すんみぃ さん プロフィール

  •  
すんみぃさん: 潤星会
ハンドル名すんみぃ さん
ブログタイトル潤星会
ブログURLhttp://ysumio.blog.fc2.com/
サイト紹介文主に自生の草花や、それにまつわる能の解説、趣味の小説などを掲載しています。
自由文金剛流能楽師として主に東京で活動する傍ら
趣味で撮った草花を、能の解説や小説と共に紹介しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供53回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2015/07/17 15:29

すんみぃ さんのブログ記事

  •  井の頭公園 能「竹生島」
  • 井の頭公園 2017年3月9日写す。以下同じ。井の頭公園は中央線吉祥寺駅南口から歩いて5、6分。神田川の水源の池が中心をなしている。桜の名所で花の頃は花見の宴で立錐の余地もないほどの賑わい。西に武蔵野の面影を残す雑木林、象のハナ子がいた井の頭動物園、南に人気のジブリ美術館に隣接する。開園は大正6年、この辺りは昔、狩場だったそうだ。徳川家康が関東随一の銘水と褒め称え、お茶をたてたという「お茶の水」と [続きを読む]
  • 町中の早春の花 能「経正」
  • お祝いに娘達が荻窪の割烹料理に招待するという。滅多に行けないのでワクワクの数日だった。荻窪は2、3思い出のある所でもある、周辺を歩いてみることにした。早春とはいっても野や山はまだ冬、花などある筈はない。野山より暖かい町から先に春は来る。郊外の我が家より荻窪には早い春は来ているのではと、招待された日カメラを担いで約束の2時間も前に勇んで出かけた。温かくなると雑草と嫌がれる草達の花もこの時期は見直され [続きを読む]
  • 伊豆 下賀茂温泉の桜 能「墨染桜」
  • 下賀茂温泉の河津桜 バラ科 2017年2月16日写す。以下同じ下賀茂温泉は伊豆半島の突端、石廊崎の近くにある温泉。山に囲まれ、青野川が流れる。青野川の両岸に桜並木、千本桜とか。ここも河津桜が満開だった。桜目当ての観光客は少なく静かだった。河津の賑わいに程遠い。見物客にせきたてられる雑踏もなく、ゆっくり桜を堪能した。駐車場もゆったり、にわか売店はなく道の駅でゆっくり休めた。太い幹からニョキリと直接咲 [続きを読む]
  • 河津桜 能「泰山府君」
  • 河津桜 バラ科 2月16日写す。以下同じ河津桜は早咲きの華やかな桜。近年、観光客の少ない時期の伊豆の観光目玉となった。河津桜を知ったのは十数年前、河津川の橋を渡っているとき偶然見つけた。以来毎年訪れる。その頃は河口から2,3百メートルの並木だったと思う。現在は河口から数キロ。花の頃には上流まで見事な花盛りだ。桜は日本では花の代名詞、花といえば桜を指したそうだ。河津桜は花の少ない時期に咲き,そのうえ [続きを読む]
  • 松戸「戸定邸」 能「源氏供養」
  • 戸定邸 2017年2月2日写す。以下同じ 千葉県の松戸に謡曲と仕舞の、同好がいて通っている。ひょんな切っ掛けで戸定邸を知った。松戸は上野から常磐線で15分少々、首都のベットタウンと云ってもいい距離。失礼な言い様だが、こんな処にこんな素敵な庭園、建物があるとは思いもよらなかった。戸定邸は最後の徳川将軍、徳川慶喜の弟、最後の水戸藩主、徳川昭武の住まいに建てられたそうだ。昭武は慶喜の名代でパリ博覧会に派 [続きを読む]
  • 五浦、五大堂 能「井筒」
  • 五大堂遠景 松林の奥が日本美術院跡 2017年1月14日写す。以下同じ。五浦は福島県境に近い茨城の北部、大津港の近くの景勝の地。上野の芸大の前身、東京美術学校を作った一人、岡倉天心が住んだ。五大堂は天心の瞑想の隠所だったという。美術学校での色々な問題で受けた心の負担を癒すためだったのだろうか。天心は日本美術院を五浦に移し、天心の門弟、横山大観、菱田春草、下村観山なども移り住み日本画の制作活動をした [続きを読む]
  • 勿来の関 能「東北」
  • 今年は裏日本、北海道、近畿、九州まで大雪がつづく。雪を心配しながら福島の勿来の関、茨城県の北端、五浦を訪ねた。殊の外寒かった。寒さのせいだけはなく此処は何時来ても訪れる人も少なく静かで昔を彷彿とさせる。勿来の関(なこそのせき)跡 2017年1月13日写す以下同じ。騎馬武者の銅像は源義家。肝心のカメラを忘れ同行のタブレットで撮った。逆光でうまく撮れなかった。福島県だが茨城県の県境に近い。常陸国と陸奥 [続きを読む]
  •  寂光院 能「大原御幸」
  • 寂光院 2016年12月24日写す。以下同じ静かな佇まいだった。観光客も少なく昔を偲ばせる辺りの風景だった。ここは平家物語「灌頂巻」、能「大原御幸」の舞台。平家滅亡後、建礼門院徳子は大原の荒れ寺、寂光院に入り我が子安徳天皇、一族の菩提を弔った。後白河法皇が寂光院に行幸し、建礼門院に平家滅亡の折の話を聞く。「一宇の御堂あり、甍破れては霧、不断の香を焚き、とぼそ落ちては月もまた常住の燈火をかかぐ」法皇 [続きを読む]
  •  初冬の野川公園(2)能「紅葉狩」
  • 野川公園 2016年12月8日写す。以下同じ野川公園は調布、小金井、三鷹市にまたがる広大な都立の公園。以前、街路樹の苗木を育てていた武蔵野公園と西部是政線を挟んで隣接している。野川公園は広々とした芝生が広がり、あちこちに大木が植えられている。遊園地的施設はなく自然いっぱい。武蔵野公園は大木に覆われ、森林浴散歩に最適。両公園の北の端は崖になっていて(ハケと云うそうだが)清水が湧く。この清水を集めて「 [続きを読む]
  •  初冬の野川公園(1) 能「雲林院」
  • 野川公園 2016年12月8日写す。以下同じ野川公園を知らない人は多いと思う。調布市、小金井市、三鷹市にまたがる自然いっぱいの広大な都立の公園だが遊園地的施設がないためか訪れる人も少ない。隣接する武蔵野公園、多磨霊園、調布飛行場、キリスト教大学と、とてつもなく広大な自然が広がる。北の端は崖(ハケとよぶ)になっていて崖下から清水が湧き出て小川を作っている。野川。暖かくなると子ども達がザリガニや小魚と [続きを読む]
  • 玉川上水の秋(2) 能「実盛」
  • 国木田独歩文学碑 2016年12月6日写す。以下同じ。明治末期の詩人、小説家、国木田独歩の代表作「武蔵野」の一節を刻んだ碑。武蔵野は荻窪あたりから川越辺り迄、武蔵野市が中心地だったらしい。平坦な原野に雑木林、牧畜などの草原が広がる独特な景観の地だったという。都までも聞こえ、古今集に「武蔵野は今日はな焼きそ若草の、つまも籠れりわれもこもれり」伊勢物語では二条妃高子の歌としている。能「小塩」でも謡われ [続きを読む]
  • 玉川上水の秋(1) 能「野守」
  • 水衛所跡。玉川上水の管理をする人が常駐していた所。2016年12月6日写す以下同じ。玉川上水は江戸初期に作った人造の川。多摩川の上流、羽村から四谷まで40数キロ江戸の飲み水対策で作られた。測量機器の無かった時代に100mの標高差を流す土木事業は驚異だそうだ。10数年前、一時水をとめたこともあったが今は滔々と流れていて橋が幾つもあり橋の下では大きな鯉が餌をねだって口パクしている。玉川上水は太宰治が心 [続きを読む]
  • 野菊 能「小督」
  • 自宅の猫の額ならぬネズミの額に割と珍しい野菊を植えている。今年はどうしたことか例年より盛大に咲いた。我が家の埴生の宿を気に入ってくれたのだろうと嬉しいかぎり。栽培種の菊は大昔中国から渡したそうだ。千数百年もの間愛されてきた。菊は国花、国を象徴する花でもある。栽培種は華やかできれいだが、やはり地味でも野菊が好きだ。日本の野山には色々な種類の花が咲く、人の花も咲く。この国に生まれてよかったと思う。先日 [続きを読む]
  • 高尾山の紅葉など(2)能「蝉丸」
  • 大混雑の登山口 2016年11月20日写す。以下同じあまりの混雑に目的地に行ける目途がなく思い出して以前登ったことのある稲荷山コースから登った。木の根ボコボコ、石ゴロゴロだったが仕方がなかった。あ〜しんど!クロモジ クスノキ科クロモジはちょっと改まって和菓子を食べるとき使う楊枝。仄かないい香りがする。葉っぱに含まれる油で香水を作るくらいだ。知らない人はいないと思う。漢字で黒文字、青黒い枝に白い斑点 [続きを読む]
  • 高尾山の紅葉など(1)能「邯鄲」
  • 高尾山から下界の眺め。2016年11月2日写す。以下同じ高尾山は東京の街の西のドン詰まり、通勤電車の終着駅、高尾駅近くに登山口がある。以前は浅川駅と云ったがいつの間にか高尾駅になった。浅川駅は清流、浅川の名に由来。高尾山の奥は山また山、奥秩父へとつづく。高尾山は山頂に薬王院があり信仰の山であり国定公園であり都民の憩いの場。珍しい植物が多いことでも知られている。このところ登山客が激増、温暖化と相俟っ [続きを読む]
  • 乙女高原の晩秋の花など(3)能「放下僧」
  • 立ち枯れたシシウド セリ科 2016年10月21日乙女高原で写す。以下同じ「秋来ぬと、目にはさやかに見えねども。風の音にぞ驚かれぬる」古今和歌集の歌だそうだ。昔、誰かに教わったのだろう、暑いときまって思い出す。今年の夏も暑かった。十月半ば過ぎ、山梨の乙女高原に秋の花を見に行った。下界は“目にはさやかに”だったがここはさすが高原、初冬の装いに近かかった。シシウドも御覧のとおり既に立ち枯れていた。リン [続きを読む]
  •  乙女高原の晩秋の花など(2)能「夕顔」
  • 山梨県山梨市の乙女高原に行った。あまり知られていないようで訪れる人は少なく静か。バスがないので車で行くしかない。休憩所、トイレも完備、そう広くはないが色々な花が咲いている。穴場かもしれない。訪ねたのは十月半ば過ぎだったが既に初冬の装いだった。おおかたの花は枯れていたが枯れ残りがあちこちに残っていた。ヤマハハコ キク科 2016年10月21日山梨県乙女高原で写す。以下同じ山母子は山に咲く母子草の意。わりと低 [続きを読む]
  •  陣馬高原の秋の花(2)能「落葉」
  •  陣馬高原から見る山並み。 2016年10月16日写す。以下おなじ陣馬高原は相模湖の北、東京都と神奈川県の境を分けたところにある。標高851m、登山路は幾つかあるらしいが、相模湖から登山口の和田峠が近い。和田峠から急登30分程、程よい疲れを感じた頃着く。視界360度、空気清澄、美味しかった。思はず両手を広げ深呼吸をして大あくびをした。頂上には茶屋が三軒ほど、ラーメン、おでんなど美味しそうだった。高 [続きを読む]
  •  陣馬山、晩秋の花(1)能「巻絹」
  •   和田峠登山口の茶屋 2016年10月16日写す。以下同じ古くから東京近郊のハイキングのメッカらしいので遠慮していた。花の咲きそうな近場はほぼ歩いた。ハイカーは多いだろうが、と思いながら行ってみた。果たして男女老若大賑わいだった。近場で自然たっぷり、予想どうりの好ハイキングコースだった。尾根伝いのハイキングコースを景信山まで歩いたが大森林に覆われて花は少なかった。“陣馬”何やら想像を掻き立てる名 [続きを読む]
  • モミジ アメリカ大統領選 松尾芭蕉 能「鵜飼」
  • 2026年10月21日乙女高原で写す10月も半ば過ぎ山梨の乙女高原を訪れた。人影はなく森閑と静まり返っていた。秋の花はほぼ終わり冬支度を終え、木によっては既に紅葉が始まっていた。モミジの唱歌を歌い紅葉を見上げながら歩いていたら、昔友達に教わった芭蕉の句を思い出した。「おもしろうて、やがて悲しき、鵜飼かな」紅葉は錦繍にも例えられ春の花と共に人の心を奪い取る。春の花は散っても実を結び次の世代を育む。紅葉は豪華に [続きを読む]
  • 残照 11 出会い (十三)
  • 人々の暮らしの営みの上に映える残照。東京都三鷹市、太宰治も愛したという三鷹操車場に架かる陸橋から。2016年10月15日写す。次第能楽に「次第」というのがあるという。七五調基準の3句からなり情緒ある節で謡われる。物語を要約的、暗示的、象徴的に語るという。いわゆる「ブロローグ」の類いだが次第は遥かな昔、中世の日本人が作った。次第砂内桂馬。団塊の世代。世にあった時は去って遥か。今は無為の時を過ごす。感動も感傷 [続きを読む]
  • 吹割の滝、秋の花 能 『経正』
  • 吹割の滝 10月1日写す。以下同じ吹割の滝は、群馬県片品村の片品川にある滝。これほど奇怪千万な滝は他にないのでは?川底の軟らかい岩が水勢に削られ硬い花崗岩が残り、川の中に滝が出来たという珍妙な滝。以前、尾瀬の帰りに数回寄った。寄ったのが夏だったので水が少なく感動は少なかった。パスしようかと同行に聞いたら時間もあるし折角だから寄ってみようと云う。百数十段の濡れた階段をへっぴり腰で降りた。驚きました。 [続きを読む]
  • 戦場ヶ原の秋の花など。能「六浦」
  • 戦場ヶ原 2016年10月1日写す。以下同じ戦場ヶ原は今まで素通りだった。八月に訪ねた榛名湖畔のユウスゲの道のように思い掛けない花に会えるかも知れないと寄ってみることにした。ここも修学旅行の子ども達で賑わっていた。修学旅行とは名所旧跡と訪ねるものと思っていた。時代は変わったとつくづく思った。埴輪と呼ばれないように気をつけようと。戦場ヶ原は高地の湿原。一体誰と誰が戦ったのだろうと不思議だった。案内板 [続きを読む]
  • 奥日光周辺の花 能「綾鼓」
  • 男体山 2016年9月30日 いろは坂で写す。山岳霊場。二荒山とも。荒々しい山肌は堆積した火山灰の崩壊が激しく修復の後が大怪我した人の、外科手術の縫合の後のように生々しかった。九月の終わり奥日光を訪ねた。秋の気配はあったが紅葉は未だし、だった。東照宮、輪王寺は数回訪ねたし、このところ急増した外国の観光客に譲りパスした。いろは坂を登った。登る車が少なく沿道の草花を探しながらでも登れたが目ぼしい花は見 [続きを読む]
  • 深大寺水性植物園の初秋の花、能「殺生石」
  • 猛暑は去っても、まだまだ暑い。今年は秋までも夏の暑さが続くという。それでも植物は時期を知っている。時が来ればその時の花を咲かせてくれる。お目当ての花が咲いているだろうと深大寺水性植物園を訪ねた。お目当てはサクラタデ。あと一つ少々珍しいミズキンバイを見つけた。サクラタデ タデ科2016年9月24日 深大寺水性植物園で写す。以下同じ桜蓼。名前のように小さい桜の形の花を穂のように咲かせる。透き通る様な薄 [続きを読む]