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中年オヤジNY留学!
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2015/09/02

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  • 「男気」もしくは「人の道」って何ですか?

    おとこぎ「男気」もしくは「人の道」って何ですか?―堅実な生活をして来て、人生後半に見せ場を作ろうと陥る“己自身の罠”―2023/9/10記私は中国人との再婚のゆえ、結婚して20年も経つのに、未だに何らかをきっかけにして幾度も、何故に彼女の義理息子をこれ迄に「養子」として戸籍に入れなかったと、”アーデモ、コーデモ無い“と二人とも熱くなる。もちろん周りの他人様には少しは私の言い分も理解されるかもしれないが、彼女の前にはバリヤーがあり寸分も私の話は説得力をもたないのだが。(一番いけないのは、自分の家族や親族、もしくは自分の属する集団で、いわゆる「男気:カッコ良い人間」のある人物像を自ら演じてしまう事・・・)人は年を重ねると、自ら“断捨離”して生活空間を片づけたり。また誰しも死ぬ前に子供や家族の将来や経済の不安を...「男気」もしくは「人の道」って何ですか?

  • 現在のインフレ、給料UPで全て解決?そんなに甘くない!

    インフレーション、当分留まることを知らない、そしてその弊害!2023/8/13記何もかも値上がりして、並の人間では手の付けられない状態にも見え、このインフレの終焉は誰もが見通しがつかない。政府やマスコミは収入と物価の値上がりを補填させるために、広く給料UPを推し進め克服するとの見方だが、そんなに簡単な問題でもない。その恩恵を受けるには条件もあるだろうし、給料UPで膨らむ人件費削減するため、IT化やAI化で戦力外となる人々の増加という副作用も心配される。(日本もあの人、あの家庭は“○○クラス”と呼ぶ社会となるか?)かつて私が米国留学していたス数十年前、留学生を支援するある財団のプログラムでニュージャージーの家庭に泊まり込みの家庭訪問の家庭は、財団の責任者は私たちのホストファミリーは“Lower-Middle...現在のインフレ、給料UPで全て解決?そんなに甘くない!

  • アメリカは偉大なり・・・せめてもの自由が育む場所:アメリカ

    アメリカは偉大なり・・・せめてもの自由が育む場所:アメリカ―そして自由な表現より、INCENTIVEに群がるどこかの国―2023/2/3投稿アメリカ留学時、ビジネス系の大学院を目指すにはGMATテストのスコアーが必要で、受験した時の試験問題に感じた「アメリカの印象」です。GMAT試験はアメリカのビジネス系大学院入学の書類選考にも採用され、内容は長文読解やロジック(数学的論理解析)などです。(試験問題で公然と過去の英雄にネガティブな記述、まさに驚き!)その受験時に長文読解で”CIVILWAR(南北戦争)“勃発時のリンカーン(後の大統領)の評価が出題されていました、長々とリンカーンの功罪が書かれています。歴代の大統領の中でも誰もが一目置くにも関わらず、試験本文は彼の功績を褒めたたえるというより1)彼は新聞など...アメリカは偉大なり・・・せめてもの自由が育む場所:アメリカ

  • 米国クリスマス、山のごちそうテーブル、時にはドラマの世界

    中年オヤジ留学米国クリスマス、山のごちそうテーブル、時にはドラマの世界アメリカ人の食に対する執着心の無さは、むしろ強さか?2016/7/2投稿2022/12/21編集(これでもクリスマス・パーティー?私の偉大なる勘違い)ニューヨークに留学してほぼ一年も経つ年の暮れ、自分が住んでいるI-HOUSE(コロンビア大学近くの大きな学生専用の寮)の掲示板に、クリスマス・パーティーへの誘いの貼紙を見て、参加を決めました。まだ留学一年ですから素人です。あたかも暇を持て余した盆暮れに格安ツアーをゲットした感じです。頭の中には手作りだろうが?何だろうが?ケーキがあって、チキンにかぶりつきコーラなんか飲む姿を想像していました。甘かったです。↑コロンビア大学ホスト・ファミリーの住む駅もブロンクスの#1地下鉄終点近くで、駅を降り...米国クリスマス、山のごちそうテーブル、時にはドラマの世界

  • 眩暈治らない? メニエールではなく頸椎不調では、私の場合・・・

    眩暈治らない?メニエールではなく頸椎不調では、私の場合・・・2020/12/17投稿(以下、私の個人的な感想です、皆様の適切な対応はお医者様とご相談を願います)今から遡る約4年間、「眩暈(めまい)」と悪戦苦闘して来ました。色々な科目の病院(耳鼻科3医院、眼科2医院、神経内科2医院、脳神経外科2医院、整形外科2医院、循環器科1医院、総合内科1医院、かかりつけ診療所、整体院1院)の門をたたきましたが、多く先生は“年齢”だから、“運動して、栄養のあるものを食べて”。あるお医者さんは“眩暈は正直、治らないから!”でした。つまり各病院で採取する血液などや、X線、頭部のCT検査・MRI、心臓のエコーには、眩暈と繋がる原因は見つけられない場合は、どこの病院でも最後は「運動して栄養で」となります。(お医者さんの大部分は、...眩暈治らない?メニエールではなく頸椎不調では、私の場合・・・

  • 前略、小島瑠璃子様、中国留学の強い気持ち分かります、でも大丈夫かな?・・・

    前略、小島瑠璃子様、中国留学の強い気持ち分かります、でも大丈夫かな?・・・2022年8月21日投稿NET上で、彼女が中国留学を来年にも予定し、仕事のウエイトも多くを中国に移すとか。これを”頑張って!“と声援を送ってよいものやら、個人的には複雑です。自分は小島瑠璃子様と時代も年齢もまた動機など中国行きの諸条件は異なりますが、一時は中国に取付かれた一人です。ニューヨーク留学の後半に、チャイナタウンの中華学校(小学校)で中国語を勉強し始めたのがきっかけです。その後、中国社会の迷路に日本に帰国した92年頃から入り込み、特に約十年は夢中に。そして結果、私は上海の人と結婚していますので、そのまま放たれたロケットにあたかも半ば軟禁状態で今も宇宙の迷路を飛行中です。(小島瑠璃子様は中国語”ペラペラ“とNET上に書かれてい...前略、小島瑠璃子様、中国留学の強い気持ち分かります、でも大丈夫かな?・・・

  • “やはり英語、できれば英語留学!・・・他に勝る非凡さを持ち合わせていなければ”

    “やはり英語、できれば英語留学!・・・芸術やスポーツなど非凡さを持ち合わせていなければ”2022年7月16日投稿中国バブル、米国バブルそして世界中いたるところ・・・しかし今始まったことでは無い、実際は10年前くらいから、世界中はバブルに突進していた。私が2013年にニューヨークを訪れている際に既に”異様な物価高“を感じたが、この2022年に至るまでバブルにブレーキがかかるどころか、スピードを速めている。バブルすなわち”格差“を更に助長させることになる、特殊な才能や起業して成功でもしない限り、若者たちは就職で企業側でランク分けされるが、この場合も英語が最重要ポイントとなる。そして「本題」の若い世代が英語の勉強のために「留学」で海外となれば、アメリカは当然候補地となるが、このバブルによる費用の上昇、よほどの資...“やはり英語、できれば英語留学!・・・他に勝る非凡さを持ち合わせていなければ”

  • とりあえず低学年留学に反対 !

    中年オヤジNY留学”アンチ(反対)低学年留学“、英語が話せるか?は最初だけ、最後は魅力的な人間かどうか?。2016/3/23掲載それはコロンビア大学の英語学校のクラスに、中途から入ってきたのはキヨシだった。自分より一回り以上若く、余り表情を変えず、自分と同じクラスで良いの?と思うくらい英語が話せる感じだった。年下なのに何者か?、そのな彼の素性(すじょう)を知りたくなる雰囲気を持っていました。また何で、そんなに英語が喋れるの?とか。そのうち、クラスに日本人が少ないこともあり、自分と彼は話すようになり、”今度の土曜日、ウェストバージニアの友達の所へ行くから、一緒に行かないか?“と誘いを受けました。ニューヨークに来て数か月の自分は、怖いもの知らずで行けるところは何処でも行くと言った感じです、一種の留学初心者の何でも知...とりあえず低学年留学に反対!

  • めまい闘病記三年(最終)薬に“さよなら”し、第2の心臓を鍛えよう

    めまい闘病記三年(その4・最終)―薬に早く“さよなら”し、第2の心臓を鍛えよう―2022/3/28投稿(以下、私個人の感想です、読者の方はご自分の判断と責任の上でお読みください)今度は息がハアハア――昨年21年春、少し遠方のホーム・センターへ自転車で買い物へ、お店に着くやいなや、何故か息が上がってしまった。あまり経験したことの無いことで、何か変だなと。また昨年辺りから以前はジョギングしていたコースを、試しにウオーキングに切り替えてみたところ初めは良かったが最後は”ハアハア“してしまった。(めまいで悪戦苦闘している最中、今までなかった息苦しさ・・・もしや心臓?)心配で近場の大学病院系列の総合内科へ、もちろん医師にここ数年の持病の”眩暈“は告知し、自律神経失調症や低血圧症も説明しました。一応、その場は心電図をとりま...めまい闘病記三年(最終)薬に“さよなら”し、第2の心臓を鍛えよう

  • めまい闘病記三年(その3)治りたい一心で色々手を出す、これまた良くない?・・

    めまい闘病記三年(その3)治りたい一心で色々手を出す、これまた良くない?・・だってどこの病院も指針を示せない、でももう少し生きなくては・・・2022/3/19記(以下、私個人の感想です、読者の方はご自分の判断と責任の上でお読みください)既にブログ(眩暈その1,2)で書いたように、思いついた病院は訪問していて約一年で私の体は、時に眩暈するから、完全に持病になっていました。2020年に入ってからは、この持病の他にコロナが世界中を席捲して、今まで以上に外出することも控え、当然に私の“めまい”は悪化しています。今当時を振り返ると、かなりの可能性で”行くとべきところへ行くのかな?“と脳裏に浮かび始めました。夏には“これは持っても2年かな”と万一のために公正証書による遺言状を作成しています。(2020年頃以降は、抗不安剤を...めまい闘病記三年(その3)治りたい一心で色々手を出す、これまた良くない?・・

  • ”俺の靴がなくなった!、NYの学校で・・“

    ”俺の靴がなくなった!・・NYの学校で・・“2022/2/22記今でもいつも思う、どうせ留学するなら、もっといい学校を卒業したかったなんて・・・。最初から英語学習という漠然とした分けのわからない、例えたら巨大なプール(留学)へ飛び込みたい。スタートがその程度の欲望だから、将来NYのどこの大学へ、メジャー(専門学科は)、地域も含め理想的なエンディング(終着点)なんて物にできるわけが無いのですが。(私自身のNYの原風景・・・街はずれを走る古い高架地下鉄と風に舞うゴミ屑、無機質な赤みを帯びた建物群)結果、卒業したのは二年生のカレッジで、マンハッタン(NYの中心である半島部)から少し離れた7(地下鉄7号線)TRAINに乗り20分の場所に位置している。その先の沿線には野球の“シェアスタジアム”や全米オープン会場のテニス場...”俺の靴がなくなった!、NYの学校で・・“

  • めまい闘病記三年・・・(その2)やはり風邪を治すと大違い、長い旅。

    めまい闘病記三年・・・(その2)やはり風邪を治すと大違い、長い旅。病院へ行っても検査数値や診断画像に異常が確認できなければ、医師といえども(むにゃむにゃ)???・・2022/1/17記(以下、私個人の感想です、読者の方はご自分の判断と責任の上でお読みください、もしくは医師にご相談ください。)●耳と目は兄弟、めまい(耳の可能性)となれば眼の不調も遠からず?●以前より低血圧症で”眩暈”の原因は、似たような貧血ではと医師に相談・・・かかりつけ内科では“年齢なので・・(体の不調が治らなくも、受け入れろの意かな)。めまい闘病2019年夏ころ、息子が久しぶりに自宅に来て、送り掛けにマックで食事をしていたら“お父さん、(私の)目がオカシイよ、(左側の目が)外側に向いちゃってる”。(私)”ムッ、何?(指先を使って)こっちに向い...めまい闘病記三年・・・(その2)やはり風邪を治すと大違い、長い旅。

  • めまい闘病記三年・・・(その1)

    めまい闘病記三年・・・(その1)そしてトンネルの出口は近いか?・・はたまた、そう思うは急ぎすぎか??・・2022/1/10記ここまでの約3年、2018年春の朝の寝起きに突然起こった、回転性のめまいを起点として、その都度に症状を変え、ここまで引きづって来ました。”めまい(眩暈)”は時折、良くなっては、ぶり返し、もしくは症状を変えます。ビビリ屋の私はめまい(眩暈)の症状が、飲み薬を変えたり、自分自身や整体院でのマッサージで思いもよらぬ頭の鈍痛に、生きた心地もなかったりも経験。救急車を呼ぶには”まだまだ、この程度では”とためらった時も幾度も踏みとどまりました。正直、何とか元気になりたく、もしや”あすこ(体の場所)のせいで?”いやいや、このNETでは眩暈解消法がどうのこうのと書いている、とかで、ここまで何か所もの色々な...めまい闘病記三年・・・(その1)

  • 今日もしかして彼女ができたかも?・・・でもでも

    今日もしかして彼女ができたかも?・・・でもでも2022/2/4記今日2月3日、私がその気なら彼女ができたかもしれないとか。3回目のコロナワクチン接種へ偶然に私もその人も、住まいより遠方のクリニック会場に申し込んだのが、きっかけでした。ただ、このブログを読んでいる皆さんは笑うかもしれないが、私はとうに定年を過ぎた高齢者、彼女ももちろん私より若いが“アラ還”といったところではないか。できれば笑わないでください。ひと様によっては、こんな話題をブログにUPすること自体、正気の沙汰でないと感じるでしょう、お許しください。しかし人の生きるための摂理というか、そして哀愁のようなものも感じ書いています。(ワクチン接種会場へ路線バスに乗り出向く)会場は同じ区内とはいえ少し遠方の、土地勘もないしバスかタクシーに乗る、多少不便なクリ...今日もしかして彼女ができたかも?・・・でもでも

  • お金の話です、定年を迎えて救われている、小野田少尉の一言・・・

    お金の話です、定年を迎えて救われている、小野田少尉の一言・・・2021/10/14記最近のテレビの告知で、この秋にルバング島で終戦後も孤軍奮闘していた小野田少尉の映画が上映されるらしい。私としては、彼の軍人としてのすばらしさは別とし、あるテレビのインタビュー番組に出演した際、80年両親バット殺人についての小野田少尉の応えが私の脳裏に焼き付いた話です。結果、定年後の今、自分自身の経済(金銭的やりくり)が助けられている話です。(私の人生は少し凸凹道)私は✖2、そして現在は3人目の中国人の女性と生活しています。お互い再婚同士です。私が現奥さんと婚活していた当時の中国の再婚対象者は、何故か?女性達は大体多くは30代半ばから40代前半で子供一人を養育しているのが相場でした。上海の一般的女性達の多く当時は25才前後で結婚そ...お金の話です、定年を迎えて救われている、小野田少尉の一言・・・

  • ”小室圭さん、彼は何をやろうとしている?” マスコミを始め、その他多くをひきづりこむ異才。

    ”小室圭さん、彼は何をやろうとしている?”マスコミを始め、その他多くをひきづりこむ異才。2021/9/26記(すべてがドラマ仕立て、ちょっとした歴史や小説とも折り重なる・・・)昨日9月25日のインターネットに配信された小室圭氏がNYの建物の中で髪を後ろに束ね歩き回る姿を拝見しました。正直、均整のとれた彼には意外に似合っていましたが、良くもマスコミが目を光らせているのに、思い切ってやっているなと感心したり、あのチョンマゲ姿が羨ましいやら不思議やら。織田信長が義理のお父さんになる斎藤道三と会見する際の道中は「うつけ者」と呼ばれるようないで立ちといわれています、真か小室さんも意外さを意識して何気ない青年からエリート弁護士まで演じられるとばかり「能ある鷹・・・」ですかね、分かりません。またアメリカの有名な家柄の歴史でも...”小室圭さん、彼は何をやろうとしている?”マスコミを始め、その他多くをひきづりこむ異才。

  • NYにて、流浪の“台湾女子ネネ”の話、・・・そして貴方に問う、結婚する派、しない派?

    中年オヤジNY留学http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/95/4758957ca1cb40144e788de7378b51b4.jpg↑NY、INTERNATIONALHOUSENYにて、流浪の“台湾女子ネネ”の話、・・・そして貴方に問う、結婚する派、しない派?2016/6/26RE-WRITE(ネネとの出会い)NYでネネちゃんを知ったのは何時(いつ)だったろう?それは自分が住んでいた寮(約500人の学生を中心とした大きな寮)では年一度秋に寮祭を催しているが、各国ごとの寮生がユニットになりそれぞれの準備をしていた頃でした。自分が模擬店の屋台造作のため、材木を鋸で切っていると彼女が”あれこれ“と指図してきたのが最初でした。その時から”ネネ“とは顔見知りになりました。ここに居...NYにて、流浪の“台湾女子ネネ”の話、・・・そして貴方に問う、結婚する派、しない派?

  • 未熟な3人(組)が演じる恋の顛末(てんまつ)― 上海にて ―

    未熟な3人(組)が演じる恋の顛末(てんまつ)―上海にて―2021/3/23記(息子が突然、会社を辞める宣言)今から約10年前なんと言おうか日頃、口の重いご本人(私の上海育ちの義理息子)がここで切り出さなければとも言えるギリギリのタイミングで話があると。場所は彼のマンション近くの川口のレストラン”華屋与兵衛”。私も以前から何かが燻って(くすぶって)いるとは感じていたが、本人からは初めて。さながら家族会議・・いや真にです。本人曰く、会社(東京)を辞めて、三か月後に上海の高校の同級生の彼女と将来は結婚を前提に上海に行くと。振り返れば、私達が再婚してから約1年後に、本人の事を考え高校1年生の時に日本へ呼び寄せた。例え日本の定住ビザは簡単に取得できても、日本での学生や生活経験が無い事には、日本を足場にすることは難しい、今...未熟な3人(組)が演じる恋の顛末(てんまつ)―上海にて―

  • 若く青い私が乗り込んだ船(人生)そしてカーペンターズ

    若く青い私が乗り込んだ船(人生)・・・―その時、流行りだしたカーペンターズの歌声に思わずSOBBER(物思い)―2021/2/21記(手探り人生・・・)私は戦後のベビーブーム期の生まれ。子供時代は押しなべて、周り近所を見回しても豊かではなかった。当然、私の家も子供4人、どちらかと言えば食べるので精いっぱい、親も子供たちの進路に余裕もなく、口も出さない出せない。要するに勉強も学校選びも、子供たち次第、おまけに私が高校1年の時に両親が離婚という事になり、それ以降はアルバイトと学業は常にワンセット。家が裕福だったり、それなりに子供の将来を心配できる環境の家庭でないので、学校の進路、就職そしてその先の結婚も子供達の本人任せ、多分世間の家庭でも多く。それはそれで良いのだが、人も草花と同じそれなりのサポートがあれば大きな人...若く青い私が乗り込んだ船(人生)そしてカーペンターズ

  • 親切の代償、アメリカ留学にて

    親切の代償、アメリカ留学にて―美容師ゆえ髪切り外交と…その先―2021/1/16記(美容室経営を精算しニューヨーク留学)80年後半、美容室経営の“壁にぶち当たり”そんな最中87年、参加した欧米美容ツアーで業界視察よりもニューヨークの街に触発されその後、経営を精算、留学を決意しました。結果、これまでの美容でご飯を食べる路に別れをつげようと。これから先、美容師に象徴される“ハサミとコーム(櫛)”にお世話になることは無いだろう。とにかく新しい路を歩むために、美容師であった過去に決別するのだから、頑な(かたくな)に美容道具を旅行ケースにパッキングするのには抵抗がありました。しかししかし、一年前にNYを短期間は訪れているものの、一体いくら生活費がかかるのか?仮に現地で働きたいと言っても、英語はカタコト、正式に働くには学生...親切の代償、アメリカ留学にて

  • あの頃・・・こういう別れ、プラザホテル前

    あの頃・・・こういう別れ、プラザホテル前2020/11/2記後に友人となる、ケンジさんと会ったのは恵比寿より歩いて8分ほどの地下の英会話喫茶“コーン・ポッパー”。それは1987年、土曜日の夜はパーティーと称し、熱気であふれて居た。今から思えば、人や金の流れはある現象をテコ(レバレッジ)として”急流のようにドット流れ込み、そして凪を迎えたり“と様相を変える。その後、私はニューヨークに行き、公務員や学校の教員そして正社員のポジションを捨ててまで日本を飛び出してきている20~30代の若い人々を多く見ている。パーティーは面白く、山の手線の終電間際まで離れることができなかった。そして恵比寿駅で最終に近い電車に間に合い、パーティーの参加者からもらった、古い”OCSニュース“というタブロイド判の新聞を読んでいました、すると向...あの頃・・・こういう別れ、プラザホテル前

  • ” ニューヨークの水を泳ぐ(生きる)“

    ”ニューヨークの水を泳ぐ(生きる)“2019/7/8(再編集)塾講師のアルバイトは、英語のサブスクールで会った,久美からの誘いでした。彼女によると某国立大学出身、日本でニューヨーク近郊の日本人子女に塾の先生として派遣されて来たそうです。歳は20代後半、丸顔、容姿並。(塾は郊外の幹線道路沿いあり)塾はバスに乗りG.W.ブリッジ(ジョージワシントン橋-良く映画で田舎者がNYに上京する際のシーンとして登場する橋)をニュージャージー側に渡り、右に曲がり3つ目のバス・ストップです。旅行者は訪れない場所です。何気に観光地でもないのに、大きく立派な橋が“ドン”とある、さすがアメリカ!塾の辺りには、イタリアン・レストランが2軒、離れてチャイニーズ・レストラン、セブンイレブン(当時のセブンは黒い内装で、なんだ↓の印象)が有るだけ...”ニューヨークの水を泳ぐ(生きる)“

  • バブルと旅行ブームが街(NYC)を破壊する

    中年オヤジ留学バブルと旅行ブームが街(NYC)を破壊する2016/9/7編集(ニューヨークの変わりよう)ニューヨークがつまらなくなった。90年初頭、気の抜けない街の緊張感、ホームレスと共生する街。落書き、ゴミの散乱、物乞いの地下鉄。それら全てネガティブな事も当時のニューヨークの魅力の一つだった。そして今、例えるなら上等な肉を料理する前に水洗いし、何か間の抜けた味になったと言おうか、ニューヨークが変貌しました、何か?・・・以前より物足り無い。私の知っている、もしくは好きだった時代は、映画”タクシー・ドライバー(ロバート・デニーロ主演)“のニューヨーク子が、大人でもチョロットと”泣き“を入れるところ、物騒な街だろうが、それでも皆が生きている強さに喝采といった、正に”LIFEGOESON”の街。童話、浦島太郎のように...バブルと旅行ブームが街(NYC)を破壊する

  • Death Is No Longer a Personal Event

    DeathIsNoLongeraPersonalEvent(時として、人が生きそして進んで死を選ぶことが、社会や家族に投げかけるもの・・・)By丘ひろみ(ペンネーム)August7,1990最近、京都で医師が難病の女性に関与した嘱託自殺幇助?殺人?が取り上げられています。この件は別としても自分自身もこの先の健康状態にもより、終末期をどう受け止めるのかも含め考えさせられ、難しい問題です。私は約30年前のNY留学時、英語クラスのプロジェクトとして、当時アメリカで起こった“死ぬ権利”にからむ事件を取り上げました。興味のある方は一読していただければ(以下、英文がその際の授業で提出した本文の一部です)。OnJune6,1990,theNewYorkTimeswrote,“Doctortellsoffirstdeathus...DeathIsNoLongeraPersonalEvent

  • 私の“涙くんさよなら”を告げた時、NYへ

    私の“涙くんさよなら”を告げた時、NYへ2020/6/21記その時は私の嫁さんが、あることを境に別居しもちろん彼女が持ち込んだ家具も引き上げたので、私自身の心も一緒に住んでいた私たちの公団の部屋も、空虚なものとなっていました。私達二人の間の問題でこじれたという訳でなく、お互い顔を二度と見たくないという離れ方ではなかったので、とりわけ私は離れ離れになって数年は“彼女に思いを引きづっていました。”当時(80年央)はまだ携帯電話などない時代でしたから、仕事から帰宅し、もしや彼女から何か理由をつけて電話をかけてこなかったか?留守番電話が点滅していないか?気になる自分でした。そんな淋しさを癒すために、その頃日本でも聞かれ始めた“ジョージ・ウインストン”のレコードをよく聞いていました。ちょうどデザイナーズ時代と80年末のは...私の“涙くんさよなら”を告げた時、NYへ

  • 留学保険も、なめたら、アカン

    NY、オヤジ留学2016・06・10記(2020.5.10再編)今日(2016/6/10)、25年ぶりに頭部のCT撮影に病院へ行ってきました。費用は¥5,500でした、もちろん日本の病院ですが、いくらとられるか若干ヒヤヒヤしていました。かつて留学の際ニューヨークで頭部のCT検査は日本円で10万円以上とられたことがあるからです。皆さんも同じ考えと思いますが、留学(長期海外滞在)には1.保険に加入は必修です。2.病気に備え、なるべく人脈を通して馴染の病院を開拓すること。3.NYでは、在米の韓国社会がサービス分野で日本人の受け皿になっています。技量・料金とも現地の日本人経営とそん色はないと思われます。私は歯医者、病院、美容室、ドライバーライセンス等すべてお世話になっていました。(アメリカで風邪をひいても、日本のように...留学保険も、なめたら、アカン

  • 長い道のり、たとえ新型肺炎が一時的終息でも・・・

    長い道のり、たとえ新型肺炎が一時的終息でも・・・新型肺炎によりTVの報道ではスーパーは買い物客で混んでいる映像も流されています。今日は食べ物の在庫がなくなり仕方なく、近所のショッピングセンターに行きました、約一週間ぶりです。外出自粛が出ているので予想はしていましたが、店内のスーパー部門を除き殆どのテナントのフードコートはシャッターを下ろし、広いエリアは全ての椅子が使用されないようテーブル上にひっくり反され、いつもの風景とは異にしていました。(時代が数十年前に戻った?でもなく、なんだろう?・・・)と言うか、ここのショッピングセンターは工場跡地に十数年前オープン、地元に住む私はこんな静かな街にそんな大規模に新規に投資開発して、当初は”大丈夫?“と見ていました。ところが意に反して、開店によりどこから人が来るのだろうか...長い道のり、たとえ新型肺炎が一時的終息でも・・・

  • 風( 新型肺炎 )と共に去りぬ ❕

    風(新型肺炎)と共に去りぬ❕2020/3/30記私は2013年定年退職した後、パートタイムで都内のウィークリーマンションで少しの間、働いています。そこは建物そのものは旧く、思うところ70年代築と思われます、ただし敷地面積に目いっぱい単身用の部屋を分譲マンションより小ぶりの施工でしたので、部屋数は50前後で小規模経営でも宿泊単価(3000~4500円)から十分採算、むしろ〇〇儲けの感がありました。(二年前から、部屋の稼働率は倍増したと・・・)建物の構造上、階下は”ジメジメ”し寒気を覚える作りでした。しかし当時、2020年東京オリンピックの号砲により数年前より東南アジアの後進国と思われていた国々を含み東欧や南米を巻き込むバブルや旅行ブームが世界中に起こっていたはずです。そんな建物の少しばかりの難癖より既に、東京では...風(新型肺炎)と共に去りぬ❕

  • クリスマス、人の気配は無くゴーストタウン、その夕暮れを迎えたコロンビア大学界隈

    クリスマス、人の気配は無くゴーストタウン、その夕暮れを迎えたコロンビア大学界隈(但し、AROUND90’S)2019/12/24記私はコロンビア大学近くに3年半住んでいて、大きな寮住まいといえども、食事に関してクリスマスは特別不便なシーズンでした。その日は、いつもオープンしている寮のカフェテリアはクリスマス休日です。かといって自分の部屋にはキッチンは付いていません。各フロアにある団らん室にも煮焼きする設備もありません。それでは外食ないし、店で食料調達と外にくり出せど、街の様相は一変、別世界。馴染みの店が驚くほど休業です,いつものスーパーも、良くいくリーズナブルなレストランも、はたまた休むことを知らぬと思われたチャイニーズ・レストランでさえも。何とかせねばと更に足を伸ばしても、いっこうに空腹を満たすチョイスは見あ...クリスマス、人の気配は無くゴーストタウン、その夕暮れを迎えたコロンビア大学界隈

  • “私の追憶、そして彼女から知った日本人は欧米人との子を産みたがる”

    中年オヤジNY留学“私の追憶、そして彼女から知った日本人は欧米人との子を産みたがる”2016/7/9編集(再会)美保、彼女と再会したのはコロンビア大学の正面、ブロードウェーに面した当時の学生は誰でも行く中規模のスーパーマーケット、名前は忘れました、ただそこのショッピングバックはベージュ色です。私も彼女も、2年前は同じコロンビアの英語学校の生徒でした。その当時は彼女とはクラスも違い、いつも彼女は数人の日本人と学内を移動しているのは目に焼き付いていました。気の強そうな顔立ちから、その当時とりわけ話をしたことはありませんでした。それが、コロンビア大学前のスーパーで数年ぶりに会うとは思いませんでした。入口近くで、“まだ居たんだ(日本に帰ってなかったんだ)?”と彼女の方から声をかけてきました。私も内心ビックリ。勿論いつも...“私の追憶、そして彼女から知った日本人は欧米人との子を産みたがる”

  • “自分の国を離れ、そして出戻る理由は色々・・・それぞれの短い人生をいきる“

    “自分の国を離れ、そして出戻る理由は色々・・・それぞれの短い人生をいきる“2019/8/29記義理の息子が昨年(2018年)の暮れ上海から十年ぶりに引き揚げ帰ってきた。ただ彼は生まれも育ちも上海なので、日本人が新天地(外地)で夢半ば帰ってきたのとは少し違う。私が上海で初めて会ったのは彼が15歳の頃、それから2年ほどして諸般の事情で彼を日本に呼ぶこととなった。しかし今流行りのフランス人のように日本が好き、漫画・コミックが好きで、日本語もO.Kで日本に来るのと訳が違う。彼は日本に興味が有ったわけで無し、進んで日本語を勉強したい訳で来た訳で無し、手こずりました。おかげで都立高校卒業まで彼の家庭教師を務めなければならなかった。しかし不愛想な“オス猫”のごとく、私に感謝を表すわけでもなく、また終始勉強の嫌いな子でした。当...“自分の国を離れ、そして出戻る理由は色々・・・それぞれの短い人生をいきる“

  • 欠点も含め相手の全てを愛せ、もし大事な出会いなら

    2019/5/28記(価値あるものとは?)ある雑誌に書かれていた、こんな話。昔、ペルシャの市場で古老がコーラン5巻をセットで売っていました。たまたま通りかかった男が、それに興味を持ち買いたい衝動、でも値段は?心は行ったり来たり。ついに男は聞いてみる“そのコーランはいくらだ”。そこで古老は“(例えとして)5巻セットで10万円”。値段を聞いた男はためらう、買う決断が中々つかない。それに業を煮やした古老はコーラン5巻の内の1巻を、側で焚かれている火だまりに投げ込んで焼いてしまう。やっと最初から5巻まとめて買えば良かったと思った男は“なんていう事をするんだ買おうと思っていたのに!”。そして男は続けて言う“せっかくの1巻を焼いてしまったことだし、残り4巻でいくらになるんだ?”古老は“(価値あるものは、多少の傷みや欠落があ...欠点も含め相手の全てを愛せ、もし大事な出会いなら

  • “たかが家、されど家” 留学から知る、自分の住みか

    中年オヤジ留学“たかが家、されど家”留学から知る、大切な自分の住みか2016/8/9編集1992年3月25日、自分の4年と少しのニューヨーク留学生活に区切りをつけました。クイーンズ、エルムハーストの路肩に雪の残るアパートを引き払い、帰国しました。もちろん寂しさとか残念とかの思いはありますが、いつまでも開かない門の前で(職も見つからず)待つこともできませんでした。(わが部屋は健在なり!)日本に帰って、今でも忘れないことがあります。私は無駄にも4年間以上も誰も住まない部屋の家賃を払い続けていました。でも後悔はあまりありませんでした(そんな話をしたら、友達はみんなバカヤローと言っていました)。1)理由として、留学前はアメリカの物価は日本よりも高いと思っていました(現在,アメリカはバブル状態で、物価は逆転していますから...“たかが家、されど家”留学から知る、自分の住みか

  • もしも事が思いがけない展開なら、立ち止まれ、引き返せ !

    瞬時に体を包む感性に従え“もしも事が思いがけない展開なら、立ち止まれ、引き返せ!”2017.11.18再編集(その時、私は強盗被害、未経験者)皆さんが知るように、ニューヨークは犯罪の街である。自分の短大のインド人同級生は過去に6回、うち2回はガン、そして2回はナイフの遭遇との話。私いわく”何でそんな遅くに帰るアルバイトなんてやめたら!”彼、“やめたら学校も、生活も続けられない”と。この街(NY)、この国では、強盗に遭うことは、人が麻疹(はしか)にかかるのと同じ。夜の路は、更に危険。5番街ならさもないが、郊外の街中では。自分が居たアパート(QUEENS)の留学生の中国人のご主人は、チャイナタウンでバイトする奥さんを心配して決まって夜12時15分頃車をだして、迎えにいっていました。自分は、このニューヨークで3年経っ...もしも事が思いがけない展開なら、立ち止まれ、引き返せ!

  • 出口の見えない高齢化社会、あるNYの二人

    出口の見えない高齢化社会、あるNYの二人2018/11/23記(NYに住むある退職者との出会い)1990年頃、私はNYのタイムズ・スクエア―近くのインターナショナル・センターという留学生を主にサポートする場所に英会話のの練習目的で頻繁に出入りしていました。(現在、センターは移転しています→80MaidenLn,NY)(センターに興味のある方は→www.newintlcenter.org)センターはそこで私にJOSE(ホセ)という男性・退職者、年齢は70前後を紹介してくれました。私達は次第に仲良くなり、ついには彼のCond(住まい)に行くようになりました、玄関入口にはセキュリティ常駐のマアマアの住まい。彼の生い立ちを聞いたり、お母さんは小さい頃、TB(Tuberculosis:結核)で亡くなり、後妻のお母さんで苦...出口の見えない高齢化社会、あるNYの二人

  • 平成くたびれサラリーマン上海へ行く (最終回・あとがき)

    今回でこのシリーズは最終回を迎えます。全編を通して読んでいただける方に、一行でも、ワンフレーズでも心に残ることができたら光栄です。(その12最終回)+(後書き)(又、いつしかの船出)裁判は、この事件の担当書記官の援護にも支えられ翌年の5月に結審し、一月後に次郎は勝訴を得た。あとは、次郎に出来る事は、早くこの件を忘れる事しかなかった。劉さんと不幸な出会いをした事、結婚に至る前に既に、何か彼女の不可思議な行動があったにも拘わらず、次郎が踏みとどまれなかったことにも非がある。劉さんに騙されたにしろ、結局は全て自分が悪いのだと、理解している。(サラリーマン勤めは毎日がストレス・・・)この背景には、次郎の歪な(いびつな)誰にも有りがちなサラリーマン生活にあるのかもしれない。自分の余りあまるエネルギーを押し殺し、あたかもハ...平成くたびれサラリーマン上海へ行く(最終回・あとがき)

  • 平成くたびれサラリーマン上海へ行く (その11)無秩序からの解放

    (ここまで)その10から投稿に間がありました、すみません。原稿を読み直し、書きたいことは沢山有るものの、過ぎると力み過ぎで有ったりと修正。かと言って、自分からの心の叫びを記せずして、読んでいただく方に申し訳ないしと時間がかかりました。(その11)(無秩序からの解放へ)それからというもの、次郎の試行錯誤での訴状の作成が始まった。新たに、六法全書を買い、訴状となる粗書きは、黄色や赤のマーカーや、重要な所を示すインデックスで、さながら大學の卒業論文作成にも似たものとなった。そんな中、劉さんが次郎の家から姿を消してから初めて次郎に電話をかけてよこした。意外だが、次郎にすればまた当然でもあった。直感で次郎は、彼女の日本での逃避行は思うようにいっていないと想像。大卒の日本人すら“就職氷河期”と呼ばれる2000年前後、まして...平成くたびれサラリーマン上海へ行く(その11)無秩序からの解放

  • 平成くたびれサラリーマン上海へ行く (その10)一条の光

    (ここまで)主人公、松尾次郎は上海での嫁さん探しに失敗し、困りに困っています。若い時は人間は年をとると馬鹿みたいな”ヘマ”はやらないと思っていました。先日、個人的に約30年振りに一時期、一緒に働いた仲間(従業員)と同期会を催しました。嬉しいことに皆、経済的にも、家庭的にもマアマアらしく明るく酒を飲んでいました。ただ皆、一様に酒の勢いも手伝って、”俺は幸せだった、家庭にも恵まれて”との自己紹介が大勢をしめていたので、私は辛めに”お前達、未だ50前後で、俺の人生は満更でもないと総括するのは、早すぎるぞ!”と脅かしておきました。皆さんはどう?お思いでしょうか?(その10)(一条の光)松尾次郎の自分探しやら、幸せ探しが転じて、あたかも“アリ地獄”へ自ら落ち込んだ様相を呈してきました。今や、次郎の当面の目標は彼の籍をきれ...平成くたびれサラリーマン上海へ行く(その10)一条の光

  • 平成くたびれサラリーマン上海へ行く(その9)後悔と怒り

    (ここまで)主人公の松尾次郎は、チョットした縁で人生の峠を迎えた頃に有りがちなトラブルに遭遇。どうせ、今の自分は”おまけの人生”とばかり、気前よくジョーカーを切りました。しかし痛い目に会っています。この手の話は、最後は自分で這い上がるしか。(その9)(後悔と怒り)昨夜は、次郎独りで苦しみながら長い夜をすごした。今朝(けさ)は通常の出勤日である。こんな時は、誰もが休みたい、しかし、そうもいかぬのがサラリーマン。出社し同僚に事の次第が悟られぬよう、次郎は目を合わせぬようし、“落ち着け、落ち着け”と自分に言い聞かせる。なぜなら一部の上司、同僚はこの数日の次郎の休暇取りは特別な日であったのを知っている。(泣きを入れる)そして、暇を見つけ、次郎は劉さんの紹介者でもある山下に、“SOS”とも言える泣き言を彼の携帯電話にいれ...平成くたびれサラリーマン上海へ行く(その9)後悔と怒り

  • 平成サラリーマン上海へ行く (その8)激風と共に・・・

    (ここまで)主人公、松尾次郎は前回、上海にて中国女性と結婚の手続きをすませました、今回はその後になります。一般に、中国人は日本人と比べ人生の舵を切るのは、人並みではありません。特にお金が絡むことには庶民から富裕層まで。ただ日本人が注意をしなければいけないのは、彼らの台本”シナリオ”の中に知らず知らずの内に友人、知り合い、時には警察官もプロットの登場人物にさせられる事も。付き合いもそれ程でない日本人を呼び出し彼らの側に置き、異国の日本でも人脈が厚い演出をしたり。事件性の場合には、自己の正当性を印象付けるため日本人を道具に使ったりと、概して登場人物に織り交ぜる事も時にはあります。その台本や言い訳も松本清張のような”練りに練った”と言うよりは、わずか2~3ページの。時間が経てば、”ア―、そう言うことだったのか!”とい...平成サラリーマン上海へ行く(その8)激風と共に・・・

  • 平成くたびれサラリーマン上海へ行く (その7)そして河を渡る

    (ここまで)主人公(松尾次郎)はある縁での国際結婚に中国上海へ来ています。知り合い短期間とは言え、状況が外国という事も有り、細かい自分の都合で”のらりくらり”は難しいところです。あたかもテレビの動物ドキュメンタリーで、大河に肉食ハンターの”ワニ”が水中に潜んでいても、河を渡ろうとする、上気したヌーの一群にも似た。主人公の次郎も、ここまで来ると、どういう事になるのでしょうか?・・・・>(その7)(そして河を渡る)その後、次郎は再度、劉さんに会いに3ヶ月後に上海へ行っている。その際に、劉さんの親にも兄弟にも会っている。松尾の運命は、ほぼ決まったようなものだった。肉体関係が有るや否やは、時には、男女にとって絶対的のものかもしれない。なければ、その先は進まない。そして上海に行くこと3度目にして、劉さんとの婚姻の届け出(...平成くたびれサラリーマン上海へ行く(その7)そして河を渡る

  • 平成くたびれサラリーマン上海へ行く (その6)大海へ船出した人達

    (ここまで)主人公(松尾次郎)が中国、上海を旅しています。(その6)(異国という大海へ船出した人達)上海へ来て5日目の朝を、次郎は独り目を覚ました。今日は一緒に目を覚ます相手がいなくて、淋しいというより、少しセイセイしている感じがする。次郎は“今日は、仕事でもない、女でもないことに時間を使いたい”と。次郎には上海に数人知り合いがいたが、時間的に全ての人に会えない、何故か今回はその中の一人沖縄県出身の喜屋武(きゃん)さんに無性に会ってみたかった。彼の破天荒の生き方が気にいっていた。彼は以前、いろいろな事に手を出していて、その一つに上海で日本の100円ショップまがいな事をやり、其の時輸出入の仕事上のつながりで次郎と知り合いになった。喜屋武さんは日本人でありながら、数奇な生き方をしている。その点で次郎が何となく話して...平成くたびれサラリーマン上海へ行く(その6)大海へ船出した人達

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