池田勝正 さん プロフィール

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池田勝正さん: 戦国大名池田勝正研究所
ハンドル名池田勝正 さん
ブログタイトル戦国大名池田勝正研究所
ブログURLhttp://ike-katsu.blogspot.com
サイト紹介文戦国時代後期に畿内地域で最大の国人勢力であった池田筑後守勝正を研究する日本で唯一のサイトです。
自由文池田筑後守勝正の家臣には、荒木信濃守村重など一族、中川瀬兵衛尉清秀などがおり、また摂津池田家は、阿波国三好一族と血縁関係を持ち、一族的扱いを受けていました。
 そんな池田家の実質的な最後の当主である勝正の生涯を、在野にて研究しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供12回 / 365日(平均0.2回/週) - 参加 2015/07/23 09:35

池田勝正 さんのブログ記事

  • 摂津池田家当主よりも地位の高い池田播磨守正久という人物について
  • 摂津国内の有力国人であった池田氏は、その活動範囲の広さから様々な史料が残っています。ただ、それらは断片的で、連続性が無いために、関連性の判断が非常に難しいところがあります。今回ご紹介する、池田播磨守正久の書状もそのひとつです。いつもの様に、先ずその史料からご紹介します。年記未詳で、無神(10)月20日付けで、今西宮内小輔(春憲)宿所へ宛てたものです。※池田市史(史料編1)P25、豊中市史(史料編1)P115、 [続きを読む]
  • 池田市建石町の竹原山法園寺にあった上月十大夫政重の塔婆
  • 1939年(昭和14)3月発行の『池田町史』法園寺の条に、上月(赤松)十大夫政重についての記述があります。ちなみに同じ寺の名前で2つ、川辺郡、今の尼崎市域にもあります。 また、これは寺に残る寺伝や過去帳なども調べて紹介されているようです。以下にその記述を抜粋します。※池田町史 第一篇 風物詩P135-(資料1)---------------------------------【法園寺】建石町にあり、竹原山と号し、浄土宗知恩院の末寺にして本尊は阿 [続きを読む]
  • 池田市建石町の竹原山法園寺にあった上月十大夫政重の塔婆
  • 1939年(昭和14)3月発行の『池田町史』法園寺の条に、上月(赤松)十大夫政重についての記述があります。ちなみに同じ寺の名前で2つ、川辺郡、今の尼崎市域にもあります。 また、これは寺に残る寺伝や過去帳なども調べて紹介されているようです。以下にその記述を抜粋します。※池田町史 第一篇 風物詩P135-(資料1)---------------------------------【法園寺】建石町にあり、竹原山と号し、浄土宗知恩院の末寺にして本尊は阿 [続きを読む]
  • 池田市建石町の竹原山法園寺にあった上月十大夫政重の塔婆
  • 1939年(昭和14)3月発行の『池田町史』法園寺の条に、上月(赤松)十大夫政重についての記述があります。ちなみに同じ寺の名前で2つ、川辺郡、今の尼崎市域にもあります。 また、これは寺に残る寺伝や過去帳なども調べて紹介されているようです。以下にその記述を抜粋します。※池田町史 第一篇 風物詩P135-(資料1)---------------------------------【法園寺】建石町にあり、竹原山と号し、浄土宗知恩院の末寺にして本尊は阿 [続きを読む]
  • 摂津池田家が滅びた理由
  • 池田勝正を中心に、20年程摂津池田家の事を見ていると、同家がなぜ滅びたのかがわかったような気がします。一つの要素で、また、一人だけがその原因を作った訳ではないのですが、その中でも最も重要な要素があるように思います。 詳しい分析は、また後日に「摂津池田家の支配体制」などの研究を通じてご紹介したいと思いますが、ここではその前哨としての記事にしておきたいと思います。摂津国内において、最も大きな勢力として成 [続きを読む]
  • 戦国武将の戦い方
  • 政治問題の解決方法の一つとして、武力による解決が日常的に行われていた戦国時代、武士は常に「戦い」の研究を行って、備えを怠りませんでした。そんな内乱の時代、摂津国豊嶋郡を本拠とする池田氏も、武士として度々戦場へ出ています。 軍勢を出し、互いに想定した場所が合戦場になり、戦うのですが、勝敗を決めるのは「後巻き(うしろまき)」または「後詰め(ごづめ)」と呼ばれる手立て(勢力)が非常に重要でした。これによ [続きを読む]
  • 池田知正の他にも見られる、山脇系池田氏の人物について
  • 先日ご紹介した、「池田勝正の跡職を継いだ、知正は山脇系池田氏か!?」の項目ですが、以前から気になっていた事とも結びついて、知正の他にも、細河郷東山の山脇系池田氏らしき人物が存在する可能性に気づきました。 この事は、近日公開予定の「細河庄内の東山村と武将山脇氏について」でも詳しくご紹介できればと思いますが、その前哨として、少し散文的に思索をしたいと思います。最近、池田市史など、池田の歴史の中心部分を [続きを読む]
  • 古典『信長記』を読んで繫がる過去と現代、そして未来!
  • 古文書や古典を読んでいると、現代にも通じる出来事や感覚、言葉を随所に見かけ、ハッとすることがあります。そんな時は親近感も覚え、また、深く感じ入ります。ちょっと一息というか、歴史研究の面白さの一端として、そういう記述を抜き出して、時々ご紹介してみようと思います。今回は、小瀬甫庵が記した『信長記』にあるフレーズをご紹介しようと思います。「六条本圀寺の事」の条にあるものです。その状況は、永禄11年(1568) [続きを読む]
  • 摂津池田とも接点があった加賀国豪商銭屋五兵衛の活動
  • 川西市寺畑にある栄根寺廃寺遺跡史跡公園に、加賀国宮腰の豪商銭屋五兵衛の顕彰碑があります。この栄根寺跡には、銭屋五兵衛の事を知りたくて訪ねたのでは無く、荒木村重の本拠地が、この近くの栄根村でその周辺を治めていたという伝承があって、その立地を見ようと訪ねたのでした。ここは、以前にも何度か訪ねた事があったのですが、今年のゴールデンウイークに状況が調ったので訪ねてみました。荒木村重の事は、別のコラムで詳し [続きを読む]
  • 池田勝正の跡職を継いだ、知正は山脇系池田氏か!?
  • 詳しくはまた、東山町と戦国武将山脇氏でご紹介できればと思いますが、永年気になっていた、池田知正について、最近何となく解ってきたような気がしています。以下のような点について、気になる要素がありました。池田知正は民部丞を名乗ったか。池田久左衛門尉と荒木久左衛門尉は同一人物か。池田知正は、勝正の弟か。知正は正式な池田家惣領か。以下、上記の要素の答えです。知正が民部丞を名乗ったとする記述は、系図に見られる [続きを読む]
  • 摂津池田城下にあった万願寺屋は荒木村重と関係する!?
  • 大正時代頃の酒造家の万願寺屋跡(池田町史より)満願寺屋は池田の歴史を語る上では、避けて通れない要素で、その歴史は広くて深いので、これだけを取り上げても相当なボリュームになります。詳しくはまた後日に譲るとしまして、戦国時代と万願寺屋の関係についてご紹介したいと思います。この万願寺屋は、荒木村重とも関係するとされているのですが、その詳しい事はわかっていません。伝えによると、応仁年間(1467-69)頃から池 [続きを読む]
  • 摂津池田城の縄張り概念は、五月山山上にまで及んでいた!?
  • 戦国大名池田筑後守勝正研究の核心である、勝正そのものの事実や家の事、また、その本拠たる池田城の事をしっかりとご紹介する事をそろそろしないといけません。 摂津池田氏については、滅びた家だけに、総合的な検証もなければ、史料も無いため、これまでは、史料集めを兼ねたその外郭部分を見てきたのですが、少しずつ中心部分のことも見えるようになってきています。かといって、今日明日にご紹介いただけるような状態でもない [続きを読む]