東京湾要塞写真館         さん プロフィール

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東京湾要塞写真館        さん: 東京湾要塞写真館        
ハンドル名東京湾要塞写真館         さん
ブログタイトル東京湾要塞写真館        
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/tcdnh830
サイト紹介文東京湾要塞地帯に残っている戦争遺跡について撮りためた写真を掲載します。往時の雰囲気を味わっていただけ
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供14回 / 365日(平均0.3回/週) - 参加 2015/02/23 23:06

東京湾要塞写真館         さんのブログ記事

  • 陸軍消火栓
  • これは、陸軍登戸研究所あとに残る陸軍の消火栓です。消火栓の文字の上に付けられている星のマーク(五芒星)がr陸軍を表しています。登戸研究所とは、昭和12年に新宿にあった陸軍科学研究所の実験場として開設されたものですので、この消火栓も昭和12年以降に設置されたものでしょう。ここは、電波・無線兵器、毒物・生物兵器、スパイ兵器の開発及び、偽札・偽造パスポート作りを行う秘密戦のための研究所であり、秘密のベールに [続きを読む]
  • 観音崎砲台ガイドツアー
  • 県立観音崎公園恒例の講座「観音崎砲台ガイドツアー」が、4月15日、16日の両日開催されます。昨年、日本遺産に認定された観音崎砲台の秘密を探る人気のツアーです。各回同内容です。締切は先着順4月10日。春爛漫、パステルカラーを纏った観音崎の豊かな森のなかに、ひっそりとたたずむ明治の城塞。その精緻な造りからは、我が国の最重要防衛拠点として、日本を護るんだという気概に満ちた明治人の魂が感じられます。詳細はこちらht [続きを読む]
  • 猿島砲台
  • こちらも先月開催された「猿島砲台ぐるり一周」の一コマです。前方のトンネルは、愛のトンネルと呼ばれていますが、猿島砲台の遺構の一つです。全国的に貴重なフランドル積みの立派なトンネルで、西側の兵舎や弾薬庫などが設けられているのです。猿島砲台は明治14年起工、明治17年竣工の明治初期の砲台ですので、このトンネルもそのころのものです。使われている煉瓦は、観音崎砲台などでよく見られる「小菅集治監」製ではなく [続きを読む]
  • 走水低砲台 砲側弾薬庫
  • 先月開催された「ぶらり横須賀歴史散歩〜横須賀の日本遺産を巡る〜」の一コマです。走水低砲台の砲側弾薬庫(第1砲座、第2砲座間)の内部を見学しているところです。フランドル積みの煉瓦で築かれていて、明治19年竣工という明治初期の貴重な砲台です。所々?がれた漆喰が歴史を感じさせます。昨年、日本遺産の構成文化財のひとつとなり、一般公開のために整備が行われ、ますます知名度があがってきたのですが、残念ながら、現 [続きを読む]
  • 田浦戦争遺跡ツアー
  • 新春の戦争遺跡巡り企画第三弾!田浦コミセン歴史講座で「田浦地域に残る戦争遺跡を訪ねる」ガイドツアーを行います。田浦地域は、横須賀海軍工廠造兵部や横須賀海軍軍需部、防備隊、海軍水雷学校、第二航空廠補給工場など数多くの海軍施設が存在した海軍のまちです。現在も、レンガ造の倉庫や海軍引き込み線などが残る、横須賀市のなかでもレトロ感たっぷりな場所なのです。当日は、簡単なレクチャーで海軍施設の概要を学んだ後、 [続きを読む]
  • 城ケ島砲台
  • 城ケ島砲台は、関東大震災後の要塞整理事業で新設された砲台。 ワシントン軍縮条約により不要となった戦艦安芸の副砲砲塔を改造して設置した砲塔砲台である。 城ヶ島の東半分が砲台用地で、1基2門砲塔が2基設置されていた。付属施設は地下化された。、写真は砲側弾薬庫であるが、同形の弾薬庫が3庫ならんで構築され、砲塔までは細い地下通路で結ばれていた。内壁は白で塗られているが、わずかな光でも見えるようにとの工夫であ [続きを読む]
  • 腰越堡塁
  • 観音崎の砲台群のなかで異彩を放つ腰越堡塁です。観音崎の砲台の背後を護る陸戦砲台で、明治28年起工し、明治29年竣工しました。9センチカノン砲が2門置かれましたが、大正2年に廃止となっています。今も堡塁の形状が色濃く残る明治期の貴重な遺構です。写真は、レンガ構造物は弾薬庫でないでしょうか。 [続きを読む]
  • 軍港水道走水系統 水道管
  • この大事そうに保管されている、茶色の管。土管です。実はこれ、横須賀造船所へ水道を引くために明治9年に埋設された横須賀最古の5インチ水道管(送水管)なのです。走水から横須賀造船所までの約7?もの間、この土管が敷設されたのです。工事は横須賀造船所の建築長であったフランス人のジュエットの指揮監督で行われたため、当初、フランスから鉄管を輸入しようとしたのですが、高額なため常滑で焼いた土管が使用されたようで [続きを読む]
  • 横須賀海軍病院
  • 横須賀海軍病院は、明治13年に開庁した軍港所在の初の海軍病院である。当初は、横須賀の高台に建設されたが関東大震災で焼失し、現在地に移転した。海軍病院中最高の設備をもっており、震災後の建物は海軍病院初の鉄筋コンクリート造であり、昭和の海軍庁舎の特徴であるシンプルモダンな建物である。病院の性質上、産婦人科や小児科はなかった。 戦後、米海軍に接収されたが、庁舎、兵舎、治療品倉庫などのほか門柱や壁なども現 [続きを読む]
  • 日本最古!観音崎第二砲台 砲側弾薬庫
  • 日本遺産に認定された旧軍港4市の海軍ストーリー、その中には、観音?に明治期に築かれた日本最古の西洋式砲台が含まれています。その大変貴重な歴史遺産、観音崎第一砲台、第二砲台跡は、観音崎砲台ガイドツアーでじっくり堪能できます。この写真は先日開催された同ツアーでの一コマです。日本最古、明治13年から建設が始まった観音崎第二砲台の第三砲座砲側弾薬庫内を見学する参加者達。130年前の建造物ですが、今も良好に保存さ [続きを読む]
  • 祝日本遺産認定 「観音崎砲台歴史ツアー」 参加者募集中!
  • なんと、旧軍港4市の海軍にまつわる近代化遺産が日本歴史遺産に認定されたようです。その中には、陸軍の砲台も含まれていて、構成要素として観音崎の第一砲台と三軒家砲台が挙げられています。まさにタイムリーな企画です。この第一砲台と三軒家砲台を含む観音崎に現存する砲台群を巡るツアーです。5月28日(土)、29日(日)の2回開催。この機会に、帝都を護った明治の城塞を体感してみませんんか。御問合せ、お申込は県立観 [続きを読む]
  • 海軍工機学校門柱
  • この立派な門柱。白ペンキで全体が塗られていますが、レンガ造なのです。そして、一対として残っています。これは、機関科の下士官兵を養成する術科学校である横須賀海軍工機学校の門柱です。機関科将校を養成するために創立された海軍機関学校を前身にもつその歴史は複雑な変遷を経ていて、最終的には終戦前の短期間ですが、大楠海軍機関学校の分校として歴史を終えています。機関学校は、関東大震災で大きな被害を受けたため、舞 [続きを読む]
  • 猿島防空砲台
  • 猿島砲台は大正末期に海軍に移管されて以後、海軍によって新たに防空砲台が築かれました。最初は、8センチ高角砲4基が築かれましたが、その後、12.7?連装高角砲台2基に変更されました。これは南側の砲座ですが、今まで藪の中に埋もれていたため、案内図にも記されていなかったものです。最近、藪が切り開かれてその全貌を現しました。土で埋もれていますが、円形の砲座が分かります。 [続きを読む]
  • 第二海軍航空廠館山補給工場
  • 航空廠の役割は、「航空兵器および其の材料の造修、購買、準備、保管及供給に関することを掌る」と定められていた。第二航空廠は、昭和16年、木更津に設置されたもので、横須賀や厚木、瀬谷、大井、藤枝など航空基地の所在地に補給工場が置かれていました。館山もその一つであり、この倉庫は鉄骨造一部2階建て、スレート葺き。腰壁にイギリス積レンガが使われているのが特徴的ですね。 [続きを読む]
  • 第三海堡遺構展示場
  • これは、横須賀市追浜にある「第三海堡遺構展示場」です。関東大震災で損傷し、放棄された海上要塞、第三海堡ですが、戦後、東京湾航路の暗礁と化していたため、国土交通省によって撤去されました。そのなかで、歴史的・土木工学的に貴重な遺構を保存・展示しているもので、現在管理は横須賀市が行っています。3つの遺構が展示されていますが、右手は15センチカノン砲台砲側弾薬庫、左手前は10センチカノン砲台左翼観測所・砲側弾 [続きを読む]
  • 東京湾要塞地帯標
  • この石柱、東京湾要塞地帯の第一区地帯標です。明治32年7月に制定された要塞地帯法により、要塞地帯の区域を表示するために設置された標識の一つで、御影石製の石柱です。海軍が昭和16年7月30日に建設したものです。要塞地帯は3区まで区分されていて、第一区とは、陸・海軍の防御営造物の突出部から250間(約450m)以内のことを言います。要は、軍事機密を守るための法律で、要塞地帯内では、写真撮影やスケッチ、土地形状の変更 [続きを読む]
  • 海軍火薬廠 水交社集会所
  • このオシャレな洋館は、平塚市旧横浜ゴム平塚製造所記念館です。国の登録有形文化財になっています。しかし、戦前は、旧海軍火薬廠の将校クラブ(水交社)の集会場として使用されていたものです。戦後、火薬廠跡地は横浜ゴム(株)に払下げられ、この建物は同社の迎賓館的に使用されてきましたが、老朽化により平塚市に譲渡され、現在地に移転・復元されたものです。 [続きを読む]
  • 横須賀海軍工廠第4、第5号ドックポンプ所
  • このレンガの建物は、大正5年に竣工した横須賀海軍工廠の第4号ドック(明治38年竣工)と第5号ドック(大正5年竣工)の海水を排水するためのポンプ所です。ポンプは地下に据え付けてあって、2階に見えますが、鉄骨煉瓦造平屋建てです。この構造は、横須賀海軍工廠の現存建物では唯一の貴重なもので、関東大震災をくぐり抜けてきたものです。 [続きを読む]
  • 平和観音 ある特攻隊員の慰霊
  • こちらは「平和観音」と呼ばれ、横須賀市浦郷にある浄土宗正観寺に安置されています。昭和20年4月、沖縄沖で戦死された陸軍大尉尾久義周さんの慰霊と平和を願って建立されました。尾久大尉は(当時は少尉。戦死後に大尉に特進)、陸軍の特別操縦見習士官の一期生であり、陸軍特別攻撃隊第42振武隊の隊員として昭和20年4月8日、喜界島から出撃、散華されました。搭乗機は、「97式戦闘機」でありました。また、隣接して、海軍の神風 [続きを読む]
  • 五号船渠(5号ドック)
  • 横須賀海軍工廠(現、米海軍横須賀基地)内には6つの船渠(ドライドック)がありました。横須賀の近代歴史資産の雄、第1号ドックと空母信濃を建造した悲劇の6号ドックはあまりにも有名ですので、今回はあまり話題にならない5号ドックを紹介します。明治44年7月起工、大正5年に完成しましたが、戦艦の大型化が進み、戦艦天城級(横須賀市史では山城級と記載)を入渠させるために、約70mの延長工事を行い大正13年に完成しました。 [続きを読む]
  • 逸見浄水場緩速濾過池調整室
  • はるばる愛甲郡半原の水源から導かれてきた横須賀軍港水道の終着地点。そうです。逸見浄水場です。現在、この半原系統は廃止となりましたが、逸見浄水場には国登録文化財に登録された幾つかの建物が残っています。写真はそのうちのひとつで、大正8年に建造された「緩速濾過池調整室」です。平成17年7月12日に指定されました。四つの緩速濾過池に一棟ずつ建てられているので、同じ建物が4棟残っているのです。鉄筋コンクリート技術 [続きを読む]
  • 横須賀海軍工廠造兵部
  • 横須賀海軍工廠造兵部は、京急田浦駅東南、今の東芝ライテックの工場のあたりに存在していました。艦艇の兵器の造修、つまり大砲や機関銃などを作っていたわけです。いまも、当時の建物が現存していて、海上自衛隊の基地と併せて、当時の面影を色濃く残しています。写真は、現存建物で最古の旧鍛錬工場事務所です。煉瓦造モルタル塗で、明治19年の建築だそうです。横須賀に残る旧軍建物のなかでも最古級の大変貴重なものです。この [続きを読む]