philo1985 さん プロフィール

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philo1985さん: イデアの昼と夜
ハンドル名philo1985 さん
ブログタイトルイデアの昼と夜
ブログURLhttp://philo1985.hatenablog.com/
サイト紹介文東京大学で哲学を学びつつ、ブログを書いています。よろしくお願いします。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供184回 / 365日(平均3.5回/週) - 参加 2015/05/22 09:59

philo1985 さんのブログ記事

  • 人生の総合競技
  •  話がつい本題から逸れてしまいましたが、これを機会に、もう少しだけ脱線しておくことにします。 「哲学とは、人生の総合競技である。」 前にも少し書きましたが、筆者は最近、哲学の道の奥深さを前にもまして思い知らされています。この道は、はてしなく長い。ゆくべきところまで辿りつくためには、聴くためのよい耳と、問うためのよい口と、歩むためのよい足を持たなくてはなりません。 それから、この道を歩んだ先人た [続きを読む]
  • 『ガラスの仮面』
  •  思い返してみると、『ロトの紋章』は、女剣士ルナフレアや老師タルキンが勇者アルスを守るために死んでいったり、賢王ポロンの両親が自分の村を守るために自爆呪文メガンテで命を捨てたりするなど、自己犠牲のスピリットをこれでもかというほどに示してくれた名作でした。 登場人物の一人一人のことを思うたびに胸が熱くなりますが、あらためて考えてみると、『ロトの紋章』にかぎらず、この国の少年少女たちがマンガから受 [続きを読む]
  • 『ロトの紋章』
  •  物事の自然な姿は究極にあるとアリストテレスも言っているので、いきなりではありますが、愛の究極のかたちについて考えるところから考察をはじめてみます。 「与える愛とは、究極のところでは、見返りを求めない愛である。」 通常の人間関係においては、ギブアンドテイク、あるいはWin−Winが基本です。けれども、究極の愛においては、与えた分のお返しが期待されることはもはやなく、ただ惜しみなく与えることだけが行わ [続きを読む]
  • 哲学を再開する
  •  五月の人生の停止状態のあいだには、シルクロードの勉強に没頭していた時期もありました。そのため、敦煌やカシュガルの魅力について書きまくりたい思いも高まっているのですが、そうなると、もはや何のためのブログであるのかわからなくなるので、これから愛について少し考えてみることにします。 「これからは、愛に生きる。」なるほど。しかし、そうは言っても、人間は愛について、本当に知っているといえるのだろうか。愛 [続きを読む]
  • 人生の停止状態のおわりに
  •  そういうわけで、そろそろ、自分の人生を再開させてみることにしようと思います。低空飛行&低速運行が原則であることは、もはや付け加えるまでもなさそうですが……。 それにしても、筆者はこれまで救いの哲学を追い求めつづけてきたけれど、誰よりも救われなければならないのはまずは自分自身であることに、ようやく気づきました。死にたくないのにこの世で生きつづけるのもきついという人間は、一体どうすれば救われるとい [続きを読む]
  • そろそろ始めよう
  •  逆流性食道炎は前回の記事を書いたのち、案の定インフェルノな事態にまで発展しましたが、もうそんなことを気にしている場合ではありません。あれから、はたして自分はこれから何を書いてゆくべきか、考えてみました。 「とにかく、愛しかない。」 自分でもいつからこんなことになってしまったのかわかりませんが、筆者の哲学はつまるところ、すべて愛に帰着します。カントが理性でハイデッガーが存在なら、筆者は愛でゆくし [続きを読む]
  • 持病についての、とりあえずの結論
  •  ここのところずっと逆流性食道炎について書きつづけてきましたが、そろそろさすがに総括しておいたほうがよいような気がしてきました。 「苦しみがなくなることよりも、苦しみがあっても幸せに生きることをめざすべきなのではないか。」 これはよく言われることかもしれませんが、筆者には、体の苦しみに悩まされている時に幸せに生きるのは、本当に難しい。魂の修練に日夜打ちこんでいるはずの哲学徒としては、まことに情け [続きを読む]
  • 食べたい……が、よく考えてみると
  •  友人のTさんの話を聞いていると、逆流性食道炎は確かにきついけれど、これくらいで弱音を吐いていてはいけないのではないかと思えてきます。しかし、そのことを前提とした上で、やはりこれだけは書いておきたい。 逆流性食道炎患者にとって、食べることは、食べ足りずに心残りなまま終わるか、あるいは食べ過ぎてすさまじく後悔するかのいずれかです。生き物である以上、食べて喜びたい。しかし、逆流性食道炎患者の場合、こ [続きを読む]
  • 上には上がいる
  •  すさまじい逆流性食道炎の大嵐のなか、この記事を書いています……。当初は、人生のスウィートな停止状態を味わいつつ、しばらく落ちついて過ごすはずだったのに、なぜこんなことになってしまったのでしょうか。 筆者の人生は、なぜこんな苦しみの連続に姿を変えてしまったのでしょうか。魂の苦しみも辛いですが、身体の苦しみもやはりきつい。たまには何も苦しみのない一週間を味わいたいものですが、そんなものは、もう一生 [続きを読む]
  • 停止中の自問自答
  •  とにかく軸がブレまくりの、わが人生。けれども、今回、人生について考えることをストップしてみて改めてわかったことが、一つあります。 それは、筆者にとっては、人生を生きることの意味は学問をすることのうちにしかないということです。勉強したり、考えたりすることはすばらしい。とくに哲学だけは、どうしても、何があってもやめられない。 人文知が役に立つとか立たないとかは、根本のところではどうでもいい。こんな [続きを読む]
  • もう一つの悩み
  •  チョコレートバー「パルム」の件は、あのあと、ひどいことになってしまいました……。全く笑いごとではすまされないような半日を過ごしたあと、ようやく少し落ち着きました。 「人生とは、絶えることのない苦しみの連続である。」 精神的な悩みからいったん解放されたとしても、身体の苦しみがやってくれば、今度はそれがその人にとっての全宇宙になります。逆流性食道炎がひどい時には、いくらアリストテレスのことを考えた [続きを読む]
  • 逆流性食道炎について
  •  今回は、筆者のここ5年来の持病である逆流性食道炎について書いておくことにします。いや、この病については、いくら書いても書き足りないくらいです……。 食後に胃液がこみ上がってくるという、基本的にはいたってシンプルな構造をもつこの病気は、人間から食べることの喜びを奪います。食べたいのに食べられない。食べられないのに食べたい。悪夢のようなディレンマが、患者の食道と魂を蝕んでゆきます。 筆者の場合、な [続きを読む]
  • 注釈の試み
  •  前回の記事を書いたあとの夜中にこれを書いているのですが、「置かれた場所に咲きなさい」という言葉のうちには、思った以上に深い意味が込められているのではないかという気がしてきました。 まず、「置かれた場所」ですが、ここには、私の存在を贈与されたものとして捉える思考が働いています。 わたしは自ずから立つのではなく、置かれる。この「置かれる」のうちには、存在することそのものの受動性とでも呼ぶべきモメ [続きを読む]
  • 気がついたら二番煎じに
  •  さて、これから先の人生について考えてゆくにあたっては、まずは次の点に目を向けておくことにします。 「この人生においてひとりの人間がなしうることは、本当にごく限られたことでしかない。」 思考のうえでは人生には無限の可能性があるように見えても、実際には人間は一つの人生しか生きることができません。それに加えて、肉体の限界や人生の短さのことを考慮に入れるならば、ひとりの人間になしうることは、ほとんど無 [続きを読む]
  • ブログを始めて2年たってみて
  •  そういうわけで、人生のスウィートな停止状態に入ったおかげで、だいぶ記事を書くうえでも精神がラクになりました。 自分では何も気にせず書いているつもりだったし、また、実際にとても楽しかったのですが、おそらく、「こういうことを書いてはいけない」という無意識のうちの抑制が働いている部分はあったと思います。 おそらく、これは書くという行為にかぎらず、人間のコミュニケーション全般について言えることなのでは [続きを読む]
  • 人生のスウィートな停止状態
  •  前回の記事を書いたら、なんだか急に楽になったよ、ピノコくん。僕はおかげさまで、とってもいい気分だ。朝日を浴びて輝いている、小川の流れのように……。 なんというか、人生のスウィートな停止状態とでもいおうか。もう全部いい、これからは完全に本音だけで生きてゆきたいと思って、自分も世界も気にせずに何もかもやめてみたら、これがもう、最高にスウィートな心地よさなんだ……。 ぜんぶ捨てたつもりだけど、僕には [続きを読む]
  • またしても行き詰まる
  •  ピノコくん。いきなりだけど、僕はいったん全部のことについて、頑張るのをやめたい。もうやる気が出ないんだ。頑張ることそのものに疲れたんだ。 「……そうみたいだね。」 前回の記事を書いてから二週間、何もする気がしなかった。君も知っての通り、4月には、一念発起して神学校に行こうとしたり、死ぬ前にきちんとした文章を書いて出版社に持ってゆこうとしたり、色々したけど、心身がふたたびぶっ壊れて、もう僕には人 [続きを読む]
  • 三位一体論へ ー考察のおわりに
  •  今回の探求のおわりに、次の信仰の言葉に耳を傾けておくことにします。 「真理はそれ自身、神である。」 わたしとあなたの対話においてとどまりつづける真理は、信仰の言葉によれば、神そのものにほかなりません。ただし、この点は、神が人格を持った神であるというイデーと矛盾するように見えるかもしれないので、ただちに論点を補足しておくことにします。 1.父としての神は、語る神である。(父の位格) 2.子としての [続きを読む]
  • 肯定するべきものは……。
  •  昨日の一日をかけて考えてみて、発見したのだ、ピノコくん。僕は「人間はよく生きるために苦しむことが必要か」という問いを立てていたが、ひょっとするとこれは、問いの立て方自体が間違っていたのかもしれない。 「……なんで?」 よく考えたら、僕には苦しむことが必要かどうか、考えてみる必要なんてないのだ!だって、いま苦しいんだから!苦しみながら「苦しむことは必要か」なんて考えても、しょうがないのであある! [続きを読む]
  • 全部やめてしまいたいけれど
  •  ここで対話という主題を離れて、次の論点について考えてみることにします。 「生きることとは、その人に与えられた苦しみを生きぬくことなのではないか。」 苦しむことからは誰でも逃れたいと思うのが普通です。そして、もし苦しまなければならない場合でも、「この苦しみは一時的なものであって、時期が過ぎ去るならば、また苦しみのない時期がやって来るはずだ」と考えたくなるのが人間の性なのではないでしょうか。 少な [続きを読む]
  • 弁証法の秘密
  •  傷の普遍性テーゼ : 傷は、実存することの真理とかかわりを持つかぎりにおいて、私秘的なものでありながら普遍性のモメントにあずからずにはいない。 上のテーゼについて、もう少し掘りさげて考えてみることにします。 わたしの痛みをあなたに言うことができないこと、また、わたしの痛みの声をあなたに聴きとってもらえないことは、わたしをさらに痛ませずにはおきません。というよりも、人間にとって何よりも辛いのは、 [続きを読む]
  • 傷と真理
  •  わたしとあなたが対話するとき、そこには第三の審級としての真理がつねにとどまりつづけているというのが、前回の記事の論点でしたが、ここには、傷という主題も関わってくることに注意を向けておくことにします。 「わたしの傷とあなたの傷は、ともに第三の審級としての真理との関係のもとにある。」 おそらく、それぞれのコギトは、コギトがコギトであるかぎりにおいて、必ずある存在論的な傷とでも呼ぶべきものを抱えてい [続きを読む]
  • 第三の審級
  •  わたしとあなたをめぐる対話において、哲学の観点からすると、次のモメントがきわめて重要になってきます。 「わたしとあなたは、真理において語る。」 語られることは、多かれ少なかれ、かならず何らかの真理において語られます。「2+3=5」を「2+3=4」に勝手に変えてしまうことは人間にはできませんが、これと同じように、真理をゼロから創造して語るということは、少なくとも人間には不可能です。 わたしが仮に何らか [続きを読む]
  • 移民の女性から言われたこと
  •  わたしとあなた、自己と他者をめぐる対話について、もう少し考えておくことにします。 「他者であるかぎりの他者とは、まずもって、わたしが求める他者ではなく、わたしを求める他者である。」 わたしがあなたを求めているならば、わたしとあなたの関係は、あなたがわたしの欲望から、わたしのコナトゥスから必要とされているにすぎないという関係に還元されてしまう可能性にさらされることになります。この場合には、あなた [続きを読む]
  • わたしの超越から、あなたは語る
  •  さて、対話のさいには、次のようなモメントに目を向けておくことも重要であるように思われます。 「わたしの超越から、あなたは語る。」 わたしには、あなたが何を感じ、考えているのかをそのまま知ることは、原理的にいってできません。ただ、あなたの表情や声の調子、それに何よりもあなたの話す言葉から、あなたという人を理解しようと試みることができるにすぎない。 この意味からすると、あなたとは不可視の闇であり、 [続きを読む]