卓球三昧 さん プロフィール

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卓球三昧さん: 卓球三昧
ハンドル名卓球三昧 さん
ブログタイトル卓球三昧
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/nakasheilanancy
サイト紹介文定年になって毎日、卓球をして楽しんでます。卓球を通じて友好を深めたいと思ってます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供385回 / 365日(平均7.4回/週) - 参加 2015/07/21 10:12

卓球三昧 さんのブログ記事

  • 私の果てしない旅はここに終る〜日本の旅
  • ・昭和44年(1969年)7月6日(日)晴れ(私の果てしない旅はここに終る) 朝食を済ませ、出立準備を整えてから女将に勘定をお願いした。私は、「ここの旅館代は私も払う」と言ったが、彼等は「ヨシにはお世話になったから」と言って私の分を払わしてくれず、6人で割って各自出し合って払ってしまった。一昨日も昨夜も、『ヨシにはお世話になっているから』と言って飲み代は彼等が払っていた。 今日、彼等はこれから日光見物へ [続きを読む]
  • 名古屋、東京見物〜日本の旅
  • ・昭和44年7月5日(土)小雨後曇り(名古屋、東京見物)▲熱田神社前にて〜左からエバンス、私、タン、メアリー、ベンドレィ、そしてフレッド。フィリップはシャッター役  16日間航海したチルワ号ともこれで永遠の別れとなり、私は昨日、鳥羽へ行った乗船仲間と共に名古屋へ行った。私の案内で名古屋城や熱田神社を見物後、新幹線ひかりで東京に来た。日本の新幹線は、彼等にとってその速さ、鉄道技術の高さ、施設にビ [続きを読む]
  • 四日市入港と鳥羽見物その1〜日本の旅
  • 日本の旅・昭和44年(1969年)7月4日(金)小雨(四日市入港と鳥羽見物) 朝起きて、日本本土が見えるか、デッキに出てみた。小雨が降っていて、視界が悪かった。南太平洋の海は紺碧の色をしていたのに、日本近海の海は、余りにも濁っていた。日本経済の発展の裏で、環境や自然が破壊され、海や河川が汚染されていたのだ。 何も見えなかったのが、暫くすると何処かの島か本土が遠くぼんやりと見える様になって来た。何日も何 [続きを読む]
  • 船内ニュース〜船内の様子
  • *6月26日(木)のShip Board News(船内ニュース)の話し 船内では3日ないし4日に一度、瓦版(ガリ版)が発行され、色々な情報を乗船客に知らせていた。その発行内容は次の通りです。 Royal Interocean LinesSailing from Brisbane to YokkaichiM.s.Tjiluwah Voy. [続きを読む]
  • 船旅を楽しむ〜船内の様子(その2)
  • ・昭和44年6月24日(火)〜7月3日(木)(船旅を楽しむ)〜その2▲ブリスベンの絵葉書▲Royal Interocean Lines Tjiluwah Voy. 149-A(チルワ149号、オランダ船)▲ダンス・パーティーにて〜股にオレンジを挟みマドロスパイプをしゃぶっている私と同じ食事テーブルのおばさんと 船旅は、退屈するのでダンス・パーティー、映画、ビンゴー・ゲーム、デッキ(甲板)での“ホース・レース・ゲイム”(競馬遊び)、卓球大会 [続きを読む]
  • 船旅を楽しむ〜船内の様子(その1)
  • 船内の様子 ・昭和44年6月24日(火)〜7月3日(木)(船旅を楽しむ)〜その1    ▲船内の食事風景(一番右が私)〜私の右隣から若夫婦(男は髭を生やした26歳前後)、おじさん、おじさんの娘、高級船員、おばさん、そして、私の左隣はアメリカ人のメアリー▲船長主催のディナー・パーティにて〜右から私、フィリップ、タン、エバンス夫人、ベンドレィさん▲船長主催のディナー・パーティにて〜船長と握手する私。私 [続きを読む]
  • 一日中ブリスベン港に停泊、黄金色に染まった港を出港〜出港
  • ・昭和44年6月22日(日)晴れ(一日中ブリスベン港に停泊) 船は、ブリスベン港に1日中、停泊していた。退屈で仕方ないので午後、映画でも見に行こうと街へ出掛けたが、3軒ある映画館全てが日曜の為、閉まっていた。1軒ぐらい営業しているであろうと思ったが、オーストラリアの徹底した日曜日のあり方を再確認した思いであった。無人となった街をぶらついて、船に戻りボンヤリと過した。 ブリスベンの街は、閉まっている [続きを読む]
  • スケベなフレッド〜出港
  • ・昭和44年6月21日(土)晴れ(スケベなフレッド) 一昨日夜から昨日、船はかなりローリングしたので気持が悪かった。お陰で昨日の昼食は、喉を通らなかった。 今日の朝方の早い時間にブリスベンに入港した。昨日知り合った“Fread Kelly”(フレッド・ケリーと言って、私は「フレッド」と呼んでいた)と共に朝食後、バスでブリスベンの街へ出掛けた。 ブリスベンはクィーンズランド州の州都。ここはシドニーよりとても“ [続きを読む]
  • 心残りでオーストラリアを去る〜出港
  • 第12章 船 旅出 航・昭和44年6月19日(木)曇り(心残りでオーストラリアを去る)▲RIL(ロイヤル・インターオーシャン・ライン)のチル149号 4月14日からルーム・メイトの栗田と共に住み始めたこのキングス・クロスの部屋を去る日が来た。9時頃起きて、出発の準備をしていたら、岡本と杉本が見送りの為に来てくれた。10時半頃、大屋のミセズ・ジャクソンおばさんにお世話になったお礼と共に別れの挨拶をし、 [続きを読む]
  • 博物館、美術館巡り〜キャンベラ、シドニーの旅
  • ・昭和44年6月18日(水)晴れ(博物館、美術館巡り) 昨日、家族や友達の為に何かちょっとした物でも良いからオーストラリアの記念となる“お土産”(カンガルーの毛皮、ブーメラン等)をジョージ・ストリートのシドニー・ケイブ寄りに買いに行った。  そして今日、岡本と共にAustralian Museum(オーストライア博物館)へ行った。この博物館は、ハイド・パークの東側ウィリアムズ・ストリートに面して、いつも貨物駅とス [続きを読む]
  • 私の故郷を訪れた事のある人と出逢う〜キャンベラ、シドニーの旅
  • ・昭和44年6月13日(金)晴れ(私の故郷を訪れた事のある人と出逢う) 7時に起きてシャワーを浴び、自炊の朝食を取った。今日、シドニーへ帰る日であった。ユースを出る際、マイケルとブレインに別れを告げた。「昨日、ヨシに会えて本当に良かったよ。無事、帰国出来る様祈っている」とマイケルは言ってくれた。「パースで仕事を見付けた後、何処へ旅するの」と私はマイケルに聞いた。「ヨーロッパへ行こうと思っています」 [続きを読む]
  • ホテル付きのパブの話〜キャンベラ、シドニーの旅
  • *ホテル付きのパブの話 パブ(PUB)とは、Public Houseの略で、要するに居酒屋の事です。こちらのパブは、その建物の隣か2階が必ずホテルになっていた。オーストラリアのパブは、この2件の店でワン・セットになっていた。 オーストラリアでは少し前まで、酒類を売って良いのは、ホテルだけになっていた。それで酒(ビール)を売る為に街角に、或は、街道沿いにホテルを作り、酒を飲ます場所としてパブも作ったのであった。又 [続きを読む]
  • キャンベラ観光とマイケルとの再会〜キャンベラ、シドニーの旅
  • ・昭和44年6月12日(木)晴れ(キャンベラ観光とマイケルとの再会) 今日、ブレインと共に市内見物に出掛けた。最初、我々は“戦争記念館”(オーストラリア人戦没者の慰霊の為に、国が建てた記念館)へ行った。館前にドイツの“列車砲”(貨物車に長砲身・大重量の大砲が備えられている列車)と旧日本海軍の2人乗り用特殊潜航艇が我々を迎えてくれた。 館内は、戦争絵画、ジオラマ、その他展示物があるが、数としては少な [続きを読む]
  • キャンベラへ最後のヒッチの旅〜キャンベラ、シドニーの旅
  • キャンベラ、シドニーの旅・昭和44年6月11日(水)曇り(キャンベラへ最後のヒッチの旅) 私は6月9日に貨物駅(正式名はNSW州有鉄道ダーリング・ハーバー貨物駅『Daring Harbor Goods Station』)の仕事を辞めた。その夜から10日未明に掛けて凄い雷雨があった。稲光と共に響き渡る雷鳴に驚かされてしまった。“冬”(こちらでは6・7・8月が冬)でも、こんな雷雨があるのかと思うほどであった。  オーストラリア [続きを読む]
  • 無気力状態に陥る〜シドニー滞在
  • ・昭和44年6月3日(火)雨(無気力状態に陥る) 今日、仕事に出掛けるのが億劫に感じた。それに雨が降っているのに傘が無かった。面倒くさくなったのでズル休みをし、10時まで寝ていた。5月28日のレントルームをシェエアーしているK氏との意見相違は、良い教訓になった。最近、彼とは話をしなくなっていた。と言うより、今まで語り過ぎていた様だ。 話は変わるが、後2週間でオーストラリアを去り、帰国の途に着くのだ [続きを読む]
  • 空手の先生と出逢う〜シドニー滞在
  • ・昭和44年5月14日(水)晴れ(空手の先生と出逢う) 貨物駅の仕事帰りは、ジョージ・ストリートを横切るか、その通りを少し歩いてウィリアム・ストリートの交差点を右折して帰るのが、私の通常のルートでした。 私がジョージ・ストリートを歩いていたら、スポーツ・センター・ジム(585 George St)があった。外からジムの様子を見していたら、4〜5人の男性が色々な運動器具を使って身体を鍛えていた。又、ジムにはリン [続きを読む]
  • 空手の先生と出逢う〜シドニー滞在
  • ・昭和44年5月14日(水)晴れ(空手の先生と出逢う) 貨物駅の仕事帰りは、ジョージ・ストリートを横切るか、その通りを少し歩いてウィリアム・ストリートの交差点を右折して帰るのが、私の通常のルートでした。 私がジョージ・ストリートを歩いていたら、スポーツ・センター・ジム(585 George St)があった。外からジムの様子を見していたら、4〜5人の男性が色々な運動器具を使って身体を鍛えていた。又、ジムにはリン [続きを読む]
  • 乗船券購入と滞在期間再々延長〜シドニー滞在
  • ・昭和44年5月5日(月)曇り〜12日(月)晴れ(乗船券購入と滞在期間再々延長)・5月5日〜今日、船会社へ行ったら、運良く1人分のキャンセルがあった。それが最後の乗船券であると言うので、その乗船券購入の予約をした。・5月7日〜運良く乗船券が買えるのは、『早く帰国した方が良い』と言う神のお導きなのか。私は所持金を掻き集め、足りない分はシェアルームの同居人K氏から一時借りて、船会社へ買いに行った。(参 [続きを読む]
  • 兄嫁の死、そして帰国を決心〜シドニー滞在
  • ・昭和44年5月1日(木)晴れ(兄嫁の死、そして帰国を決心) 貨物駅の仕事が終え、家族や友達から手紙が来ていないかと思い、YMCAに立ち寄って見た。そうしたら私の妹、昨年の12月18日に帰国していた最初の頃に共に旅をしていた鈴木、そして、ロンドンのレント・ルームに住んでいた頃の階下の女性マリアンから手紙が来ていた。鈴木が無事に帰国出来た事は嬉しかったし、マリアンからの手紙も嬉しかった。しかし、妹か [続きを読む]
  • 滞在期間延長しに移民局へ〜シドニー滞在
  • ・昭和44年4月30日(水)(滞在期間延長しに移民局へ) 滞在期間を延長して貰う為、仕事を休んで移民局へ行きました。朝、バスに入りサッパリして、私の全ての所持金、ならびに岡本から前もって借りた見せ金の100ドルと彼の背広を着て出掛けた。Gパンにジャンバースタイルでは心証を損なうと思い、背広も岡本から借りたのであった。今まで服装には構わず、Gパンやジャンバースタイルでやって来たが、『ここに来て如何して [続きを読む]
  • シドニーのハイド・パーク散策〜シドニー滞在
  • ・昭和44年4月27日(日)晴れ(ハイド・パーク散策) 午前中ゆっくり過ごし、午後、岡本とハイド・パークへ散策に出掛けた。岡本とは4月6日に出逢って以来、時々行き来していた。ハイド・パークと言っても、仕事の行き帰りに公園の脇を通っているので、特に珍しくもなかった。ロンドンにもハイド・パークがあったが、ここの公園もロンドンのそれに劣らぬ美しい公園であった。青々とした芝生、緑の木立、大都会と言っても東 [続きを読む]
  • シドニー貨物駅の話〜シドニー滞在
  • *シドニー貨物駅の話(4月14日〜6月6日まで) こちらも週給制で1週間に一度、賃金は支払われていた。入ったばかりで先週は、支払われなかったが、今日4月29日、“2週間分”(4月14日〜4月24日まで。但し、土日祝日は除く)として74ドル貰った。1日7時間労働で8ドルとチョットとは、余りにも賃金が安かった。しかし、仕事は、非常に楽で、何とも言え無かった。因みにダーウィンでは1日8時間労働で12ド [続きを読む]