くま(福岡産) さん プロフィール

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くま(福岡産)さん: 福岡博多の昔の話
ハンドル名くま(福岡産) さん
ブログタイトル福岡博多の昔の話
ブログURLhttp://fukuhakusekijou.blog.fc2.com/
サイト紹介文福岡,博多の昔のことについて,思い付くままに。福岡市章の由来から,福岡・博多の市名論争,午砲など。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供14回 / 365日(平均0.3回/週) - 参加 2015/08/04 22:45

くま(福岡産) さんのブログ記事

  • 福岡市の都市計画の始まり(その4)
  • ●福岡都市計画用途地域の決定 前回と前々回は,昭和6(1928)年の都市計画道路(都市計画街路)の決定についてでした。 今回は,同時期に決定された用途地域についてです。 用途地域は市街地建築物法(大正8年法律第37号)で定められました。第一條 主務大臣ハ本法ヲ適用スル區域内ニ住居地域、商業地域又ハ工業地域ヲ指定スルコトヲ得第二條 建築物ニシテ住居ノ安寧ヲ害スル虞アル用途ニ供スルモノハ住居地域内ニ之ヲ建築スルコ [続きを読む]
  • 福岡市の都市計画の始まり(その3)
  • ●福岡都市計画街路の決定 その2 前回,昭和6(1928)年の都市計画道路(都市計画街路)の決定について手持ちの地図を御覧いただきました。 このとき国立公文書館のデジタルアーカイブへのリンクを張っていたのですが,ちょっと分かりにくかったかと反省しています。 さて,この都市計画道路決定の文書なんですが,「理由書」が添付されています。 その一部分を少し引用させていただきます。「将来ノ福岡市ハ博多港ヲ中心トスル [続きを読む]
  • 福岡市の都市計画の始まり(その2)
  • ●福岡都市計画街路の決定 手持ちの地図の紹介と併せて,福岡市の都市計画の始まりの話を少しだけさせていただきます。 「福岡市は、大正 12 年に旧都市計画法の適用を受け、同 14 年に最初の都市計画区域の決定を行った。続いて昭和 6 年に用途地域と都市計画道路の決定を行ったが、このことが本市における近代的な都市計画のはじまりといえる。」(平成28年度福岡市住宅都市局事業概要,P.19) ということで、前回は,大正14年 [続きを読む]
  • 福岡市の都市計画の始まり(その1)
  • ●福岡都市計画区域の決定 手持ちの地図の紹介と併せて,福岡市の都市計画の始まりの話を少しだけさせていただきます。 「福岡市は、大正 12 年に旧都市計画法の適用を受け、同 14 年に最初の都市計画区域の決定を行った。続いて昭和 6 年に用途地域と都市計画道路の決定を行ったが、このことが本市における近代的な都市計画のはじまりといえる。」(平成28年度福岡市住宅都市局事業概要,P.19)とあるように,福岡市の都市計画は [続きを読む]
  • 松竹屋橋(現:三光橋)
  • ●松竹屋橋(現:三光橋) 以前,福岡の橋の中で,西中島橋について書いたことがありました。 今回は,明治10年の筑紫新聞の記事に松竹屋橋(現:三光橋)について興味深いものがありましたので,ご紹介します。 現在,三光橋は国体道路と薬院新川が交差する地点で,交差点の名称でも知られています。 薬院新川は明治13年の三原恕平編集「福岡区地誌」によると「新川」と呼ばれており,深い所は3尺(約90cm),浅い所は5寸( [続きを読む]
  • 西南学院創立100周年
  • ●2016年は西南学院創立100周年 中高大いずれも在学・卒業とも他の学校でしたが,ひょんなことから西南学院関係の写真を入手しましたので,お祝いとしてUPしたいと思います。 ■大正10年3月中学部第1回卒業 CK.ドージャー院長が写っています。左上は昨年2015年に撮影した同じ場所の写真。 ■大正11年3月 CK.ドージャー氏とともに来日し,西南学院の創立に関わり,後にC.K.ドージャー氏が日曜日問題で院長を辞任した後第3代院 [続きを読む]
  • ドンの前の時鐘 再説(6)
  • ●福岡の時号鐘,水鏡神社へ移管の確認 ドンの前の時鐘 再説(5)では,時鐘が水鏡神社に移管されていること,そのことを調べるため水鏡天満宮に尋ねてみると記していました。 平成28年10月23日に水鏡天満宮へ参拝し,社務所で尋ねたものの,戦災で書類,金属類は全く残っておらず,何も分からないとの一言でした。残念です。●福岡の時号鐘とりあえずのまとめ ということで,現在判明しているものを時系列で整理してみます。 [続きを読む]
  • ドンの前の時鐘 再説(5)
  • ●明治17年に時号鐘は廃止じゃないの? ドンの前の時鐘 再説(4)では,時鐘の廃止について,福岡市誌の記述から下記のように記していました。 「福岡区で建てた鐘楼を福岡県に返戻し,明治13年12月8日に試し撞きし,始まった時号鐘は、福岡市誌によると明治17年に廃止されたとされています。 残念ながら,調べたものの,この廃止の経緯は全く分かりませんでした。」 そして,明治17年2月の福岡区役所新築移転や明治17年8月2 [続きを読む]
  • 明治 福岡事始め(暴風警報信号柱)
  •  福岡博多では時報のドン(号砲)も当初私費で設置されましたが,暴風警報を報せる信号柱も私費で建設されています。 明治18年8月10日のことです。 日経の記事によると全国で暴風警報が初めて発せられたのが,明治16年5月26日,天気予報が初めて発せられたのが明治17年6月17日とされており,信号柱の最初は年月日が記載されていないものの東京・品川とされています。(倉嶋厚気象庁予報課・防災気象官「海の気象学史(3)」(日 [続きを読む]
  • 明治 福岡事始め(貸し自転車)
  •  日本の貸し自転車の始まりとしては明治10(1877)年横浜元町の石川孫右衛門が知られています。前年に東京の下谷区で三輪自転車の貸し自転車屋があったとするWEBサイトもあります。 それから遅れること10年。明治20年の福岡日日新聞に「自轉車乗塲」の記事を発見しました。 場所は博多中島町濱新地。創業者は,博多中島屋町の熊谷清次郎と松永專次郎の両氏です。会社名は「萬進?」。 明治20年9月2日付の福岡日日新聞記事によ [続きを読む]
  • 明治 福岡事始め(パン屋)
  •  福岡の最古のパン屋としては,「三好屋」(明治30 年創業、平成18年休業)が知られています。 それを遡ること10年。明治20年の福岡日日新聞に「食用麺麭の製造」の記事を発見しました。 製造者は,博多上金屋町の半田甚三郎(職工:村田亦次郎)氏です。 明治20年8月25日付の福岡日日新聞記事によると「近來食物改良の説起りて食用パンの需要は追々に盛なる時なるも當區内には菓子パンの外未だ完全なる食用パンの製造家無く縣 [続きを読む]
  • 続 石城,お台場,そしてドン
  • 號砲手について三たび 石城,お台場,そしてドン(8),同(9)において,號砲手について検証し,当初の石城,お台場,そしてドン(1)の記事を以下のように修正しました。初代(M21〜?)→明治21年(月日不詳)から明治30年2月下旬(號砲手死亡)(?)まで黒田藩砲術家末永巴明治36年3月2日から少なくとも大正5年9月12日(九州日報掲載日)まで→明治36年3月2日から少なくとも大正8年10月31日(市制実施30年記念祝賀会開催 [続きを読む]
  • ドンの後のモーターサイレン
  • ドン(午砲)はなぜなくなった? 明治21年以降,昭和6年に市役所楼上のモーターサイレンに取って代わられるまで,ドンは福博の町に時を報せていました。 さて,なぜ廃止され,モーターサイレンに変えられたのでしょうか? それを説明するものとして,昭和6年3月23日に開催された福岡市継続市会の会議録があります。 昭和6年度予算の市長の提案理由説明に続く,石橋市会議員からの質問と市当局の答弁が残されています。1  [続きを読む]
  • 福博の町の名称−「中島町」から「博多中島町」へ
  • 町名に「福岡」「博多」が付いた日 Wikipediaで「福岡市の地名」を見てみると「福岡市発足当初の町名福岡区152町(福岡地区54町、博多地区98町)と、周囲の村の各一部を編入し、福岡市が発足する。152町はそのまま福岡市に引き継がれ、その後1町が新しく発足する。周囲から編入された地区は、隣接する町に編入されるか、新しい町(2町)となった。これにより、福岡市は1896年までに155町となった。これらの町は福岡地区・博多地区 [続きを読む]
  • ドンの前の時鐘 再説(4)
  • 時号鐘はなぜなくなった? 福岡区で建てた鐘楼を福岡県に返戻し,明治13年12月8日に試し撞きし,始まった時号鐘は、福岡市誌によると明治17年に廃止されたとされています。 残念ながら,調べたものの,この廃止の経緯は全く分かりませんでした。 鐘楼建設に関するいざこざは福岡区会の記録や福岡日日新聞から判明したのですが,廃止とされた時期の区会の記録は福岡市議会にも残っていません。また,マイクロフィルム化された福 [続きを読む]
  • ドンの前の時鐘 再説(3)
  • 県令に返戻された時号鐘はどうなった? すったもんだの挙げ句,出どこに戻してしまえというまさかの判断で,福岡区役所に建てられた鐘楼はその後どうなったのでしょうか? 結論から言えば,福岡市誌によると「明治12年に時号鐘が創設され、同17年に廃止された」わけですから,市会の判断通り数年は県で運用されたのでしょう。 残念ながら,福岡県に於いて,「県史」は基本的に江戸時代まで。明治は,特定の分野のみの編纂にとど [続きを読む]
  • ドンの前の時鐘 再説(2)
  • 今回は「時号鐘を巡る区会の紛議」です。■区会の開始 明治13年12月2日に区長が召集して11:30に福岡区会臨時会が県庁構内の会議所で開催されました。 まずは,一番到着議員の熊谷又七氏が仮議長に就き,議員番号を抽籤で定め,その後木山喜八氏を議長に,兒島義郎氏を副議長に選出し,議事細則の改正を議論しました。 そして,いよいよ鐘楼の議案に入ります。実質的な審議は昼休憩後の14:00に再開されました。 まずは,区書記 [続きを読む]
  • ドンの前の時鐘 再説(1)
  • 平成27(2015)年7月14日付けの「石城,お台場,そしてドン(3)」で「ドンの前に時号鐘?」として 明治12年に時号鐘が創設され、同17年に廃止されたことが、福岡市誌に記載されており,詳細が不明だとしていました。 また,8月の追記で,もしかすると城内お時櫓の時鐘か?とも記載していました。 しかし,その後の調査で設置場所は城内でないことが確実になりました。  場所は,「福岡区役所」。 鐘撞きのために福岡区役所敷 [続きを読む]
  • 福岡博 50年前に想像した2016年(2)
  • 今から50年前の博覧会「福岡大博覧会」 今から50年前の1966(昭和41)年西日本新聞社主催で開催された福岡大博覧会の紀念冊子「福岡博記念ブック」です。 会場は大濠公園で,前回紹介した東亜勧業博覧会とは反対側の現在児童遊園,スターバックス,福岡市美術館などがある所です。 その記念ブックから,今回は50年後(つまり今年)の九州・山口について少し紹介してみます。「50年後の九州・山口」 豊かな生活の花 港には10万 [続きを読む]
  • 福岡博 50年前に想像した2016年(1)
  • 今から50年前の博覧会「福岡大博覧会」 2016(平成28)年に入手したのも何かの縁でしょう。 今から50年前の1966(昭和41)年西日本新聞社主催で開催された福岡大博覧会の紀念冊子「福岡博記念ブック」です。 会場は大濠公園で,前回紹介した東亜勧業博覧会とは反対側の現在児童遊園,スターバックス,福岡市美術館などがある所です。 その記念ブックから少し紹介してみます。「あすの電化ハウス あすの住まいはこんなふうに… [続きを読む]
  • 昭和2年開催:東亜勧業博覧会の絵葉書
  •  昭和2年福岡市主催の東亜勧業大博覧会が大濠公園西南部で開催されました。 当初は大正16年開催予定で準備が進められていましたので,大正16年自3月25日至5月23日と記載した広告物もあります。 さて,今回は東亜勧業博覧会そのものの話ではなく,会場で販売された絵葉書についてです。 この博覧会に限らず,各種の博覧会・共進会等の会場では記念絵葉書が多数販売されていました。 今,この博覧会の絵葉書が手元に140〜150枚 [続きを読む]
  • 明治30年ベースボール競技
  • 山口熊本両高等学校生徒のベースボール競技@福岡須崎旧台場 明治30年4月4日(当初3日の予定が雨天により順延),山口高等学校からの熱心な申し込みにより熊本高等学校とのベースボール競技が福岡監獄の裏手にある須崎旧台場(時号砲=ドンが設置されていた所です)の芝生で開催されたことが明治30年4月1日と同月6日の福岡日日新聞に掲載されています。 試合の得点表は,次のように記されています。             ▲ [続きを読む]
  • 石城,お台場,そしてドン(12)
  • 号砲の音はどこまで届いたんでしょう?■明治時代の福岡市内でさえ聞こえない 最初の号砲設置場所の西公園(荒戸山・荒津山)からは,あまり聞こえがよくなかったようです。 石城,お台場,そしてドン(7)でご紹介したように,福岡市会の明治25年の議事録に「荒津山上ニテハ砲聲市内一般ニ達セサル嫌ヒアル」と書かれています。■明治時代の福岡市内で聞こえる そして,洲崎(須崎)の旧お台場に移って「果シテ砲聲市内一般ニ [続きを読む]
  • 石城,お台場,そしてドン(11)
  • ドンの前のドン? 以前,「石城,お台場,そしてドン(3)」のときに,「ドンの前に時号鐘?」として,明治12年に時号鐘が創設され,同17年には廃止されてしまったことを,「?岡市誌」の記載を元に記述しました。 また,橋詰武生『明治の博多記』(福岡地方史談話会、1971年)による「午砲前には、城内お時櫓から時鐘を鳴らしてお午を報じたこともあったが、この時鐘の音よりも午砲の「聞こえ」のほうが悪い、という声が市民の間に [続きを読む]
  • 二○加煎餅(2)
  • 二〇加煎餅と第13回九州沖縄八県連合共進会(承前)■にわかせんぺいの由来等(2)  前回,にわかせんぺいの由来等について,博多駅待合所で売店を開いていた高木喜七氏が,その息子高木友太郎氏とともに,明治43年に福岡市で開かれた第13回九州沖縄八県連合共進会のために,博多らしい土産をということで考案されたことを書きました。 この由来等は?岡時事?編輯部編「事業ト人:奮闘秘話.1」の記述を紹介させていただきま [続きを読む]