F老人のウロウロヨロヨロ旅日記 さん プロフィール

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F老人のウロウロヨロヨロ旅日記さん: F老人のウロウロヨロヨロ旅日記
ハンドル名F老人のウロウロヨロヨロ旅日記 さん
ブログタイトルF老人のウロウロヨロヨロ旅日記
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/captfujioka
サイト紹介文瀬戸内海・尾道市生口島から軽キャンピングカーでの気ままな一人旅
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供36回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2015/06/11 18:23

F老人のウロウロヨロヨロ旅日記 さんのブログ記事

  • 柏島・ジョン万次郎・金剛福寺・足摺岬
  • 道の駅「大月」で起床。朝から騒がしい道の駅でした。お湯を沸かして朝食。大堂山展望台というところに来ました。柏島が一望です。養殖が盛んなようです。観音岩展望台というところに行きましたが、どれが観音岩かわかりません。多分これだろうと思います。降りてくると展望台へ行く道も分岐から反対側へ少し行くと。間違いなし。橋を渡って柏島に行きました。以前、ここ出身の人と一緒に仕事をしました。信頼できる人でした。その [続きを読む]
  • 段々畑、石垣、紫電改
  • 道の駅「きさいや広場」で起床。近くにあるMacで久しぶりに朝Mac。身支度を整え、遊子水荷浦(ゆすみずがうら)に。三浦半島がここにもありました。遠くからもわかります。土日祝日しかやっていない茶屋。奥のほうで大学院生がcafeをやっていて、いろいろ話をすることができました。ここから登ります。これ本当に作ったの、という感じです。水はこの溝を流れてくるそうです。ひとつづつ積んだのでしょうね。しばらく声も出ませんで [続きを読む]
  • 龍馬脱藩の日記念館・武佐衛門一揆記念館
  • 久しびりの晴れです。道の駅「ひじかわ」で目覚めました。午前9時過ぎ、出発です。四国に来ると山間部では道が狭いと覚悟はしていたのですが、よくのまあ、みんな我慢しているものだと・・・大洲市川辺町というところに来ました。廃校になった小学校跡に宿泊施設が作られていました。川を挟んで反対側にあるのが龍馬脱藩の日記念館です。中には資料も少なく、ただ、脱藩の道が険しく、それだけ、脱藩という行為が想像以上に難しい [続きを読む]
  • 卯之町の町並み
  • 夜半から激しい雨になりました。朝になるとしとしと雨に変わり、止みそうにありません。とりあえず、道の駅の売店で五目寿司を買って腹ごしらえ。急にPCがトラブルです。どうやってもインターネットにつながりません。延々と数時間あーでもないこーでもないとやってみましたがつながりません。小降りになったので、宇和島藩の在郷町として栄えた卯之町散策に出掛けました。卯之町のことは吉村昭の「ふぉん・しいほるとの娘」で知り [続きを読む]
  • 月曜日の壁
  • 道の駅「みなっと」で起床。八幡浜の港のすぐそば。テレビの状況は根元がぽっきり、音が出ない・・・仕方がないので近くにedionがあったので、調達。サイズを間違って買ってしまって、旅が終わったら何とかすることにしてとりあえず問題解決。宇和町まで進出するも月曜日定休日の看板で観光はあきらめてお風呂でゆっくりすることにしました。ユートピア宇和。夕食はセルフうどんの「大介」へ。システムは分かりましたが、うーん、イ [続きを読む]
  • 四国旅を再開しました。下灘駅、佐田岬
  • 暑さにめげて、中断していた四国旅を再開しました。準備万端、とはいかなくて足りないものは旅先で調達することにして出発。しまなみ海道を渡って、道の駅「風早の郷風和里」に来ました。次の道の駅「ふたみ」で鯛めしと揚げたてじゃこ天を手に調達。下灘駅にきました。寅さんが寝そべっていたベンチは旅情に浸る人でいっぱいでした。鯛めしとじゃこ天のお昼を車内でいただきました。おいしいですね、じゃこ天は揚げたてホッカホカ [続きを読む]
  • 四国の旅、中断です
  • 朝、目を覚まし、つれづれ考えるにこの猛暑には勝てず、旅を中断することにしました。もういちど、道の駅 きさいや広場に引き返し、最後の食事。ふと見ると、目立たないところに「えひめ丸」の碑。事件は風化していると実感しました。とりあえず、広島県三原市に帰ることにしました。 [続きを読む]
  • 7月15日ー4 伊達博物館・天赦園
  • 続けて散策します。伊達博物館に来ました。伊達宗城の銅像です。中は撮影禁止でしたが、よく残されていたと感心するものばかりです。すぐ近くに「天赦園」がありました。「元は宇和島藩2代藩主の伊達宗利が海を埋め立てて造成した浜御殿の一部であったが、幕末に7代藩主の伊達宗紀(百歳長寿の大名)が慶応2年(1866年)に築庭した。鬼ヶ城連峰を借景とした池泉回遊式の庭園で、大名庭園でもある。天赦園の名は、伊達政宗が詠んだ [続きを読む]
  • 7月15日ー3 宇和島城
  • 宇和島の道の駅「みなとオアシスうわじま きさいや広場」に来ました。こんなににぎわっている道の駅は初めてです。駐車場所がないくらいです。産直とフードコートが大人気です。とりあえず昼食をいただきました。それから、歩いて散策に出ました。まずは宇和島城。何度も来てますがスタンプはなかったので。もとは藤堂高虎の城でしたが、関ヶ原の十数年後仙台の伊達政宗の長男、秀宗が入城し、明治維新まで伊達家が治めます。私的 [続きを読む]
  • 7月15日ー2 臥龍山荘
  • 街の反対側まで歩きました。ついたところは「臥龍山荘」。元は藩主の庭であったようで、明治維新後、荒れるに任せていましたが、大洲市出身で木蝋貿易で成功した豪商河内寅次郎が余生を過ごす場所として、明治30年から約10年をかけて整備した山荘です。室内は撮影禁止です。肱川と周りの山を借景に素晴らしい景色の中にあります。決して大きくはないところがいいですね。市内を散策。大洲神社の入口に見つけました。1966年に放送さ [続きを読む]
  • 7月15日ー1 大洲城
  • 道の駅八幡浜みなっとで起床。いい朝です。大洲まで引き返し、大洲城の見学。「明治維新後から現在にいたる地元住民の城郭への保護活動と、平成16年(2004年)に主に市民による寄付によって完成した往時を出来る限り忠実に復元した4重4階の天守も特筆すべき点である。」(引用)木造で復元されたお城として有名です。誰かと思えば、中江藤樹先生です。一時期を大洲で過ごされたとか。決して大きくはないのですが、妙に迫力のあるお城 [続きを読む]
  • 7月14日ー2 松山城
  • 道後温泉で夜を過ごす計画でしたが、駐車場が夜10時からでしたのであきらめて松山城に来ました。やはり、大都会での車中泊は難しいようです。松山城は「現在は、城跡の主要部分が公園として整備され、大天守を含む21棟の現存建造物が国の重要文化財に、城郭遺構が国の史跡に指定されている。そのほか、昭和初期の1933年に大天守を残して焼失した、連立式天守群の小天守以下5棟をはじめとする22棟(塀を含む)が木造で復元されてい [続きを読む]
  • 7月14日-1 湯築城
  • 道後公園はもともと動物園でした。1987年、動物園を砥部町に移転して湯築城の復元が始まりました。そして、道後公園・湯築城祉として2002年国の史跡として指定されました。「湯築城は古いお城で、1335年前後、伊予国の守護であった河野通盛の代に築城され、1585年、四国征伐をめざす羽柴秀吉の命を受けた小早川隆景らの軍が侵攻して湯築城の河野氏は約1ヶ月の篭城の後に降伏した。城に留まっていた通直は命は助けられたが、2年後に [続きを読む]
  • 7月13日 今治城
  • 今治城址に行きました。登藤高虎が築城したこと、海の水がお濠に入っていることで有名です。大きな石がある石垣。この門は平成19年に復元されたものです。藤堂高虎の銅像。1m90?あったということですから、銅像も立派です。天守閣。残念なことに実際は存在しなかったかもしれない模擬天守です。資料がなく、移築されたと伝えられる「亀山城」の古写真から推察される姿です。昭和55年に建てられました。隣の本丸跡は「吹揚神社」に [続きを読む]
  • 広島城祉
  • 毛利元就は、一領主から中国地方の大半を支配する戦国大名に成長しました。後を継いだ孫の輝元は、聚楽第・大阪城を見物して、城下町と一体化して政治・経済の中心地となる城郭の必要性を痛感し、太田川河口の三角州に城地を定め、築城を決意しました。天正17年(1589年)築城を開始し、天正19年(1861年)入城しました。関ケ原の戦い後、防長に減封された輝元に変わり、福島正則が入城し、拡充しました。しかし、洪水 [続きを読む]
  • 吉田郡山城祉
  • 戦国時代、毛利元就の居城であった吉田郡山城。1571年、元就亡き後、1591年跡を継いだ毛利輝元は広島城を築城、入城します。関ヶ原合戦後、毛利氏は防長2か国に減封。福島正則が安芸に入部します。1637年島原の乱の後、全国の古城が破却され、郡山城も廃城となり、石垣も破却されたようです。安芸太田市歴史民俗博物館。毛利関連の資料が豊富です。博物館の駐車場に車を置いて、城に登ります。本丸から毛利元就墓所を [続きを読む]
  • 吹屋伝統的建造物群保存地区
  • 吹屋伝統的建造物群保存地区にやってきました。ここ吹屋地区は、もともと銅鉱山でありましたが、銅鉱とともに硫化鉄鉱石を酸化・還元させて人造的に製造したベンガラ(酸化第二鉄)における日本唯一の巨大産地として繁栄を極めました。主に美術工芸用の磁器の絵付け・漆器、神社仏閣のベンガラ外壁塗装に多用されました。ベンガラはインドのベンガル地方のものを輸入していたことから、ベンガラと呼ばれています。ベンガラを作る工 [続きを読む]
  • 満奇洞
  • 旅行の最終日、道の駅「醍醐の里」で目覚めた後、満奇洞に向かいました。「井倉洞」は知っていましたが、満奇洞は知りませんでした。場所は、です。こんな山奥の集落にあります。説明。与謝野鉄幹、与謝野晶子夫妻が命名したのですね。入り口に向かって歩いていきます。1000円払って狭い入り口からおお、LED照明に照らされた洞内。奇岩が続きます。恋人の泉。与謝野鉄幹、与謝野晶子の歌碑。 [続きを読む]
  • 義民の丘
  • 徳川吉宗のころ、美作の国で「山中(さんちゅう)一揆」がありました。1726〜27年(享保11〜12)に美作国真島、大庭両郡(岡山県真庭郡)の山中一帯に起きた百姓一揆。1726年11月美作津山藩主松平浅五郎が夭折したため、10万石が5万石に減知された。山中は幕領に編入される公算から、納入した同年年貢の取り返しなどを求め、また新参役人の久保新平の藩政壟断への不満も絡み、領内動揺のおり、一部大庄屋が郷蔵から米持出しをした [続きを読む]
  • 神庭の滝
  • 「神庭の滝」に行きました。二十数年ぶりですが、過去の記憶はいい加減なもので全然違う印象でした。滝に至るまで、駐車場から約500m歩きます。ここがいいですね。奥入瀬を狭く、勾配をきつくしたような流れが続きます。猿はいませんでした。見えてきました。高さ110m、幅20mです。日本の滝100選にも選ばれています。真ん中の岩が落下する水しぶきに逆らってのぼる鯉に似ていることから「鯉岩」と呼ばれています。玉 [続きを読む]
  • ガンダム〜動くようです
  • 道の駅「久米の里」に寄りました。高さ7mのガンダムを見るためです。ここになぜ?中に入って、動かせるようです。「津山市在住の中元正一さん(1964年生まれ=完成時35歳)が自ら設計書を描き、製作者 中元正一氏たった一人で製作したもので、コックピットに人間が乗り込んで歩かせ、さまざまな作業を行うことの出来る二足歩行型有人汎用機械をコンセプトに、7年間の作業期間を経て1999年(平成11年)12月に完成 [続きを読む]
  • 衆楽園
  • 藩主の庭園、衆楽園を散策しました。市役所の近く、無料です。回遊式大名庭園です。歩いているだけで気持ちがよくなります。高低差はあまりありませんが、山に分け入った感じになったり、水が豊富で大きな池のほか、水路があります。昼食前のひと時、ゆったりと過ごすことができました。このあと、郊外にある店にホルモンうどんを食べに行きました。名物を食べました。 [続きを読む]
  • 津山城祉
  • 道の駅「彩菜茶屋」でさわやかに目覚めました。まず、「津山城址」に向かいました。観光センターに車を止め、城に向かいます。規模の大きなお城です。建物は何も残っていません。城を作ったのは「森忠政」。森忠政は本能寺の変で有名な森蘭丸の末弟です。森家は4代続きますが、嗣子がなく改易。越後高田から松平氏が10万石で入封。明治まで続きます。石段の作りが立派で、一枚一枚、大きな石が使われています。石垣は、高さのあ [続きを読む]
  • 武蔵の生まれたところ
  • 道の駅「ひらふく」で腹ごしらえ。味はともかく、しっかりいただきました。向かったところは「武蔵の里」。太鼓のバチさばきにヒントを得て二刀流を考え出したという讃甘(さのも)神社。小さな神社です。武蔵生誕地記念碑。文豪の碑。平尾家。武蔵の姉おぎんの嫁ぎ先。慶長5年武蔵が武者修行に出立した時、家の道具・系図・すやり・十手をおぎん夫婦に渡しました。武蔵の墓。武蔵の養子・伊織によって熊本の弓削の里より分骨され [続きを読む]