卓球三昧 さん プロフィール

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卓球三昧さん: 卓球三昧
ハンドル名卓球三昧 さん
ブログタイトル卓球三昧
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/nakasheilanancy
サイト紹介文定年になって毎日、卓球をして楽しんでます。卓球を通じて友好を深めたいと思ってます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供543回 / 365日(平均10.4回/週) - 参加 2015/07/21 10:12

卓球三昧 さんのブログ記事

  • インドのカルカッタ(コルカタ)の人口過剰の話〜カルカッタの旅
  • *カルカッタの人口過剰の話今日(1969.3.1)、YMCAから歩いて街へ行って帰って来たが、それにしても凄かった。デリーやボンベイの大都市でその凄さに慣れていたが、カルカッタの凄さは、正に一級品であった。それは、インド独特の臭いがする中、人人人又人、男男男又男が途切れる事なく、街の全ての歩道(裏通りも含む)を溢れんばかり(物凄い雑踏、超過密状態)に歩いていた。更に通りには、そんな人々と共にこれ又、大勢 [続きを読む]
  • ネパール人、YMCAとカルカッタの様子〜カルカッタの旅
  • ・昭和44年(1969年)3月1日(土)曇り(ネパール人、YMCAとカルカッタの様子) このYMCAに旅人は、私1人だけであった。それから6日間宿泊したが、誰も旅人は来なかった。これは珍しい現象であった。何故だろう、不思議であった。  私の部屋は階段を上って2階の右手一番手前、そこから先は空室であった。左手側には10部屋程あった。各部屋はネパール人留学生が宿泊していた。 最初に彼等に会ったのは、私が2階の [続きを読む]
  • パトナーからカルカッタへ〜カルカッタの旅
  • カルカッタの旅・昭和44年(1969年)2月28日(金)曇り後雨(パトナーからカルカッタへ) 6時30分に起き、渡辺と共にドミトリーを出た。渡辺はネパールへ行くので、ガンジス川を渡る船着場の方へ、私はパトナー駅へ行くので、宿泊近くの大通りで各々左右に別れた。振り返ると彼は、船着場の方への坂をトボトボと歩いて行った。彼の旅愁を帯びた後ろ姿は、終に見えなくなった。「お互い元気で旅を続けよう。さようなら」と別 [続きを読む]
  • シーク教徒の話〜インド横断鉄道の旅
  • *シーク教徒の話 インド滞在中に於いてトラブルがあった時、よく助けて貰ったのが英語を話せるシーク教徒の人達であった。シーク教とは、ヒンドゥ教とイスラム教の融合をめざした宗教で、インドの中では2%の少数派、禁酒禁煙、不殺生を規則に持つ宗教である。彼等は、カースト制度の古い仕来りに縛られた伝統的なヒンドゥ教徒に比べて“進取”(職業の積極的な姿勢、取組)の気性が強く、近代化に対する適応も早かった。だか [続きを読む]
  • リキシャ・マン(リキシャのおじさん)の話〜インド横断鉄道の旅
  • *リキシャ・マン(リキシャのおじさん)の話(注)1ルピーは39円(闇取引)、1パイサは39銭 リキシャとは、リヤカーに似た2人用の座席がある二輪車を自転車で牽引する乗り物で、人力車の自転車番である。リキシャ・マン(以下「おじさん」と呼ぶ)は、そのリキシャの運転手の事です。リキシャは、インド中、至る所で走っていた。都会の駅前は、リキシャでいっぱいであった。大通りをリキシャが車の合間を縫って走っていた。便 [続きを読む]
  • 浮浪者の子供との別れ〜インド横断鉄道の旅
  • ・昭和44年2月27日(木)晴れ(浮浪者の子供との別れ)▲浮浪者の子供との別れ−挿絵 列車は1時間30分遅れの朝8時頃、パトナー駅に到着した。まだ例の子供は、私の後方に付いて来た。アラーハーバード駅から私が何処へ行くのか、ずっと見張っていたのだ。『私の後を追い掛けても、食べ物はもうあり付けないぞ。私だって、いつまでも君にかまっていられないのだ』と彼に言いたかった。2人で駅の食堂へ入った。2人で [続きを読む]
  • 浮浪者の子供との出逢い〜インド横断鉄道の旅
  • ・昭和44年2月26日(水)晴れ(浮浪者の子供との出逢い) 昨夜、インド人の話し声、列車の振動、盗難の心配等で当然良く寝られなかった。夜間の3等客車の旅は、しんどかった。 10時頃、タリー(インドのカレー定食)で朝食を取った。前の座席の子供は腹を空かしているのか、食べたそうに私の方をじっと見ていた。その子供は9〜10歳位であろうか、裸足で、汚れたヨレヨレのシャツと擦り切れたズボンを履いていた。明ら [続きを読む]
  • 多民族・多言語と子供達の話〜インド横断鉄道の旅
  • *多民族・多言語と子供達の話 インドは、一つの国に色々な人種の人々が住み、色々な言語を話す人々が住んでいた。そして、州や地域が異なれば、人種や言語も違って来て、インド人にとって他の州・地域は、まるで他国の様になるのだ。従ってインドの紙幣には、15の言語で『10ルピー』とその紙幣の額面を表示し、或は公共的な、例えば鉄道の案内板には5〜7の言語で書かれた案内表示があった。 インドの主な言語には、ヒンデ [続きを読む]
  • 駅員の盥回しと田舎の臭い〜インド横断鉄道の旅
  • ・昭和44年2月25日(火)晴れ(駅員の盥回しと田舎の臭い) Manmad(マンマード)駅へ早く行けば、カルカッタ行きの3等寝台車を予約出来ると思って、6時半に起きた。アウランガーバード7時30分の列車で“マンマード”(切符代3.30ルピー)へ行った。 ボンベイとジャルガウンのほぼ中間のマンマード駅に到着し、お問合せ・予約窓口で、カルカッタまでの寝台券について尋ねた。そうすると係員は「2番ホームへ行け」と [続きを読む]
  • ボンベイを去る日が近づく及び最近の収入の纏め
  • ・昭和44年2月17日(月)晴れ〜19日(水)晴れ(ボンベイを去る日が近づく及び最近の収入の纏め)17日〜8時に4人で相乗りしてタクシーで撮影所へ行った。運賃は10ルピーで、割り勘して払った。 エキストラの仕事は相変わらずで、席に座ってワイワイやっていればそれで済んだ。楽な仕事だ。昨日、値上げ交渉したお陰で、今日は60ルピー貰った。今日、日本人は私と荻の他に“ある日本人”(『渡辺さん』仮名、26歳 [続きを読む]
  • バイト代値上げ交渉と宿泊所について〜ボンベイの旅
  • ・昭和44年2月16日(日)晴れ(バイト代値上げ交渉と宿泊所について) ここのシーサイド・ホテルは、『インドへの門』に12〜13分で行かれ、市の南端に位置していた。他の場所と比較したら割と“清潔で静かな所”(路上生活者や乞食を余り見掛けない)であった。暑い所為か夜、外にベッドを出して寝ている多くの人々を見掛けた。ホテルの名前は格好良いが、“大部屋”(ドミトリー)でベッドも部屋も汚く、何となく臭い匂 [続きを読む]
  • エキストラの仕事とカメラを売る〜ボンベイの旅
  • ・昭和44年2月14日(金)晴れ(エキストラの仕事とカメラを売る) 私と荻は、欧米人と共にサルベイション・アーミー前に9時集合し、映画会社が手配したバスに乗り込んだ。間もなくバスは出発した。相変わらず歩道は、多くの寝ている乞食達や歩いている人々、そして道路は、車とリキシャで溢れていた。間もなくしてボンベイ島を出たら、バラックの貧しい家々が延々と続いた。ボンベイは、もう何から何まで凄く、そして、あら [続きを読む]
  • エレファンタ島の石窟寺院見物〜ボンベイの旅
  • ・昭和44年2月13日(木)晴れ(エレファンタ島の石窟寺院見物) 私、ロン、竹谷、そして竹谷の知り合いの日本人4人で、『インドへの門』付近から8時30分発のモーター・ボートに乗って“Elephanta Island”(エレファンタ島。ヒンドゥ教の石窟寺院があり、ボンベイの観光名所)へ行った。  海は穏やかで、島まで東海上10キロ、約1時間半のクルージングを楽しんだ。この船賃は、往復で3.20ルピーであった。島は、 [続きを読む]
  • エレファンタ島の石窟寺院見物〜ボンベイの旅
  • ・昭和44年2月13日(木)晴れ(エレファンタ島の石窟寺院見物) 私、ロン、竹谷、そして竹谷の知り合いの日本人4人で、『インドへの門』付近から8時30分発のモーター・ボートに乗って“Elephanta Island”(エレファンタ島。ヒンドゥ教の石窟寺院があり、ボンベイの観光名所)へ行った。  海は穏やかで、島まで東海上10キロ、約1時間半のクルージングを楽しんだ。この船賃は、往復で3.20ルピーであった。島は、 [続きを読む]
  • 貧しさの話〜ボンベイの旅
  • *貧しさの話  バラックの家々に住んで居る多くのインド人、数多くの路上生活者や乞食で溢れている街。そんなインドがいかに貧しいか、いかに厳しいか。“国連食料農業機構”(FAO)の統計(1973年現在)で次の様に報告されていた。  1日1人の最低必要カロリー1900カロリーに達しない栄養不足を調査した所、86カ国の開発途上国で5億1,000万人が栄養不足状態。この内インドが何と2.5億人以上を占めていたと言う。インドの人口 [続きを読む]
  • 路上生活者や乞食の様子とカメラを売りに街を彷徨〜ボンベイの旅
  • ・昭和44年2月12日(水)晴れ(路上生活者や乞食の様子とカメラを売りに街を彷徨)▲テヘランから共に旅しているアメリカ人のロン(Ronald Schwartz、ニューヨーク出身で自称小学校の先生) ボンベイの街も通りには、路上生活者や乞食が多かった。実際に、彼等の区別は出来ないのだ。「バクシーシ、バクシーシ」と言って金を乞われれば乞食だし、ただそこにいれば路上生活者だ。彼等は、似た様な人達であった。大半の彼等は、 [続きを読む]
  • 一日中カメラ売りと荻さんとの再会〜ボンベイの旅
  • ・昭和44年2月11日(火)晴れ(一日中カメラ売りと荻さんとの再会) 朝から暑かった。朝食を食べて、サルベイション・アーミーへ泊まれるか如何(どう)か行ってみたが、又駄目であった。 所で、オーストラリアへは、3月19日までに入国すれば良いのだ。まだ1ヶ月以上、インドに滞在出来るのだ。しかし、1ヶ月間滞在に必要な所持金は、オーストラリアへの旅費の事を考えると、余り手持のお金を使いたくなかった。『私の [続きを読む]
  • カースト制度の話〜ボンベイの旅
  • *カースト制度の話 日記の中で、『上流階級』、或は、『下層階級』の言い回しを書いて来たが、インドでは身分制度、所謂“カースト制度”(憲法上廃止されたと言われるが)が、実際に存在していた。 カーストには、基本的に4つの身分がある。1番偉いのが“ブラーマン”(司祭)、2番目が“クシャトリア”(武士)、3番目が“バイシャ”(平民)、1番下が“シュードラ”(奴隷)である。更にその下に“ハリア、又はアチュー [続きを読む]
  • ボンベイの洗濯屋さん〜ボンベイの旅
  • ボンベイの旅・昭和44年(1969年)2月10日(月)晴れ(ボンベイの洗濯屋さん) 朝や夜のニューデリーは、寒かった。だが、かなり南下して来たので、夏の気候の様にマハーラーシュトラ州は、列車に乗っているだけで汗が額からポタポタ落ち、暑かった。 朝食は食べたが、昼食は食べなかった。列車はボンベイ駅に近づきつつあるらしく、速度を落として走っていた。バラックの家々が直ぐ線路脇まで建てられ、それらの家々が [続きを読む]
  • 人、牛のウンコ及びトイレ、ゴミの臭い話〜アグラの旅
  • *人、牛のウンコ及びトイレ、ゴミの臭い話▲2016年12月26日読売新聞記事 列車がニューデリーを出発後、私は暫らくの間、車窓から密集したバラックの家々、人々の様子等を見ていた。そうすると又、線路端のあちこちで人々が尻を出し、こちらを向いてしゃがんでいる姿が見えた。ニューデリーに到着する時もそうであったので、「ハハン、ウンコをしているな」と直ぐに分った。バラックの家にはトイレが無いのか、彼等は線路端で、或 [続きを読む]