樋口山城守与六 さん プロフィール

  •  
樋口山城守与六さん: 古城巡り 写真館
ハンドル名樋口山城守与六 さん
ブログタイトル古城巡り 写真館
ブログURLhttp://yamashiro2015.blog.fc2.com/
サイト紹介文関東を中心に全国の、城館や史跡をデジタルアルバムのデジブックにて現在の城を紹介して行きます。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供374回 / 365日(平均7.2回/週) - 参加 2015/08/12 19:14

樋口山城守与六 さんのブログ記事

  • 大洲城〜ここにも藤堂高虎の名が!!
  • 大洲城 肱川の河畔に望む大洲城は、元弘元年(1331年)鎌倉時代末期に守護として国入りした伊予宇都宮氏の宇都宮豊房によって築城されたといわれ、その後、藤堂高虎等によって大規模に修築がなされ、伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は繁栄していきました。 明治維新後は、城内のほとんどの建築物が破却されたものの、地元住民の活動によって本丸の天守・櫓は一部保存されましたが、明治21年(1888年)老朽化により、 [続きを読む]
  • 宇和島城〜藤堂高虎築城
  • 宇和島城伊達十万石の城下町”と呼ばれ、江戸時代から四国西南地域の中心として発展してきた宇和島市は、日本屈指のリアス式海岸地帯にあります。城はその最深部、現市街地のほぼ中央にあり、慶長元〜6年(1596〜1601)の藤堂高虎創建時には大半が海に面する地形を巧みに活かした縄張となっていました。石垣や天守、矢倉は、元和元年(1615)に入部した伊達家により修築されていきますが、基本的な城構えは高虎時代のものを引き継 [続きを読む]
  • 太宰府〜古代日本の「西の都」
  • 大宰(おほ みこともち)とは、地方行政上重要な地域に置かれ、数ヶ国程度の広い地域を統治する役職で、いわば地方行政長官である。大宝律令以前には吉備大宰(天武天皇8年(679年))、周防総令(天武天皇14年(685年))、伊予総領(持統天皇3年(689年))などあったが、大宝令の施行とともに廃止され、大宰の帥のみが残された。『続日本紀』文武天皇4年(700年)10月の条に「直大壱石上朝臣麻呂を筑紫総領に、直広参小野朝臣毛 [続きを読む]
  • 鴻臚館〜古代の迎賓館
  • 鴻臚館(こうろかん)は平安時代に設置された外交および海外交易の施設である。前身として筑紫館や難波館が奈良時代以前から存在した。その名称は北斉からあった九寺のうちの外交施設「鴻臚寺」に由来し、唐の時代にその名称が日本に導入された。「鴻」は大きな鳥の意から転じて大きいの意。「臚」は腹の意から転じて伝え告げるの意。「鴻臚」という言葉は外交使節の来訪を告げる声を意味していた。筑紫館 遠景この施設は筑紫館( [続きを読む]
  • 福岡城 福岡県福岡市
  • 福岡城 大天守迄福岡城 月見櫓 名島城福岡城 城址碑江戸時代初頭、関ヶ原の戦いで功績のあった外様大名の黒田長政が、博多を望む警固村福崎の丘陵地に築いた。それ以降は明治まで福岡藩黒田氏の居城となった。築城の際に、福崎を黒田家ゆかりの地である備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)の地名にちなみ「福岡」と改めた。福崎丘陵に築かれた平山城。普請奉行は野口佐助一成である。城地とされた福崎丘陵(那珂郡警 [続きを読む]
  • 名島城 福岡県福岡市名島
  • 博多湾に突き出した標高50mの丘陵に築かれ、三方を海に囲まれた東西300m×南北100mの土地に、北に本丸(区画の外に南丸と呼ばれる場所がある)、南に二の丸(区画内の一部を三の丸とする)の二つの郭で構成されていた。安芸国三原城と同様、水軍の根拠地(水城)としての性格の強い城であった。『筑前国続風土記』によれば、本丸よりも二の丸の区画の方が大きかったという。名島城 城址碑豊前国の戦国大名大友氏の庶流であった立 [続きを読む]
  • 鑰掛城 群馬県高崎市倉渕
  • 鑰掛城南を相間川に望む断崖絶壁の細い尾根に沿ってつくられた東西約300メートルの長さを持つ並廓式の城。倉渕町岩氷に本丸(もとまる)という所があり、その要害城であると推定されている。歴史的詳細は不明であるが、城主 この地域は大戸真楽斎の支配から武田氏の臣、真田氏の支配に移りやがて北条氏の侵入により占拠され、天正18年小田原の役で前田氏に下ったという。鑰掛城 入り口林道、ここまで来る林道は細く運転には細 [続きを読む]
  • 権田城 群馬県高崎市倉渕
  • 権田城自然の地形を巧みに利用した不規則な珍しい形式の丘城です。伝承では権田淡路守の居城といわれています。永禄年間、武田氏が西上州に侵入してきたとき、大戸浦野氏に支配された記録が残っています。付近からは鎌倉期の板碑や五輪塔などが発見されています。権田城 西側から見た主郭権田城 説明板城址へは草津街道から小栗上野介の墓の有る東善寺を通り過ぎて小学校手前の上ノ久保へ上がる道路を行きます道を進むと、田を挟 [続きを読む]
  • 中尾城 群馬県高崎市倉渕
  • 倉渕から地蔵峠への道が通る所で鬼久保と寺沢との間南の丘陵東先端部が城址となり中尾公民館の先から城址の丘陵へと行く事が出来る。歴史的詳細は不明である、松井田から地蔵峠を越えて権田から大戸へ至草津街道と大笹道との関係のい有る砦と思われる。中尾城 城址先端部遠景中尾城 城址北側中尾城 滝沢家墓所の西側から、道路は堀跡? [続きを読む]
  • 大明神山の砦 群馬県高崎市倉渕
  • 大明神山の砦大明神山の砦 浅間神社 社殿の裏手から山頂へこの砦は別名「駒形城」ともいわれ、戦国時代後期の築城で、真田昌幸が北条勢の吾妻侵攻に備えて築かせたものであるといわれ、本丸は烏川を望む断崖の上にあり、狼煙台にも利用されていました。麓には浅間神社があり、戦国時代には浅間寺があって、修験道大宝院がこの城の烽火師でした。大明神山の砦 堀切大明神山の砦 堀切大明神山の砦 主郭と土塁大名神山の砦 遠景 [続きを読む]
  • 天狗山の砦
  • 天狗山の砦草津街道から33号線へ入ると、砦への入り口が道路からも見えます。大明神山の砦の南約500メートルの地点にあり、古城と呼ばれています。真田氏の築城と考えられ、大明神山の砦と併せて、別城一廓をなしています。頂上には天狗が祀られており、麓は前内出という地名が残っているように、砦の範囲を示しています。また、東の麓には東善寺の前身の寺跡があります。天狗山の砦 入り口の切通天狗山の砦 西の堀切 天狗山の [続きを読む]
  • 三ノ倉城(栗崎城) 群馬県高崎市倉渕
  • 三ノ倉城(栗崎城)城址は、全透院背後の裏山が城址になりふもとの全透院が鋸南跡ではないだろうか?城址へは、全透院東側から鉄塔迄の道が有り簡単に城址へと辿り着きます。単曲輪で主郭には土塁が巡り、腰曲輪が巡らされている!!三ノ倉城 全透院説明板三ノ倉城は室町中期頃に大戸の海野氏一族の浦野氏によって築かれた城で室田に鷹巣城・長野氏の監視、防衛を目的に築かれたと思われます実際に長野氏との間にこの城を舞台に戦 [続きを読む]
  • 小栗上野介 史跡 群馬県高崎市倉渕
  • 徳川家の旗本小栗家(神田駿河台)に生まれ、1860年(万延元年)34歳の時、井伊大老の抜擢により日米修好通商条約批准の遣米使節(目付・監察)として、米艦ポウハタン号で渡米、さらに二隻の船を乗り継いで地球一周して帰国。その後の八年間幕政をささえ、日本の近代化を押し進めた。慶応四年三月、幕府から帰農許可を得て領地である権田村に移住。東善寺を仮住まいとして観音山に住宅建設を進める。65日後の同年閏四月六日 [続きを読む]
  • 羽黒神社館 山形県米沢市
  • 上谷地館の北西200m、川井館の南100mに位置する羽黒神社は「山形県中世城館調査報告書」に城館として登録されています。歴史的詳細は不明、羽黒神社の有る場所が主要曲輪で北斜面に帯曲輪が残る。羽黒神社館羽黒神社館 曲輪羽黒神社館 羽黒神社社殿羽黒神社館 斜面に帯曲輪が見える大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) [続きを読む]
  • 米澤城 山形県米沢市2017.6.11
  • 戦国時代後期には伊達氏の本拠地が置かれ、伊達政宗の出生した城でもある。江戸時代には米沢藩の藩庁が置かれて上杉景勝・上杉鷹山などの歴代藩主が居住した。平城で、本丸・二の丸・三の丸からなる輪郭式縄張りの城である[1]。10基の櫓と17棟の門が開かれた。上杉氏築城当時30万石の大名の居城であって、石垣や天守は構えられず、土塁を築き本丸に2基の三階櫓を建てて天守の代用としていた。現在、本丸跡は上杉神社の境内となってお [続きを読む]
  • 米沢館山城 山形県米沢市2017
  • 米沢館山城① 東館米沢館山城② 南虎口から曲輪2米沢館山城③ 曲輪3から南虎口へ館山城 2016年に国史跡指定後初登城館山城 東館跡 数年前にはトレンチが幾つも有りました伊達氏は鎌倉時代以来、梁川城(福島県伊達市)を約300年間本拠とし、年代に異説があるが南朝:元中2年/北朝:至徳2年(1385年)に長井氏を滅ぼして置賜郡(長井郡、長井荘とも別称)を領有した。16世紀に入り、伊達稙宗が天文元年(1532年)桑折西山城(福 [続きを読む]
  • 前田慶次屋敷=無苦庵 山形県米沢市
  • 慶次が余生をおくったとされる屋敷です。庵が存在したとみられる範囲には、土塁の一部と堀の跡が残っています。 慶次の友人でもあった直江兼続や志田修理義秀らも、庵を訪ねたといわれています。近年、発掘調査が行われ江戸初期の遺構が発見されほぼ、前田慶次が晩年を過ごした屋敷跡とされる。出羽堂森善光寺出羽善光寺 前田慶次供養塔前田慶次屋敷 = 無苦庵前田慶次屋敷 土塁前田慶次屋敷 現地説明板より前田慶次屋敷跡  [続きを読む]
  • 堂森山館 山形県米沢市
  • 前田慶次の供養塔が有る出羽善光寺の裏手の山、堂森山に館跡が在ったとされるが・・・・めぼしい遺構を見る事は出来ない。山頂部は、月見平と言われ前田慶次が堂森の地で晩年を過ごした際に直江兼続や地元住民などと酒を酌み交わした場所である。麓前田慶次の供養塔から堂森山を見上げる大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) [続きを読む]