まほろばの泉 さん プロフィール

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まほろばの泉さん: まほろばの泉
ハンドル名まほろばの泉 さん
ブログタイトルまほろばの泉
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/greendoor-t
サイト紹介文亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供109回 / 365日(平均2.1回/週) - 参加 2015/01/13 11:39

まほろばの泉 さんのブログ記事

  • 智将と勇敢な兵士がいたあの頃   2012  10 再  
  • 政治も経済も上官、上司とよばれる立場がある。 いずれにも準拠する法なり掟もあるが、「人を治める」ことが肝要となる。 民主だ自由だ平等だといわれると上が下を治めることなど、口がさけても云えぬ雰囲気だが、単に職掌の位置を表す官の褒章、民の役職だけでは人がついてこない。しかも統制され「人を治める」など明治以降の官制学校カリキュラムにはない。 当時は、゛西洋かぶれ゛が甚だしく、国の根幹である教育までフラン [続きを読む]
  •  精 二  10. 5/5再
  •    毎週土曜日に改造バイク(リヤカー付き)に楽器を積んで遊びに来ていた頃 平岡精二を知っているだろうか。 戦後ジャズの草分けで、平岡精二とジャズクインテットというジャズバンドで一世を風靡したジャズプレーヤーである。 私生活は、その特異な性格とあいまってオブラートに包まれている。 映像用語で言えば実像に紗が掛かっているような人物で、業界でも『変っているヤツ』と影口をいわれるようなところがあった。 も [続きを読む]
  • このようにして君たちを誘う 2011 9 再
  • 弾も飛ばない、いわんや武力もない。ただ愚かにすればいいだけだ それには先ず個性を謳い自由を与え、権利を謳い民主を与え、全てを数値に置き換える そのもっともらしい数値を合理として、教育、経済、政治にあてはめる。 数値に追いかけられ、数値を求め、数値によって人々に優劣に刻印を押す 皆、遅れてはならないと誘いに乗った 我々にとって成功は目の前だ   いつだったか青い目の悪戯っ子が耳元で囁 [続きを読む]
  • 人物を「見る眼」と「観る直感」の大いなる違い 13 1/11あの頃
  • よく女房をみても男はわからない。゛連れている女(いろ)をみれば器量も分かる゛と、浮俗ではいう。家庭内の切り廻しをする妻に対しては恐縮だが、でき、不出来のことを指しているのではない。連れ歩く男の、人を視る眼と己の「分」が判っているのかを問うているのだ。 派手好みで行儀が悪く、みだらな欲を亢進する女を連れていては、男の行く末もわかる。よく挨拶もできなく立場もわきまえないような女を公式な場面に連れ回し [続きを読む]
  • 人間考学 男は悲哀をかこう時の態度が勝負だ 2011/5あの頃
  •                     横浜市金沢区 称名寺 任は永遠に続くものではない。 まさに菅政権は軽薄な罵詈雑言に打たれ難渋している。 早い、遅い、言い方が悪い、態度がなっていない、そもそも政治家を志すものには的外れな駄論だ。虚偽、迎合、強圧、それは政治の倣いだと判っていても言わなければ損、書かなければ無能、つまり共に政治の舞台を食い扶持にしている寄生虫の騒動のように国民はみている。 以前、 [続きを読む]
  • 再読を請う  宰相に観る「四患」と「任怨分謗」
  •          満州新京での家族 提供 佐藤慎一郎氏 [以下、落ち着きのない画像展開ですが意味あるものとして] 《国家に四患あり》偽、私、放、奢 (荀悦) 「偽」他人や自ずからの良心を偽る      逆は「正」 「私」公(パブリック)が無く、私(プライベート)心のみになる    逆は「公(おおやけ)」 例 「天下為公」孫文 「放」心が放たれて混乱する。自身を制御できない。    逆は「自省、自制」 放埓の [続きを読む]
  • 宰相として為すべき学問の特殊性 其の一   2009 7/19再 
  •     「名山の元に名士在り」と謳われた岩木山 (陸(クガ)かつ南)作 【再度の総理だが、当時に戻って考えてみたい】 平成19年8月27日  安倍総理は参議院選挙惨敗後、早々と続投宣言をおこない、明日新しい内閣の布陣を発表するという。 独り鎮考するというが、以前と同様つねに被写体フレームに顔を出す家族ぐるみで飲み仲間の官房副長官の進言があると思われる。なぜなら官房副長官の選挙区では当初の組閣で安倍さんか [続きを読む]
  • 石原慎太郎さんへ ゛日本人とは゛  09 9(再)
  •                 東京市長 後藤新平 2009年に石原慎太郎氏のことを書いた。都政に無関心でも人は慎太郎さんに期待していた。その後を見れば、あの浮かれ調子が猪瀬.舛添を生んだ。あの時、筆者は天邪鬼とか変わり者と嗤われた。公人としての見方を再度、振り返ることを提言したい。゛日本よ゛とは 産業経済新聞、略して産経新聞の月曜日の一面は著述業を生業として、一方東京都知事として衆目を集め [続きを読む]
  • 「女厲(じょれい)」  女性が派手で烈しくなる現象 10 6/9再
  • あの豊田議員だけではない・・・・・平和と平等と人権を、ときにファショのように操る女性が増えてきた。かよわき男は阿諛迎合して易しく同調する。草食系といわれるオトコが多くなったというが、゛易しい゛オトコが殖え、゛優しい゛オトコが男を発揮できなくなったと聞く。 また男がおとなしくなったというが、理解しがたい女性を呆然と眺めているのである、と聞く。  女偏のつく文字のおびただしい数は、それだけ重要な [続きを読む]
  • 観人則からみた宰相の器量 【Ⅲ】 再編  8 10/26再
  • 《小人の学は利にすすむ》 小者の勉強は、金やそれを生む地位を獲得するために向かう しかし《利は智を昏からしむ》昏(暗くなる、愚かになる) 利のためにする学問はいずれ社会や本人の人生を衰亡させる 以下本文、そのⅢ 日露戦争における山本権兵衛の東郷平八郎起用など人物識見に加え、運と人相などの測り方は、砲弾の飛び交うデッキで愚鈍と思われるような沈着さと、切れ者秋山真之のコンビによる現場任せの肝識によるもので [続きを読む]
  • 観人則からみた宰相の器量 【II】   8 10/25 再
  • 安倍一次内閣の頃のこと・・・・ 《小人、利に集い 利薄ければ散ず》 議員の中でも小者とおもわれるものは、力の有りそうなところにへばり付き地位や名誉、はたまた利権を吸い取る。一応理由付けはするが、力が無くなる、いやその前にその兆候が出ると「旅支度」を始める。平成の御世、参議院選の前にその兆候はある。とくに側近にその姿がある。 以下本文、その? 此処でいう観人則は、人の何を有効とみるか、あるいは老子の [続きを読む]
  • 観人則からみた宰相の器量 【Ⅰ】  8 10/23再
  • 安倍一次政権のころ・・・ 浮俗をにぎわし、かつ煩わせる鎮まりのない争論について、四編に分けて駄論を弄したい。 謂わんとすることは《観人則》である。 近頃、腰の落ち着きが無く、つまり沈着冷静に国家、社会の行く末や社会の実像に身を浸して吐息を聴く政治家が乏しくなったきた。 とくに鎮座独想(心を落ち着けて、独り考察)すべき宰相(総理大臣)の姿と、国民側の見方について、くわえて宰相の閣僚任命に際しての人物観の [続きを読む]
  • 安倍君に比す、面妖と音声と眸
  •                             山田良政 いかがわしい人相学とかいう「詐学」の類ではない。 実利として人物を「瞬観」することは、通常行なわれる様々な人を察する作業を省くことにもなり、はたまた煩雑な要らぬ情報や、人格とは相容れない附属性価値に翻弄されて、矢鱈に他を整理箱のごとく割り振りする愚から放たれると考えるからである。 「実利」それは浮俗観念にある財利や名位ではなく、利 [続きを読む]
  • 文教利権 得意な分野で緩み挫折すること
  • このところ国会の争論は教育行政の緩みに集中している。あの頃はみな純真だった。嘘や隠し事は恥だと教えられ、国家社会のために理想を掲げて政治家や官吏に志願した。それが煩いごとが露呈した途端、鬱になったり躁になったり、鎮まりもない人間に成り下がっている。「智は大偽を生ず」のたとえあり。彼らの学びは自己の陶冶には向かず、己を欺き、他に偽善を働くための智になってしまった。他の貪官や陣笠は解っていても口 [続きを読む]
  • 「人間考学」より 自己憲章のすすめ (再掲載)10/6
  • 「歴史は人から人への精神の流れ」東京工大 芳賀教授 産経正論欄より 「人間考学」 たかだか人間の問題である。 また、そう考えることが此処でいう「人間考学」の端緒でもある 聴き慣れないことだろうが筆者の奨めである。 とくに「伸ばす」「省く」を目標として掲げ習慣化することへの薦めである。 たとえば理想とすべき人物の座右を借用するもよし、感度とオンが馴染むと造語するもよし、それを自己流に、しかも能 [続きを読む]
  • 籠池・加計騒動  私人だとか公人だとか騒がしいが
  • まさに議員たる公人が騒がしくも争っているが、どちらでも張り付け膏薬のごとく、どこにでも姿を変える論争だ。与野党問わず役人や弁護士あがりが多くなったせいか、まさに「智は大偽を生ず」ごとく、狡知を駆使して権力なり大向こうの大衆を屏風にして、しかも手前勝手な便法を使い言い争っている。「智は大偽を生ず」とは、「智」でなく単なる知った、覚えた [続きを読む]
  • (財)国際平和協会・・?
  • 今こそ憎悪を乗り越える時代/ 世界連邦運動の系譜を振り返って user-pic 伴 武澄 (2014年12月 9日 21:13)  国際平和協会との出会いは2001年12月だった。東京・元赤坂にある財団事務所を訪れ、戸棚にあった機関誌「世界国家」を読み始めたことがきっかけだった。賀川豊彦という希有の日本人の存在を知り、10年以上にわたり賀川研究が続いている。国際平和協会とその分身である世界連邦運動協会について一考を記したい。 [続きを読む]
  • 上皇様 台湾へお越しください。
  •             元号平成は来年の12月に改元されると報道があった。今上天皇は「上皇」と尊称される。ときに時間軸を遠望すると、国家は断交や回復などを歴史上の様々な事情によって繰り返している。思想や経済などの形態によって、付いたり離れたりと離合集散するが、国の事情など何のその、人々は国境を越え、言語や由来にある異なる民族がそれぞれが各種の交わりをおこなっている。その交わりとは、経済利交 [続きを読む]
  • あの日、憲法前文を撰す     2007年12 稿 再掲載
  • 世情が騒がしい 昔は鎮護の国といった。鎮は「しずまり」あるいは、人の逝去を「鎮す」といった。 騒ぐことと,鎮まることは、考えることでも結論が逆になることがある。 そんなことを沈考すると、大船の行き先が見えてきた。 畏まって記した。                四方蒼海の鎮まりに在る我国の美風は、国家創立の礎として顕示されている古 代律令にある矩を範として、人間の尊厳を祈護する心を継承したもの [続きを読む]
  • この有様は「五寒」の政外、内外の表れである  10   9 月  再
  • 平成29年、現下の情況は五寒にある「謀弛」、政治のユルミであり、隠していることが漏れる現象である。また、政府を取り巻く諮問会議など、都度に国会の審議を得ることもなく、為政者にフリーハンドを与えたシステムではある。だか、邪な意図をもった為政者なり側近が運用すると恣意的(思いのまま)に政策が遂行されてしまう。つまり、官邸と一部の迎合官僚と業者の関係のみで国会のチェックもない。面倒な争論を省き改革するに [続きを読む]
  • 彼らの低俗で卑しい手段と態度 11.11再
  •    「なでしこ」   関係サイトより転載 よく政治家が庶民に親しむと称して記者を引き連れ居酒屋談義をする。 似たようなことだが、台風や震災などにみまわれた災害地に現地視察と称して真新しい作業着を羽織って、行列を組んでいる。 作業着が慣れないせいか、生地がなじんでなく恰好悪い。着心地良くするには、一度洗濯してから着るのが普通だ。なかには襟を立ててファッションを気取っているが、国会で作業着ファッシ [続きを読む]
  • 安岡家、仏間の書籍 08 10/7
  •         松下政経塾教場茶室  筆者「中庸」を語るH19 先日、安岡家の仏間の書籍の整理をした際、贈呈された出版物があり、一部を残して関係書籍を大量に戴きました。 ご存命なら許可するはずの無い安岡ブランドの出版物も数多ありました。 また、時節柄マニュアル本や表層をなぞるものもありますが、かえって知的直観力を衰えさせるようなものもありました。 「知って教えず、学んで行なわず」そんな人間の粗製 [続きを読む]
  • 平成の終わりに・・・「下々の責は我に還る」 08  12/23 改
  • 今は一世一元となっている元号も以前は一人の天皇で幾度も改元されていた。 それは飢饉や天変地異に際して国家の気風を転換するといった目的でもあるが、「祷り」の問題でもあった。 それは景気回復の祷りではない。                            吉田茂 つまり、゛所有せず゛を旨とする天皇の威の在り様として国の盛衰を「祷り」に託す神託があった。麻生総理の、゛下々゛発言も麻生氏からみたシ [続きを読む]
  • 祖国の響きと 余韻
  • 近頃は聞くことの少ないことばである。 余韻、それは情緒や肉体に浸透したものが響くことでもある。 ときには、喜怒哀楽にある、うち震えて戦慄(わななく)くこともある。 「祖国」それは使い古されたような旧い意味のように感じられるが、この時節、人の心に改めて甦っている。 それは新鮮な余韻として爽やかささえ覚えるときに 理解に届かず、納得さえおぼつかないことも有るはずだ。 よく、「余韻に浸る」という。浸透する響き [続きを読む]
  • ぬるま湯に入る知識人の珍説    13 1/10 再
  • 安岡氏は筆者に説く。宿命感は怠惰につながる、ゆえに立命しなくてはならないと。 京都には立命館という大学校がある。いまどきだから「大学」は説かず、大学校の在籍確認を提供するようだが、商業的大学校の生徒は、゛お客さん゛だ。 その受益者なる生徒はせっせと経営者や教授に俸給を運んで、似て非なる華人の歴史を、゛知った゛゛覚えた゛類の知識を提供されている。知識と言っても知の道理を構成する「識」も曖昧で、なかに [続きを読む]