Sky Blue Topaz さん プロフィール

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Sky Blue Topazさん: 私のタイムトラベル
ハンドル名Sky Blue Topaz さん
ブログタイトル私のタイムトラベル
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/sky_bluetopaz
サイト紹介文これまでの私達家族の歩みを振り返りながら、ひととして在るべき生き方を探っていきます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供87回 / 365日(平均1.7回/週) - 参加 2015/07/05 00:22

Sky Blue Topaz さんのブログ記事

  • 当時、興味を引いた本たち
  •         "世界はどうしてこんなに美しいんだ!”    ”具体的な運命が人間を苦しめるなら 人はこの苦しみを責務としなければならない"                     ―『夜と霧』(ヴィクト−ル・E・フランクル)より ―    ”憎しみの感情に飲み込まれると最後はつまづく。憎しみにとらわれれば 我々の人生は最終的に破壊されてしまう””「許す」ということは難しい。その時大事なのは「許 [続きを読む]
  • 道具のこころ
  • 「道具にはこころがある。 道具は心を大事にするもんやけど イチロウさんはみな、 お金に換算しはる。 これ何ぼの人や」 と後年、梅子叔母は父をそう酷評したが、とにかくこの家において道具に対する愛着には、並々ならぬものがあった。しかし“道具にはこころがある”と言って、わが兄のもの分からぬ精神を批判した叔母も、それから 祖母・松子さんも、テレビで放映される “これ何ぼ” の『開運 なんでも鑑定団』という [続きを読む]
  • 優雅 風雅の松子さん
  • 老いというものが無縁だったころ、祖母・松子さんはよく言っていた。「このごろ、介護保険、介護保険ていいすぎやね。そやから 人間みな なんでもひとに頼るようになるわけね。  こんな制度 ええことないねぇ。 私は誰の世話にもならんとゾウみたいに自然にひとりで死んでいくつもり。  それが一番ええ」 これまで母がいくら 「買い物行ってきましょうか?」 と尋ねても            “今、思いつかへんからええわ [続きを読む]
  • どうどうめぐり ―ある日の会話 ―
  • 2005年6月に祖母・松子さんが遺言書を持ってくるに先立って、交わされた竹子伯母と父たちの会話父 「オレとしては何を問題にしてるんか、いうたら、土地が何坪とか、家の話とかではなかったんやな・・・、 呼んだ・呼ばへんということを親子で言うこと自体異常や。しかも、それをいまだに続けている・・・」伯母「続けてるのは あんたでしょう!」父 「そうですよ。 オレは続けるの、デタラメ言われたら困 [続きを読む]
  • 正面から向き合わない姿勢
  • 今日の朝刊(2017年6月11日)の一面に載っていた記事。「国民を代表する国会議員の疑問に対して、誠実に答えるのは民主主義における政府の最低限の義務だ。  それをしないのは国民を馬鹿にしていることと同じ。・・・略・・・官僚と一緒になって居直ることで  国民に『これ以上質問しても無駄だ』とあきらめさせようとしているようにみえる」この種の記事は枚挙にいとまがない。そしてわたしはいつも我が家の出来事と重ねてし [続きを読む]
  • 父のシンプルな願い
  • 2005年6月、祖母・松子さんが我が家に遺言書を持ってきた。すでにトラブルが勃発して4年が経っていた。そこには、自分が亡くなった折には 自分名義の物件は父に譲り、父名義に変更することという趣旨が書かれていた。自分の意思として、また これまでの感謝の気持ちとして父に受け取ってほしい、ということらしかった。しかしこの時、父はきょうだい皆の合意なしに勝手に受け取れん、と松子さんの遺言書を受け取らなかった [続きを読む]
  • 世の中の不正 ― "偽偽、偽偽、偽偽と軋む日常" ―
  • ― 偽装偽証偽善偽名に偽造あり 偽偽、偽偽、偽偽と軋む日常 ー                      <朝日歌壇より転載>2005年のこの年の11月、構造計算書偽造問題(=耐震偽装問題)が連日テレビを賑わしていた。 構造計算書を偽装した一級建築士、建設会社、コンサルタント会社などの関係者らが証人喚問や参考人招致などで国会で答弁したが、一番強く印象に残ったのは総合経営研究所所長のこの言葉だった。「 [続きを読む]
  • 祖母・松子さんの遺言書
  • 2005年6月のこと。“あんたの言う事、ようわかった。なんしょ 早よ なんとかせんと あんたとこが気の毒やわ”そう言って松子さんは我が家に遺言書を持ってきた。 以前、両親と話し合いをしたときに松子さんが、< 私が死んだら、私の分は必ずそちらのものになるという事を書いておく >と言っていたことを実行したのだ。その遺言書には、松子さんが亡くなった折には 松子さん名義の物件は父・イチロウにゆずり、イチロウ名義 [続きを読む]
  • 情より法という理屈
  • 一週間のち、祖母・松子さんはまた花を持って我が家にやって来た。「これは あくまでも私が死んでからの話やで」 と前置きのうえ、次のように言った。“ここは第二の家と考えて、今は近くに賃貸みたいなものを持つ。 そして自分がいなくなったら、その時点でこんなケチのついた家は、売っちゃって、安住の土地を買えばどうか。 わたしが死んだら ことが起こるに決まっているから、私の分は必ずそちらのものになるということ [続きを読む]
  • 松子さんの返事 ―明治は遠くなりにけり―
  • 「あんたらが なんでそんな怒るのかわからへん、なんでケンカになったん?」と、この頃、祖母・松子さんは庭に咲いている花などを持って、たびたび我が家へやってきた。そこで、両親はこのトラブルのいきさつと、そして自分達の思いを文章にして松子さんに渡した。これに対して、松子さんも文章で答えた。しかし それは、大半は白鷺家の歴史、つまり出来事の記録だった。 松子さんの結婚生活ー親戚の慶弔を始め、誕生日の日のお [続きを読む]
  • あるファイナンシャルプランナーの言葉
  • 1985年当時、家を建てるにあたって母は桃の木町から週に2、3回定期的に父の実家(ナシの木町)に通った。祖母・松子さんから言いつかった仕事はいつも山ほどあったらしい。カーテンづくり。年代物不用品の片づけ。家の裏の畑の土運び(バケツ180杯分!)にチューリップの球根植え300個などなど。私も弟のカイトと一緒に、工事が始まるまでに、まずは雨戸の汚れを落としておきたいとの松子さんの要望で、日曜日には、一生懸命 [続きを読む]
  • 登記の日付
  • 1986年1月に祖父が亡くなり、祖父名義であった土地を祖母松子さんが法律通りに分け、その年の8月、遺産分割登記した。つまり土地半分を松子さん、あとの半分の4分の1ずつを子供たちの相続とし、これを父が自分の友人の会計士を通じて登記手続をしたのであった。この登記を持ち出してきて、松子さんは言った。「土地を分けたことがいかんかったんかなあ・・そやけどあのとき おとうちゃんが死なはって  わたしは弱ってい [続きを読む]
  • 多弁は諸悪の根源
  • 一見穏やかで人目に幸せそうに見える白鷺家で起こった思いもかけない騒動は、いっこう収まる気配はなかった。もし、祖母・松子さんが、そして竹子伯母たちが“いかにして” という画策に走るのでなく、そしてまた嘘を重ねるようなことをしなければ、事態は簡単に収まっていたにちがいない。そして私はこんな経験の記述を残そうなどと思わなかっただろう。“過ぎさったことは、どんなちいさなことでも変更出来ぬ”若かりし [続きを読む]
  • 竹子伯母、職場に現る
  • 或る日のこと。お昼休憩から戻ると、前方に少し猫背の真っ白な頭をした年配の女の人がウロウロしている。竹子伯母だ!! 私の職場まで一体何しに来たんだろう? どうやってここを探し当てたんだろう??ちょうど私が入る建物の前でウロウロしている。無視することもできず、観念して話すことにした。なんでもこんな事態になってしまって私の母の精神状態が心配なのだとか。その時、もう少しゆっくり話をしたいとのことで私は伯母 [続きを読む]
  • 竹子オバサンの釈明
  • 梅子叔母が帰った3日後、竹子伯母が借りていたストーブをうちに返しに来た。その時、祖母・松子さんが作った分割図に関して母にこう釈明した。「おかあちゃんって、この実の娘の私らさえ 信用したはらへんのね・・・ あの分割図は、私や梅子ちゃんらが居てややこしくなったらあかんからって、そう思って、つくらはったものなんよ。 ユキさんに土地を半分も上げるっていうたはるのよ」「私ら 誰もこんなこと言い出すまでは [続きを読む]
  • 父の手紙
  • 父が2001年の夏にきょうだい3人に送った手紙は、分割図に対しての強い不快の念と、私達家族が同居するに至ったいきさつや長男家族としてのこれまでの暮らしぶりを詳細に述べたものであるから、当然のことながら、祖母・松子さんへの強い批判にもなっていた。 『・・・・ 羊羹のように切ってある土地の分割図を見ましたか。 図面の上では何とでも描く事は容易ですが、 その上に家があるのですよ。それが、積み木細 [続きを読む]
  • 深夜の会話
  • 11月になり、T県に建設中の家が完成した梅子叔母が、祖母・松子さんの誕生祝いかたがたやって来た。父は「よくがんばったな」と新築祝いを渡し、叔母はそれを「サンキュー」と言って受け取った。「来て早々にややこしい話もなんだから、明日また話に来る」と言って、父は翌日、夕食後を見計らって9時ごろに再び母屋に行った。行くと、松子さんは寝ているという。「疲れて寝たはんね。 起こそか?」 と梅子叔母が言った。「い [続きを読む]
  • 貝になった松子さん
  • 祖母・松子さんが母に手渡した分割図とは、単的に言えば、松子さん没後のこの家の土地における子供たち(父・竹子伯母・梅子叔母・四郎叔父)の取り分について記したものであった。この分割図を目にして父は、言った。「いったい、お袋はどういうつもりなんや!こんなこまかく人の住んでる所を切り刻んで!!」    1986年の1月、私たちが引っ越してくる2か月ほど前に祖父は突然風呂場で亡くなった。ナシの木町に移って [続きを読む]
  • 一枚の分割図
  • 順風満帆の人生を送ってきた祖母・松子さんには、この苦境がつらかったにちがいない。松子さんに反抗した子供などこれまで誰もいなかったのだから。それにしても松子さんは自分のこの苦境の原因がどこにあるのかを理解しようとはしなかった。そして、それは最後までそうだった。「イチロウちゃんの精神衛生上、どこかに小さなマンション持たはるのもええかもしれんよ。 生活切り詰めはって、ほんで あとから大きいのに買い換え [続きを読む]
  • 「あんたをここに呼んだ覚えはない」
  • 竹子オバサンのあの不可解きわまりない電話が我が家にかかってきたのは、梅子オバサンが住むM市から祖母・松子さんと竹子オバサンが帰ってきた翌日のこと。竹子オバサンからの電話のあと、父がかなり怒っていると知った松子さんは事態の収拾を図った。「それで、わたし竹子ちゃんに二週間来るなって言いましてん。そやからあのひと来はらへんの。静かでっしゃろ」近くに住む竹子オバサンの実家への訪問は、ほとんど毎日と言っても [続きを読む]
  • 我が家の事情 ー 共有地というものの不安定さ ー
  • 我が家は、祖母・松子さんが住んでいる母屋の裏庭に、二階の一部が母屋にかぶさるような形で建っている。二世帯住宅であるが、内部は完全に独立していてお互いの住まいに中からは行き来出来ない。そのことは狭い住空間をさらに狭く感じさせた。そこで父は母屋と我が家を隔てている壁をぶち抜いて、中からも行き来できるようにして、狭さを解消したいと考えた。しかし、松子さんは「わたしはひとりがいい」と父の申し入れを断って、 [続きを読む]
  • 竹子伯母からの電話
  • 2001年(平成13年)5月9日の夜、竹子伯母から電話がかかってきた。祖母・松子さんと竹子オバサンが、M市にいる梅子オバサンのところに4日程滞在して帰ってきた翌日のことだ。竹子伯母:「ああ、ユキさん。イチロウちゃん いはる?」母ユキ:「いえ、まだ帰ってませんけど」竹子伯母:「あ、そう・・・」母ユキ:「なにか?・・・」2人のやりとりは2時間以上も続いた。ー この時の竹子伯母の発言 ー「イチロウちゃ [続きを読む]
  • 1本の電話 ― 16年後のある日 ―
  •    わたしの年齢がいまよりずっと少なくて   こころとからだがぴんと張っていたときのこと   どこにも所属しない場所と年齢をもって   わたしはかろやかに生きるのだ、と   そうねがった   専業主婦という身分の ながい時を経て   目減りしてきた自分のすくない残りの時間をかぞえながら   中也のようにつぶやく   “おまえは いったい なにをしてきたのかと”   結婚した相手の家で嫁という [続きを読む]
  • 不吉な訪問者
  • ナシの木町への引っ越しが母をかなり憂鬱にさせていたのは確かだ。しかしそんな母の思いをよそに、私はこれからナシの木町で始まる新しい生活をとても楽しみにしていた。団地とは違う広い庭がある新しい家!弟とは別々の自分の部屋がある家!ここなら犬だって猫だって飼える!! 私の胸はわくわくした。そんな引越しを控えたある日、母は運送会社に引っ越しの見積もりを頼んだ。やって来たオジサンは、見積もりを終え台所で椅子 [続きを読む]
  • 一冊のアルバム
  •  我が家に一冊の古いアルバムがある。    それは祖母・松子さんが作ったアルバムだ。祖父母との同居が決まり、母屋の裏庭に私たちの家が建つまでの写真が順を追って整然と貼り付けられている。当時70歳の松子さんは、このアルバムと共に家建設の過程の詳細な記録を大学ノート一冊分に残した。         1985年10月着工、翌年の3月下旬に我が家は完成した。 [続きを読む]