卓球三昧 さん プロフィール

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卓球三昧さん: 卓球三昧
ハンドル名卓球三昧 さん
ブログタイトル卓球三昧
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/nakasheilanancy
サイト紹介文定年になって毎日、卓球をして楽しんでます。卓球を通じて友好を深めたいと思ってます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供491回 / 365日(平均9.4回/週) - 参加 2015/07/21 10:12

卓球三昧 さんのブログ記事

  • 乗船券購入と滞在期間再々延長〜シドニー滞在
  • ・昭和44年5月5日(月)曇り〜12日(月)晴れ(乗船券購入と滞在期間再々延長)・5月5日〜今日、船会社へ行ったら、運良く1人分のキャンセルがあった。それが最後の乗船券であると言うので、その乗船券購入の予約をした。・5月7日〜運良く乗船券が買えるのは、『早く帰国した方が良い』と言う神のお導きなのか。私は所持金を掻き集め、足りない分はシェアルームの同居人K氏から一時借りて、船会社へ買いに行った。(参 [続きを読む]
  • 兄嫁の死、そして帰国を決心〜シドニー滞在
  • ・昭和44年5月1日(木)晴れ(兄嫁の死、そして帰国を決心) 貨物駅の仕事が終え、家族や友達から手紙が来ていないかと思い、YMCAに立ち寄って見た。そうしたら私の妹、昨年の12月18日に帰国していた最初の頃に共に旅をしていた鈴木、そして、ロンドンのレント・ルームに住んでいた頃の階下の女性マリアンから手紙が来ていた。鈴木が無事に帰国出来た事は嬉しかったし、マリアンからの手紙も嬉しかった。しかし、妹か [続きを読む]
  • 滞在期間延長しに移民局へ〜シドニー滞在
  • ・昭和44年4月30日(水)(滞在期間延長しに移民局へ) 滞在期間を延長して貰う為、仕事を休んで移民局へ行きました。朝、バスに入りサッパリして、私の全ての所持金、ならびに岡本から前もって借りた見せ金の100ドルと彼の背広を着て出掛けた。Gパンにジャンバースタイルでは心証を損なうと思い、背広も岡本から借りたのであった。今まで服装には構わず、Gパンやジャンバースタイルでやって来たが、『ここに来て如何して [続きを読む]
  • シドニーのハイド・パーク散策〜シドニー滞在
  • ・昭和44年4月27日(日)晴れ(ハイド・パーク散策) 午前中ゆっくり過ごし、午後、岡本とハイド・パークへ散策に出掛けた。岡本とは4月6日に出逢って以来、時々行き来していた。ハイド・パークと言っても、仕事の行き帰りに公園の脇を通っているので、特に珍しくもなかった。ロンドンにもハイド・パークがあったが、ここの公園もロンドンのそれに劣らぬ美しい公園であった。青々とした芝生、緑の木立、大都会と言っても東 [続きを読む]
  • シドニー貨物駅の話〜シドニー滞在
  • *シドニー貨物駅の話(4月14日〜6月6日まで) こちらも週給制で1週間に一度、賃金は支払われていた。入ったばかりで先週は、支払われなかったが、今日4月29日、“2週間分”(4月14日〜4月24日まで。但し、土日祝日は除く)として74ドル貰った。1日7時間労働で8ドルとチョットとは、余りにも賃金が安かった。しかし、仕事は、非常に楽で、何とも言え無かった。因みにダーウィンでは1日8時間労働で12ド [続きを読む]
  • 祝日と私の最近の状況〜シドニー滞在
  • ・昭和44年4月25日(金)(祝日と私の最近の状況) 今日は、アンザック・デー(第一次世界大戦戦勝記念日)で、国民祝日であった。働いていると久し振りの休みの日は、やはり良いものだ。朝寝坊をした後、洗濯(電気洗濯機が無く手洗い)をしたり、シーラ、家族、そして、友達へ近況報告の手紙を書いたり、溜まった日記を書いたりして過ごした。 今日以降の私の休日は、土曜日だけであるが、とにかく月曜日から金曜日まで [続きを読む]
  • Kと共に貸し部屋で暮らし始める〜シドニー滞在
  • ・昭和44年4月14日(月)小雨(初出勤の貨物駅の仕事)珍しく雨が降った。右も左も分らない初仕事であったが、何とか1日無事に終った。他の仲間がたくさんいるし、仕事はきつくなく、まぁまぁであった。後ほど、その仕事の内容をまとめて書きたい、と思います。・昭和44年4月21日(月)曇り(栗田と共に貸し部屋で暮らし始める) 栗田とは4月10日に初めて会って以来、何度か会っていた。ちょっとした食事をおごって [続きを読む]
  • ステーキ・ハウス・レストランの仕事の話〜シドニー滞在
  • *ステーキ・ハウス・レストランの仕事の話 1969年4月9日(水)にシドニーのジョージ・ストリートにあるステーキ・ハウスで仕事を見付け、4月13日から皿洗いの仕事をする事にした。時間は、午後5時から9時45分までであった。この仕事は、ロンドンで既に経験済み、行ったその日から1人でこなした。本番の従業員がいるが、日曜日が彼の休みの日なので、私はその代わりであった。皿洗いと言っても、ほとんど皿洗い機が [続きを読む]
  • 生まれて初めて『ナニ』の検査を受ける〜シドニー滞在
  • ・昭和44年4月11日(金)曇り(生まれて初めて『ナニ』の検査を受ける)▲州有鉄道本社にて〜私のナニを検査している光景 昨日、職業紹介所から紹介されたNSW州有鉄道シドニー本社のEmployment Inquiry Office(雇用受付所)へ、指定された時間に行った。私の他に10人程が集まって来た。 所定の説明後、別の部屋にて身体検査があった。体重や身長測定から一通りの検査が終って、ある検査係の所に来たら、「全員服を脱 [続きを読む]
  • シドニー貨物駅の仕事を見付ける〜シドニー滞在
  • ・昭和44年4月10日(木)晴れ(シドニー貨物駅の仕事を見付ける) 今日も仕事探しに、早めに例の個人が経営している職業紹介所へ行って見た。スタッフは、電器クリーナーでビルデングの床を清掃する仕事を斡旋してくれたので、早速その会社事務所を訪ねた。   そこの事務所のスタッフから私の国籍、住所、名前、この仕事の経験の有無、どのくらい長く努められるのか等、簡単な質問を受けた。その後、「採用の可否は、もう [続きを読む]
  • 皿洗いの仕事を見付ける〜シドニー滞在
  • ・昭和44年4月9日(水)晴れ(皿洗いの仕事を見付ける) 今日、Employment Office(公営の雇用事務所)へ行って見た。大勢の白人外国人労働者が職を求めて来ていた。私も一応、申込書に必要事項を記入し順番を待った。 私の番が来て担当係から、「労働許可証を持っていますか」と尋ねられ、「持っていません」と答えた。そうしたらスタッフは、「それでは移民局へ行って、労働許可申請書を提出して、労働許可証を貰って来て [続きを読む]
  • YMCAと就職活動〜シドニー滞在
  • シドニー滞在・昭和44年4月4〜7日(火)晴れ(YMCAでゆっくり過ごす)シドニーに昨日(4月3日)やっとシドニーに着いたが、今日の4日から4日間、イースターで公官庁を初め主な商店やレストランは休みで、街全体が静かであった。今日は野宿が続いた為か、風邪を引いた様で体調がすぐれなかったが、お陰様で寝込む程ではなかった。私はゆっくりとYMCAで過ごした。このYMCAで日本へ2度も行った事があると [続きを読む]
  • 無事に大陸横断に成功〜オーストラリア横断ヒッチの旅
  • ・昭和44年4月3日(木)曇り(無事に大陸横断に成功) 今朝、狭い車の中で寝た所為か、腰が痛かった。今日中にシドニーへ着けるのか否か、それが問題であった。と言うのも、車の中で寝るのは、いささか嫌になった来たからのだ。 この辺りまで来ると1時間に1台、或は、30分に1台の割でしか走っていない、と言う事はなかった。お蔭さまで順次6台の車に時間を費やさず乗せてもらった。中でも記憶に残ったのは、Girilambon [続きを読む]
  • 老兵が日本女性の思い出を語る〜オーストラリア大陸横断ヒッチの旅
  • ・昭和44年4月2日(水)晴れ(老兵が日本女性の思い出を語る) 毎日良く晴れて、本当に助かる。ここまで来ると日差しは、秋であった。そして朝晩は、涼しくなって、それなりに着ていても野宿は寒さを感じた。しかし、昨夜は久し振りにベッドで横になれたのに、返って良く寝られなかった。むしろ狭い車の中の方が、寝られる様になっているとは、不思議なものだ。 ヒッチは、早発ちの方が良いであろうと、6時に起きた。奥さん [続きを読む]
  • 心温まる一般家庭に宿泊〜オーストラリア大陸横断ヒッチの旅
  • ・昭和44年4月1日(火)晴(心温まる一般家庭に宿泊)トラックの運転席で寝ていたら5時30頃、この車の持主に起こされてしまった。「黙って車の中に寝て、申し訳ありませんでした」私は素直に謝った。「いいのだよ。これからカンガルー狩りにこの車で行くのだが、一緒に行くか」とおじさんに誘われた。「急ぎ旅なので、行きたいが駄目なのです」と断ってしまった。今回のヒッチの旅は、以前と違って如何も心にゆとりがない、 [続きを読む]
  • 砂漠を荷台に揺られて行く〜オーストラリア大陸横断ヒッチの旅
  • ・昭和44年3月31日(月)曇り(砂漠を荷台に揺られて行く) 早朝、私は変な夢を見て、自分で自分の首を絞め、苦しくなって目が覚めた。気が付いたら額から冷汗が流れ落ちていた。それにしても変な夢であった。これもダーウィン滞在中同部屋のアボリジニに首を絞められそうになった事があったから、と思った。 6時30分に起きて、ヒッチを開始した。しかし3時間待っても駄目で、今日も車は全く通らなかった。10時頃、 [続きを読む]
  • 死のオーストラリア横断の話〜オーストラリア大陸横断ヒッチの旅
  • *死のオーストラリア横断の話 1868年8月、メルボルンから北へ人跡未踏の大陸横断に出発した、州政府支援の探検隊14名の内、バーク先遣隊4人もクロンカリー付近一帯の砂漠で、この五月蝿い蝿(うるさいハエ)の来襲に毎日、閉口していた。彼等先遣隊は、クロンカリーを経て北端のカーペンタリア湾に到達した。帰路、自分達の荷物等を運ぶ馬やラクダを殺し、食料にまでしてやっと辿り着いた“クーパーズ・クリークの中継基 [続きを読む]
  • 先へ進めない厳しいヒッチの旅〜オーストラリア横断ヒッチの旅
  • ・昭和44年3月30日(日)晴れ(先へ進めない厳しいヒッチの旅) 6時半に起き、ヒッチを始めた。1台目の車は20マイルばかり走ったら、「車の調子がおかしい」と言って停まってしまった。オーストラリア横断ヒッチ中、これで2回目であった。車検や整備体制が確立してないのか、オーストラリアの車は、よく故障する様であった。そしてそのドライバーは、「修理の為、引き返す」と言って私を荒野に置き去りにして、来た道を [続きを読む]
  • 荒野の道を突っ走る〜オーストラリア大陸横断ヒッチの旅
  • ・昭和44年3月29日(土)晴れ(荒野の道を突っ走る) この辺りまで来ると、朝晩は涼しかった。星空の下で寝る(野宿する)には、既に適さない気候になって来た。ここは、『スリー・ウェイズ』と言って、レストランとホテル兼用の店とガソリン・スタンド、その住民の住宅2〜3軒があるだけの所であった。朝食は『The Way Thou House』と言うレストランの外で知り会った奥さん(昨夜、このホテルに夫婦で宿泊していた)に、コ [続きを読む]
  • 消える川と地下の大水源の話〜オーストラリア大陸横断ヒッチの旅
  • *消える川と地下の大水源の話 オーストラリアの東海岸沿いに一本の山脈(大分水嶺山脈)がある。その山脈の東側に降った雨は、川となり海に流れ込む。日本人の概念として当然、『川は海に流れ込む』と思っている。しかし、その西側に降った雨は川となるが、如何せん高低差がなく、しかも海まで遠い。その為、広大な地域を流れる内に、その川は自然に無くなってしまう。要するに、多くの水が『伏流水』となって地下に潜ってしまう [続きを読む]
  • カンガルーと競争だ〜オーストラリア大陸横断ヒッチの旅
  • ・昭和44年3月28日(金)晴れ(カンガルーと競争だ) 6時半に起きた。パンをかじっただけの朝食を済ませた。7時に昨日、車から降りた場所でヒッチを開始した。1時間過ぎた頃、トラックが止まり、7マイル程乗せて貰った。そこで30分過ぎたら、2台目の若者が運転する車に乗って、32マイル進んだ所でパンクしてしまった。そのドライバーは、「修理の為、時間がどのくらいかかるか分らないので、他の車に乗せて貰いなさ [続きを読む]