黒弓 さん プロフィール

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黒弓さん: しょんないブログ
ハンドル名黒弓 さん
ブログタイトルしょんないブログ
ブログURLhttps://ameblo.jp/mystery-tour2004/
サイト紹介文宇和島の風景と時々備忘録
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供237回 / 365日(平均4.5回/週) - 参加 2015/06/02 23:10

黒弓 さんのブログ記事

  • 旧宇和島市役所
  • 旧八幡村の合併協定書に「市役所ハ公会堂付近ニ移転シ、向フ三ヶ年間ニ着手スルコト」とあるのに基づいて、丸之内に新築移転が決まり、大正十三年八月一日、山村豊次郎市長が参列して地鎮祭が行われた… 三百四十五日の日数と延べ一万三百五十人の労力を費やし、大正十四年七月十五日竣工…総額十一万二千二百円… 大阪の芦田組が施工…当時の地方都市には珍しい近代建築だった… 戦災も免れ活躍したが手狭、老朽化に伴い、昭和五 [続きを読む]
  • 桑折家武家長屋門
  • 宇和島藩家老桑折家の長屋門…向かって右が厩、左が門番と家付きの使用人、仲間小者の住居…間口約35?、奥行き4.1メートル、門扉一枚が縦3.1?、横1.3?… ポップなカラーのお家は嘗ての桑折小児科… 昭和二十七年、道路拡張に伴い桑折氏より市に寄贈され城山北登城口に移築された…その際、門の左側の大半が失われた… [続きを読む]
  • 旧宇和島郵便局
  • 大正十四年十二月、局舎を現在地に新築移転した際のもの… 明治三十六年、電信局を合併したが、今ではNTT西日本宇和島営業所だけが残り郵便局は丸之内に… 軒先を貸して母屋を取られる… Ψ(`∀´)Ψヶヶヶ [続きを読む]
  • 日本共産党に渇じゃ!
  • 白浜で山の上から動画を撮っていたら共産党の街宣車登場… やり過ごそうとしたら、ちょうど下で演説を始めよった… 山を降りて憲法九条鉢巻に巻いとれや!ぼけコラッ!!一言でも、もがおうものなら蹴り殺してやろうと思っていたら仰け反って縮み上がりやがったので、それ以上は言わなかったが…野次られる事は有っても殺気立って迫られる事はそう無かろう…この国に共産主義者は必要ないとっとと非合法化しろ [続きを読む]
  • 磯野呉服店跡
  • 本町二丁目角の磯野呉服店、大正四年頃の写真…写真右へ進めば六兵衛坂、左に行けば大津屋横丁を抜けて追手通りへ…  現在の様子… 本町本通、手前が一丁目、四つ角から向こうが二丁目で五丁目まであった… 六兵衛坂から大津屋横丁… 追手通りから大津屋横丁… [続きを読む]
  • 伊達図書館
  • 明治四十四年十一月十八日、伊達家が私財を投じ設立したもの…昭和二十年の空襲で灰燼に帰した…何時だったか、当時女学生だった人が消火を手伝って戦後、ココを通るたびに焼けた壁の一部を見るとその時を思い出していたという手記を見た事があった… 近年、この写真を撮っている私の背後で御殿だった頃の厩に礎石などが発見された… [続きを読む]
  • 南豫時事新聞社と鳩ポッポの和霊様
  • 明治三十五年創立の南豫時事新聞社は同四十三年、丸之内に移転…大正六年に社屋を二階建てに増築、その頃の写真かと思いきや、愛媛新聞ONLINEのページに大正十一年の写真が出ているが角の仕様が違っているのでもっと後の時代ではなかろうか… この古そうな建物は何時の時代のものだろう… 国道56号線を跨いだ向かい側に鳩ポッポの和霊様… 子供の頃は鳩が居たが、いつの頃からか営業に勤しんでいる… [続きを読む]
  • 鶴島館
  • 南予初の常設館として日活映画を上映していた… 大正四年当時は後の菊美ど里の頃と同じく正面が国道側だった…今はメガネの三城が建つ… 大正十三年の改築で正面が反対側に据えられていた… 菊美ど里は昔、入り口が反対側だったと母に聞いていたが、なるほど当時は堀端側が賑やかだったからかと勝手に得心していたら…元の状態に戻っただけだった… [続きを読む]
  • 2017 九島大橋イルミネーション
  • 今年もやっているそうなので偵察してみた… 九島側から… 海すずめ展望所から… 今年はなんと展望所にもイルミネーションが… そのまま帰ろうかと思ったが、下からも一枚… おまけ… 先日、カメラをパタンと倒してからズームレバーを動かすと鏡胴がガーガー鳴るようになってしまったわい… [続きを読む]
  • 宇和島高等女学校
  • 現在、宇和島市立病院になっているこの場所は裁判所だった… 裁判所がまだ堀端通りだった明治三十二年六月一日、町立宇和島高等女学校が創設され 同三十四年四月この地に校舎を新築移転した… 昭和八年に明倫町(現 文京町)に移転… 十月には県立となる… 設立から十年後の明治四十二年、規制改正で廃止された技芸専修科を私立実科女学校として鎌原通りの旧士族の邸宅を借り設立した…私立宇和島実科女学校の門… 左が京町、右が賀 [続きを読む]
  • 堀端通り
  • 大正時代の雪景色… 右端の木屋旅館はそのまま… 大正初年頃の木屋旅館… せめて柳が有れば堀端の風情が感じられるだろうに… 宇和島薬品合資会社…丸ポストの角を右に曲がれば鶴島館が在った… 私の記憶に有るのは角が旅館だった事と小一の頃、曇天の日曜昼下がり50歳位の上下作業服の男が股間に大きなシミを作り酩酊状態で両脇を警官に抱えられている様をバスの車窓から目撃したこと… [続きを読む]
  • 旧追手通り
  • 右の近藤金物店は今のフラワーセンター、その向こうが後に宇和島自動車の本社になっていた丸吉呉服店、木造三階建ての花屋旅館前には柳の大木も…昭和五年頃の商店街追手通りの風景… 丸吉呉服店跡は信用金庫に、花屋旅館跡は山本胃腸科だったが駐車場に… 廃藩の頃、この界隈は城濠の堤に松並木があって人家は無かったという…明治三十三年、濠を埋め立てて近くの追手門にちなんで名づけた町名だった…(今の本町追手は心底頂けな [続きを読む]
  • 中ノ町
  • 中ノ町教会… 明治二十年九月二十五日、本町に設けた宇和島美以基教会を明治二十九年九月二日、中ノ町八番地に教会堂を新築した… 明治四十一年五月二十八日、日本メソヂスト宇和島基督教会と改めた…今の建物は昭和六年に建てられたもの…解像度は低いが石垣は当時のまんまですな… 旧中ノ町、現京町を下から眺める… この角には宇和島製糸場が在ったという… その入り口だったと思われる所にこのような物が… それぞれが鉄棒が通 [続きを読む]
  • 旧鎌原町と中ノ町
  • 旧鎌原町の角、社会保険病院のところに共済病院が在った… 院長の古城貞は南予地方において、博士号を持つ最初の医師で内科専門の名医として信頼が有ったという… 鎌原町(かんばらちょう)と広小路の間という所から中ノ町(なかのちょう)と呼ばれたのが警察署の裏通りでココに武徳殿が在った… 今は閑静な住宅街だが嘗ては日々、柔道の勇ましい掛け声や撃剣の竹刀の響が轟いていた… [続きを読む]
  • 広小路から追手通り
  • 広小路の角に警察署が在った… 明治十七年九月建設… 戦災を免れ昭和二十八年西海町役場として移築されたが… 平成二年一月その任務を終え平成四年三月、樺崎に里帰りを果たす… 広小路を登りきると嘗ての目抜き通り、追手通りの天辺に辿り着く ココには融通座がその威容を誇っていた… [続きを読む]
  • 広小路
  • 堀端町と道を挟んだ向かい側の角に北宇和郡支庁が在った… その左隣の位置に宇和島町役場…更に上手に進むと… 宇和島の銀行の走り、信義社が明治五年にこの地に新築移転された… 今そこには伊予銀行の寮が建っている… [続きを読む]
  • 堀端町
  • 明治の初め頃、三角公園に面した一角に裁判所が在った…桜町に新築移転したのは、ずっと後の昭和の話し… 背後に聳える煙突は現市立図書館辺りに在った程野製糸場のものだろう… 現在病院通りの道を坂上に進むと… 第一尋常小学校だった… 角を左折すると市立図書館… [続きを読む]
  • 金輪松と伊吹
  • 春日宮の御神木だったという…南予製糸の倉庫は戦時中の迷彩色が残っている…橋の向こうは八幡様… 今は女子短大… 樹齢八百年の伊吹、何十年経っても八百年の伊吹…八百万の神、八百八町、八百八橋、嘘八百… 沢山ということで樹齢も八百年のままなのか… [続きを読む]
  • 丸之内三丁目
  • 大正十五年頃の都築織物株式会社… 九十坪程が更地にされ競売に掛けられるまで特徴的なレンガの煙突が残っていたのはほんの数年前のこと…城山山麓ぐるっと一周して最後の近代建築遺構だったろう… [続きを読む]
  • 学校とか…
  • 第二尋常小学校… 大正六年、女子尋常高等小学校が廃せられ第二尋常小学校となる… 明倫尋常小学校… 落成したのは昭和七年、翌年七月一日の深夜、放火により講堂以外を消失… 明治三十二年六月、手前の橋は豊後橋… 現在地… 新築移転したのは大正九年七月、正門は今も残る… [続きを読む]