フリムン徳さんのパンク さん プロフィール

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フリムン徳さんのパンクさん: ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ
ハンドル名フリムン徳さんのパンク さん
ブログタイトルikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ
ブログURLhttps://ameblo.jp/ikoma-gun/
サイト紹介文俳句、短歌、川柳、いろいろあれど、フリムン徳さん、規格にはめて作れない、パンクを作っている。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供115回 / 365日(平均2.2回/週) - 参加 2015/08/31 09:30

フリムン徳さんのパンク さんのブログ記事

  • 707−長生きしたくないが?
  • 「フリムン徳さんは長生きし過ぎたくないが??「あんなにまでして、長生きしたくない」と、介護ホームの寝たきりの老人を日本語テレビで見るたびに思う。ベッドの上に寝かされた枯れ木のようにやせ衰えた身体。骸骨の体が寝かされているみたいである。血の気のない皮膚の色、目元がゴボンと凹んでいる、目は寝たままである。頬もゴボンとやせ細って凹んでいる。口にはチューブが入れられている、鼻にもチューブを入れられている [続きを読む]
  • 706−三途の川の川幅は狭かった(終)
  •  身体障害者になったのは59歳の時であった。アメリカの政府に助けられた。生活できるだけの身体障碍者年金がもらえた。年金を納めていたから、つくずくよかったと、胸をなでおろした。 最低限の生活費がもらえるので、安心して、文章の勉強に夢中になれた。文章の”ブ”の字も知らなかった、大工であった私、フリムン徳さんが自己流で文章の書き方を勉強し始めた。石の上にも3年ではない、10年である。 どこの新聞社、出版社へ [続きを読む]
  • 705−三途の川の川幅は狭かった①
  • 「三途の川の幅は狭かった」 ①     「もうこの人は死んでいる」と1人の医者に宣告され、もう一人の医者には「あと2時間しか持たない」と言われた時、私は三途の川の川岸に立ち、天国で勢ぞろいしたウヤフジご先祖)達と対面し、2日間の天国旅行も経験した。 そう簡単には出来ない天国旅行も経験したフリムン徳さんには、人生は旅であったような感じがする。 南の小島、喜界島を15歳に出て、大阪17年、南米パラグアイへ [続きを読む]
  • 704−やっと見つけた1冊の本(終)
  • この本に書いてあることを実行するために、人も羨む会社電通も、あっさりと止めた。 生命保険外交員、セ?ルスマン、おでんや、店員、あらゆる接客業を数え切れないくらい変えてきた。 柔道、空手を稽古するみたいに私は中学1年生から62歳の今まで「人に好かれる法」を勉強してきたと思う。 人に会えば、「人に好かれる法6」が条件反射のように現れて身構えるようになった。とうとう、アメリカで生まれた長男も「デ−ル」と名 [続きを読む]
  • 703−やっと見つけた1冊の本
  • (この木の根っこ何メートル?)⑤ところが大阪は大きい街。探し求めていた本が大阪の駅前の本屋にあった。生まれて初めて入った本屋でもあった。ある、ある、どんな本でもある。本が人間を囲んで「はよう、買え、はよう買え」と脅迫しているみたいだった。 喜界島の中学校の図書部とえらい違いの本の数であった。人に好かれる条件、人にかわいがられる方法、、人に嫌われない方法とかいっぱいある。何冊も所々読んでみたが、理解 [続きを読む]
  • 702−やっと見つけた1冊の本
  • ④ 村八分は違う。小さな島で、その村から逃げ出したいが、逃げ出せない。死にたい。朝昼晩、毎日、この二つを実行することを模索しながら、大阪の中学校へ転向するまでおよそ3年間もがき苦しんだ。 まだ世の中を知らない小さな中学生がですよ。でも、やはり、まだ中学生、世の中に出て何もしないで死ぬのは悔しいと、いう気持ちが強かったから、死なずにすんだと思う。楽しいはずの私の中学時代の3年間は刑務所服役時代だった [続きを読む]
  • 701−やっと見つけた1冊の本④
  • (モンタナの友人の庭で)④ 村八分は違う。小さな島で、その村から逃げ出したいが、逃げ出せない。死にたい。朝昼晩、毎日、この二つを実行することを模索しながら、大阪の中学校へ転向するまでおよそ3年間もがき苦しんだ。まだ世の中を知らない小さな中学生がですよ。 でも、やはり、まだ中学生、世の中に出て何もしないで死ぬのは悔しいと、いう気持ちが強かったから、死なずにすんだと思う。楽しいはずの私の中学時代の3年間 [続きを読む]
  • 700-やっと見つけた1冊の本③
  •   (モンタナ州の高い山で) ③ 家では、親に押し付けられた弟達の子守で、友達と遊ぶ時間が全くなかった。親は私が学校から帰ってくるのを、今か今かと待ちわびていた。私の顔を見るや否や、二人揃って、畑へ飛んでいった。1人の弟の子守だけではない、二人の弟の子守を一緒にさせられた。 2番目の弟を帯で背中におぶり、1番目の弟の手を引いて、同じ同級生の友達が、カルタうち、ビー玉遊び、コマまわし、桟橋での海水浴、羨 [続きを読む]
  • 699− 一冊の本②
  • (手前の小さな家は電気がつきませんので住めません)②勝つために、目立つためには手段を選ばなかった。3年生の頃、目立つために、女の先生のスカートの裾もめくったこともあった。先生はどんなに恥ずかしい思いをしたことか。55年経ってから先生と連絡がつき、昔のことを誤った。自分に孫が出来て、おじいさんになってから、小学校の先生に謝る、やはり私は変わった男であると自分でも思う。  また、5年か6年生の時は男の先生 [続きを読む]
  • 698−1冊の本
  • (モンタナ州の田舎町で) 「一冊の本」      親よりも、学校の先生よりも、私の人生を大きく教育してくれたのは、一冊の本のような気がする。  いつも手帳のように持ち歩きたい、聖書を読むように読みたい本だった。それは人に好かれる方法を書いた本である。私はこんな本を中学校1年から、3年の終わりまで故郷喜界島で、心の中で求めていた。探す事が出来なかったから、求めていたのであった。1955年から1957年の頃の事で [続きを読む]
  • 697−社長交代(終)
  • ③いつの日かどこかで聞いた言葉です。いつかフリムン徳さんが元気な時に、嫁はんや子どもに使っていた言葉です。怖いです。怖いです。どうしてもっと、優しい言葉で言ってくれまへんのやろうか。今までとまったく逆の立場になりました。怒鳴る大きな声は人間の心をまずくします。子供は親の言葉を真似るといいます。嫁はんは旦那の言葉を真似るようです。 あまり重たいので、落としそうで、我慢できないので、「一度下ろして、 [続きを読む]
  • 696−社長交代②
  • ② 親友、志保やレストランの大将は、料理の仕方で、「マグロよりもハマチよりも旨いのは「鯖や」と言っていた。私はアノ言葉に惚れていました。でも倒れてから3年、鯖は辛抱していましたが、この頃、ひと月かふた月に一回、また満腹食べる。 知り合いの井手尾さんがロスアンジェルスから作って持ってきてくれる焼き鯖寿司が旨い。人に分けて食べさすのが惜しいほど美味い。人生短い、好きなものを食べずに暮らすのは惜しいと思 [続きを読む]
  • 695−社長交代①
  • モンターナ州の山奥で,(車道ではないようです)  「社長交代」  ①腹が立ちますけど、立てられまへん。相手が強いから。泣きとうなりますけど、泣けまへん。男だから。悔しいけど、どないにもできまへん。身体がいうことを利きまへんから。 フリムン徳さんは26年間、ロサンジェルスやシアトルで主に、障子、茶室やすし屋を造っていたのですが、ビールを飲みすぎて、身体を壊して、大工仕事が出来ない身体になった。痛風、高血 [続きを読む]
  • 694- 雪どー、雪どー(終)
  • 694−雪どー、雪どー④雪景色の外から家の中に入ると急に腹が減った。ところが料理が出来ない、水がでない、ストーブが使えない。便所も流せない。昨夜の夜中から停電や。うちは水も、電気で井戸のモーターを廻して汲み上げる。ガスがないからストーブも電気、料理も電気。携帯用のガスこんろを出した。水もないのにどうすると思いまっしゃろう。...雪や、雪や、雪を湯で沸かしてカップラーメンを食べるんや。嫁はんに怒られなが [続きを読む]
  • 693−雪どー、雪どー
  • 弟道雄撮影 ③カメラでの撮影もそうやと思ったから、私はエッセーを書く方法で撮っている。。見渡す限り、真っ白の銀世界、どこも全部撮りたい。でもそれではポイントがなくなる。自分の取りたいポイントを決めてアップで大きく撮る。これが大事なように思えてきた。 そうすると、ただ雪景色を撮るだけではなく、そこで一番印象的なところを見つけてアップで撮ってみた。撮った写真を自分で眺めても少し、うまく撮れていると思う [続きを読む]
  • 692- 雪どー、雪どー②
  • ②夏はあれだけ暑い山の砂漠に昨日は5年か、6年ぶりに雪が降ったのです。懐かしくなりました日本の冬を思い出した。昔の恋人に会った気分にもなりました。南の雪を見たことのない喜界島育ちの私にはただ事ではおまへん。 嫁はんのサイレンにつられて、撮影修業中のカメラを持って、ズボンのチャックを閉めながら、玄関のドアをあけました。ズボンのチャックが閉まりにくいのです。誰も見る人はいない、半チャックにかまっていられ [続きを読む]
  • 691−雪どー、雪どー①
  • ロープをしっかり結んでいます 「雪どー、雪どー」  嫁はんにたたき起こされましたんや。「雪、雪ー、ふぇーく{早く}、うぃーり{起きなさい}、うぃーりっちよ{起きなさいよ}」と喜界島弁で、嫁はんのパトカーのサイレンみたいな声に朝7時半に起こされました。私達夫婦はアメリカに住んで30年、まだアメリカでも喜界島弁で生活しているフリムン夫婦です。 ここ、モントレーの山の中、ブラッドレ−は南のロサンゼルスへ車で4時間 [続きを読む]
  • 690−鏡の部屋(最終回)
  • 私のフリムン太郎はなぜ人形と並んでいるのだろうか?④ さらに、あの世の人と会える方法が詳しく書かれてある。私はそのとおり早 速実行してみた。 最近完成した家の部屋の壁に、幅1メートル高さ1.2メー トルの大きな鏡をその下端が床から90センチの位置に掛け、その鏡から95セン チメートル離れたところに安楽椅子を置く。その安楽椅子にリラックスして座 れば、肩の位置がちょうど鏡の下端と同じ線になるようにしている。 [続きを読む]
  • 689-鏡の部屋
  • 689-鏡の部屋 ③私はウヤフジと正夢として夢の中で会っているが、ウヤフジと会う方法をよ り具体的に書いた本を見つけた。これはやはりウヤフジが私にこの本と...会うよ うに仕向けたに違いない。一気に読み上げた。福島大学教授・飯田史彦著「生 きがいの創造」と言う本です。死んだあの世の人のことが書かれている。その 内容が喜界島で小さい頃に聞かされていた年寄りのおじいさん、お婆さんの言 っていた事とほとんど同じな [続きを読む]
  • 688-鏡の部屋
  • 688ー鏡の部屋②  オメトお婆さんの影響で私はずーっとウヤフジが自分を見守っていると信じ ている。だから、困った時はいつも助けて下さいとウヤフジに祈る。...私はほと んど毎晩夢を見るが、最近、その夢の中で多くのウヤフジたちが揃ってご馳走 を食べる夢が1週間以上続くとたいてい身内や知り合いの誰かが死んでしまう。 どうもウヤフジは私に身内や知り合いの死を知らせたいようだ。喜界島の美代 ねえに言わせると私は神 [続きを読む]
  • 687-鏡の部屋
  • 687−鏡の部屋2017-07-17 03:58:16NEW !テーマ:ブログ...「鏡の部屋」   「霊の社会、あの世の社会の人と話がしたい」という私の夢がかなえられそうでんね。私の育った喜界島では、仏壇の位牌に向かって、「ウヤフジ様、子供達や家内中が病気をしないで、いつも元気であるようにお守り下さい」とお願いし、悪い事が起きてもうれしい事が起きてもウヤフジに報告し、お願いしていた。姿は見えないけど、ウヤフジはみんなの守 [続きを読む]
  • 686―森の生活
  • 「森の生活」 さらさらと清流の流れる川のある森の中に住んでみたい朝起きたら、川へ冷たい水で顔を洗いに行く冷たい水で顔を洗うと体も心も清らかになる 人間の社会の嫌なことが全部洗い流される小枝を集め、川から持ってきた石と石の間に鍋を置き、味噌汁を作る服に染み込む火の匂いが昔の故郷喜界島の釜戸の火を思い出させる、ひぶっさ(煙たい)。たぎる味噌汁の匂いが森へ流れる 川の向こうで小鹿が花を動かしているみたい小 [続きを読む]
  • 685―山本リンダ③
  • (弟道雄撮影)<フリムン徳さんの独り言>『「フリムン徳さんの波乱万丈記」を宣伝して宜しいでしょうか?』 いいに決まってまんがな!! 『山本リンダ』と電話で聞いたとき、「♪困っちゃうなあ、デートに誘われてー♪」と喉元まで出そうになったんや。こんな有名な人に「フリムン徳さんの波瀾万丈記」と、どこのテレビでもええ、一声言ってもらったら、ベストセラーまちがいないのになあと空計算もしたんや。「フリムン徳さ [続きを読む]
  • 684―山本リンダ
  • ③15年住んだサン・ディエゴを出て、オレンジ郡のラグナ・ウッズにあるリタイアーメント・コミュニティーに移って5年になります。サン・ディエゴはどんずまりで何処へ行くにも時間がかかり、行動が制限されるので出て良かったと思っています。ここからはロスのダウンタウンまで1時間で行けます。私の放浪ももうこの辺でピリオドをうつ時期だと考えています。以前、夫の甥が「おじさん達の人生はアドリブ人生だね」と言ったの [続きを読む]
  • 683−山本リンダ
  •  先日夜遅く、女の声で電話がかかってきた。「山本リンダ」だという。とうとう、フリムン徳さんも「♪困っちゃうなあー」の山本リンダの目にとまったんか。胸がワクワク、うきうきしよる。おもろうなってきたぞ。   でも、すぐに、「♪困っちゃうなあー」の山本リンダでないと分かった。ロスの隣のオレンジ郡に住む同姓同名の山本リンダさんだった。この山本リンダさん、「私もフリムンです」と言いながら、電話の向こうで話し [続きを読む]