philo1985 さん プロフィール

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philo1985さん: イデアの昼と夜
ハンドル名philo1985 さん
ブログタイトルイデアの昼と夜
ブログURLhttp://philo1985.hatenablog.com/
サイト紹介文東京大学で哲学を学びつつ、ブログを書いています。よろしくお願いします。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供184回 / 365日(平均3.5回/週) - 参加 2015/05/22 09:59

philo1985 さんのブログ記事

  • 人生のスウィートな停止状態
  •  前回の記事を書いたら、なんだか急に楽になったよ、ピノコくん。僕はおかげさまで、とってもいい気分だ。朝日を浴びて輝いている、小川の流れのように……。 なんというか、人生のスウィートな停止状態とでもいおうか。もう全部いい、これからは完全に本音だけで生きてゆきたいと思って、自分も世界も気にせずに何もかもやめてみたら、これがもう、最高にスウィートな心地よさなんだ……。 ぜんぶ捨てたつもりだけど、僕には [続きを読む]
  • またしても行き詰まる
  •  ピノコくん。いきなりだけど、僕はいったん全部のことについて、頑張るのをやめたい。もうやる気が出ないんだ。頑張ることそのものに疲れたんだ。 「……そうみたいだね。」 前回の記事を書いてから二週間、何もする気がしなかった。君も知っての通り、4月には、一念発起して神学校に行こうとしたり、死ぬ前にきちんとした文章を書いて出版社に持ってゆこうとしたり、色々したけど、心身がふたたびぶっ壊れて、もう僕には人 [続きを読む]
  • 三位一体論へ ー考察のおわりに
  •  今回の探求のおわりに、次の信仰の言葉に耳を傾けておくことにします。 「真理はそれ自身、神である。」 わたしとあなたの対話においてとどまりつづける真理は、信仰の言葉によれば、神そのものにほかなりません。ただし、この点は、神が人格を持った神であるというイデーと矛盾するように見えるかもしれないので、ただちに論点を補足しておくことにします。 1.父としての神は、語る神である。(父の位格) 2.子としての [続きを読む]
  • 肯定するべきものは……。
  •  昨日の一日をかけて考えてみて、発見したのだ、ピノコくん。僕は「人間はよく生きるために苦しむことが必要か」という問いを立てていたが、ひょっとするとこれは、問いの立て方自体が間違っていたのかもしれない。 「……なんで?」 よく考えたら、僕には苦しむことが必要かどうか、考えてみる必要なんてないのだ!だって、いま苦しいんだから!苦しみながら「苦しむことは必要か」なんて考えても、しょうがないのであある! [続きを読む]
  • 全部やめてしまいたいけれど
  •  ここで対話という主題を離れて、次の論点について考えてみることにします。 「生きることとは、その人に与えられた苦しみを生きぬくことなのではないか。」 苦しむことからは誰でも逃れたいと思うのが普通です。そして、もし苦しまなければならない場合でも、「この苦しみは一時的なものであって、時期が過ぎ去るならば、また苦しみのない時期がやって来るはずだ」と考えたくなるのが人間の性なのではないでしょうか。 少な [続きを読む]
  • 弁証法の秘密
  •  傷の普遍性テーゼ : 傷は、実存することの真理とかかわりを持つかぎりにおいて、私秘的なものでありながら普遍性のモメントにあずからずにはいない。 上のテーゼについて、もう少し掘りさげて考えてみることにします。 わたしの痛みをあなたに言うことができないこと、また、わたしの痛みの声をあなたに聴きとってもらえないことは、わたしをさらに痛ませずにはおきません。というよりも、人間にとって何よりも辛いのは、 [続きを読む]
  • 傷と真理
  •  わたしとあなたが対話するとき、そこには第三の審級としての真理がつねにとどまりつづけているというのが、前回の記事の論点でしたが、ここには、傷という主題も関わってくることに注意を向けておくことにします。 「わたしの傷とあなたの傷は、ともに第三の審級としての真理との関係のもとにある。」 おそらく、それぞれのコギトは、コギトがコギトであるかぎりにおいて、必ずある存在論的な傷とでも呼ぶべきものを抱えてい [続きを読む]
  • 第三の審級
  •  わたしとあなたをめぐる対話において、哲学の観点からすると、次のモメントがきわめて重要になってきます。 「わたしとあなたは、真理において語る。」 語られることは、多かれ少なかれ、かならず何らかの真理において語られます。「2+3=5」を「2+3=4」に勝手に変えてしまうことは人間にはできませんが、これと同じように、真理をゼロから創造して語るということは、少なくとも人間には不可能です。 わたしが仮に何らか [続きを読む]
  • 移民の女性から言われたこと
  •  わたしとあなた、自己と他者をめぐる対話について、もう少し考えておくことにします。 「他者であるかぎりの他者とは、まずもって、わたしが求める他者ではなく、わたしを求める他者である。」 わたしがあなたを求めているならば、わたしとあなたの関係は、あなたがわたしの欲望から、わたしのコナトゥスから必要とされているにすぎないという関係に還元されてしまう可能性にさらされることになります。この場合には、あなた [続きを読む]
  • わたしの超越から、あなたは語る
  •  さて、対話のさいには、次のようなモメントに目を向けておくことも重要であるように思われます。 「わたしの超越から、あなたは語る。」 わたしには、あなたが何を感じ、考えているのかをそのまま知ることは、原理的にいってできません。ただ、あなたの表情や声の調子、それに何よりもあなたの話す言葉から、あなたという人を理解しようと試みることができるにすぎない。 この意味からすると、あなたとは不可視の闇であり、 [続きを読む]
  • 対話の銀河
  •  わたし自身の考えていることをあなたに伝達すること、また、あなた自身の考えていることをわたしが理解することの困難について、もう少し考えてみることにします。  「それぞれのコギトは、想像も及ばないほどに膨大な過去の記憶に取り巻かれつつ、思考している。」 哲学者はしばしば、完全に明晰なコミュニケーションというものがありうると夢想し、一点の曇りもなしに透明な議論によって問題に判定を下そうと試みてきま [続きを読む]
  • 私秘性と無限
  •  前回に見た私秘性という概念について、根本のところに立ち戻りつつ考えてみることにします。 「わたしにはあなたに、わたしの感じていること、考えていることを、そのまま伝えることができない。」 わたしのコギトとあなたのコギト、すなわち、わたしの意識とあなたの意識は、交換不可能です。この不可能性とは、その言葉の固有な意味合いにおいて、まさしく形而上学的な不可能性であり、クオリアとクオリア、独在性と独在性 [続きを読む]
  • 隠れた顔に向かって、確信は深まりつづける
  • 1.神については、人間にはその存在を論証することができず、人間は、神の存在については信じるしかない。(無知のモメント)2.それにも関わらず、人間は、神自身が人間に働きかけているとしか考えられないような瞬間に遭遇する。(知のモメント) 1の命題については考察を加えたので、次に、2の命題の方を見てみることにしましょう。 わたしの弱さがもはや耐えることができないとも思えるほどに極まるとき、神の愛がわたしへ [続きを読む]
  • 神の存在証明、あるいは理想の結婚論
  •  1.神については、人間にはその存在を論証することができず、人間は、神の存在については信じるしかない。(無知のモメント) 2.それにも関わらず、人間は、神自身が人間に働きかけているとしか考えられないような瞬間に遭遇する。(知のモメント) 上の二つの命題において示されている無知と知の逆説的な衝突について、 もう少し考えてみることにしましょう。 まず、1の命題については、これが神の存在あるいは非存在に [続きを読む]
  • 無知と知の逆説的な衝突
  •  神の愛は、人間の弱さがその極点にたどりつく瞬間にこそ示される。ここにおいては、おそらく「示される」という言葉の意味のうちに踏みとどまっておく必要があるのではないか。 というのは、ここで示されるのが人間ではなく神の愛である以上、ここで問題になっている示しの行為の主体は、人間ではありえないからです。 人間の側から信じたいことを信じるというのではなく、神自身が、人間の思いに反するかたちで人間に働き [続きを読む]
  • もしも、そのような弱さを抱えた人が……。
  •  人間にとって理解が不可能であるように見えるところで、それにも関わらず、神の愛を信じること。弁神論の完結不可能性テーゼからは、もしも人間が神のことを信じるとすれば、どこかで必ずそのようなモメントに突き当たらずにはいないという結論が導かれるようです。 けれども、ここで少し立ち止まって考えてみると、そのような行為は、ほとんど人間には不可能ともいえる強さを人間にたいして要求していると言わざるをえないの [続きを読む]
  • 弁神論の完結不可能性テーゼ
  •  「悪の存在について、私たち人間はどう考えたらよいのだろうか。」実存することの深淵においては、この問いが、耐えがたいほどの痛みのうちで問われることになりますが、ここでは、次のようなテーゼを提出しておくことにしたいと思います。 弁神論の完結不可能性テーゼ :人間には、悪の存在について、神の存在に照らしつつ合理的に説明しつくすことはできない。 マルブランシュやライプニッツといった17世紀合理主義の哲学 [続きを読む]
  • 人間の声と神の言葉
  •  「絶対的なものの秘密とは、愛である。」このテーゼについては、古来から人間が発しつづけてきた、次のような声を取りあげる必要がありそうです。 1.「もしも神がいるならば、なぜこの世にこんなにも多くの悪が存在するのか。」 悪という言葉をどのような意味にとるにしろ、この声について思索しつづけることなしには、信仰というものはありえません。しかし、この声に対して、信仰の言葉は次のように言っています。 2.「 [続きを読む]
  • 絶対的なものの秘密
  •  ところで、哲学的探究が向かうべきものとは、絶対的なものにほかならないという見方に対しては、次のような意見もありうると思います。 「人間には、蓋然的なものにとどまることしか許されていない。絶対的なものとは、おそらくは理性の見る夢にすぎないのだから、人間は人間らしい慎ましさで、満足することにしようではないか。」 このようなポジションは、ひとつの選択としてありうるものです。けれども、それとは別の選択 [続きを読む]
  • 蓋然性と絶対性
  •  奇蹟のほうに話を戻しましょう。 「奇蹟は、それを目撃したり、体験したりする人びとに、たった一度の出来事のみによって、それがまさに奇蹟であると信じさせる。」 自然科学においては、基本的には事象の反復にもとづいて理論が組み立てられてゆきますが、奇蹟は、本質的に出来事の一回性をその特徴とします。この意味で、奇蹟とは、蓋然性ではなく神の絶対性にもとづいて真理が示される出来事であるといえる。 もちろん、人 [続きを読む]
  • 信仰対象というカテゴリー
  •  信仰対象というカテゴリーは哲学の根幹にかかわると思われるので、ここで論点を整理しておくことにします。 1.信仰対象は、その存在を論証することができない。 2.それにも関わらず、信仰対象は存在論と倫理学にたいして決定的な重要性をもつ。 このような対象としてはまず、イデアや魂、それに前回に見た奇蹟といった具体例を挙げることができるでしょう。今年一月の『人権はリアルである』において検討したところでは [続きを読む]
  • 奇蹟の概念
  •  恵みの次元について語るにあたっては、奇蹟という概念をここで導入しておく必要がありそうです。 「奇蹟は、論理的には十分に起こりうる。」 ここでは奇蹟を、神の意志による介入によって生じる超自然的な出来事と定義しておくことにしましょう。この意味における奇蹟は、自然科学のオーダーを超えてはいますが、自然科学の成果と矛盾するわけではありません。 さて、奇蹟のように見える出来事が起きたからといって、それ [続きを読む]
  • 人生の逆転劇
  •  3.もしすべての人間が自らの自由意志を貫徹させて生きるならば、いずれ地上からキリスト者は消滅する。 3の命題に示されているような事態を望まないキリスト者としては、次のような命題を信じるほかありません。 「人間がキリスト者になることを選びとることができるように、神が人間に恵みを与える。」 恵みは恩寵と訳されることもありますが、恵みのほうがわかりやすいので、私たちはそちらを採用することにしましょう。 [続きを読む]
  • キリスト教の消滅?
  •  1.人間はキリスト者になることを、決して自分からは望まない。 2.キリスト者になることは、自由意志によって選びとられるべきである。  前回に見た2の命題を念頭に置きながら1の命題を眺めていると、次のような帰結が導き出されることがわかります。 3.もしすべての人間が自らの自由意志を貫徹させて生きるならば、いずれ地上からキリスト者は消滅する。 これは、他の人々にとってはともかく、キリスト者にとっ [続きを読む]
  • 自由意志と、愛しながらの闘い
  •  さて、前回の命題に加えて、もう一つの命題を提示することで、今回の探求の出発点とすることにしたいと思います。 「キリスト者になることは、自由意志によって選びとられるべきである。」 信仰すること、あるいはより一般的に言えば、何かを信じることは、誰かに強制されるべきことではないと思われます。ある人がキリスト者になろうとするならば、それは、根本のところでは他の人間からくることではなく、あくまでもその人 [続きを読む]