安土桃太郎 さん プロフィール

  •  
安土桃太郎さん: 廃城にゆく・・
ハンドル名安土桃太郎 さん
ブログタイトル廃城にゆく・・
ブログURLhttp://19760725.blog.fc2.com/
サイト紹介文お城や神社などの放浪記です。特に廃城巡りに力を入れています。
自由文滋賀県彦根市出身。
広島県福山市在住。
城巡りが好きで、2015年より放浪記ブログの作成を決意。

実際に訪れた順にブログを更新するスタイルです。
ブログタイトルは、メインの訪問先を。
サブタイトルにブログで紹介する訪問先を記載しています。
内容は、実際に見た順で現地写真とその説明や個人的見解をおり込みながら、紹介していきます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供0回 / 365日(平均0.0回/週) - 参加 2015/01/22 00:00

安土桃太郎 さんのブログ記事

  • お知らせ
  • いつも当ブログをご観覧いただきありがとうございます。突然ではありますが、当ブログは下記のサイトに引っ越すこととなりました。誠に勝手ではありますが、ご了承ください。http://blog.livedoor.jp/hokuto19760725/引っ越し先でも引き続き当ブログをご観覧いただければ幸いです。安土桃太郎 [続きを読む]
  • 多賀大社にゆく
  • 滋賀県犬上郡にあります多賀大社にやってきました。古くからお多賀さんの名で親しまれる滋賀県第一の大社です。大鳥居をくぐります。典型的な明神形の石鳥居です。多賀大社の境内です。太閤橋です。正式名称は太鼓橋です。天正16年、太閤秀吉公が生母・大政所の病気平癒を同社に依頼した際の1万石によって築造されたたため「太閤橋」と呼ばれるようになったそうです。現在の太閤橋は寛永の大造営によって寛永15年に再築された [続きを読む]
  • 尼崎城へゆく
  • 兵庫県尼崎市にあります尼崎城趾です。当ブログ57城目となる尼崎城は、現在は、城趾公園として整備されています。公園入口付近は、当時の三ノ丸の西北に位置する場所になります。復元された石垣と土塀です。当時の三ノ丸の北側の位置に築かれています。尼崎城は、大物川と庄下川が大阪湾に注ぐデルタ地帯に築かれた城で、尼崎城に直接船が横付けできたことから、海に浮かんだような城であったと言われています。1617年に戸田氏鉄( [続きを読む]
  • 名古屋城にゆく 其の六:西ノ丸
  • 愛知県名古屋市にあります名古屋城です。内濠沿いを天守から歩いてき、西南隅櫓前までやってきました。西南隅櫓です。名古屋城の本丸南西にある西南隅櫓も現存する櫓のひとつです。当時は未申隅櫓(ひつじさるすみやぐら)と呼ばれていました。1921年(大正10年)に石垣とともに崩壊しましたが、宮内省によって修理復旧されました。そのため、鬼瓦などに菊花紋が見られます。奥に見えるのは、東南隅櫓です。正門から入ってすぐ見え [続きを読む]
  • 名古屋城にゆく 其の五:天守石垣
  • 愛知県名古屋市にあります名古屋城です。名古屋城は徳川家康公が豊臣氏に対する最終防衛拠点として天下普請によって築城させた城です。初代城主は徳川義直公で、徳川御三家のひとつである尾張徳川家17代の居城として利用されました。伊勢音頭にも「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」と歌われているように、古くから名古屋のシンボルとして扱われてきました。大天守に上げられた金のシャチホコは築城当初のも [続きを読む]
  • 名古屋城にゆく 其の四:本丸御殿
  • 愛知県名古屋市にあります名古屋城です。天守内部を後にし、本丸御殿を目指したいと思います。御殿の前に天守出口付近にあります不明門です。門の上に土塀が走っている珍しい構造です。こちらも天守同様戦争で焼失されたものを復元しました。二ノ丸から見る不明門です。不明門の本丸側の側にあります御殿椿です。東南隅櫓です。名古屋城本丸の東南隅櫓は現存する隅櫓のひとつで、かつては辰巳隅櫓(たつみすみやぐら)と呼ばれてい [続きを読む]
  • 名古屋城にゆく 其の参:天守内部
  • 愛知県名古屋市にあります名古屋城です。今回は大天守内部を紹介していきます。大天守は、地階から七階まで展示されています。名古屋城の城下町のジオラマです。本丸御殿の模型です。天守の模型です。鯱です。空襲で燃える名古屋城の写真です。名古屋城の天守は創建以来333年間、何度かの震災、大火からも免れ、明治維新後の廃城の危機も切り抜けました。陸軍の中村重遠工兵大佐の働きかけによって姫路城とともに国費によって保存 [続きを読む]
  • 名古屋城にゆく 其の弐:本丸
  • 愛知県名古屋市にあります名古屋城です。前回二ノ丸散策を終え、本丸に向かいます。本丸東南隅櫓です。江戸時代から残る櫓で、重要文化財に指定されています。名古屋城本丸の東南隅櫓は現存する隅櫓のひとつで、かつては辰巳隅櫓(たつみすみやぐら)と呼ばれていました。鬼瓦などに葵の紋が見られます。二ノ丸西側より本丸へ向かいます。しばらく進むと門が見えてきました。本丸東門・旧二ノ丸東ニノ門です。門の前には土橋が架か [続きを読む]
  • 名古屋城にゆく 其の壱:二ノ丸
  • 愛知県名古屋市にあります名古屋城です。地下鉄名城線・市役所駅を降りると早くも名古屋城の絵図が飾ってありました。当ブログ56城目となる名古屋城は、現在は名城公園として整備されています。地下鉄への入り口も櫓風になっており、雰囲気を醸し出してくれています。外濠沿いを歩き、東門を目指します。外濠は、空濠になっています。名古屋城東門の矢印を発見。二ノ丸東二之門跡です。現在、門は残っていません。石垣は右側と左側 [続きを読む]
  • 寺田屋にゆく
  • 京都市にあります寺田屋にやってきました。慶長二年に創業した船宿で、今では史跡博物館と旅館が併用されています。幕末には京都と大阪の移動の船宿であったことから薩摩藩の志士の定宿として利用されていました。幕末の争いの場として、何度も歴史に名を残した寺田屋は今も当時のままの姿を残していました。寺田屋では2つの大きな事件が起きています。ひとつは1862年に起きた、薩摩藩士による同士討ちです。江戸時代末期、薩摩藩 [続きを読む]
  • 再び京都御苑にゆく 其の弐:護王神社〜菅原院天満宮
  • 京都市にあります京都御苑にやってきました。今回は、京都御苑周辺にあります神社を紹介したいと思います。護王神社です。護王神社は京都御所の西側、烏丸通に沿いに鎮座する神社で、平安京の建都に貢献された和気清麻呂(わけのきよまろ)公をお祀りしています。江戸時代末の嘉永4年(1851)、孝明天皇は清麻呂公の歴史的功績を讃えて正一位護王大明神の神階神号を授けられ、明治7年(1874)には「護王神社」と改称して別格官幣 [続きを読む]
  • 再び京都御苑にゆく 其の壱:禁門の変巡り
  • 京都市にあります京都御苑です。前回、当ブログでは二城古城にゆく其の弐で御苑内を紹介しましたが、今回は、前回に時間の都合で散策できなかった御苑内を紹介したいと思います。今回は幕末に勃発しました禁門の変を中心に紹介していきます。御苑の南側、堺町御門の西から入園します。堺町御門です。和宮降嫁による公武合体政策を推し進める幕府に対して、攘夷派である長州藩らが倒幕を伺っていましたが、これに対して、当時この堺 [続きを読む]
  • 再び丸亀城にゆく
  • 香川県丸亀市にあります丸亀城。今年の春に訪れて以来の再訪になります。今回は前回の訪城で見逃した三ノ丸石垣と前回押し忘れた百名城スタンプを求め天守内部に訪れるのが目的です。長い見返り坂を登ってきました。前回と違うのはここから。坂を登りきり、四十五度右折し、この石垣沿いを歩きます。いつ見ても美しい石垣ですね。少し進みます。ここから見る見返り坂です。石垣を真下から見上げます。ここからの石垣を登っての侵入 [続きを読む]
  • 再び福山城にゆく
  • 広島県福山市にあります福山城。その周辺を自転車でブラブラしてきました。今回は、前回の散策で見落としていた史跡を紹介したいと思います。こちらは福山城惣番所跡です。惣門番所は山陽道から城下への入口、吉津橋の南詰に設置された惣門で、城下への出入りを監視するため番所が置かれました。天下橋筋の北詰あたりにあったそうですが、木綿橋ができたため、1641年頃胡町北詰に移転されたそうです。ちなみに「そうもんばんしょ」 [続きを読む]
  • 本願寺にゆく 其の参:西本願寺
  • 京都市にあります西本願寺にやってきました。西本願寺は、1272年に親鸞の廟堂として京都東山の吉水の地に創建されますが、その後比叡山延暦寺から迫害を受けるなど場所は転々とし、現在地には1591年に豊臣秀吉公のの寄進により大坂天満から移転しました。この西本願寺には、国宝に指定されている建築物が多数あります。順に紹介していきましょう。東本願寺から向かうと西本願寺の総門にたどり着きました。この総門は、現在地までに [続きを読む]
  • 本願寺にゆく 其の弐:東本願寺後編
  • 京都市にあります東本願寺です。御影堂の堂内の散策を終え、境内に戻ります。参拝接待所の前にあります、境内の地図です。こちらは、御影堂の屋根瓦の模型です。原寸大だそうです。左、阿弥陀堂・右御影堂をもう一度見て境内を後にします。御影堂門です。其の壱でも記載しましたが、京都三大門の一つとされています。御影堂門も1911年に再建されました。御影堂もんをくぐり外に出ます。御影堂門から北へ向かう途中にある菊の門です [続きを読む]
  • 本願寺にゆく 其の壱:東本願寺前編
  • 京都市にあります東本願寺にやってきました。京都駅から徒歩7分ほどで到着します。奥に見える門は、御影堂門で、京都三大門の一つです。東本願寺は、浄土真宗「真宗大谷派」の本山で「真宗本廟」といい、御影堂には宗祖・親鸞聖人の御真影を、阿弥陀堂にはご本尊の阿弥陀如来を安置しています。宗祖親鸞聖人の亡き後、聖人を慕う多くの人々によって聖人の墳墓の地に御真影を安置する廟堂が建てられました。これが東本願寺の始まり [続きを読む]
  • 大内氏館跡にゆく 其の弐:大内氏館跡
  • 山口県山口市にあります大内氏館跡です。大内氏館跡は、室町時代には周防の守護職大内氏の居館があったところです。正平15年(1360)頃に大内弘世公が大内御堀からこの地に館を移し、京の街を模して、街造りをしたといわれています。館は現在の龍福寺境内とほぼ一致する100間四方の敷地を堀と土塁で囲んでいたといわれています。大内氏歴代の当主はここで政務をとり、約200年間西日本の政治、経済の中心地になりました。では、龍福 [続きを読む]
  • 大内氏館跡にゆく 其の壱:築山館跡
  • 山口県といえば、戦国時代、毛利氏によって統治されるまでは、大内氏が治め、山口と共に繁栄してきました。今でも山口市内には、大内の名がついた地名が多くあり、改めて大内氏の影響力の強さを感じる事ができます。今回は、大内氏の足跡を辿り、大内氏の館跡を散策したいと思います。最初に向かったのは、山口県山口市にあります築山館跡です。つきやまやかたと呼びます。当ブログ55城目となる築山館跡は、大内教弘公が築いた別邸 [続きを読む]
  • 山口城にゆく
  • 山口県山口市にあります山口城です。当ブログ54城目になる山口城は、現在は山口県庁として形を変え、山口の政務を行っています。県庁の案内図です。当時の遺構として、水堀の一部と薬医門である表門(山口県指定有形文化財)が現存しています。まずは表門です。山口城は萩城に代わる居城として、毛利氏13代・毛利敬親公によって築かれた城です。大内氏の居城であった高嶺城のある一露山の麓に築かれ、幕府に対しては山口屋形として [続きを読む]
  • 2015年登城記録
  • 今回は、2015年最後のブログ更新になります。最後のブログは、総集編的な感じで、2015年に訪れたお城・史跡をまとめてみました。◎2015年訪問済み【北海道地方】?北海道・札幌駅周辺※人生初の北海道でしたが、札幌駅周辺の街の美しさ、初めての人でもわかりやすいしっかりした区画整理、そして食べ物の美味しさ。本当に素敵な街でした。○評価★★★★【中部地方】?愛知県・名古屋城(未)ブログは未掲載ですが、近日公開予定です [続きを読む]
  • 再び神辺城にゆく 其の弐:神辺本陣・廉塾
  • 広島県福山市にあります神辺城趾。その周辺の自転車による散策。前回天別豊姫神社を後にし、神辺本陣を訪れました。神辺本陣とは、江戸時代に西国街道(近世山陽道)の宿駅として栄えていたのが、神辺本陣です。地元の豪商である菅波家(屋号は尾道屋)が本陣としての役割を担ったという神辺宿の西本陣です。内部の見学は曜日が限られていますが、本陣の前には、なまこ壁の町家も数件見られ、江戸時代の街道の雰囲気が感じられます。 [続きを読む]
  • 祝150回 再び神辺城にゆく 其の壱:天別豊姫神社
  • 今回の更新で150回目の記念回になりました。次回200回目指し、お城・史跡めぐりを楽しみたいと思います。今回紹介するのは、広島県福山市にあります神辺城周辺。今年の1月に訪れましたが、その時は、その周辺の散策ができませんでした。今回は、自転車で神辺城周辺の史跡を散策したいと思います。まず最初に訪れたのは、天別豊姫神社です。建武年間(1334年-1338年)朝山景連公が黄葉山に神辺城を築くにあたって当社を城の守護神と [続きを読む]
  • 有岡城にゆく 其の弐:猪名野神社
  • 兵庫県伊丹市にあります有岡城趾です。有岡城跡公園を跡にし、境内に岸の砦跡(北曲輪の跡)などが残る猪名野神社に向かいました。神社の説明板です。参道を進みます。参道の道中に有岡城、岸砦跡の説明板がありました。境内に着きました。境内地図です。拝殿です。せっかくなので、参拝していきましょう。本殿です。岸の砦跡、土塁です。岸の砦とは有岡城の惣構の北端を警護していた砦で、当時の北曲輪にありました。織田信長公に [続きを読む]
  • 有岡城にゆく 其の壱:有岡城跡史跡公園
  • 兵庫県伊丹市にあります有岡城趾です。当ブログ53城目となる有岡城は、JR伊丹駅の目の前にあります。伊丹城は日本最古(1520年築)の天守台を持つ平城で、東西800m、南北1.7kmの広さを誇り、侍町や町人町などの城下町を堀と土塁で囲んだ「日本最古の惣構の城」です。反乱を起こした荒木村重公を説得するために赴いた黒田官兵衛公が、1年間、幽閉された城としても有名です。ちなみに「有岡城」と呼ぶのは荒木村重公が城主であった1 [続きを読む]