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2015/07/28

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  • 3年経ちました。

    今月末で、治療をやめて丸3年経ちました。こうして、このブログを書こうと思うってことは、経った時間を意識している、ということなのだろうと思います^^ 3年。母が認知症と診断されて1年半くらい。母の様子も状況も目まぐるしく変わっていく

  • シアワセのカタチいろいろ。

    ドラマ「隣の家族は青く見える」が終わりましたね。 ドラマの番宣をみた時、不妊治療を取り上げているドラマだと知って、見ようかどうしようか、見たら自分の感情がまた揺さぶられてしまうのではないか、と思いつつ、結局、録画をして、翌日のお昼

  • 見え方は同じでも。

     今月末で、治療卒業すると決めてから2年となります。 今年に入って、母の病院へ行くようになってからのこの半年ちょっと、あっという間に過ぎてしまいました。治療をやめてからの1年間は、出来る限り自分を甘やかそうと思って、思う

  • 新たな試練。

    2017年。も、もう3月に入りました。治療を終えてからの日々は、たくさんのことをしているにも関わらず、不思議とゆっくりとした時間の流れを感じていました。  年が明けての間もなく、ここ何年か気になっていた母の病院を予約し、

  • 1年経ちました。

     治療をやめると心を決めたあの日から1年経ちました。 治療中には出来なかったことをたくさんしたこと、始めたくても始められなかったことを始めたこと、兄のところに第二子が誕生したこと、そして新しい家族としてワンコを迎えたこと

  • 自分の頑張りの証(あかし)。

    年も明けて、もう3月。私はひどい花粉症なので、目はカユカユで真っ赤。お鼻もかみすぎて真っ赤。ひどい有様ですが、今年もこうしてこの季節がきて、そして、春になっていく。去年の秋に家族として迎えいれたわんこも、7ヶ月になり、赤ちゃんだったのが最近

  • 私にとっての希望であり、そして。

    気がつけばもうすっかり秋めいてきてて、朝晩の肌寒い感じが嬉しかったり、何だか物悲しかったり。。。「蘇りの地」に行ってきて、すぐに私の人生蘇ったか、といえばそういうものではないけれど、それでもやっぱり、前へ進んだ気がしています。先週末の連休に

  • 蘇りの地で。

    毎日雨が続いています。1日1日、雨が降るごとに季節が変わっていくのを感じます。先月8月の終わり、42歳になりました。35歳から治療を始めて、当初は40歳までと思って足を踏み込んだけれど、そこから2年近くかかり、つい何ヶ月か前、治療を終えるこ

  • 薄紙を剥ぐように。

    少しずつ、空の様子や肌に感じる風の具合で季節が変わってきてるように感じるこの頃。最後の移植からリセットして、そこから20日程度でもう生理がきてしまった。あらあら、ホルモンバランスがかなり崩れているなあ、と少し落ち込んだりしたけど、やっと、ず

  • じわじわと。

    世間は夏休み真っ只中。平日お昼間に外へ出ても、週末に主人と出かけても、家族連れがたくさん。治療中そして治療をやめようと考え始めてからも、本当に治療を終える今になるまでは、小さな子どもとその親たちをみても、心がざわつくことはなく、微笑ましくさ

  • その後の体調やらいろいろと。

    最後の移植後、リセットして2週間がたった。出血が始まってから、いつもならないはずの胸の痛みがひどくなり、それは10日くらい日々ひどくなるような感じで、少し不安になるくらいのものだった。体温も、きちんと下がりきらず高めのまま。出血はきちんとど

  • 身に付いてしまったこと。

    長い治療期間で、すっかり身に付いてしまったことはいくつかある。いつからか、外を出歩いていると、必ず「妊婦」を見つけてしまう。必ず、だ。後ろ姿だろうが、何だろうが、お腹がまだ膨らんでいなくても、気配でわかるのだ。あれ?と思うと、必ずといってい

  • 友人との距離。

    私が治療を始めたのは35歳。親しい友人は、すでに子どもがいて、子育てに忙しくなっている頃だった。結婚も友人の中では1番最後だったので、友人に赤ちゃんが産まれたら、もともと子どもが好きだったこともあったし、本当に喜んで会いにいった。私はもとも

  • 治療の受け止め方。人それぞれ。

    治療をしていることをオープンにしている人とそうでない人といると思う。私は、性格的にも言ってしまっていた方が楽だと思っていたので、関わる人には「治療しています」と普通に言っていた。でも私より長い治療期間を過ごしている友人は、会社にも友人にも、

  • 治療の受け止め方。夫と私。

    不妊治療は、ひとりでは出来ない。会社勤めをしていれば会社の人たちの理解、周りの人の協力なしには難しい。そして、必ず夫の協力が必要となるけど、少なからず、治療をしていく中で夫との気持ちのずれ、距離感を感じてこない人はいないんじゃないか、、と思

  • 母への気持ち。

    今日で、リセットしてから4日目。ホルモン補充しているときのリセットは、通常の生理より、量も痛さも増す。あと何日かしたら、きっと、痛みもなくなり、元気になっていくのだろう。今回、リセットして最後の移植もダメだったと母へ報告をしたときの母の落胆

  • 「引き際」を考える。

    長い治療期間を終えることを決めるために、いろいろ考えたことのひとつに、人生を行きていく中で「引き際」をどう自分で決めるかってことだった。私は、「引き際」に人間性がすべてあらわれるものだと常々思っていて、ここ2年くらいは、ずっと、自分がいざそ

  • 「終わり」を迎えて。

    最後の移植の結果は、今までで1番早く、判定日を待たずしてやってきてしまった。判定日3日前には、生理前の痛みとともに出血らしきものが始まった。そして、判定日前日にはすっかり、出血が始まってしまった。何てことだ。移植後はいつもの通り、ホルモン剤

  • 最後の移植を終えて。

    無事に移植の日を迎えられた。1年近く眠っていた最後の受精卵も、無事に融解されて、特に大きな問題はないとのこと。内膜も、11ミリを超えている。まあ、最後の移植としては、今出来る範囲での十分な準備が出来たように思う。全てが、「これが最後だ」と、

  • 最後の移植に向けて。

    最後の移植に向けての治療が始まった。といっても、全くの自然周期での移植なので、ひたすら排卵するのを待つ日々。7ヶ月ぶりに病院を再開させて、今日の通院で3回目。先週から1日おき、もしくは2日おきでの通院。今日の内診では、卵胞は17ミリちょっと

  • 私の終わり方。

    最後の移植は、特に積極的治療はしないで、自然周期でそのまま待っていてくれた受精卵を戻すだけに決めた。ここに至るまで、ものすごく考えた。先生に最後提案されていたのが、最後に採卵をして、その受精卵とともに凍結してある卵を戻す、ということだった。

  • 悩む、悩む。

    2015年、現在。いよいよ最後の治療に取りかかることにした。去年の11月ぶり。今回病院を再開させるにあたって、ものすごく考えたことは、どうやって最後を迎えようか、最後の治療はどのようにしようか、ということだった。去年11月、最後の採卵に向け

  • 思い通りにいかない日々。

    2014年9月〜11月この月も、排卵確認の通院を重ねていたが、思いもよらず排卵してしまっていた。そしてまた移植は出来ず。。この頃から、自分の身体の調子にひどく自信がなくなってきていた。今までは普通に出来てきたことが、ひとつひとつスムーズに進

  • 最後の採卵。

    2014年7月〜8月この頃、まだこれが最後の採卵にする、とは強く意識していなかったと思う。だけど、結果的に最後の採卵になった。7月のおわり、3つの卵が採れ、3つとも無事に受精し凍結出来た。そして、8月、移植への準備。いつもの流れで、排卵確認

  • 最後の追い込み。

    2014年2月〜6月その後、2月に自然周期で2つ戻すことになった。2つの決して悪くもない受精卵を無事に戻した。が、やはりダメだった。内膜の状態も悪くない、受精卵の状態も悪くない、それでも妊娠しない。そんな状況に、先生もだんだん、どうしてだろ

  • 再度、もとのクリニックへ。

    2013年6月〜12月有名クリニックでの最初の移植で、かなりくたびれてしまった私は、確かな技術を感じたし、まだ1回しか移植をしてなかったわけだからまだこれから、と思わなくもなかったけれど、やっぱり、あの長時間の待ち時間と、名前もわからない毎

  • スムーズにいかない日々。

    2013年1月〜5月新しい3つ目のクリニックでの、初めての移植。結果は、なんと、着床していた!ビックリした。やっぱり、技術力はすごいのかもしれない。妊娠を表す最初のホルモン値としては十分な値が出ていた。でもなぜか、喜べなかった。というか、ど

  • 更なる転院へ。

    年が明けて、2013年。昨年末に、初めて、採卵した卵が凍結出来なかったという現実が、私を焦らせたと思う。関東ではかなりな有名なクリニックへの転院を考えた。そこは、「最後の砦」と全国からも通ってくるような超がつく有名な病院だった。治療を始めた

  • 新たな出発。

    2012年3月〜12月転院先の病院では、何人か先生がいましたが、友人が薦めてくれた先生にしました。初診では、今までの治療履歴をきちんと聞いて下さり、誘発によっての2度の入院、手術のことも、「これからは絶対にそのようなことはないからね」と言っ

  • 転院を決める。

    2012年3月年が明け、自分の気持ちにそっていこうと思っていました。卵巣をひとつ失くし、流産の手術をして、精神的に強い方だとは思ってはいるけど、それでも、私の中でエネルギーは低下していたと思います。あんな思いしたのだから、と主人や母は、もう

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