ひこいちの歴史研究 さん プロフィール

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ひこいちの歴史研究さん: ひこいちの歴史研究
ハンドル名ひこいちの歴史研究 さん
ブログタイトルひこいちの歴史研究
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/39268901rekisikennkyuukai
サイト紹介文史跡探訪・歴史研究・著書紹介・
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供2105回 / 365日(平均40.4回/週) - 参加 2015/08/18 07:31

ひこいちの歴史研究 さんのブログ記事

  • 「二二社巡り」・春日大社(かすがたいしゃ)は、中臣氏
  • 「二二社巡り」・春日大社(かすがたいしゃ)は、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために768年に創設された奈良県奈良市にある神社。旧称は春日神社。式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「下がり藤」。全国に約1000社ある春日神社の総本社である。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の1 [続きを読む]
  • 「四国遍路記」大日寺(だいにちじ)は徳島県板野郡板野町
  • 「四国遍路記」大日寺(だいにちじ)は徳島県板野郡板野町にある東寺真言宗の準別格本山。四国八十八箇所霊場の第4番札所。黒巌山(こくがんざん)遍照院(へんじょういん)と号する。本尊は大日如来。別名は黒谷寺。本尊真言:おん あびらうんけん ばざらだどばん・弘法大師が42歳にあたる弘仁6年、この地に長く留まり修行していたとき、大日如来を感得された。大師は、一刀三礼をして5.5センチほどの大日如来像を彫造され、これ [続きを読む]
  • 『江戸泰平の群像』39・毛利 秀就
  • 『江戸泰平の群像』39・毛利 秀就(もうり ひでなり)(1595〜1651)は、江戸時代初期の大名で、長州藩初代藩主。毛利輝元の長男。母は側室・児玉元良の娘清泰院(二の丸殿)。毛利就隆の兄。正室は結城秀康の娘・喜佐姫(徳川秀忠の養女・龍昌院)。子に松寿丸、綱広(四男)、土佐(越前松平光長正室)、竹(鷹司房輔室)ほか。文禄4年10月18日(1595年11月19日)、安芸広島で生まれる(異説あり・後述)。家系として [続きを読む]
  • 『歴史の時々変遷』(全361回)297“絹一揆”
  • 『歴史の時々変遷』(全361回)297“絹一揆”「絹一揆」天明元年(1781年)に上野国西部一帯にて展開された絹市に対する課税反対を求める一揆。絹運上騒動。江戸時代中期、上野国や武蔵国の農村では、養蚕業が盛んになり、生糸や絹織物が生産されるようになり、各地に絹市と呼ばれる市場が形成され、江戸や京都などの問屋から原料や商品の買い付けに訪れる買付人が増加していた。江戸幕府では元禄元年(1698)と宝暦元年(1759 [続きを読む]
  • 「史跡探訪」泰勝寺跡・熊本県熊本市中央区黒髪の立田自然公園内
  • 「史跡探訪」泰勝寺跡・熊本県熊本市中央区黒髪の立田自然公園内にある国指定の史跡。同地には江戸時代を通じて肥後熊本藩主・細川家の菩提寺であった「龍田山泰勝寺」が建っていたが、明治初年の神仏分離令発布後に廃寺となり、同家の別邸に改められた。平成七年(1995年)同じく細川家菩提寺であった妙解寺跡と共に「熊本藩主細川家墓所」の名称で国から史跡に指定された。現在は一般的に「泰勝寺跡」というが、細川家立田別邸が [続きを読む]
  • 『歴史の時々変遷』(全361回)296“明和の大火”
  • 『歴史の時々変遷』(全361回)296“明和の大火”「明和の大火」江戸時代に江戸で発生した大火災である。明和の大火は、明和9年2月29日(1772)に、江戸で発生した大火である。明暦の大火、文化の大火と共に江戸三大大火の一つといわれる。目黒行人坂(現在の東京都目黒区下目黒一丁目付近)から出火したため、目黒行人坂大火とも呼ばれる。「明暦3年、明和9年、文化3年各出火記録控」によると、出火元は目黒の大円寺。出火原因 [続きを読む]
  • 「平安京物語」64”悪左府頼長“藤原 頼長
  • 「平安京物語」64”悪左府頼長“藤原 頼長(ふじわら の よりなが)は、平安時代末期の公卿。兄の関白・藤原忠通と対立し、父・藤原忠実の後押しにより藤原氏長者・内覧として旧儀復興・綱紀粛正に取り組んだが、その苛烈で妥協を知らない性格により悪左府(あくさふ)の異名を取った。後に鳥羽法皇の信頼を失って失脚。政敵の美福門院・忠通・信西らに追い詰められ、保元の乱で敗死した。男色はじめ当時の風俗を克明に記した日 [続きを読む]
  • 「二十二社巡り」大和神社・大和盆地は天理市の田園風景に巨大な森
  • 「二十二社巡り」大和神社・大和盆地は天理市の田園風景に巨大な森に広大な境内地を持つ大和神社は『延喜式』神名に大和国山辺郡筆頭に「大和坐大国魂神社三社」と記されている。旧上街道から三百メートルはある参道の奥に、拝殿と本殿が建つ。拝殿は三社あって、中央に日本大国魂大神、向かって右に八千戈大神、左に御年大神が祀られている。日本大国魂大神とは大地主大神とも言い、地鎮祭に際には、この神に祈るのが習わしになっ [続きを読む]
  • 『江戸泰平の群像』38・伊達 秀宗(だて ひでむね)(1591
  • 『江戸泰平の群像』38・伊達 秀宗(だて ひでむね)(1591〜1658)は、伊予宇和島藩の初代藩主。初代仙台藩主伊達政宗の長男。母は側室・新造の方(異説あり)。異母弟に仙台藩2代藩主伊達忠宗がいる。天正19年(1591年)9月25日、伊達政宗の庶長子として陸奥国柴田郡村田城にて生まれる。幼名は兵五郎。この時点では、政宗の正室愛姫に男子がいなかったため、周囲からは「御曹司様」と呼ばれて伊達家の家督相続者と目さ [続きを読む]
  • 歴史の時々変遷』(全361回)295“元文一揆”
  • 『歴史の時々変遷』(全361回)295“元文一揆”「元文一揆」元文4年(1739)2月に鳥取藩で起きた大規模な百姓一揆。勘右衛門騒動ともいわれる。この一揆には藩領である因幡国と伯耆国の合わせて約5万人が参加したとされ、藩政史上最大の百姓一揆といわれる。(当時の因幡・伯耆の人口は約30万人程度であるから、実に総人口の6分の1が参加したことになる)当時、鳥取藩においては飢饉などによる藩政の混乱が続き、加えて藩主・池 [続きを読む]
  • 「平安京物語」63”鳥羽院制と美福門院“
  • 「平安京物語」63”鳥羽院制と美福門院“鳥羽天皇(とばてんのう、旧字体:鳥?、康和5年1月16日(1103年2月24日) - 保元元年7月2日(1156年7月20日))は平安時代後期の第74代天皇(在位嘉承2年7月19日(1107年8月9日) - 保安4年正月28日(1123年2月25日))。諱は宗仁(むねひと)。堀河天皇の皇子。母は贈皇太后・藤原苡子。子の崇徳天皇・近衛天皇・後白河天皇の3代28年に渡り院政を敷いた。生後間もなく母・苡子が没し、 [続きを読む]
  • 「遺跡探訪」一乗谷朝倉氏遺跡は、福井県福井市城戸ノ内町に
  • 「遺跡探訪」一乗谷朝倉氏遺跡は、福井県福井市城戸ノ内町にあった戦国時代の遺跡(日本の城)である。戦国時代に一乗谷城を中心に越前国を支配した戦国大名朝倉氏の遺跡。一乗谷城(山城)と山麓の城下町(朝倉氏および家臣の居館)からなる。遺跡全体が国の特別史跡で、そのうち4つの日本庭園は一乗谷朝倉氏庭園の名称で国の特別名勝の指定を受けている。福井市街の東南約10キロメートル、九頭竜川水系足羽川支流である一乗谷川 [続きを読む]
  • 「二十二社巡り」北野天満宮・京都市上京区にある神社。
  • 「二十二社巡り」北野天満宮・京都市上京区にある神社。旧称は北野神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣中社。通称として天神さん・北野さんとも呼ばれる。福岡県の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、当社から全国各地に勧請が行われている。祭神・主祭神菅原道真公・相殿神・中将殿・吉祥女を祀る。延喜三年(903年)、菅原道真が無実の罪で配流された大宰府で没した後、都では落雷などの災害が相次いだ。これが道 [続きを読む]
  • 京都古社寺探訪「宝徳寺」京都は清水寺の急な参道に面して無常寺
  • 京都古社寺探訪「宝徳寺」京都は清水寺の急な参道に面して無常寺として、本尊厄除け阿弥陀如来を脇檀に魚藍観世音菩薩を安置する。創建は定かではないが、中興の関山は徳空上人歴代相承して今日にいたる。本尊阿弥陀如来は、聖徳太子推古天皇一六年宮中において、無量壽経を講説され「神力大光を演べて、普く無際の土を照らし、三苦の闇を削除した」これ文有り深く信じて、四二歳の厄年、厄除け守護の本尊として刻みし例像と信仰さ [続きを読む]
  • 『江戸泰平の群像』37・・徳川 頼宣(とくがわ よりのぶ)
  • 『江戸泰平の群像』37・・徳川 頼宣(とくがわ よりのぶ)(1602〜1617)は、徳川家康の十男で、紀州徳川家の祖。常陸国水戸藩、駿河国駿府藩を経て紀伊国和歌山藩の藩主となった。母は側室の養珠院(お万の方)である。8代将軍徳川吉宗の祖父にあたる。幼名は長福丸、元服に伴い頼将(よりのぶ)と名乗り、元和年中に頼信、さらに頼宣に表記を改める。初任官が常陸介であったため、子孫も代々常陸介に任官した。1602年 [続きを読む]
  • 「神仏霊場巡り」熊野本宮・旧官幣大社・平安時代の
  • 「神仏霊場巡り」熊野本宮・旧官幣大社・平安時代の「蟻の熊野詣」熊野本宮は京より遥か遠い往復一カ月を要する神仏習合の聖地、修験道の霊地である。熊野三山は本宮・速玉・那智大社化の形成されている。紀伊半島から西側に南下し、田辺から入る中辺路(筆者も少し歩いた)高野山からの小辺路、大峰山からの行者道、伊勢からの伊勢路を古代の人々は熊野に目指した。祭神は中央本殿(第三殿、証誠殿)には家都美御子大神(素盞鳴尊 [続きを読む]
  • 京都古社寺探訪「勝林寺」臨済宗大大本山東福寺の塔頭
  • 京都古社寺探訪「勝林寺」臨済宗大大本山東福寺の塔頭、勝林寺は嘉禎2年(1236)関白九条道家の発願によって氏寺として建立し、大いに栄えた法性寺内に建立された。東福寺の寺名は、東大寺、興福寺の奈良二寺の一字ずつ取ったもので、20年近くかけて京都最大の寺院を聖一国師を迎え造営したが、初期の伽藍の大分部を焼失した。京都五山の列せられた。勝林寺は東福寺の塔頭の一つで、天文19年(1550)に東福寺代二〇五 [続きを読む]
  • 『江戸泰平の群像』35・松平 直政(まつだいら なおまさ)
  • 『江戸泰平の群像』35・松平 直政(まつだいら なおまさ)(1601〜1666)は、江戸時代前期の大名。上総姉ヶ崎藩主、越前大野藩主、信濃松本藩主を経て出雲松江藩の初代藩主。直政系越前松平家宗家初代。慶長6年(1601年)8月5日、越前北ノ荘藩主・結城秀康の三男[1]として誕生。近江国伊香郡中河内で生まれたため、河内丸と名付けられた(のち国丸)。慶長10年(1605年)、家臣の朝日重政に預けられて養育され、慶長12年 [続きを読む]
  • 『歴史の時々変遷』(全361回)294“享保の改革”
  • 『歴史の時々変遷』(全361回)294“享保の改革”「享保の改革」江戸時代中期に行われた幕政改革。8代将軍徳川吉宗が主導した諸改革で、在任期間の1716年から1745年の年号に由来する。宗家以外の御三家紀州徳川家から将軍に就任した吉宗は先例格式に捉われない改革を行い、寛政の改革や天保の改革と並んで、江戸時代の三大改革の1つと呼ばれる。財政安定策が主眼であった。人事面では将軍徳川家宣、徳川家継時代に正徳の治を主 [続きを読む]
  • 「平安京物語」62“北面武士”
  • 「平安京物語」62“北面武士”(ほくめんのぶし)とは、院御所の北面(北側の部屋)の下に詰め、上皇の身辺を警衛、あるいは御幸に供奉した武士のこと。11世紀末に白河法皇が創設した。院の直属軍として、主に寺社の強訴を防ぐために動員された。「此御時、院中上下の北面を置かれて上は諸大夫、下は衛府所司允(じょう)が多く候(さぶらい)て、下北面御幸の御後には箭(や)負(おい)て、つかまつりけり、後にも皆其例也」そ [続きを読む]
  • 天空の竹田城・竹田城は播磨・丹波・但馬の交通の要衝
  • 天空の竹田城・竹田城は播磨・丹波・但馬の交通の要衝に築城された。築城には不明な点も多いが、標高353Mの頂上に天主台・本丸の存在する山頂部から三方に延びる尾根上に曲輪に連続に配置する竪堀で墓漁政を高めている山城である。山名氏と赤松氏の激しい戦いに、竹田城は赤松氏に対する前線基地として山名氏方の城として築城された。以後太田垣氏七代に渡り城主としたが、秀吉の但馬攻めによって、羽柴秀長が城代となった。そ [続きを読む]
  • 「四国遍路記」極楽寺(ごくらくじ)は徳島県鳴門市大麻町桧
  • 「四国遍路記」極楽寺(ごくらくじ)は徳島県鳴門市大麻町桧にある高野山真言宗の寺院。四国八十八箇所霊場の第二番札所。日照山(にっしょうざん)無量寿院(むりょうじゅいん)と号する。本尊は阿弥陀如来。本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん・行基菩薩の開基と伝えられているが、弘仁6年(815)、42歳の弘法大師がこの地で三七日間『阿弥陀経』を読誦し、修法された。その結願の日に、阿弥陀如来が出現したので、大師 [続きを読む]