静磨 さん プロフィール

  •  
静磨さん: 乱読乱文多謝
ハンドル名静磨 さん
ブログタイトル乱読乱文多謝
ブログURLhttp://sizuma883.blog9.fc2.com/
サイト紹介文読書ブログ、でありながら、スーパーカブ110で近所をうろうろ、史跡めぐりなどをしています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供82回 / 365日(平均1.6回/週) - 参加 2015/09/12 20:34

静磨 さんのブログ記事

  • 旧東海道 薩埵峠から興津宿、再訪その1
  •  旧東海道 薩埵峠から興津宿、再訪 その1 興津駅から興津川 前回、富士川西岸から由比宿まで、旧東海道めぐりの「やりなおし」をした、わが「スーパーカブ110で行く史跡めぐりお散歩ツーリング」であるが、今回はその続き、薩埵峠から興津宿、である。ということで、やってきたのはこのJR興津駅。  時間は、朝の4時40分ごろ。七月上旬、この日の大体日の出の時刻である。なんでいきなり駅にやって来たのかといえば、このブロ [続きを読む]
  • 旧東海道 富士川西岸から由比宿、再訪 その3
  •  旧東海道 富士川西岸がら由比宿、再訪 その3 蒲原宿、由比宿、浄瑠璃姫の碑 広重の「蒲原夜之雪」の記念碑から、また旧東海道を西へ。 こちらは、「和泉屋」という旅籠だった建物。天保年間に建てられたものだそう。 「本陣跡」。建物は、古くて立派だが、本陣の建物という訳ではなさそうだ。西と東、二つあった蒲原宿の本陣のうち、こちらは西本陣の方。 その先の交差点。ここを、山の方(赤信号の方)へ右折して道なり [続きを読む]
  • 旧東海道 富士川西岸から由比宿、再訪 その2
  •  旧東海道 富士川西岸から由比宿、再訪 その2 蒲原宿 前回の最後の丁字路の先に。「北条新三郎の墓」。 カブを停めて、歩いて坂道を上っていく。 途中、あじさいなどを楽しみつつ、数十メートル。次第に薮が深くなる先、 竹薮なかに、古い墓石。北条新三郎氏信は、北条早雲の孫にあたるひとである。永禄十一年(1568年)十二月の、武田信玄の駿河侵攻の際、北条は今川の支援に動き、駿府を落とした武田の背後をついて薩埵 [続きを読む]
  • 旧東海道 富士川西岸から由比宿、再訪 その1
  •  旧東海道 富士川西岸から由比宿、再訪 その1 旧岩渕村  6月下旬、夏至の数日後。この日、日の出の時刻は4時32分。その時間に合わせて目的地に到着するためには、3時半には起床しなければならなかったのだが、寝坊。ただ、出発時間が予定より三十分ほど遅れたおかげで、自宅から5分ほど走ったところでこんな景色が見られた。 朝焼けのなかの、富士の山影。手前の川は巴川、このブログではもうおなじみですね、『ちびまる子 [続きを読む]
  • 犬居城 その2 
  •  犬居城 その2 現地の見取り図。 「物見曲輪」の展望台からの眺望。城下の様子が一望できる。「塩の道」、すなわち、この城がその役割を果たしていた時代に相応しい呼称でいうところの「信州街道」が、ここを通っている訳である。 こんな道標があった。上の見取り図でいうところの右方向、城の搦手の方向に行けば、秋葉神社に通じている、という訳である。私は「塩の道」から上がって来て、大手側、つまり図の左側から入城し [続きを読む]
  • 犬居城 その1
  • 犬居城 その1 「塩の道」モニュメントのある、浜松市天竜区春野町の、「春野ふれあい公園」。その前の国道362号線の信号を、公園の反対側の道へ。 こんな道。ちなみに、前回の記事でいうところの、「大日如来」のところから先の、カブでは走れなかった山道である「塩の道」を歩いて辿っていくと、この道につながっている。つまりこれが「塩の道」であり「秋葉街道」の古道、ということになる。この道を少し行き、 「犬居城入口 [続きを読む]
  • 塩の道・掛川から春野町 その5
  •  塩の道(秋葉街道・表口) 掛川から春野 その5 八幡神社から春野  「権現森」の看板から、ちょっと走った所で、 また、「塩の道」はカブでも走れない山道に。しかし、まあすぐにまた車道と合流するだろうと、迂回。 案の定、この「八幡神社」辺りで、合流。その神社の隣には、 「大久保小跡」。こんな山間にあった小学校、現存すればさぞかし魅力的であったことだろうが、まあ、これも時代の流れである。 少子化の時代 [続きを読む]
  • 塩の道・掛川から春野町 その4
  •  塩の道(秋葉街道・表口) 掛川から春野 その4 三倉川から権現森 県道58号線は、太田川の支流、三倉川を越えて、そのまま川沿いを山間へと向かっていく。 このあたり、きれいで広い道路で実に快適なのだが、かつての「塩の道」は、三倉川を四十八回も渡らなければならなかったそうで、そのためにこの三倉川は「四十八川」だとか、イロハ四十八文字になぞらえて「いろは川」だとか呼ばれていたそうだ(小林達著『東海道と脇 [続きを読む]
  • 塩の道・掛川から春野町 その3
  •  塩の道(秋葉街道・表口) 掛川から春野町 その3 森町 「猿田彦神社」前から、林のなかに伸びる「塩の道」をさらに北へ進む。  なんだか、ちょっと不安になってくるような道。落ち葉で埋もれてしまっているが、これでも一応舗装道路ではある。 視界がひらけると、そこは天竜二俣鉄道の原田駅だった。 一息ついていたら、ちょうど電車が入って来た。新しい車両だけれど、ローカル線の雰囲気は十分である。 先へ進むと、 [続きを読む]
  • 塩の道・掛川から春野町 その2
  •  塩の道(秋葉街道・表口) 掛川から春野町 その2 掛川宿から猿田彦神社  「掛川一ノ鳥居」前、すなわち東海道と秋葉街道との分岐点から、道は北西方向へと伸びていく。 150mぐらい行くと、ふたつめのモニュメント。 さらに150mぐらいで、県道40号にぶつかるのでそれを右折、北に向かってこの国道1号バイパスをくぐる。 200mぐらい先のこの脇道に入る。こちらが『塩の道』。 いかにも、という道を西へ。 神社の入り口に [続きを読む]
  • 塩の道・掛川から春野町 その1
  •  塩の道(秋葉街道・表口) 掛川から春野町 その1 掛川宿  ゴールデンウィーク、貴重な五連休の最初の二日を家族サービスに捧げて、ようやく得られた「一人で遊びにいってよい」一日。これは有効に利用せねば、と、やって来たのは、 ここである。時間は、日の出から三十分ほどが過ぎた、五時半頃。なんだが殺風景な場所だが、ここが、今回の史跡めぐりのスタート地点である。カブの向こうに見える、小さな道しるべにご注目 [続きを読む]
  • 安倍城 その3
  •  安倍城 その3   「安倍城」は、ひとつの城としては、それほど規模の大きなものではないようである。しかし周辺に幾つもの支城を配し、それらを尾根づたいの道で連絡させることによって、全体として機能させていたようだ。 麓から城跡まで、山道を一時間も歩かなければならなかった。これでは例えば、麓の街道を通過しようとする敵の進軍を阻止するために、城から出陣するのはちょっと大変そうである。しかしこの城は、例えば [続きを読む]
  • 安倍城 その2
  •  安倍城 その2 登山道略図。 道のりの半ばあたり、第三十三番石仏を過ぎて、さらに先へ。そろそろ、樹間から朝日が射し始める。 道は尾根道であるが、 かなりのアップダウン。そろそろ足腰に疲労が…… そして、二つ目の鉄塔。  その先に、この道標。増善寺というお寺から発している登山道との合流点である。「安倍城」へは、いくつかのルートがあるようである。 ここからが、なかなか厳しかった。  一気にくだる。も [続きを読む]
  • 安倍城 その1
  •  安倍城 その1 四月下旬。今回は、史跡めぐり、というよりは、ただのハイキングみたいなことになってしまいましたが、ま、気にせずいってみましょう(笑)。 国道1号線の、JR静岡駅のすぐ西にある「常盤町二丁目」交差点を起点とする、国道362号線は、かつての秋葉神社への巡礼の道である「秋葉街道」の内の一本の、後身というべき道である。この国道を、その交差点から車で二十分ほどの距離に、「洞慶院」というお寺がある。 [続きを読む]
  • 山中城、再訪 その3
  •  山中城、再訪 その3  「西の丸」から城の中枢部を目指すにあたり、東へ向けて谷間に降りていくと、 ため池の跡がある。発掘調査にあたり、4mも掘り下げたが、池の底に達することはなかったそうだ。前回にも書いたが、この辺りは決して雨の少ない場所とはいえないのだが、山の中腹という地理的条件である以上、溜めておく施設がなければ、豊富な水も全て流れ去ってしまう道理ではある。また、豊臣の大軍勢を迎え撃つべき、大 [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 60
  •  山中城、再訪 その2 武田の築城には顕著な特徴がみられる。例えば、「丸馬出し」と「三日月堀」の組み合わせである。それは一般に「武田流築城術」などと呼ばれる。諏訪原城などに、それは確認することが出来る。 これが、その諏訪原城の見取り図。半円形の馬出しと、それの前面に掘られた三日月形の堀がよくわかる。 これは田中城。これはもう、武田の築城以外には考えられないような形である。とにかく、武田の城は「丸い [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 59
  •  山中城、再訪 その1  四月中旬。久々の史跡めぐり、やってきたのはここ、山中城址である。 場所はここ。三島市から国道1号線を東へ、箱根峠を目指して登っていくワインディングロードの半ばあたりである。 山中城址には以前にも立ち寄ったことがある。旧東海道を辿りつつ箱根峠を目指した途上において、である。しかしこれは最近行った諏訪原城や蒲原城と同じく、当時はまだ街道にばかり気が向いていて、城跡にはあまり興味 [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 58
  •  旧瀬名村にみられる瀬名氏の足跡 その2 「瀬名館」跡から、西へ少し行くとすぐに梶原山という小さな山にぶつかる。その麓にあるのが、この「清涼山光鏡院」というお寺。 このお寺は瀬名氏の初代一秀が、長享二年(1488年)に建てたもの。文亀三年(1503年)に七十二歳で亡くなったという一秀自身も、ここに葬むられた。永禄十一年(1568年)の武田信玄の駿河侵攻の際、このお寺は焼かれてしまい、再建が成ったのは元和八年(1 [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 57
  •  旧瀬名村にみられる瀬名氏の足跡 その1 三月に入ってから、年度末の多忙に、なにやら軽微なれども長く続く体調不良も重なって、最近、更新が滞っておりました。よって、私の育った街、そして今現在私が生活している街、という、えらくローカルな話題が今回の記事の対象となりましたが、どうか、ご寛恕ください。 先日、静岡市の市街地を東西に走る、北街道、という中世の東海道の後身というべき街道をカブで走ったとき、瀬名 [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 56
  •  小島陣屋  前回の「横山城址」から、国道52号線を北上すること1km足らず。「小島南」の信号を左折すると、 「酒瓶神社」がある。その先に、 こんな小さな案内表示があるので、それに従って細い路地へ。 すると、この「小島陣屋跡」の「大手門跡」に辿り着く。早咲きの河津桜が美しい。地図で確認。 現地の解説文に、こうある。  駿河中東部唯一の大名として庵原・有度・安倍・三郡にわたる三十カ村を統治した小島藩壱万石 [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 55
  •  横山城 その2 この横山城址、先日紹介した『静岡県の歩ける城70選』によると、 城跡は農地としてよく保存されているが、現在は放置されて荒廃している。このため城山への登り口以外は見学が困難な状況にある。(85ページ) とのこと。その登り口からしてかなり急峻な坂道であり、不安を覚えつつも、まあ行けるところまでいってみよう、というつもりで城跡に踏み込む。 いきなり、こんな感じ。まるで、「トトロ」の一場面を [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 54
  •  横山城 その1 薩埵峠という、海岸線にまで迫った山塊がそのまま海にこぼれ落ちるような東海道の難所の、西側。古代の律令時代にはすでに駅が置かれ、徳川の五街道整備後には十七番目の宿場の置かれた興津は、この難所の存在ゆえに重要視された、ばかりではなかった。海に面した駿河と、山を越えた北方の内陸にある甲斐とをつなぐ「身延街道」が、この興津から発していたのである。 地図でみると、こんな感じ。地図の中央を南 [続きを読む]
  • 『静岡県の歩ける城70選』
  •  静岡新聞社 『静岡県の歩ける城70選』 加藤理文編著  ISBN978-4-7838-1984-4  過去の記事にも幾度か書いているが、私の最近の城跡への興味は、元々は古い街道と、その沿線の史跡への興味から発した、いわば副産物のごときものであった。 ようするにそれは、なりゆきでいつの間にやら始まってしまったもので、各城址の系統立った探訪どころか、ろくな下調べもせず、「堀切」の何たるかも現地の説明書を読んで初めて知るよ [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 53
  •  手越川原古戦場  前回行った「持舟城(用宗城)」は、JR東海道線の用宗駅のそばちかくにあった。その用宗駅から東にひと駅、安倍川駅の近所に、「みずほ公園」という公園がある。地図で確認すると、 これが、用宗駅と、持舟城址と、安倍川駅の位置関係。 そして、「みずほ公園」の位置。城跡のすぐ近所だね。余談だが、このあたり(みずほ、という街)に、私は独身時代、そして結婚後も子供が産まれるまでは暮らしていた。と [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 52
  •  持舟城(用宗城)  静岡市の海岸線を走る国道150号線。これを西、すなわち焼津市方面に向かうと、用宗(もちむね)という港町がある。そこにJR東海道線の、用宗駅があるのであるが、そのそば近くに、持舟城址はある。 地図で確認。 城跡のある小山の麓にある、「浅間神社」。この神社の脇が、登り口になる。 こんな感じの農道をのぼっていくこと150mぐらい、かな。 すると、こんな駐車場が用意されているので、車やバイクは [続きを読む]