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古城巡り 写真館 https://yamashiro2015.blog.fc2.com/

関東を中心に全国の、城館や史跡をデジタルアルバムのデジブックにて現在の城を紹介して行きます。

樋口山城守与六
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羽生市
出身
羽生市
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2015/08/12

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  • 大宮城 栃木県塩谷郡塩谷町 2024.3.17

    大宮城(栃木県塩谷郡塩谷町)@Google㊟イメ-ジ図になりますm(__)m㊟主要遺構を、流して撮影しています。大宮城遠景・・・・南側から愛宕神社背後の堀説明板の三の丸三の丸北西の堀(説明板での三の丸)本丸の標柱・・・説明板ではここが本丸としている。本丸背後の乾堀・・・・堀の向かいに古墳が有ります。2024.3.17 再々登城人気ブログランキング...

  • BUSH CRAFT BASE(君嶋林業キャンプ場)

    BUSH CRAFT BASE(君嶋林業キャンプ場)入口このキャンプ場最大のサイトzouki saito⛺プレミアムサイト 太郎ヶ淵・・・目の前は沢を挟み樹林帯ユニフレ-ムの薪グリルにて!愛用のケルトが黒く光る!東小屋橋からの朝日🌄埜瑩堂さん考案のアーメッ-ト 快適な広さです⛺2024.3.17~18人気ブログランキング...

  • 朝霧ジャンボリ-オートキャンプ場⛺

    朝霧高原の夜 広場サイトより⛺真夜中のフジヤマ北に見えるは・・・・北斗七星☆彡早朝のフジヤマ🏔早朝広場サイト 本日は2組の貸し切り⛺2024.3.10人気ブログランキング...

  • 信玄築石 山梨県南都留郡富士河口湖町

    本栖城 信玄築石@Google旧上九一色中学校正門前に中道往還が通り、その道沿いに石塁が残る!!まるで虎口の様な石塁!!円形状の石塁本栖城南側麓の石塁は・虎口!!裏側から見た石塁樹海の中を、直線的防塁の様に積まれた石塁信玄築石1550年ごろに武田信玄が敵の攻撃に備えて、青木ケ原樹海内に溶岩で築いた防壁です。この石塁は高さ約2メートルで約2キロメートルにわたって続いています。信玄築石は、中世の中央往還が通る場所...

  • 本栖城・信玄築石 山梨県南都留郡富士河口湖町

    本栖城 信玄築石@Google旧上九一色中学校正門前を、中道往還が通りその道沿いに石塁が残る!!円形状に、石塁が残る!!直線的に積まれた石塁1550年ごろ武田信玄が敵の攻撃に備えるため、青木ケ原樹海内に溶岩で築いた防壁です。この石塁は高さ約2メートルで約2キロメートルにわたって続いています。信玄築石は、中世の中道往還が通る場所に位置しており、街道防衛の目的で構築されたと考えられています。溶岩を積み上げる工法は...

  • 鷲宮河津桜🌸2024.3.3

    鷲宮神社近くを流れる青毛堀川沿いに美しい河津桜が咲き誇り、街全体を華やかに彩っています。3/3(日)現在はチョイ早かったかな?2024.3.3人気ブログランキング...

  • 行田ライトアップイベント 希望の光 2024.3

    2024.3.3人気ブログランキング...

  • 大平城(おしろ山) 栃木県那須郡那珂川町

    大平城 ・おしろ山@Google  ㊟大平城イメ-ジ図になりますm(__)m二渡神社拝殿の左側から行くのだが!!以前は案内板等や目印が有ったらしいが・・・・・・2024.2現在では曖昧になっています。歴史的詳細については不明。城址遠景・・・・この奥の山が城、二渡神社から登ります。神社から来た山道の城への分岐点・・・・左に曲がり山を登ります!!城址手前の平場??踏み跡を進む!!城址へ登り、緑のロープの先に!!...

  • 下郷要害古城 栃木県那須郡那珂川町

    下郷の城@Google㊟イメ-ジ図になりますm(__)m下郷要害城から深い谷を挟んだ南の山稜上に築かれています。また、直接武茂川に臨む尾根上には出城が配されており、古城自体はそれより一つ東に奥まった尾根に築かれている。近年の樹木伐採により、城址は禿山となっている為に遺構は迄は行きやすい(作業道が有るため)下から来た作業道、出城と古城の分岐虎口 1本目堀切跡の土塁で堀切は、埋められている堀切2本目・・・・埋められ...

  • 下郷要害古城 出城 栃木県那須郡那珂川町

      下郷の城@Google㊟総ての遺構は見ていませんm(__)m下郷要害古城出城は、下郷要害古城の西の尾根に築かれた城である。下郷要害古城の西の尾根にある。城の南半分は木が皆伐されているので、南麓から伸びる作業道を古城に向かって登っていくと、途中で西にある尾根にその遺構が見える。この出城は細尾根城郭で、山頂部の主郭には中央で曲輪を南北に分断する堀切が造られている。この奥が古城?ここを通り過ぎて出城へ南...

  • 下郷要害城 栃木県那須郡那珂川町

    下郷の城@Google㊟イメ-ジ図になりますm(__)m武茂氏の庶流である大山田氏によって築かれたと伝えられています。初代泰宗の子孫である泰景(大山田左京亮)が、永禄年間(1558~1570年)に築城したとされています。大山田氏は那須氏に属しており、1570年に佐竹氏によって攻め滅ぼされた大山田城が、この城のことと推測されています。この橋を渡り道なりに山へ谷筋の突き当り・・・・Google先生を、お供に!!右手側の虎口虎口から...

  • 伊奈氏屋敷 埼玉県足立郡伊奈町

    伊奈氏屋敷@Google伊奈氏屋敷(現地説明板より) 関東郡代伊奈氏の祖、伊奈熊蔵忠次の陣屋跡です。伊奈氏は信州伊那(長野県)の出身で、忠次の祖父忠基の代に徳川氏に仕え、三河国小島(愛知県西尾市)の城主となりました。三河一向一揆に加担したため、徳川家を一時離れますが、本能寺の変を機に忠次は家康に仕え、近習(きんじゅう)として農政・民政に力を発揮し、五ヵ国総検地などを通して代官としての頭角を現しました。 ...

  • 私市城を探る 埼玉県加須市

    私市城@Google私市城復元図(現地説明板より)築城時期は不明だが、上杉氏配下となっていた太田氏によって築城されたという説がある。城の名前は皇后の領地を管理する「私部」やこの土地一帯が「埼西郡」と呼ばれたことに由来し、以前は「私市」と表記していた。また、「根古屋城」、「山根城」とも呼ばれていた遺構は、東西約400メートル、南北約400メートルの規模を持つ。西端に「本丸」、「ニの丸」を南北に置く。その東に「天...

  • 小峰城2024冬 福島県白河市

    二之丸から北東の矢之門跡搦手門東の石垣本丸 北側の石垣桜之門側の石垣前門前門と三重櫓2024.2.5 曇り人気ブログランキング...

  • スノピ-クス白河高原 福島県天栄村

    ここは羽鳥湖高原・・・・・少ない雪いざ!!スノピ白河高原へ受付へ(エンゼルフォレストン内)凍結する湖本日はフリ-サイト・・・・・キャンパ-は少な目!!予想より雪が少ない。本日の幕はサーカスTCに薪スト-ブ⛺地面は凍結!!Soomloom 薪ストーブ・・・・このテンマクには小さいか?サイトから見た湖夜景と☆彡・・・・・・・標高が高く、風もあるため!!星が多い2024.2.4 エンゼルフォレスト白河高原内人気ブログランキ...

  • 不摩城/秋葉城 長塁遺構 栃木県栃木市

      不摩城 藤沢城@Google不摩城の谷を挟んだ向かいの南東尾根に遺構が存在する!!㊟イメ-ジ図になりますm(__)mこの砂防ダム先の尾根が、不摩城南東長塁遺構メインの長塁遺構の竪堀上部、、若干埋没している!!竪堀を見上げる!!この土塁上をひたすら進んだ!!竪堀を登り切った最初の郭2郭2先の堀切、土塁の脇から最後の郭1、右手側には低いが土塁痕郭1先の堀切2024.1.28 人気ブログランキング...

  • 不摩城/秋葉城 栃木県栃木市

    不摩城 藤沢城@Google㊟イメ-ジ図になりますm(__)m久しぶりの登城・・・・獣除けの柵、立木の伐採に作業道・・・・・・変わっていた!!永野川を挟んだ東方1.3Kmの地に藤沢城が有り、共にコ呼応して長野川出流川を持つ要地で有る城跡には秋葉神社が有るので秋葉城ともいうが不摩城として知られている。又その東麓に小字「根小屋」があり、それらしい土塁の残存も残る。牙状台地を利用して125mの間に3郭を直線に連ね、いずれ...

  • 妙見寺城 栃木県鹿沼市口粟野

     妙見寺城@Googleこちらの城も数年前に発見された城!!歴史的詳細は不明だが、南側には粟野城が有り支城としての城であったのであろうか?妙見寺裏手が城・・・・ここを直登したが、林道からのが 楽!!妙見寺城の主郭主郭背後の堀切、主郭側に土塁郭2は細長い郭2背後の堀切、若干浅いか?郭3郭3の腰郭南西側の林道から見上げる・・・西の峰にも遺構有!!2024.1.22人気ブログランキング...

  • 作原城 栃木県佐野市作原

    作原城@Google最近発見された城で、歴史的詳細は不明!!しかし、谷を挟み向かいには蓬山城が存在する。(栃木県の中世城郭さんのサイトを参考に、探索しました)作業道から見上げる・・・・イッキに高度を稼げて、城址側迄行けます向かいは、蓬山城東側には、堀切に竪堀・・・・・埋没しているが、本来は2重堀切では?作原城の主郭西側の腰郭南側の腰郭・・・・こちら側の尾根を、真如院に向かい下りたら・・・獣除けの柵に。゚(゚´...

  • 古屋氏屋敷 山梨県笛吹市

    古屋氏屋敷@Google 古屋氏屋敷は、築城年代は定かではないが古屋氏によって築かれた。土塚在住の古屋氏は、天正10年に武田氏滅亡後に徳川家康に差し出した壬午の起請文に古屋織部の名がある。現在は、無住の屋敷地となっているが、道路に面して石垣の虎口が築かれて、坂を下った先には立派な長屋門が建てられていた。2024.1.14人気ブログランキング...

  • 塩田屋敷 山梨県笛吹市

    塩田屋敷@Google塩田長者と呼ばれている古屋(降矢)対馬が居住していたと伝えられている居館跡です。築城年代や築城者については定かでないとされています。甲斐塩田屋敷は、土塁の一部が残っていることから、ここが塩田屋敷があったと推定されています。甲斐塩田屋敷は、中央道一宮御坂ICから県道211号線を経由して国道20号線に出て、県道303号線を進むことでアクセスできる。北側に残る土塁2024.1.14人気ブログランキング...

  • 熊城 山梨県甲府市

    要害山城:熊城@Google㊟イメ-ジ図になりますm(__)m主郭Iは山頂にあり、小規模であるが北から東にかけて土塁があり、南北二段で石積を伴う。南西隅に虎口と思われる窪みがある。主郭の南西下に低い土塁囲みの曲輪IIがあり、城内で最も広く、西端の土塁は石積を伴う。主郭の北側は大堀切を挟んで小さな郭があり、北端を堀切で遮断する。この郭も小規模ながら縁がやや高く土塁になっている。堀切から東の谷筋に続く竪堀と連動して...

  • 筑前原の塁 山梨県笛吹市

    筑前原の塁@Google筑前原の塁は、山梨県笛吹市一宮町東原字筑前原に所在する遺跡で、平安時代以前の住居跡6軒、古代末から中世にかけての礎石建物跡1軒、掘立柱建物跡8軒とそれを囲むように幅3m深さ2m程の堀、内側には幅3m程の土塁が検出されています。現在は竹藪も荒廃しており、土塁の形状ははっきりしないが、宅地に面して南北に伸びる土塁と、凹むような形状の土塁を見ることができます。昭和59年から宅地造成による発掘調査...

  • 要害山城 山梨県甲府市

    要害山城:熊城@Google㊟イメ-ジ図になりますm(__)m躑躅ヶ崎館の詰城として築かれた山城である。主郭に至る通路や虎口、曲輪、堀切、見張台などの遺構のほか、要所をかためる石垣もほぼ完全に遺存しており、戦国大名武田氏の築いた城郭として、また中世豪族の居住形態を示すものとして極めて重要であるとして、1991年(平成3年)3月30日、「要害山」の名称で国の史跡に指定された。登山口に説明板があり、曲輪、土塁、竪堀や門跡...

  • 瑞連寺 山梨県笛吹市

      瑞連寺@Google築城年代や築城者については定かでないが、戦国時代にこの地を領した栗原信重が享禄4年に武田信虎に敗れて所領を失ったことから、栗原氏と関連する居館とも考えられている。現在の瑞蓮寺境内となっている一帯に築かれていた。寺は天正9年に創建されたと伝えられ、豪族居館の跡に創建されたと考えられている。約80m四方の境内東側に土塁の一部が残り、境内の周辺を流れる用水路が堀の名残であろうか...

  • 蜂城 山梨県笛吹市

    蜂城@Google㊟イメ-ジ図になりますm(__)m詳細不明。栗原氏あるいは岩崎氏の詰城と云われるが・・・・・・・・・・・・・蜂城は標高738mの蜂城山山頂に築かれている。現在主郭には蜂城天神社が祀られていて参道が付いている。主郭は蜂城天神社の境内となっており、多少の改変があると思われるが、半分くらい土塁が付いている。ここから東へ続く尾根に33本の堀切を設けて遮断しているが、堀切はそれほど大きなものではない。蜂城の...

  • 武茂東城 栃木県塩谷郡那珂川町

    武茂城@Google武茂東城は、乾徳寺のある谷津を隔ててすぐ東側に向かい合っている、比高30mほどの尾根の先端部を利用したものである。基本的には段々の削平地を重ねただけの構造であるが、郭の数でも本城と比べても引けを取らない規模となる。㊟イメ-ジ図になりますm(__)m尾根の先端から来ての最初の遺構、虎口この土檀は・・・・櫓台?橋台?か(北側から、見下ろす)主郭北側 巨大な堀切激藪だが 主郭西側の腰郭を1段降り...

  • 武茂西城 栃木県塩谷郡那珂川町

    武茂城@Google馬頭小学校の裏山にあり、尾根の南西端から遊歩道が整備されている。ほぼ単郭の城で、主郭内は4段の平場に分かれている。武茂西城は、小規模な城砦であるが、武茂東城と共に武茂城の両翼を防衛する城砦として機能していたことがうかがわれる。㊟イメ-ジ図になりますm(__)m南側馬頭小学校麓から見上げるすくすくの森林間歩道入口が城址への入口南北に延びる横堀最初の堀切最北端の堀切、西側の横堀と接続する2024.1....

  • 武茂本城 栃木県塩谷郡那珂川町

    武茂城@Google武茂城は、正応、永仁の頃(1288~1299年)に、武茂泰宗(宇都宮氏の分家)が、現在の城跡の南西麓の「古館」の地に築いたのが創まりという。本城跡は、東西に接近する2つの尾根上にあり、両者の山間低地に、武茂家の菩提寺である乾徳寺がある。この寺を境として、西側は本丸、二の丸、三の丸などの生活の地域があり、東側は、東方への守りのための地域となっていた。このように、生活と守備の両面を兼ね備...

  • 片平城 栃木県塩谷郡那珂川町

    戸田城 片平城@Google㊟イメ-ジ図になりますm(__)m那須資隆の第八子堅田八郎義隆が築城したと言われるが築城年代は不詳である。当城は、常円寺の東南の裏山の急傾斜した頂上に築城された山城である。本丸と思われる所は20aほどの平地があってそれを幅1.8mの堀が取り巻いている。東北方のを本丸より2.3m低くして堀を作り、更に1.5m低くして、また階段式に防備がなされていた。東北方2段目くらいに屋敷と倉庫を建てた跡が残っ...

  • 登城記録2023年

    1月02日 千葉県野田市 関宿城1月08日 群馬県桐生市 仁田山城 群馬県太田市 矢部城 栃木県足利市 板倉城 小此木氏館1月15日 栃木県栃木市 吹上城 木村氏館 神楽岡城 要害館 細井城1月29日 茨城県八千代市 八丁砦 鷲宮砦 和歌城 大田城 古間木城 蔵持城 秋葉館2月05日 栃木県宇都宮市 樋口城 栃木県鹿沼市 茂呂城 石川城 短草城 永林寺館 ...

  • 登城記録2024年

    1月1日 埼玉県加須市 花崎城...

  • 花崎城 埼玉県加須市

    花崎城@国土地理院現在、本丸と馬出しが「城山公園」「城址公園」として整備され、保存されている。しかし、遺跡の範囲を東武伊勢崎線の線路が貫いているほか、宅地開発により遺跡のほとんどは住宅地や駐車場となっており、上記の公園でしかその遺構を見ることはできない。城山公園は東武伊勢崎線花崎駅から徒歩約3分のところにあり、住宅街の中にある。公園の入口には加須市教育委員会が設置した花崎遺跡の説明板が設置されてい...

  • 飛山城 栃木県宇都宮市

     飛山城は鎌倉時代後期にあたる永仁年間(1293年-1298年)に宇都宮景綱の家臣・芳賀高俊によって築かれたといわれている。芳賀氏は、益子氏とともに紀清両党と呼ばれる宇都宮氏の有力な武士団であった。飛山城に居する間は清原氏を名乗ったと言われており、この清原姓が後の現宇都宮市東部の地名『清原』となったと考えられているが、不詳である。上野国・越後国の守護代に任じられるなど隆盛したが、南北朝期には戦乱に巻き...

  • 桑窪城 栃木県高根沢市

    桑窪修理助秀春か谷口筑前守によって築かれた城と考えられています。谷口氏は矢口氏とも言い、在地の土豪として戦国時代末期には宇都宮氏に属すと、桑窪城は那須氏に対抗する前線拠点として利用されました。現在城址には土塁や空堀などの遺構を確認することができ、本丸虎口の土橋前に城址碑が建てられています。2023.12.22再々登城人気ブログランキング...

  • 大綱山城 栃木県佐野市

    大綱山城@国土地理院唐沢山城から沢をへだてて1.5キロメートルほど南東の、大網山の山頂に位置しています。佐野氏の家臣の居城と思われますが、築城年代や城主・居住者は分かっていません。築城は古代にさかのぼるとされますが、現在確認できる遺構は戦国時代のものと考えられます。大網山の山頂は、方形の平坦な曲輪になっています。南北に連なる尾根には、南側と北側にそれぞれ少なくとも2カ所の堀切を確認することができます。...

  • 阿土山城(アド山城) 栃木県佐野市

     阿土山城@国土地理院仙波町に残る堅固な山城です。標高371メートルの山頂からは、仙波や会沢、葛生方面ばかりでなく、唐沢山も望めます。本城跡は、建永元年(1206)安戸氏が築城したとされ、永禄2年(1559)以後佐野氏が使用し、慶長3年(1598)には天徳寺宝衍(ほうえん)が居城したとも伝えられています。山頂に続く尾根などに大きな堀切が数カ所で認められ、石積みも残されています。仙波川と秋山川の合流地点付近に立地します...

  • 豊代館(佐野源左衛門常世館) 栃木県佐野市

    豊代館(佐野源左衛門常世館)@Google別名佐野源左衛門常世館跡と呼ばれ、東西約110メートル、南北約150メートルにわたって、高さ1.5~2メートルの土塁が今も残ります。こうした城館跡は一辺50~100メートルの規模が一般的です。本城跡は規模の大きなものです。現在、城跡内にある正雲寺公民館には常世とその母の位牌および、薬師如来と地蔵尊が安置されています。また、北西には常世の守り神といわれる矢越神社がまつられていま...

  • 大塚城 栃木県鹿沼市

    大塚城@Google塚城は天亀、天正のころ、大塚信濃守綱利が佐野の支城として築いたと伝えられる。綱利は初め左衛門尉といった。後裔は大塚貞之助氏。のち粟野地区は皆川氏の勢力下にあり、綱利は佐野氏から離脱、大塚氏の城付近でひそかに余生を送り慶長十七年(1612年)二月死去。菩提寺は慈眼寺。自然石の墓石が残る。城址遠景南側の探索口、最初はここ立木が有り暗く・・・・ここも獣柵が!!石祠の有る郭郭4 切岸側に堀跡が有...

  • 天狗沢城 栃木県鹿沼市

      天狗沢城@Google明確な歴的詳細は不明・・・・・確か前回は、2017年に登城で当時は獣除けの柵はなかった!!北側からの探索口主郭から延びる竪堀主郭の腰郭主郭北側の堀切天狗沢城の主郭主郭南側の櫓台主郭南側の堀切郭2 ここにも櫓台あり郭2 南側の堀切郭3郭3 南側の堀切最後の堀切2023.12.10再登城...

  • 仮称櫃沢城 栃木県鹿沼市

     櫃沢城@国土地理院鎌倉公方足利氏満と小山義政が対峙した「小山義政の乱」の時、義政が寺窪城から逃れ、討ち死にした場所として「櫃沢城」と・・・・・・・・・この櫃沢城は、寺窪城の北の沢が櫃沢と言われているところから、その北の台地とする説①と、寺窪城から粕尾川を隔てた対岸の地②とする説があり・・・・確かに対岸に小山義政自刃の地が有り、五輪塔が建っているが遺構は確認出来ない・・・・・今回は北側の台地に残...

  • 仮称星野城 栃木県栃木市

    仮称星野城@国土地理院最近発見された城で、歴史的詳細は不明だが良好な遺構が残る!!(栃木県の中世城郭さんのサイトを参考に探索をしました)城への道はなく、城遺構を目指し山を登る!!西側の堀切西側の尾根、この先が主郭となる東側の尾根主郭東側の堀切北側から見た主郭の堀切から、腰郭の様になっている主郭が最高点となり、東西の尾根に堀切が残る2023.12.10発登城人気ブログランキング...

  • 花園城 2023秋

    ・・・・・・・・・・・・・・本当に、綺麗になり案内板が設置されていました!!初めて行った時も諏訪神社から山へ入りましたが・・・・・発掘調査から時間がたち、ただの藪山だった様な記憶が!!人気ブログランキング2023.11.26再々登城...

  • 鉢形城2023秋~早朝~

    ㊟動画内には、一切説明はありませんm(__)m人気ブログランキング...

  • 虎ヶ岡城 埼玉県児玉郡美里町

    虎ヶ岡城@Goole*北側の林道から入り、大槻峠から行くのが最短距離と思います。国末期の城跡であるがその築城時期は不明であるとしています。築城者については藤田氏、鉢形衆の有力者逸見氏、猪股党の猪股範直などの諸説があり、いずれにせよこの地域を支配していた後北条氏の一門である北条氏邦との間接的な関係が窺えます。「美里町史」の記述によれば、北条氏邦の居城である鉢形城の出城として食料の供給の中継点の役割を果た...

  • 杉山城@埼玉県嵐山町 2023秋

    2023秋、早朝の杉山城をご覧くださいm(__)m人気ブログランキング...

  • 長窪城 長野県小県郡長和町

    長窪城@Goole長窪城鳥観図 現地説明板より室町時代の応永年間に、大井氏、または芦田氏(依田氏)によって築かれたといわれている。大井氏一族が長窪氏を名乗り、城主となった。戦国時代の天文12年(1543年)、甲斐の武田晴信(信玄)の軍に攻められた。相木昌朝や芦田信守が内応したため、城主の大井貞隆は降伏した。武田氏の支配となった長窪城は、武田氏が北信濃に進出するための重要な拠点となった。信玄が長窪城に着陣し、...

  • 和田城 長野県小県郡長和町

    和田城@Google武石にいた大井氏の一族が和田に移り、和田城を築き居城としたといわれている。 『高白斎記』の天文二十二年(1553年)8月1日の条に「八月朔日乙亥、長窪へ御陣居られる。和田城を攻め為され、城主其外、悉く打ち取り為され、3日、高鳥屋へ見物に登り、4日戌寅、高鳥屋籠城衆、悉く打ち取り、同内村落居、申の刻勝利」とあ記され、天文二十二年(1553年)長窪城に拠っていた武田軍に攻められ、落城した...

  • 小諸城 長野県小諸市

    三ノ門徳川秀忠が本陣を、置いた二ノ郭南郭 紅葉が綺麗小諸城主郭小諸城天守台水の手からの遠景 千曲川が日本海へ主郭の紅葉・・・・(主郭は人が多く、動画無)人気ブログランキング...

  • 望月

    今シーズン3回目の野らら⛺今宵の宿 サ-カスに薪ト-ブとモンベルのシェラフ投入。薪スト-ブ準備OK夜のサ-カス 野ららの夜空☆彡・・・・星が多い!!朝のフォレストサイト・・・・・晴れ予報が!!雨がパラパラと!!人気ブログランキング...

  • 三津城・発端頂砦・出城・三津新城 静岡県

    三津城 発端頂砦 出城 三津新城@Google三津城~発端頂砦~出城~三津新城を長瀬川登山道分岐から一連の動画でm(__)m三津城への分岐、下に数台止められるスぺ-スあり、ここから約20分で三津城へ!三津城は康安元年に畠山国清が鎌倉公方足利基氏に反旗を翻し伊豆にて挙兵した際に築きました。弟の畠山義煕が守備していましたが、基氏軍によって落城しました。戦国時代には長浜城の北条水軍が狼煙台として利用した可能性がある。...

  • 韮山城 静岡県伊豆の国市

    韮山城@Google韮山城は戦国時代のはじまりと終わりにかかる城として知られており、戦国時代、伊勢宗瑞(通称:北条早雲)が、韮山の丘陵に築いた山城です。 明応2年(1493年)、駿河の今川氏の客将であった伊勢宗瑞が、韮山の堀越公方を攻め、伊豆に進出しました。伊豆を平定した宗瑞は、韮山城を整備し、自らの本城としました。 宗瑞の死後、2代目氏綱は、北条氏と改姓し、相模国小田原城(現在の神奈川県小田原市)に拠点を移し...

  • キャンプ・ベア-ド 静岡県伊豆市

    キャンプ・ベア-ド案内図キャンピングスペースは、狩野川とベアードブルワリー(ビール工場)の間に位置し、ビールの原料のホップ畑や野菜畑、果樹園や木立が並ぶ緑豊かな敷地内にあります。今回は・・・・フリ-サイトへ・・・・・・ドリンクチケット(入場料込み)で・・・・・チエツクイン後に・・・・あ!設営後に1杯🍻ビ-ル3本買うと!!バケツに氷を入れて貰えます。今回は・・・・ロガ4にヘキサタープ⛺伊豆は暖ったかい!...

  • 東戸田南城 城郭遺構 栃木県那珂川町

      東戸田城南 城郭遺構@Google城址遠景・・・・栃木県の中世城郭さんのHPを参考に探索しました。神社麓も郭らしき遺3構が!!熊野神社参道階段も郭跡?この熊野神社を囲む尾根が城址遺構!!南側の削平地は郭か?南側の堀、熊野神社参道の階段に平行している!!熊野神社裏手、西側の堀・・・・社殿裏手から遺構へ!!南西角の堀、この箇所に二重堀が残る北側の堀 このあたりから激藪・・・・北側の遺構は藪地獄!!...

  • 安養院裏山城郭遺構 栃木県大田原市

    安養院裏山(東側)城郭遺構@Google城址西側の安養院入口墓地駐車から延びる道を山へ・・・・・・10分程度で遺構へ!!栃木県の中世城郭さんの㏋を参考に探索!!山頂の祠から東へ・・・・・・・・東側の藪の鞍部を、斜面左側を進む・・・・数分で遺構へ!!・・・・・・・・・・最初に現れる堀切南側の堀跡?東側の堀切・・・・南側への堀へと続く東側・・・・・南側の郭 一段下がり、上段との二段構造?明らかな削平跡上段部...

  • 布施城 長野県佐久市

    布施城@Google注:イメ-ジ図になります_(._.)_布施城(長野県佐久市布施〔望月町下布施〕)は、布施川沿いの谷間にあり、入布施の集落の三方を川で囲まれた地に占地した。元は320×160mの単郭だったとされるが、残存度は不良である(『長野県の中世城館跡-分布調査報告書』)。この地は、「望月氏が布施を領す」(『海渓院文書』)とあるので、望月氏一族の布施氏によって支配されたとみられるが、詳細は不明。主郭は、現...

  • 矢島城 長野県佐久市

    矢島城@Google築城者は望月氏庶流の矢嶋氏と推測されています。矢嶋氏は養和元年(西暦1181年)、八島四郎行忠が木曽義仲に従い横田河原の合戦に参陣している他、平家物語にも八嶋四郎行綱の名が見られたりなんかもします。色々すっ飛ばして戦国時代に入ると永禄初年まで武田氏に抵抗していたようですが、後に調略を受けてこれに従う事となりました。この際に本領矢嶋の地は望月氏当主の望月信雅に与えられ、矢嶋氏には別の所領が...

  • 天徳城 長野県佐久市

    天徳城@Google注:イメ-ジ図になりますm(__)m矢嶋城の支城と考えられ、、こうした支城を設けて、連絡や見張りにしたのであろうか?奥の山が城址右手が天徳城堀切側から見た墓地側・・・・・郭でしょう堀切が1本、しかし藪が!!堀切を挟んだ先の郭西側の帯郭か?畑跡か?五郎兵衛用水跡長野県佐久市(旧 五郎兵衛新田村)を流れる用水路。市川五郎兵衛真親(いちかわ ごろべえ さねちか、元亀2年〈1571年〉頃 - 寛文5年〈1665年...

  • 虚空蔵城(台城) 長野県佐久市

    虚空蔵城@Google注:イメ-ジ図になります_(._.)_矢島城跡の西北950mに位置する、標高771.8mの虚空蔵山頂で、明治11年(1878)の矢島村誌に、〔虚空蔵城跡〕官有に属す。戌の方10町にあり。東西15間、南北20間、周囲土塁あり。山脈蓼科山より、西は布施村に界す。里俗云う、武田信玄の烽火台なりと。虚空蔵の古石像あり。とある(『長野県町村誌』東信篇。ちなみに、ここが武田氏ののろし台跡と見られていたことは、布施村誌にも...

  • 野らら 長野県佐久市

    ノルディスクで一息ルーシさん寛ぐ🐶本日の⛺・・・・奥のサーカス豪快に焚火・・・・・ありがたきかな!!薪使い放題。キャンプ場の星空・・・・・星が綺麗でした!!ハロウィンはカボチャだ!!寒い朝・・・・・前回は4月末は!!寒かった氷点下6度・・・・今回は3度かな?...

  • 杉山城 栃木県市貝町

    杉山城@Google小貝川と続谷川の合流点付近に当たる。地内には現在は山林となっている杉山城跡があり、城跡の南側には八幡宮が残る。中世期に杉山城があった。那須七騎千本氏の支城とされているが、築城された明確な時期は不明で、薄根家継が築いたともいわれるが、薄根氏の詳細ともどもはっきりしたことは分かっていない。江戸期に芳賀郡の村となる。江戸期始めは那須衆千本氏・福原氏の相給、慶安より幕府領、元禄10年(1697年)...

  • 村上城 栃木県市貝町

    村上城@Google観音山(172.2m)に築かれた山城で東西約200m、南北約250mの規模である。本丸は山頂にあって、東西約40m、南北約85mで不整な三角形状をしている。築城について、古文書によれば、文治3年(1187)平宗清の守る村上城が落ちたとあることから、築城の時期は平安時代末頃と思われる。その後、永和4年(1378)、益子氏の一族村上新助良藤によって現在の遺構のような城が築かれ、村上氏は3代、50年にわたって居住したと伝...

  • 田野辺城 栃木県市貝町

    田野辺城@Google城址は昭和40年代に陸稲田造成のために大規模に高地整理されてしまったということで、遺構はかなり改変されている。田野辺城は千本城の支城の1つであった。永正2年(1505)に千本美濃守資家が、千本城の出城として築いて、弟の三郎資重に守らせたという。その後資重は田野辺氏を名乗るようになる。 天正13年(1585)12月8日、、千本城が落城した際に、田野辺城も同時に落城したという。慈眼寺及び周辺一...

  • 稲毛田城 栃木県芳賀町

    稲毛田城@Google稲毛田城は、歴史不詳の城である。一説には、稲毛田重正や宇都宮氏の家臣綱川右近(左近丞とも)が城主であったとも、或いは古く平城天皇の御宇(9世紀初頭)に下野助・乙貫朝景が築いた城とも言われる。また1361年、稲毛田重一が城主の時に宇都宮氏綱に滅ぼされ、そのまま廃城となったとも伝えられる。稲毛田城は、現在崇信寺の境内となっているが、わずかに北側に土塁の残欠らしい土盛が見られる程度で他に遺構...

  • 祖母井城 栃木県芳賀市

    祖母井城@Google代々宇都宮家の家臣であった、祖母井信濃守吉胤が築いた。永禄元年(1558年)上杉謙信が宇都宮氏を攻めた時、その上杉方の大軍を撃退したが、多功城(上三川町)で討死したと伝えられる。また、祖母井信濃守高宗は、朝鮮征伐で数々の武勲を立てた。その後、信濃守定久は、北条氏の二度にわたる宇都宮攻めの時、それを迎え撃ったり、多気城の守備を固めて防戦に努めた云われる。その後、慶長二年(1597年)...

  • 高橋城 栃木県芳賀町

    高橋城@Google高橋城主高橋氏は、清和源氏佐竹氏の出といわれている。 高橋氏は信州に7000石を領し、木曽義仲に従っていた。その後に義仲が滅ぶと、高橋氏は常陸に下り、後に宇都宮氏の家臣となった。 高橋氏は宇都宮氏に従ったが、小山義政の乱の際、高橋氏は小山方についている。高橋氏の動きにより、小山氏の勢力がここまで及んでいたことがうかがえる。 高橋氏は16代、約260年間続き、1597年に宇都宮氏が滅亡...

  • おいらの森 ライトフォレスト 区画Cサイト直火OK

    本日は直火を堪能する為の区画サイトCTCタープで、パスファインダ-にて⛺タ・キ・ビ 焚火を楽しむ!!日が落ち・・・・・・・焚火🔥を堪能2023.10.8~9人気ブログランキング人気ブログランキング...

  • 舟戸城 栃木県芳賀城

    舟戸城@Google舟戸城の築城者、築城年代は定かではないが、応永年間(1394~1428年)に水沼勝侶が築いたという言い伝えと、天文年間(1532~55年)に水沼五郎が築いたという言い伝えがある。 また、1597年の宇都宮国綱時代の二荒山神社の家臣名簿に「風見信濃守住す」とある。城址の北側には芳賀天満宮が有りその拝殿の北側は堀が残り、城址全体は霊園(墓地)と山林となっているが随所に良好に遺構を見る事が...

  • 大増城 茨城県石岡市

    大増城@Google 大増城は、八郷町の北部にある。県道64号線沿いに「大増」というバス停があるが、その西側に少し入っていった所に顕徳院という寺院がある。その西南側の比高20mほどの台地が城址である。台地奥の1郭の土塁上には八幡神社の祠が祭られており、八幡平城の別名はこれによるものである。またこの城に南側から続く登城道は馬場道と呼ばれているという。㊟イメ-ジ図になります。大増城は戦国時代、古尾谷壱岐守の居...

  • Freedom~プライベート野営地~

    2023.9.24~25人気ブログランキング...

  • 池亀城 茨城県桜川市

    池亀城@Google㊟イメ-ジ図になります。桜川市池亀の、高嶺から南へ伸びる標高約123mの台地先端部に築かれている。南北約300m東西約50mの細長い規模の大きな城跡である。アクセス方法は、東側山麓の吉祥院という寺院から登る方法である。この台地の山麓には数軒の民家があるが、その奥の方に吉祥院はある(現在は無住で、公民館と兼ねている建物である)。磯部館と共に笠間氏の益子氏に対する前線の城であった。笠間氏...

  • 門毛城(前根城) 茨城県桜川市

    門毛城@Google㊟イメ-ジ図になります。JR水戸線羽黒駅の北約5㎞場所、県道257号線を北の益子方面に走行し、ここで茂木方面に県道286号線が分岐する。その分岐点の東に二所神社があり、その裏、東に位置する標高533.3mの雨巻山から南西に派生する尾根末端部が城址である。標高533mの雨巻山から、南西の門毛の集落に延びた幅広の台地部分に門毛城は築かれている。山麓の集落からの比高は20mほどと、比較的低い位置に築かれ...

  • 唐沢山城 栃木県佐野市 2023

    ㊟主要遺構のみの探索です・・・・・・・暑くて・・・・・・・・・・・人気ブログランキング...

  • スノ-ピ-クス白河高原 2023.9.10~11

    ここは白河高原!!shirakawa_fieldmap湖の奥がサイト・・・旧エンゼルのサイトはコテ-ジへ!!受付はスノピにて・・・受付前に、スマホでチェツクインを・・・・・今回は・・・電源区画サイト、奥がフリ-サイトエンゼルの看板犬ジーナさん!!今回の白河ラーメンは・・・・みつわ亭チヤ-シュ-メン・・・・普通でした。2023.9.10~11 初人気ブログランキング...

  • 行田花手水 202309

    2023.9.3人気ブログランキング...

  • 大槻城(藤倉山城) 栃木県矢板市

    大築城@Google㊟イメ-ジ図になります。矢板市大槻の藤倉山という山の山頂に、北側に堀切と東西に横堀を備え、南を崖とする小さな単郭の城郭遺構がある。当城は陣城で、曲輪の規模や内部が概ね平らながら未整地であり、また曲輪の規模も小さい。永禄2年(1559年)10月に、当地は結城晴朝の軍勢に攻められ激戦地となっており、築城はこの時の可能性が高く、矢板の遺跡地図も、その見解に基づき当城郭の築城時期を「中世」と記して...

  • 境林城 栃木県矢板市

    境林城@Google㊟イメ-ジ図になります矢板市の遺跡地図に「滝原台大溝」と紹介される当城跡は、川崎城から堀江山城に続く尾根の南東にあり、川崎城から南約500mのところに堀江山城があり、その堀江山城の南東約1kmの場所に城郭遺構が残り、その距離の近さから川崎城の出丸として機能したものと考えられているが、その築城年代、築城者などの歴史は全く不明である。矢板市の遺跡地図において「滝原台大溝」と記されるのは、当城郭...

  • LAKE SIDE BASE(塩谷町東古屋キャンプ場)

    東古屋湖・・・・この先にLAKE SIDE BASE(塩谷町東古屋キャンプ場)が有ります此方が受付、BUSH CRAFT BASEと同様の君嶋林業さんで(去年迄は塩谷町の運営でしたが、君嶋林業さんに変わり、ルールが明確になったと思います)いざサイトへ・・全てフリ-サイト本日のタープ泊 オープンスタイル埜瑩堂さんではArmet、ゆい△女子キャンさんではTuyuriTeepeeと 今回は、中を二股にしました。鳶が舞本日の薪 1篭使いきれませんでした...

  • 八木岡城 栃木県真岡市

    八木岡城@Google芳賀氏11代高俊の四男高房が八木岡の東館に居住して、八木岡を姓とし八木岡肥後守高房と称した永仁年間(1293-98)に築城。延元4年(1339年)2月、南朝の武将春日顕時に攻められ一度目の落城。城中の惣領以下は一人残らず殺される。その後春日軍は、益子城、上三川城、箕輪城、飛山城、宇都宮城の北朝軍を打ち破ったという。天文13年(1544年)に、下野への侵攻を企む武将水谷正村を阻止すべく、当時の城主八木岡...

  • 久下田城 茨城県筑西市

      久下田城@Google天慶年間(938-948)、藤原秀郷が平将門追討のために築いた三館(上館・中館・下館)のうち上館にあたるという伝承がある。結城・水谷と宇都宮氏の対立が深まっていた天文14年(1545年)、下館城主の水谷正村(蟠竜斎)が北方の宇都宮氏から下館領を守るため、下館城の北に築城した。本丸跡が公園となっており、それを囲むように2つの郭が残る。空堀、土塁のほか、現在は用水路となっている水堀など多...

  • 中村城 栃木県真岡市

    中村城@Google東西415メートル、南北455メートルのほぼ方形の地が城域とされ、周囲に幅8メートル、深さ5,6メートルの空堀がめぐらされた大規模な中世領主の城館跡である。奥州伊達氏の祖である藤原朝宗は1156年(保元元年)は藤原氏本家の荘園でもあった中村荘に住み、中村八幡宮の南東に館を築いて中村荘を管理し、中村太郎と呼ばれたとされている中村城を築城したとされる藤原朝宗は保元の乱後に下野国芳賀郡中村荘に下向し中村...

  • 長沼古館 栃木県真岡市

    長沼古館@Google宗光寺の北側周辺には方形の堀の跡がはっきりと残されており、こちらが長沼城に移る前の古い館跡で在ったと云われる・・・・・・長沼城は消滅していると思われる!!宗光寺は芳賀郡二宮町長沼(現真岡市長沼)新御堂山、天台宗の別格本山として848(嘉祥元)年慈覚大師により、関東の比叡山として開基されました。その後1190(建久1)年に長沼宗政が源頼朝の本願により鎌倉大御堂を遷し、新御堂を建立。1351(観応...

  • 館林城 城門跡と現存遺構

    館林城@Google館林城概念図江戸口御門跡小泉口御門跡 日清製粉工場内に堀が残る城下北東部台宿の堀跡城下北部 台宿町の土塁太田口御門跡佐野口御門跡佐野口御門跡朝日町に残る総構の堀・・・・・土塁は見られない?消滅か!!加法師口御門加法師口側の総郭に残る土塁と堀跡城下北東部に残る土塁 加法師町曳町に残る土塁下戸張口御門跡館林城 大手門跡千貫門跡土橋門(復元)土橋門に残る土塁 三之丸の西側にも土塁は残る稲荷...

  • 門井館 埼玉県加須市

    門井館@Google『加須市史』は、天正十年(1582)足利義氏が家臣・石川信濃守に発給した所領安堵状に「殊御代官所は南大桑に前々の如く仰せ付けられ候」と記され、この“南大桑の代官所”を門井館と関連付けている。又元享元年(1321)の銘のある板石塔姿が屋敷内から出土した。西側の堀・・・・この時期は仕方ありません南西から南側から見た館南側の堀・・・・水が豊富に有ります奥に長屋門が・・・・見えます南東側の堀跡・・・こ...

  • 堀越館改 埼玉県羽生市

    堀越館@Google遺構配置図二重の堀を持つ館で在り、築城者は不明で・・・・堀越家の先祖が代々住居していた事からこの名称とした。北側と西側に肉眼でも堀でき、確認でき平成14年の発掘調査で堀を検出し、二重に全周する形態で有る事が確認。又内側にも、もう一条の堀が確認でき、幾度かの改修が行われたことが推定される。館の内堀の北西部に有る、堀越忠右衛門が承応元年(1652)に建立した祠(稲荷、八幡、天神社合祀)の年代が...

  • 羽生城2023改 埼玉県羽生市

    羽生城@Google羽生城概念図2023羽生城之図(現地説明板を参考に作成)16世紀初頭の築城とされ、永禄3年(1560年)の長尾景虎(後の上杉謙信)による関東出兵以降、上杉方の関東攻略の拠点となったが、後北条氏の度重なる攻撃を受け天正2年(1574年)閏11月に自落した。その後、城は後北条氏から成田氏に与えられ、天正18年(1590年)の徳川家康の関東入封後は大久保氏に与えられ、慶長19年(1614年)1月に廃城となった。羽生市の...

  • 芳朝寺 栃木県那須烏山市

    武将・那須資隆の長男にして那須与一の兄である那須光隆の開基とされ、800年ほど前に創建されたお寺です。光隆は法名を大雲芳朝居士と号したことから、寺院名は大雲山光隆院芳朝寺という。那須光隆は1187年に森田の地を分知され、森田城を築いて森田氏を称するようになり、その森田氏の菩提寺として芳朝寺が建立されましたはじめは森田字石原に建てられていたが、森田氏が没落して大田原氏領となってからは大田原氏の菩提寺となり...

  • おいらの森 デイ-プフォレスト

    夏の空・・・・・広場からディ-プフォレストへ・・・・暑い日は焼肉暑い日はこれ本日はアンデイロックお気に入りのランタンとウッドスト-ブ雨あがりの朝2023.8.7~8...

  • 森田城 栃木県那須烏山市

    森田城@Google㊟イメ-ジ図になります(○・_ゝ・○)ノ 文治三年(1187年)に那須資隆の長男太郎光隆がこの地を分知され、森田城を築いて、森田氏を称した。以来那須十氏の一つ森田氏代々の居城となったが、天正十八年(1590年)豊富秀吉による烏山城主の那須氏の改易に伴い、森田城も廃城となった。その後、慶長五年(1600年)大田原城主綱清の次子増清は、本家大田原氏領の内小塙地内を石高25石で永代借地し、字上の台...

  • 館山城 栃木県那須郡那須町

    館山城@Google西坂の東側を流れる川を菖蒲川という。この川に沿って南下すると岩肌の露出した岩山がある。館山城跡である。奥州道中分間延絵図には上館・中館・下館とあり、三つの山で館山城が形成されていたと考えられる。現在は二つが確認できるが、規模からすると芦野氏居館の要害(詰城)ではないか見られている。芦野氏旧墳墓側の説明板から見た館山城右手の竹林から城址へ・・・・・・・・最初の横堀で、端に土橋が有る土橋...

  • 沼野井氏館 栃木県那須郡那須町

    沼野井氏館@Google伊王野沼野井本郷のやや中央に「堀之内」という小字名がある。沼井氏の拠点で居館があったと伝えられ、また実際に居館の若干の形跡が残っている。ここは、一帯の水田よりは一段高い余笹川西岸の丘陵で、谷を望む突端を占めている。居館の主人公である沼井氏は、姓が「沼の上」→「沼野井」→「沼井」と転訛する。同氏の興りについては二説あり、一つは沼野井温泉神社蔵の「神号軸」による、久寿2年(1155)夏...

  • 伊王野氏館 栃木県那須郡那須町

     伊王野城・伊王野氏館@Google現在の伊王野小学校跡のすべてが伊王野氏居館跡である。この居館は鎌倉時代初期(約800年前)、伊王野資長の築城と伝えられている。資長は、那須余一の異母弟で那須家の惣領となった頼資の次男である。ここに居館があったのは、室町時代の長享元年(1487)頃に後背地の山城に移るまでの約300年間とさらに下って江戸時代の寛永4年(1627)から同10年(1633)の6年間であっ...

  • 芦野氏館 栃木県那須郡那須町

    芦野城・芦野氏館@Google周りを水田に囲まれた一段高くなった畑地で、いつの世にか北側中央に熊野権現がまつられていたので熊野堂と称されている。居館跡の畑地は東西100m、南北120mあり、周囲にはかつて短冊形に、堀と推定される水田があった。内部には土塁がめぐっていたとみられるが、長い年月の間に削られ、北側にわずかにその痕跡が認められる。形式は那珂川町(旧小川町)神田城跡や現大田原市(旧黒羽町)枡型居館...

  • 健中寺 芦野氏菩提寺

    保寧山最雄院建中寺という。文書によっては乾中寺と表記するものもあるが、火事が多かったというので、「乾」を「建」に代えたという。曹洞宗で福島県番沢の峰全院の末寺である。開創は、文明年中(1469―89)とも、永正2年(1505)、永禄年中(1558―69)ともいう。芦野家の菩提寺である。芦野氏新墳墓芦野氏19代資俊から27代資原までの9代の墓域は本堂の南に位置した御霊山と呼ばれる一画にあり、他の墓所と区別されている。本堂の...

  • 芦野城 栃木県那須郡那須町

    芦野城・芦野氏館@Google芦野氏の近世の居城(陣屋)跡である。奈良川の東岸にあり、芦野の町並みを見おろす丘陵上に位置している。面積は約3haで、現在は山林と公園になっている。構築の年代には二説あり、一つは天文年間(1532~55)芦野資興の代であり、一つは天正18年(1590)芦野盛泰の代であるが、城の形式から前者の説が妥当と考えられている。明治4年廃藩置県まで約三百数十年間ここに芦野氏の居城があっ...

  • 二岐ヶ峰城 栃木県那須郡那須町

    二岐ヶ峰城@Google㊟イメ-ジ図になります(・Д・)ノ簑沢の三蔵川と大ヶ谷方面から流れる木下川の合流点に囲まれた高台にある。城跡の北方の高戸山(たかとやま)を主峰とする一連の突き出た所を巧みに利用した城といえる。城跡は、その険しい地形を削り取ったり、空掘を設けてたりして築城している。地域の人々は要害山と呼んでいる通り、戦乱時の拠点にふさわしい山城である。その居館は、簑沢養福院と要害山の間にある馬蹄形の...

  • 俺らの野営地 BUSH CRAFT BASE

    2023.7.23~24人気ブログランキング...

  • 泉城 栃木県塩谷郡塩谷町

    泉城@Google㊟イメ-ジ図になります♪(o・ω・)ノ))東側よりの城址遠景、鉄塔の在る場が城址ここから入る、鉄塔を目指し進む!!麓は藪だが、少し進むと作業道が出てくるので上手く利用し上を目指す!!東から見上げた郭1・・・・緩やかな斜面を直登郭1北側の堀・・・・鉄塔への作業道でも有るのだろう!郭1には鉄塔有り郭1西側の堀郭1南側の堀・・・・北側半分は軽藪郭2 南側の堀郭2 南側の堀西側の竪堀西側の堀切郭2西側の堀郭...

  • 千石墻の砦 群馬県上野村

    千石墻の砦@Google歴史的詳細は不明で有るが、伝承によると今井兼平の城で在ったとも云われる。千石墻の砦は、国民宿舎ヴィラせせらぎの北東800mほどの所にある、比高140mほどの山稜上に築かれていました。神流川が南東側に湾曲するところに半島状に突き出した地形に砦は有ります。駐車場の所から、新要橋の下をくぐって遊歩道が付けられ、これを進んでいくがいずれ散策道無くなり山道を行く事になるが遊歩道は閉鎖されて...

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