樋口山城守与六 さん プロフィール

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樋口山城守与六さん: 古城巡り 写真館
ハンドル名樋口山城守与六 さん
ブログタイトル古城巡り 写真館
ブログURLhttp://yamashiro2015.blog.fc2.com/
サイト紹介文関東を中心に全国の、城館や史跡をデジタルアルバムのデジブックにて現在の城を紹介して行きます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供417回 / 365日(平均8.0回/週) - 参加 2015/08/12 19:14

樋口山城守与六 さんのブログ記事

  • 馬坂城 佐竹寺 茨城県常陸太田市
  • 馬坂城 佐竹寺佐竹寺鎌倉時代から江戸時代にかけて常陸国を支配した佐竹氏代々の祈願所。大同2(807)年の開山,あるいは,寛和元(985)年に花山天皇の勅願を受けて元密上人が創建したとも言われています。 創建当初は,鶴ヶ池の北に位置する観音山にあったが,天文12(1543)年に兵火によって焼失,同15(1546)年に佐竹義昭によって再建されました。一時は隆盛を極めたものの,佐竹氏の秋田移封にともない,その寺運はしだいに [続きを読む]
  • 平井金山城改 群馬県富岡市
  • 平井金山城永享10年(1438年)、鎌倉公方足利持氏と関東管領上杉憲実の間に確執が生じ、身の危険を感じた上杉憲実は平井城に逃れた。通説ではこの時に憲実が家臣の長尾忠房に築城させたといわれている。この後、持氏と憲実+幕府の連合軍の間で永享の乱が起きたが、憲実方が勝利した。文正元年(1466年)に関東管領になった上杉顕定によって拡張されたという。古くから、平井城が関東管領であった山内上杉氏の拠点であったかのよう [続きを読む]
  • 多気城 茨城県つくば市
  • 多気城 城山常陸国筑波郡多気(現在の茨城県つくば市北条小字多気)にあった。多気山城(たきさんじょう)・城山城(じょうやまじょう)とも称する。現存する史料や遺物が少なく、謎の城とされてきた。多気城 麓より城山(じょうやま)と通称される多気山(たけやま、標高約129.4m)に築かれた山城の跡で、4つの曲輪があり、それらを堀や土塁が囲んでいる。その外側には大きな堀の跡があり、南には土橋の跡も見つかっている。4つ [続きを読む]
  • 真壁城 2017summer
  • 真壁城西に本丸を同心円状に囲む二ノ丸があるほか、二ノ丸の東側に三の郭(中城)・四の郭(外郭)が続き、外郭南東端には鹿島神社が祭られている。築城は承安2年(1172年)と伝わる。大掾直幹の子・長幹が真壁郡に入って真壁氏を名乗り、郡家の場所に築城した。以来真壁氏の居城として続いた。文献上で真壁城が初出するのは興国2年(1341年)12月で、北畠親房の「御方城々」として、真壁城がみえ、南朝方の城であった。のち北朝方 [続きを読む]
  • 小田城 2017summer
  • 小田城小田城は、鎌倉期から戦国期まで小田氏の居城であり、その始まりは小田氏の祖八田知家が文治元年(1185)に常陸守護に任命されて当地に移って居館を構えたことによると云われる。 その後、南北朝期には、当主小田治久が南朝方に属し、小田城は常陸南部における南朝方の拠点となり、北畠親房や春日顕国なども入城している。北畠親房が小田城で神皇正統記を執筆したことは特に名高い。 下って戦国時代の弘治・永禄年間、当主小 [続きを読む]
  • 永井館 茨城県土浦市
  • 永井館小田時知の時代、国府大掾家の内紛に乗じてこの地までを小田領化して、佐谷郷以東の大掾氏と対峙することになった。そして戦国期には、東北方面の前線基地として、前野修理を配したという。『新治村史』よりここは何しろ解りずらい、だいたいの場所特定できていたのが山の裾野に家が建ち入り口が良く解らなかった・・・・・・・が、何とか少し離れているが二つ有る墓地の間に山へと入る道が有り、ひたすら15分位山頂へ進むと [続きを読む]
  • 金田城 巨大な横堀
  • 金田城鎌倉時代初期、小田氏が小田城を築いた頃に造られ、室町時代から戦国時代を過ごしてきた小田幕下(城主沼尻又五郎)の城で、15代氏治が佐竹に滅ぼされるとき、ここも落城して廃城となった。[『桜村史』より]城址へは、東側の畦道より簡単に行く事が可能で有る。この城は現在は主郭のみの単郭で有るが以外にも郭が有ったらしい・・・・・・・・・・?東側から入ると横堀に入るが時期的な問題も有るが堀の深さは実感できない・・ [続きを読む]
  • 多気城 茨城県つくば市
  • 多気城城山(じょうやま)と通称される多気山(たけやま、標高約129.4m)に築かれた山城の跡で、4つの曲輪があり、それらを堀や土塁が囲んでいる。その外側には大きな堀の跡があり、南には土橋の跡も見つかっている。4つの曲輪のうち主郭〜3郭は連なりあって多気山の山頂から中腹にかけて広がり、4郭は少し離れて多気山と西隣の道場山との間にある多気城 南側からの遠景現時点では戦国時代に純軍事目的で築城されたことが推察され [続きを読む]
  • 甲山城 茨城県土浦市
  • 甲山城千代田に抜ける県道53号線を千代田方面へ進み、県道199号線を大志戸へと曲がりその先の朝日トンネル南を右に曲がると甲山城の有る低い山が見えます。登城口は山沿いを走る南側に、三十神社の石階段がピ−ク辺りに有るのでそこから城を登れば10分位で到着します。城主小神野(おかの)氏は、小田時知の三男時義に始まる。十代越前守経憲の世は戦国時代であった。この城を築いたのは彼であろう。小田氏が佐竹軍のために敗れたと [続きを読む]
  • 小田前山城 茨城県つくば市
  • 小田前山城位置的には、小田城の直ぐ北側の山が小田前山城となる。国道125号線から右手に入ると直ぐに八幡神社が有ります、ここが城への目印になります。今回は、八幡神社の鳥居側の空間に駐車しましたが、少し進んだ先の砕石場辺りにも駐車可能です。八幡神社から道路を進み、右手に砕石場を皆が進みます。すると小田山への登山道の分岐点が出ますので、登山道を進めば城址到着です。目印となる八幡神社、ここが登城口東に舟が城 [続きを読む]
  • 北条城 茨城県つくば市
  • 北条城は鎌倉時代に北条時家が築いた。時家は八田知家の7男である。後、北条氏は南北朝時代には南朝方として活躍し、戦国時代になると佐竹氏に属し、太田三楽斎などと小田氏の土浦城を攻め落としたりしている。しかし天正10年(1582)、下妻城主である多賀谷政経に攻められると城は落城北条城 北条小学校北条城 城塁北条城 城塁北条城と多気山城*北条城は、小学校が建ちほぼ遺構は消滅していると思われるが、西側面は城 [続きを読む]
  • 田土部城 茨城県土浦市
  • 国時代には、小田政治の次男(庶長子ともいう)信濃守政秀が居館とし、戦争にも絶えうるように整備した。城の中心部の館山が城主の居所、北側の城戸屋敷や東側の宿に家臣団が住んでいたと思われる。南側は登城・登城口と呼ばれるので、大手口に当ろう。「田土部文書」には、政秀の家臣として酒井・桜井・石田・宮本らの執権の外、旗小頭・長柄小頭・諸士・組の者・大工などがおり、諸士の一人中里氏の氏寺が福生院、政秀の妹妙栄の居 [続きを読む]
  • 小野小町の墓・・・?????
  • 小野小町は、絶世の美女とうたわれた平安時代の歌人で、言い伝えによると、京都から奥州(東北地方)に旅する途中、清滝観音から北向観音(石岡市小野越(旧八郷町))へ向かいお参りしたあと病に倒れ、この地の村長、小野源兵衛氏宅で親切な介抱を受けたが、元慶7(883)年7月7日69歳でなくなったといわれている。小野小町墓入り口小野家では、小町がこの世を去って以来、例年7月7日(旧暦)の命日には、代々供養を続け、昔は近郷 [続きを読む]
  • 春日山林泉寺 上杉家の歴史がここに!!
  • 泥足毘沙門天像 春日山城今をさかのぼること500年以上の昔・・・越後守護代長尾重景と、諸国を行脚していた曇英慧応という室町時代の曹洞宗を代表する高僧が、上越の柿崎の地で運命的な出会いをした。重景は曇英和尚の人柄と、和尚の説く仏の教えに深く感じ入り、越後に留まってもらうために下小野という場所に庵を建て、そこに留まってもらうことにしたという。その庵こそが林泉寺の原点である。重景が歿した時息子能景は、父 [続きを読む]
  • 法音寺 上杉家歴代藩主の菩提寺
  • 上杉家藩主 菩提寺八海山縁起によれば、藤原政照卿が、天皇の命を受けて諸国巡視中、越後国、飯盛山の麓で病死、その菩提を弔うため、行基菩薩が、勅命によってその地に法相宗の寺を建立したのが始まりとあります。寺号は政照卿の法名「都正院殿正二位政照法音大居士」に依ったものです。 その後、越後国、真言宗国分寺兼務を命ぜられ、建久8(1197)年、源頼朝公の祈願寺となり、天正年間には、上杉家の帰依寺となって春日山に [続きを読む]
  • 正定寺 土井家歴代の菩提寺
  • 江戸時代の寛永10年(1633年)、幕府大老を務めた古河城主・土井利勝が開基、当誉玄哲(とうよ げんてつ)が開山にあたり、土井家歴代の菩提寺となった。古河城観音寺曲輪の堀を挟んだ北側に隣接し、追手門に近い武家地に立地していた。『古河志』に引用されている当寺の略縁起によれば、開山にあたった玄哲は江戸(東京・芝)の増上寺十三世・廓山上人の弟子で、大和国(奈良県)出身。古河市下大野にある同名の「正定寺」41世だ [続きを読む]
  • 隆岩寺 小笠原秀政が正室の父 松平信康を弔うために開基
  • 安土桃山時代の文禄4年(1595年)、古河城主・小笠原秀政が正室の父・松平信康を弔うために開基した。開山は岌道上人による。松平信康は徳川家康の長男だったが、武田勝頼との内通を疑われ、織田信長の命により自害・非業の死を遂げていた隆岩寺 茨城県古河市松平信康供養塔小笠原貞慶の供養塔 小笠原貞慶は古河城主・小笠原秀政の父。文禄4年(1595年)に古河で亡くなったが、その墓の所在はしばらく不明になっていた。しかし寛 [続きを読む]
  • お万の方ゆかりのお寺 妙光寺
  • 法興山妙光寺境内に徳川家康の側室で後の徳川御三家のうち紀伊徳川家の始祖頼宣(1602〜1671)と水戸徳川家の始祖となる頼房(1603〜1661)をもうけたお万の方の石塔があります。お万の方 ゆかりの寺法興山妙光寺「将軍徳川家康の側室で、紀伊徳川家の祖頼宣、水戸徳川家の祖頼房の生母。天正5年(1577)上総勝浦城の正木左近大夫邦時の娘として生れる。後、影山長門守利広の養女になったと伝えられ、幼少よ [続きを読む]
  • 鮭延寺 鮭延秀綱墓所
  • 最上氏に仕え、最上領北方の守護として旧主・小野寺氏を相手に和戦両面で活躍、文禄4年(1595年)には楯岡満茂の先鋒として湯沢城攻略に貢献するなどした。慶長出羽合戦にて活躍した、長谷堂城遠景慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに呼応して直江兼続率いる上杉軍が、最上氏の長谷堂城を包囲する(慶長出羽合戦)。秀綱は副将格として長谷堂城に派遣され、城主の志村光安を助け、楯岡光直や清水義親らと共にこれを救援した。秀綱は [続きを読む]