noriko さん プロフィール

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norikoさん: 姉と私の461日間。
ハンドル名noriko さん
ブログタイトル姉と私の461日間。
ブログURLhttp://s.ameblo.jp/sanmanogokazoku/
サイト紹介文2015年7月1日最愛の姉が天国へ。大腸癌発覚から別れの日迄の姉と私の461日間と今思う事を綴ります
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供9回 / 365日(平均0.2回/週) - 参加 2015/07/28 14:13

noriko さんのブログ記事

  • 2015年7月1日の事
  • あの日の朝の事をはっきりと覚えている。一年前のちょうど今日だ。私は母と7月1日の朝を迎えられた事に少し安堵していた。緊張は続いていたけど、6月をやっと終えられたと新しい朝に感謝した。「うちは昔から6月は良くないから気を付けなきゃいけない。」祖母がいつもそう言っていたからだ。症状や痛みが激しくなるのは大体深夜で、外が白んできた頃に少しだけ眠ってくれた。今日は落ち着くのが、随分遅かったな…ほっとした頃に [続きを読む]
  • 思い出を塗り替える
  • プレゼントは要らないと言った。わたしは一生喪中だから。誕生日はもうやめた。するとそんなのダメだ。誕生日は感謝祭なんだから。と、友人のよっしーは言った。それはそーなんだけど。。。頭ではわかってるんだけど状態のままこの時この話は終わっていた。そして誕生日当日。宅配ボックスにはよっしーからのプレゼントが届いていた。『女子の弁当箱はどれも小さくて足りやしない!かと言って男らしい弁当箱を使う勇気もまだない [続きを読む]
  • 多分がんばっているのだと思います。
  • 姉の闘病中の事を細かく記していきたのだけど、ある時期からそれをなるべく思い出さない努力をしてきたため、『何日に何々があった』という事をパッと思いせなくなってしまった。治った後で笑いながら姉に読んであげようと半ば念をこめて日記を付けていたから、見返せば思い出すのだけど、それはまた少しずつ綴ろうと思う。先に私のこの一年を綴ろう。前にも書いたかも知れないけど、共感は癒しになる。『そーだよね、わかる。』 [続きを読む]
  • もうすぐ一年
  • もうすぐ誕生日だ。私の。6月26日。昨年の今頃は、本当に辛かった。これ以上苦しい日々を過ごす事なんてもうないと思う。主治医からは、もう間も無くだと言われていたけど、諦められなかったから奇跡が起こる事を念じていた。真剣に蘇生する可能性を信じていた。7/1に旅立つことになる姉は、既に意識が朦朧としていたため、その日が6月26日である事を認識出来てはいなかった。生まれてからずっーと私以上に私の誕生日を楽しみにし [続きを読む]
  • 最近
  • 最近、姉に関してやらなくてはいけない事を粛々と進めていたら、完全に?もう何もやりたくない病?に陥り、やらなくてはいけない事以外は本当に何もやらずに時間だけが過ぎてしまいました。故にブログ更新も滞り、『大丈夫?!』とのメッセージを頂いたりもしましたが、大丈夫です。生きてます。気にかけてくださった皆様、ありがとうございましたm(_ _)mやらなくてはいけない事とは姉のメールの整理やその他諸々の解約の手続きな [続きを読む]
  • 私のともだち
  • 姉との別れは私の人生で断トツに悲しい出来事だ。今までも、これからだって、こんな悲しい事は無いと思う。というよりこれ以上の悲しい出来事はもう無理だ。自分が半分もぎ取られた感覚?半分いなくなった感覚?半分を持っていかれた感覚?そんな感じだ。『私にもきょうだいがいるけど、いなくなるなんて想像も出来ない。だから辛いと思う。』と慰められる事がある。私だって、姉とこんなに早く別れなくちゃいけないなんて想像も [続きを読む]
  • 仕方ない。
  • 姉がこの世からいなくなって10/1で92回目の朝を迎えた。3回目の月命日だ。先月も思ったことだが、早くもなく、遅くもなかった。ただ時間が過ぎてくれる事がありがたい。だけど、この1カ月間でこれまでとは違うなぁーと感じた事がある。暮らしていくには、日常を取り戻さなくてはならない。少しずつではあるが動き始め、そんな中で姉の存在を知らない人と関わる機会が何回かあった。そんな時、会話の中で「きょうだいは?」と聞か [続きを読む]
  • 入院2日目(4)告知のとき
  • ナースステーションから、明るい未来への拍手や激励の声が漏れ聞こえてくる部屋で、主治医から検査の結果と手術の説明が始まった。主な内容は以下の通り。・病名は直腸癌。・リンパ節、肝臓に転移しているためステージは4。・原発である大腸の癌は開腹ではなく、腹腔鏡にて手術する。・リンパ節への転移も可能な限り全て取り除く予定。・ギリギリ肛門は残る。あと数センチ下だったらストーマ(人工肛門)だった。・転移した肝臓に [続きを読む]
  • 癌になった夢をみた
  • それは稀に見る本気の夢で、荒唐無稽に流れるいかにもな夢ではなくて、目覚めた後に?なんだ夢だったのか?と改めて思う程、なんと言うか真剣に過ごした(気がした)時間だった。私は診察室にいて癌だと宣告された。相当進んでいるけど、まだ世に出回っていない画期的な手術で治るかもしれないと言う。その内容は斬新で、癌になった臓器を全摘し、そこに自分の腸を使ってつくった新たな臓器を繋げそして馴染ませて、ナントカカン [続きを読む]
  • 入院2日目(3)
  • そうこうしている内に次の検査の時間になりその足で検査室に向かった。姉が検査をしている間、私は母と二人で話をした。「大丈夫、何をしたって治すから。いくらかかってもいい。家や土地を売ってでも何でもやるから。今は昔とちがって医療も進んでるからガンだって治るんだから。絶対に治すから。」冷静にそう言っていた。母は薬や医者嫌いの典型だったから、医療を積極的に受けようという姉本人の意見と同意見だということに少 [続きを読む]
  • 入院2日目 (2)
  • 突然かかってきた電話で姉は泣いていた。「何が?どーした??」焦って聞いた。「ダメだったって。転移してたって。肝臓に。結構広がってるから手術出来ないって」泣きながら姉はそう言った。まさかだった。第一声何と答えたのかは覚えていない。えー?!?!って感じの事だったと思う。でもその時私は泣かなかった。姉が既に泣いていたから、気が張ったのだと思う。とりあえず時計をみた。9時前だった。面会は12時からだ。『面会 [続きを読む]
  • 住んでいた街を歩く
  • 日本橋近辺に行ってきた。癌である事が発覚した時に私達が住んでいた街だ。どうかなと恐る恐る改札を抜けたけど、やはりダメだった。完敗だ。駅を降り、街の景色を見た途端涙が出た。病気が発覚してから、ワケあって3ヶ月後に引っ越しをした。姉のお気に入りだった街。いい思い出も悪い思い出もみんな残る街。病気になっていなければ、今も住んでいたと思われ、だから涙が流れたのかもしれない。所用を終え、気持ちが落ち着いたと [続きを読む]
  • 鎮痛剤を飲みながら
  • 悲しいは悲しいのだけど、姉の闘病中ほど、泣いていない。思うこと。の記事でも書いたが、悲しいのは私だけで、姉はもう苦しんでいないという事実に救われているからだ。だけど、ツラさはあの頃程ではないとは言え、悲しみは今の方が強い。会いたくなって、でも絶対会えないというあたりまえの事実を前に悲しみのドツボにはまる。姉の闘病中に私は泣きすぎて、よく鎮痛剤を飲んでいた。心の痛みをとるためではない。もちろん。泣 [続きを読む]
  • 入院2日目
  • 入院2日目。2015/3/31のこと。その日は夕方17時から、初めてT病院を訪れた日に行った検査の結果と、4/2に行なわれる大腸ガン摘出手術についての説明を、主治医のA先生から家族揃って聞くことになっていた。私はとにかく朝から不安で落ち着かなかった。それまでの人生で、入試や就職活動、資格試験等々、結果を待つ場面を人並程度に経験してきたつもりだが、その落ち着かない度数はそれまでの結果待ち場面の中で断トツだった。とは [続きを読む]
  • 懺悔というかみそぎというか
  • 前回の投稿で闘病記録が進まないと書いてしまったばっかりに、このブログを読んでくださっている何人かの方から大丈夫か?とのご心配を頂きまして大変恐縮しながらありがたいなぁと思っています。『闘病のこと。』のテーマで書くことがちょっと辛くなっていただけで、こうしてブログ自体を綴る事に苦しさはありません。なんか、、、ほんとありがとうございます。さていつか始めようと思っていた事だか、姉が遺した、というか残し [続きを読む]
  • 闘病記録が進まない
  • ここ最近、闘病記録が進まない。過去を回想してアウトプットすることにより、湧き出てくる悲しさやら後悔やらの感情を一緒に垂れ流していたのだけど逆に今はあの頃を思い返すのがちょっと苦しい。なぜだろう?理由はわからない。知り合いには闘病記録を書き終えた後でこのブログの存在をお伝えしようと思っていた。だから誰にも言わずに書いてきた。だけど思うところがあり少し前に周囲の方々にお伝えした。姉はごく数人の人にし [続きを読む]
  • ビーズのブレスレット
  • 入院した日の午後の事。気を紛らせる為に、「ビーズやろっか!」と言ってデイルームでアクセサリー作りを始めた。途中で時折見せる姉の不安そうな表情に気付かない振りをして、あーでもない、こーでもないとどうでもいい事を話ながら努めて明るく過ごした。入院前日の買い物の時に、アクセサリーパーツの専門店に寄った。その頃私達は来たる夏のシーズンに向けて夏アクセを作ることにハマっていて、自分よりも付き添いの私が病院 [続きを読む]
  • 入院当日(2)
  • 入院した日、初めて会った若い先生の説明では、『主治医のA先生や入院の手続きをして下さったB先生は日曜日でお休みのため今日はいない。検査の結果は出ているが、主治医からでないと伝えられないから僕からは今は言えない。今日は主治医がいないから、結果は分かっているけど僕は言えない。』という事だったからかなり焦った。?検査ノ結果ハ出テル、僕ハ言エナイ?という事をわざわざ繰り返してまで敢えて強調するという事はそ [続きを読む]
  • 50日目。
  • 姉が旅立って50日目の今日、私は実家から東京の自宅に戻ってきた。お坊さんいわく、人は死後、7日間×7回 =49日目で霊から仏になるそうで。ざっくり言うと、49日間で色々と新人研修的な?行?を終えて霊から仏になるらしい。四十九日法要は盆前に済ませたが、今日は姉のお気に入りだった和食レストランに行き、「姉ちゃん、49日間の行、オツカレ!」と、母と2人で姉の労いの会を開いた。姉が好きだったものを注文し母の隣の席に [続きを読む]
  • 入院当日(1)
  • 2015/3/30日曜日の入院当日。11時に来るようにと言われ時間通りに入ったものの、まだベッドが準備出来ていないからとりあえず待機のためにと個室に通された。待機の為の部屋に荷物を広げる訳にもいかないし、かと言って何もやる事はない。ベッドが空くのは午後になると言われ、私達は少し院内を探検してからランチをしに雨の中外に出た。オフィスビル街のそこは、日曜日のためほとんどのお店が閉まっていた。OPENしていたイタリア [続きを読む]
  • 入院前日
  • 母のまさかの反応から一夜明けた土曜日の朝、翌日からの入院に必要なものを揃えるために2人で買い物に行った。当時は日本橋に住んでいたから買い物は大体銀座だった。下着やスリッパその他諸々の入院グッズを一通り買い終えた頃、入院前の最後の晩餐として美味しいつけ麺が食べたい!と姉が言うので、美味しいつけ麺屋さんをスマホで探した。私はお店チョイスにセンスがない。用意周到に調べても微妙だし、なんとなく入るお店はさ [続きを読む]
  • 母に告げる?
  • 姉から母との電話をバトンタッチされた私。「もしもし。で、母はどうしたらいいの?」感情がおかしくなっている母はぶっきら棒にそう言った。「じゃあ、月曜日(3/31)の夕方に先生からの話があるから、当日の昼過ぎに上野で待ち合わせしよう。上野まで迎えに行くから。電車の時間は調べてメールするよ。」そう言うと、「分かった。じゃあ調べてメールして」と言って電話を切った。参ったな、そう思った。隣にいた姉は、「どーすれ [続きを読む]
  • 母に告げる?
  • 癌になった事をいよいよ母に伝える時が来た。娘が癌だなんて、こんなに親不孝な事はない。ましてや子宮の手術を終えて特に術後トラブルがない事にやれやれと一息ついたばっかりだ。申し訳なさと、母がショックを受けてどうにかなってしまうのではないかという心配と、不安を与えずに伝えるにはどう話すのが効果的かなど、色々な気持ちが入り混じった不安の中で姉は母に電話をかけた。「もしもし、今大丈夫? あのさー、年末 [続きを読む]
  • 検査
  • 入院の日にちが決定し、それから検査のため病院内をあちこちまわった。血液検査、レントゲン、肺機能、CT、、、細い事内容は忘れたけど、あちこちまわった記憶がある。そしてもろもろの結果は2日後入院した際に聞く事になった。昨夜の時点では、とにかく行ってみなくてはこれからの事はわからないと思っていたが、その日のうちに検査も出来て入院の日程まで決められた。前月に受けた子宮の手術のときは、病気が発覚して、↓とりあ [続きを読む]
  • 思うこと。〜やめない理由〜
  • 闘病中と姉のいない今、どちらが辛いかと言えば闘病中の方だ。そしてどちらが悲しいかと言えばそれは今だ。でも悲しいのは自分だけ。この事実に救われている。もう姉は辛い思いはしていない、痛みや苦しみから解放された、と思うと悲しくても心が少し軽くなる。自分よりも大切な人が苦しむ姿を見ているのは本当に辛かった。代わる事もできないし、痛みや苦しみを分けてもらう事もできない、それが更に私の心の痛みを増幅させた。 [続きを読む]