静磨 さん プロフィール

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静磨さん: 乱読乱文多謝
ハンドル名静磨 さん
ブログタイトル乱読乱文多謝
ブログURLhttp://sizuma883.blog9.fc2.com/
サイト紹介文読書ブログ、でありながら、スーパーカブ110で近所をうろうろ、史跡めぐりなどをしています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供85回 / 365日(平均1.6回/週) - 参加 2015/09/12 20:34

静磨 さんのブログ記事

  • カブで史跡めぐり 56
  •  小島陣屋  前回の「横山城址」から、国道52号線を北上すること1km足らず。「小島南」の信号を左折すると、 「酒瓶神社」がある。その先に、 こんな小さな案内表示があるので、それに従って細い路地へ。 すると、この「小島陣屋跡」の「大手門跡」に辿り着く。早咲きの河津桜が美しい。地図で確認。 現地の解説文に、こうある。  駿河中東部唯一の大名として庵原・有度・安倍・三郡にわたる三十カ村を統治した小島藩壱万石 [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 55
  •  横山城 その2 この横山城址、先日紹介した『静岡県の歩ける城70選』によると、 城跡は農地としてよく保存されているが、現在は放置されて荒廃している。このため城山への登り口以外は見学が困難な状況にある。(85ページ) とのこと。その登り口からしてかなり急峻な坂道であり、不安を覚えつつも、まあ行けるところまでいってみよう、というつもりで城跡に踏み込む。 いきなり、こんな感じ。まるで、「トトロ」の一場面を [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 54
  •  横山城 その1 薩埵峠という、海岸線にまで迫った山塊がそのまま海にこぼれ落ちるような東海道の難所の、西側。古代の律令時代にはすでに駅が置かれ、徳川の五街道整備後には十七番目の宿場の置かれた興津は、この難所の存在ゆえに重要視された、ばかりではなかった。海に面した駿河と、山を越えた北方の内陸にある甲斐とをつなぐ「身延街道」が、この興津から発していたのである。 地図でみると、こんな感じ。地図の中央を南 [続きを読む]
  • 『静岡県の歩ける城70選』
  •  静岡新聞社 『静岡県の歩ける城70選』 加藤理文編著  ISBN978-4-7838-1984-4  過去の記事にも幾度か書いているが、私の最近の城跡への興味は、元々は古い街道と、その沿線の史跡への興味から発した、いわば副産物のごときものであった。 ようするにそれは、なりゆきでいつの間にやら始まってしまったもので、各城址の系統立った探訪どころか、ろくな下調べもせず、「堀切」の何たるかも現地の説明書を読んで初めて知るよ [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 53
  •  手越川原古戦場  前回行った「持舟城(用宗城)」は、JR東海道線の用宗駅のそばちかくにあった。その用宗駅から東にひと駅、安倍川駅の近所に、「みずほ公園」という公園がある。地図で確認すると、 これが、用宗駅と、持舟城址と、安倍川駅の位置関係。 そして、「みずほ公園」の位置。城跡のすぐ近所だね。余談だが、このあたり(みずほ、という街)に、私は独身時代、そして結婚後も子供が産まれるまでは暮らしていた。と [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 52
  •  持舟城(用宗城)  静岡市の海岸線を走る国道150号線。これを西、すなわち焼津市方面に向かうと、用宗(もちむね)という港町がある。そこにJR東海道線の、用宗駅があるのであるが、そのそば近くに、持舟城址はある。 地図で確認。 城跡のある小山の麓にある、「浅間神社」。この神社の脇が、登り口になる。 こんな感じの農道をのぼっていくこと150mぐらい、かな。 すると、こんな駐車場が用意されているので、車やバイクは [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 51
  •  朝日山城 その2 「想像図」。ご参考までに。  「遊歩道」の途中、最初に下から見上げた「竪堀」を、上から。こちらからも、やはり木の茂りのために全体像はつかみにくい。  遊歩道は尾根伝いに伸び、やがて開けた場所へ。「想像図」によれば、眼の前の高まりが、「南曲輪」があったとされる場所ということになるようだ。今は、ご覧の通りお茶畑である。 その辺りからの景色。向こうの山の麓にみえる町並みは、東海道の旧 [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 50
  •  朝日山城 その1 2月中旬。日の出時刻は6時40分頃、ということで、5時半起床、6時出発の今回の「早朝お散歩史跡めぐりツーリング」。しかし国道1号線の交通情報の電光掲示に、「東名高速、沼津ICから大井松田IC間、積雪のため通行止」の表示。 この区間が雪のために通行止めになる、ということは、静岡県内はもう、嫌になるほどに気温が下がっているということを意味する。そんな日の、明け方という、最も寒い時間帯にスーパー [続きを読む]
  • おひな様 2017
  •  去年は、実はいろいろと事情があって飾れなかったおひな様だが、今年はなんとか飾り付けできました。 こんな感じ。スペースの関係で、三人官女が飾れなかった。狭いアパート暮らしなので、毎年飾り付けの条件が変わり、苦慮している。正直なところ、私としてはその三人官女のほうが主役の二体よりも気に入っている、というかその内の一体が私の大のお気に入りなので、とても残念なのだが、来年こそは。にほんブログ村 [続きを読む]
  • 『駿河今川氏十代』 その3
  •  今川氏についての広報活動 Ⅲ 戦国大名今川氏の誕生 戎光祥社 中世武士選書25 『駿河今川氏十代』 小和田哲男著 ISBN978-4-86403-148-6 この著書のなかで小和田氏は、守護大名と戦国大名とはどう違うのか、という問いには、今川義忠(第六代)と氏親(第七代)との違いをみることによって、その解答が「最も端的な形で用意される」ということを書いている。 一般に、六代義忠までが守護大名、七代の氏親以降の四代が戦 [続きを読む]
  • 『駿河今川氏十代』 その2
  •  今川氏についての広報活動 Ⅱ マイナスイメージ払拭のために 戎光祥社 中世武士選書25 『駿河今川氏十代』 小和田哲男著 ISBN978-4-86403-148-6 この本で仕入れたばかりの知識によって、今川氏というものを皆さんにご紹介する、となると、なすべきはやはり、今川氏について一般に抱かれている(と思われる)なにやらおかしなイメージを払拭する、という作業になるのではなかろうか。だとするならば、まずはその「おかし [続きを読む]
  • 『駿河今川氏十代』 その1
  •  今川氏についての広報活動 Ⅰ その始まり 戎光祥社 中世武士選書25 『駿河今川氏十代』 小和田哲男著 ISBN978-4-86403-148-6 我が郷土静岡市で、地元ゆかりの戦国大名はというと、なぜか、徳川家康が挙げられることが多い。家康が幼少期を駿府で過ごしたことは確かであるし、その最晩年もまた駿府で過ごした上、駿府でその生涯を閉じ、日光の前にまず駿河の久能山に埋葬された、というのも確かである。が、家康はもとも [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 49
  •  北街道 その4  龍雲寺、寿桂尼の墓  巴川を渡った先、「沓谷5丁目」の交差点。北街道はそのまま西へ続くが、またしても寄り道のために、ここを左折する。  そしてひとつ目の信号を右に。この北街道バイパス、通称「新北街道」に入る。 そして1kmほど行ったところの、この点滅信号を左折して、左手にみえる小山の方へ入っていく。 突き当たりにあるのが、この「洞谷山龍雲寺」である。  お堂の裏に墓地があり、そのさ [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 48
  •  北街道  その3  旧瀬名川宿にみる東海道の歴史  「梶原堂」入り口からさらに西進、ショッピングセンターなどを過ぎた先で、道は再び国道一号バイパス(静清バイパス)をくぐる。 そして、この「瀬名川交差点」に出る。このあたりから、我が地元である瀬名川の街に入っていく。 地図で確認してみる。 黒い矢印が、今辿っている北街道、黒い丸が、今いる「瀬名川交差点」である。その先に青い矢印があるが、これは北街道 [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 47
  •  北街道  その2 光福寺、梶原堂 秋葉寺から西進。前方に見える東海道新幹線の高架をくぐり、さらに進む。 次に見えてくるのは、国道1号線バイパスの高架。ちょっと変則の交差点でややこしいが、これを斜めにくぐると、 その先は、この県道67号線が「北街道」となる。 「押切」の交差点。ここを右折して、また寄り道。 この「竜南街道」で山のほうへ。 やがて街道は、この交差点で途切れる。が、めげずにさらに直進、写真 [続きを読む]
  • 『人は成熟するにつれて若くなる』
  •  友の死人は成熟するにつれて若くなる(1995/04)ヘルマン ヘッセ商品詳細を見る このヘッセの詩文集については、以前にもこのブログで取り上げたことがあるけれども、再び、このなかのある一文について、書くことにする。書かなければならないような、出来事が起こってしまったからだ。 この本に収録されている、『秋の体験』という小品。これは、ヘッセが七十五歳のある秋の日に、古い友人を自宅に招いたときのことを書いたもの [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 46
  •  北街道  その1 駿州秋葉寺   正月三日。すなわち、前回蒲原城に行った翌日の、早朝、夜明け間近のJR清水駅前。今回は、だいたいこのJR清水駅とJR静岡駅とを結ぶように、静岡市街地を東西に走る北街道という道を、カブ110で走ってみることにした。 「史跡めぐり」なんて謳っておきながら、なにゆえこんなドマイナーなローカル街道を走るのか、というと、ちょっと説明が必要かもしれない。 A・興津宿  B・江尻宿  C・ [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 45
  •  蒲原城、再訪 その3 「善福寺曲輪」から、また来た道を戻り、「空堀」を横目にさらにまっすぐ進むと、 この丁字路に。ここを左に行けば、最初にあった十字路である。よって右に進む。  すると辿り着くのは「南曲輪」である。ここが、この城の一番高い場所になる。 神社がある。以前来たときよりも、「寂れている」感がなくなっているのは気のせいか。前回は夏で、草が繁茂していたせいだろうか。 南側を望む。ここからの眺 [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 44
  •  蒲原城、再訪 その2 駐車場からの道をしばらく進むと、 この十字路にぶつかる。まずは、ここを右へ。 このあたり、「腰曲輪」がいくつか連なっていた場所、ということになるが、 それらしき、人工的な地形。土塁のような盛り上がりに囲まれているが、近年に復元されたもののようにも見える。どうなんだろう。  そしてなんと、石垣まであった。これは新しいものにはみえない。戦国期の山城に石垣があった、となれば注目す [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 43
  •  蒲原城、再訪 その1 正月二日。新年早々妻が風邪をひいて寝込んでしまった。すると実家の母親が、「大変だろうから子供たちを預かるよ」といってくれた。おかげさまでうるさい子供らもいない、悠々自適で優雅なお正月となった薄情な夫は、家にいてもつまらないので、病気の妻をほったらかして、お散歩史跡めぐりツーリングに出かけてしまうことにした。 とはいえ、あんまり長い時間留守にしていたら、さすがにわが心優しく忍耐 [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 42
  •  丸子城 12月中旬。朝明るくなってから、ウチの子供らが起きて活動を始めるまでのわずかな時間を利用する我が「早朝お散歩ツーリング」においては、日の出が一年の内で最も遅いこの時期は、もう本当にごく近所に行けるだけの短い時間しかとれないので、実質シーズンオフ、という具合になってしまう。寒いしね。 しかし、年末の忙しい時期にせっかくもらえた土曜日の休日、これを利用しないのは実にもったいない、ということで、 [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 41
  •  諏訪原城址、再訪  その2  諏訪原城の中枢、「本曲輪」跡。 天正三年(1575年)五月、「長篠の戦い」に大敗した武田勝頼は、遠江の地においても防戦一方となる。諏訪原城を築城した馬場信房はこの「長篠の戦い」で討ち死にしているが、勝頼は他にも多くの重臣を失ない、それはこれ以降の遠江、駿河での勝頼の苦戦の一因となった。 一方、かつて一言坂から二俣城、そして三方原と、武田には苦渋辛酸大いになめさせられた徳川 [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 40
  •  諏訪原城址、再訪  その1 諏訪原城には、以前にも来たことがあった。しかしそのときはまだ旧東海道をカブで走ることに夢中であり、城への興味が私の中で大きくなる前のことだったせいか、本当に街道を走るついでにちょっと寄って、なんだかわからないままに城跡を一通り歩いて終わり、みたいな記事になっている。 だがその後、ほかの城跡をいくつか観て回る内、この諏訪原城の規模といい、その歴史的意義といい、なんだかあ [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 39
  • 塩の道 相良から掛川その4 陣場峠 県道386号線に出たり、裏道に入り込んだりを繰り返しながら、「塩の道」は北西方向に続いていく。「応声教院」。855年創建という。 観るべきはこの山門。解説文を要約すると、元々は、二代将軍徳川秀忠が生母追善供養のため寛永三年(1629年)に宝台院(静岡市)の大門として創建したものだが、大正七年にこちらに移築された、とのこと。国指定重要文化財、だが、だからといって「重要文化財 [続きを読む]
  • カブで史跡めぐり 38
  • 塩の道 相良から掛川その3 堤城址 「堤城址」の入り口はとてもわかりにくいところにあった。しかし、県道37号沿いの、橋のそばのバイク屋さんの裏手を目指して行けば大丈夫だと思います。 これが目印。ここを左に。 ここが「堤城址」の入り口になる。住所は、「菊川市下平川城山」になる。 堤城については、いまだ充分な発掘調査等もなされていないため、築城、廃城共にその年代は不明である由、現地の解説文に書かれてあっ [続きを読む]