ヤマシロ さん プロフィール

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ヤマシロさん: 古城巡り2015
ハンドル名ヤマシロ さん
ブログタイトル古城巡り2015
ブログURLhttp://yamashiro2015.blog.fc2.com/
サイト紹介文関東を中心に全国の、城館や史跡をデジタルアルバムのデジブックにて現在の城を紹介して行きます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供264回 / 365日(平均5.1回/週) - 参加 2015/08/12 19:14

ヤマシロ さんのブログ記事

  • 千軒山城/一夜ヶ城 山間部に詰城と居館が一体化( ゚Д゚)
  • 千軒山城 詰城万場町誌」等の記述によれば、この地域にその存在が確認できる黒田城、千軒山城、小平城とともに、戦国時代末期の山中領における在地領主である黒沢氏、土屋氏に関連する城郭群である。黒田城の有る、稲荷神社手前の千軒山への登山道から向かいました・・・・・いくつかのル−トが有ると思われますが、登山コ−スと神流マウンテンマラソンのピンクテ−プが目印になり安全に行く事が可能だと思われます。(約1時間も [続きを読む]
  • 真下城 2017.2.18
  • 麓から北尾根迄主郭から西側迄承平5年(935)に平将門が築城したとの伝承があるが、これはあくまでも関東各地に伝わる将門伝説の一つであると考えられる。築城者は児玉党の系譜をひく真下伊豆守吉行と伝わり、山内上杉氏に属していたという。しかし天文20年(1551)8月、真下吉清の代に北条氏康の上野侵攻に伴い落城したとされている。また真下城は天正年間に廃城となり、南麓の「譲原堀の内」が平時の城主の居館であるという [続きを読む]
  • 諸松城 2017.2.18
  • 諸松城栗本土佐守藤原義秀の築城と伝わり、天文年間に関東管領である上杉憲政が上野から越後へと逃れたのち、上杉氏家臣の本間佐渡守の居城となり城郭としての改修が行われたとされている。諸松集落のゴミ収集場所の廃屋宅の道路から行くが、10数分で城址に着く事ができる。諸松城の入り口、ここから行きます。主郭裏の堀切諸松城主郭主郭東斜面の石積にほんブログ村大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNA [続きを読む]
  • 久野寄居城 諏訪山城との関係が( ゚Д゚)
  • 久野寄居城詳細については不明である。久野集落の小松神社西側の山が城址で、基本道は無いが・・・・上への踏み跡は多数あり(-ω-)/麓には、猪対策の柵が有ります・・・・・・・・( ゚Д゚)・・・とりあえず、北側から回り込むように上に進めば尾根に出るので、尾根まで出れば遺構はもうすぐです(20分掛からない位で着きます)*詳細はデジブックの中で小松神社からの遠景久野城主郭久野城堀切にほんブログ村大きい地図・ルート検索 [続きを読む]
  • 老沢城 久我城向かいの城
  • 老沢城荒井川をはさんだ久我城の反対側にある城です。山の頂上近くに曲輪や堀の跡が残っています。久我城と同じ時代に使われていた見張り台だと思われます ・・・・・現地説明板より荒井川を渡り進み、老沢集落の「古民家久我の庄」向かいの山が老沢城!!古民家久我の庄の手前の墓地の前に城址説明板が有り、そこを尾根沿いに進むと老沢城に到着です(-ω-)/(詳細はデジブックの中に)老沢城遠景現地説明板、ここを尾根沿いに行 [続きを読む]
  • 登城記録2017年
  • 登城記録2017年1月2日 埼玉県 石川氏館1月3日 栃木県 西方城 二条城1月8日 千葉県 造海城 峰上城1月14日 茨城県 小幡城 久米城 馬坂城1月21日 茨城県 山入城 東曲輪 田渡城 大橋城1月28日 茨城県 神明城 木崎城 山田城 相賀城 手賀城 小高城2月4日 埼玉県 龍ヶ谷城 根古屋城*黒は再登城、赤は初登城 [続きを読む]
  • 反射炉&山上門 茨城県ひたちなか市
  • 山上門は、もと水戸藩小石川邸の正門右側にあり、勅使奉迎の為に特に設けられたものです。幕末には、佐久間象山、横井小楠、西郷隆盛、江川太郎左衛門、橋本左内などの天下に名だたる人々が、この門を出入りしたと言われています。門は、後に小石川邸の山上に移されたので山上門と言われるようになりました。那珂湊反射炉は、水戸藩が那珂湊に建設した大砲鋳造所です。元治元年(1864年)まで、操業し20数門が製作されたと言われて [続きを読む]
  • 龍ヶ谷城 
  • 龍ヶ谷城 麓から主郭迄龍ヶ谷城 北西尾根から東郭小田原北条氏の北武蔵での拠点である鉢形城の支城として千馬山城は築城されました。そして天神山城・高松城・日尾城などと共に甲斐武田氏の侵入に備え、また鉢形城の背後の固めとして機能していました。なかでも千馬山城は秩父郡北部を一望でき、秩父地区を掌握しようとする条氏にとって重要な城のひとつでした。千馬山城は、鉢形城主・北条氏邦の家臣として秩父地方を掌握してい [続きを読む]
  • 根古屋城 
  • 根古屋城 ①根古屋城 ②この城跡は、大机山から北へ延びる尾根の末端にあり、横瀬川、生川、小島沢、城谷沢に囲まれた山城で、正丸峠からの秩父街道を監視し、「前山」とも「城山」とも呼ばれる。 本郭は石灰岩の採掘により破壊され、一部が残されているのみである。これより北に延びる尾根には、土橋を挟んで25×85mの二の郭が設けられている。また北西に延びる低い尾根には、「御殿跡」と呼ばれる20×160mに及ぶ2段の郭と横 [続きを読む]
  • 手賀城 
  • 手賀城築城者は二説ある。一つは嘉応元年(1169)、行方景幹の二男家政が手賀に配され地頭となり手賀氏を名乗ったというもの。もう一つは嘉応年間(1169-1171)に玉造城主、玉造幹政の二男正家が手賀と平浜を分与され手賀氏を称し手賀城を築いたというもの。いずれにせよ常陸大掾氏系の手賀氏の居城であったということは間違いなさそうだ。永禄二年(1559)には手賀城主与一郎景幹は玉造宗幹と共に小田氏治と戦っている。その後、小田氏 [続きを読む]
  • 小高城 
  • 小高城小高氏は行方四頭の一角で、鎌倉時代の初期に行方城主の為幹が小高に居城を移し、小高氏を名乗ったのが小高氏の始まりとされています。小高氏は徐々に周囲に勢力を伸ばしていきますが、佐竹氏による「南方三十三館の仕置き」にて親子共々誘殺され、小高城は落城。その後は佐竹家家臣の大山義則が城主として配備されますが、佐竹氏の秋田移封に伴って小高城は廃城になったものと推察されています。郭4から郭2までは耕作地となっ [続きを読む]