたくない」其の弐 ウメさんは、摂食・嚥下障害は「問題なく」、口から食べれたのに、「一口摂取すると吐き気を起こしていたのはなぜか」「食べられるのに食べなかったのはなぜか」。60数年以上も人生を歩んできた伴侶であった夫が他界後、離れの家で彼女なりに独居生活を楽しんできたが、連日の暑さから日常生活動作(ADL)と体力低下により、歩けなくなり寝たきりとなってしまった。「要介護4」というありがたく [続きを読む]
  • 食べることの意味 2
  • 「もう食べたくない」其の壱家の窓からは那須連山が眺め、近くには阿武隈川が流れる地に、塩田ウメさんは(仮名 88歳 要介護4)嫁いできた。彼女は夫ともに南陸奥の大地で畑を耕し、子牛とともに人生を歩んできた。ウメさんは梅雨が明けるまでは、自分でご飯を炊き食欲も旺盛であった。三度の食事の他に、好物の果物や饅頭も摂っておられた。壁をつたいながらもトイレで用を足していた。しかし、ひまわりの季節になると暑い日が [続きを読む]
  • 食べることの意味 1
  • 連載 『食べることの意味』まえがき人間は「食べるために生きるのか」、それとも「生きるために食べるのか」、とふと考えるときがある。平成元年から今日まで、多くの老人と出会い、そしてかかわりあってきた。そのなかで様々な生き様、生死に遭遇し、わかったことは、「食べるために」「生きるために」の何れでもある気がしてならない。人間にとって、「食べること」はさまざまな意味をもつことも確かである。私的なことになる [続きを読む]
  • *いぶし銀の輝き  星 光輝
  • 暫くぶりのブログ再々登場となり長らく休んでいました。その間ブログを閲覧して頂いた方もおられこのまま開店休業では申し訳ないと思い再び始めることを決意しました。人生は一回限りであり無限ではなく有限であるだけに一時間 一分 を大切にしなければと過去を悔やんでも過ぎた時間をどうすることもできないまだ有る時間をどう使って行くのかそのことを考え願い事を実現するために一瞬 一瞬の積重ね大切にし行動を起こす以外に [続きを読む]
  • 老いの風景 第16話 森鴎外『高瀬舟』と安楽死1
  • 『高瀬舟』と安楽死自分に置き換えて考えてみる 医療技術の進歩により生や死が置き去りにされ「客体化」されがちな今こそ、森鴎外の『高瀬舟』を通し、安楽死について考えていきたい。介護の現場において、意識障害を有した「植物状態」にある高齢者に臨んだとき、(「植物状態」という表現が適切であるかどうか、検討の余地があるが、ここではふれない)生死や生きることの意味をどう感じ、介護を為していくのか、『高瀬舟』か [続きを読む]
  • 老いの風景 第15話 人生の短さと老人介護4
  • “人 生 の 短 さ” と 老 人 介 護 に つ い てセネカ著、茂手木元蔵訳『人生の短さについて』岩波文庫(4)27年間老人介護に関わりしみじみ感じたことは、“生(お)い方は老い方である”。駄洒落に聞こえたかもしれないが、どのように生きてきたかで、その人の老い方が決まる。セネカが言うように 老年になってから慌てても遅いのである。日々、老人から 「生きることを生涯かけて学ぶ」こ [続きを読む]
  • 老いの風景 第14話 人生の短さと老人介護3
  • 人 生 の 短 さ” と 老 人 介 護 に つ い てセネカ著、茂手木元蔵訳『人生の短さについて』岩波文庫(3)砂時計の如く老人に残された時間はわずかである。認知症というハンディキャップを抱えながらも、「いま(現在)」という時間を必死に生きておられる老人の後姿から、わたしたち介護者は 時間の大切さを学ばなければならない。介護を通し老人とのかかわりのなかで、ある時、ある所で、あなたがある感動を受 [続きを読む]
  • 老いの風景 第13話 人生の短さと老人介護2
  • “人 生 の 短 さ” と 老 人 介 護 に つ い てセネカ著、茂手木元蔵訳『人生の短さについて』岩波文庫(2)「大部分の人間たちは死すべき身でありながら、・・・(略)・・・われわれが短い一生に生まれついているうえ、われわれに与えられたこの短い期間でさえも速やかに急いで走り去ってしまう」の書き出しで、『人生の短さについて』が始まる(9頁)。「われわれは短い人生を受けているのではなく、 [続きを読む]
  • 老いの風景 第11話 人生の短さと老人介護
  • “人 生 の 短 さ” と 老 人 介 護 セネカ著、茂手木元蔵訳『人生の短さについて』岩波文庫(1)哲学者ハイデガーは、「今此処に生きている」自分とは一体何者なのか。生きているかどうか意識しようが意識しまいが、自分はこうしていま「存在」している事実は否定することができない。その「存在」は、“いま(現在)”という「時間」に在る。ハイデガーは「存在」と「時間」という二つのキーワー [続きを読む]