matasaburo3の散歩日記 さん プロフィール

  •  
matasaburo3の散歩日記さん: matasaburo3の散歩日記
ハンドル名matasaburo3の散歩日記 さん
ブログタイトルmatasaburo3の散歩日記
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/blackcoffee-ma48
サイト紹介文日本各地を旅して、四季を撮ります。 又、世界各地を旅した印象記やらあれこれ。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供59回 / 365日(平均1.1回/週) - 参加 2015/04/09 18:08

matasaburo3の散歩日記 さんのブログ記事

  • 松田の桜と梅と菜花
  •  松田 3月上旬、小田急線新松田駅で下車して「菜花まつり」に行きました。最初、松田山の斜面にある西平畑公園の「まつだ桜まつり」で、河津桜を見るつもりでした。着いてみると既に見頃を過ぎて、葉桜になっていました。そこで手前にある、あぐりパーク嵯峨山苑の「菜花まつり」に向かうことにしました。標高230mから285mの山苑です。新松田駅から歩いて40分程度、ややきつい登りになりましたが、絶景が待っていまし [続きを読む]
  • 奈良、冬から春へその3−室生寺
  •  奈良その3 近鉄室生口大野駅で降りて、バスで15分。室生川に沿って歩くと、粉雪が舞ってます。室生寺は奈良盆地の東方、三重県境に近い室生の地にある山岳寺院です。室生山の山麓から中腹に堂塔が散在しています。 仁王門古代の素朴な水神信仰に発し、山岳修験道、さらに法相宗、真言宗、天台宗など各宗兼学の寺院として独特の仏教文化を形成してきました。 金堂 平安時代初期(国宝)杮(こけら)葺きの屋根は、うっすら [続きを読む]
  • 奈良、冬から春へその2−東大寺
  •  南大門(国宝) 奈良その2 奈良公園といえば、興福寺と春日大社ですが、もう1つがいうまでもなく東大寺です。東大寺は華厳宗大本山の寺院で、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立しました。本尊は「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)です。 大仏殿(国宝)聖武天皇が当時の日本の60余か国に、建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置づけられました。奈良時代の南都六宗(華厳宗 [続きを読む]
  • 奈良、冬から春へその1−奈良公園の梅
  •  2月半ば、奈良を訪れました。梅は咲き始めていましたが、まだまだ肌寒く時折、雨が降ってくるあいにくの天気でした。 奈良その1 近鉄奈良駅から春日大社参道方向へ歩いていくと、一ノ鳥居前に「菊水楼」があります。明治24年創業。120余年の歴史を紡ぐ料亭です。梅の花に見とれていると、係の人に敷地内に案内され、建物を撮りました。一ノ鳥居から浮見堂方向にさらに歩くと片岡梅林(別名丸窓梅林)があります。円窓亭 [続きを読む]
  • 鎌倉梅巡りー浄妙寺、荏柄天神社
  • (荏柄天神社) 鎌倉 2月中旬、鎌倉は梅の季節を迎えていました。1.浄妙寺浄妙寺は金沢街道沿いにあります。「岐れ道」を過ぎて、滑川沿いにしばらく歩きます。鎌倉五山第5位の寺格をもつ、臨済宗建長寺派の古刹です。1188年、源頼朝の伊豆挙兵以来の重臣・足利義兼が創建しました。開山は退耕行勇(たいこうぎょうゆう)。行勇は頼朝や政子が深く帰依した高僧です。足利義満が五山の制を定めた1386年頃には、広大な [続きを読む]
  • 小田原城の梅
  •  小田原 冒頭の一枚は、河津桜と小田原城復興天守です。小田原城は、15世紀中頃に大森氏が築いた城を前身としています。1495年、伊豆国を支配していた伊勢平氏流伊勢盛時(北条早雲)が大森氏から奪い、以後戦国大名北条氏の5代にわたる居城として、南関東における政治的中心地となりました。上杉謙信や武田信玄の侵攻をも防ぎましたが、1590年、豊臣秀吉軍は天下統一の仕上げとして数十万の大軍で小田原城を総攻撃し [続きを読む]
  • 鶴岡八幡宮の冬ぼたん
  • 鎌倉 鶴岡八幡宮の参道は若宮大路と呼ばれ鎌倉の中心をほぼ南北に貫いています。京の朱雀大路を模して、源頼朝が築きました。(二の鳥居)二の鳥居からは段葛(だんかずら)と呼ばれる歩道で、頼朝が妻・政子の安産祈願のために造営させたそうです。鶴岡八幡宮は、1063年に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建した鶴岡若宮を前身とします。1180年に、平家打倒の兵を挙げ鎌倉に入った頼朝が現在地に遷しました。社 [続きを読む]
  • 新春の京都(2017)その3ー智積院と養源院
  •  京都その3 朝、京阪七条駅を降りると、ゆるい坂の七条通りが東大路通りまで続いています。(三十三間堂)左手に京都国立博物館、右手には三十三間堂。通学中の女学生たちの長い列が、通りの両側を埋めています。三十三間堂の東向かいに養源院があります。(養源院山門)1594(文禄3)年、豊臣秀吉の側室・淀殿(母は織田信長の妹・市)が父・浅井長政、祖父浅井久政(小谷城で自刃)の供養のために秀吉に願って創建しまし [続きを読む]
  • 新春の京都(2017)その2−下鴨神社
  •  京都その2 左京区にある下鴨神社も、賀茂氏の氏神を祀る神社です。正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)です。祭神は賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命(たまよりひめのみこと)と祖父の賀茂建角身命(かもたけつぬのみこと)。創建は諸説あり不明ですが、一説には天平の頃に上賀茂神社から分置されたともいわれます。(桜門)楼門(ろうもん)は、高さが13mあり、左右に延びる廻廊の西側「剣の間」は葵祭 [続きを読む]
  • 新春の京都(2017)その1−上賀茂神社
  •  今年も1月新春の旅で、京都を訪れました。 京都その1最初は北区にある上賀茂神社。正式には賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)というそうです。四条河原町から市バスに乗りましたが、結構時間がかかりました。上賀茂神社の起源は、平安京遷都(794年)よりもずっと昔の678年(天武天皇7年)頃といわれています。京都最古の神社として伝説も数多いようです。(立砂)細殿前の円錐状の2つの砂の山。神体である神 [続きを読む]
  • 新春の鎌倉その2−浄智寺
  •  鎌倉その2 北鎌倉駅から数分歩くと浄智寺があります。浄智寺が建つ山ノ内地区は、鎌倉時代には禅宗を保護し、相次いで寺院を建てた北条氏の所領でした。山を挟んだ隣りが東慶寺、その向かいが円覚寺、建長寺も数分の場所で、今でも禅宗の寺院が多い地区です。第5代執権・北条時頼の3男宗政が29才の若さで没すると、菩提を弔うため、1283年(弘安6年)に創建されました。最盛期には七堂伽藍を備え、塔頭も11寺院に達 [続きを読む]
  • 新春の鎌倉その1−稲村ケ崎から極楽寺・御霊神社
  •  皆様、本年もどうぞよろしくお願いいたします。新春第1弾は鎌倉からです。 鎌倉その1 江ノ電に乗り、「稲村ケ崎」で途中下車しました。相模湾越しに富士山を望むことができました。鎌倉海浜公園内には、新田義貞伝説の石碑や、逗子開成中学ボート部遭難の慰霊碑などもあります。「稲村ケ崎」の1駅先が「極楽寺」です。極楽寺駅のこじんまりした駅舎です。関東の駅100選にも選ばれています。極楽寺周辺はドラマ・映画のロ [続きを読む]
  • 柴又で忘年会
  •  柴又 今年の締めくくりは、葛飾柴又です。学生時代の仲間たちとの忘年会です。京成柴又駅を降りると、寅さん像が出迎えてくれます。この像は地元のひとたちの寄付で建てられたそうです。来年には「さくらの像」が隣に建つとのことです。メイン通りの帝釈天参道を歩きます。「とらや」は「男はつらいよ」シリーズ第1作から第4作までが撮影された場所です。通称柴又帝釈天、正式には経栄山題経寺(きょうえいざんだいきょうじ) [続きを読む]
  • 晩秋の奈良その3−談山神社
  •  奈良その3 談山(たんざん)神社へは、近鉄桜井駅で下車してバスに乗りますが、本数が少なく次のバスがくるまで、喫茶店で過ごしました。談山神社の創建は678年(天武天皇7年)。祭神は中臣鎌足です。神仏分離以前は寺院で、多武峯妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)といいました。(十三重塔)鎌足の長男定恵と次男不比等によって建立されました。現存の塔は1532年再建で、木造十三重塔としては、世界唯一のものです。 [続きを読む]
  • 晩秋の奈良その2−奈良公園と春日大社
  •  奈良その2 奈良公園内にある興福寺は藤原氏の氏寺で、古代から中世にかけて強大な勢力を誇りました。最盛期には百か院以上の寺院が建っていたそうです。比叡山延暦寺とともに「南都北嶺」と称されました。現在は寺に塀が無く、公園の中に寺院がある状態です。一乗院跡は現在奈良地方裁判所、大乗院跡は奈良ホテルです。明治時代の廃仏毀釈の嵐の中で、一時は廃寺同然となり、五重塔さえ売りに出る始末でした。その後、廃仏政策 [続きを読む]
  • 晩秋の奈良その1−正暦寺
  •  奈良その1 11月末、奈良を訪れました。近鉄奈良駅前からバスに乗り、のどかな田園地帯を約30分走ると、山の中に正暦寺(しょうりゃくじ)があります。(本堂)正暦寺の創建は992年。菩提山真言宗の本山。往時には86坊の堂塔伽藍が、菩提仙川の渓流をはさんで建ち並ぶ大寺院、「宗教都市」でした。平家による焼き打ちやたび重なる兵火により、殆どの堂塔は失われました。現在は江戸時代建立の福寿院客殿と大正時代再建 [続きを読む]
  • 大山の紅葉
  •  大山(伊勢原) 11月中旬、大山の紅葉が見頃を迎えていました。大山ケーブルに乗り、大山寺駅で途中下車しました。大山寺は真言宗大覚寺派の寺院。本尊「不動明王像」は、成田・高幡と並ぶ関東三大不動のひとつです。色づいたもみじが、本堂や石段を彩ります。再びケーブルに乗り、終点阿夫利神社まで。大山は別名「あふり山」。「雨を降らす山」の意で、阿夫利神社は江戸時代より庶民の雨降り信仰を集めました。青い空に紅葉 [続きを読む]
  • 小春日和の谷中界隈
  •  谷中 11月中旬、小春日和の谷中です。JR日暮里駅を出るとすぐに本行寺があります。本行寺は高台の上にある景勝地だったことから「月見寺」と呼ばれ、江戸の文人ゆかりの寺です。小林一茶は10年以上にわたり居候のような形で深い縁がありました。(一茶句碑)「 陽炎や 道灌どのの 物見塚 」太田道灌が見張りのためつくった斥候台がこの地にあったそうです。(山頭火句碑)「ほっと 月がある 東京に来てゐる」山頭火 [続きを読む]
  • 福井の旅その2−永平寺
  •  福井その2 永平寺は三方を山に囲まれた深山幽谷の地にあります。770年前、道元禅師によって開かれた坐禅修行の道場です。広大な境内には大小70余りの建物が並んでいます。(傘松閣)傘松閣二階は156畳敷の大広間で「絵天井の大広間」があります。天井絵は昭和5年当時の著名な画家144名による花や鳥などの美しい色彩画です。(天井絵)山門両側には仏教の守護神である四天王が安置されています。道元禅師(1200 [続きを読む]
  • 福井の旅その1−丸岡城と越前おろし蕎麦
  •  10月末、福井を訪ねました。現存12天守巡りは、姫路城・松江城・彦根城・松本城・松山城(伊予)に続いて丸岡城です。 福井その1 丸岡城は坂井市丸岡町にあります。現在は天守のみ残っています。1573年、織田信長は、当時越前を治めていた朝倉義景を討ち、都があった一乗谷を焼き払いました。1575年、再度信長は越前平定のため、越前に攻め入り、豊原寺などの一向宗(浄土真宗)の拠点を焼き尽くしました。3万か [続きを読む]
  • 悠久の古都、西安その2−玄奘三蔵と杜甫
  •  西安その2 西安市街地に陝西歴史博物館はあります。広大な展覧室では先史時代から秦代、漢代、隋唐代、宋・明・清代の文物が陳列されています。3000点あまりの文物は逸品揃いです。歴史博物館のほど近くに、大雁塔(慈恩寺)があります。高さ64mの塔の上にのぼると、西安市内を一望することができます。大雁塔は、玄奘がインドから持ち帰った大量のサンスクリット語辞典や仏像などを保存するために、652年建立されま [続きを読む]
  • 悠久の古都、西安その1−兵馬俑
  •  「世界の都市(アジア)」シリーズは北京に続いて西安です。 (撮影は2010年8月です。) 西安その1 古都西安はかつて長安と呼ばれ、紀元前11世紀から10世紀初頭まで、2000年にわたって多くの王朝が都を置きました。唐代には世界最大の都市に成長し、日本でも平城京や平安京は長安に倣ったと考えられます。現在の西安は中国西北部の政治経済の中心地、観光都市で人口は約620万人。今から約2200年前に「最 [続きを読む]
  • 松山の旅その3−一草庵と山頭火
  •  松山その3 「一草庵」は種田山頭火(1882−1940年)の終焉の場所です。道後温泉にほど近く御幸寺山の懐に抱かれるように、今も閑静なたたずまいを見せています。山頭火は明治15年、山口県現在の防府市に生まれます。10歳の時、母が自殺。明治35年上京して早稲田大学に入学します(この年、正岡子規が子規庵で亡くなります)。しかし神経衰弱のため2年で中退。大正5年萩原井泉水の俳句誌「層雲」の選者となるも [続きを読む]
  • 松山の旅その2−湯築城跡と道後温泉
  •  松山その2 湯築城跡は松山市の中心部にあり、道後温泉すぐ近くで、現在は道後公園となっています。発掘調査は昭和63年に開始されました。中世の城郭である湯築城は、近世の城郭が持つ石垣や天守が無く、地形を利用して作られた平山城です。平安時代末期から戦国期(12世紀末〜16世紀末)までの約400年間、伊予を支配したのが河野一族でした。源平合戦の壇ノ浦の戦いで、河野通信が源氏の武将として功績をあげ、鎌倉幕 [続きを読む]
  • 松山の旅その1−松山城
  • (大天守からの眺望) 松山 JR松山駅前に、正岡子規の句碑があります。「春や昔 十五万石の 城下町」この句は1895(明治28)年に、子規が日清戦争の従軍記者として戦地に赴く直前の句です。「春や昔」は司馬遼太郎の「坂の上の雲」の第一章の章名として用いられています。松山城本丸は市街のほぼ中央、標高132メートルの山頂にあります。1602(慶長7)年、加藤嘉明が関ヶ原の戦いでの戦功により、築城に着手。 [続きを読む]