切り絵 浮世絵 さん プロフィール

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切り絵 浮世絵さん: 切り絵
ハンドル名切り絵 浮世絵 さん
ブログタイトル切り絵
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/krsw888757
サイト紹介文浮世絵を切り絵に
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供37回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2015/08/20 07:52

切り絵 浮世絵 さんのブログ記事

  • 広重 名所江戸百景 よし原日本堤
  • 「よし原日本堤」日本堤は浅草聖天町から下谷三之輪まで続く長大な堤防で、約1,500メートルに及ぶ。荒川の氾濫から江戸の市民生活を守る重要な役割を果たしたが、明暦3年(一六五七)に日本橋にあった吉原が浅草に移転すると、その通い道としても大いに栄えた。百軒にのぼる茶屋が軒を連ね、「吉原堤」とも呼ばれるようになる。当時の川柳にも、「日本を出るとアリンス国へ出る」日本堤を出るとすぐに吉原遊廓に着く、との意。アリ [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図会 近江琵琶湖石山寺
  • 「近江琵琶湖石山寺」近江の国は現在の滋賀県である。滋賀の象徴とも言える琵琶湖は楽器の琵琶をさかさまにしたような形からその名がついた。遠くに見える比良山脈、近江八景に数えられる「石山の秋月」にならった月に雁と静けさも感じさせる。画面中央を横切るように描かれているのは瀬田の唐橋、または長橋と呼ばれる東海道の道である。そこの夕映えはこれまた「瀬田の夕照」として近江八景のひとつに数えられている。 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 月の岬
  • 「月の岬」 軒に8月15日(旧暦)の満月がかかり、部屋の状況から月見の宴は一段落したよ うである。終わった宴を描くことで流れた二十六夜待ちの宴のことを「あとの祭り」として示唆している。室内にはたばこ盆、行灯、杯洗、刺身が盛られた皿、三味線、三味線箱などと芸妓の後ろ姿、廊下には徳利、箸など細かく描かれている。左手障子に映っている女は髪に挿されている5本の簪から遊女と見ることができる。当時の遊女は3本・5本 [続きを読む]
  • 広重 六十余洲名所図会 淡路五色濱
  • 「淡路五色濱」  淡路国は現在の兵庫県の一部で淡路島と沼島(ぬしまは淡路島の南、船で10分)にあたる。淡路島西側の鳴門に近い砂浜には、メノウ、コハク、ルリ等の五色の小石が観察されることから、五色浜と呼ばれる。瀬戸内海の東部に位置し、明石海峡大橋で本州と、大鳴門橋で四国とつながっている。淡路は明石とともに鯛の名産地としても昔から有名で、図で描かれているのは鯛の振り網漁であろう。赤い衣と緑の衣を着た漁師 [続きを読む]
  • 歌川広重 東海道五拾三次 神奈川 台之景
  • 「神奈川 台之景」 江戸から七里の「台之景」は神奈川台と呼ばれる海沿いの丘のことを云う。眺望の良いところで右の坂道には宿屋が並び、江戸からの旅人は此処で最初の宿をとった。茶屋の女たちが「おやすみなさいやアせ」と声をかけて、旅人のお客さんを引っ張っている様子が描かれている。左側には船着場として栄えた港が描かれている。水平線上につきでているのは野毛山、その先の半島は本牧岬であろう。 [続きを読む]
  • 北斎 冨嶽三十六景 神奈川沖波裏
  • 「神奈川沖波裏」北斎の作品の中では最も有名であり、世界で知られる最も有名な日本美術作品の一つである。巨大な波が飛沫をあげながら、今まさにくだけ落ちようとしている。小舟は、襲いかかる波濤にじっと堪えて航行を水流にまかせているかに見える。北斎はあたかも、同じような舟に乗ってこの場面を描写しているかのように視線を低くとり、波も富士も見上げているのである。肉眼で波がこの様に見える事は無いが1/4,000以上の高 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 利根川ばらばらまつ
  • 「利根川ばらばらまつ」かつては江戸川を利根川、あるいは新利根川と呼んでいた。この川の名物は鯉が知られ、画面右側に大きく広がる投網も、鯉を獲ろうとしているのであろう。投網がパッと広がった一瞬を捉え、細かい網目越しに風景を透かし見せる構図が良い。題名の「ばらばら松」というのは、遠景に松の木がまばらに生えている様子を表わすとされ、場所の特定はされていない。 [続きを読む]
  • 広重 富士三十六景 東都両ごく
  • 「東都両ごく」隅田川が武蔵国と下総国の境界だったことから名づけられた両国橋は、1659年に架けられた、隅田川下流域で最初の橋である。いつの頃からか橋詰の広小路は仮設の見世物小屋や茶店がひしめき合う江戸随一の盛り場として発展し、人々は橋下を流れる隅田川で舟遊びを楽しんだ。屋根舟から見上げる芸者は、奥に座る男性らの川遊びの接待役でしょう。着物の裾をたくし上げて船着き場に立つ女性も舟に乗り込むところの様です [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 鉄砲洲稲荷橋湊神社
  • 「鉄砲洲稲荷橋湊神社」画面にそそり立つ柱は、鉄砲洲に浮かぶ船の帆柱である。その名の由来が、幕府の鉄砲方が大砲を試射したからとも、洲が鉄砲の形に似ていたからとも伝わる、鉄砲洲は江戸湊の外港で、上方からの物資を江戸市中へと運ぶ水運の要所であった。越前堀には、酒樽を載せた荷足船や屋根船などさまざまな船が浮かんでいる。中央に架かる稲荷橋の左方に見えるのが、鉄砲洲稲荷とも称される湊稲荷である。 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 鴻之台とね川風景
  • 「鴻之台とね川風景」江戸の中心部からはやや遠方にあたる鴻之台(千葉県市川市国府台) 鴻の台は下総台地の西端で、断崖を南下する川は利根川の分流にあたる現在の江戸川(新利根川)である。北方の物資を江戸に運ぶ重要な水路として機能しており、画中にも多くの高瀬舟が浮かんでいる。かつては下総国の国府が置かれていたため「国府台」とも書いたが、江戸時代には利根川にコウノトリが多く棲みついたことから「鴻台」と称する [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 川口のわたし善光寺
  • 「川口のわたし善光寺」名所江戸百景のなかでも最北にあたる、現在の埼玉県川口市を流れる荒川の渡しを描く。江戸市中を流れる隅田川は、鐘ヶ淵より上流は荒川と呼ばれた。荒川の水源は秩父にあり、川面には秩父から江戸に輸送する木材を筏に仕立てたものが多く浮かんでいる。対岸の屋根の赤い建物は、建久6年(1195年)に信濃の定額山善光寺を勧請した川口の平等山阿弥陀院善光寺で、開帳は約17年に一度で、江戸近郊ということ [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図会 伯耆大野大山遠望
  • 「伯耆大野大山遠望」田植えは、5月に行われ、当時は一斉に行われたようである。雨の中の作業を描いているので、蓑や着茣蓙を着、菅笠をかぶっている。雨模様の天気でありながら、人々の表情が明るいこともあって「恵みの雨」といった風情をかもし出している。人物描写にたけた広重は、手前の畔に置かれた苗までも詳細に描き、遠くの天秤棒で苗を運んでいる人の様子も丁寧に描いている。大山は、主峰の弥山が標1711mで、中国地方の [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 中川口
  • 「中川口」中川・小名木川・新川の三つの流れを俯瞰的に描いた一図。左から右に流れるのは中川、交差する川の手前が小名木川、奥が新川で、行徳産の塩や日本海側・奥州方面の産物が江戸に持ち込まれる重要な水路であった。手前に浮かぶ二俄の舟は、江戸と行徳を結ぶ役割を果たした舟である、三つの川が合流する重要なポイントでもあり、運搬用の筏も多く浮かんでいる。画面左下には川船改の中川番所が設けられ、通過する船を監視し [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 四つ木通用水引ふね
  • 「四つ木通用水引ふね」蛇行して流れる引舟川の様子を大胆な構図で描いた一図。引舟川は江戸の北東、現在の葛飾区周辺の田んぼの中を流れており、万治2年(1659)に完成した亀有上水がこの堀割の始まりとなった。当初は深川一帯に飲料水を供給することを目的としたが、のちに干拓用水や農民たちが物資を運ぶ水路として活用されるようになった。曳船が三艘描かれる。遠方の川沿いには船着き場の屋根が見える。遠方の山は日光連山で [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 水道橋駿河台
  • 「水道橋駿河台」画面を覆い尽くすかのように大きく大胆に描かれた一匹の鯉のぼり。広重ならではの抜群の構図力が光る作品である。この図は本郷台地の方から見た駿河台で、端午の節句の日の風景を描いたものだ。7歳以下の男児がいる家では、盛大にこの日をお祝いしていた。画面奥には富士がくっきりと姿を見せ、爽やかな五月晴れの一日であることがわかる。 [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図会 上総 矢さしか浦
  • 「上総 矢さしか浦 通名九十九里」上総国は安房の北、下総の南にあたり、房総牛島の北部で、現在は千葉県に入っている。夷隅郡の東北端太東崎より下総海上郡飯岡に至る砂浜を九十九里浜という。海岸は遠浅で、汀線は湾曲して弓のようで、極めて単調な円弧を描いている。約五十六キロにわたる太平洋岸は鰯の地引網で栄えた。元和年(一六一五〜二四)に紀州賀田浦の漁夫大甫七重郎がこの地に来て、地引網を使用したという。大漁を得 [続きを読む]
  • 広重 富士三十六景 相州三浦之海上
  • 「相州三浦之海上」 三浦半島の先端付近(現在の神奈川県三浦市)から富士山を望む図で、手前の張り出した岩場は城ケ島の様だ。相模湾の海面が広がり、画面中ほどの二艘の船には人の姿がごく小さく見えるが、表情やしぐさはうかがうことが出来ない。海の向こうには江の島、富士山の右手には大山が見える。富士山の裾野にたなびく雲は赤く染まり、漁船が港に帰る夕刻であることを表している。江の島が富士山の真下にあるが、実際に [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 目黒新富士
  • 「目黒新富士」目黒の新富士は、旗本近藤重蔵が文政2年(1819)に邸内につくった富士塚の名称で、すでに七年前にあたる文化9年(1812)につくられていた目黒の富士塚と区別して、こう称された。近藤重蔵は、千島列島や蝦夷地など北方の探検者として著名で、この富士塚も彼の発意でつくられたものと伝わる。富士塚とは富士講の人々が信仰の対象として築いたもので、最盛期の天保年間(1830〜1844)には江戸市中に「八〇八」といわれ [続きを読む]
  • 広重 六十余州名所図会 土佐 海上松魚釣
  • 「海上松魚釣」土佐国は、四国の南偏の地にあって、南は海に開き、東西には岬が突出して彎月状の地形をなしている。此処の名産は鰹である。鰹は四、五月頃陽に向かって東南の海に集まるため、相模、土佐、紀州で獲れ、特に土佐はそれを名産として昧厚く、鰹節の上品ともなり、また生食も美味である。漁捕の網は稀で釣か多く、一年中沖に出るが、三月初めより中旬までに獲れた鰹は初鰹として食すとある。図中の桶は、餌になる鰯の生 [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 柳しま
  • 「柳しま」十間川と横十間川とが合流する地点に架かる橋が、柳島橋である。画面手前の横十間川には、客を乗せた猪牙舟が浮かぶ。朱塗りの壁の内側には江戸の人々に「柳島の妙見さま」の名で親しまれた妙見堂がある。日蓮宗妙見山法性寺境内にある妙見堂に祀られている妙見菩薩は、江戸時代には災難を取り除き、福を招くと信じられ、柳島橋のたもとには、会席料理で有名だった料亭の「橋本」が描かれる。橋本」は大正12年(1923)の [続きを読む]
  • 広重 富士三十六景 伊豆の山中
  • 「伊豆の山中」箱根宿から三島宿に至り、東海道を離れて下田街道に進み、下田へ向かう途中、天城峠を越える辺りにあった浄蓮の滝が画題となっている。この滝は、近在に浄蓮寺という寺があったことが命名の由来で滝は、狩野川の上流部、天城山の北西麓を流れる本谷川にあり、玄武岩溶岩流を流れ落ちる伊豆第一の名爆で、落差は25m、幅は7m程である。 [続きを読む]
  • 六十余州名所図会 常陸 鹿嶋大神宮
  • 「常陸 鹿嶋大神宮」 常陸国は(現在の茨木県)関東平野の東北隅に位置して、西は下野、南は利根川が流れる下総、北は奥州へつらなる陸奥の諸国があり、東は太平洋に面している。北は筑波の諸山であるが、南は原野広く、沼沢も多く、霞ケ浦はその最大のものである。鹿島郡にある鹿島神宮は豊香島宮、又は天之大神社といい、中臣氏が祭ったと伝えられる。 [続きを読む]
  • 名所江戸百景 芝明神増上寺
  • 「芝明神増上寺」芝増上寺の大門から、「おのぼりさん」と見られる観光客の一行が出てきたところだ。安国殿や五重塔を見物して、随分楽しそうだ。後ろを歩くのは増上寺の修行僧だ。毎日七ツ(午後4時)に市中を回るその姿は江戸の名物だった。この僧侶達表向きは托鉢だが実際には "ならず者”や喧嘩に渇を入れて回る自警団だった。喧嘩といえば、芝神明社は、芝居で知られる「め組の喧嘩」の舞台である。ここで行われた勧進相撲を [続きを読む]
  • 広重 名所江戸百景 逆井のわし
  • 「逆井のわし」清らかな中川の葦のもとに、ゆっくりと降り立つ白鷺の群れ。江戸と下総(しもうさ)を流れる中川にあった逆井の渡しを亀戸側から描いたもので、対岸には西小松川村の家並みを配す。川岸の松並木は、村民三郎兵衛の所持地であったため、「サブの桧」と称された。中川は隅田川の東側に平行して流れる川で、このあたりは中川と隅田川を結ぶ竪川の東端にあたる。逆井という名は、江戸湾が満ちた際に水がこのあたりまで逆 [続きを読む]
  • 広重 近江八景 矢橋帰帆
  • 「矢橋帰帆」近江八景とは、琵琶湖周辺の代表的な名勝8カ所を選んだもの。その選定には、中国湖南省洞庭湖(どうていこ)付近の名勝・瀟湘(しょうしょう)八景が参照されている。室町時代には、その瀟湘八景をもとにさまざまな日本の風景が漢詩に詠まれたが、現行の近江八景が登場するのは、江戸時代の初め頃。以後、屏風絵や版画の題材として流行った。近江八景のひとつ、矢橋帰帆は、琵琶湖南部にあった矢橋港に帰ってくる舟を [続きを読む]