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廃城にゆく・・ http://19760725.blog.fc2.com/

お城や神社などの放浪記です。特に廃城巡りに力を入れています。

滋賀県彦根市出身。 広島県福山市在住。 城巡りが好きで、2015年より放浪記ブログの作成を決意。 実際に訪れた順にブログを更新するスタイルです。 ブログタイトルは、メインの訪問先を。 サブタイトルにブログで紹介する訪問先を記載しています。 内容は、実際に見た順で現地写真とその説明や個人的見解をおり込みながら、紹介していきます。

安土桃太郎
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住所
福山市
出身
彦根市
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2015/01/22

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  • お知らせ

    いつも当ブログをご観覧いただきありがとうございます。突然ではありますが、当ブログは下記のサイトに引っ越すこととなりました。誠に勝手ではありますが、ご了承ください。http://blog.livedoor.jp/hokuto19760725/引っ越し先でも引き続き当ブログをご観覧いただければ幸いです。安土桃太郎...

  • 多賀大社にゆく

    滋賀県犬上郡にあります多賀大社にやってきました。古くからお多賀さんの名で親しまれる滋賀県第一の大社です。大鳥居をくぐります。典型的な明神形の石鳥居です。多賀大社の境内です。太閤橋です。正式名称は太鼓橋です。天正16年、太閤秀吉公が生母・大政所の病気平癒を同社に依頼した際の1万石によって築造されたたため「太閤橋」と呼ばれるようになったそうです。現在の太閤橋は寛永の大造営によって寛永15年に再築された...

  • 尼崎城へゆく

    兵庫県尼崎市にあります尼崎城趾です。当ブログ57城目となる尼崎城は、現在は、城趾公園として整備されています。公園入口付近は、当時の三ノ丸の西北に位置する場所になります。復元された石垣と土塀です。当時の三ノ丸の北側の位置に築かれています。尼崎城は、大物川と庄下川が大阪湾に注ぐデルタ地帯に築かれた城で、尼崎城に直接船が横付けできたことから、海に浮かんだような城であったと言われています。1617年に戸田氏鉄(...

  • 名古屋城にゆく  其の六:西ノ丸

    愛知県名古屋市にあります名古屋城です。内濠沿いを天守から歩いてき、西南隅櫓前までやってきました。西南隅櫓です。名古屋城の本丸南西にある西南隅櫓も現存する櫓のひとつです。当時は未申隅櫓(ひつじさるすみやぐら)と呼ばれていました。1921年(大正10年)に石垣とともに崩壊しましたが、宮内省によって修理復旧されました。そのため、鬼瓦などに菊花紋が見られます。奥に見えるのは、東南隅櫓です。正門から入ってすぐ見え...

  • 名古屋城にゆく  其の五:天守石垣

    愛知県名古屋市にあります名古屋城です。名古屋城は徳川家康公が豊臣氏に対する最終防衛拠点として天下普請によって築城させた城です。初代城主は徳川義直公で、徳川御三家のひとつである尾張徳川家17代の居城として利用されました。伊勢音頭にも「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」と歌われているように、古くから名古屋のシンボルとして扱われてきました。大天守に上げられた金のシャチホコは築城当初のも...

  • 名古屋城にゆく  其の四:本丸御殿

    愛知県名古屋市にあります名古屋城です。天守内部を後にし、本丸御殿を目指したいと思います。御殿の前に天守出口付近にあります不明門です。門の上に土塀が走っている珍しい構造です。こちらも天守同様戦争で焼失されたものを復元しました。二ノ丸から見る不明門です。不明門の本丸側の側にあります御殿椿です。東南隅櫓です。名古屋城本丸の東南隅櫓は現存する隅櫓のひとつで、かつては辰巳隅櫓(たつみすみやぐら)と呼ばれてい...

  • 名古屋城にゆく  其の参:天守内部

    愛知県名古屋市にあります名古屋城です。今回は大天守内部を紹介していきます。大天守は、地階から七階まで展示されています。名古屋城の城下町のジオラマです。本丸御殿の模型です。天守の模型です。鯱です。空襲で燃える名古屋城の写真です。名古屋城の天守は創建以来333年間、何度かの震災、大火からも免れ、明治維新後の廃城の危機も切り抜けました。陸軍の中村重遠工兵大佐の働きかけによって姫路城とともに国費によって保存...

  • 名古屋城にゆく  其の弐:本丸

    愛知県名古屋市にあります名古屋城です。前回二ノ丸散策を終え、本丸に向かいます。本丸東南隅櫓です。江戸時代から残る櫓で、重要文化財に指定されています。名古屋城本丸の東南隅櫓は現存する隅櫓のひとつで、かつては辰巳隅櫓(たつみすみやぐら)と呼ばれていました。鬼瓦などに葵の紋が見られます。二ノ丸西側より本丸へ向かいます。しばらく進むと門が見えてきました。本丸東門・旧二ノ丸東ニノ門です。門の前には土橋が架か...

  • 名古屋城にゆく 其の壱:二ノ丸

    愛知県名古屋市にあります名古屋城です。地下鉄名城線・市役所駅を降りると早くも名古屋城の絵図が飾ってありました。当ブログ56城目となる名古屋城は、現在は名城公園として整備されています。地下鉄への入り口も櫓風になっており、雰囲気を醸し出してくれています。外濠沿いを歩き、東門を目指します。外濠は、空濠になっています。名古屋城東門の矢印を発見。二ノ丸東二之門跡です。現在、門は残っていません。石垣は右側と左側...

  • 寺田屋にゆく

    京都市にあります寺田屋にやってきました。慶長二年に創業した船宿で、今では史跡博物館と旅館が併用されています。幕末には京都と大阪の移動の船宿であったことから薩摩藩の志士の定宿として利用されていました。幕末の争いの場として、何度も歴史に名を残した寺田屋は今も当時のままの姿を残していました。寺田屋では2つの大きな事件が起きています。ひとつは1862年に起きた、薩摩藩士による同士討ちです。江戸時代末期、薩摩藩...

  • 再び京都御苑にゆく  其の弐:護王神社~菅原院天満宮

    京都市にあります京都御苑にやってきました。今回は、京都御苑周辺にあります神社を紹介したいと思います。護王神社です。護王神社は京都御所の西側、烏丸通に沿いに鎮座する神社で、平安京の建都に貢献された和気清麻呂(わけのきよまろ)公をお祀りしています。江戸時代末の嘉永4年(1851)、孝明天皇は清麻呂公の歴史的功績を讃えて正一位護王大明神の神階神号を授けられ、明治7年(1874)には「護王神社」と改称して別格官幣...

  • 再び京都御苑にゆく  其の壱:禁門の変巡り

    京都市にあります京都御苑です。前回、当ブログでは二城古城にゆく其の弐で御苑内を紹介しましたが、今回は、前回に時間の都合で散策できなかった御苑内を紹介したいと思います。今回は幕末に勃発しました禁門の変を中心に紹介していきます。御苑の南側、堺町御門の西から入園します。堺町御門です。和宮降嫁による公武合体政策を推し進める幕府に対して、攘夷派である長州藩らが倒幕を伺っていましたが、これに対して、当時この堺...

  • 再び丸亀城にゆく

    香川県丸亀市にあります丸亀城。今年の春に訪れて以来の再訪になります。今回は前回の訪城で見逃した三ノ丸石垣と前回押し忘れた百名城スタンプを求め天守内部に訪れるのが目的です。長い見返り坂を登ってきました。前回と違うのはここから。坂を登りきり、四十五度右折し、この石垣沿いを歩きます。いつ見ても美しい石垣ですね。少し進みます。ここから見る見返り坂です。石垣を真下から見上げます。ここからの石垣を登っての侵入...

  • 再び福山城にゆく

    広島県福山市にあります福山城。その周辺を自転車でブラブラしてきました。今回は、前回の散策で見落としていた史跡を紹介したいと思います。こちらは福山城惣番所跡です。惣門番所は山陽道から城下への入口、吉津橋の南詰に設置された惣門で、城下への出入りを監視するため番所が置かれました。天下橋筋の北詰あたりにあったそうですが、木綿橋ができたため、1641年頃胡町北詰に移転されたそうです。ちなみに「そうもんばんしょ」...

  • 本願寺にゆく  其の参:西本願寺

    京都市にあります西本願寺にやってきました。西本願寺は、1272年に親鸞の廟堂として京都東山の吉水の地に創建されますが、その後比叡山延暦寺から迫害を受けるなど場所は転々とし、現在地には1591年に豊臣秀吉公のの寄進により大坂天満から移転しました。この西本願寺には、国宝に指定されている建築物が多数あります。順に紹介していきましょう。東本願寺から向かうと西本願寺の総門にたどり着きました。この総門は、現在地までに...

  • 本願寺にゆく  其の弐:東本願寺後編

    京都市にあります東本願寺です。御影堂の堂内の散策を終え、境内に戻ります。参拝接待所の前にあります、境内の地図です。こちらは、御影堂の屋根瓦の模型です。原寸大だそうです。左、阿弥陀堂・右御影堂をもう一度見て境内を後にします。御影堂門です。其の壱でも記載しましたが、京都三大門の一つとされています。御影堂門も1911年に再建されました。御影堂もんをくぐり外に出ます。御影堂門から北へ向かう途中にある菊の門です...

  • 本願寺にゆく  其の壱:東本願寺前編

    京都市にあります東本願寺にやってきました。京都駅から徒歩7分ほどで到着します。奥に見える門は、御影堂門で、京都三大門の一つです。東本願寺は、浄土真宗「真宗大谷派」の本山で「真宗本廟」といい、御影堂には宗祖・親鸞聖人の御真影を、阿弥陀堂にはご本尊の阿弥陀如来を安置しています。宗祖親鸞聖人の亡き後、聖人を慕う多くの人々によって聖人の墳墓の地に御真影を安置する廟堂が建てられました。これが東本願寺の始まり...

  • 大内氏館跡にゆく  其の弐:大内氏館跡

    山口県山口市にあります大内氏館跡です。大内氏館跡は、室町時代には周防の守護職大内氏の居館があったところです。正平15年(1360)頃に大内弘世公が大内御堀からこの地に館を移し、京の街を模して、街造りをしたといわれています。館は現在の龍福寺境内とほぼ一致する100間四方の敷地を堀と土塁で囲んでいたといわれています。大内氏歴代の当主はここで政務をとり、約200年間西日本の政治、経済の中心地になりました。では、龍福...

  • 大内氏館跡にゆく  其の壱:築山館跡

    山口県といえば、戦国時代、毛利氏によって統治されるまでは、大内氏が治め、山口と共に繁栄してきました。今でも山口市内には、大内の名がついた地名が多くあり、改めて大内氏の影響力の強さを感じる事ができます。今回は、大内氏の足跡を辿り、大内氏の館跡を散策したいと思います。最初に向かったのは、山口県山口市にあります築山館跡です。つきやまやかたと呼びます。当ブログ55城目となる築山館跡は、大内教弘公が築いた別邸...

  • 山口城にゆく

    山口県山口市にあります山口城です。当ブログ54城目になる山口城は、現在は山口県庁として形を変え、山口の政務を行っています。県庁の案内図です。当時の遺構として、水堀の一部と薬医門である表門(山口県指定有形文化財)が現存しています。まずは表門です。山口城は萩城に代わる居城として、毛利氏13代・毛利敬親公によって築かれた城です。大内氏の居城であった高嶺城のある一露山の麓に築かれ、幕府に対しては山口屋形として...

  • 2015年登城記録

    今回は、2015年最後のブログ更新になります。最後のブログは、総集編的な感じで、2015年に訪れたお城・史跡をまとめてみました。◎2015年訪問済み【北海道地方】•北海道・札幌駅周辺※人生初の北海道でしたが、札幌駅周辺の街の美しさ、初めての人でもわかりやすいしっかりした区画整理、そして食べ物の美味しさ。本当に素敵な街でした。○評価★★★★【中部地方】•愛知県・名古屋城(未)ブログは未掲載ですが、近日公開予定です。今後の...

  • 再び神辺城にゆく  其の弐:神辺本陣・廉塾

    広島県福山市にあります神辺城趾。その周辺の自転車による散策。前回天別豊姫神社を後にし、神辺本陣を訪れました。神辺本陣とは、江戸時代に西国街道(近世山陽道)の宿駅として栄えていたのが、神辺本陣です。地元の豪商である菅波家(屋号は尾道屋)が本陣としての役割を担ったという神辺宿の西本陣です。内部の見学は曜日が限られていますが、本陣の前には、なまこ壁の町家も数件見られ、江戸時代の街道の雰囲気が感じられます。...

  • 祝150回 再び神辺城にゆく  其の壱:天別豊姫神社

    今回の更新で150回目の記念回になりました。次回200回目指し、お城・史跡めぐりを楽しみたいと思います。今回紹介するのは、広島県福山市にあります神辺城周辺。今年の1月に訪れましたが、その時は、その周辺の散策ができませんでした。今回は、自転車で神辺城周辺の史跡を散策したいと思います。まず最初に訪れたのは、天別豊姫神社です。建武年間(1334年-1338年)朝山景連公が黄葉山に神辺城を築くにあたって当社を城の守護神と...

  • 有岡城にゆく  其の弐:猪名野神社

    兵庫県伊丹市にあります有岡城趾です。有岡城跡公園を跡にし、境内に岸の砦跡(北曲輪の跡)などが残る猪名野神社に向かいました。神社の説明板です。参道を進みます。参道の道中に有岡城、岸砦跡の説明板がありました。境内に着きました。境内地図です。拝殿です。せっかくなので、参拝していきましょう。本殿です。岸の砦跡、土塁です。岸の砦とは有岡城の惣構の北端を警護していた砦で、当時の北曲輪にありました。織田信長公に...

  • 有岡城にゆく  其の壱:有岡城跡史跡公園

    兵庫県伊丹市にあります有岡城趾です。当ブログ53城目となる有岡城は、JR伊丹駅の目の前にあります。伊丹城は日本最古(1520年築)の天守台を持つ平城で、東西800m、南北1.7kmの広さを誇り、侍町や町人町などの城下町を堀と土塁で囲んだ「日本最古の惣構の城」です。反乱を起こした荒木村重公を説得するために赴いた黒田官兵衛公が、1年間、幽閉された城としても有名です。ちなみに「有岡城」と呼ぶのは荒木村重公が城主であった1...

  • 再び備中高松城にゆく

    岡山県岡山市にあります備中高松城趾です。当ブログ二回目の登場になる備中高松城は、毛利軍武将清水宗治公の居城として知られ、備中七城のひとつです。羽柴秀吉による日本三大水攻めに数えられる「備中高松城の戦い」の舞台でもあり、この戦いの最中に「本能寺の変」が起きたため、秀吉公はここから有名な「中国の大返し」で近畿に引き返しています。今回は、前回撮り忘れた史跡を見るべく、鬼ノ城散策の後に再訪しました。城攻め...

  • 鬼ノ城にゆく  其の五:南門~鬼の釜

    岡山県総社市にあります鬼ノ城です。最終回の今回は、最後の門、南門を目指します。第三水路です。道中、敷石がありました。進みます。建築物が見えてきました。鬼ノ城南門です。南門から少し進んだ場所にあります高石垣上の曲輪跡です。進みます。石が散乱してあり、歩きやすい面とそうでない面の差が激しいです。第二水門跡です。第一水門跡山を登ります。日差しが眩しくなってきましたので、ゴールは近そうです。西門が見えてき...

  • 鬼ノ城にゆく  其の四:東門~高石垣

    岡山県総社市にあります鬼ノ城です。屏風折れの石垣を堪能した後、先に進みます。第五水門跡です。城壁が谷を渡る場所に、排水のための水門を築いていたそうです。全部で六ケ所の水門がありました。先に進みます。道もかなり険しくなってきます。細い通路沿いに巨石が並んであります。四角な巨石です。加工されたのでしょうか⁇当時はこの巨石の上で見張りをしていたのでしょうか⁇そんなことを考えながら巨石沿いを進みます。途中に...

  • 鬼ノ城にゆく  其の参:北門~屏風折れの石垣

    岡山県総社市にあります鬼ノ城です。西門から礎石建物群跡の散策を終え、西門以外の残りの門に向かって鬼城山の外周を歩きます。しばらく進むと建築物が登場します。ここが鬼ノ城北門です。北門は鬼ノ城の背面(北側)に位置し、裏門にあたります。規模は間口1間(4m)、奥行3間(9.6m)の8本柱で構成されており、門礎には角柱を使用し他の柱は全て丸柱という特異な組み合わせでした。床面の石敷中央には、場内からの流水を排水...

  • 鬼ノ城にゆく  其の弐:角楼~礎石建物群

    岡山県総社市にあります鬼ノ城です。前回西門までたどり着きましたが、今回より鬼ノ城の全貌を明らかにすべく、鬼城山を散策したいと思います。西門をくぐった西に角楼がありますので向かいます。角楼跡です。角楼の上部展望台になっていますが、山間部方面の展望台を兼ねて設計されているため、上面は当時の作りとは異なっています。横方向からの攻撃を意図した防御施設になっています。角楼は周囲の城壁線から飛び出して構築され...

  • 鬼ノ城にゆく  其の壱:西門

    岡山県総社市にあります鬼ノ城趾です。当ブログ52城目になる鬼ノ城は、大和政権により国土防衛のために築かれた古代山城(朝鮮式山城)で、日本でも珍しい神籠石式山城(こうごいししきやましろ)です。神籠石式山城というのは古代の西日本(主に九州北部)に築造された遺跡で、現状『日本書紀』『続日本紀』などの文献資料に記載がなく、遺構でしか存在を確認できない山城のことを指しますが、鬼ノ城も歴史書には一切記されておら...

  • 赤穂城にゆく  其の四:本丸跡

    兵庫県赤穂市にあります赤穂城です。前回二ノ丸・三ノ丸を散策し、いよいよ本丸門にやってきました。赤穂城の本丸門は1992年(平成4年)~1996年(平成8年)にかけて復元されたものです。本丸門の両側に広がる堀です。この本丸門は長方形の内枡形を備え、一の門である櫓門と二の門である高麗門のふたつの門で構成されています。ちなみに外側の高麗門を「一の門」、内側の櫓門を「二の門」と呼ぶケースもあり、全国的に呼称ルールが...

  • 赤穂城にゆく  其の参:三ノ丸・二ノ丸

    兵庫県赤穂市にあります赤穂城跡です。大石神社神社散策終え、今回は二ノ丸跡を散策します。大石神社鳥居から道を挟んで向かいにあるのが、武家屋敷跡公園の広場です。一旦、道を反れ、清水門跡に向かいましょう。少し歩くと長屋門が現れます。武家屋敷公園門です。門は堅く閉じられていますので、グルリと回り込んで、門裏へ。武家屋敷の間取りが平面復元されていました。門裏です。門の向かい側にあります広場が奥野屋敷跡です。...

  • 赤穂城にゆく  其の弐:大石神社

    兵庫県赤穂市にあります赤穂城です。二回目の今回は、大石神社を中心に紹介していきます。大石神社です。大石神社は赤穂城三の丸にあった大石内蔵助と藤井又左衛門の屋敷跡に1912年(大正元年)に建立された神社です。参拝に向かいます。義芳門です。楠正成を祀る神戸の湊川神社の神門を1942年(昭和17年)に移築したもので、明治天皇の思し召しで1872年(明治5年)湊川神社ができたときに建てられた欅材入母屋造四脚門...

  • 赤穂城にゆく 其の壱:赤穂城入城

    兵庫県赤穂市にあります赤穂城です。当ブログ51城目の紹介になる赤穂城は、財団法人日本城郭協会が選んだ日本の百名城の1つでもあります。忠臣蔵で有名な赤穂は、JR赤穂駅にも討ち入りの銅像がありました。赤穂駅から赤穂城までは、八百メートルほどで到着するみたいです。城までの道中にあります義士あんどんです。息継ぎ井戸です。更に直進していくと大手隅櫓が見えてきました。赤穂城の説明板が横断歩道の前に出てきました。大...

  • 大山祗神社にゆく  其の弐:拝殿~国宝館

    愛媛県今治市大三島にあります大山祗神社です。二回目の今回は、神門をくぐり、拝殿で参拝の後、国宝館に向かいます。こちらが、大山祗神社神門です。江戸時代の寛文元年(1661年)に松山藩主・松平定長公から寄進されました。素木造で屋根は切妻造檜皮葺です。 神門右隣に説明板がありました。 神門をくぐった先にあるのが、国の重要文化財にも指定されています大山祗神社拝殿です。元亨2年(1322年)兵火で焼失し、本...

  • 大山祗神社にゆく  其の壱:総門~境内

    愛媛県今治市大三島にあります大山祗神社にやってきました。大山祗神社は、瀬戸内海に浮かぶ大三島西岸、神体山とする鷲ヶ頭山(標高436.5m)西麓に鎮座しています。三島神社や大山祇神社の総本社であり、山の神・海の神・戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めました。大山積神を祀る代表的な神社ということもあり、山神社の総本社とされています。鳥居をくぐり、境内に入ります。鳥居をくぐったすぐ右手に斎田がありまし...

  • 札幌駅周辺にゆく

    北海道札幌市に人生初めてやってきました。もちろん仕事ですが。。。城巡りからは離れますが、せっかくですので、札幌駅周辺を散策してみたいと思います。まず最初にやってきましたのは、札幌時計台です。三角屋根の上に大時計を載せた特徴的な外観の建築物で、計画者は札幌農学校2代目教頭であったウィリアム・ホイーラーです。北海道開拓使工業局による設計・監督のもと建造されたバルーンフレーム構造の木造2階建(時計部分の塔...

  • 再び大坂城にゆく 其の弐:大坂城本丸跡

    大阪市にあります大坂城です。今回は、南仕切り門跡より奥に進んでいきます。仕切り門跡を越えたところが、石山本願寺推定地でした。石山本願寺は、明応五年(一四九六)に、本願寺八世蓮如が生玉庄の大坂に大坂坊舎を建立したと云われています。天文元年(一五三二)に六角定頼公と法華宗徒により山科本願寺が焼き打ちされるに及んで、本願寺教団の本拠である石山本願寺に発展します。石山本願寺周辺は、山科と同様に広大な寺内町...

  • 再び大坂城にゆく 其の壱:大手門~南仕切り門跡

    大阪府大阪市にあります大坂城です。当ブログ記念すべき50城目となる大坂城は、半年ぶり2度目の登場になります。※あえてブログ城ナンバーにカウントすることにしました。今回は、前回見ることができなかった箇所を中心に散策しました。前回は、JR環状線から向かいましたが、今回は、地下鉄で向かいます。途中大坂東町奉行所趾の石碑がありました。大坂東町奉行所は、江戸幕府が大坂に設置した遠国奉行の1つで、東西に設置されてい...

  • 正戸山城にゆく

    広島県福山市にあります正戸山城趾です。当ブログ49城目となる正戸山城趾は、南北朝時代、足利尊氏公に味方した岩松頼宥公が築城したとされ、後に志川滝山城の支城として整備され宮氏が居城したようです。では、登城します。少し登ると広場に出ます。何かありますね。。。なんと白馬がいました。石碑には御下馬跡とあります。どうゆう意味なんでしょう⁇石碑に反対側に説明がありました。ここで昭和天皇が愛馬から下馬されたとのこ...

  • 大津城にゆく

    滋賀県大津市にあります大津城趾です。当ブログ48城目となる大津城は、大津市の提唱する湖都三城の1つでもあります。大津城は、天正12年(1584)に坂本城4代目藩主の浅野長吉(長政)公が坂本城の遺構を使って築きました。城主は浅野長政公,増田右衛門公,新庄駿河守公と代わり、文禄4年(1595)には京極高次公が近江八幡山城から移り、6万石で大津城城主となりました。当時の大津城天守は四層五階で二階と五階に破風屋根が設けら...

  • 黒崎城にゆく

    福岡県八幡市にあります黒崎城趾です。当ブログ47城目になる黒崎城は、1600(慶長5)年関ヶ原の戦いの後、初代福岡藩主となりました黒田長政公の命により、1604(慶長9)年、井上周防之房公に築かせ、居城させました。黒崎を含めて若松(中ノ島)・鷹取(直方市)・大隈(嘉穂町)・小石原(東峰村)・左右良(朝倉町)の国辺防備のための六端城の構築を進めました。黒崎城主井上之房は、黒田家の大身で、御牧郡のうち、1万7000石が与...

  • 直方城(直方陣屋)にゆく

    福岡県直方市にあります直方城趾です。当ブログ46城目になります直方城趾は、JR直方駅より徒歩15分程度で到着します。直方藩主屋敷跡の説明板です。元禄元年(1688年)黒田長清公によって築かれました。直方藩は長清以前の三代が東蓮寺に陣屋を構えていたが、三代長寛公が福岡藩の家督を継いで綱政公と名を改め一旦消滅、綱政公は弟長清公に新田五万石を与え再び直方の地に陣屋を構えたそうです。このとき、それ以前の東蓮寺陣屋を廃...

  • 二条古城にゆく 其の弐:京都御苑

    京都市にあります京都御苑です。下中売御門より入苑します。ちなみに京都御苑には、九門五口の出入口があります。京都御苑の説明板です。794年(延暦13年)、桓武天皇により定められた平安京の内裏(皇居)は現在の京都御所から約2kmほど西にありました。しかし、度重なる内裏の焼失により、主に摂関家の邸宅を一時的に皇居とする里内裏が置かれるようになり、1227年(安貞元年)の火災以後は、元の位置に内裏が再建さ...

  • 二条古城にゆく 其の壱:二条古城石碑

    京都市にあります二条古城です。当ブログ45城目になります二条古城の石碑は、京都御苑付近にあります。地下鉄丸太町で降り、平安女学院をめざします。散策途中に見つけた石碑です。何の石碑かはよくわかりませんでした。室町通りに入ります。石碑を発見します。斯波氏武衛人、足利義輝公邸遺子です。更にその先にありました!二条古城跡石碑です。二条古城は、永禄12年に織田信長公によって将軍足利義昭公の居所として築かれまし...

  • 井伊直弼公展にゆく

    滋賀県彦根市の彦根城で井伊直弼展が開催されていましたので行ってきました。天秤櫓内で実施されているようです。天秤櫓入口です。井伊家家紋がありました。中に入ると井伊家の象徴、赤い鎧が飾られていました。この展示会は、井伊直弼生誕200周年を記念しての開催のようです。茶室も復元されていました。井伊直弼と一期一会です。他にも井伊直弼の説明が多数展示されていました。奥には3Dシアターも上映されていました。直弼公の...

  • 本能寺にゆく 其の弐:本能寺

    京都市にあります本能寺です。本能寺説明板です。法華宗大本山本能寺は、1415(応永22)年に日隆聖人公が油小路高辻(現・仏光寺付近)に建立した本応寺が前身と云われています。その後1429(永享元)年、内野(現・西陣周辺)に再建した際、本能寺と寺号を定めました。他宗による破却や本能寺の変などの戦乱や災難によって5度の焼失、7度の再建を繰り返してき、現在の地に至ります。総門より境内に入ります。総門は、表門と呼ば...

  • 本能寺にゆく 其の壱:本能寺跡地

    京都市にあります本能寺跡地です。本能寺は開創以来、幾度も移転を繰り返しているのですが、本能寺の変があった当時は、概ね四条堀川の近くにありました。写真の碑が建っているのは蛸薬師通油小路を少し下がったところで、かつての本能小学校の跡地にあたります。この当時の本能寺の位置には諸説あったのですが、本能小学校の廃校に伴う発掘調査により、南は蛸薬師通、東は西洞院通、西は油小路、北は六角通に挟まれた、約120m...

  • 喜岡城(旧高松城)にゆく

    香川県高松市にあります喜岡城です。当ブログ44城目になります。実はこの喜岡城ですが、別名で初代高松城と呼ばれています。高松城といえば、以前当ブログでも紹介しました玉藻公園の高松城が有名ですが、現在の高松城とは別の城です。玉藻城の名前はこの「高松」を引き継いだものであり、この一帯は現・高松市の地名のルーツでもあるそうです。喜岡寺です。現在喜岡寺が建てられている所が本丸跡と言われ、その近くには城址碑が建...

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