hina さん プロフィール

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hinaさん: わたしの城めぐり
ハンドル名hina さん
ブログタイトルわたしの城めぐり
ブログURLhttp://hina0011.blog.fc2.com/
サイト紹介文主婦の城めぐり&地元小田原の歴史散策&その他もろもろ
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供55回 / 365日(平均1.1回/週) - 参加 2015/05/16 03:58

hina さんのブログ記事

  • 玉峯山の板矢長者
  • 大森氏八代目の頼明が小田原進出をにらみ内山に城を築いたのが1372年ごろ。足利尊氏が死去してまだ10数年の南北朝時代のことでした。それ以前の大森氏を駿河大森、西相入りを果たした頼明からを小田原大森、と呼ぶようにこの1372年は大森氏の一つのターニングポイントになってます。(保田宗良「岩原古城と住民」 に加筆)裾野から(御殿場線沿いに)順調(?)に北上してきた大森氏も足柄峠から東は「ちょっとヤバいかも・・・」 [続きを読む]
  • 要害山城(山梨県)
  • 甲府にはよく行ってるんです。ええ、静岡ばっか行ってるわけではないんですよほんとに。駅前の信玄様には年に何回もお会いしてるんです。私は甲府が好きなんです。(どこでもそう言う)信玄餅も信玄ロールも大好きですし何と言っても甲府には駐車場付きの天下一品がありますし。ですから要害山城はとっくにUPしてる と思い込んでました。そしたらですよ、要害山どころか躑躅ヶ崎館さえまだじゃないですかっなんなんでしょうね。こ [続きを読む]
  • 静岡ばかりが増える言い訳
  • ふと気づけば全国城めぐりブログのはずだったのに地元北条氏や大森氏に漬かり過ぎてしまったため・・・全然全国に行けてません。はっきり言って静岡ばかりです。しかも駿東中心。2年もブログやってるのに何という偏り様。もう「わたしの城めぐり」というタイトルも変えた方がいいんじゃないかと。「わたしの駿東めぐり」「MY北条and大森!」 とかに。いや、静岡以外も行ってるんですよ。ブログ始めてから彦根や松本の城にも行って [続きを読む]
  • 玉縄城(神奈川県)
  • 玉縄城といえば小田原城に次ぐ北条氏の拠点でありますが、あまり行く気にならない・・・行かなくてもいいんじゃないか・・・ と思ってた城でして。それと言うのも、大船駅からほど近いせいで宅地化により遺構はほぼ消滅しており、さらに主郭には私立の女学院が建っている。「付近をウロウロしてると通報される」「校庭にはドーベルマンが放たれている」なんて噂も聞きますし(シェパードだったかも)わざわざそんな恐ろしい城跡に [続きを読む]
  • 方広寺の五百羅漢
  • 奥山氏館跡からさらに奥へ、井伊谷の龍潭寺からだと車で10分くらいでしょうか。臨済宗方広寺派の大本山である深奥山方広寺に着きます。創建1371年。開基は奥山朝藤。しのさん(ほんとはひよさんらしい)の父、奥山朝利の3代前の当主。開山は無文元選。なんと後醍醐天皇の皇子。元で修行を重ねた超セレブな名僧。こんなすごい僧を招けるなんて奥山氏の力っていったい。なお、大河ドラマでおとわの修行シーンが撮影されたのがこの方 [続きを読む]
  • 奥山氏居館跡
  • 大河ドラマ館の帰りに奥山に寄りました。奥山は井伊直政の母の実家、奥山氏の領地だった所です。井伊の有力分家である奥山氏はかなり広大な地を支配していたらしく、現在の地図でも奥山地区はとても広いです。大河を観てるといかに奥山氏の力が強かったかよく理解できるのですが、浜松市のずーっと北、ここも浜松なの?まだ静岡なの?ってなくらい遠方で未だ訪問できない高根城も奥山氏の手によるものと知った時は少々クラクラして [続きを読む]
  • 大河ドラマ館「おんな城主直虎」へ
  • 梅雨入りして最初の日曜日、「おんな城主直虎」の大河ドラマ館に行ってきました。私、大河ドラマ館って初めてなんです。「真田丸」の時はオープン前の建物を見ただけ。期間限定だし遠方だとなかなか難しいですよね。直虎さんは浜松ですので、いつでも行ける!と思いながらも混雑期を避けてたらこんな時期になってしまいました。大河ドラマ館(みをつくし文化センター)入り口。おんな城主直虎の大河ドラマ館があるのは浜松市の気賀 [続きを読む]
  • 大森氏の子孫・・・菊地氏
  • 先月、寒川町の方から「寒川町に菊地氏(大森氏)の史跡が残ってます」とメールを頂きました。頂いて「あぁぁっ菊地氏〜」と雷鳴のようにその名を思い出し(笑)この間寒川に行ったばかりなのになぜ気づかなかったんだー 自分の忘れっぽさに今更ながら呆れた次第でございます。乗光寺のところで少し書きましたが正保の頃に大森氏の子孫、大森(佐久間)頼直が荒廃していた寺を小山町生土に再建し、その時に一族の家系図も整備して [続きを読む]
  • 北川殿と笠原新六郎
  • 意味深なタイトルになってしまいましたが北川殿と笠原新六郎(政尭)に何やら関係があるのではなく、大平新城&古城の帰りにそれぞれの菩提寺に行った というただそれだけの話です(;´∀`)前にも触れましたが大平は今川氏に縁の深い地域で、今川義忠の正室北川殿の菩提寺、桃源院があります。大平の大井地区、石切り場もある切り立った山の影。とても静かで気持ちのいい場所でした。今川義忠は義元の祖父、北側殿の産んだ子が氏 [続きを読む]
  • 大平古城(静岡県)
  • 平成10年に発見された大平古城は大平新城の大堀から南へ500mほどの場所。500mというと近そうに感じますが・・・山道の500mって結構大変。私は30分くらいかかりました。途中傾斜の厳しい箇所がいくつもあってロープが張られてます。写真ではそうは見えないけどかなりの急坂なんですよ。ロープなしではとても登れません。でも道は整備されてますし、ずーっと登りというわけでもないので、、それほどゼイゼイしなかったような。(最近 [続きを読む]
  • 大平新城(静岡県)
  • 笠原新六郎の裏切りによって戸倉城を武田に奪われてしまった北条は、戸倉城より狩野川沿い3キロほどの大平の地に後退、大平新城と出城山を築き武田勢に備えます。 で拡大(静岡古城研究会「静岡の城跡 中世城郭縄張図集成」より 城館分布図に加工加筆)戸倉城と大平新城の位置関係をわかりやすく示したくて、静岡古城研究会の城館分布図を重ねて加筆。私にしては上手くできたと思ってます。ポイントは狩野川を青く塗った [続きを読む]
  • 下古城(静岡県)
  • 御殿場から小山町へ抜ける時にずっと気になっていたのが上古城と下古城という地名。かみふるしろ、しもふるしろ。古城の上と下。なんと心惹かれる名でございましょう。上古城と下古城があるのは静岡県小山町。御殿場市との町境のすぐ北側になります。城があったとされてるのはこの下古城地区。(なぜか下古城という地名は飛び飛びに存在してる)東名高速の脇、馬伏川と立沢川に挟まれた舌状台地が城址で、わずかに土塁が残されてい [続きを読む]
  • 小田原用水 その3
  • 図3のあたりで二手に分かれた南側の用水路はほぼ暗渠で面白くもなんともありません。いつ頃暗渠化されたのかよく憶えてないのですが、昭和55年の堀浄化事業で用水路底の改修も行われたようなので、その時ついでに一気に暗渠が進んだのかもしれません。図の7、旧道と国道を結ぶ道と交差するところ、牛頭天王がある道です。ここで開渠が少し見られます。左は40年くらい前までお米屋さんだったお宅。古い建物がまだ残されています。 [続きを読む]
  • 小田原用水 その2
  • 小田原用水 その1 では図の3のところまで来ました。かつて板の橋が架かっていた旧東海道を横切り、香林寺の昔の参道沿いに水は流れ、直角に東に曲がります。ここから先、板橋見附までの道はほとんど開渠。小田原用水のウォーキングコーズでは主にこの道が紹介されています。上の写真を拡大。川に降りる石段が残されています。ここで野菜を洗ったりしてたわけですね。要塞みたいな内野醤油屋さんの裏手。板橋の案内図があります [続きを読む]
  • 小田原用水 その1
  • 日本最古の上水路といわれる小田原用水。建設年代の詳細はわかっていませんが、天文14年(1545)に小田原に来た連歌師宋牧さんが「東国紀行」にて 氏康さんのお庭の水は早川から引いてるっ! と驚いてるのでだいたいその頃だと思われます。(私は大森氏の頃にあったんじゃないかと妄想を膨らませております   一人で)水路のことって実はすごく苦手なんですよ。私は古道も苦手です。頭の中で道筋が上手く組み立てられなくてパ [続きを読む]
  • 梶原景時館(神奈川県)
  • 寒川町に梶原景時の館跡があるのは知ってたのですが、址といっても石碑が建ってるだけだろうとあまり関心を持てないでいました。この間高麗山に行った帰りに、「そういえばこの辺だったっけ?」と探したらすぐに見つかってここです ここ。この一之宮天満宮のある小さな公園が梶原景時の館跡とされています。後世の村人が館の一角に建てたという天満宮。梶原景時といえば、源頼朝に義経の行いを讒言したことが有名で、歴史上「大悪 [続きを読む]
  • 高天神城(静岡県)
  • このたび日本城郭協会において続日本100名城が選定されました。「続日本100名城」発表される神奈川県からは小机城、石垣山城が加わり( ´∀`)bグッ今まで「どーしてここが100名城じゃないの?」とモヤモヤしていた方々も多少はスッキリしたのではないでしょうか。私が激しくモヤモヤしていた静岡県の高天神城 もめでたく続の仲間入り。ええ、かなりスッキリしましたわ。「高天神を制するものは遠州を制す」 という有名な言葉が [続きを読む]
  • 裾野市深良・・・大森氏発祥の地
  • 大森氏のかんたん系図〜 藤原道隆━藤原伊周━忠親(母伊勢氏)━惟康(高橋姓)━親康━親家(大森姓)伊周の孫にあたる高橋惟康が三河高橋庄(だから高橋姓)の次に駿河藍沢庄国司に着任、赤子の森に館を建てました。藍沢庄とは三島から黄瀬川沿いに北上する地域で、赤子の森があったのは現在の裾野市深良。一族は繁栄し親家の代に赤子の森近くの大森山に城を築き、土着して姓を大森に改めました。親家は建久4年(1193)に鎌倉 [続きを読む]
  • 高麗山城(神奈川県)
  • 恋人同士が南京錠をバチバチとくっつける観光名所は全国各地にありますがその発祥の地と言われているのは高麗山の湘南平だそうです。超有名なデートスポットですものね。でも高麗山(こまやま)という名はあまり知られていないのでは?(私もずっと知らなかった)実は高麗山の名を知ったのはわりと最近で、大森氏のことを調べていて 箱根権現は元々大磯の高麗権現から勧請されたものだと、高麗神社はその名の通り渡来高麗人による [続きを読む]
  • 幻庵屋敷その後の発見 
  • 先月の久野北条幻庵顕彰会で立木望隆先生のことが紹介されていました。市内穴部出身、戦後は御霊屋裏手に住み、まだ世間で関心の薄かった幻庵や早雲出自について研究された方です。幻庵屋敷を歩いてから図書館で立木先生の著書を読んだら(順番が逆だけど)(「北條幻庵伝略」立木望隆 より)これですよこの図。中屋敷ってこんなに広かった〜七軒屋敷はもっと東だった〜立木先生も言われてますが、屋敷をぶった切ってる後世の道路 [続きを読む]
  • 幻庵の母の菩提寺
  • 幻庵の池から東に600mほど、坂下という地区に栖徳山京福寺があります。元は幻庵屋敷内の七軒屋敷に幻庵の母である栖徳寺殿の菩提寺として建てられその頃は万安山栖徳寺といいました。栖徳寺は小田原落城後に荒廃し、元禄年間に七軒屋敷から移転して再興。宗派も臨済宗から曹洞宗へと変わりました。幻庵が久野に住んだのは総世寺の安叟宗楞を崇拝していたことも理由の一つ、と大森氏関連で聞いていたので、栖徳寺は最初から曹洞宗 [続きを読む]
  • 北条幻庵屋敷を歩いてみた
  • 先日ご紹介した久野北条幻庵顕彰会の講演会で拝見した「幻庵屋敷想定郭心部位置図」この図を見ながら久野の幻庵屋敷を歩いてきました。(幻庵池の位置を青〇でポチッ)幻庵の池。池周辺の「中宿」地区に幻庵の居住屋敷「中屋敷」があったと言われてます。池入り口(久野保育園入り口)にわずかに残る中屋敷の土塁。池からの水が道路左端を流れてます。保育園運動場(子供達は野原と呼んでた)の東側の柵に沿って土塁が続いていたよ [続きを読む]
  • 戸倉城(静岡県)・・・笠原新六郎の謎
  • 三島市西方の狩野川流域では今川氏武田氏そして北条氏によるめまぐるしい領地争いがあり、そのため小さくても重要な城が乱立、城めぐりには興味深い地域です。伊豆と駿河の境であり韮山城の前衛地でもあったんですね。その中の一つ戸倉城は狩野川が大きく蛇行した内側の本城山にありました。戸倉城と言えば北条筆頭家臣であり、小田原開城後に切腹させられた松田憲秀の嫡男笠原新六郎が武田に寝返ったため奪われた城というのが一般 [続きを読む]
  • 「北条幻庵顕彰会」設立記念講演会
  • 2月4日(土)に小田原市久野区民会館で「北条幻庵顕彰会」の設立記念講演会がありました。講師は小田原地域の郷土史や自然学で著名な田代道彌先生。ポスト広告で連載中の「小田原城さんぽ」を毎回楽しみにスクラップしております♪講演会のことは先月末にある方からお知らせいただきまして、タウンニュースで紹介されたのもその頃。関係者以外には急な告知であったように思われたし、場所は久野区民会館、対象は幻庵ですので、果た [続きを読む]
  • お得な博物館♪「三島市郷土資料館」「富士かぐや姫ミュージアム」
  • 昨年秋から富士、沼津、三島の3市博物館共同企画展「駿東・北伊豆の戦国時代」が催されています。が、すでに沼津と富士は終了。この手の話題は私の気づくのが遅いこともありいつもこんな調子でスミマセン・・・富士市では2月26日までやってます。私は富士市と三島市の展示にはなんとか行くことができました。(なぜか中間地点の沼津だけ行けなかった)どちらも小規模ではありますが内容が濃く、特に三島市では山中城について詳しく展示 [続きを読む]