えいき さん プロフィール

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えいきさん: えいきの修学旅行
ハンドル名えいき さん
ブログタイトルえいきの修学旅行
ブログURLhttp://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462
サイト紹介文仕事の余暇にバイクで山城を巡り、修学した内容を記事にしています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供67回 / 365日(平均1.3回/週) - 参加 2015/01/23 17:31

えいき さんのブログ記事

  • 謙信道4・沼ノ入城(長野県中野市・高山村境)
  •  近江小谷戦線で織田勢と対峙した朝倉方中島城を書く予定でしたが、第一義が掲載されたので謙信関連を書きます。  2年前(2015)の10月に、らんまるさん、ていびすさんと修行に踏み込んだ沼ノ入城です。 たしか、午前に夜交氏山城、午後に沼ノ入城、小曽崖城(時間切れ中止)という修行だったような…。  らんまるさんが、一枚だけ写真を公 [続きを読む]
  • 久々利城後編
  • 後編では、本丸の後方郭(ローマ数字)から、北遮断堀切を楽しみ、西尾根X郭、下方区画へと辿ります。本丸の後方、土橋で郭Ⅰ・Ⅲとは、土橋で接続している。長瀬治義は『岐阜の山城ベスト50を歩く』のなかで、現地設置概要図で本丸とした郭(Ⅳ)、あるいはⅢが主郭であった可能性も記している。南東からの谷には郭Ⅴ、Ⅵを配し、守りを固めている。土橋で接続土橋南東下郭Ⅴは、谷防御のみならず、帯郭状に郭Ⅲ南下を巻く土橋 [続きを読む]
  • 第一義
  •  昨年10月、大豆町内の文集『ぬくもり第9号』の投稿した作文「第一義」を、大豆向けから上越市向けに内容を改訂し、上越タイムス紙に投稿したところ、今日掲載されました。  本ブログ掲載の「第一義」も、大豆向けから改訂したものに変え、掲載します。第一義  永野 栄樹第一義(だいいちぎ)は、謙信の書として林泉寺山門に掲げられ、上越市に住む人のみならず、全国の謙信ファンに広く知られている語である。謙信公祭では [続きを読む]
  • 近所の特権・ー入河沢城は天正の何時ー
  •  眠っている山城は、夏は藪に埋もれ、突入・観察は難しく、また、この地域は冬は冬で雪に埋まってしまいます。降雪初期か、雪消え直前のタイミングで踏む込むのが絶好のチャンスです。 事情が有って、遠征控えていますが、近所の特権を利用して、絶好のタイミングで旧吉川町入河沢城に行ってきました。山を間違えたうえに雪と急傾斜による艱難の末の到達でしたが、驚きの城郭構造の実見に、辛苦は吹っ飛びました。記事は9日東濃 [続きを読む]
  • 能登萩城・町屋砦写真追加
  • ★ 能登にみる天正期上杉の城郭普請 まとめ http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18652182.html     能登にみる天正期上杉の城郭普請続編の萩城、町屋砦の写真を追加しました。    ○ 萩城堀 ④ と土橋 桃丸部張出から土橋(平成29年1月、土橋を確認 以下2枚写真追加土橋★A地区 萩城 http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18668471.html ○ 町屋砦主郭見た畝状空堀群  桃丸部付近いまいち不 [続きを読む]
  • 能登にみる天正期上杉の城郭普請 飯田城追補
  • 昨年書いた「能登にみる天正期上杉の城郭普請」シリーズの、珠洲飯田城http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18642871.htmlに、C谷・南尾根追補します。     飯田城C谷飯田城縄張図(南龍男作図 能登の飯田より引用・茶加筆)平成28年、能登にみる天正期上杉の城郭普請を調査すべく飯田城を徘徊した私は、段差の設けらたC谷が大手通路ではないかと考え、さらに南尾根が、その段差に相関した迎撃機能を持った普請が成されて [続きを読む]
  • 金山城(岐阜県可児市兼山字古城山)
  •                       天正10年、北信濃から上杉本国越後頸城郡内に討ち入った森武蔵守長可ゆかりの城                      金山城金山城は、永禄8年に長可の父可成が信長から与えられた城(現遺構は永禄ではなく天正期の構造)である。 可成は、元亀元年近江宇佐山城下において討死、長可が城主となった。長可が川中島に進駐した後、蘭丸が一時城主になったが、蘭丸も本能寺の変 [続きを読む]
  • 気を取り直して今できることをしよう
  •  今日は、午前に科目試験を名古屋で受験して、午後は安城市歴史博物館で開催の「信長衆ハ加勢 当手コソ本陣ナレ-徳川・武田の攻防13年-」というシンポジウムに出かけ、夜は大学の友人(私は名古屋市内の大学を卒業したため愛知県には友人がいる)三人で会う予定だった。 しかし、家庭の事情で遠征を取り止めた。 木曜には、どうも無理だなっと思ったので、友人にはその旨連絡し、身体の代わりに「奥平圏の城」をワードに変換し [続きを読む]
  • 亀山城追補 主郭西虎口ー西曲輪北虎口ー北麓導線・日近城追補
  • 奥平圏の亀山城、日近城に関し、以下の内容を追補します。○亀山城 主郭西虎口ー西曲輪北虎口ー北麓導線を考察。○2016年12月公開の日近城2 大手虎口D (日近城2記事書き改め) 亀山城 主郭西虎口ー西曲輪北虎口-北麓導線 北麓から(破線現況不明推測)北虎口をへて主郭西虎口へ至る導線を、2017年1月に作手山城案内人原田さんに御案内いただき検討してきました。      現地設置縄張図をブログ説明用に加筆し [続きを読む]
  • 若宮城まとめ
  • まとめ 若宮城記事は、主郭・小屋・外郭に加え尾根筋も5本辿ったので、膨大なブログ記事になってしまいました。 しかし、2011当時よりも詳細に若宮城を紹介することできました。病気の方々の役には立てることと思います。 その膨大な記事をまとめます。 若宮城の尾根筋のうち、堀切による遮断が成されているのは、越後に向いた北西、東の尾根筋であり、東尾根筋の北下に沿って設けられた前面土塁を伴った堀と合わせて、 [続きを読む]
  • 若宮城後編
  • 後編では、大手ルートから城内に入り、各尾根筋の様相を紹介します。五本の尾根筋を辿るため、写真・記事が膨大になります。大手尾根筋から順に時計回りで、各尾根ごとに項を線で区切り、宮坂先生の鳥瞰図をブログ説明用に引用・加筆し書き進めます。まずは大手ルート大手の尾根筋にのみ、削平された郭が設けら、軍勢の収容が可能である。郭と郭は、壁と壁下に堀られた堀切により区切らているが、堀そのものは厳しくはなく、遮断を [続きを読む]
  • 若宮城前編(長野県飯綱町三水芋川若宮)
  •  『えいきの修学旅行』初期2011年に若宮城を書いているが、大手散策路を歩きつつの紹介といった内容であった。 昨年末に2011年には踏み込まなかった尾根筋を踏み歩き撮影した遺構の写真を加え、改めて書いてみたい。                                若宮城若宮城は、甲越境目に近く、武田方最前線芋川氏の城と伝わる。遠藤公洋は芋川氏の本拠を、若宮城ではなく、2kmほど南にある鼻見城と東 [続きを読む]
  • 奥平圏の城4 まとめにかえて
  •   まとめにかえて  前稿 再掲  奥平圏の戦国後期の動向と情勢を背景に、奥平圏の城の築城者は誰か、改修に影響をあたえた上位権力は誰なのかを、郭、虎口、土塁、横堀といった構造(パーツ)の比較を中心に、一年でしかないが私の修学旅行から考えたことを記してきた。  遠江諏訪野原城の二の曲輪、二の曲輪北馬出・二の曲輪中馬出、主郭両袖枡形虎口の下には焼土層が無く、徳川による構築であることが考古学的に証明され [続きを読む]
  • 奥平圏の城3  
  • 通覧した奥平圏の城の構造を比較しています。 各城の様子は愛知県のページから各城をご覧ください。 愛知県のページ: http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/folder/571969.html 虎口の続き主郭塁線からみる古宮城虎口C土塁は片袖で、主郭側は解放され、横矢が射放題。また高低差も絶妙ではないか。H28年10月の整備活動に参加した際に、投石の放物線が絶妙と宣うマニアも居られた。恐れ入るばかりである。片袖の土塁は大手から [続きを読む]
  • 奥平圏の城2
  •  では、通覧した奥平圏の城の構造を比較していきます。 各城の様子は愛知県のページから各城をご覧ください。 愛知県のページ: http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/folder/571969.html 主郭囲郭土塁と横堀 奥平圏の城の主郭は、古宮城と亀山城は全周囲郭されているが、他の城は防御に高さと角度が必要な面にのみ土塁を設けている。名倉清水城は傾斜と高さが十分で、全周不要と考えた。全周囲郭された亀山城主郭古宮城主郭 [続きを読む]
  • 奥平圏の城1 戦国後期の情勢
  • 平成27年10月、私は武田の三河進出の拠点城郭として著名な作手古宮城を見ようと作手に遠征した。 古宮城を見て、これは武田の城ではないと感じたことから作手に嵌ってしまった私は、その後一年間かけて下図の★の城を踏み歩く修学旅行を行った。 「作手へ」シリーズ亀山城、古宮城、賽之神城、文殊山城に追加して、昨年末に名倉奥平圏の本城寺脇城、支城鍬塚城、一族の城清水城を、日近は日近城を愚考しつつ綴ってきた。 [続きを読む]
  • 年末のご挨拶
  •                   北信飯山小境城性懲りもなく、また小境城へ行ってきました。しばらく雪が降らなかったので、小境城、もしや登れるのでは?、と、気が気ではなく、なら確かめに行けば納得するだろうと、性懲りもなく行ってきました。ズーム今年最後の城歩きですので、ダイジェストし、年末のご挨拶をいたします。竪堀サの段差防御施設であろう。上段から見下ろす段差で枡形状になっていないか。竪堀コ伝いルー [続きを読む]
  • 日近城2(愛知県岡崎市桜形町)
  •                     日近城日近奥平氏の動向、登り口は日近城1をご覧ください。日近城1 日近奥平氏の動向 http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/18907371.html日近城は、随所に石積がみられ、虎口の妙が映える城である。また、名倉・作手共通の構造の他、名倉奥平圏には見られず、作手で見られる大土塁、堀切通路が構築されており、作手の城の構築者と時期を考えるうえで重要と捉える。記事中 [続きを読む]
  • 日近城1 日近奥平氏の動向
  •   日近奥平圏に移ります。日近奥平の位置を確認。先述の名倉奥平氏は、美濃・信濃・三河に接し、織田・武田勢力圏の境目に位置する。日近奥平氏は三河岡崎に近く、奥平にとっては徳川との境目に位置する。日近奥平氏に関して、鍬塚城記事中に高田徹著述を引用させていただきました。以下に、柴裕之(2014)「三河国衆奥平氏の動向と態様」,『戦国・織豊期大名徳川氏の領国支配』より日近奥平氏の動向を要約し追加します。奥平貞昌 [続きを読む]
  • 清水城(愛知県設楽町西納庫字城の腰)
  •  名倉奥平氏の城をもう一つ。                   清水城小城ですが、魅かれるものがありました。比高20mの小山だが、北は急壁で厳しい要害である。また西麓台地上に居住区画が付随し、一体となっている。桜が懐かしい。郭・堀・地点名・測値は宮坂武男(2015)『信濃をめぐる境目の山城と館 美濃・飛騨・三河・遠江編』、戎光祥出版に準拠し、同書を基に記述する。主郭(郭1)は30×18mの弓型で、北は急壁下に [続きを読む]
  • 機は去る…
  • 11月に4度目の挑戦で踏み込むことができた北信飯山の小境城とある事情で踏査中断、下山をよぎなくされましたが、その凄まじき堀切に度肝を抜かれ、来る日も来る日も再訪を企んでいました。ようやく叶い、氷点下の富倉峠を越えて麓に寄せましたが、すでに白い雪が舞い降りていました。ズーム無理とはわかっていても弥勒寺まで寄せて6歩踏み込む新雪のため容赦なく膝上まで埋まる。ようやく機は去ったことを悟る…。    11 [続きを読む]
  • 寺脇城(愛知県設楽郡大字東納庫字軒山)
  •                       寺脇城名倉奥平氏の本城とされる。名倉奥平氏に関して、鍬塚城で書いたことは省きます。以下追加分。 天正三年、設楽ヶ原の前哨戦での名倉奥平氏の動きを平山優(2014)『長篠合戦と武田勝頼』より引用。     「奥平定能・信昌親子と歩調を合わせて、武田氏から離反していた名倉奥平信光は、津具(愛知県設楽町)筋に独自に侵攻し、後藤久左衛門ら多数を討取った。家康は四月十二日 [続きを読む]
  • 鍬塚城後編
  •            私のスマホyahoo地図★は私がここ一年間に踏み歩いた東濃・三河・南信・遠江の境目の城達です。今書いている鍬塚城の位置は示したところにありますが、なんで新潟の私がこのようなエリアの山奥の城を踏み歩いているかを釈明します。武田は、元亀3年三河・遠江へと軍を進めます。敵は織田・徳川です。その際、武田が案内としたのが山家三方衆でした。山家三方衆とは田峰菅沼氏、長篠菅沼氏、作手奥平氏の三 [続きを読む]
  • 鍬塚城前編(愛知県設楽町大字東納庫字城山)
  •                     鍬塚城鍬塚城は、名倉盆地の南端北方標高790mの山嶺上にあり、名倉奥平氏の支城と伝わる。名倉側から比高は100m余だが、東のタコウズ面は比高300mを越える要害である。 名倉奥平氏は、戦国当初、宗家作手奥平氏とともに今川方に属していた。永禄元年、織田方の遠山勢と名倉船戸橋で戦い、武功をあげている。義元死後は松平家康、元亀元年には武田方に属す。天正3年、長篠の戦い時 [続きを読む]