白州ふるさと文庫 山口素堂資料室 さん プロフィール

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白州ふるさと文庫 山口素堂資料室さん: 三枝雲岱と周辺の人々
ハンドル名白州ふるさと文庫 山口素堂資料室 さん
ブログタイトル三枝雲岱と周辺の人々
ブログURLhttp://blogs.yahoo.co.jp/saegusauntai
サイト紹介文山梨県古代・中世・近世・現代の歴史文学旧跡を紹介しています。
自由文郷土の資料(有形・無形)急速に消失しています。先人たちの足跡を顕彰することは現代人の使命と思います。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供1689回 / 365日(平均32.4回/週) - 参加 2015/08/13 13:54

白州ふるさと文庫 山口素堂資料室 さんのブログ記事

  • 幸燈(こうとう)神社 唐土(からど)大明神) 山高
  • 幸燈(こうとう)神社 唐土(からど)大明神) 山高『武川村誌』一部加筆 天照大神の御妹にワカヒルメノミコトといって、女神であるが非常に勇ましい神様がおられた。ある日機屋で機を織っておいでになった。傍に天照大神(アマテラスオオカミ)が、これをご覧になっておられた。 すると、そこへ天照大神の御弟の凶暴さで有名スサノウノミコトが、血の滴る馬の皮を提げて現われ機屋をめがけて投げつけた。大神は、驚いて、 [続きを読む]
  • 丑の刻詣り 山高 北杜市武川町 口碑・伝説 
  • 丑の刻詣り 山高 北杜市武川町 口碑・伝説 『武川村誌』一部加筆山高の豪族山高氏が、武田信玄に従い信濃の河中嶋合戦に参加したころ、出陣するときには、まず村内から穀を徴発して兵糧の用意をした。 そして氏神、唐土大明神の境内で徴発した穀でお粥を煮て神に供え、また将士も共に食べて武運長久を祈った。さらに握り飯を作って兵糧として戦に臨んだ。ちょうどその時刻が丑の刻であったという。 このことが、三もとになっ [続きを読む]
  • 鰻を喰うと目が潰れる 北杜市武川町山高 口碑・伝説 
  • 鰻を喰うと目が潰れる 北杜市武川町山高 口碑・伝説 『武川村誌』一部加筆 山高の幸燈宮の祭神、稚日要命(わかひるめのみこと)は、女ながらも武勇並びなき軍神で、ある時騎馬で出陣し、ある沼辺で敵の大将と組討ちになり、沼の中へ落ちてしまった。沼は泥が深くて、どうにもならなかった。すると泥の中から何にか命を押し上げるものがあるではないか、命は、これに力を得て有利な態勢になり敵将を倒すことができた。この [続きを読む]
  • 十三夜のお月さん 北杜市武川町 口碑・伝説 
  • 十三夜のお月さん 北杜市武川町 口碑・伝説 『武川村誌』一部加筆 昔、柳沢に小池くまさんと、小池いまさんという老婆がいた。この人たちは、旧暦の一月十三日のお月さんが西にそびゆる駒ヶ岳の北隣り、鞍掛山に没する場所によって、その年の豊凶を占うという珍しい信仰者であった。 そのやり方は、大きなだんごを棒にさして柳沢の「トヨの柿の木」という地名の場所にきて十三夜のお月さんが鞍掛山に没する時刻に、一心に [続きを読む]
  • 大萱のお姫さま(八の宮の祝神)北杜市武川町 口碑・伝説 
  • 大萱のお姫さま(八の宮の祝神)北杜市武川町 口碑・伝説 『武川村誌』一部加筆 御門の勘気にふれ、後陽成天皇の第八皇子に良純法親王という方がおられた。この皇子を八の宮ともいった。この八の宮が都落ちしてきて、数人の家来と大萱の下に住み、家来と一緒に田や畑をつくり、十四、五年住みついていた。その住居あとには、家来の墓も残っている。子孫は柳沢へ行って落ち着いたという。 八の宮は高龍寺や高龍寺の末寺の興 [続きを読む]
  • 文殊菩薩 狐と泥鰌(どじょう)北杜市武川町 口碑・伝説 
  • 文殊菩薩 狐と泥鰌(どじょう)北杜市武川町 口碑・伝説 『武川村誌』一部加筆 上三吹地内新屋敷の北方に、村人からお文殊原と呼ばれている流れ残りの丘がある。文殊菩薩は昔からこの地にあったが、明治三十一年九月の大水害の際流されて、今は長松山寓休院の境内にある文殊堂に祀られている。毎年陰暦七月二十四日の夜から二十五日に、かけて上下三吹で祭典を行っている。この菩薩は昔から生狐といわれている。村内に大火 [続きを読む]
  • 富士塚の狐   北杜市武川町 口碑・伝説  
  • 富士塚の狐     北杜市武川町 口碑・伝説 『武川村誌』一部加筆  中山の南端、三吹字向山に一つの塚がある。形が小さく変形もしているが、村人は昔からこれを富士塚と呼んでいる。この塚は数百年前、現在の所有者小野忠則氏の先祖が上三吹区内の文珠の森から数匹の狐を移し小野家の祝神として祀った。以来同家では初春の午の日を卜し祭祀を行い霊験にあやかろうとした。伝えられるところによると、その霊験が、あらた [続きを読む]
  • 扇屋の管狐 北杜市武川町 口碑・伝説
  • 扇屋の管狐 北杜市武川町 口碑・伝説 『武川村誌』一部加筆 牧原の中ほどに扇星の屋敷跡がある。今からおよそ二〇〇年ばかり前、寛政年間のことである。扇屋は本姓を久保田家と称した。扇屋といったのは、事件後の屋号である。久保田家は、寛政以前は相当栄えていたが、為右衛門の時、別に定まった職業もないため、青年時代への憧れから江戸へ出かけた。江戸へ行っても、田舎者の彼を雇ってくれる者はなく、といって、親や [続きを読む]
  • 武川町、国指定文化財 天然記念物 神代桜
  • 武川町、国指定文化財 天然記念物 神代桜 武川村には大武川を境として左岸に舞鶴松、右岸には神代桜がある。この松と桜はいずれも日本一という折紙付きの天然記念物として、今日あるのは、武川村の自然環境がいかに良いかを物語っているといえよう。 山高実相寺の神代桜(大正十一年十月十二日指定) このサクラに就いては「植物編」で詳しく述べているのでここでは省略し、ただこれにまつわる伝説、詩歌などを書き留めよう。 [続きを読む]
  • 徳川家康 武川衆二十四士重恩之惣目録
  • 徳川家康 武川衆二十四士重恩之惣目録解説(武川村誌 佐藤八郎氏著) 天正十八年 庚寅(一五九〇)正月廿七日  武川衆二十四士重恩之惣日録(折紙)「 御重恩之地 一、仁百表  馬場勘五郎○ 馬場勘五郎、美濃守信春の子、民部信義をいう。 一、仁百表  曲渕玄長   ○ 曲渕玄長、勝左衛門吉景をいう。一、仁百表  青木尾張  ○ 青木尾張、尾張守信時をいう。一、仁百表  青木弥三左衛門  ○ 同弥三 [続きを読む]
  • 徳川家康 折井九郎次郎次忠所領検地
  • 徳川家康 折井九郎次郎次忠所領検地 解説(武川村誌 佐藤八郎氏著)  天正十七年 己丑(一五八九)十一月二十一日 徳川家代官伊奈熊蔵が武川衆折井九郎次郎次忠の所領を検地し、従前の貫高を石高にして書立を交付する 「甲州御知行書立一 百四拾壱表壱斗四升九合六勺三才 北武田之郷内ニ而一 五拾八表五升三勺七才      水上郷内ニ而              合弐百俵 ○(黒印) 右之分 可被成所 [続きを読む]
  • 甲斐駒ヶ岳は横手村修験当山派本良院によって開山
  • 甲斐駒ヶ岳は横手村修験当山派本良院によって開山 巨摩郡横手村 当山派修験宗格院 本良院由緒明細書上帳 最近、南アルプスエコパーク登録以降、甲斐駒ヶ岳開山200年を謳った新聞記事や北杜市内では講演会や記念誌や関連書や企画が多くなってきた。 しかしそうした記事の中心は開山者権三郎とそれを支えた某家、神社の略歴が中心であり、権三郎の出生地の茅野市上古田村の遺跡も見直されている。 資料展もあったが、権三 [続きを読む]
  • 徳川家康 折井次昌所領宛行状
  • 徳川家康 折井次昌所領宛行状 解説(武川村誌 佐藤八郎氏著) 天正十三年 乙酉(一五八五)五月廿七日    徳川家康が武川衆折井次昌に与えた所領宛行状「本領改替 甲州折居南分参拾五貫文・折居内五貫文・六科内網蔵分五貫五百文・同所山下分拾貫文・亀沢内渡辺分六貫九百文・甘利内土屋出雲分拾六貫文・同所寺分廿七貫文・同所竹内ひかへ前廿五貫文(山屋敷・河原共)・御前分弐拾貫文・卯時免拾貫文・相良分六貫文 [続きを読む]