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  • 形骸の文明である物質文明から精神文明へと導くコロナの教訓

    院内にコロナの陽性患者を受け入れ、緊張感が走りましたが、落ち着いてきました。外来患者さんも新しいシステムに慣れて、依然の混雑した外来風景が一変し、人々が整然と行動する節度ある姿に人間の素晴らしさを感じました。質素な慎ましい生活を育み、皆が『肉の手』では無く『心の手』で共に携えて生きる『精神文明』の夜明けだと思われます。神恩『因果の法則』の悪い半面で言うと悪い因縁をつくると悪い結果があらわれる。それを人格化したものが『悪魔』ということになり、因果の法則の善い半面で言うと善い因縁をつくると善い結果があらわれる。それを人格化したものが『観世音菩薩』ということになります。観世音菩薩は人々の心の苦しみなどの響きを観じて自由自在にその心の姿の通りに顕れて世の中を救いとる菩薩様であります。観世音菩薩は単なる『因果の法則』、あ...形骸の文明である物質文明から精神文明へと導くコロナの教訓

  • かぼちゃのお客さま・・・離れて観ること。思善悪(ふしぜんなく)

    この大雨降りしきる時に20mの高さの石垣の上の住宅の菜園からかぼちゃのツルが降りてきて実をならせてその蔓の先端がまた上に上り始めました。かぼちゃの壮大なる旅路であります。離れて観ること・・・不思善悪(ふしぜんなく)ものを観るのに、即いた観方と、離れた観方とがある、即いて観るときには、事物の渦中に捲き込まれて却って其の真相を見ることが出来ず、事物の混乱の中に自分も埋没して苦しまねばならないのである。自分の眼球もまつ毛も自分では見ることが出来ず、自分の欠点はよくわからず、灯台の下は却って暗いのである。心で苦しみをつかめば苦しみがあらわれる。苦しみは自分自身で仮に顕している姿に過ぎないのである。そのような苦しみのときにどうすれば好いのであろうか!親鸞上人の『善悪総じて存知せざるなり』の境涯になり切ることである。雲の中...かぼちゃのお客さま・・・離れて観ること。思善悪(ふしぜんなく)

  • 軽やかな心・・・今のほかに時はない!

    スーパーの入り口に七夕が飾ってあり、そこに小学生達が立ち止まって備え付けの用紙に嬉しそうに願い事を書いていました。子供たちの『今、此処の場所』で止まり素直に軽やかな心を表現している姿にひかれました。年を重ねるにしたがい沢山のものを背負い、それに引きずられ、『今』立ち止まって素直な気持ちを軽やかに表現することを忘れがちであります。県内随一の小野平野も田植えが終わり素晴らし田園が広がっています。夜は『カエル』の大合唱であります。院内も落ち着き患者さんも増えてきました。コロナウイルスの時代への対応で新しい検査室のシステムの構築等が進んでいます。時々新型コロナウイルスの検体採取がありますが、当院もとうとうPCR検査用の検体採取をドライブスルー方式で始めるようであります。『今』を、全力を出して戦いとれ今出来ることは、今出...軽やかな心・・・今のほかに時はない!

  • 愛と献身は永く耐え忍ぶ・・・・・論争の彼方に(汝等の敵を愛し、汝等を責むる者のために祈れ)

    緊急事態宣言が地方にまで浸透して来ました。街も車が少なくなり、パチンコ店、カラオケ店等も閉店しています。院内に入るには体温測定が始まり、外来者が急激に少なくなりました。是ほど静かな院内は今まで始めての事です。先日はガス滅菌消毒機械の定期点検でしたがメーカーの担当者がマスク、ガウン等をガス滅菌消毒して再利用出来るのかの問い合わせがあるそうです。戦艦武蔵を建造した長崎港の香焼の岸壁に二隻の豪華客船が入港しており、沢山の陽性者が出ています。スタッフが来月に長崎の大学病院に入院の予定ですが影響をうけるようです。今月は母の一周忌でありましたが、コロナウイルスの影響で法事を取りやめ菩提寺の本堂で塔婆供養を享けました。住職曰く『檀家の法事が殆ど来年に延期になりましたと!』お寺さん、先祖さんも影響をうけているようですよ!純粋の...愛と献身は永く耐え忍ぶ・・・・・論争の彼方に(汝等の敵を愛し、汝等を責むる者のために祈れ)

  • 忍辱(にんにく)の功徳・・・・・共に苦難に耐え忍び、がんばりぬくという忍辱の功徳によって災難から逃れる事が出来ると言われています。

    廻る廻る季節に万朶の花を咲かせ、風と共に散りゆく。初々しい若葉が芽生え葉桜と変化し、変化無常である。その変化無常の奥に一枝に永遠の歓びを托す桜の真心。東京に息子と娘が生活していますが居酒屋に勤めている息子が5月6日まで休業だと言っています。経済は人の動きで生みだすものですが、コロナウイルスの出現で経済的損失と尊い人命の損失が天秤にかけられています。人間は自然界の生物、植物、鉱物等と置かれた場所を侵さない限りにおいて共生していますが互いに動物と動物、植物と植物、細菌とウイルス等においても同様なのではないでしょうか。無意識のうちに互いの領域を侵し、互いに損失を被っているように思えます。人間、動植物、細菌、ウイルス等が互いに尊重し合い調和することが大切な事と思われます。此のことによりアンビバレンス的な状況が改善され、...忍辱(にんにく)の功徳・・・・・共に苦難に耐え忍び、がんばりぬくという忍辱の功徳によって災難から逃れる事が出来ると言われています。

  • 一人一人の生命が失われると云う事は 掛け替えのない尊い神の無限の表現体を失うことなのです。・・・新型コロナウイルスと環境問題

    自粛によりめっきり朝の通勤は車が少なくなりました。コロナウイルスの検体採取が徐々に増えてきていましたが。此の地域にもついに陽性患者が出ました。ガス滅菌消毒の部署であるが為にスタッフも緊張感が広がっています。病棟も面会制限から禁止になりました。いつもの喧騒が無くなり、静かな院内となっています。新型コロナウイルスと環境問題新型コロナウイルスの蔓延の影響が世界的に広がっていますが、その裏で劇的に地球環境が改善されているようであります。人の行動等が制限された為に自家用車、飛行機、観光用のバスでの移動、また工場、商店、飲食店等の生産、経済活動等が制限された結果だと思われます。一番の影響は個人の自家用車なのではないか思われます。人の行動等が制限されると二酸化炭素が軽減されると云う実証でもあります。温暖化と叫ばれる昨今であり...一人一人の生命が失われると云う事は掛け替えのない尊い神の無限の表現体を失うことなのです。・・・新型コロナウイルスと環境問題

  • 『自粛』と『依存性』と『真の自立』・・・日本民族の理想(暗雲と混乱と騒擾を消し去るために)

    『自粛』を辞典で調べると自分で自分の身を慎。自分から進んで、やり方をつつしみ、気をつけること。と書かれています。日本は周りを太平洋、日本海、オホーツク海などの大海で囲まれた地理的な条件により育まれた、歴とした海洋民族であります。古代では安曇族等の海人族の活躍が盛んでした。山の神と海の神が互いにその独自性を維持しながら共栄してきました。高天原の神々である天之御中主大神、伊勢神宮の祭神である天照大御神などの『天津神』、それに対して国神、地祇、地神、出雲大社等の『国津神』。『天津祝詞』に・・・・・・・天津神(あまつかみ)国津神くにつかみ)八百万の神等(やおよろずのかみたち)共に天の斑(あめのふち)馬の耳(こまのみみ)振立て聞召せと畏み畏みを白すとあります。このように日本の神々は天之御中主大神に帰一して、共に協力し穢れ...『自粛』と『依存性』と『真の自立』・・・日本民族の理想(暗雲と混乱と騒擾を消し去るために)

  • 恐怖の感染・・・『恐怖心』はどんなウイルス、細菌、病気などよりも、もっと感染しやすのです。

    私共の病院にもついに、新型コロナウイルスの疑いで診察に訪れる人があらわれて来ました。しかし皆、陰性であるようです。感染の終息を祈るばかりです。『恐怖心』はどんなウイルス、細菌、病気などよりも、もっと感染しやすのです。家庭で、赤ん坊や幼児が感染症に罹患したらうつらない様に近寄らないようにし、他の人に迷惑にならないように外出を控え自分の部屋に閉じこもるのである。しかし心の中に巣くう恐怖や動揺、心配や憤慨等の悪感情を起こした時それが感染しないように自己を隔離したことがあるであろうか!これらの感情は言葉や行動で表現しないでも周囲に感染するのであることを考えたことがあるであろうか。恐怖より開放されるための道はただ自己の真実の自我を知ることである。この自我を知るためにはイエスがマタ傳第5章で述べた如く『然らば汝らの父が全き...恐怖の感染・・・『恐怖心』はどんなウイルス、細菌、病気などよりも、もっと感染しやすのです。

  • 新コロナウイルスと日本の民族性

    まだこの地には患者が出ておりませんが。私どもの病院でも、新コロナウイルス患者の受け入れの準備しております。今まさに、新コロナウイルスが世界を席巻している。この様な危機的なる時にはそれぞれの民族性が発揮される。日本の茶事の食事の時には御膳、食器、箸も別々であり、抹茶を頂くときにも茶碗を各々に回しますがその際には懐紙で飲み口をふき取り相手にまわします。人と人の距離間があり、相手を意識し、恥じらいが強い民族性があります。神道にも穢れを忌み嫌いことがあり、それを浄める『禊の心』があります。このような民族性が衛生面でもこの様な危機的な時に発揮されているではないかと思われます。また子供の姿は親の現身といわれていますが。未知の新コロナウイルスの症状の特徴が最終的には肺が冒され息苦しい症状が現れると言われています。今世界を支配...新コロナウイルスと日本の民族性

  • 日本民族のオリジナリテイー・・・・・君民一体の『ムスビの心』

    先日『ノ』の意味を辞典で調べていると直ぐ横に『ノアの箱舟』の記載がありました。日本は古代から地形と気候条件により、長い歴史の中で常に治水という問題と戦って来ました。自然界で偉大な力をもっている水の問題は土木技術が進んだ現代社会では一見安全だと思われていて、忘れがちになります。以前は山や川と向き合って厳しい生活をしていました。現代では電車から勤務先、また車から自宅へと山や川と出合う機会も薄れ、気象状況もメデア等に頼り、身近な山や川の四季の移り変りや気候の変化にも鈍感になりました。都会では川も暗渠化され、川が何処にあるかも知らない人が多くなりました。水の力がどんなに偉大な力をもっているのさえ忘れています。日本民族のオリジナリテイー神話を含めると今年は皇紀2679年になります。このように皇統が長い間引き継がれているの...日本民族のオリジナリテイー・・・・・君民一体の『ムスビの心』

  • 平和への道と民族のオリジナリティー(originality)

    置かれた場所で毎年、素直で清らかに穏やかな顔を見せる朝顔。人間も国もこう在りたいものです。神より与えられた場所で自立自存の気風を保持して、民族のオリジナリティーを失わず、その外径より新しき芽を出しそして自由闊達に隣人に対して献身的な愛の広がる建設的な道を見出すことが、互いの利害と衝突しない穏やかな平和の道を歩むことが出来るのではないかと思えます。神が或る土地に或る独特な文化を持った民族を生み出して国を建てさせた以上、その民族には使命があるのです。強国があらわれて、一時どんなに圧迫したり、武力を持って征服したりして、自国の属領にしてみて、どうしても、永久にはそれは属領にはならないものです。仁徳天皇のお歌にそれ天の君を立つるは、これ百姓の為なり外国のふねつどへり四方の海なみしづかなるとしのはじめに御製明治天皇明治3...平和への道と民族のオリジナリティー(originality)

  • 初盆と涅槃と天国と地獄の理(ことわり)・・最終回 (菩提と涅槃と彼岸)

    心の精進は瞑想(禅定)であり、瞑想も色々とありますが要するに明るい積極的な想念と、天と地が一直線に結ばれているように、正しい姿勢が保たれれば自ずから正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい態度がとれ、身体も健康が保たれるものです。菩提と涅槃と彼岸私たちは、菩提心という、仏陀に向かって進む心を、迷いの人生の夕暮れに発(お)こし、心の真の自由と平和、仏教の最高目標である『涅槃の境地』を、悟りの朝に仰いで生きて行こうではありませんか。そうしなければ、どうして、淼々(びょうびょう)とした広いこの生死の海底から抜け出て、蕩々(とうとう)として広大な法身(みほとけ)の世界に昇りつくことができましょうか。生死海を乗り切るためには、彼岸に至る六つのおこない(六波羅蜜)とあるいは八つの正しい生き方である(八正道)という大船に...初盆と涅槃と天国と地獄の理(ことわり)・・最終回(菩提と涅槃と彼岸)

  • 初盆と涅槃と天国と地獄の理(ことわり)・・・其の2 (涅槃への道程のヒントがある。)

    煮えたぎる灼熱の暑さのなかにも爽やかな風が吹きぬけ一抹の涼しさを覚えます。弘法大師空海の24才の時に著した三教指帰(さんごうしいき)を読みかえしていますと、今から1200程前に書かれた著作でありながら現代社会の諸々の姿が映し出され、末法の時代である彷徨う現代社会の姿をまるで予言しているかのようであります。また現代を生き抜き、涅槃への道程のヒントが隠されています。私たちの行いが善くない場合には地獄に堕ちて、牛や馬の頭をした獄卒の残虐な仕打ちで報われますし、善い行為をすれば、金銀で造られた楼閣のある甘露のような天国の生活が授けられるのです。これは私たちの心次第であります。決してはじめから天国や地獄が定まった所にあるわけではないのです。私も以前には、あなた方のように心を離れたところに天国や地獄があるのかと思っておりま...初盆と涅槃と天国と地獄の理(ことわり)・・・其の2(涅槃への道程のヒントがある。)

  • 初盆と涅槃と天国と地獄の理(ことわり)・・・其の1

    今年は母の初盆なので菩提寺より棚経の連絡があり、送り火の十五日の当日は台風接近でしたが、小雨程度の天気でした。子供達は台風を避けて、前日にそれぞれに帰りました。今年の棚経は住職の御子息さんで、二十年程前の初々しい若いお坊さんの時は塔婆を優しく抱き戒名を勧請され、感動したことを思い出しました。百ヵ日法要の塔婆を持参され初盆を兼ねてのお参りとなりました。今は堂々たる風格で、丁寧に勧請されお経の読誦と木魚を叩く姿も大変すばらしかったです。帰り際に五日後の『施餓鬼供養』の案内をされ次の棚経へと行かれました。帰りに足下を見ますと雨天用の雪駄があることに初めて知りました。外には運転手さんが待っておられました。無常の賦十二因縁という、人生を織りなす連鎖によって、私たちの心は、猿が欲望のままにとびまわるように、いつも無明(まよ...初盆と涅槃と天国と地獄の理(ことわり)・・・其の1

  • 個人の運命について・・・あなたの運命の彼方は如何に 其の1

    浜辺のユリ中学生の時8K歩いた海岸への遠足地。断崖に群がるユリの想い広がる。鳥居の足下でしなやかに揺れ、遠くの岩礁に海鳥が羽を休め、ゆっくりと穏やかに打ち寄せる小波。遥かに広がる白い雲、青い空、蒼い海。真夏日の障子紙の張り替えに挑む先輩曰くこの真夏日に障子の張り替え‼普通は涼しい11月頃だろう❕先日先輩と仲間たちで道場の障子紙の張り替えに挑戦。何十年前に張った障子紙に水をかけただけで簡単に剥がれました。やはり職人が張った障子は素晴らしい技でした。個人の運命について宿命とは、過去世の宿業の集積の総決算として現れて来るのです。此のことが吾々個人の運命の半分を決定しているのです。宿業と言いましても、宿業は現れている一切の存在は心の想いに起因した結果でありますから過去世から現在までの念業である『身業、口業、意業』の三業...個人の運命について・・・あなたの運命の彼方は如何に其の1

  • 人生の主人公となる為に・・・其の3 霊的な大生命(神の世界)は創造する力そのものである。『私たちが他を害しない純粋な願い祈りは叶えられるのです。』

    博多の小学校の先生である次女は6年生のクラスの様々な問題を手本通り、思い通りに計らう事から厭離することが出来たようです。夏休みは九州大学に留学している生徒を家庭に宿泊させ、。また親子で、外国にホームステイして現地の先生の授業を受け外国語(英語)を学ぶようです。本来の夢の実現に前向きになり、明るさが戻ったようです。人は描いたもの中で神の御心にあったものが実現する。今与えられているものが神の御心である。どんな些細なものでも神の賜物として享けよ。そこから新たなる出発が始まる。此のことが肝心である。神は善そのものでありますから、よろしきこと明るい想念、積極的な前向きな行動は神様の御心と波長があうのです。至る処に新しき生命は生み出され、古き生命の姿は変化しているのである。私たちはこの尽きることのない創造性が発現して、常に...人生の主人公となる為に・・・其の3霊的な大生命(神の世界)は創造する力そのものである。『私たちが他を害しない純粋な願い祈りは叶えられるのです。』

  • 善根の辻・・・善を施し、そして善い報いを享けるのが信仰のあかしである。

    道場のお祀りしている部屋の障子を張り替えたいがこの部屋で作業をしてよいかどうかを尋ねられました、そのくすんだ障子の側に行って見ると、障子の外からなにか霊的なもの感じました。その障子の外は駐車場があり崖の高台からの気配のようでした。翌日その崖の周辺を回って、調べていますと周辺の土地の因縁が解ってきました。この辺りの丘を『善根の辻』と称し、熱心な信仰の場所であったようです。もともとこの変一帯は西郷氏が治めていたのですが筑後柳川の龍造寺家晴が、秀吉より伊佐早領2万2千石の朱印状を享け西郷氏の居城である高城の明け渡し迫り、善根の辻まで攻め入り此処で法螺貝を吹き勝利の宣言の合図を行ったとあります。此の丘の周辺は信仰の証である祠が彼方此方に点在しています。昔の人々の信仰の深さが偲ばれます。1957年(昭和32年)7月25日...善根の辻・・・善を施し、そして善い報いを享けるのが信仰のあかしである。

  • 人生の主人公となる為に・・・其の2(一切の不幸から脱却する方法)

    今日は研修会でしたが午後から参加しました。雨雲の上に入道雲がひよっこりと顔を出しています勤務先にも交換を潜り抜け総合病院であるのに警察署ですかと尋ねる怪しい電話等が時々かかります。役者顔負けの巧みな電話であります。最近は即座に虚実を見分ける直観力が必要であります。不幸を不幸と思わずその不幸の奥底にある『恵み』を発見せよ。善なる神の愛を見失う時は、その代償として苦痛という代償を背負うこととなる。それは神の愛に心をふり向けないことにより、神の無限なる叡智を自分自身にあらわすことが出来ないからである。それ故に、おのれ自身の直覚によって神に導かれることが出来ない。神より来る直覚こそ、吾々を苦痛と不幸におとしいれる間違った選択を正してくれるのである。善は悪を知らない。光は闇を知らない。知恵は愚かさを知らない。生命は死を知...人生の主人公となる為に・・・其の2(一切の不幸から脱却する方法)

  • 人生の主人公となる為に・・・『自己の人生』と境遇、環境は互に牽制し、影響する。

    永遠の包容降りしきる雨の足元に小さな草々の初々しさ、健気に生きる逞しさ。銀河にひろがる一粒の星、その光が輝くとき永遠が奏でられる。浄き生命の讃歌、魂がわななき、甘やかな包容。鳴り響く調べ、此のひと時に優しさ広がる。どのようにすれば自分の環境、境遇を改善することが出来るのであろうか。地獄も天国も我が心の内あると申します。心で想うことが現実の世界に実現するのです。まるで磁石のように悪を想えば悪が現れる。喜べば喜びが現れる。私たちの人生は自分自身の心の想念の力で創り上げるているのですから、その想念の力で悪しきにも、善しきにも人生を築くことが出来るのです。自分自身の悪しき環境は外からの印象及び影響は受けますがそれを受け入れるか否かは自分自身で決定するのですから最終的には自分自身が責務を負うことになります。ですから全ての...人生の主人公となる為に・・・『自己の人生』と境遇、環境は互に牽制し、影響する。

  • 46億年前の真実は今此処にあり・・・・・人間の生命は『久遠』即『今』を永遠に生きるなり。

    『はやぶさ2』の成功マクロとミクロの世界がひろがる広大な宇宙の46億年前の真実を小さな『はやぶさ2』が『今』此処に運んで来ました。龍宮城の浦島太郎が玉手箱を開け、無時間の世界から、時間空間の世界へ舞い戻り一瞬にして老いた姿に変貌しましたが、『はやぶさ2』は46億年前の真実を今此処に見せつけました。如来の性は、実は消滅なきなり・・・・人間の生命は永遠なり。本当の自分は今まで天地と共に生き通してきた、これからも天地と共に生き通して、朽ちず、老いず、苦しまず、病まず、悩まざる『円相的妙楽』の存在であり、金剛身、不可壊身である。不治の病を持つ病弱な肉体に乗っている貴方は名騎手である。・・・名騎手は却って駄馬を乗りこなそうとする。自信を持て子供をあまり束縛するな、神に委ねよ。・・・家庭より外が楽しいようになった時、子供は...46億年前の真実は今此処にあり・・・・・人間の生命は『久遠』即『今』を永遠に生きるなり。

  • 常に善き想いを把持して善き言葉を語れ。・・・・・一瞬の念(おもい)でも、善きにせよ、悪しきにせよ心の奥底に蓄積され、時間の経過を経て思った通りの世界が実現する。

    午後から年休をとって島原外港の近くに出講に出向き、時間に余裕があったので途中小さな港に立ち寄りました。坂本竜馬以下50人程の一行が神戸港を出発して九州を横断し、この小さな港に上陸して島原街道、長崎街道を経て長崎に行ったことを知り意外でした。その歴史の地に立ち海を眺めていると年月の変遷を超えて坂本竜馬以下50人程の一行の思いと勇雄さが感じら、歴史は時間を超えて今此処に生きていることを肌で学びました。汝の運命を征服する武器は念(こころ)である。汝もし人または団体に対して致命的な考えをもつならば、汝は引き金をひかなくても相手に手傷を負わすのである。・・・カーライル一瞬間、心をかすめてた念(こころ)は一つの波動(コトバ)であり、宇宙の一切は波動で出来ているものであるから、一度吾々が或る念を心に思い浮かべたなら、それは一...常に善き想いを把持して善き言葉を語れ。・・・・・一瞬の念(おもい)でも、善きにせよ、悪しきにせよ心の奥底に蓄積され、時間の経過を経て思った通りの世界が実現する。

  • 病気などの困難は困難に非ず。新しい真実の世界へ生れる為の導きである。

    夜る遅く電話がなり、電話を取ると部下からであり昨日父が肺癌の宣告を受けたとのことでした。色々と家族の事情を聞いていますと父思いの部下であり、色々悩んだ挙句、私の処へ相談を持ち掛けたようであります。誰しも親は子供には理解できない人生の悩みがあり、長年寄り添った夫婦でも互いに微妙な問題が有ります。子供は幼い時から何と無くその父と母との雰囲気は感じとっています。またその影響をまともに受けています。病気は自分自身の心の現われであり、また己が人生の写しでもあります。家族の中でネガテイブな事が起こりますと自然に暗くなりがちであります。病気は人生の宿題であり課題でもあります。この病気という問題を通して、様々な困難を乗り越えることによって『魂の浄化』となり美しき新しい清き世界に生まれる事となります。此の世は暗黒に満ちた穢土では...病気などの困難は困難に非ず。新しい真実の世界へ生れる為の導きである。

  • 明るく素直に生きて行きましょう。・・・必ずよい運命が開けて来るであろう。

    雨が降り出し、田圃にも並々と水が溜まり小野平野でも本格的に田植えが始まりました。『5輪の塔』のお墓の補修が済んでからの雨、助かりました。自分の内にある無限の宝を掘り出しましょう。既にある自分の良さも、恵みも、無限の力も気がつかなかったら無いのと等しいことです。大自然の恵みも、衆生の恩も、父母の恩も、国家の恩も気がつかなかったら、それは無いのと同じである。明るく素直に生きて行きましょう。・・・必ずよい運命が開けて来るであろう。自己の内なる心からほとばしる直観を素直に信じよ。善い結果を生むであろう。第一の直観は神が語り、第二の直観は悪魔が囁く。思い立った事は素直に直ちに実行しましょう。必ず善い結果を生むであろう。神の啓示をうけるということは、霊媒的素質の有るとか、無いとかに拘わらず、自己の執着を脱する程度の従って完...明るく素直に生きて行きましょう。・・・必ずよい運命が開けて来るであろう。

  • 現在意識である『言葉の力』、『想念の力』を使って潜在意識を支配し、(自己破壊)の心から自由を奪還して人生を明るく生きて行きましょう。

    此の記事を書いている時に小学校の高学年の教師をしている博多の娘から電話がありました。厳しい困難な一日のクラスの事を話しましたが朝出勤する時に身近な自分の小学1年生の息子から素晴らしい助言を受けたようです。それは前向きな明るい素直な言葉でありました。自らを傷つける自傷行為、又は自己処罰の奥底に存在する罪悪感、人類意識である原罪意識、劣等感などのネガテイブな『無意識』が現在意識を支配し破壊への道へと導きます。これを拡大して行きますと戦争、失錯による事故、病気、環境破壊等の社会的な破壊行為も人間の自己破壊が因となっているのではないかと考えられます。この潜在意識と現在意識とが仲良く調和することが出来れば心が平安となり、明るくなり、罪、罪悪感、劣等感などの苦しみからの解放が出来ることになり、又凡ての物事がうまく運ぶことに...現在意識である『言葉の力』、『想念の力』を使って潜在意識を支配し、(自己破壊)の心から自由を奪還して人生を明るく生きて行きましょう。

  • 希望成就への道・・・自分自身の心に潜む逆念(自己破壊)からの解放。

    養母の『中陰』が明け、改めて百一歳まで生き抜いた母の人生を思うとき互いに遠慮し合う感情の襞をもちながらも、私の名を親しく呼んで頂いた70年程の御縁が心奥深く沁みわたり、母の声が峰々の谷間に響き、夕焼けが紅く染まり無碍光の世界へと還帰し給う慈しみ。希望成就への道・・・自分自身の心に潜む逆念(自己破壊)からの解放。誰しも岸壁の上や、ビルの屋上から下を覗くと意識の中(現在意識)では落ちたくないと思いながらも、『潜在意識の力』で吸い込まれて自ら落ちる恐怖を感じます。最近の色々な不慮の出来事なども自己破壊の産物と思え心が痛みます。(義経の鵯越の逆落)のように馬が急斜面を下るとき前足(現在意識)が踏んだ足跡(安全なところ)を後ろ足(潜在意識)が正確に踏みしめていると上手に馬は急斜面を下ることが出来ます。前足の跡(現在意識)...希望成就への道・・・自分自身の心に潜む逆念(自己破壊)からの解放。

  • 友は心の花・・・友にめぐり合い共に学ぶことは人生の幸福である。

    早咲きの『市の花』ツツジが母校の門で咲いており、校門の付近は綺麗に清掃がなされていました。反対側にノーベル化学賞をうけた下村修氏の銅像が立っています。54年ほど前は、門柱以外は簡単な柵で囲まれており、当時の校舎は素朴な木製造りの2階建であり、階段も歩くとギシギシとキシミ音がして、屋根裏には鳩が巣を造っていました。共に学び遊んだ学友もそれぞれ夢を抱き、ジャーナリスト、建築家、画家、官僚、僧侶、教育者、政治家、弁当屋、自営業などの様々な職業を選び各地に散って行きました。長い年月を経て、それぞれの場所で、其々の運命を背負い懸命に生き抜け夢を叶えた友も居り、又東大在学中に若くして病に倒れ急逝し、惜しまれた親友もいます。朝(あした)に紅顔あって夕に白骨となる。思想(想念)は思った通りに形成される。死後の世界に於いては心で...友は心の花・・・友にめぐり合い共に学ぶことは人生の幸福である。

  • 『有限』即『無限』 ・ 『極微』則『極大』の瞑想・・・普く我が全身を観ずるに此の身この儘、大宇宙に満ちる普賢菩薩なり(観普賢菩薩行法)。

    昨夜の御前1時30分にふと目が覚め、直ぐには寝付かれず、枕もとのスマホでニユース記事を見ていると、皇太子殿下の『水運史から世界の水へ』の御本が4月4日発売との記事を見当たり直ぐAmazonで注文しました。Amazonでベストセラーになっていました。去年、水に関する講演会記録を読まさせて頂いたことがありますが、水に関することはもちろん、災害、環境問題、民族学、歴史学又あらゆる学問にも深い御造詣があられ、また慈愛に溢れた御文章に感動致しました。昨夜は不思議な出来事でした。『肉体と云う制約された有限の世界』そのままで『永遠なる無限世界』を生きているのが私達である。本来、人間は死ぬこともなく、無限であり、遥かなる虚空に満ちている霊身であり如来であり、普賢菩薩であり、観世音菩薩であり、キリストであり、全ての処に変化して現...『有限』即『無限』・『極微』則『極大』の瞑想・・・普く我が全身を観ずるに此の身この儘、大宇宙に満ちる普賢菩薩なり(観普賢菩薩行法)。

  • 令和元年・・・神の御前にひざまずき、御心の天になるが如く。地にもならしめ給え。

    もう直ぐ、令和天皇の時代が開かれます。老いも若きも皆さんが新しく生まれる時代に希望をもち、歓んでいる様子を見ていますと私も嬉しくなりました。久しく用いられて来た日本の元号は素晴らしい存在であることを再認識しました。此のことを大変有難く思い、皇祖皇宗の御神霊に深心の感謝を申し上げる次第であります。『令和』という元号は『言霊』であり宇宙に満ち満ちている魂の振動であり、新しい生命の響きであり波動であり、宇宙大生命の脈動そのものであります。元号発表の日に帰宅して『令』を、文化勲章を受けられた『諸橋轍次(もろはしてつじ)』監修の廣漢和辭典(全4巻)。中村元著の仏教語大辞典(全3巻)、宇井伯壽の佛教辭典でも調べました。人名、熟語で色々と使われていました。廣漢和辭典(全4巻)では①命ずる。②みことのり(君主の命令)。③のり。...令和元年・・・神の御前にひざまずき、御心の天になるが如く。地にもならしめ給え。

  • 永遠不滅の世界・・・衆生、地球が『劫』つきて大火に焼かれ消滅しようとも、我が此の土は安穏である。

    花びらの陽炎もゆる青い空里山は桜満開。母を訪ねて、満開の桜並木を走りぬける。そこは携帯が届かない山間の地なり!近づくと細目で吾を見つめるなり。一如の世界穏かな自然、豊かな自然、気高き自然、穏かな自然は吾等の心豊かな自然は吾等の心気高き自然は吾等の心荒狂う自然も吾等の心この世、あの世に顕れている凡ての現象は吾等の心の反映でありこの世、あの世に顕れている凡ての現象は神の愛に導かれている永遠なる一如の世界。永遠不滅なる世界衆生、地球は輪廻によって、劫つきて大火に焼かれ消滅しようとも我が此の土は安穏にして永遠なる世界である。そこには天人充満せり。花園、宝樹、堂閣には多くの花や実がなり、種々の宝玉で荘厳せり、衆生の遊楽する所なり。諸天は天の楽器を打ちならし、常に諸々の音楽を奏でり、曼荼羅華を雨ふらし、佛や大衆に散じていま...永遠不滅の世界・・・衆生、地球が『劫』つきて大火に焼かれ消滅しようとも、我が此の土は安穏である。

  • 空海の願い・・・私たちが進むべき道

    今年も黒いスーツを着込んだ初々しい看護師さん達が目を輝かせて院内を回っていました。ベテランの看護師曰く、ホヤホヤですよ!と私につぶやく。しばらくすると新年度!追っかけてくる仕事、仕事!空海の願い・・・私たちが進むべき道私は世の人々に、妄執(まよい)を乗り越えて、人間の心の真実に入って貰いたいのです。霧を吹きとばして明らかな光のもとに自分が本来所有し、備わっている仏心(ほとけごころ)をはっきり見なおしてみると、そこには無尽の宝物がいっぱいつまっていて、私もあなたも、その宝物を利用して、毎日が全く新しい生活となるに違いありません。人間の種々の心の探求である『第十住心思想』其の第一住心・・・人々は実我という固定した霊魂(自我)が実際に存在しているものと錯覚して、それにこだわり、その自我に執らわれてしまいながら生活して...空海の願い・・・私たちが進むべき道

  • キラキラと光る砂の川、輝く銀ハヤ(鮠)、空で遊ぶ雲雀・・・ワクワクと心ときめく愛を『今』此処に

    福島県本宮市にある映画館『本宮映画劇場』の番組を見て、昭和32年頃の私が小学5年生の時、佐賀県基山町で父が映画館を経営していました頃を思い出しました。私も2台のカーボン式映写機がある映写室に興味津々出入りをしていました。映写技師の指示でカーボンの光が低下しないように調節したり、フイルムの巻き時間が10分程しかないので、2台の映写機で切り換えて運転していました。またフイルムを元に戻すために巻き返し等の手伝いをしていました。孟母三遷当時、朝鮮戦争が終結した直後に、外人バー等が集まり、ネオン輝く退廃的な米軍の海兵隊の基地佐世保より、見渡す限りに平野がひろがる筑紫平野(佐賀平野)の小さな町に転居しました。無限と思える程ひろがる麦畑、川底の砂が透きとおる川の流れ、雲雀の鳴き声、私にとっては全てが初めての新鮮な経験でありま...キラキラと光る砂の川、輝く銀ハヤ(鮠)、空で遊ぶ雲雀・・・ワクワクと心ときめく愛を『今』此処に

  • 常に『極楽世界の中』に身を置いて生活を生きる。・・・智者は自らその身を整ふものなり

    寒暖差が激しい毎日です。花もその日ごとに表情が違います。移り変わる環境も『己が心』の反映なりと申します。明るい善き想念を抱き人生を歩むとき善き運命が開けて参ります。道を極めるだけでは本当の生活は出来ません。弓師は能く角を調え水人は能く船をととのふ巧匠はその木を調え智者は自らその身を整ふものなり阿含経三十一釈尊はただ角、船、木を調える技術の高さ、巧みさを述べられているのではないのです。その素晴らしい技術と巧みさが自分自身の身の上と一体となっていなければならない。例えば芸人が舞台で親鸞上人の生き様を素晴らしい芸術に現して見せたのに、それが終わり楽屋で、手のひらを返したように寝転んで聞きづらい野蛮な言葉を放っている姿を見ると興が冷めます。このように『芸は芸』『自分は自分』と割り切るところに迷いが起こります。自分の芸、...常に『極楽世界の中』に身を置いて生活を生きる。・・・智者は自らその身を整ふものなり

  • 先祖供養の意義・・・『一切衆生悉く仏性あり』の報恩感謝の供養を捧げる。

    奥津城に風吹きぬける山桜とおつみおや遠津御祖のお蔭ありて、今日の生命を生かして頂く有難さ、満開の桜を眺むるに、有りしの紅顔浮かぶなり。先祖供養の意義原因があれば結果を生じるという因果律の法則がある。これは宇宙の法である。『因果の法則』は眩ますことが出来ないのです。悪業を重ねながらこの世で悪業が現れないといって、この世の人生を甘く見てはならないのです。その悪業を重ねた因縁はこの世に現れないということはどこかにその悪業の因縁の負債を払わないといけない世界があるのです。その悪業の負債を払う世界が霊界であり、輪廻転生する『未来世』である。多種多様の苦しみの世界霊魂の行く世界は『己が心』を現わした世界であるので、解脱したような霊魂は『極楽』へ、それ以外の霊魂は『地獄とか煉獄』とかいうことで例えられており、多種多様の苦しみ...先祖供養の意義・・・『一切衆生悉く仏性あり』の報恩感謝の供養を捧げる。

  • 高良玉垂命(こうらたまだれのみこと)について・・・悠久の古代史

    昨日は長崎市内でお話をさせて頂きました。長崎の街は坂が多いので、家の近くには駐車がありません。家を探し、石段を登っているうちに雨が降り出しました。長崎市内はすり鉢の形をしていますので、陽が落ちますと夜景が美しいです。しかし高齢化で坂の上の高い処は無人になり灯りが無くなってしまいました。高良玉垂命(こうらたまだれのみこと)について・・・悠久の古代史延喜式に『高良玉垂神社』とあります。福岡県久留米市の高良山の中腹に鎮座している大社。『高良玉垂命』を主祭神として『八幡大神』を左相殿に『住吉大神』を右相殿に祀ってあります。古くから朝廷の尊崇極めて篤く、桓武天皇、嵯峨天皇、仁明天皇、文徳天皇、清和天皇、醍醐天皇等より神階を与えられています。『高良玉垂命』は如何なる神であるかと云うことは古い時代から色々諸説があります。その...高良玉垂命(こうらたまだれのみこと)について・・・悠久の古代史

  • 純粋なる日本的な伊勢神宮の『神饌』・・・かたじけな おごそかにして したはしき 大御祭も 今しつかえぬ 女性初の神宮祭主 北白川 房子親王

    いよいよ御代がわりが近づいてきました。30年前に病院が建て替わり、当時の管理職に誘われこの総合病院の仕事に就きました。月日が過ぎ去るのは早いものでね!当時は新館でしたが、30年も過ぎて旧館もうソロソロ御代がわりの時期です御代がわりに神風の伊勢神宮を慕いて持統天皇御製高照らす日のみ子おもいいかさまに念しめせか神風の伊勢の国はな沖つ藻も靡みたる波にかお潮気のみ香れる国にうまことも味凝りあやに羨しき高照らす日の御子伊勢神宮の神饌神饌(しんせん)はその神社が鎮座している土地やその時代、時代に、人々が簡単に手に入れることの出来る旬の食物を人々が好んだ調理法で調理したものです。直会(なおらい)と云われている神と人間との共食という考えから、人間の食べる物、食べる量を基準に考えられている。すぐ食べられるように火を通した熟饌(じ...純粋なる日本的な伊勢神宮の『神饌』・・・かたじけなおごそかにしてしたはしき大御祭も今しつかえぬ女性初の神宮祭主北白川房子親王

  • 『神の国』を生きる・・・小さなからし種の愛

    笑いの大会のアシスタントをいきなり指名されました。笑いの効果は緊張を解すなど沢山の効果があります。レオナルド・ダ・ヴィンチ(eonardodaVinci)の『モナリザの微笑み』のように辛い時にも心の中に常に『微笑みを把持』して生きるとき、生活に明るさが増し、安らぎを招くことになります。からし種のたとえイエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。『神の国はからし種に似ている人がこれを取って畑に蒔けばどんな種よりも小さいのに、生長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。』マタイによる福音書13-31~32からし種のように外見は貧弱なものであっても、その中には素晴らしい力が存在しているのです。このことは小さな種の中に人間の五官では感じ取ることが出来ない神秘的な無限なる創造世界が存...『神の国』を生きる・・・小さなからし種の愛

  • 目にみえない世界・・・物質とは何か、力とは何か!因果律を破る? 超対称性!

    帰宅時に突然春雷が鳴り響き、横なぐりの激しいい雨が車に打ち付けました。5月の10連休は日程のやり繰りで悩ましい限りです。五官の認識について舌や鼻や触覚で感じるよりも、又耳で聞くより、目で見たことの方が記憶に残ると云われています。五官の中でも目で感じ取る『視覚』は最良の器官であります。日本の懐石料理はこの視覚に最も重きを置いています。物質について視覚や触覚で感じ取れる物質は突き詰めていきますと、最後は目では感じ取れない光の波動であると云われています。因果律を破る?非対称性の中にも対称性が存在するという『超対称性』この超対称性と云うのは正に因果律を破ることなのか?因果律を破るということは因縁が無いということではないか?因縁が無いということは極楽世界であるということか?湯川秀樹博士は『因果律を破る』と云う問題に生涯を...目にみえない世界・・・物質とは何か、力とは何か!因果律を破る?超対称性!

  • 物忘れ第一の槃特(はんどく)・・・・・一つのものに徹することの大切さ。

    午後から長崎での会議に参加しました。雨は降りましたが道は空いていて助かりました。人は黙して坐するを誹(そし)り、言葉多きを誹り、また少なきを誹り、世に誹らざる人なし釈迦世尊物忘れ第一の周利槃特(しゅりはんどく)釈尊の弟子のひとりの槃特(はんどく)は物忘れの達人でありましたので自分の名前を忘れないように名前を書いた板を身に付けていました。阿羅漢に達していた兄からもお前は仏様の弟子になる資格がないとさじを投げれ追い出されましたが、釈尊からお前さんは愚かであることを知っていることはお前さんが決して愚かでない証拠です。お経を覚えることだけが悟りの道ではないと諭されました。それから『塵を払い、垢を除かん』の言葉だけを唱えるようにいわれました。槃特(はんどく)は洗濯や掃除をしながら『塵を払い、垢を除かん』と素直に唱えつづけ...物忘れ第一の槃特(はんどく)・・・・・一つのものに徹することの大切さ。

  • 輪廻転生・・・迷はぬものは何処にいっても迷はぬ。

    朝から妻の肩、首筋のマッサージ。妻曰く、貼り薬3枚分の効果があるわ!肉・魚介食からベジタリアン(野菜食)の道へ!人間が犬に転生する事があるかとの問題は、仏説よりますと、弟子に肉食を禁ぜられた理由のなかには、食膳に上る魚貝などの類も、かって父母たりしものが転生し来たったものがあるから、父母の肉を食べることになるおそれがあるから食べないが好い。輪廻転生・・・迷はぬものは何処にいっても迷はぬ。(吾々は本来仏性であり、神性であり神の子であることが根本因である。)『本生経』などによりますと釈迦ご自身が鳩や熊や色々な動物に転生して来たという幾多の物語を説いておられます。肉体は心の顕れであると云う原理を推し進めると、人間の心が畜生の状態になると。畜生の形、姿を現わすことは不思議ではないのです。禅宗の『無門關』第二則百丈野弧に...輪廻転生・・・迷はぬものは何処にいっても迷はぬ。

  • 老人の知恵と孫・・・老人の慈しみ。

    春うらら岸辺に遊ぶ白鷺や年休を取り午後から早退しました。ちょっと車を降り、散策しました。温かい日差しのなか、時おり冷たい風が吹き抜け、いよいよ桜の出番です。老人の慈しみある母親の男の子が頻尿で困って精神科のカウンセラーのところに来て相談され、事情を聞くと、祖父母と若夫婦が同居していたのですが祖父母の考え方や孫の接し方に不満を抱いていた両親が、新居も求めその祖父母と別居することなり、しばらくして子供の頻尿が始まったそうであります。母親は悟りが早く自分で事情を話すうちに、この問題点に気がつかれ、今まで自分の子に悪影響を与えていると思っていた祖父母が、母親が思っていた事に反して、子供が生きてゆく上で大変な良き影響を与え、重要な役割を担っていたことに気がつたのです。祖父が昔話をしたり、食後に禁止されていたチョコレートを...老人の知恵と孫・・・老人の慈しみ。

  • 傷ついた花々にも慈しみを・・・愛は神なり

    クラシック音楽の中でも最も『霊感的』な協奏曲であるベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番を聞いていると末っ子の7男の二人の孫娘たちがやってきました。喜び満ちたお雛様たち、今年新1年生になる孫娘が小さな付箋に小さな文字をコツコツと書いている姿が博多に居る次女の雰囲気に似ている事に驚きました。相寄る人々は因縁があり、同じ雰囲気を持っている『親和の法則』が働いているという言葉を思い起こしました。存在している全てのものが支えあっている荘厳なる世界無機物である物質そのものは主観的な価値観を物質自ら主張しませんが、各々人間の心によってそれぞれの物質の価値観が決まります。そのように吾々が五官で感じとっているこの現象世界の価値観は各々人間の想念で創りだした価値観の世界であります。一粒の砂自身がダイヤモンドよりも人間よりも価値がある...傷ついた花々にも慈しみを・・・愛は神なり

  • 無我の愛・・・一切の悪は執着より生じる。(一切を捨てよ)

    情報に溢れた世の中でその情報の選びかたに由って大きくは運命を変えることになります。最終的に選ぶには人間の直観力に依存することになります。その直観力である閃き、霊感的なインスピレーション(inspiration)を養うには表面に現れた分析的な化学力よりも優しい心、感動などの目に見えない世界を大切にあつかい養うことです。それは瞑想、座禅、先祖供養などの利他行があります。利他行である無我の愛人のために泣き、ひとのために憂い、国の平安を祈り、他をいかし、他を悦ばし、他を楽しませ、他を利益するところの愛である。『利他行』の一つである先祖供養先祖の霊を朝夕礼拝するのは、霊魂は善念である真理の念を向上の食物としてうけとるものであるから、反対に妄念である呪いの念、憤りの念、恨みの念は害を与えるものでありますから、常に人間は神の...無我の愛・・・一切の悪は執着より生じる。(一切を捨てよ)

  • 春めく野原に小さき花々・・・すべての存在は、われわれを祝福している。

    帰宅時にマフラーが要らなくなりました。素早く指紋認証の反応をする為にスマホの明るい色の手帳形のカバーを外したところ、今度は黒色のスマホの置き場所を探すのに大変でした。再び明るい色の手帳形のカバーを購入しました。何事も楽なやり方は思い通りに運ばないようです。やはりゆっくりと丁寧に穏やかに過ごすことが大切ですね!知恵の言葉すべての存在は、われわれの願いを叶えるように協力している。どんな人間にもダイヤモンド以上に高貴な輝く美しい神性が宿っているのである。人間の肉体が60才、70才、80才になったからとて、永遠の寿命に対して依然として赤ん坊である。仏の座の群生春めく野原に小さき花々・・・すべての存在は、われわれを祝福している。

  • 新しい時代の夜明け・・・偶然は信念で必然にかわる。

    愈々新しい時代の夜明けが近づいて参りました。先日皇太子殿下の誕生日でお言葉がありました。その最後のお言葉に・・・私も、過去の様々なことを学び、古からの伝統をしっかり引き継いで行くとともに、それぞれの時代に応じて求められ皇室の在り方を追い求めていきたいと思います。私共も皇太子殿下の御心を御心として有り難く拝受して殿下の御心に報い奉らんと心より願います。岩かげにしたたり落つる山の水大河となりて野を流れゆく皇太子殿下歌会始偶然は信念で必然にかわる。『中心帰一』・『一円相の理念』の日の丸新しい時代の夜明け・・・偶然は信念で必然にかわる。

  • 愛は癒しなり・・・天地すべてのものの内に神の愛が存在している。

    気温が下がり始め寒くなりました。世間は3連休であります。買物のレジでの小さな心遣い嬉しいですね!先日出講先で下記の質問がありました。①『神の国は汝らの内にあり』この『汝らの内』とはどの様なことですか?②もし私の内に神が存在するのであれば、私以外の人達にも神が存在するのですか?③信仰している人以外の無神論者の人達の中にも神が存在しているのですか?④心を平安に保つにはどうすれがよいか?①汝らの内』とは何のためにうまれたのであろうか、人生は何のためにあるのかという問題につながり、人間にとって切実な問いであります『汝らの内』というのは一体どこかという、汝らの内とは即ち『自性』であるわれわれが本来持っている真実の性(心のありかた)と示されているのです。則ち人間本来の本性で、真の人間そのものである。『汝らの内』則ち『本来の...愛は癒しなり・・・天地すべてのものの内に神の愛が存在している。

  • 春のおとずれ・・・守り神のおとずれ(祖先・産土神は守り神)

    春のおとずれあたたかい雨だれがひびく万物のささやきひろがり初々しい蕾の望みふくらみ歓びの歌を奏でる小鳥たちゆれる菜の花の楽しさよ守り神(守護霊)のおとずれ人間が現世に生まれると、祖先の霊魂中の適当なものが選ばれて、守護霊又は守護神と称する『守り神』として、その人に付随して守護し、大抵は生涯その人を守護しているのでありますが、これは産土神の支配下にあるものでありまして、産土神様の命令により、その人の使命の重大化するに従って、更に多くの守護霊がその人に付随して守護し、又は精神波動により、ある指導を与えていると解されるのであります。ささやかな愛春のおとずれ・・・守り神のおとずれ(祖先・産土神は守り神)

  • 母の御恩・・・人の此の世に生まるるは宿業を因として、父母を縁とせり。

    母の主治医より呼び出しがあり、説明をうけに山麓の母をたずねる。常しえの花谷間に艶やかな紅梅咲きほこる。誰しも艶やかな時代在りしなりベットに横たわりし母の姿麗しくほほ紅さしひかり、語りし声遠く瞼にうかぶ在りしの日々遠くなりうけた御恩報いること叶わざるなりああ母にご縁ありて救われし我が身唯、ひたすらにとこしえに幸祈るなり。母の恩永遠なり人の此の世に生まるるは宿業を因として、父母を縁とせり、父にあらざれば生ぜず、母にあらざれば育せず、ここを以て気を父の胤(たね)に禀(う)けて形を母の胎に托す此の因縁を以ての故に、悲母の子を思うこと世間に比(たぐ)ひあることに無く、その恩未形(みぎょう)に及べり。仏説父母恩重経『注』宿業(しゅくごう)・・・過去世につくった善悪の業因縁・・・因は結果を招くべき直接の原因。縁は因を助けて結...母の御恩・・・人の此の世に生まるるは宿業を因として、父母を縁とせり。

  • 豊かな幸福生活を創る・・・たゆまず善き明るい豊かな言葉を語れ(水滴 石を穿つ)

    今日は初午、祖母が53年前に私たち分家の家族の繁栄の為に祐徳稲荷神社の御分霊である霊代を享けて頂きました。それ以来神棚に祀っています。博多の那珂川流域は弥生時代から稲作の発祥の地であり、本家は先祖代々農業の神である稲荷大神を庭の一角に地祀りして奉斎して来ました。祖母への思いを巡らせ毎年お参りさせて頂いております。午前中はお参りが多いのではないかと思い、午後から出かけることにしました。有明海を眺めながら50キロ程の道のりを走り抜けると、駐車場が都合よく近くに空いていましたので助かりました。イナリは稲生(いなり)の義であるといわれているそれが稲荷の字に改めるに至った伝説弘法大師が、京都の東寺のそばを通ると、一人の稲を荷つた老人に出会った、弘法大師はその老人から種々の尊い教えを享けたので、これは神が仮に老人の姿をして...豊かな幸福生活を創る・・・たゆまず善き明るい豊かな言葉を語れ(水滴石を穿つ)

  • AI(人口知能)が人間を飲み込む・・・自己の存在を内なる心に振り向け既に『素晴らしい存在』であり『神の子』であることに目覚めなければならない。 今此処が既に天国であり極楽浄土であると!!

    物資的な『AI(人口知能)』が人間の本質を呑み込むのではないかと危惧されているのです。ICチップを指&脳に埋め込み、カード決済や企業など重要な判断をICチップやAIに委ねることが実用化されたのも『人間の本来の本質』ではない、人間が神の力を得ようとする野心と欲望の産物である『人間至上主義』の成果ではないかと思われます。知識の獲得などの合理的な現象面に心を振り向けるのでなく、心の内面に振り向け心の深奥に大宇宙を観るが如く、人間とは如何なるものかと云う人間本来の本質を知ることが大切であると思われます。『ユヴァル・ノア・ハラリ(YuvalNoahHarari)』の言葉AI(人口知能)が人間を飲み込むAIは感情や主観もなく、人間とは全く違った存在なのです。最も大切なことは自分自身を知ることだと思います。自分が何者であるか...AI(人口知能)が人間を飲み込む・・・自己の存在を内なる心に振り向け既に『素晴らしい存在』であり『神の子』であることに目覚めなければならない。今此処が既に天国であり極楽浄土であると!!

  • さわがしき 風につけても 外国に いでて世わたる 民をこそおもへ ・・・ 常にどの様な時にも民に思いを寄せられる大御心の深き慈愛。

    和の精神妻と一緒に大阪なおみさんの決勝戦をテレビで観戦しました。スポーツ観戦は久しぶりでした。大阪なおみさんの活躍を見ていますと、はにかみとウエットのなかにも素晴らしい集中力とパワーがみなぎり、執着心のない、内に秘めた強い信念を感じました。そして優しい控え目な和の心を持ち合わせている姿に感動しました。御製明治天皇さわがしき風につけても外国にいでて世わたる民をこそおもへ神がきに朝まゐりしていのるかな國と民とのやすらからむ世をよもの海みなはらからと思う世になど波風のたちさわぐらむいまから千四百年ほど前聖徳太子は十七条憲法というものを定められその第一条に『和を以て尊しとなす』としるされた。この和を尊ぶ心、つまりは平和の精神こそ、長い歴史のなかで培われ、連綿として続いてきた日本の伝統の精神の根底をなすものではないだろう...さわがしき風につけても外国にいでて世わたる民をこそおもへ・・・常にどの様な時にも民に思いを寄せられる大御心の深き慈愛。

  • 陰、極まって陽生ず・・・花も、樹も、生き物も日々精進してより美しき姿を現している。

    インフルが出盛りとなりました。該当病棟への出入りにもICカードで制限されました。陽気な春の到来が待ち遠しいですね。花も、樹も、生き物も移り変わる日々のなかで精進して、より美しき姿を現しているのです。キリストの生活の摸倣かくてイエスまた人々に語りて日(い)ひ給う。我は世の光なり。我に従ふ者は、暗き中(うち)を歩まず、生命(いのち)の光を得べしヨハネ傳第8-12すべての生物に宿る叡智凡ての生物(いきものは)は、どこかに、キリストの光を受けて、生活の修行を為すことが出来るのである。私は或る日、森の樹の下に静かに座り、小さな口笛を用いて、森の小ネズミの鳴き声を真似していると、その声に引き付けられて、獲物を探していた一匹のイタチが私の足元の至近距離まで誘われて来たのです。イタチの姿は全て私の前で見えるのである、どこにも逃...陰、極まって陽生ず・・・花も、樹も、生き物も日々精進してより美しき姿を現している。

  • 心は魔術師である・・・心が解放され自由自在になり豊かなる平安へのヒント。

    ありふれた素材のなかにヒントがあり斬新さがある。そのアングルを変える事により新たなる発見がある。密室のパンドラ。例えばエレベ―タ―に乗りボタンを押すと自分の押した階に必ず着くのであるという誤解がある。たとえボタンを押しても自分の押した、思い通りの階には必ず着くとは限らない。他の階で誰かがボタンを押しているからである。此の事がなかなか理解出来ない。それは他の階で押した人が認識出来ないからである。だからエレベ―タ―の扉が開くと着いたと思って反射的に直ぐ降りようとする。また扉が開き、どうも目的の階ではなのではないかと感じるとまるで始めて来た別世界のように驚いて目を見開く。この思い通りにならない状況をなかなか直ぐには受け止めようとはしない。その挙句いら立ちヒステリックになる。心の退行・・・先祖返り多くの人間はどうも幼児...心は魔術師である・・・心が解放され自由自在になり豊かなる平安へのヒント。

  • 大いなる神秘・・・枯れることのない精霊の清水。

    生命の泉朦朧として道をさ迷う虚ろな光景霧が広がり街の騒めき誰かが囁く、遇ったことが有るのだろうか足もとが舞いけむりとなる。ここは何処だろ愛のささやき、愛の戯れ、愛の悦び生命の泉枯れることのない精霊の清水雲霧の奥に流れる精霊の霊水。祝福の祈り昨日悩める人達の為に、皆で瞑想をして祝福を祈りました。大いなる神秘朝起きたら、太陽の光と、おまえの命と、おまえの力とに、感謝することだ。どうして感謝するのか、その理由がわからないとしたら、それはおまえ自身の中に、罪がとぐろを巻いている証拠だ。ネイテイブアメリカンショーニ族の酋長ラカムセ(Tecumseh)(1768―1813年10月5日)おお!大いなる魂よ私は風の中にあなたの声を聴きます。多良岳大いなる神秘・・・枯れることのない精霊の清水。

  • 苦しみの奥に聖地がある。・・・有り難いばかりの人生である。

    結実温かい太陽と降り荒れる慈雨を素直に享けるとき、芽が出でて、葉が茂り、幹が伸び花が咲き、実が結実するのである。そして大地にすべてをまかせるとき永遠という華が咲く。煩悩を貫いて歓喜に至れ、涙の奥に聖地がある。煩悩、則菩提なり。今、此の身今、この侭置かれた環境が、天国であり、極楽浄土である。人間はすでに多大なる恩恵を授かっているのである。有り難いばかりの人生である。朝、覚めると有り難くない感情がうごめく。心がのた打ち回っているうちに不思議にも明るい言葉が降りてくる。永遠という華が咲く。苦しみの懸け橋を渡り歓喜へ苦しみの奥に聖地がある。・・・有り難いばかりの人生である。

  • 我々の死後の存在は何処に・・・愛する人は何処に

    愛し子の波間に光る天の川今日は初観音『観音の縁日』は我が愛する子へ『回向』させて頂く尊い縁日です。律儀で何事でも全力で成し遂げる子でした。我々の死後の存在は何処に・・・愛する人は何処に我々が隣人、家族を愛し、友と語らい、一筋に求めた理想、献身は『死後』、肉体の消滅によって、肉体と同じように煙のように消えてしまうのでしょうか。悪行三昧、悪戯に生きる事も、ひたむきな献身も善意もことごとく同じ価値観でしょうか。もしそうであればこの世界には直向きな愛も、如何なる善意も無いと等しいことになります。それではあまりにも痛ましい人生であります。だからこそ喜べば喜び来たる、他に祝福を与えると祝福が自分自身に来る、悪意を持てば悪意が返ってくることのように『因果の法則』が働くのです。それ故に死しても善業も悪業も現世から来世へと引き継...我々の死後の存在は何処に・・・愛する人は何処に

  • 淑やかにゆれる冬薔薇・・・すでに希望は我が内奥で発芽して、叶えられ実現しているのである。其のことを素直に認めよ。

    輝やしくも日だまりゆれる冬薔薇の今日の祭日は出勤日でした。通勤の細道に淑やかにゆれる冬薔薇の蕾に出会い、夢と希望がひろがり、清楚な美しさに一瞬足を止めました。先ず先ず人間の天命を知り、人間の本質を知る事である。吾々の希望、願いは必ず叶えられ、成就するようになっているのです。吾々の魂の奥底なる希望、願いは神が植え付けられた天命であります。人間の本質は佛であり、如来であり、神の生命を其のまま授かった神の子であり素晴らしい存在であります。人間の不幸、病気などが人間の本来の姿であるならば、幸福になりたいとか、健康になりたいなどとは思わないに違いありません。人生にもいろいろな失敗がある。しかしその失敗したが為に人間は運命が好転する。吾々が幸福になりたいとか救われたいと願うのは、すでに自分の内奥に『既に幸福があり、救われて...淑やかにゆれる冬薔薇・・・すでに希望は我が内奥で発芽して、叶えられ実現しているのである。其のことを素直に認めよ。

  • 素朴で広い広い、もっともっと広い、おおらかな愛

    明日は成人式。若者を敬愛し、讃嘆と祝福を贈りましょう。『若者、息子、娘、孫、曾孫』は己の確実な『来世』であります。素朴で広い広いもっともっと広いおおらかな愛天皇様の素朴でひろい大愛が、日本文学で最も美しいと文章と云われている『古事記』に天皇様が歌われた、美しい心温まる『御製』が連綿として歌われています。媛蹈鞴五十鈴媛がお后として後宮に参(ま)入り時に歌をよまれた。その後三柱の御子様がお生まれになった。葦原(あしはら)のしけしき小屋(おや)に菅畳(すがたたみ)いや清(さや)敷きて我が二人寝し神武天皇御製『注』葦原(あしはら)・・・葦がたくさん生えている原っぱ。しけしき・・・穢い荒れた菅畳(すがたたみ)・・・菅というカヤツリグサ科スゲ属の植物で編んだ敷物。いや清敷きて・・・いよいよ清らかに敷いて我が二人寝し・・・私...素朴で広い広い、もっともっと広い、おおらかな愛

  • 縄文の古代より日本で独自に発達した『水晒し』の調理技術・・・体にやさしい食物を

    今日は初酉で、鏡開きも終わり、新たに新年を迎えたような心持ちです。朝靄にケーンケーンと力強い鳴声を上げて雉(キジ)が羽ばたくように新たなる境地へと前進したいと願っています。菩提寺の住職から頂いた年賀状でのお説教です。よろこんであたえる人間になろう物が有れば物を力があれば力を知識があれば知識をみんなに与えよう無ければ自分の中に育てて与えよう花は美しさを惜しまず小鳥は歌をおしまない誰にでも与えている与えるとき人は豊かに成り惜しむときいのちは貧しくなるよろこんで与える人間になろうおさなきときにもおいたるときにもみおやにかわらずつかえなん浄土宗常楽山慶巖寺縄文の古代より日本で独自に発達した『水晒し』の調理技術縄文の古代人はドングリの食品をタンニン(tannin)の苦みを除去する為に、砕いて水に晒して食べたのです。トラフ...縄文の古代より日本で独自に発達した『水晒し』の調理技術・・・体にやさしい食物を

  • 善き運命に転じることが出来る。・・・・・・運命は神が考えたものだ 人間は人間らしく働けばそれで結構だ・・・夏目漱石

    『七草がゆ』の日であり。店頭にはしなやかな草々が並べられ、日本の美しい四季の移り変わりを感じます。『神の無限なる愛』との一体の自覚不幸から自己を護るのは、自分の心の内に『不幸を予感』することを止めることから始めなければならない。人を批評してはならない、人を言葉でこきおろし、悪しざまに言ってはならない、人を傷つけたら、ボールを壁に投げたら跳ねて返ってくる『動反動の法則』によって、自分自身が傷つくことになるのである。天地一切のものと和解し、さらに全ての人々、森羅万象、物事に感謝して、『神の無限の愛』を我が胸に抱き『この優しき無限の愛』との一体感を自覚して、もうすでに癒されたのであると感じて『神の愛』に感謝しなければならない。善き運命に転じることが出来る。一切の不調和なる心の念(おもい)を感謝に転じれば一切ものは悉く...善き運命に転じることが出来る。・・・・・・運命は神が考えたものだ人間は人間らしく働けばそれで結構だ・・・夏目漱石

  • 永遠のテーマである — 人生は何のためにあるか? 何のために生まれたのだろうか?

    病院は365日、毎日24時間動いています。屠蘇気分も覚めて、新しい年号である今年が動き出しました。日も段々と長くはなりましたが、空風が吹き今日は寒の入りの『小寒』です。フロントガラスも凍り付きこれから南国も本格的に寒くなりそうです。今年初めての講話をさせて頂きました。『人生は何のためにあるか』をお話しました。何のために人生はあるのだろうか?何のために生まれたのだろうか?これを知ることが人間の切実な問いである。自己が存在するならば自己の存在を自己が知らなければならない。自己が自己を知ることは、『眼』が自分の『眼』を見ることが出来ないようにそのままでは出来ないのである。『人生は何のためにあるか』?眼が眼を見るには、眼は鏡を用いて仮に自己の外に『自己の影』を見なければならない。神が人間をつくったのは、神が自己自身の生...永遠のテーマである—人生は何のためにあるか?何のために生まれたのだろうか?

  • 救急時の情報(地震速報)の有難さ!・・・直観力を養う。

    娘と孫を駅に迎えに行きその帰りに、車載のラジオから地震速報の放送があり、車を安全に停車するようにと指示がありました。娘にスマホで情報を見てもらうと、この地区は震度2でした。ホットしましたが、震源地はまたもや熊本でした。数年前に此の地区で震度5弱を経験した熊本地震を思い出しました。人はこのような場面では『直観的』に安全な情報を得たいと思う感情が出る事を身近に経験することが出来ました。直観力『煙を見て、火なることを知らず』『角を見て牛なることを知らず』一を見て全機を把握することを知らざる』のろ間者では宜しくないのである。人間は宜しく『擧(こ)一明(みょう)三』・・・・一を挙げて三を明(さと)る位の明敏さ、『目機銖雨(もっきしゅうりょう)』・・・・目分量で何銖(なにしゅ)何兩なにりょう)と『直観』出来るようでなければ...救急時の情報(地震速報)の有難さ!・・・直観力を養う。

  • 明るい希望に輝く! 新しき年を迎えましょう。

    謹賀新年旧年中は親しくご愛念を頂き有難うございました。心より御礼申し上げます。新しき新年を迎え、貴方様に永遠なる愛の御光りが降りそそぎ、明るき運命と平安と御幸福と御健康を心よりお祈り申し上げます。今年も宜しくお願いします。今年は7家族の内5家族が帰省しました。私たちの家族と孫を含めますと総勢26人になりました。遠方の家族は我が家で宿泊しますので大変な賑わいです。今年も東京の次男坊がスポンサーとなりご奉仕していました。それぞれの夢を描きながら生長して行く姿を見ていますと孫たちの輝く瞳と生命力、それを支える働き盛りの親の姿が印象的でありました。私は明るい心で新しき年を迎える。私は『今』生まれたのである。過去の悪しきもの、見苦しきもの、消極的なものの一切を捨て去ったのである。そして私は『今』新生したのである。『今』生...明るい希望に輝く!新しき年を迎えましょう。

  • 今は物質(分割する)文明から霊的(全てを融合する)文明への曙(あけぼの)・・・衣食足りて、礼節を知る

    粉雪がチラチラと舞う年末となりましたが、桜の蕾が、もう膨らみ始めました。妻から筑前煮(がめ煮とも云います)の材料の買い物を頼まれましたが、その食材が殆ど外国産であり、国産を探すのに時間がかかりました。博多辛子明太子もよく生産地を確かめないと失敗します。色々な食材が溢れて紛らわしい時代であり、食材の目利きが必要であります。以前より身近な地域の食材を手に入れることが簡単ではなくなりました。地域もグローバル化され、全国の食材が簡単に手に入れることが出来るようになった事が一つの理由でもあります。ひと昔前の身近な地域での循環型のライフワークが出来ると良いと思われます。私は完全なベジタリアンですが家族はそうではありません。『同じ釜の飯を食う』ということが困難な時代になりました。家族それぞれ違う職業に就き、働く時間帯も違い同...今は物質(分割する)文明から霊的(全てを融合する)文明への曙(あけぼの)・・・衣食足りて、礼節を知る

  • 民の竈(かまど)の煙・・・・・仁徳天皇の御徳。

    この地区の担当者の方が年末の挨拶に来られ、来年から担当地区が変わることになりました。長年のお付き合いでした。お別れは懐かしい思いがするものですね!今では珍しい『六曜・行事・二十八宿・九星・六十干支・月齢・選日・名言』が掲載された分厚い『日めくりカレンダ』ーを頂きました。嬉しいですね!元旦の名言は私が尊敬しているエマソンの言葉でした。その日その日が一年中の最善の日である・・・・・エマソン来年は皇太子殿下が天皇に即位され、連綿として継承し来たり給える皇位の厳の御光が輝き出でて、『清き明るい世界』が開かれ愈々益々より良い政治が行われる予感が致します。民の竈(かまど)の煙仁徳天皇が高殿に登って遥かにながめると、人家の煙が見られない。これは人民たちが窮乏しているのであると思われ。今後三年間すべて租税をやめ、人民の苦しみを...民の竈(かまど)の煙・・・・・仁徳天皇の御徳。

  • 心の豊かさ・・・・・貴方は既に無限の豊かさの中のいる。

    天皇陛下の大御心のお言葉を拝聴していますと愛豊かな、慈しみに満ちた広大無辺な優しいお心に感動致しました。休日出勤の帰りにスーパーで買い物していますと何時もの賑わいが影を潜めていました。今夜迎えるクリスマスイブは静かなイブのようであります。貴方は既に無限の豊かさの中のいる。神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物すべてを支配せよ。』神は言われた。『見よ、全地に生える、種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちのの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。』創世記1-28~30人間は『造り主より』本来すでに豊かに造られているのです。それなに貧しく思うことは『神の愛』を疑うも...心の豊かさ・・・・・貴方は既に無限の豊かさの中のいる。

  • 無条件で与える愛

    暖かい冬至を迎え、これから明るさに満ちた光明の日々が始まります。職場の忘年会の抽選で一等が当たりました。このような抽選会で一等を引き当てたのは此れまでの人生で始めての出来事でした。無条件の愛暖かいストーブには人が集まる。愛の在るところに人は身をよせる。なぜなら愛はすべてを癒すことが出来るから。笑いのあるところに穏やかさが満ちている。笑えば怒ることが出来ないから。聖なる言葉には魂の糧が満ちている。魂の糧が満ち満ちるとそこに天国が顕れる。吾がうちに、神が今此処に、そして天国が今此処にある。無条件で与える愛

  • 争い責め合う心から、拝み合いの生活へ

    お互いに祝福し合う、祈りの行事に参加し、人それぞれの心のひだに触れ、悲しみも楽しも共に生きている存在であることを!!!小さな小さな菜園のカツオ菜、ブロッコリー、セロリー達も元気に成長していました。合掌して礼拝する姿は美しい光景であります。自分自身を拝むことを知らなければならない、そうでなければ他の人を拝むことが出来ない。先ずは自分を尊敬することが出来る人が、他の人も尊敬することが出来て拝むことが出来るのです。百丈和尚が川で菜っ葉を洗っていたら、菜っ葉がちぎれて流れていった。その菜っ葉を追いかけていって、それを拾って拝んで頂いて、仏様の命の現れであると言われたのです。日本では『もったい無い』と云う言葉があり、物質をただの物質ではなく『仏の生命』の現れであるとして拝み、崇高にして謙虚な精神をもって物質を観てとり扱っ...争い責め合う心から、拝み合いの生活へ

  • 地球に優しい幽玄なる日本の心。

    あっという間に日が落ち、周りに温さが灯りその燈が妙に帰宅を急がせる。先日監査がありました。限られた条件下でより良い医療環境を提供出来るかが試される監査でありました。幽玄なる日本の心『きよきあかき』こころである幽玄な『清明心』を大切にしてきた幽玄なる日本の心。物質に価値があるとした物質文明に対して、東洋文化は主に唯心論、汎神論を中枢として発達したところの霊的文化である。仏教、、キリスト教、イスラム教も東洋で発芽して大いなる実を結んだのである。川端康成氏スウェーデンアカデミーでの記念講演で曰く一輪の花には百輪の花よりも花やかさを思わせるのです、利休も教えていますが、今日の日本の茶でも、茶室の床の間にはただ一輪の花、しかも蕾を生けることが多いのであります。冬ですと冬の季節の花、たとえば白玉とか侘助と名づけられた椿、椿...地球に優しい幽玄なる日本の心。

  • 愛の萌 ・・・・・ 自己破壊からの救い(再建のための社会的技術) 最終回

    愛の萌その人を説得する前に、人にはそれぞれの人生がある。その人の悲しみ、苦しみ、喜びが、今、此処にある。その思いを、心を尽くし、力を尽くして、立ち向かってくる。一度、立ち止って、その人の思いに、耳を傾けてみよう。その人の思いは、私自身の思いでもあるから。その人の思いに、心をよせることができれば、そこに真実の愛がめばえる。自己破壊からの救い・・・(再建のための社会的技術)最終回われわれの知性と愛情とが、自己破壊に対抗していくうえに、もっとも信頼のおける防壁である。このような力がわれわれ自身の内に既にあるのを認識することが、自己破壊の力をコントロールする第一歩である。おのれを知ることは人間の色々な本能の邪悪性を知ることであり、その邪悪性を取り除く出来る力があることも知らなければならない。自己破壊性の存在に盲目的であ...愛の萌・・・・・自己破壊からの救い(再建のための社会的技術)最終回

  • あなたがたは世の光である。・・・自己破壊からの救い(色欲的要素の強化)其の⑤

    街の広場には年末恒例のイルメネーションが現われ、闇夜に顕われる煌きには不思議な魔力があります。闇夜に発光ダイオードの淡い色が輝き、デザインが変化に富んでいて、澄み切った冬の夜空のイルメネーションは人の心をかきたてる魅力があるようです。自己破壊からの救い(色欲的要素の強化)其の⑤交響曲第5番、ハレルヤコーラスなどの音楽、芸術、演劇等の事項は自己破壊に対抗する防壁の強化である。音楽や、芸術に治癒的効果があると言うよりも、これ等によって喜びを感じたときには、つねに愛がそこに含まれており、この愛を引き出してくるものは、それがなんであっても、そこには自己破壊に対抗して闘う要素がある。仕事というものが攻撃を利用して行われるものであり、しかも攻撃が自分に向かうのをそらせる役割を演じるものである。仕事をすることは、それは創造的...あなたがたは世の光である。・・・自己破壊からの救い(色欲的要素の強化)其の⑤

  • ゆっくりと穏やかに『今』を生きる・・・・・自己破壊からの救い(色欲的要素の強化)其の④

    新嘗祭も過ぎ、3連休も最後の日曜日。東京競馬場のレースで騎手と馬が一つになり、また馬の脚さばきを観ています『雌鹿の足』の話を思い出しました。名馬はそのように脚をしなやかに美しく運ぶことに感心しました。『注』雌鹿の足・・・わたしの主なる神は、わが力。わたしの足を雌鹿のようにし、聖なる高台を歩ませられる。(旧約聖書―ハバクク書3-19)野菜料理について大根、ほうれん草、白菜が美味しい季節となりました。懐石料理では根菜、葉菜、豆類なども各々別々に茹で、清い水で晒し、またそれらを別々に調理し、調味料も最低限使用して、各々の野菜の元々の自然の色、容、薫り、純粋な持ち味を失はわないように、互いに調和したかたちで喉元を通りねけるように仕立てます。『懐石料理』は多様な大自然が四季を通して各々個性を発揮しながらも共生し、互いに助...ゆっくりと穏やかに『今』を生きる・・・・・自己破壊からの救い(色欲的要素の強化)其の④

  • 神の愛(光り)を心に降りそそぐ。・・・・・自己破壊からの救い(自己懲罰的要素)其の④

    秋水に紅葉映える、巫女舞う神楽の鈴冴えわたる。はや四十一年目のお祭り、尊師の華やかさ蘇る。今、生かされている有難さをかみしめる。帰りは先輩の車で海岸線を迂回して帰路につく。山の傾斜地『伊木力みかん』の段々畑が続く懐かしい山道の風景を走りぬける。お目当てのみかんは売り切れでありませんでした。先輩が尋ねると、出荷するのに人手不足とのことでした。自己破壊からの救い(自己懲罰的要素)其の④無意識の罪悪感を解消させる手段として、もっとも広く行われているのは『償い』である。『償い』は犠牲を払うという形で形成される。世の中の標準から考えてあまり高価すぎる犠牲を払わずに、しかも罪悪感を解消させることの出来る『償い』を利用すれば人の再建を促進できる。宗教が持つ償いの要素の顕著でまた具体的な治癒的効果を認めないわけにはいかない。宗...神の愛(光り)を心に降りそそぐ。・・・・・自己破壊からの救い(自己懲罰的要素)其の④

  • 銀河ひろがり、心ときめく・・・自己破壊からの救い(自己懲罰的要素)其の④

    一雨毎に秋が深まり、夜空には銀河が広がり、走馬灯の如く今までのことが一瞬に顕われ消えゆく。四男が転居し神棚奉斎の御祓いを頼まれ休日に行ってきました。思いは必ず実現する。先日長年あきらめていた絶版になっていたいた本が偶然手に入りました。心に留めていたものは必ず時を越えて実現することを改めて実感しました。無意識的罪悪感自己懲罰の要素は、自分自身が意識していない罪悪感に起因する無意識的罪悪感である。この無意識的自己懲罰要素を減少させるために、科学的手段にアルコール飲料が知られれいて、鎮痛剤、薬品(麻薬類)なども同一原理に基ずくと思われている。あまりにも容易に、速やかに罪悪感を減少させ、効果をあげる手段がたやすいからである。しかし薬品の効果が消滅すると同時に、もとのもくあみになる。もっとも健康的で効果がある手段として罪...銀河ひろがり、心ときめく・・・自己破壊からの救い(自己懲罰的要素)其の④

  • 捨て去る勇気(捨無量心)、そして微笑み・・・自己破壊からの救い(攻撃性』)其の③

    花園陽だまりの花園に蝶が遊んでいる。ふと時間をわすれ温かさに包まれしなやかさが広がり悠久の抱擁が蘇り慈しみが満ち満ちる。自己破壊からの救い(攻撃性』)其の③子供は遊びという技法を用いて、攻撃的な意味で、ものを汚すことと、創造的な意味で何かを描くということとのあいだに橋渡しをするものである。子供は無心にその遊びを楽しむ、そしてある種の自慢等の態度を放散させる。科学的な方法で遊びを巧妙に利用し、それによって攻撃の鉾を収めて自己破壊から再建を計る一見愛の対象のようであって実は憎悪の対象になっているものがある。このような愛は『愛』と『憎しみ』がうらはらとなっていることがある。このような愛の対象は強制的に放棄することが賢明である。このような愛の対象を心の奥に秘めておくことは、いたずらに紛糾を生じるさせるだけである。なぜな...捨て去る勇気(捨無量心)、そして微笑み・・・自己破壊からの救い(攻撃性』)其の③

  • 山道をあるく・・・自己破壊からの救い(攻撃性』)其の②

    朝靄の谷間にけむる初穂かな小さな沢を登りました。考えていた以上に、変化に溢れた坂道を登るのは息があがり、バランスを保つのが大変でした。年月を感じさせられました。攻撃性と対抗して闘う手段攻撃性を食い止めるには攻撃性の直接的表現に対抗するにはただ拘束(restrsin)あるのみと考えてはならない。自己破壊(攻撃性)の手段は容易に別のものに取り換えるることができる。当人自身が攻撃を認識しなければならない。一旦攻撃性に含まれている自己破壊性が認識されると、それを自分向けたり、また無害な攻撃をしかけてこない(ionffensive)対象物に向けたりせず、別の方向に向け直し、攻撃しても差し支えのないもに振り返ることである。悪口三昧などの攻撃性を周りの者や近親者に向けることは、はた迷惑なものであるがこれは喜ぶべきことなのであ...山道をあるく・・・自己破壊からの救い(攻撃性』)其の②

  • 自己破壊からの救い(愛を憎しみに変え、おのれを傷づける死の本能からの救い)・・・・・其の①

    久しぶり穏やかな日差しが戻り、柿の実が色づき素晴らしい秋日和です。私共が小学生の時分は此の10月に運動会があり、肌寒い中での駆けっこでした。地震、台風、大雨等の災害等が毎回繰り返されますが、自然災害の被災者は生活環境の進歩等により80年前よりも40分の1程に減少しているそうであります。災害を肌で感じていると以外であります。温暖化と言われますが、人類の自己破壊・自己懲罰の姿のようであります。人間は自己破壊に平衡して自己再建が常に行われている。自殺からはじまって、種々の慢性的、間接的形態などのある種の肉体的疾患等は臓器上の間接的自己破壊である―われわれは内部的および外部的諸勢力が、自己破壊の諸傾向に対抗して働き、その結果、実際に起こる事柄が生きようと願う意志と、死にたいと思う意志と―すなわち生本能と、死本能―とのあ...自己破壊からの救い(愛を憎しみに変え、おのれを傷づける死の本能からの救い)・・・・・其の①

  • 夏草や 兵どもが 夢の跡・・・・・松尾芭蕉

    先日1時間30分程離れた北有馬町へ出講に行きました。近くには今、世界遺産に登録された原城跡などがあります。この地域は35年程前に書籍、クラシック音楽、版画、掛軸等のギャラリーなどの販売をしていところです。聞きますと以前ご縁があった原城などに詳しい郷土史の南有馬商工会の志岐さん達は既に亡くなられていました。35年の月日を深く感じさせられました。まるで35年の前のことが目の前に突然に顕われたようでありました。訪れたお宅は幕府の息がかかった浄土宗のお宅でした。何んと小さな町に大きな浄土宗の寺院が二箇所もあるそうです。当時の幕府の強い意志が伺えられます。『原城』の本城である北有馬町に在る『日野江城』跡は幕府側の城であり、キリシタン弾圧とは関係が少ないということで世界遺産から外されたそうです。支城の『原城』も本城の『日野...夏草や兵どもが夢の跡・・・・・松尾芭蕉

  • 運命の悪戯・・・安心決定(あんじんけつじょう) 人間は必ず救われる。

    安心決定(あんじんけつじょう)の世界へ善き運命も悪しき運命も鈴を鳴らさず静かに訪れます。それはどのような経過をたどって来るかをも知らされはいません。その運命を受け入れるか否かの判断はおのれ自身に委ねられています。運命そのものは善しきにせよ悪しきにせよどちらにせよその運命を素直に受けることにより、私たちの更なる進歩への手ががりとなります。運命そのものの本質を知り、それを理解してなお積極的に信じて、未来へと歩み行く明るさが必要となります。この運命で必ず善くなると云うことを素直に受け入れ信じることです。時間、空間が制約された三次元の『この世』で人間は色々な運命を辿りながら、最後(無時間、無空間の真実の世界)には必ず善き幸福な運命へと辿り着くことが決定づけられいます。その幸福な運命を絶えず見詰め更に祈ることにより、その...運命の悪戯・・・安心決定(あんじんけつじょう)人間は必ず救われる。

  • 妖艶な魅力ある曼珠沙華(まんじゅしゃげ)・・・過去を捨てよ。おまえは今死んだのである。おまえは死んだと思え。おまえは今生まれたのである。

    夏の施餓鬼供養の卒塔婆をちょと遅くなりましたが、お墓に納めてきました。畦に曼珠沙華が咲き始め、見上げると青空が広く高くひろがり、秋の深まりを感じました。墓や畦に咲く真赤な『彼岸花』が天上の蓮の華に例えられ曼珠沙華とよばれまた毒性豊かな性質ゆえに冥界への案内のようにもあつかわれている生と死(天国と地獄)が同居するような、妖艶な魅力ある華であります。まさに過去を捨てよ。おまえは今死んだのである。おまえは死んだと思え。おまえは今生まれたのである。おまえは今新生したのである。と仏の声が聞こえてくるようであります。大乗経の無量義、経菩薩法、仏所護念と名くるを説きたまう。・・・・・・是時、天より曼陀羅華、摩訶曼陀羅華、曼珠沙華、摩訶曼珠沙華を雨ふらして、仏の上、及び諸々の大衆に散じ、普仏世界、六種に震動す。法華経・・・序品...妖艶な魅力ある曼珠沙華(まんじゅしゃげ)・・・過去を捨てよ。おまえは今死んだのである。おまえは死んだと思え。おまえは今生まれたのである。

  • 施しをするときには、右の手のすることを左の手に知らせてはならない

    北海道地震の後、電気等のインフラのことで様々な議論が交わされています。勤務している病院も地域の災害拠点病院であります。過去には雲仙の火砕流、2キロ程離れる所でのJR特急列車の転覆事故、最近では熊本地震の際、5弱の揺れがありました。当病院からもDHEATチームとして熊本に派遣されました。その度にシステムも進化してきました。現在も水も井戸からくみ上げ、重油を使った自家発電、ヘリポート、調理室のオール電化等の設備を整えていますが、その設備その物が破壊されたら裸同然であります。その時は近くの同じ災害拠点病院から援助を受けることになります。現在入院している患者さんも高齢のかたが沢山おられます。そのようなことを思いますと、最後には一人一人が寄り添い、共に助け合うことが最大の力になります。施しをするときには施しをするときには...施しをするときには、右の手のすることを左の手に知らせてはならない

  • 痛みからの解放。 神への信頼・・・・ゆだねる心の大切さ。

    道場の先祖供養祭でした。まだ袴まで汗ばむ暑さでした。痛みの心、傷ついた心を見詰め、色々と痛みから逃れようとしていると不思議にも痛みが増してきます。丁度、植えた種の芽が未だ出ていなので、土をほじくり回し終に其の種を駄目にしてしまうのと似ています。植えた種は大自然にゆだねて、本来の姿である実相(必ず芽が必ず出てくること)を信じて、その時期が来るのを静かに待つことが大切であります。色々な痛み心も、自分流の方法で画策しないで、神様にゆだねて回復の時期を待つ忍耐が必要であります。そうすると必ず癒されます。端座して実相を念え、衆罪は霜露(そうろ)の如し、慧日(えにち)能く消滅す法華経・・・観普賢菩薩行法経痛みからの解放。神への信頼・・・・ゆだねる心の大切さ。

  • 花のまこと心・・・いのちの神秘

    花のまこと心夕暮れの花に魅せられ立ち止まる。今の一瞬を忘れないで咲き出でる。どんな計らいも無い、どんな進歩も無い、ただひたすらに頑固にいにしえの思いを、今、此処に永遠を輝かせる花の真。『物狂いを見て、座禅を恨む心を恐るべし』明恵上人花のまこと心・・・いのちの神秘

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