静磨 さん プロフィール

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静磨さん: 乱読乱文多謝
ハンドル名静磨 さん
ブログタイトル乱読乱文多謝
ブログURLhttp://sizuma883.blog9.fc2.com/
サイト紹介文読書ブログ、でありながら、スーパーカブ110で近所をうろうろ、史跡めぐりなどをしています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供81回 / 365日(平均1.6回/週) - 参加 2015/09/12 20:34

静磨 さんのブログ記事

  • 塩の道・掛川から春野町 その2
  •  塩の道(秋葉街道・表口) 掛川から春野町 その2 掛川宿から猿田彦神社  「掛川一ノ鳥居」前、すなわち東海道と秋葉街道との分岐点から、道は北西方向へと伸びていく。 150mぐらい行くと、ふたつめのモニュメント。 さらに150mぐらいで、県道40号にぶつかるのでそれを右折、北に向かってこの国道1号バイパスをくぐる。 200mぐらい先のこの脇道に入る。こちらが『塩の道』。 いかにも、という道を西へ。 神社の入り口に [続きを読む]
  • 塩の道・掛川から春野町 その1
  •  塩の道(秋葉街道・表口) 掛川から春野町 その1 掛川宿  ゴールデンウィーク、貴重な五連休の最初の二日を家族サービスに捧げて、ようやく得られた「一人で遊びにいってよい」一日。これは有効に利用せねば、と、やって来たのは、 ここである。時間は、日の出から三十分ほどが過ぎた、五時半頃。なんだが殺風景な場所だが、ここが、今回の史跡めぐりのスタート地点である。カブの向こうに見える、小さな道しるべにご注目 [続きを読む]
  • 安倍城 その3
  •  安倍城 その3   「安倍城」は、ひとつの城としては、それほど規模の大きなものではないようである。しかし周辺に幾つもの支城を配し、それらを尾根づたいの道で連絡させることによって、全体として機能させていたようだ。 麓から城跡まで、山道を一時間も歩かなければならなかった。これでは例えば、麓の街道を通過しようとする敵の進軍を阻止するために、城から出陣するのはちょっと大変そうである。しかしこの城は、例えば [続きを読む]
  • 安倍城 その2
  •  安倍城 その2 登山道略図。 道のりの半ばあたり、第三十三番石仏を過ぎて、さらに先へ。そろそろ、樹間から朝日が射し始める。 道は尾根道であるが、 かなりのアップダウン。そろそろ足腰に疲労が…… そして、二つ目の鉄塔。  その先に、この道標。増善寺というお寺から発している登山道との合流点である。「安倍城」へは、いくつかのルートがあるようである。 ここからが、なかなか厳しかった。  一気にくだる。も [続きを読む]
  • 安倍城 その1
  •  安倍城 その1 四月下旬。今回は、史跡めぐり、というよりは、ただのハイキングみたいなことになってしまいましたが、ま、気にせずいってみましょう(笑)。 国道1号線の、JR静岡駅のすぐ西にある「常盤町二丁目」交差点を起点とする、国道362号線は、かつての秋葉神社への巡礼の道である「秋葉街道」の内の一本の、後身というべき道である。この国道を、その交差点から車で二十分ほどの距離に、「洞慶院」というお寺がある。 [続きを読む]
  • 山中城、再訪 その3
  •  山中城、再訪 その3  「西の丸」から城の中枢部を目指すにあたり、東へ向けて谷間に降りていくと、 ため池の跡がある。発掘調査にあたり、4mも掘り下げたが、池の底に達することはなかったそうだ。前回にも書いたが、この辺りは決して雨の少ない場所とはいえないのだが、山の中腹という地理的条件である以上、溜めておく施設がなければ、豊富な水も全て流れ去ってしまう道理ではある。また、豊臣の大軍勢を迎え撃つべき、大 [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 60
  •  山中城、再訪 その2 武田の築城には顕著な特徴がみられる。例えば、「丸馬出し」と「三日月堀」の組み合わせである。それは一般に「武田流築城術」などと呼ばれる。諏訪原城などに、それは確認することが出来る。 これが、その諏訪原城の見取り図。半円形の馬出しと、それの前面に掘られた三日月形の堀がよくわかる。 これは田中城。これはもう、武田の築城以外には考えられないような形である。とにかく、武田の城は「丸い [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 59
  •  山中城、再訪 その1  四月中旬。久々の史跡めぐり、やってきたのはここ、山中城址である。 場所はここ。三島市から国道1号線を東へ、箱根峠を目指して登っていくワインディングロードの半ばあたりである。 山中城址には以前にも立ち寄ったことがある。旧東海道を辿りつつ箱根峠を目指した途上において、である。しかしこれは最近行った諏訪原城や蒲原城と同じく、当時はまだ街道にばかり気が向いていて、城跡にはあまり興味 [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 58
  •  旧瀬名村にみられる瀬名氏の足跡 その2 「瀬名館」跡から、西へ少し行くとすぐに梶原山という小さな山にぶつかる。その麓にあるのが、この「清涼山光鏡院」というお寺。 このお寺は瀬名氏の初代一秀が、長享二年(1488年)に建てたもの。文亀三年(1503年)に七十二歳で亡くなったという一秀自身も、ここに葬むられた。永禄十一年(1568年)の武田信玄の駿河侵攻の際、このお寺は焼かれてしまい、再建が成ったのは元和八年(1 [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 57
  •  旧瀬名村にみられる瀬名氏の足跡 その1 三月に入ってから、年度末の多忙に、なにやら軽微なれども長く続く体調不良も重なって、最近、更新が滞っておりました。よって、私の育った街、そして今現在私が生活している街、という、えらくローカルな話題が今回の記事の対象となりましたが、どうか、ご寛恕ください。 先日、静岡市の市街地を東西に走る、北街道、という中世の東海道の後身というべき街道をカブで走ったとき、瀬名 [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 56
  •  小島陣屋  前回の「横山城址」から、国道52号線を北上すること1km足らず。「小島南」の信号を左折すると、 「酒瓶神社」がある。その先に、 こんな小さな案内表示があるので、それに従って細い路地へ。 すると、この「小島陣屋跡」の「大手門跡」に辿り着く。早咲きの河津桜が美しい。地図で確認。 現地の解説文に、こうある。  駿河中東部唯一の大名として庵原・有度・安倍・三郡にわたる三十カ村を統治した小島藩壱万石 [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 55
  •  横山城 その2 この横山城址、先日紹介した『静岡県の歩ける城70選』によると、 城跡は農地としてよく保存されているが、現在は放置されて荒廃している。このため城山への登り口以外は見学が困難な状況にある。(85ページ) とのこと。その登り口からしてかなり急峻な坂道であり、不安を覚えつつも、まあ行けるところまでいってみよう、というつもりで城跡に踏み込む。 いきなり、こんな感じ。まるで、「トトロ」の一場面を [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 54
  •  横山城 その1 薩埵峠という、海岸線にまで迫った山塊がそのまま海にこぼれ落ちるような東海道の難所の、西側。古代の律令時代にはすでに駅が置かれ、徳川の五街道整備後には十七番目の宿場の置かれた興津は、この難所の存在ゆえに重要視された、ばかりではなかった。海に面した駿河と、山を越えた北方の内陸にある甲斐とをつなぐ「身延街道」が、この興津から発していたのである。 地図でみると、こんな感じ。地図の中央を南 [続きを読む]
  • 『静岡県の歩ける城70選』
  •  静岡新聞社 『静岡県の歩ける城70選』 加藤理文編著  ISBN978-4-7838-1984-4  過去の記事にも幾度か書いているが、私の最近の城跡への興味は、元々は古い街道と、その沿線の史跡への興味から発した、いわば副産物のごときものであった。 ようするにそれは、なりゆきでいつの間にやら始まってしまったもので、各城址の系統立った探訪どころか、ろくな下調べもせず、「堀切」の何たるかも現地の説明書を読んで初めて知るよ [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 53
  •  手越川原古戦場  前回行った「持舟城(用宗城)」は、JR東海道線の用宗駅のそばちかくにあった。その用宗駅から東にひと駅、安倍川駅の近所に、「みずほ公園」という公園がある。地図で確認すると、 これが、用宗駅と、持舟城址と、安倍川駅の位置関係。 そして、「みずほ公園」の位置。城跡のすぐ近所だね。余談だが、このあたり(みずほ、という街)に、私は独身時代、そして結婚後も子供が産まれるまでは暮らしていた。と [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 52
  •  持舟城(用宗城)  静岡市の海岸線を走る国道150号線。これを西、すなわち焼津市方面に向かうと、用宗(もちむね)という港町がある。そこにJR東海道線の、用宗駅があるのであるが、そのそば近くに、持舟城址はある。 地図で確認。 城跡のある小山の麓にある、「浅間神社」。この神社の脇が、登り口になる。 こんな感じの農道をのぼっていくこと150mぐらい、かな。 すると、こんな駐車場が用意されているので、車やバイクは [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 51
  •  朝日山城 その2 「想像図」。ご参考までに。  「遊歩道」の途中、最初に下から見上げた「竪堀」を、上から。こちらからも、やはり木の茂りのために全体像はつかみにくい。  遊歩道は尾根伝いに伸び、やがて開けた場所へ。「想像図」によれば、眼の前の高まりが、「南曲輪」があったとされる場所ということになるようだ。今は、ご覧の通りお茶畑である。 その辺りからの景色。向こうの山の麓にみえる町並みは、東海道の旧 [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 50
  •  朝日山城 その1 2月中旬。日の出時刻は6時40分頃、ということで、5時半起床、6時出発の今回の「早朝お散歩史跡めぐりツーリング」。しかし国道1号線の交通情報の電光掲示に、「東名高速、沼津ICから大井松田IC間、積雪のため通行止」の表示。 この区間が雪のために通行止めになる、ということは、静岡県内はもう、嫌になるほどに気温が下がっているということを意味する。そんな日の、明け方という、最も寒い時間帯にスーパー [続きを読む]
  • おひな様 2017
  •  去年は、実はいろいろと事情があって飾れなかったおひな様だが、今年はなんとか飾り付けできました。 こんな感じ。スペースの関係で、三人官女が飾れなかった。狭いアパート暮らしなので、毎年飾り付けの条件が変わり、苦慮している。正直なところ、私としてはその三人官女のほうが主役の二体よりも気に入っている、というかその内の一体が私の大のお気に入りなので、とても残念なのだが、来年こそは。にほんブログ村 [続きを読む]
  • 『駿河今川氏十代』 その3
  •  今川氏についての広報活動 Ⅲ 戦国大名今川氏の誕生 戎光祥社 中世武士選書25 『駿河今川氏十代』 小和田哲男著 ISBN978-4-86403-148-6 この著書のなかで小和田氏は、守護大名と戦国大名とはどう違うのか、という問いには、今川義忠(第六代)と氏親(第七代)との違いをみることによって、その解答が「最も端的な形で用意される」ということを書いている。 一般に、六代義忠までが守護大名、七代の氏親以降の四代が戦 [続きを読む]
  • 『駿河今川氏十代』 その2
  •  今川氏についての広報活動 Ⅱ マイナスイメージ払拭のために 戎光祥社 中世武士選書25 『駿河今川氏十代』 小和田哲男著 ISBN978-4-86403-148-6 この本で仕入れたばかりの知識によって、今川氏というものを皆さんにご紹介する、となると、なすべきはやはり、今川氏について一般に抱かれている(と思われる)なにやらおかしなイメージを払拭する、という作業になるのではなかろうか。だとするならば、まずはその「おかし [続きを読む]
  • 『駿河今川氏十代』 その1
  •  今川氏についての広報活動 Ⅰ その始まり 戎光祥社 中世武士選書25 『駿河今川氏十代』 小和田哲男著 ISBN978-4-86403-148-6 我が郷土静岡市で、地元ゆかりの戦国大名はというと、なぜか、徳川家康が挙げられることが多い。家康が幼少期を駿府で過ごしたことは確かであるし、その最晩年もまた駿府で過ごした上、駿府でその生涯を閉じ、日光の前にまず駿河の久能山に埋葬された、というのも確かである。が、家康はもとも [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 49
  •  北街道 その4  龍雲寺、寿桂尼の墓  巴川を渡った先、「沓谷5丁目」の交差点。北街道はそのまま西へ続くが、またしても寄り道のために、ここを左折する。  そしてひとつ目の信号を右に。この北街道バイパス、通称「新北街道」に入る。 そして1kmほど行ったところの、この点滅信号を左折して、左手にみえる小山の方へ入っていく。 突き当たりにあるのが、この「洞谷山龍雲寺」である。  お堂の裏に墓地があり、そのさ [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 48
  •  北街道  その3  旧瀬名川宿にみる東海道の歴史  「梶原堂」入り口からさらに西進、ショッピングセンターなどを過ぎた先で、道は再び国道一号バイパス(静清バイパス)をくぐる。 そして、この「瀬名川交差点」に出る。このあたりから、我が地元である瀬名川の街に入っていく。 地図で確認してみる。 黒い矢印が、今辿っている北街道、黒い丸が、今いる「瀬名川交差点」である。その先に青い矢印があるが、これは北街道 [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 47
  •  北街道  その2 光福寺、梶原堂 秋葉寺から西進。前方に見える東海道新幹線の高架をくぐり、さらに進む。 次に見えてくるのは、国道1号線バイパスの高架。ちょっと変則の交差点でややこしいが、これを斜めにくぐると、 その先は、この県道67号線が「北街道」となる。 「押切」の交差点。ここを右折して、また寄り道。 この「竜南街道」で山のほうへ。 やがて街道は、この交差点で途切れる。が、めげずにさらに直進、写真 [続きを読む]