Sky Blue Topaz さん プロフィール

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Sky Blue Topazさん: 私のタイムトラベル
ハンドル名Sky Blue Topaz さん
ブログタイトル私のタイムトラベル
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/sky_bluetopaz
サイト紹介文これまでの私達家族の歩みを振り返りながら、ひととして在るべき生き方を探っていきます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供105回 / 365日(平均2.0回/週) - 参加 2015/07/05 00:22

Sky Blue Topaz さんのブログ記事

  • 祖母・松子さんの退院 ー新たな日々のスタート ー
  • さて二週間の病院生活の後、順調に回復した祖母・松子さんは、2008年9月9日に退院した。そして竹子伯母の、今までとはまたちがう、この家と松子さんへの関わり方が始まった。退院してきた松子さんは竹子伯母の干渉を「船頭多くして船進まずやな。ユキさんもたいへんや」と、松子さんらしいなんとも傲慢不遜な言葉は健在だった。以前、松子さんが「ここが白鷺家かどこの家かわからへんようになった、困ってるのはあんたとこと [続きを読む]
  • ストレスという名の病気
  • 病室で寝ている祖母・松子さんを横目で見ながら竹子伯母が言う。 「おかあちゃんが私に見せる顔とあなたたちに見せはる顔と、多分ちごた(違った)んやと思う。  戦後の大変な時を苦労して生きて来はったさかい、海千山千なんね。私らみたいに単純ではない・・・」なんと病院でさえ、こんな話だ。しかし考えてみれば、長い間、私達の家の処遇を巡って松子さんと竹子伯母は頭を悩まし続けてきたのだ。私達同様、松子さんもそして [続きを読む]
  • 祖母・松子さんの入院
  • 2008年8月28日 木曜日、祖母・松子さん、K大病院入院。竹子伯母、倖雄オジサンが付き添い、入院、手術の手続き、その他を済ませた。病名は硬膜下血腫。29日手術。午前9時半より昼12時過ぎ終了。竹子伯母と両親が付き添った。手術が終わると前夜から付き添っていた竹子伯母が帰り、母が代わった。うつらうつらしていた松子さんが母を認めて言った。  「あ、ユキさん、すんまへんなあ。来てくれはったん?」そして病 [続きを読む]
  • 祖母・松子さんの異変(2)
  • 翌 8月27日、朝9時、竹子伯母が母屋から電話をかけてきた。                    “母の様子がおかしい、私一人では判断が出来ない。来てくれ” とのことだった。いそいで両親が駆けつけると、祖母・松子さんが床に足を投げ出して座っていた。左半身がおかしい。姿勢が左へと傾く。手足の指はしっかり動きはするが、起居、歩行、ともに不自由だ。この日、痛風の治療のために病院に行く予定があった父は勤め [続きを読む]
  • 祖母・松子さんの異変(1)
  • 2008年 夏。梅子叔母はこの時もナシの木町の実家で1週間ほど滞在していた。祖母・松子さんは梅子叔母が来ている間はこちらに顔を見せないが、梅子叔母が帰るといつもすぐに“ 帰らはった ” と言ってくる。それが今回はなかった。8月26日、朝 母が庭に水を撒いていたら、竹子伯母が慌てて飛び出してきた。「昨日から泊まってるんだけど・・。おかあちゃんの様子がおかしいの。 梅子が帰るとき、新幹線のなかから [続きを読む]
  • エピソード ー 百年前のおひなさま ー
  • 昨日今日と、テレビでうんざりするほど国会討論の様子が放映されている。高支持率を誇った頃の自信に満ちた傲岸不遜の面影はなく、安倍さんは 今は 野党の攻撃に ただただ耐えている。このやりとりに、かつての我が家を思い重ねる。一体、この国はどこへ行くのか。我が家はどこへ行くのか。さて、祖母・松子さんが大切にしていたものの中に百年前のおひなさまがあった。ある日、私が勤めから帰ってくると松子さんが玄関から飛び [続きを読む]
  • 突然舞い込んだ竹子伯母からの手紙
  • 2007年10月のこと。   “おかあちゃんの世話は必要ない、いやしいイチロウちゃんとはもう付き合わない”と、昨年の4月の電話で言って以来(参照記事:不動産鑑定士T氏への依頼(2))、まったく没交渉だった竹子伯母から突然、一通の手紙が舞い込んだ。 <日頃のユキさんの母へのお心遣い有難うございます。母のためにお気づかいいただくことが  増えている事と思い、申し訳なく思っております。  ・・・・ [続きを読む]
  • おもてなしのこころ
  • 2013年のオリンピック誘致の際のスピーチで、おもてなしという言葉が使われて以来、この言葉を聞く機会が多くなったが、ちょうどその年、茶道家の今は亡き塩月弥栄子氏もまた、朝日新聞におもてなしの心について語っておられた。“ 京都では「あの家にはお茶がある」という言い方をします。お茶室があったり、茶道を心得ていたりという 意味ではありません。さりげなく生活に四季の美を取り入れ、相手の身になって気働きでき [続きを読む]
  • 梅子叔母の滞在(2)ー 芽生えていった争いの種 ー
  • 梅子叔母が実家に滞在する期間は、たいてい一週間から10日ほど、年に3、4回であった。トラブルが起こってからは黙ってナシの木町を訪れ、黙って帰っていく。黙って来て、黙って帰っていくのであるが、その滞在はしかし騒々しい。裏庭には母屋と一部一体化した形の二階建ての我が家がある。その裏庭で大きな声で祖母・松子さんに話かけながら行ったり来たりする。こちらの生活空間が丸見えとなるからと我が家と隣接している母 [続きを読む]
  • 梅子叔母の滞在(1)ー たかがゴミ、されどゴミ ー
  • 2006年8月。かねてからの計画だったのだろうか。以前のようにお盆に皆で賑やかに食事 (おそらくバーベキュー)を、との計画を立てていたのだろう、父のきょうだいが集まってきた。   白鷺家はちょっと変わっていて、お精霊さんを迎えるための特別な準備もせず、      皆でバーベキューを楽しみ、送り火を見るのが恒例だった。前日から母屋に泊まっていた四郎叔父から朝、電話がかかってきた。「おまえ、いったい [続きを読む]
  • 日々は ただ 過ぎていった
  • 2006年の4月8日、竹子伯母は我が家に電話をかけてきた。そして2005年11月の話し合い(参照記事:不動産鑑定士T氏への依頼(2))で合意に達していた約束事を一方的に破棄してしまった。この時の電話はなんと2時から5時まで、実に3時間に及んだ。後になって自分のそうした行動を悔やんだ竹子伯母は、たびたび祖母・松子さんと自分の娘、椿ちゃんに「イチロウちゃんに悪いことした、謝らんならん」と言い、いま謝りの手紙を書い [続きを読む]
  • 長男の悲哀
  • 1985年4月。すべてに慎重で念入りな祖母・松子さんは、母屋の裏庭に私たちの家を建設する旨をまず祖父に話した。そしてその翌日、父がそのことを祖父に報告し、承諾を得た。また当時の松子さんの日記にはこう記されている。  8月 6日 竹子、梅子と家の件 話し合い。   8月11日 四郎、竹子、梅子に手伝ってもらって本箱三つ分の整理こうして父のきょうだいも皆、私達家族がナシの木町に家を建てるということを松子 [続きを読む]
  • 松子さんの裏切り−遺留分というものの存在−
  • 2005年の10月の両親と祖母・松子さん、そして竹子伯母との4人での話し合いは、和やかに雑談も交えて終わっている。そしてこの時、両親は、白鷺家の今後の方針について合意した内容を あとの2人(梅子叔母と四郎叔父)にしっかり説明しておいてほしい、と松子さんと竹子伯母に念を押していた。さて、2006年の3月に竹子伯母と松子さんが不動産鑑定士兼調停委員であるT氏と話し合いをした後、梅子叔母が、そして5月の連休には四郎叔 [続きを読む]
  • エピソードーお流れとなった90歳の誕生日会ー
  • 2005年の10月に両親と祖母・松子さん、そして竹子伯母の4人で話し合いを終えた翌々日のこと。母から頼まれて裏庭の柿 バケツ一杯分にホワイトリカーを添えて祖母・松子さんのところに持って行った。我が家には柿の木(渋柿)が2本あり、 毎年秋になるとたわわに実った柿取りを2、3日かけて行う。トラブルが起こってからは大々的に収穫することはなくなったが、昔は段ボール箱に詰めて親戚、竹子伯母の友達などに送っていた。「 [続きを読む]
  • 不動産鑑定士T氏への依頼(2)
  • 竹子伯母、続いて祖母・松子さんと話をしたT氏が父に伝えた言葉は、意外なものだった。“お姉さん(竹子伯母)は「出て行けと言った覚えはないので補償はしません」、また「遺留分は放棄しません」などと、言っておられました。また「母がいるうちに生前贈与の話は・・・」と渋っておられました。”こうして、『自分のいる間にちゃんとしておきたい』という松子さんの意思を竹子伯母は見事に覆した。もっとも、T氏と竹子伯母との [続きを読む]
  • 不動産鑑定士T氏への依頼(1)
  • 2006年 3月。不動産鑑定士兼調停委員であるT氏との話し合いが、ようやく実行されることになった。昨年の10月に両親と祖母・松子さん、そして竹子伯母の4人で話し合った際に合意に達した約束事を確定するために、両親は竹子伯母が提案していた2通りの方法のうち、専門家(第三者)に依頼するという形を取った。それまでのきょうだい間の感情的行き違いを考えれば、私情のない第三者のほうが話がスムーズにいきそうだと考え [続きを読む]
  • 祖母・松子さんと竹子伯母と両親の話し合い(2)
  • 2005年、10月に入って、両親は祖母・松子さんと竹子伯母とまた話し合いを持った。今後の白鷺家のこと、そして自分たちの行く末のことについて話し合うためだった。季節はいつのまにか夏から秋へと移り変わっていた。これまでの過去の出来事はなにも清算されず、またなんの決着もついていなかったが、このままでは先へ進めない。そこで両親は松子さんの遺言書をふまえてこう提案した。 1.白鷺家はみな平等、親の面倒は子供全 [続きを読む]
  • 祖母・松子さんと竹子伯母と両親の話し合い(1)
  • 情は法に勝るという考え2005年の7月に入って、初めて祖母・松子さんと竹子伯母、両親の4人で話をした。「私が分筆したいって そうじゃないのよ。もうおかあちゃんたら、かなわんなあ・・」と竹子伯母は笑いながら言った。「うちの場合、共有なるものがややこしいということで・・・どういう形が一番いいのか法律相談に行ったのよ。 お母ちゃんがあんたたちに約束した自分のものをそっちに、という場合は 内輪だけで約 [続きを読む]
  • 当時、興味を引いた本たち
  •         "世界はどうしてこんなに美しいんだ!”    ”具体的な運命が人間を苦しめるなら 人はこの苦しみを責務としなければならない"                     ―『夜と霧』(ヴィクト−ル・E・フランクル)より ―    ”憎しみの感情に飲み込まれると最後はつまづく。憎しみにとらわれれば 我々の人生は最終的に破壊されてしまう””「許す」ということは難しい。その時大事なのは「許 [続きを読む]
  • 道具のこころ
  • 「道具にはこころがある。 道具は心を大事にするもんやけど イチロウさんはみな、 お金に換算しはる。 これ何ぼの人や」 と後年、梅子叔母は父をそう酷評したが、とにかくこの家において道具に対する愛着には、並々ならぬものがあった。しかし“道具にはこころがある”と言って、わが兄のもの分からぬ精神を批判した叔母も、それから 祖母・松子さんも、テレビで放映される “これ何ぼ” の『開運 なんでも鑑定団』という [続きを読む]
  • 優雅 風雅の松子さん
  • 老いというものが無縁だったころ、祖母・松子さんはよく言っていた。「このごろ、介護保険、介護保険ていいすぎやね。そやから 人間みな なんでもひとに頼るようになるわけね。  こんな制度 ええことないねぇ。 私は誰の世話にもならんとゾウみたいに自然にひとりで死んでいくつもり。  それが一番ええ」 これまで母がいくら 「買い物行ってきましょうか?」 と尋ねても            “今、思いつかへんからええわ [続きを読む]
  • どうどうめぐり ―ある日の会話 ―
  • 2005年6月に祖母・松子さんが遺言書を持ってくるに先立って、交わされた竹子伯母と父たちの会話父 「オレとしては何を問題にしてるんか、いうたら、土地が何坪とか、家の話とかではなかったんやな・・・、 呼んだ・呼ばへんということを親子で言うこと自体異常や。しかも、それをいまだに続けている・・・」伯母「続けてるのは あんたでしょう!」父 「そうですよ。 オレは続けるの、デタラメ言われたら困 [続きを読む]
  • 正面から向き合わない姿勢
  • 今日の朝刊(2017年6月11日)の一面に載っていた記事。「国民を代表する国会議員の疑問に対して、誠実に答えるのは民主主義における政府の最低限の義務だ。  それをしないのは国民を馬鹿にしていることと同じ。・・・略・・・官僚と一緒になって居直ることで  国民に『これ以上質問しても無駄だ』とあきらめさせようとしているようにみえる」この種の記事は枚挙にいとまがない。そしてわたしはいつも我が家の出来事と重ねてし [続きを読む]
  • 父のシンプルな願い
  • 2005年6月、祖母・松子さんが我が家に遺言書を持ってきた。すでにトラブルが勃発して4年が経っていた。そこには、自分が亡くなった折には 自分名義の物件は父に譲り、父名義に変更することという趣旨が書かれていた。自分の意思として、また これまでの感謝の気持ちとして父に受け取ってほしい、ということらしかった。しかしこの時、父はきょうだい皆の合意なしに勝手に受け取れん、と松子さんの遺言書を受け取らなかった [続きを読む]
  • 世の中の不正 ― "偽偽、偽偽、偽偽と軋む日常" ―
  • ― 偽装偽証偽善偽名に偽造あり 偽偽、偽偽、偽偽と軋む日常 ー                      <朝日歌壇より転載>2005年のこの年の11月、構造計算書偽造問題(=耐震偽装問題)が連日テレビを賑わしていた。 構造計算書を偽装した一級建築士、建設会社、コンサルタント会社などの関係者らが証人喚問や参考人招致などで国会で答弁したが、一番強く印象に残ったのは総合経営研究所所長のこの言葉だった。「 [続きを読む]