風わたる丘 さん プロフィール

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風わたる丘さん: 風わたる丘
ハンドル名風わたる丘 さん
ブログタイトル風わたる丘
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/belbetring
サイト紹介文元校長の日々の生活
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供220回 / 365日(平均4.2回/週) - 参加 2015/02/26 06:12

風わたる丘 さんのブログ記事

  • 第151回古都旅歩き創作 「京町家の怪文書」
  • 第151回古都旅歩き 創作 「京町家の怪文書」 作 大山哲生一ここは京都大学の箸黒勝之助教授の研究室。箸黒はいつものように昼食後のコーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。そこにトントンとドアをノックする者がある。「どうぞ」と箸黒は言った。 入ってきたのは、三年生の島田啓介だった。「おはようございます。実は大変なものを手に入れたんです」箸黒は二人分のお茶をいれた。そして島田が持ち出した古い文書を手にとっ [続きを読む]
  • 兵庫県フラワーセンター
  • 今日は兵庫県フラワーセンターに行ってきた。中国道加西インターおりて十分のところにある。ここは、チューリップの数、新種の多さで、関西の一大権威と言っていい。これは普通のチューリップ下はすべてチューリップであるまさに多種多様である。とにかくチューリップがすごい。しかし、バラやツバキはあまり力を入れていない。250キロ。楽しいドライブだった。 [続きを読む]
  • 第150回古都旅歩き創作 「二通の密書」
  • 第150回古都旅歩き 創作  「二通の密書」 作 大山哲生一 天正十年五月、明智光秀は坂本城にいた。 光秀は、主君・織田信長に近畿の総責任者を任されていたのであった。光秀は聡明な男であった。信長には叱責されたこともあったが、光秀は自らの至らぬせいと気にも止めぬふうであった。光秀は、信長にとりたててもらったことに感謝していた。 主君・信長に対して唯一悔しいと思うことは、碁で勝てないことくらいであった。 [続きを読む]
  • 62年間の誤解
  • 私は、子どもの頃、猫背だった。猫背だから腹がぽこんと出る。親や兄弟からは「また、腹を出してる」と猫背を戒められたものである。しかし、子どもの私は、猫背がいけないということは伝わらずに腹を出すのがよくないということだけがインプットされた。62歳まで、腹を出す姿勢は悪い姿勢だという意識だけが染みついていた。だから、どういう姿勢がいい姿勢なのかがわからなかった。ひとつ私がいい姿勢と信じて疑わなかったのは、 [続きを読む]
  • 第145回古都旅歩き創作 「深泥が池の龍」
  • 第145回古都旅歩き 創作 「深泥が池の龍」  作 大山哲生一江戸時代の京都。 四月のある日。「なんで、おれの近所にはこんな奴ばっかりいるんやろ」と目明かしの長吉(ちょうきち)はつぶやいた。長吉の家は、二条城の近くの三軒長屋の真ん中にある。二条城には徳川のお殿様が時々くるから、周辺の治安はよくしておかなくてはならない。 長吉は連日、十手を手に毎日京の町を歩き回っていたが、今日は風邪でも引いたらしく体が [続きを読む]
  • 第145回古都旅歩き 南禅寺、哲学の道
  • 今日は第145回古都旅歩きとして、南禅寺と哲学の道に行ってきた。10キロ二日前までは、咲き始めと言われていたのに、今日は七分咲きから満開であった。まずは南禅寺外国人観光客が多い。今日は、写真の構図などに気をつけながら、桜を画面に入れすぎないように撮った。次は、哲学の道。ここも外国人特に中国の人が多かった。ほぼ満開だった。明日から雨だし、今日が一番の花見日和であった。途中から、レンズ内の動作が不安定にな [続きを読む]
  • インフルエンザの後遺症 ?
  • 1月23日にインフルエンザを発症した。タミフルが劇的に効いて直るのは簡単になおった。結局10日ほどは、家で養生した。2週間目くらいから体を動かし、それなりに体力を回復したつもりだった。しかし、罹患から二ヶ月間。・体重が二キロ落ちたまま増えない。76キロあったのが74キロになった。ダイエットで体重が減るのはうれしいが、原因不明で減るのは不気味である。かなり暴食もしたが、回復しない。・息がきれやすい。水泳で500 [続きを読む]
  • 第144回古都旅歩き 明日香村
  • 今日は第144回古都旅歩きとして明日香村に行ってきた。桜はまだまだで全部つぼみがふくらんだ程度であった。唯一咲いていたのが、これだけ。日当たりがよい木であった。あせび。香りがよい。つくし。乙女椿次からは明日香村の風景実にのどかな日本の原風景である。つぎはたんぽぽ蝶も飛んでいた。 [続きを読む]
  • 私の小説は壁をひとつ越えた
  • ここ数年、小説を書き続けているが、自分では少しは上達したと思う反面、土俵の周りでかけ声をかけているだけというようにも思っていた。長いスランプの後に書いたのが二つ下の「島原情話」である。 この作品は私にとっては壁をひとつ突き抜けたと思える作品である。  綾というキャラクターは私が作り出したものであるが、書いている最中は恋をしているような気分になったのも一興である。 [続きを読む]
  • 第143回古都旅歩き 馬見丘陵公園
  • 今日は馬見公園に行ってきた。桜はまだまだで、チューリップはまだだったが、いろいろな花が咲き始めていた。チューリップはこの二輪だけが咲いていた。実は今日はカンヒザクラが満開であった。色の濃い桜である。上はカワヅザクラだいぶ葉が出ていた。まるで日本画のような梅。残念ながら香りがない。この風景が馬見である。最後は赤モクレン。今日は暖かくて歩きやすかった。 [続きを読む]
  • 第142回古都旅歩き創作 「島原情話」
  • 第142回古都旅歩き 創作  「島原情話」  作 大山哲生一 江戸時代、江戸の吉原・京都の島原・大阪の新町は三大遊郭と言われ、いずれも幕府公認であった。 各廓(くるわ)には多数の遊女がいた。その中には貧しい農村などから売られてきた娘たちもいた。遊女の世界には厳然とした階級制度があり、最高位の遊女は吉原では花魁(おいらん)、島原・新町では太夫(たゆう)と呼ばれたのである。二 この頃、京都の二条に正木屋という [続きを読む]
  • 第142回古都旅歩き 深泥池、上賀茂神社
  • 今日は、第142回古都旅歩きとして、深泥池、上賀茂神社に行ってきた。10.4キロ平安京は川や池も相当付け替えられているが、深泥池は氷河時代から残っている貴重な池である。確かに池の色が不気味である。貴重な生物や植物が生息してているということで、池全体が天然記念物となっている。水面には独特の水草が繁殖していた。次は太田神社。カキツバタの名所は行ってみると狭いところであった。太田神社の裏山に道がある。次は、上 [続きを読む]
  • 第141回古都旅歩き 宇治市植物園
  • 今日は宇治市植物園に行ってきた。6.2キロ今の季節は何といってもクリスマスローズだ。上は珍しく上を向いていた。次は菜の花。実はこれは菜の花の仲間である。菜の花より匂いが薄く、ほとんど蜂がいなかった。上はクロッカス。最近はこの色をよく見かける。上はタイリョウザクラである。少しアプリコットがかかっている。下を向いて咲く。上はアカシア。バニラのような香りがする。次は温室これはねむの木上はわからない。今日は [続きを読む]
  • 第140回古都旅歩き創作「忘れ得ぬ表情」
  • 第140回古都旅歩き 創作  「忘れ得ぬ表情」 作 大山哲生 一今から五十年前。私が日吉ヶ丘高校二年生の時のことである。当時の日吉ヶ丘高校は実に自由な学校であった。学校の周りに柵といったものがなく、どこからでも出入り自由であった。 弁当は三時間目が終わったら食べておくのがお約束のようになっていた。昼休みはというとほとんどの者はグランドを囲む緩やかな傾斜面の草むらに寝転んでおしゃべりに花を咲かせる。  [続きを読む]
  • 第140回古都旅歩き 三十三間堂、安井金比羅宮
  • 今日は第140回古都旅歩きとして三十三間堂と安井金比羅宮に行ってきた。8キロ三十三間堂はいつ来ても感動する。千体近い観音像に「創建仏」と記してあるのに気がつく人はほとんどいない。千体近い像は一度燃えており、二度目のものが今に残るのである。今日は、堂内で大きな法要が行われており、それを見ることができた。堂内で大きな声を出すのは、相当気持ちのよいものであろうと思う。上は豊国神社。次ははじめて訪れた安井金比 [続きを読む]
  • 66歳を迎えて
  • 三日前に66歳になった。校長退職から6年間経った。結論は、6年前より健康になったということである。退職時は、体重は72キロほどであったが、足の筋肉がみごとにへり、裸になると腰から下が骸骨のように細かった。さすがにこれには危機感を覚えた。退職してすぐはじめたのが、毎日のウォーキングと水泳。水泳は当初一回500メートルであったのを一回1000メートルにまであげることができた。ウォーキングは美しく歩くことをテーマに [続きを読む]
  • 第139回古都旅歩き 馬見丘陵公園
  • 今日は第139回旅歩きとして奈良県広陵町の馬見公園に行ってきた。5キロ今日は、天気がよく家族連れが大変多かった。いたるところに花が植えられている。四月には、チューリップ園になる。今日は空がきれい。暖かくなったのでパンジーが元気。実にあでやかな椿。ここには大きな池が二つある。私はこの風景が好き。なんといっても梅が満開近寄っただけで甘い匂いがする。ジンチョウゲマンサクサンシュユクリスマスローズ早春の花がい [続きを読む]
  • 第138回古都旅歩き 創作「薬師坊とふすま絵」
  •   「薬師坊とふすま絵」  作 大山哲生一時は元禄であった。 京都にある絵描きがいた。元は薬屋であったが生来絵が好きで絵ばかり描いていたので、とうとう店は傾き人手に渡ってしまったのである。だから名前を薬師坊と名乗った。 当時の絵描き集団と言えば狩野派がいたが、薬師坊はそれに勝るとも劣らぬ腕前であった。だから、武家や豪商からふすま絵などを頼まれることが多かった。薬師坊は、頼まれた絵は何日もかかって [続きを読む]