物怖じしない国際人を育てるヒント集BLOG さん プロフィール

  •  
物怖じしない国際人を育てるヒント集BLOGさん: 物怖じしない国際人を育てるヒント集BLOG
ハンドル名物怖じしない国際人を育てるヒント集BLOG さん
ブログタイトル物怖じしない国際人を育てるヒント集BLOG
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/amazon-japon
サイト紹介文自分の生涯を追体験的に語ることによって 環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか読者に
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供28回 / 365日(平均0.5回/週) - 参加 2015/01/27 13:43

物怖じしない国際人を育てるヒント集BLOG さんのブログ記事

  • 朴烈・金子文子大逆罪適用/義烈団爆弾事件
  •  大震災の二日後「不逞社」を名乗って思想誌『現社会』(『太い鮮人』名で1,2号発行、広告が集まらないので改称)を発行していた朴烈・金子文子夫妻が「保護」検束された。不逞鮮人を公然と名乗っていたが要視察朝鮮人として尾行、監視されていただけだった。不逞社は、あえて集う者の共通点でいえば「天下国家を亡くせ」と語りあうニヒリスト、アナキストの同好会といったところだろう。司法当局が意図して調べているうちに [続きを読む]
  • 憲兵隊による世直しテロ/大杉栄夫妻と甥虐殺/大正社会運動の扼殺
  • 2009年09月15日大杉栄のお墓参りと大杉栄の甥の橘宗一墓前祭BLOG記事 by hisako kuroiwa 大きな自然石の碑銘の表には、上に「Born in Portoland Ore. 12th 4. U.S.A.」、下には縦書きで、「吾人は須らく愛に生くべし、愛は神なればなり 橘宗一」という文字が彫られている。  だが、衝撃的なのは、墓碑の裏側に刻まれた文字だ。  碑文は以下の通り(写真参照)。 「宗一(八才)ハ、再渡日中、東京大震災ノサイ、大正十二 [続きを読む]
  • 関東大震災/中国人虐殺 なぜ?/王希天暗殺
  • 仁木ふみ子『震災下の中国人虐殺 中国人労働者と王希天はなぜ殺されたか』は1993年に出版された。それは1965年ごろに始まる先行研究を集大成した観がある。付録 巻末に王兆澄調査、中国公使館調査、中国外交部調査、温州同郷会調査、仁木追加分による犠牲者700弱の氏名、出身地、被害日、現場、凶器、犯人属性、報告者名を記入した名簿が掲載されている。失われた金銭の記載も見られる。シベリアの兵士がそうであっ [続きを読む]
  • 関東大震災/王希天暗殺/共謀して国が隠蔽
  •  本稿の記述はこの研究書に負うところ大である。作成者 加藤直樹1981年春、ジャーナリスト田原洋が遠藤三郎元中将を訪ねたときのことである。遠藤は第一師団(長は石光真臣)第三旅団第一連隊の第3中隊長として「江東地区警備の第一線にいたと語った」 遠藤は気鋭の大尉で陸軍きってのエリートだった。当時金子旅団長の参謀挌として上掲図旅団司令部に出入りしていた。「〔大杉栄が殺されましたね〕私が会話のつなぎの [続きを読む]
  • 関東大震災/朝鮮人ジェノサイド/四ツ木橋/名もなく遺骨もなく
  • 原画 山崎 巌(小学4年 1923年)本稿は上掲書(2014年)の「四ツ木橋」に関わる部分からの抽出でほぼ成り立っている。上掲書に「四ツ木橋」周辺の証言がとくに多いのはそこが100人以上から証言を集めた 「追悼する会」の活動中心地だからである。1910年韓国併合により朝鮮ではGDPと物価が上がり貧富の格差が増大した。細民労働者と土地を奪われた零細農民が戦争景気の日本に出稼ぎに来た。在日朝鮮人の数は、 [続きを読む]
  • 間島出兵/不逞鮮人/関東大震災・朝鮮人虐殺の前史
  • 出典 厚生省『援護50年史』 満州国行政区画と各省別日本民間人死亡者数 朝鮮独立運動(本部上海)の国外根拠地は浦潮(沿海州)と間島(満州)であった。浦潮新韓村はシベリア派遣軍による四月惨変で壊滅した。間島琿春掃討を観てみよう。間島は満州東端にあり東の国境を越えるとロシア領沿海州で浦潮に至る。南の豆満江を渡ると朝鮮(日本国)である。元々朝鮮人が多い地域だったが韓国併合後朝鮮人難民の避難地として人口 [続きを読む]
  • 治安維持という名のテロ/平澤計七・川合義虎たち虐殺/関東大震災
  • 数年前にこのブログで大正は現代の母型であるという観点から大正デモクラシー、社会運動の勃興、大正ルネサンスを論じた。暗い閉塞の時代から抜け出した明るさのなかに自由な生命の躍動とモダンな生活の放縦が垣間見られた。それは戦後期昭和の母型を想わせる。自分史で一息入れた後、大正の戦争「シベリア出兵」を投稿した。宣戦布告のない、兵士にとってすら意味不明の、市民に積極的に支持されていない戦争であったが、戦争指導 [続きを読む]
  • 尼港事件秘録『アムールのささやき』/遅すぎた日本の反省
  • ♪ はよ寝ろ 泣かんで おろろんばい  鬼ン池の久助どんの 連れんこらるばい 森繁久弥 島原子守唄https://www.youtube.com/watch=g6D5Yk8MkCI鬼池村の久助どんは実在の人物ではない。でも鬼が連れに来る、怖い、と幼い子は感じるにちがいない。尼港パルチザンの暴威が国中に伝わると、天草地方では「パルチザンが来るゾ」と言えば泣く子もだまった、と表題の著者石塚経二は書いている。以下の記述も『アムール [続きを読む]
  • ムーヒンとクラスノシチョコフ/パルチザン戦
  • 出典 石光真清『誰のために』調書「ムーヒン」(手書き 第12師団司令部 複写)によれば、ムーヒン(電気工、妻帯、41歳、左足凍傷痛)は変装のため理髪しヒゲをそった。その前は栗色のほほヒゲと帽子で変装していたという。隠れようとした学校で捕まったが捕らえたのは日本兵である。上掲の写真はコザックを主役に配して日本軍を脇役に見せる効果を狙った広報用のものである。審問者はアベゾルーコフで「隠していることがある [続きを読む]
  • 石光真清とムーヒン/ブラゴヴェシチェンスクの謀略戦
  • 出典 http://www.a-saida.jp/russ/vetvi/muhin.htm 原典 アムールスカヤ・プラウダ 2010.5.3石光真清の手記第4部『誰のために』は私にとっては戦場での「類は友を呼ぶ」物語である。第4部は内容ゆえに真清が公表をはばかったものである。ご子息の真人が戦後編集出版した。ソヴィエト政府の誕生によって激変した世界とロシアの情勢は極東に無政府状態を生み出した。政権と軍事力の希薄もしくは空白である。日本はこれを好 [続きを読む]
  • 石光真清の手記/百年読み継がれる魂の自伝
  •  石光真清 1868.10.15〜1942.5.15「シベリアの冬は暮れやすく、人の生涯は移ろいやすい。青年将校の軍服を脱いでブラゴヴェシチェンスクに初めて留学した日から二十年の歳月が流れている」 石光真清は足掛け五十歳の身をふたたび諜報勤務員として同地に投じた。十月革命直後の1918年正月のことだった。宿泊することにしたホテルは暴漢達に荒らされて支配人のほかにひと気はなかった。そこへズックの小袋を持った背の高い [続きを読む]
  • 大庭柯公『露国&露人研究』(1925)/久米茂『消えた新聞記者』(1968)
  •  大庭柯公 1872.8.30~ 1923? 1925年1月遺族・知友150余名参列追悼会開催 同年全5巻柯公全集刊行『露国と露人研究』については元外交官佐藤優氏が「外交を読み解く10冊」に推薦している。世界のヤルタ体制秩序が危機にさらされている今日政治・外交人と経済人と一般市民が押さえておくべき世界常識が詰まっている古典である。上記の巻をわたしは《一人で編んだロシア百科》と思いながら読んだ。明治時代は列強帝国主義の [続きを読む]
  • 中平亮『 赤色露国の一年』(1920)/百年検証に耐えるルポルタージュ
  • 2017年 めでたくもありめでたくもなし昨年4月少年サッカーの指導から引退した。時間の余裕ができたかと云えばさにあらず、103歳近い母親の介護を妻と分担しなければならなくなった。私は丸一日は外出できない。身長148足らず、体重40未満の寝たきりの母を座らせたり寝かせたりする困難を毎回実感している。誰もが通る道、老々介護は厳しい。介護士の苦労が思いやられる。2017年はロシア革命100周年である。世 [続きを読む]
  • ロシア史研究会/松田道雄・菊地昌典両先生のこと
  • ロシア史に興味があるアマチュアの研究会に入れてもらった。人文研の飛鳥井雅道氏(日本近現代政治/文化史)が事務局を担当し、松田道雄氏が座長役だった。松田先生は小児科医をしながら執筆でも幅広く活躍されていた。『私は赤ちゃん』『私は2歳』はベストセラーで世のお母さん達の育児の心配に分かりやすく応えていた。その後出版された『定本 育児の百科』は結婚祝い品の定番の一つだった。今なおロングセラーであり、その中の [続きを読む]
  • 労組結成の試み
  • 1963年夏 琵琶湖学生時代最後の夏休みに、進路模索活動の一環として組合づくりを試みた。洛南の従業員・数十名の合金会社に長期アルバイトで入った。砂型に溶融アルミを流し込んで「ナショ」*ブランドの電気釜用内鍋を作っていた。わたしは場内の雑用(主に運搬)係だったが作業用安全ブーツを貸与されていた。 *下請けが常用していた表現従業員は集団就職で入社した若い男が多かった。憶えている出身地は前橋市である。会 [続きを読む]
  • カストロ死す/2016.11.26
  • リアルタイムでブログを書いている。午後2時半、TVのニュースで訃報を知った。私はカストロが90歳なので覚悟をして記事を書くための資料を集めねばと思いつつできなかった。奇しくも60年前のこの日カストロは同志82名と共に親米独裁政権打倒を目指して亡命先のメキシコからキューバに向かってヨット・グランマ号で船出している。1956年30歳だった。私たちはカストロとよんでいるが、キューバ国民はフィデルと愛称で呼 [続きを読む]
  • ケネディ大統領暗殺/1963年11月23日/神護寺の紅葉散る
  • その日わたしは左京区の下宿正面の松葉食堂で遅い朝食をとっていた。日米間のテレビ中継「衛星通信実験」中にケネディ暗殺の映像が飛び込んできた。あまりの衝撃にその年月日は一生忘れられない記憶となった。その日から53年経った。その日は歴史上のランドマークになった。ケネディ大統領は国内では黒人の公民権運動を支えキング牧師のI havea dreamにその夢を共有すると応じた。外交政策では歴代大統領の中でただ一人イスラ [続きを読む]
  • ヨーロンと三池闘争/困窮離島差別
  • 森繁久弥が歌って全国を風靡した「島原子守唄」(1959)をYouTubeでどうぞ・・・。森繁は早稲田大学で作詞者宮崎康平の学友だった。島原半島の口之津港から底の浅い団平船で沖に停泊する青煙突の「バッタンフル」社大型船に運ばれて東南アジアに密輸されてゆくカラユキさんの悲哀を想像しながら口ずさんでください。♪ 山ん家は かん火事げなばい ・・・ [繰り返し] 家はネと発音サンパン船んなヨロンジン 姉しゃんな握ん [続きを読む]
  • 三池炭塵爆発事件/CO裁判闘争
  • 1963.11.9 撮影 植埜吉生氏 酒店勤務 19歳 故人 私のCO中毒体験。4回生の寒い昼、活動家仲間数人とAの下宿で練炭ストーブを囲んでダべっていた。それまで何の異常もなかったのに立ち上がった瞬間大きくよろめいた。それから半日ほど頭痛がした。CO中毒は亜急性間歇型疾患であった。素人の理解だが、体を動かすとエネルギー補給のため血流が速くなり血中のヘモグロビンが酸素運搬を急ぐ。ところが一酸化炭素中毒になっている [続きを読む]
  • 就職活動/進むべき道みえず愚行を演じる
  • 1963年の初夏、わたしは就職活動を始めた。進むべき道がまだみえなかったためとりあえず就職試験を受けておくか、という結果を考えない安易で無責任な行動だった。両親の不安をおさめる狙いもあった。2,3受けて造船会社から内定をもらった。関西電力を受けて落ちた気がする。なぜ造船かというと三菱長崎造船に「社研」という新左翼の組織があって頼もしい指導者と聡明な青年たちの活動を交流会や出版物を通してみていたから [続きを読む]
  • 正木ひろし弁護士を囲む会/狭山事件「造花の判決」
  • わたしは、迷宮事件、冤罪事件に深い関心があるが、それは新聞、ラジオ、TVの報道と関連本読書の長期間の影響だと思う。ちょうどこの時期、大学の法学部自治会が正木ひろし弁護士を呼んで講演会をもった。講演の後法経教室地下で囲む会があった。そこで正木氏が日本の良心であり体制の司法部に喰い込む能力と実行力の持ち主であることを知った。かれは戦時中個人月刊誌「近きより」を発行し交友を広げながら巧みに時局(東條内閣) [続きを読む]
  • 狭山女子高生殺人事件
  • 1963年は、私にとって忘れがたいだけでなく大学を卒業してからもずっと関心をもって追い続けた大事件が三つ発生した。三事件に対して私はほぼ傍観者だったが、いづれの事件についても連日ニュースを報道するTVや新聞を穴が開くほど熟視熟読した。4回生になって自活の道をどう選ぶか考え始めたとき最初のそれが起こった。1963・5・1 狭山女子高生殺人事件_第一の事件高校1年の女子高校生が16歳の誕生日の日に学校か [続きを読む]