伊勢神宮 さん プロフィール

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伊勢神宮さん: 伊勢神宮と古代史
ハンドル名伊勢神宮 さん
ブログタイトル伊勢神宮と古代史
ブログURLhttp://blogs.yahoo.co.jp/rekishikoubou
サイト紹介文10代天皇の御代に出雲が朝廷の実権を握り、皇祖神の祭祀をヤマトから追放し伊勢に幽閉した。
自由文『古事記は出雲が書いた』 #puboo http://p.booklog.jp/book/57868(無料) 『図解 神話の証明』 #puboo http://p.booklog.jp/book/60039
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供44回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2015/09/02 15:32

伊勢神宮 さんのブログ記事

  • 紅葉前の内宮 ?
  • おはらい町赤福本店食事処 すし久紅葉前です。誰かは知りませんが、神官に先導されて正殿に向かう途中です。写真のサイズが大きすぎました。これ以上はアップできないので次に続けます。 [続きを読む]
  • 神社神道はこうして広がっていった
  • 詳しい地図で見る(阿自支神社)(色が同じ神は異名同神です)地図のマーカーのあるところは阿遅須枳高日子根(あぢすき・たかひこね)と母親の道主貴(宗像神)を祀る阿自支神社です。地名の犬上郡の「犬」は出雲の出雲郡伊努(いぬ)郷・秋鹿郡伊農(いぬ)郷に由来します。安食(あじき)と阿自支(あじき)は祭神の阿遅須枳(加茂大御神)から来ています。南の奥津嶋神社(名神大社 近江八幡市)は奥津島姫、別名を多紀理姫と [続きを読む]
  • 八百万の神々は斐伊川の出身
  • 詳しい地図で見る(神立橋)ここは出雲神話の中心です。中央を流れているのが斐伊川、それを横切っている国道9号線は山陰道です。右手に荒神谷遺跡、左手の大社前の大社は出雲大社です。さらに上方の鼻高山は宇迦山です。宇迦之御魂(伏見稲荷・外宮)とはこの地の神のことを言います。斐伊川にかかる山陰道(9号線)の橋を神立橋と言います。神立(かんだち)は神無月に全国から集まった神が帰るためにここから旅だったことに由 [続きを読む]
  • 建御雷は斐伊川で生まれた出雲神
  • 詳しい地図で見る(斐伊神社)神話の出だしはまったく退屈なものです。造化三神が現れ、次にイザナギ・イザナミが島や神々を生みます。その名前がダラダラと続きます。誰もがこの辺で読むのが嫌になってしまいます。イザナギ・イザナミは六つの島を生んだ後、大屋毘古(五十猛)や大綿津見ら十神、水分ら八神、大山津見ら四神、狭土ら八神、火之迦具土や豊受毘売ら八神を生みましたが、火神の迦具土を生んだためにイザナミが亡くな [続きを読む]
  • 父無くして子を生んだ神話の史実
  • 詳しい地図で見る(八口神社)「川にいた姫が上流から流れてきた矢を持ち帰ったところ、妊娠して男子を生んだ」という話が、賀茂神社・松尾大社の社伝や『播磨風土記』にあります。この話の元は須佐之男による出雲の大蛇退治です。上流から流れてきた矢とは、斐伊川あるいは赤川上流から下ってきた製鉄族(異民族:大蛇)のことです。上流で砂鉄を採っていた大陸半島の異民族が、川下の村を襲い若い女性に子供を妊ませたことを指し [続きを読む]
  • なぜ大国主は褒め、須佐之男は貶すのか
  • 詳しい地図で見る(赤川上流の海潮郷)須佐之男が大蛇を退治した赤川は、三笠山(雲南市大東町南村)が源です。赤川は三笠山の南麓を流れ、その源流から峠を越えれば、意宇川が熊野大社・出雲国庁を通り中海に流れています。(県道53号線)三笠山の西麓で赤川から分かれた須賀川は、源から峠を越えれば、忌部川が忌部神社を通り宍道湖に流れています。(県道24号線)意宇川流域には一宮熊野大社や出雲国庁がありました。8世紀 [続きを読む]
  • 須佐之男はなぜ出雲に行ったのか
  • 詳しい地図で見る(阿用郷)須佐之男は高天原から斐伊川上流の船通山に降り、大蛇を退治した後に、須賀の地に宮を造りました。船通山は鳥取県との県境の島根県仁多郡奥出雲町、大蛇を退治したと伝わるのは斐伊川を下った所の雲南市加茂町三代・神原、 須賀は雲南市大東町須賀です。そもそも出雲の第一歩がなぜ船通山なのか。船通山の麓の仁多郡奥出雲町横田は古くから鉄の産地です。『出雲風土記』にも「諸郷より出すところの鉄、 [続きを読む]
  • 出雲が三韓を征伐した
  • 詳しい地図で見る(大己貴神社)14代仲哀天皇の御代(4世紀後半)に再び新羅が北九州を侵略しました。しかし、仲哀天皇が急死したために神功皇后が戦いの陣頭に立ちました。 9代開化天皇    |−−−−日子坐王−−丹波道主−−迦邇米雷王−−息長宿禰−−神功皇后 和珥氏の皇后(日子坐王・丹波道主は外宮の故郷丹波を平定。丹波道主の甥の曙立王は伊勢国多気郡の佐那神社(元外宮)祭神)この時に四大夫と呼ばれた豪族 [続きを読む]
  • 賀茂大御神 阿遅須枳の正体?
  • 詳しい地図で見る(宇佐神宮)出雲氏族は伊勢国で麻績氏や度会氏(旧姓磯部)氏を名乗り、毛野国(上野・下野=群馬・栃木)に進出したと言いました。度会氏は九州の博多櫛田神社・太宰府天満宮にも祖(大若子・大幡主)を祀っています。大和方面から瀬戸内海を航行し九州に行くには、長門から豊前(福岡東部・大分北部)の海岸に上陸します。そこは旧三毛郡です。現在も福岡県豊前市に上毛町、大分県中津市に下毛町の地名が残って [続きを読む]
  • 賀茂大御神 阿遅須枳の正体?
  • 詳しい地図で見る(上野一宮:貫前神社)貫前(ぬきさき)神社(群馬県富岡市一ノ宮1535)が立つ地は、越後・信濃から関東方面に到る、東の関ヶ原とも言える交通の要衝です。戦国時代には上杉・武田・北条が幾度となく奪い合った地です。地図を拡大すれば高田川(高木神)丹生川(飛騨)と磯部(外宮度会氏の旧姓)の地名が見えます。そう言えば、関ヶ原にも高田(岐阜県養老町)と丹生川(滋賀県米原市)があります。関ヶ原の [続きを読む]
  • 賀茂大御神 阿遅須枳の正体?
  • 詳しい地図で見る(伊努神社 出雲市西林木町376)伊努(いぬ)神社の祭神は赤衾伊努意保須美比古佐倭気(あかふすま・いぬ・おおすみひこ・さわけ)、その后は天甕津(あめの・みかつ)姫です。ところが都我利神社の祭神の阿遅須枳の后は、天甕津姫(多久村)と音がよく似た天御梶(あめの・みかぢ)姫です。都我利神社と伊努神社は東の宮・西の宮と呼ばれ、わずかその距離も1?しか離れていません。しかも、伊努意保須美の父 [続きを読む]
  • 賀茂大御神 阿遅須枳の正体?
  • 詳しい地図で見る(都我利神社 出雲市東林木町672)式内都我利神社の祭神は、大国主と宗像神の子の阿遅須枳高日子(あぢすき・たかひこ)です。『古事記』はこの阿遅須枳を天照大神と並んで迦毛(賀茂)大御神と呼んでいます(大御神はこの二神だけ)平安京の上賀茂神社の賀茂別雷のことです。都我利(つがり)神社を東の宮というのに対して、南西1?の地にある伊努(いぬ)神社(出雲市西林木町376)を西の宮と言います。 [続きを読む]
  • 地名の転訛・伊勢と北九州
  • 詳しい地図で見る(加須夜神社)五十鈴川河口の二見町三津の佐見都姫を地名の三津に「さ」を付けた、あるいは三津に「ヶ」を付けて御食津神、「穂」を付けて三穂津姫になったと推理しました。『出雲風土記』にも「タコ島が今は栲(たく)島と言う」と地名の読み方が変わったとあります。多久神社(出雲市)の祭神は多伎都彦で、賀茂大御神の阿遅須枳の子ですが、阿遅須枳(賀茂別雷)を祀る上賀茂神社は愛宕郡出雲郷に在ります。こ [続きを読む]
  • 旗鉾の奥に乗鞍神社
  • 詳しい地図で見る(乗鞍神社)私が故山本健造先生から「奥飛騨に伝わる古代の話」を聞いたのは平成元年のことでした。これまで展開してきた古代史説はそれを検証したものです。先生が若い頃(昭和初期)代用教員として旗鉾の小学校に赴任した時、旧家の主人から代々伝えてきた話を聞かされたそうです。それは皇室の故郷は飛騨であり、ニニギや神武天皇はもちろんのこと、天照大神(ヒルメ貴)も須佐之男も実在の人物で本当の姉弟で [続きを読む]
  • 旗鉾神社に天照大神が現れた?
  • ヤフーの地図を埋め込むとスマホでは表示されないので、試しにグーグルマップにしてみました。 してもらえば別ウィンドウが開くはずです。地図(旗鉾神社)地図にマーカーを付けようと思うのですが、やり方が解りません。高山市から国道を旗鉾方面に来れば、旗鉾郵便局の手前に右手の川に下りる3本の道があります。その最初(郵便局から3本目)の道を右折した右側です。(国道沿いにあります)「天照皇大神宮」という石碑 [続きを読む]
  • 旗鉾神社に天照大神が現れた?
  • 詳しい地図で見る(高山市丹生川町旗鉾)乗鞍岳に到る道は平湯へ通じていますが、以前は旗鉾から岩井谷を通っていました。その地に立つ伊太祁曽神社(五十猛)は、明治まで乗鞍大神を祀る日抱尊社と呼ばれていました。ここに文化8年(1811)6月に皇大神が御降臨したと伝わっています。11代将軍の徳川家斉(いえなり)の時代です。この20年前から米・露・英の外国船が次々と来航し、通商を求め始めました。そのため幕府は伊能 [続きを読む]
  • 高天原の場所を暗示する古代某重大事件
  • 詳しい地図で見る(大矢田神社)出雲に居た阿遅須枳高日子根と下照姫の兄妹が、高天原を目指してやって来たのが岐阜県美濃市です。ここの大矢田神社に下照姫の夫の若彦が祀られています。  天照大神−−−−−−多紀理姫(宗像神)   |−阿遅須枳高日子根(賀茂大御神)                  |−−−−−−−−|  須佐之男−−−−−−大国主          |−下照姫               [続きを読む]
  • 神社は出雲勢力の象徴
  • 詳しい地図で見る(石園坐多久豆玉神社)神社は信仰に基づいて立てられたものではありません。奈良時代(8世紀)の人口は現在の約20分の1です。伊勢市に当て嵌めれば、現在10万人ですから5千人です。それに対して伊勢神宮は125社の神社群ですので、125社で人口を割れば、1社を40人で造ったことになってしまいます。それは経済的に不合理です。『日本書紀』天武6年(677)に次の記事があります。「勅して、天社地 [続きを読む]
  • 斎王が仕えた賀茂神社と出雲
  • 詳しい地図で見る(斎院)天皇の皇女が斎王として仕えるのは伊勢神宮と賀茂神社(上賀茂・下鴨)の二社だけです。如何に朝廷が賀茂神を尊崇していたかが判ります。斎院跡に櫟谷七野神社(京都市上京区社横町277)が立っていますが、大和の春日大社(武甕槌)を勧請したものです。斎院の大きさは京都御所の約5分の1(150m四方)あります。『延喜式(927)』の巻六斎院に「天皇は位に就き給わば、賀茂大神の斎王を定めよ。 [続きを読む]
  • 神話と神々の作り方
  • 詳しい地図で見る(上賀茂神社)松尾大社(京都市右京区)では、秦氏の姫が川で拾った矢で妊娠し、別雷を生んだと伝えています。秦氏の姫と言いながら、祭神の姫は宗像神の市杵島姫であり、矢は大山咋(くい)です。そしてこの祭祀を賀茂氏に譲ったとしています。 天照大神−−−−−−−−−−−市杵島姫(宗像神)                         |−−−−−−−−−−−別雷 大山津見(大山祇)−−大年 [続きを読む]
  • 出雲神の神社と天孫高木一族の地名
  • 詳しい地図で見る(下鴨高木町)10月4日の記事に、福岡県久留米市の高樹神社が高良大社に社地を取られたのは、天孫高木一族が出雲に征服されたことを表していると書きました。この下鴨神社(賀茂御祖神社)のとなりに下鴨西・東高木町という地名があります。この辺り一帯(御所のすぐ北)は出雲郷と言われていました。上賀茂の賀茂別雷は出雲神大国主の子(阿遅須枳)であり、社家の賀茂縣主も大国主の子孫です。賀茂神が降臨し [続きを読む]
  • 松尾大社から賀茂神社へ遷された祭祀
  • 詳しい地図で見る(松尾大社)賀茂神社を奉祭する賀茂氏(三輪氏同族の出雲氏族)は、松尾大社の秦氏と姻戚関係を結び、その祭祀を譲り受けたと言われています。(松尾大社 京都市右京区嵐山宮町3)祭神は大山咋と市杵島姫(中津島姫)社家は秦氏(秦の始皇帝の子孫と自称)須佐之男  |−−−−−|−大年神−−−−−−−大山咋(山末之大主神・日枝神社・鳴鏑)大山津見の娘  |                   |  [続きを読む]
  • 賀茂神の山城は山白=白山
  • 詳しい地図で見る(天日陰日?神社)賀茂神が降臨したのは山城国の御蔭(みかげ)神社です。では山城の国名は何に由来するのか。特別に山深い地形ではないので、主題は「城」だと思われますが、そのような古代の城が在った形跡はありません。そこで山城とは、加賀の白山を逆にした山白ではないかと考えます。その根拠は社名の御蔭(日陰)と祭神です。能登二ノ宮は天日陰比?神社(石川県鹿島郡中能登町二宮子)鹿島の郡名と隣国加 [続きを読む]
  • 賀茂神が降臨した比叡山西麓
  • 詳しい地図で見る(御蔭神社)朝廷が最も尊重した神社は伊勢神宮(内宮外宮)と賀茂神社(上賀茂・下鴨)です。皇女の斎王が仕えたのはこの二ヶ所だけだからです。賀茂神(賀茂建角身・玉依姫)が最初に降臨したのは、下鴨神社ではなく比叡山西麓の御蔭神社です。京都三大祭の葵祭はその故事にならい、御蔭神社から神霊を下鴨神社に迎えます。(御蔭神社 京都市左京区上高野東山207 )式内出雲高野神社の論社です。御蔭とは何 [続きを読む]