フリムン徳さんのパンク さん プロフィール

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フリムン徳さんのパンクさん: ikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ
ハンドル名フリムン徳さんのパンク さん
ブログタイトルikoma-gun(フリムン徳さん)のブログ
ブログURLhttp://ameblo.jp/ikoma-gun/
サイト紹介文俳句、短歌、川柳、いろいろあれど、フリムン徳さん、規格にはめて作れない、パンクを作っている。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供97回 / 365日(平均1.9回/週) - 参加 2015/08/31 09:30

フリムン徳さんのパンク さんのブログ記事

  • 683−山本リンダ
  •  先日夜遅く、女の声で電話がかかってきた。「山本リンダ」だという。とうとう、フリムン徳さんも「♪困っちゃうなあー」の山本リンダの目にとまったんか。胸がワクワク、うきうきしよる。おもろうなってきたぞ。   でも、すぐに、「♪困っちゃうなあー」の山本リンダでないと分かった。ロスの隣のオレンジ郡に住む同姓同名の山本リンダさんだった。この山本リンダさん、「私もフリムンです」と言いながら、電話の向こうで話し [続きを読む]
  • 682―私の喜界島
  • モンタナ州の山奥で誰が住んでいたのだろうか 「私の喜界島」 台風の荒波を 眺めて育ち青い海と 戯れたあの喜界島 いつかは帰ろうここはアメリカ 島遠い島ユミタで暮らす 私と妻 島で見た星 アメリカに きらめく星 島の星と同じ島のともし火 届けてくれる一番星に 島の母の頬を見る母さん見てるかい 一番星を いつかは会える 私の島に太平洋で繋ぐ 島とアメリカ泳いで行こうか 魚になって              [続きを読む]
  • 681―電車の中の人間観察は忙しい
  • 「電車の中の人間観察は忙しい」 40年近く住んでいたアメリカから日本へ戻ってきて1年半ほど過ぎた。アメリカのドライバーライセンスを日本のに切り替えようとしたが、駄目だった。奈良県橿原市の車両局へ行き、一番初めに聞かれたのが「失神したことがありますか」「はい2年前に死んで2日間三途の川岸に立っていました」「それでは、もう免許証は切り替えられません」アメリカで車を足にして生活していた私には、片足をもぎ取ら [続きを読む]
  • 680-我が家建築の苦労
  • (弟道雄撮影)③この溝に電線を埋めるときには、直径5センチのプラスチックのパイプの中に親指ほどの200アンペアの真鍮(しんちゅう)電線3本とグランド(アース)線と4本入れる。困ったことに、この線が重たいのや。パイプの中に通すのは1人ではできない。2人の力がいる。通すときは隣のニックや、ケンが手伝いに来るという。ヒューズボックスへの接続を終えると、フリムン徳さんがした屋内配線に電気がはじめて通る。   黒い [続きを読む]
  • 679―我が家建築の苦労
  • ②溝を掘る位置に水で直線を描いて、その線の上に椅子を置く。それに腰掛けてホースの先端を持ち、吹き出す水流を溝の位置に当てる。土が洗い流されて小さい溝になっていく。うまくいきそうだ。嫁はんがニヤニや笑っている。ワイがオシッコで溝掘りをやっているように見えるのや。体力のない徳さんは、椅子に座りながら炎天下で溝掘りをする方法を見つけた。 家のヒューズボックスから15メートルは平坦で、屋敷の整地をしたとき [続きを読む]
  • 678―我が家建築の苦労
  •  病後の家造りは少しづつ進んでいます。家造りも最後の段階にきました。電気を引かなければなりません。新しい家のヒューズボックスと45メートル離れた電力会社のメーターボックスとの間を繋ぐのです。 電柱を立てて空中に電線を張るのは景観がよくないから、電線は地中を通します。幅25センチ深さ66センチの溝を掘らなければなりません。これが規格なのです。 何しろこの乾季です。車も通る庭の土はコンクリートみたいに固く [続きを読む]
  • 677―夢の実現
  • (アメリカ大陸を走る貨物列車)確か150ぐらいまで数えた記憶がある)「夢の実現」 いつも心に夢を持ちなはれいつも頭に夢を描きなはれいつも夢を掌に書きなはれいつも人に夢を語りなはれ 人はアホなこと言よると言うやろうそれでも諦めてはアカンネンあいつはアホやと言われるほど夢中になりなはれその内あいつは出来ると思い始めるはずや失敗しても失敗してもやり直ししなはれ 血の小便が出るまで頑張りなはれでも私はそこまで [続きを読む]
  • 676-虹色の涙④
  • ④臨時パスポートの再発行の申請書をもらい、ロビーのカウンターで見本を見ながら書きこむ。でも、見本を見てもわからないややこしいところが沢山ある。時間は過ぎる、飛行機に間に合うか、焦ってくる。難渋しているのが見えたのか、ロビーで書類作成の手助けをしてくれる人がやってきて丁寧に教えてくれた。こんなに、ありがたい事はない。 うれしくてたまらなかった。最後に嫁はんがサインをした。サインの中に「ウエソノダ」を [続きを読む]
  • 675-虹色の涙③
  • ③ ところがもっと深刻な問題が起きた。嫁はんのパスポートの期限が切れているのや。どないにしよう。もう領事館に当って砕けるしかない。明日の飛行機に乗せんならん。いちかばちかや。先に進むしかない。嫁はんは旅仕度にとりかかった。終わったのが夜中の1時過ぎ。すぐ、夜を徹してロス近くのバーバンクのマキコの家へ車を飛ばした。私の住むブラッドレーから急いでも4時間かかる。マキコの家に着く頃には明るくなっているだ [続きを読む]
  • 674―虹色の涙ー②
  • ② その夜、義母の訃報を娘のマキコに伝えた。思いもよらない事が起きた。「飛行機の切符は私が買ってあげるから葬式に喜界島へ帰りなさい。急いで。」とマキコが夢みたいな事を言うではないか。今まで散々親を泣かした、心配させたあの娘がよ。「そんな子供でも歳をとったら、まともになる、あなたの子供を信じなさい」です。異変が起きたみたいだった。3時間前の悔し涙と悲し涙は嬉し涙になった。悔しい色の涙、悲しい色の涙、 [続きを読む]
  • 673−虹色の涙?
  • 「虹色の涙」 アメリカから喜界島までは遠い。ロスから大阪まで飛び、大阪から鹿児島まで飛び、鹿児島から喜界島へ飛ぶ。3回も飛行機を乗り換える。アメリカ・大阪間の航空運賃は大阪・喜界島間の航空運賃の半分である。日本の国内航空運賃は高いでんなあ。 嫁はんの84歳の母親は喜界島でお墓を守りながら1人で生活している。 足が不自由で車椅子の生活。車で10分ぐらいのところに次女や次男が住んでいるが気を使っ [続きを読む]
  • 672- 生きる
  • 「生きる」 無理しなはんナ焦りなはんナ遠回りも近道もゴールは同じや毎日を鼻歌を歌いながら、口笛を吹きながら空の雲の流れを見てアジ―、アンマー(おじいさん、おばあさん)の皺くちゃの顔を見て曲がった腰を見て心を落ちつかせのんびりとでも物事は深く考えてのどかに生きるのが金儲けよりも大切に思える時がある [続きを読む]
  • 671−オレンジ色の侵入者たち
  • これで納得した。彼らの歩くのが遅いのは彼らの逃亡を防ぐために、鎖の代りに重たい鉄の入った靴を履かされとるのやと、フリムン徳さんはそう推理した。この推理を刑務所で働いている知り合いのアメリカ人に聞いてみた。「重たい靴をはいて、誰が逃げる?脱いで逃げるに決まっているがな。そんな靴いるかいな。」の賢い答えが返ってきた。 後でトニーに聞いたら、彼らは模範囚で、凶器になるチェインソウを持つ2人はもうす [続きを読む]
  • 670−オレンジ色の侵入者たち
  • モントレーの私の庭から眺められた夕日) 雨が多い年は消防署が忙しくなる。今年は去年の2倍以上も雨が降ったから牧草や雑草が大きく育つ。牧草や雑草が大きく育つと山火事が増えるのだ。乾季の4月から10月の山火事はこの辺の年中行事みたいなもの。夏は日中の直射日光の下では摂氏50度(華氏122℃)になることもある。 おまけに非常に乾燥している。暑い日は車の排気口から出る火花が枯れ草に燃え移って山火 [続きを読む]
  • 669−「オレンジ色の侵入者達」
  • (嫁ハンと親友のバブ)モンタナのティーナの庭の大木で 「オレンジ色の侵入者達」 フリムン徳さん 「あれはいったい、何の行列や」と思わず声が出そうになった。1キロ先のハイウェーからオレンジ色の服とヘルメットで身を固めた1団の行列がこっちへ向かって歩いてくる。私の土地の脇を通る未舗装の一本道だ。新緑の出揃った牧草地帯の中にオレンジ色の行列はくっきりと浮ぶ。2月17日の朝のことだ。山の砂漠といわれ [続きを読む]
  • 668-出雲大社の大鳥居
  • 出雲大社の大鳥居 鳥居や鳥居、出雲大社の大鳥居に驚く。天にそびえる様な巨大な鳥居が、参道の入り口から、本堂まで等間隔でそびえたつ。参道の入り口の鳥居はコンクリート製である。2番目の鳥居は大きな木で作られている。3番目は銅製製のようである。本堂の近くは鉄製の鳥居であった。参道は大きな松の木が整然と並んでいる。その松並木を楽しそうに笑いながら、歩いている。そうだ、出雲大社は縁結びの神である。& [続きを読む]
  • 667-足立美術館
  • 5月30日島根県の足立美術館へ荒木さんの息子の浩二君に連れて行ってもらった。今まで見とれるのは別嬪さんだけだったが、足立美術館の庭に美しさには見とれた。見とれるという漢字が知らなかったので、辞書で調べてみたら、見惚れるであった。これで納得。この見惚れるほど美しい庭を文章で表現しようとしたが、物書きの端くれの私にはできない。 [続きを読む]
  • 666-オトン
  •  『漫詩』 「オトン」 擦り切れた下駄をはいて鉢巻をしてそこらの屋台で安もんのドテ焼きを肴に熱燗のコップ酒をキューと飲んでいるのがオトン ネクタイ締めて背広を着て金の腕時計をしてピカピカの皮靴はいて高級料理屋で横におなごはん置いてすっぽん料理を食べているのがオトウサン “さ”があるオトンと“さ”がないオトンとどうして、こないに違うねんこれは“差”があり過ぎや [続きを読む]
  • 665−喜びの島喜界島
  • 誰かこの花の名前を教えてください。 「喜びの島、喜界島」 茶ー、みそーち、うもーり(お茶,飲んでいってください)茶ー、みそーち、うもーり喜びの島、喜界島の合言葉 うん、茶ーぬ、うまさーぬーか(この茶のおいしいこと)うん、茶ーぬ、うまさーぬーか茶ーじ、心が通じる、喜びの島喜界島 喜びの島、喜界島のあじー、あんまー、(おじいさん、おばあさん)あじー、あんまー、長生きし、うもーり、長生き [続きを読む]
  • 664-私が書いた母の遺言状 終回
  • ③けれども、あんたは村八分によく耐えて、よく辛抱して、自分を反省して、子供ながら、「どうしたら、人に好かれるか、どうしたら友達が出来るか」を勉強して、よその村に友達ができた。それがきっかけで、大人になっても人に好かれる心理学を猛烈に勉強し、実行するために、とうとう仕事も数え切れないぐらい変わり、沢山のお客さん相手で人に好かれるコツをマスターしたと思う。そうして、苦労して形成された人柄が人に好かれ [続きを読む]
  • 664-私が書いた母の遺言状 終回
  • ③けれども、あんたは村八分によく耐えて、よく辛抱して、自分を反省して、子供ながら、「どうしたら、人に好かれるか、どうしたら友達が出来るか」を勉強して、よその村に友達ができた。それがきっかけで、大人になっても人に好かれる心理学を猛烈に勉強し、実行するために、とうとう仕事も数え切れないぐらい変わり、沢山のお客さん相手で人に好かれるコツをマスターしたと思う。そうして、苦労して形成された人柄が人に好かれ [続きを読む]
  • 663−私が書いた母の遺言状
  • 【アメリカのどこで撮ったかわすれた)②これはウヤフジ(ご先祖様)が、金ばかりが人生じゃない、貧乏しても金があった時以上に楽しい生活が出来るんだと教えてくれているんだと思う。また、人生を諦めたらあかん、人間は何歳になっても、たとえ病気になっても、身体のどこかを使って諦めずに頑張れば、夢がかなえられるということを教えてくれたと思う。病で倒れたお蔭で、あんたはエッセイや詩の勉強も出来た。もし、ダが健康 [続きを読む]
  • 662−私が書いた母の遺言状
  • 「私が書いた母の遺言状」                 あんたは私の死に目に会いに日本へ帰ってこなくてええ。世間には「親の死に目にも会えない人」と蔑んでみる人もおるだろうが、何もそんなことは気にせんでええ。死に目に会うよりも元気な時に会っているのだから、それで十分よ。親の死に目に会うという言葉は表面上の儀式に過ぎないと思う。私はただ、あんたが、人様に迷惑をかけないで、人様に好かれてこの世を生きて [続きを読む]
  • 660-思い出のアーケイディア③
  • ③ このEDDY達に困ったことが起きている。ほとんど白人の家族だった隣近所が全部チャイネィーズの家族に変わったとのこと。アーケデイアの住民の80%以上はチャイネィーズになっているらしい。アーケディアの宅地は一区画が広いから、少々値が高い。でも、チャイネィーズはキャッシュで買い上げて、少し古いと、その家を取り壊して、御殿みたいな家を建てる。どうして、チャイネィーズは金持ちが多いのだろう。これは今のアメリカ [続きを読む]