hina さん プロフィール

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hinaさん: わたしの城めぐり
ハンドル名hina さん
ブログタイトルわたしの城めぐり
ブログURLhttp://hina0011.blog.fc2.com/
サイト紹介文主婦の城めぐり&地元小田原の歴史散策&その他もろもろ
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供54回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2015/05/16 03:58

hina さんのブログ記事

  • 「北条氏と両上杉氏の抗争」
  • 三連休の最終日18日は市内で催された小和田哲男先生の公開講座「北条氏と両上杉氏の抗争」へ。関東管領両(山内、扇谷)上杉氏〜上杉謙信に至るまでの北条氏との抗争がテーマ。時代考証を担当されてる大河「直虎」のこともちょこっと。いつもテレビで拝聴する通り、穏やかで優しい語り口でとてもわかりやすいお話でした。私にとってはなかなかタイムリーな内容でして。当日頂いたレジュメのこの上杉氏系図、ここまで詳しくまとまっ [続きを読む]
  • 魅惑の竹之下 その2「竹之下合戦」
  • 竹之下その2は建武2年(1335)の竹之下合戦についてです。鎌倉幕府滅亡→建武の新政→室町幕府 あたりは日本史上で最も複雑難解、異常ともいえる時代でここさえなかったら日本史って楽しいのにっ 私が日本史につまづいたのは後醍醐天皇のせいだっと思ってる皆様も多いかと。私も大森氏がいなかったらあまり考えたくない時代でしたが、まぁ、いろいろおさらいしてみると意外と面白かったり・・・するので・・・す (なぜ口ごもる [続きを読む]
  • 魅惑の竹之下 その1「竹之下孫八左衛門」
  • 鎌倉大草紙に「大森安楽斎入道父子は竹の下より起て小田原の城を取立、近郷を横領す」とあり、大森氏の本拠地は竹之下だと認識されていたのが窺えます。竹の下とは静岡県駿東郡小山町竹之下。御殿場線足柄駅の周辺、下古城から東名高速を挟んで東側の地区。足柄山の麓であり、地名の由来は足柄山の「岳の下」だそうです。竹之下といえば1335年足利尊氏と新田義貞による箱根竹之下の戦いの舞台。700年経った今でも色々な史跡や伝承 [続きを読む]
  • 岡本城(千葉県)
  • 城めぐりは好きでやってることなのでどんな城でもどんな目に遭っても基本楽しいです。転んで泥だらけになっても蜂に刺されてもヤマビルに咬まれても熊の糞を見つけてびびりまくっても狸に化かされたように迷い続けても全然へっちゃらです。それがですよ。館山城の帰りに寄った岡本城ですが・・・真夏、雨上がりという悪コンディションだったせいか今までになくつらく感じました。つらかったんです。へっちゃらじゃなかったんです。 [続きを読む]
  • 館山城(千葉県)
  • そんなこんなで雨で宮本城に行けなかったのでやって来ました館山城。富浦から館山までは車で15分くらい。途中南国っぽい街路樹が立ち並んでて気持ちのよいドライブです。館山城は天正18年(1590)に里見義康が築城。小田原攻めの年ですから戦国時代最後に建てられた城ですね。義康の子、忠義の代で里見氏は改易されたので里見氏最後の城ということになります。改易後に城は破壊され、さらに戦時中に高射砲部隊が置かれたため本丸や [続きを読む]
  • お盆と夫のルーツと宮本城 (に行けなかった)
  • お盆休み、皆様はどのように過ごされたでしょうか。関東地方では悪天候が続き、海水浴など計画していた方々は残念だったでしょうが、暑さが苦手な私にとっては今年は過ごしやすく快適なお盆となりました。いつもは真夏の城めぐりは避けているのですが、こんなに涼しいので千葉の城めぐり&墓参りしようか〜と。夫の家系は安房、南房総市出身で、時々夫婦で墓参りに行ってるんです。南房総へはもちろんフェリーです。フェリー大好き [続きを読む]
  • 塚原の大森彦七
  • またまた長泉院来由記の話題で恐縮です。来由記では板矢長者の悪犬退治の80余年後、1342年頃の大森彦七による大龍退治の話が出てきます。大森頼明の西相入りから30年前のことです。大森彦七 といえば太平記の登場人物。湊川の戦いで楠木正成を滅ぼし、その呪いで次々と妖怪に襲われるんだけどことごとくやっつけちゃったという猛将です。最初は え!その大森彦七がここで大龍退治したの? と思ったんですが、太平記の大森彦七は [続きを読む]
  • 悪犬退治と笹子地蔵
  • 板矢長者の続きになります。大森頼明が内山城を築く100年以上前に塚原に移住していた大森某がいて、その子孫が頼明の西相模進出を手助けしていた。「玉峯山長泉院来由記」などの資料からそう考えることができる、という保田宗良氏の見解により私の「河村氏や松田氏ヤバくなかったの?」というモヤモヤは少しスッキリしたのですが、それにしてもどう手助けしたらあんなところ(内山)に陣取れたんでしょうね。玉峯山の大森一族って [続きを読む]
  • 玉峯山の板矢長者
  • 大森氏八代目の頼明が小田原進出をにらみ内山に城を築いたのが1372年ごろ。足利尊氏が死去してまだ10数年の南北朝時代のことでした。それ以前の大森氏を駿河大森、西相入りを果たした頼明からを小田原大森、と呼ぶようにこの1372年は大森氏の一つのターニングポイントになってます。(保田宗良「岩原古城と住民」 に加筆)裾野から(御殿場線沿いに)順調(?)に北上してきた大森氏も足柄峠から東は「ちょっとヤバいかも・・・」 [続きを読む]
  • 要害山城(山梨県)
  • 甲府にはよく行ってるんです。ええ、静岡ばっか行ってるわけではないんですよほんとに。駅前の信玄様には年に何回もお会いしてるんです。私は甲府が好きなんです。(どこでもそう言う)信玄餅も信玄ロールも大好きですし何と言っても甲府には駐車場付きの天下一品がありますし。ですから要害山城はとっくにUPしてる と思い込んでました。そしたらですよ、要害山どころか躑躅ヶ崎館さえまだじゃないですかっなんなんでしょうね。こ [続きを読む]
  • 静岡ばかりが増える言い訳
  • ふと気づけば全国城めぐりブログのはずだったのに地元北条氏や大森氏に漬かり過ぎてしまったため・・・全然全国に行けてません。はっきり言って静岡ばかりです。しかも駿東中心。2年もブログやってるのに何という偏り様。もう「わたしの城めぐり」というタイトルも変えた方がいいんじゃないかと。「わたしの駿東めぐり」「MY北条and大森!」 とかに。いや、静岡以外も行ってるんですよ。ブログ始めてから彦根や松本の城にも行って [続きを読む]
  • 玉縄城(神奈川県)
  • 玉縄城といえば小田原城に次ぐ北条氏の拠点でありますが、あまり行く気にならない・・・行かなくてもいいんじゃないか・・・ と思ってた城でして。それと言うのも、大船駅からほど近いせいで宅地化により遺構はほぼ消滅しており、さらに主郭には私立の女学院が建っている。「付近をウロウロしてると通報される」「校庭にはドーベルマンが放たれている」なんて噂も聞きますし(シェパードだったかも)わざわざそんな恐ろしい城跡に [続きを読む]
  • 方広寺の五百羅漢
  • 奥山氏館跡からさらに奥へ、井伊谷の龍潭寺からだと車で10分くらいでしょうか。臨済宗方広寺派の大本山である深奥山方広寺に着きます。創建1371年。開基は奥山朝藤。しのさん(ほんとはひよさんらしい)の父、奥山朝利の3代前の当主。開山は無文元選。なんと後醍醐天皇の皇子。元で修行を重ねた超セレブな名僧。こんなすごい僧を招けるなんて奥山氏の力っていったい。なお、大河ドラマでおとわの修行シーンが撮影されたのがこの方 [続きを読む]
  • 奥山氏居館跡
  • 大河ドラマ館の帰りに奥山に寄りました。奥山は井伊直政の母の実家、奥山氏の領地だった所です。井伊の有力分家である奥山氏はかなり広大な地を支配していたらしく、現在の地図でも奥山地区はとても広いです。大河を観てるといかに奥山氏の力が強かったかよく理解できるのですが、浜松市のずーっと北、ここも浜松なの?まだ静岡なの?ってなくらい遠方で未だ訪問できない高根城も奥山氏の手によるものと知った時は少々クラクラして [続きを読む]
  • 大河ドラマ館「おんな城主直虎」へ
  • 梅雨入りして最初の日曜日、「おんな城主直虎」の大河ドラマ館に行ってきました。私、大河ドラマ館って初めてなんです。「真田丸」の時はオープン前の建物を見ただけ。期間限定だし遠方だとなかなか難しいですよね。直虎さんは浜松ですので、いつでも行ける!と思いながらも混雑期を避けてたらこんな時期になってしまいました。大河ドラマ館(みをつくし文化センター)入り口。おんな城主直虎の大河ドラマ館があるのは浜松市の気賀 [続きを読む]
  • 大森氏の子孫・・・菊地氏
  • 先月、寒川町の方から「寒川町に菊地氏(大森氏)の史跡が残ってます」とメールを頂きました。頂いて「あぁぁっ菊地氏〜」と雷鳴のようにその名を思い出し(笑)この間寒川に行ったばかりなのになぜ気づかなかったんだー 自分の忘れっぽさに今更ながら呆れた次第でございます。乗光寺のところで少し書きましたが正保の頃に大森氏の子孫、大森(佐久間)頼直が荒廃していた寺を小山町生土に再建し、その時に一族の家系図も整備して [続きを読む]
  • 北川殿と笠原新六郎
  • 意味深なタイトルになってしまいましたが北川殿と笠原新六郎(政尭)に何やら関係があるのではなく、大平新城&古城の帰りにそれぞれの菩提寺に行った というただそれだけの話です(;´∀`)前にも触れましたが大平は今川氏に縁の深い地域で、今川義忠の正室北川殿の菩提寺、桃源院があります。大平の大井地区、石切り場もある切り立った山の影。とても静かで気持ちのいい場所でした。今川義忠は義元の祖父、北側殿の産んだ子が氏 [続きを読む]
  • 大平古城(静岡県)
  • 平成10年に発見された大平古城は大平新城の大堀から南へ500mほどの場所。500mというと近そうに感じますが・・・山道の500mって結構大変。私は30分くらいかかりました。途中傾斜の厳しい箇所がいくつもあってロープが張られてます。写真ではそうは見えないけどかなりの急坂なんですよ。ロープなしではとても登れません。でも道は整備されてますし、ずーっと登りというわけでもないので、、それほどゼイゼイしなかったような。(最近 [続きを読む]
  • 大平新城(静岡県)
  • 笠原新六郎の裏切りによって戸倉城を武田に奪われてしまった北条は、戸倉城より狩野川沿い3キロほどの大平の地に後退、大平新城と出城山を築き武田勢に備えます。 で拡大(静岡古城研究会「静岡の城跡 中世城郭縄張図集成」より 城館分布図に加工加筆)戸倉城と大平新城の位置関係をわかりやすく示したくて、静岡古城研究会の城館分布図を重ねて加筆。私にしては上手くできたと思ってます。ポイントは狩野川を青く塗った [続きを読む]
  • 下古城(静岡県)
  • 御殿場から小山町へ抜ける時にずっと気になっていたのが上古城と下古城という地名。かみふるしろ、しもふるしろ。古城の上と下。なんと心惹かれる名でございましょう。上古城と下古城があるのは静岡県小山町。御殿場市との町境のすぐ北側になります。城があったとされてるのはこの下古城地区。(なぜか下古城という地名は飛び飛びに存在してる)東名高速の脇、馬伏川と立沢川に挟まれた舌状台地が城址で、わずかに土塁が残されてい [続きを読む]
  • 小田原用水 その3
  • 図3のあたりで二手に分かれた南側の用水路はほぼ暗渠で面白くもなんともありません。いつ頃暗渠化されたのかよく憶えてないのですが、昭和55年の堀浄化事業で用水路底の改修も行われたようなので、その時ついでに一気に暗渠が進んだのかもしれません。図の7、旧道と国道を結ぶ道と交差するところ、牛頭天王がある道です。ここで開渠が少し見られます。左は40年くらい前までお米屋さんだったお宅。古い建物がまだ残されています。 [続きを読む]
  • 小田原用水 その2
  • 小田原用水 その1 では図の3のところまで来ました。かつて板の橋が架かっていた旧東海道を横切り、香林寺の昔の参道沿いに水は流れ、直角に東に曲がります。ここから先、板橋見附までの道はほとんど開渠。小田原用水のウォーキングコーズでは主にこの道が紹介されています。上の写真を拡大。川に降りる石段が残されています。ここで野菜を洗ったりしてたわけですね。要塞みたいな内野醤油屋さんの裏手。板橋の案内図があります [続きを読む]
  • 小田原用水 その1
  • 日本最古の上水路といわれる小田原用水。建設年代の詳細はわかっていませんが、天文14年(1545)に小田原に来た連歌師宋牧さんが「東国紀行」にて 氏康さんのお庭の水は早川から引いてるっ! と驚いてるのでだいたいその頃だと思われます。(私は大森氏の頃にあったんじゃないかと妄想を膨らませております   一人で)水路のことって実はすごく苦手なんですよ。私は古道も苦手です。頭の中で道筋が上手く組み立てられなくてパ [続きを読む]
  • 梶原景時館(神奈川県)
  • 寒川町に梶原景時の館跡があるのは知ってたのですが、址といっても石碑が建ってるだけだろうとあまり関心を持てないでいました。この間高麗山に行った帰りに、「そういえばこの辺だったっけ?」と探したらすぐに見つかってここです ここ。この一之宮天満宮のある小さな公園が梶原景時の館跡とされています。後世の村人が館の一角に建てたという天満宮。梶原景時といえば、源頼朝に義経の行いを讒言したことが有名で、歴史上「大悪 [続きを読む]
  • 高天神城(静岡県)
  • このたび日本城郭協会において続日本100名城が選定されました。「続日本100名城」発表される神奈川県からは小机城、石垣山城が加わり( ´∀`)bグッ今まで「どーしてここが100名城じゃないの?」とモヤモヤしていた方々も多少はスッキリしたのではないでしょうか。私が激しくモヤモヤしていた静岡県の高天神城 もめでたく続の仲間入り。ええ、かなりスッキリしましたわ。「高天神を制するものは遠州を制す」 という有名な言葉が [続きを読む]