ヤマシロ さん プロフィール

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ヤマシロさん: 古城巡り2015
ハンドル名ヤマシロ さん
ブログタイトル古城巡り2015
ブログURLhttp://yamashiro2015.blog.fc2.com/
サイト紹介文関東を中心に全国の、城館や史跡をデジタルアルバムのデジブックにて現在の城を紹介して行きます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供332回 / 365日(平均6.4回/週) - 参加 2015/08/12 19:14

ヤマシロ さんのブログ記事

  • 小倉城 2017改 埼玉県ときがわ
  • 小倉城 2017改①小倉城 2017改②小倉城跡にかかわる同時代の確実な文書は発見されていないが、江戸時代の『新編武蔵風土記稿』では、戦国時代の関東に覇を唱えた後北条氏の重臣遠山氏を城主として伝えています。また、『武蔵志』では遠山氏、或いは上田氏とも伝えています。小倉城は、攻守一体で様々な工夫が凝らされた削平地をつらねた戦国時代の山城で、通称城山と呼ばれる山の山頂から中腹にかかえて所在している。小倉城  [続きを読む]
  • 青山城 2017改 埼玉県小川町
  • 青山城 2017改青山城跡は、青山と下里の大字境に位置し、青山側では青山城、下里側では割谷城と呼ばれています。城跡は尾根を巧みに利用し、標高265メートルの山頂部に築かれた本郭を中心に、南西に二の郭、南東に三の郭をコの字状に配し、それぞれの郭は深い堀切で画されています。また、本郭の南東側および二の郭の東側には帯郭がよく残されています。 本城が築かれて年代については不明な部分が多いのですが、関八州古戦録 [続きを読む]
  • 腰越城 2017改 埼玉県小川町
  • 腰越城 2017改槻川に三方を囲まれた天然の要害に築かれた戦国時代の典型的な山城で、松山城主上田氏の家老山田伊賀守直定の居城として伝えられています。標高216mを測る本郭からは、東に小川盆地や比企丘陵の山々、西に堂平山・笠山や安戸方面を見渡すことができ、すばらしい眺望が開けています。 城郭は、山頂の本郭を中心に二の郭・西の郭・帯郭など大小様々な17の郭と、竪堀・堀切などから構成されており、巧みに組み合 [続きを読む]
  • 青鳥城 埼玉県東松山市
  • 青鳥城跡は、古伝によれば天長年間(830年頃)に青鳥判官藤原恒義の館跡と伝えられていますが、築城がそこまで遡ることは考えられず、早くても平安末期頃、豪族の館として本郭の部分が作られたと考えられます。青鳥城城址碑 主郭鎌倉時代には城塞が形成されていたとも考えられていますが、築城様式から南北朝の頃営造されたものであろうと考えられています。二ノ丸土塁空堀戦国時代には、松山城に最も手近な出城であったと考えら [続きを読む]
  • 松山城 福島県須賀川市
  • 松山城1537年に田村隆顕と同盟関係にあった蘆名盛氏が二階堂照行の松山城を攻撃したとある。また1562年、蘆名盛氏・盛興親子が松山城を修築して横田城を攻めて横田氏を捕らえたとある。仙道軍記によると、「1562年に田村氏が松山城を攻略して籠城したが、二階堂氏が兵糧攻めに出て田村氏が敗退した」とある。松山城は、横田地区にある岩崎山史跡公園となっている丘陵に築かれている。松山城 麓から松山城 入り口 岩崎山史跡公園 [続きを読む]
  • 長沼城 福島県須賀川市
  • 長沼城戦国時代には蘆名氏と二階堂氏による争奪戦が繰り返された。文応元年(1260年)長沼隆時が築城したといわれているが、詳細は不明。永禄9年(1566年)、二階堂盛義が蘆名盛氏に敗れたことにより、長沼城は蘆名氏の支配下に置かれ、新国貞道が城主となった。蘆名氏が天正17年(1589年)に滅亡した後、新国氏は伊達氏に仕えた。天正18年(1590年)には豊臣秀吉の命により奥州に国替となった蒲生氏郷の支配下に移り、蒲生郷安が [続きを読む]
  • 三春城 福島県三春町
  • 三春城三春城がいつ頃築城されたのかはわからない。史料上はっきりしていることは、永正年間(16世紀初頭)に田村義顕が守山城(現在の福島県郡山市)より三春城に本拠を移したという。田村氏は田村郡全域を支配していた豪族で、系図上は坂上田村麻呂の子孫となっているがその点は疑問符が付く。田村氏は義顕の後、田村隆顕、田村清顕と続く。隆顕と清顕の時代、田村郡のある仙道地域(現在の福島県中通り)は、会津黒川城の蘆名氏 [続きを読む]