まほろばの泉 さん プロフィール

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まほろばの泉さん: まほろばの泉
ハンドル名まほろばの泉 さん
ブログタイトルまほろばの泉
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/greendoor-t
サイト紹介文亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供115回 / 365日(平均2.2回/週) - 参加 2015/01/13 11:39

まほろばの泉 さんのブログ記事

  • 天下り「前官礼遇」安倍君の眼を外に向けろと釜炊きは言う 14 6/2 再
  • 逗子の海維新期の有司専制がお飾りの議会を作ったが、戦後民主主義といえどその維新期の有司(官僚)が首を引っ込めたり出したりしながらバチルスのように繁殖している。まだ維新期の元老を輔弼として天皇権威に繋がってしていたころは、いくらか国家意識はあった。 なによりも混乱期の苦労人がいたせいか下座観もあった。戦後は始末の悪いことに戦前制度は悪と断罪したかのような教育によって、短絡的かつ合理的とも思える基準に [続きを読む]
  • 人間考学  ある任侠の逍遥備忘として
  • 「逍遥」自由で気ままな,何ら束縛されない. 平成26年5月 憚りながら一言、つれづれ心に思っていることを述べる 齢七十五になったが、いまだ童心のごとく、あの郷里の山野を駆け巡った初心(ウブ)な心が甦る。くわえて、世間を四角四面に渡る人生となった滑稽さをも感ずるのである。 家庭も顧みず、律義で人の世話焼きに没頭していた厳しい親父、それを文句も言わず黙々と随う母の姿に、不埒にも面白くない人生だと東京で放蕩し [続きを読む]
  • 我国の宰相は「掃除大臣」たるべし 2008 10/8 再
  • 悪戯な標題ではない。今を見て臨機に為すべきものを知らなければ「政外」(政治のピントが外れる)こと疑いなし。 ゛掃除゛は掃き、除くことである。それは倹約につながり無駄を省くことにもなる。歴史に尋ねれば、このような姿が国家、社会、民衆に現れたら、先ずこれに取り掛かるのが権力者の任だった。 干支では「戌」の期に当てはまる。草冠をつけると茂るとなるが、同じ「繁」とは異なり、植栽をしない為に風通しが悪くなり樹 [続きを読む]
  • 「謝ったら過ちを認めたことになる」と、ここから人は劣化した
  • 児玉神社 国会でも弁護士出身者の詭弁によって混迷の度を深くしているが、弁護士資格を持った議員同士の騒論は醜い争いとして議会のみならず、日本人そのものの劣化の象徴例として政治を暗澹としたものにしている。 異文化かぶれは別として日本人には「謝ったら過ちを認めたことになる」との反応はなかった。たしか筆者が生意気盛りだった頃の昭和30年代に口の達者な連中が広げたことだが、銅臭を察知して三百代言と揶揄された [続きを読む]
  • 安倍くん 宰相は、慌てず、競わず、怯まず
  •            現代の大塩平八郎は、 いずこに政治の「政」は、正を行う意だが、一に止まる(正)、「してはならないこと」、ことと、「これだけは行わなくてはならない」ことの矜持と決断を表している。それには下座観と時節の俯瞰が必要だが、その思考の座標は沈着冷静を以て行うべきだろう。 標記は、総てが沈着冷静を本とする「多不」だ。急がず、阿(おもね)ず、妬まず、など色々だが、要は不完全なる故の「自省」 [続きを読む]
  • 贅沢をするものに憧れ近づき、妬み、そして不幸を待ち望む
  •                              極東軍事裁判 ラダ・ビノード・バル判事の椅子                 標題は、ロシュフーコのいう自己愛の観察の類なのだろうが、どうも、そもそも人間は・・、との問いに頓首せざるを得ない。まだ頭を傾げる姿ならまだしも、悲しいかなおおよそは当てはまる心の深層だろう。筆者もその風はあるのだろうと、内心を探ってみた。当てはまる現象を [続きを読む]
  • 生活の為の、゛食い扶持゛
  • 前三篇の「田母神インテリジス・・」については、筆者の備忘録を騒擾とした世情に当てはめたものだが臨場感あふれる実行者のオーラルヒストリーや外地の未公開資料の表層を記した。 それさえも難解なものであろう。とくに偏って刷り込まれた知識ならず基礎的観察座標は多くの歴史的観察を惑わしている。しかも時を経て其の都度書き直しの愚を起している。 とは申せ「それがどうした・・」という見方もある。 実利を追求してい [続きを読む]
  • 天岩戸を開ける勇 「陛下なら解っていただける」
  • 日本の近代化は明治の王政復古を掲げた維新だと教えられた それは徳川幕閣の経国能力の適応に疑問を持った薩長をはじめとする雄藩が立ち上がったと歴史に記されているが、彼らとて名目や大義をつくろっても下心を隠すほどの効果もなく、京都に坐す「玉」と彼らが称していた天皇を推戴して王政の復古を掲げて倒幕をした。 それが彼らの身分や利権にどのような影響を与えたかは研究者に委ねるところだが、民衆からすれば推して知る [続きを読む]
  •  《四患は五寒にすすむ》 宰相の選択と覚悟
  • 以前、当ブログで「面妖と音声と眸」と題して以下のような記述をした。 たしかオバマ米国大統領就任に当たってもそのようなことを記した。 それは「音声」と「眸」についてだった。 《指導者の面妖、音声、眸、そのバランスの如何で表層の世の中は変動するが、とくに救世主のように登場したなら尚更のこと、錯覚しかねない表層だ。此の期では今こそ深層の国力を観る機会だろう。 ただ、「人が人でなく、なんで国家が国家として [続きを読む]
  • 生徒はお客さんなので・・・ 12 9/12 再
  • 日本農士学校 ある名古屋の大学講義に行った折、粗雑な態度をした生徒に注意したところ、表記の言葉で制された。 たしかに需要と供給を成立させる対価として授業料があるとすればそうだが、筆者はどこに行っても対価は受領しない。法人組織のしきたりだとしても、一旦は預かって生徒同士の交歓費用(コンパも可)もしくは、後日相応の関係書籍なり資料を送付することにしている。 だからという訳ではないが、生徒に叱るまでもな [続きを読む]
  • 外来の学を眺める
  •               木鶏倶楽部 筆者依頼講義「潜在するものを観る」より 《ある日の応答です・・・》  漢学(唐学)や洋学にある知識、技術が、我国の文化に影響しあい、固有の文化を向上させたり、あるいは劣化させたりしながら歴史の事跡を積み重ねてきた。  しかし、その外来するものに影響されたとしても、成文化無き情緒や、民族的直感から導かれるセキュリティー、つまり五感にある潜在した能力を、自然界 [続きを読む]
  • 官吏の懐疑的対応
  •                面前権力には税と治安があるが、成文にある法をもとに普遍的対応をしているという。それも、生身の人間が執行することだが、こと運用においてはどこか懐疑的、恣意的な印象がある。それは経営的行政の歌い文句の基となる数値的評価に何の問題意識もなく踊る官吏の姿だ。しかも課題を提示されると、課題の内容を吟味することなく、唯一の世界のように数値成果に邁進する牧民官となり、唯、国民は [続きを読む]
  • デモ・クレージーと人物を得ない議会
  • ある日のこと白山の自宅書斎で碩学は紫煙をくゆらせて呟いた。「デモクラシー変じてデモ・クレージーになると人物二流でしか議員になれない」古典(昔の格言や栄枯盛衰の逸話)を活学することによって世の中の表れる関係性が幾らか解かるようになるが、単なる知った、覚えた類の数値評価や選別では本質は見えない。もともと人が群れあう [続きを読む]
  • 可愛い女傑たち
  • 俗人は「贅沢をするものに憧れ近づき、妬み、そして不幸を待ち望む」という。しょせんロシュフーコのいう自己愛の観察なのだろうが、どうも、そもそも人間は・・・との問いに頓首せざるを得ない。まだ頭を傾げる姿ならまだしも、おおよそは当てはまる心の深層だろう。まして逆に考えれば [続きを読む]
  • 朋友のリンク  郷学研修会のお知らせ
  •           郷学熱海研修会  安岡正明講頭我が家からテレビを放逐して数年経つが、不思議がった方々のほかに疑念を持った人がいた。あのNHKである。アンテナの線は切断、PCは自宅にはない。そんな環境でも何度も来訪した。音のするものもない中で茶をすすり、新聞二紙を読む。読むといっても産経と東京の二紙は観照したり思索するにはホドが良い資料だ。いつごろからか新興宗教の日刊紙が投函されているが、こ [続きを読む]
  • 東条英機と積善の宿   08 4/11再
  • 上毛の湯宿は伊香保、草津など全国的に名高いものが多い。その中でも湯治で名高い上野ノ国 四万温泉には古くからの旅館が軒を並べ、今でも都心からの湯治客を多く招いている。 病気の回復治療や、近在の軽井沢より以前に拓けた避暑地として、政経人、文士などが、清流や川面を渡る風によせて一刻の思索と風雅を愉しんでいた。 病は気からというが、地中の陰気を含留する温泉と地上の陽気が、山間に寄り添う大小の木々の間をわた [続きを読む]
  • 日本および日本人を変えた頃
  •                      岩木山以下は行政機関の現業組織における幹部候補に行った知友の講話の標題と資料の抜粋です気が利いて率先垂範する・・・・、官民問わずみなそんな人間を渇望しながら苦労しているそんな人間に関する処方箋は官製のカリキュラムにはない。あろうはずはない。そのような人間をつくるためだったかのような教育制度や国の構成が明治初頭につくられたのだ。社会の患いの多くは人間によ [続きを読む]
  • 台湾民主主義 消費者から見た日本ブランドの偽装問題  15 4 改題
  • 子供たちは幼稚園から常に手を洗うことを習慣としている。日本以上に健康生活には敏感である。 台北市 中山記念小学校 先日、台湾外交部関係の高官と食事を共にしながら懇談した。 それは青森県平川市で行われた台湾シンポジューム招請の返礼の意もあった。 場所は都内のホテル内の飯店、円席を共にしたのが某高官と秘書官である。 その高官は我が国のキャリア官吏の様子とは異なり、外交官らしく直感と俯瞰力に優れた人物であ [続きを読む]
  • 寳田教学  生徒を好きで楽しくなること 15  4/17再
  • 「本立って道 生ず」と記すが、その「本(もと)」とは知識(情報ほか)や技術を習得する前提として学ぶべきものとの認識だ。 その学びとは、習慣化なり肉体的にも浸透されることでもある。その前提がないと、せっかくの知識や技術があらぬ方向に進むことを危惧するのだ。 つまり、価値観や観察における錯(さく)にあるような錯誤、錯覚による成功価値や人物の見方なりを、《枝葉末節でなく根本的》、《一面的でなく多面的》、《現世 [続きを読む]
  • 伊藤博文を中国の宰相に・・・    8 5/17 再
  • もちろん清朝を支配していた満州族の言葉ではない。いくら列強が北京に集結し陣取り合戦をしていたとしても西太后には無い仰天の発想である。  孫文は「満州族を万里の長城以北に追い払い漢民族の回復を図る」その民族的意志の行動が辛亥革命であった。  また「満州は日本の手でパラダイスを築いて欲しい。でもシャッポは中国人。そしてロシアの南下を防いで欲しい」と東京駅の喫煙室で桂太郎に伝えている。  袁世凱に出し [続きを読む]
  • トランプ的経国は如何   露呈した地方の腐敗に創生はない
  • 多くの既得権者の神輿には乗らない、かつ遅いものに合わせる艦隊行動でもないが、龍馬も「世の中をセンタクする」と言っていたが、当時の志士は無頼で反動的人物と世間では映っていた。どこか時節感はある人物だ。以下は、全ての対象についてではないだろうが、国民の多くはその様に感じているのではないだろうか・・・・一昨年、警視庁捜査二課の立件はゼロだった。元総監鎌倉氏は「警視庁はサンズイ(汚職)は取れなくなった」と嘆 [続きを読む]
  • 《辺地の郷学》 弘前 07 10/13 再
  • 弘前城址公園   著述家、司馬遼太郎はコラム「風塵抄」でこう述べている。  “明治20年代になって、このまま欧化がすすめば日本も日本人そのものまでなくなってしまう、というあたらしい危機感がおこった。国民文化を中心に自己を再構築せよ、という運動だった。 むろん国粋主義でも右傾化でもなかった。運動を始めた人達には、西洋の学問を十分やった陸羯南(クガ・カツナン)のような人が多かった。 羯南は明治期を通じても [続きを読む]
  • 税と警察の姿で国民の信を得ることができる   14  1/20再
  • 岩木神社 標記は漢学者の安岡正篤氏の呻吟でもある。 くわえて子息正明氏もその経歴にある税務大学校長の経験から父の言をなぞっている。 筆者も一方は自宅書斎で、正明氏からは小会(郷学研修会)で同様な社会観察、歴史考察から同様な憂慮を聴いた。 当時、安岡氏の周囲には多くの集いがあった。 何を意図しているかわからない経済人、政界関係者、あるいは人脈の必要性を「あの人を知っている」類の集まりを募って仮想、偽装の弟 [続きを読む]
  • 贅沢をするものに憧れ近づき、妬み、そして不幸を待ち望む
  • しょせんラ・ロシュフーコのいう自己愛の観察なのだろうが、どうも、そもそも人間は・・・との問いに頓首せざるを得ない。まだ頭を傾げる姿ならまだしも、おおよそは当てはまる心の深層だろう。ちなみに、「我々は、どちらかといえば幸福になるためよりも、幸福だと人に思わせるために四苦八苦しているようである」ともある。、当てはまる現象を各々取り上げることも野暮な想索だが、標記を逆に考えれば、己が幸せの羨望を集 [続きを読む]