macska さん プロフィール

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macskaさん: SOKA2017
ハンドル名macska さん
ブログタイトルSOKA2017
ブログURLhttp://macska2012.blog.fc2.com/
サイト紹介文創価学会の会則改正に異議を唱えるブログ
自由文いまさら やめては だめなのだ
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供23回 / 365日(平均0.4回/週) - 参加 2015/05/07 15:38

macska さんのブログ記事

  • 僧俗野合は望まない
  • 最近ブログの記事やコメント等で、僧俗和合の意見を見ることがある。私も先の記事で「受持和合派」などと云い、また僧俗がいがみ合っていては広宣流布が遠のくとも云っているが、現今の創価と宗門が和合することはまったく望んではいない。邪教化しつつある創価と薄汚れた宗門では和合ではなく「野合」となるからである。野合といえば現在の政権与党を思い浮かべる方も多かろう。しかしこれは野合と云うよりも隷属と表現した方が近 [続きを読む]
  • 日蓮正宗創価学会 受持和合派
  • 聞かない名称だと思います。今日私が作りました。(笑)大御本尊を独一本門の本尊として仰ぎ奉り、僧俗和合して大聖人の御遺命たる広宣流布を成し遂げて行く会派です。それ故大御本尊を受持の対象としない方は入れません。これにより創価の人間でこの会派に入れる方は、ごく限られた方になると思われます。日蓮正宗の僧侶もすべてが入れる訳ではありません。先日友人が姉の強引な誘いで、正宗寺院のお祭りに参加しました。その際僧 [続きを読む]
  • 三百年計画の大掃除
  • 以下に記す文章はすべて私の妄想です。そんなもの読んでる暇はないと云う方はスルーしてください。SFやファンタジーがお好きな方には、良いかもしれませんが。蓮祖は思われた。日蓮正宗にのみ日蓮仏法は連綿と受け継がれている。六老僧を選んだが、日興以外は理解できなかった。末法万年の大白法を打ち立てたが、五老僧は迹仏である釈尊を本仏として立て、久遠元初自受用身如来が解らなかった。日興・日目と続く門流だけがそれを理 [続きを読む]
  • 日蓮仏法は常在戦場
  • 「各各我が弟子となのらん人人は一人もをくしをもはるべからず、をやををもひ・めこををもひ所領をかへりみること・なかれ、無量劫より・このかた・をやこのため所領のために命すてたる事は大地微塵よりも・をほし、法華経のゆへには・いまだ一度もすてず、法華経をばそこばく行ぜしかども・かかる事出来せしかば退転してやみにき、譬えばゆをわかして水に入れ火を切るにとげざるがごとし、各各思い切り給へ此の身を法華経にかうる [続きを読む]
  • 御本尊について
  • 以前の記事で「一機一縁の御本尊」について触れたが、これは宗門の云い掛かりであろうと考えていると述べた。経王殿御返事に「師子王は前三後一と申して・ありの子を取らんとするにも又たけきものを取らんとする時も・いきをひを出す事は・ただをなじき事なり、日蓮守護たる処の御本尊を・したため参らせ候事も師子王に・をとるべからず、経に云く『師子奮迅之力』とは是なり」とあり、また「日蓮がたましひをすみにそめながして・ [続きを読む]
  • 試論 日蓮仏法 その3
  • 生死一大事血脈抄に「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」とある。ここに云われる「法華経」とは云うまでもなく御本尊のことである。御本尊を受持していても「信心の血脈」が無いと無益、すなわち利益が無いと仰せである。この「信心の血脈」については多くの議論があるが、ここで私論を述べてみる。およそ日蓮仏法を信奉していると自負する教団は、すべて己が教団にこそ「信心の血脈」が流れていると主張するであろう。 [続きを読む]
  • 目の覚めるような発迹顕本
  • 初めに2014年元旦の聖教新聞に掲載された正木理事長(当時)の指導を挙げます。「先生は“黄金の3年”の開幕にあたり、『深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む』と言われました。万代に続く世界宗教としての基盤を築く“黄金の3年”。なすべきことは、自身と学会の『発迹顕本』です。」“黄金の3年”とは2014年から2016年までの3年間を指します。正木さんは先生のこの指導を [続きを読む]
  • 御法主上人猊下
  • 出家の身にとって師匠と仰ぐ方であり最上位に位置する方である。在家の信徒は所属する各寺院の住職を師と仰ぎ仏道修行に勤しむ訳であるが、その住職のさらに上の雲上人とも云うべき方が御法主上人猊下である。下々の者が云々できるような方ではない。しかし創価は「極悪者」のレッテルを貼り、無下のものとして悪口する。その経緯は種々あるが、私の認識では数百万の信徒を破門し、本門の戒壇に準ずるとされた建造物である正本堂を [続きを読む]
  • 本門の本尊について考えてみた
  • かつての創価教学では、本門の本尊とは三秘総在(三大秘法が総て備わるの意)の一大秘法として、本門戒壇の大御本尊のこととしてきた。これは日寛教学を踏襲したものではあるが、創価は創立以来2014年の会則改正までの84年間、この教義を信奉してきたのである。それが覆されたのも私が会則改正に異議を唱えている一因である。会則改正の翌年、教学部の名をもって会則改正の解説が聖教紙上に掲載された。その一文を揚げると、 [続きを読む]
  • 信心の深化
  • 何が大事と云って「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり」との御文の通り、仏になること以上に大事なことは無いというのが、私の基本的スタンスです。それ以外のことは人生の些事と云っても過言ではないでしょう。では「仏になる」とはどういうことなのでしょう。過去に仏になった人はどれくらいいるのでしょう。私が考える「仏になる」とは、なかなかうまく表現できませんが、「廿八品に一文充の大事」の御文 [続きを読む]
  • 試論 日蓮仏法とは その2
  • 創価と正宗以外は御義口伝・百六箇抄を偽書と看做しているという。身内だけに通用する御書としており、学術的、対外的には価値の無いものであるという。創価では教学部顧問の立場にある宮田教授が、真蹟だけを用いて教学の再構築を目指しているとも聞く。そうなると久遠元初自受用身如来という概念は放棄されることとなろうか。釈迦本仏説を採る方々は五百塵点劫に成道した久遠実成の釈尊を本仏とするのだろうが、その釈尊は誰を師 [続きを読む]
  • 僧侶の妻帯
  • 初めに、以下に論ずるところは創価が宗門の僧侶に対して、妻帯しているから聖僧ではないなどとする、ためにする論ではないことを申し上げておく。妻帯していようがいまいが、高潔なご僧侶はいる。また下劣な坊主もいるであろう。そのような個々人の特質を論ずるつもりはない。宗門の僧侶全般の話である。「先師の如く予が化儀も聖僧為る可し」日興遺誡置文の一条項である。「後学の為に条目を筆端に染むる事、偏に広宣流布の金言を [続きを読む]
  • 先の記事「・・・考えてみた」を説明してみる
  • 前回の「『民衆仏法の確立』について考えてみた」という記事に対して、学園同期の人間からメールをもらった。学園同期の間でメーリングリストが設定されていて、そこに前回記事をアップしたことを、ブログのURLを貼りつけて投稿したところ、記事に対する意見を送ってくれたのだ。懐かしい友からのメールだった。彼は会則改正における出世の本懐の改変については、創価の説明不足を憤っていた。これは多くの同期が同意するところ [続きを読む]
  • 「民衆仏法の確立」について考えてみた
  • 2014年の会則改正について、翌年1月29・30日に聖教新聞4・5面に教学部による解説が掲載された。その中で、それまで日蓮大聖人の出世の本懐は大御本尊であるとされていたものを、「民衆仏法の確立」と「三大秘法の確立」として化法の改変を行った。ここで云われた「民衆仏法の確立」について考えたところを述べようと思う。「民衆仏法の確立」とはなんと耳当りの良い命題であろうか。貴族仏法でもない、出家仏法でもない [続きを読む]
  • 3月度座談会は日程連絡すら来なかった
  • 先月の座談会で御書講義の際に、大御本尊の話をほんの少ししただけで、3月度の座談会は御書講義の依頼はおろか、座談会の日程連絡さえ来なかった。予想はしていたことだが、こうまであからさまにされるとは、創価の闇は思った以上に深いのかもしれない。しかし闇は深ければ深いほど、暁は近いとも云われる。座談会会場は私の自宅。今は訳あって、そこには娘夫婦と孫と弟が住んでいて、私は住んでいない。それをいいことに家の当主 [続きを読む]
  • ブログ村の不思議
  • 一つ前の記事、「試論 日蓮仏法とは」は3月9日にアップした後、しばらく注目記事のベスト10に入っていた。そして今日(3/17)の朝7:30の時点で第14位にいた。ところが8:30時点で確認すると何処にもいない。ランキングの一番下まで見てみたが、一瞬にしてかき消えてしまった。ランキングがどのようなシステムで決められるのか詳しくは知らないが、私の記事の前後にあった記事は残っているのに、私の記事だけ煙の [続きを読む]
  • 試論 日蓮仏法とは
  • 私ごときが論じるのもおこがましい気もしますが、考えの一端を述べてみたいと思います。日蓮仏法の基本として、日蓮大聖人は久遠元初自受用身如来であることが挙げられると思います。大聖人の直弟子であった六老僧の内、日興上人以外の五老僧はここから誤りました。日興門流でも日尊門流と北山門流は釈迦本仏説を採ります。ここを外した流れは日蓮仏法とは云えないと考えます。ここを踏まえた流れの主なものとして旧富士門流があり [続きを読む]
  • 新たな、しかしあり得ない着想
  • 日々唱題しながら思索を続けています。そんな中でとんでもない着想が浮かびました。それは創価学会第七代会長には、“石原さとみ”になってもらうのが良かろうというもの。皆が知るあの女優の“石原さとみ”です。創価高校の第35期卒業生です。昨年の元旦、第七代会長は女子部から選ぶのが良いと述べました。その延長線上にあることは間違いありません。その考えが具体性をもった着想として現れてきたのでしょう。特にファンでは [続きを読む]
  • 2月度座談会で大御本尊の話をしてみた
  • 今月の座談会はB座で、かれこれ40年以上も行き来のある副支部長宅で行われた。御書講義の担当だったのでその時間を使って、大御本尊を受持の対象としないとしたことを参加者に問おうと思っていたところ、女子部が未入会の父親を連れて初めて座談会に来ることになったという。さすがにその場を紛糾させる訳にはいかない。大御本尊を受持の対象としないとした問題において、新たな行動を起こそうとしたところに、みごとなまでの障 [続きを読む]
  • むしろ0(ゼロ)からまた創価を始めてみようか
  • タイトルは映画「君の名は。」の挿入歌、RADWINPSの歌う「前前前世」の歌詞をもじったものです。先生が還暦を迎えられた際、松下幸之助氏が先生に送られた祝辞に、「もうひとつ〈創価学会を〉お作りになられる位の心意気で」という一節があったと、宿坊の掲示板で紹介されていたのを見て着想を得ました。創価の現状は発迹顕本がなされなければならないという認識のもと、日々の2時間唱題とそのための思索を続けていますが、具体的 [続きを読む]
  • 伊勢山皇大神宮
  • 会社が加入している組合の賀詞交歓会に社長命令で参加してきたのだが、その中に伊勢山皇大神宮での儀式殿祈祷が含まれていた。生まれてこのかた創価の私は、そんなものに参加したことも無くする予定もなかったのだが、社長命令ではあるしどんなものか興味もあり、生まれて初めて神社の祈祷というものに参加してきた。伊勢山皇大神宮というのは横浜総鎮守とうたわれていて、祭神は天照大神。そう、御本尊の四段目に勧請されている皇 [続きを読む]
  • 大山16
  • 本日の新・人間革命、いよいよ「時流」発言の場面が描かれています。随筆 新人間革命79「嵐の4.24 断じて忘るな! 学会精神を」と比べるとソフトタッチに描かれていますが、内容的には齟齬の無いものになっています。「臆した」「不甲斐ない」当時の最高幹部は実名こそ出ていませんが、知る人ぞ知る有名人ばかりです。今の創価学会にとって「54年問題」は過去の一事実に過ぎず、いまさらその責任を追及するつもりもないのでし [続きを読む]
  • 世間虚仮 唯仏是真
  • 聖徳太子の言葉として伝えられる、天寿国繍帳に記された言葉です。意味は解説するまでもないでしょう。この言葉を思い出したのは、寿量品の次の一節からです。「如来如実知見 三界之相 無有生死 若退若出 亦無在世 及滅度者」如来は三界の相を実の如く知見するとのことで、そこには生死のもしくは退、もしくは出の有ること無く、また在世及び滅度の者もないということです。凡夫である私は子供が生まれてはよろこび、親を亡く [続きを読む]
  • 久遠元初自受用報身如来
  • 今の創価学会員でこの単語を知っている人は何割くらいいるのだろう。昭和の時代の経本には載っていたが、今では影も形も無い。教学で教えることも無いから、専門に学ぶか興味を持って調べるかしない限りは、知らない単語であろう。昭和の時代、大御本尊を賛嘆する言葉として、御観念文に載っていたものである。百六箇抄の「下種の法華経教主の本迹」には、「自受用身は本・上行日蓮は迹なり、我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底 [続きを読む]
  • 本門戒壇の大御本尊なんて知らない
  • 「学会三世の憂うつ」というブログに表題のような記事があったので読んでみた。管理人の青蓮氏は、親子ほどの年の差はあるが母校の後輩にあたる。石原さとみとも同じ校舎で過ごした世代らしい。(ちょっと羨ましかったりする)(笑)私らの世代は、本門戒壇の大御本尊が日蓮大聖人の出世の本懐であると信じ、創価学会の中で育ってきた。しかし宗門からの破門後に生まれた世代は、大御本尊を知らないということに改めて気付かされた [続きを読む]