philo1985 さん プロフィール

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philo1985さん: イデアの昼と夜
ハンドル名philo1985 さん
ブログタイトルイデアの昼と夜
ブログURLhttp://philo1985.hatenablog.com/
サイト紹介文東京大学で哲学を学びつつ、ブログを書いています。よろしくお願いします。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供184回 / 365日(平均3.5回/週) - 参加 2015/05/22 09:59

philo1985 さんのブログ記事

  • 神の存在証明、あるいは理想の結婚論
  •  1.神については、人間にはその存在を論証することができず、人間は、神の存在については信じるしかない。(無知のモメント) 2.それにも関わらず、人間は、神自身が人間に働きかけているとしか考えられないような瞬間に遭遇する。(知のモメント) 上の二つの命題において示されている無知と知の逆説的な衝突について、 もう少し考えてみることにしましょう。 まず、1の命題については、これが神の存在あるいは非存在に [続きを読む]
  • 無知と知の逆説的な衝突
  •  神の愛は、人間の弱さがその極点にたどりつく瞬間にこそ示される。ここにおいては、おそらく「示される」という言葉の意味のうちに踏みとどまっておく必要があるのではないか。 というのは、ここで示されるのが人間ではなく神の愛である以上、ここで問題になっている示しの行為の主体は、人間ではありえないからです。 人間の側から信じたいことを信じるというのではなく、神自身が、人間の思いに反するかたちで人間に働き [続きを読む]
  • もしも、そのような弱さを抱えた人が……。
  •  人間にとって理解が不可能であるように見えるところで、それにも関わらず、神の愛を信じること。弁神論の完結不可能性テーゼからは、もしも人間が神のことを信じるとすれば、どこかで必ずそのようなモメントに突き当たらずにはいないという結論が導かれるようです。 けれども、ここで少し立ち止まって考えてみると、そのような行為は、ほとんど人間には不可能ともいえる強さを人間にたいして要求していると言わざるをえないの [続きを読む]
  • 弁神論の完結不可能性テーゼ
  •  「悪の存在について、私たち人間はどう考えたらよいのだろうか。」実存することの深淵においては、この問いが、耐えがたいほどの痛みのうちで問われることになりますが、ここでは、次のようなテーゼを提出しておくことにしたいと思います。 弁神論の完結不可能性テーゼ :人間には、悪の存在について、神の存在に照らしつつ合理的に説明しつくすことはできない。 マルブランシュやライプニッツといった17世紀合理主義の哲学 [続きを読む]
  • 人間の声と神の言葉
  •  「絶対的なものの秘密とは、愛である。」このテーゼについては、古来から人間が発しつづけてきた、次のような声を取りあげる必要がありそうです。 1.「もしも神がいるならば、なぜこの世にこんなにも多くの悪が存在するのか。」 悪という言葉をどのような意味にとるにしろ、この声について思索しつづけることなしには、信仰というものはありえません。しかし、この声に対して、信仰の言葉は次のように言っています。 2.「 [続きを読む]
  • 絶対的なものの秘密
  •  ところで、哲学的探究が向かうべきものとは、絶対的なものにほかならないという見方に対しては、次のような意見もありうると思います。 「人間には、蓋然的なものにとどまることしか許されていない。絶対的なものとは、おそらくは理性の見る夢にすぎないのだから、人間は人間らしい慎ましさで、満足することにしようではないか。」 このようなポジションは、ひとつの選択としてありうるものです。けれども、それとは別の選択 [続きを読む]
  • 蓋然性と絶対性
  •  奇蹟のほうに話を戻しましょう。 「奇蹟は、それを目撃したり、体験したりする人びとに、たった一度の出来事のみによって、それがまさに奇蹟であると信じさせる。」 自然科学においては、基本的には事象の反復にもとづいて理論が組み立てられてゆきますが、奇蹟は、本質的に出来事の一回性をその特徴とします。この意味で、奇蹟とは、蓋然性ではなく神の絶対性にもとづいて真理が示される出来事であるといえる。 もちろん、人 [続きを読む]
  • 信仰対象というカテゴリー
  •  信仰対象というカテゴリーは哲学の根幹にかかわると思われるので、ここで論点を整理しておくことにします。 1.信仰対象は、その存在を論証することができない。 2.それにも関わらず、信仰対象は存在論と倫理学にたいして決定的な重要性をもつ。 このような対象としてはまず、イデアや魂、それに前回に見た奇蹟といった具体例を挙げることができるでしょう。今年一月の『人権はリアルである』において検討したところでは [続きを読む]
  • 奇蹟の概念
  •  恵みの次元について語るにあたっては、奇蹟という概念をここで導入しておく必要がありそうです。 「奇蹟は、論理的には十分に起こりうる。」 ここでは奇蹟を、神の意志による介入によって生じる超自然的な出来事と定義しておくことにしましょう。この意味における奇蹟は、自然科学のオーダーを超えてはいますが、自然科学の成果と矛盾するわけではありません。 さて、奇蹟のように見える出来事が起きたからといって、それ [続きを読む]
  • 人生の逆転劇
  •  3.もしすべての人間が自らの自由意志を貫徹させて生きるならば、いずれ地上からキリスト者は消滅する。 3の命題に示されているような事態を望まないキリスト者としては、次のような命題を信じるほかありません。 「人間がキリスト者になることを選びとることができるように、神が人間に恵みを与える。」 恵みは恩寵と訳されることもありますが、恵みのほうがわかりやすいので、私たちはそちらを採用することにしましょう。 [続きを読む]
  • キリスト教の消滅?
  •  1.人間はキリスト者になることを、決して自分からは望まない。 2.キリスト者になることは、自由意志によって選びとられるべきである。  前回に見た2の命題を念頭に置きながら1の命題を眺めていると、次のような帰結が導き出されることがわかります。 3.もしすべての人間が自らの自由意志を貫徹させて生きるならば、いずれ地上からキリスト者は消滅する。 これは、他の人々にとってはともかく、キリスト者にとっ [続きを読む]
  • 自由意志と、愛しながらの闘い
  •  さて、前回の命題に加えて、もう一つの命題を提示することで、今回の探求の出発点とすることにしたいと思います。 「キリスト者になることは、自由意志によって選びとられるべきである。」 信仰すること、あるいはより一般的に言えば、何かを信じることは、誰かに強制されるべきことではないと思われます。ある人がキリスト者になろうとするならば、それは、根本のところでは他の人間からくることではなく、あくまでもその人 [続きを読む]
  • 秘儀はリスキーか
  •  今日からの探求のはじめに、一つの命題を提示しておくことにします。 「人間はキリスト者になることを、決して自分からは望まない。」 バプテスマ、すなわち洗礼という言葉は、信仰を持っていない方にもわりとよく知られているのではないかと思います。ヨルダン川で洗礼を受けたイエス・キリストにならって、キリスト者になろうとする人は、このバプテスマなる秘儀にあずかることになります。 そのやり方はそれぞれのグルー [続きを読む]
  • 哲学についての考察のおわりに
  •  今回の探求の終わりに、次の論点を見ておくことにします。 「哲学者がなしうる最高のこととは、他の人々のうちに、真理への愛を燃え立たせることである。」 人間が到達することのできる知恵には、どんな場合にも限界があります。ある人が、これこそが哲学だという当代最強の哲学を打ち立てたとしても、その哲学は、半世紀もたたないうちに必ず王座から引き降ろされることでしょう。 けれども、デカルトの、ヘーゲルの、そし [続きを読む]
  • もしも、10年前の自分が……。
  •  最近の哲学においては見失われがちなトピックではありますが、筆者としては、次の論点も挙げておくことにしたいと思います。 「哲学は、知恵の探求を通じて、探求者自身の魂を完成させることをめざす。」 おそらく、哲学においては、すべての領域が緊密につながっています。倫理の領域は周辺分野にすぎないものでは決してなく、むしろ、哲学の核心を占めるものにほかならないのではないか。 人間としてどう生きるべきかを、 [続きを読む]
  • 結婚しよう、ピノコくん
  •  ……わかってはいるんだよ、ピノコくん! 「……何が?」 僕にはもう、この人生しかないのだ!哲学に全力で打ちこむのが、僕のこの、一回かぎりの人生なのだ。それなのに、何度もそのことを書かなきゃいけないってことは、僕はまだこの後に及んでも覚悟が決まりきってないってことらしい。 「……そうだろうね。」 僕は、とにかく弱い人間なのだ!ソクラテスやニーチェも、こういう風に悩んだことがあったんだろうか。自分 [続きを読む]
  • ポイント・オブ・ノー・リターン
  •  哲学者は真理に仕える召し使いになる必要があるというのが前回の記事の主張でしたが、この点については、次の点を論じておかなくてはなりません。 「真理の道を突き進むことは、喜ばしい生き方であることは間違いないが、時にその道のりはとても険しいものになりうる。」 大哲学者たちの人生を見ていると、一体なぜこの人はこんなに生きるのに不器用なのだろうと思うことがしばしばですが、この絶望的なまでの不器用さは、お [続きを読む]
  • 最良の主人とは誰か
  •  哲学を極めるために必要なことを考えるという今回の探究も、そろそろ大詰めを迎えつつある気がします。人生をかけて追い求めてゆくべき課題として、次のものを掲げておくことにします。 「何よりも、真理そのものを最優先しつつ、この人生を生きぬくこと。」 その人があるものごとに対して本気であるかそうでないかは、おそらくはその人の言葉の表面よりも、ずっと深いところに示されてしまうものなのではないでしょうか。そ [続きを読む]
  • 哲学史との対峙
  •  哲学を極めようとする人には、過去の先人たちとの対話に加えて、次のような課題を引き受けてゆく必要があります。 「自分なりの哲学史の見方を練りあげてゆくこと。」 哲学には、時代とは関係のない永遠の真理を追い求めるという側面も確かにありますが、真にクリティカルな思考は、やはり時代との対峙のうちから閃き出てくるという側面があることは否定できません。 この点からすると、ヘーゲルとハイデガーのなしたこと [続きを読む]
  • 過去の先人たちの言葉
  •  哲学の道を極めたいと望む人には、いま生きている人々との友情のみならず、すでにこの世を去っていった先人たちとのつながりも欠かせません。 「過去の哲学者たちとの対話が、探究者自身の魂の問いかけをさらに研ぎすましてゆく。」 哲学の問いを問うことは、同時に、自分の魂の輪郭をなぞってゆくことです。「わたしとは誰か、わたしは何のために生まれてきたのか」という謎にたいする答えが、年月とともに、まるで暗がりの [続きを読む]
  • 恩師からのメール
  •  哲学への愛という目下の話題については、友愛というトピックの重要性について注意を払わないわけにはゆきません。 「哲学のスピリットは、人から人へと伝わってゆく。」 ヘーゲルという人はこのスピリットの次元について、類まれな感性を備えていたように思われますが、話はなにも彼だけに限りません。一人の人間のうちで燃えさかる真理への愛は、また一人、さらに別の一人へと、闇を照らす炎のように次々に受け継がれてゆき [続きを読む]
  • 哲学で何よりも大切なもの
  •  さて、哲学の練達への道をたどるにあたっては、とにもかくにも次の点だけは欠かせないように思われます。 「何はなくとも、哲学を愛して愛して、愛しつくす。」 孫悟空は、なぜ、超サイヤ人3の高みにまで達することができたのでしょうか。使徒パウロは、なぜ、初期キリスト教最大の伝道者になることができたのでしょうか。それは、彼らが武道を、そしてキリストの道を魂の底から愛しぬいたからにほかなりません。 おそらく [続きを読む]
  • はるかなる道
  •  哲学には情熱の火、あるいは魂の炎が必要であるというのが、筆者の信じるところですが、最近になって必要だと特に痛感しているものが、もう一つあります。 「哲学には、思考のたえざる鍛錬と彫琢が必要である。」 哲学は、頭脳の活発な若者の思いつきだけでは立ちゆかないのだという意味のことを、ジル・ドゥルーズが言っていましたが、おそらく、この意見は正しいのでしょう。哲学者は、自分が抱えることになった問いを、親 [続きを読む]
  • 哲学に炎は必要か
  •  ところで、哲学という営みのあり方について、この機会に提起しておきたい問いが一つあります。 「哲学をするのに、燃える心は必要か。」  この問いに対する答えとしては、次の二つのものが考えられます。 1.必要ではない。理性によるロジックの積み上げだけで十分である。 2.必要である。燃える心なしに、真理にたどりつくことは不可能である。 1のような立場もありうるかとは思いますが、筆者としては、2の立場を大 [続きを読む]
  • 二者択一の脱構築
  •  「キリストの方に突っ走りすぎたら、誰にも読んでもらえなくなるんじゃないの。」最近、助手のピノコくんからこのように言われることが、たびたびありました。確かに、先月の『メシア入門』では、かなりディープなところにまで、わき目もふらずに突っこんでしまった気もします……。 「あらゆる哲学は神学でもある」というのが筆者の主張であるとはいえ、いわゆる「あっち側の人」認定されてしまったら、哲学としても受けと [続きを読む]