須弥山 さん プロフィール

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須弥山さん: 永遠の指針
ハンドル名須弥山 さん
ブログタイトル永遠の指針
ブログURLhttp://ameblo.jp/eiennosisin/
サイト紹介文聖教新聞からの転載です
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供156回 / 365日(平均3.0回/週) - 参加 2015/09/13 20:57

須弥山 さんのブログ記事

  • 〈信仰体験 ブラボーわが人生〉第26回 心の長者は91歳
  • 「題目は打ち出の小づちじゃけえ」  【広島市安佐北区】 「痛いも、からいも、酸いも、引っ張り出そうかいね」。そう前置きして、新宅ミスヱさん(91)=白木支部、支部副婦人部長=は、歩みを話してくれた。 広島県の小さな島に19歳で嫁いだ。5人の子を産んだが、島の流儀になじめなかった。身内から「役に立たん」といびられ、泣いた。子どもを連れて帰郷しようと、港で船を待つ間、悩んだ。わが子が父親の愛情 [続きを読む]
  • 「教学部教授講座」のために
  • 社会の繁栄と平和を築く信仰人々の胸中に「人間主義の哲学」を共感と希望広げる対話を粘り強く 「立正安国論」について 「立正安国論」は、日蓮大聖人が文応元年(1260年)7月16日、鎌倉幕府の実質的な最高権力者、北条時頼に提出された国主諫暁の書です。 「立正安国」とは、「正を立て、国を安んず」と読みます。人々の心に正法を確立し(立正)、社会の繁栄と平和を築く(安国)との意味であり、客(北条時頼を [続きを読む]
  • 〈SGI会長と共に 新時代を創る ⑰〉
  • 今再び常勝の民衆城を 「婦人部の日」の10日、恩師記念会館を訪れた。 戸田先生のもとから出発して65周年。不滅の原点を偲び、尊き婦人部の皆様をはじめ、全同志のご健康とご長寿、ご多幸を祈って、妻と勤行・唱題した。 会館には、大阪の戦いの際、恩師の誕生日に交わした和歌が掲げられていた。 私が常勝の民衆城を築く決意を託して、戸田先生にお贈りした和歌は――   関西に  今築きゆく    錦州城  永遠に [続きを読む]
  • 小説「新・人間革命」
  • 力走 六十七 徳島県の幹部総会では、県の組織が一圏三地域本部としてスタートすることが発表されるなど、明「人材育成の年」への、晴れやかな助走の総会となった。 山本伸一は、あいさつのなかで、「其れに付いても法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く・一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可きなり」(御書一三五七ペー [続きを読む]
  • 小説「新・人間革命」
  • 力走 六十六 高知文化会館を発った山本伸一は、十一日の午後六時前、香川県・庵治町の四国研修道場に到着した。彼は、移動の疲れも全く感じさせず、元気に香川県の最高会議に臨んだ。この席で、香川県は二圏一地域本部の布陣で新出発することが決まった。 翌十二日午後は、徳島県から代表二千八百人が集い、第一回の県幹部総会が行われた。 伸一は、開会前、二十人ほどの青年たちと記念のカメラに納まった。一九六九年(昭和四 [続きを読む]
  • 小説「新・人間革命」
  • 力走 六十五 高知文化会館には、まだ、たくさんの人が詰めかけていた。山本伸一は、もう一回、勤行会を行った。ここでは、創価の同志の絆を強め、不退の信心を貫くよう、情熱を込めて呼びかけた。彼は、一人たりとも、一生成仏の軌道から外れてほしくはなかった。 帰り支度をして、会館の一階に下りた伸一は、運営に使われていた部屋に顔を出した。 彼の姿を見ると、合唱団のピアノ演奏を担当した女子部員が、伸一に報告した。 [続きを読む]
  • わが友に贈る
  •  「長の一念」が 組織の勢いを決める。 皆が心軽やかに 生き生きと進めるよう 名指揮を頼む! [続きを読む]
  • 御書と歩む――SGI会長が贈る指針 18
  • 妙法は絶対の幸福の軌道御 文法性の空に自在にとびゆく車をこそ・大白牛車とは申すなれ、我より後に来り給はん人人は此の車にめされて霊山へ御出で有るべく候、日蓮も同じ車に乗りて御迎いにまかり向ふべく候 (大白牛車御消息、1584ページ)通 解法性の空へ自在に飛びゆく車を大白牛車とはいうのである。私(日蓮)より後に来る人々は、この車に乗られて霊山へおいでになるがよい。その時、日蓮も同じ車に乗ってお迎えに向 [続きを読む]
  • 小説「新・人間革命」
  • 力走 六十四 高知の男子部に、山本伸一は訴えた。 「私たちは、青年部の時代、兄弟以上に同志の結合を固めながら、ありとあらゆる闘争をしてきました。皆、権力もない。財力もない。ただ学会精神一つで、今日の世界的な平和と文化の大推進団体を創り上げてきました。 今度は諸君が、それをすべて受け継ぎ、さらに発展させていく番です。自分の世代の広宣流布は、自分たちが開き築いていくんです。 長い広布旅の人生には、一家 [続きを読む]
  • 祈禱抄
  • 広布誓願の祈りは必ず成就強盛な信心と挑戦の行動こそ本抄について 本抄は、日蓮大聖人が文永9年(1272年)に佐渡で著され、最蓮房に与えられたとされてきましたが、詳細は定かではありません。 本抄の冒頭で大聖人は、当時の諸宗の祈りと法華経による祈りとを比較され、「但法華経をもっていのらむ祈は必ず祈となるべし」(御書1344ページ)と仰せになり、“法華経の祈りが真実の祈りとなる”と、まず結論を示されます [続きを読む]
  • 小説「新・人間革命」
  • 力走 六十三 任用試験の受験者を激励した山本伸一は、高知文化会館に戻ると、四国の大学会メンバーと記念撮影した。 午後四時からは、開館一周年記念のブロック長、ブロック担当員(後の白ゆり長)の勤行会に出席し、指導した。 彼は、最前線組織のリーダーと会えることが、何よりも嬉しかった。ブロック組織こそが、広宣流布の現場である。ここに創価学会の実像がある。わがブロックが学会なのだ。そこを離れて、どこかに特別 [続きを読む]
  • 小説「新・人間革命」
  • 力走 六十二 山本伸一は、任用試験の会場を提供してくれた、保育園の園長である高原嘉美の自宅も訪問した。試験会場を提供してもらったことに心から感謝を述べ、用意していた色紙に、「光福」などと揮毫して贈った。 高原は、自分の四十余年の人生を振り返りながら、その歩みを語っていった。 彼女は、結婚後、貧乏と家庭不和に悩みながら幼子を育て、半身不随の舅の面倒をみた。釣瓶で水を汲み、薪でご飯を炊き、家族の朝食の [続きを読む]
  • 〈SGI会長と共に 新時代を創る ⑯〉
  • 我らの対話は希望の拡大 6月は、我らの創立の父・牧口常三郎先生の生誕の月〈1871年6月6日〉。今年で145周年となる。 きょう4日は、世界の華陽姉妹の記念日である。創価女子会館もオープンして10年の節を刻む。 また7日は、高等部の結成記念日。1964年(昭和39年)、私が第3代会長として、いち早く結成した。 そして10日には、尊き「婦人部の日」を迎える。 福智光る創価の女性たちのスクラムを、正義 [続きを読む]
  • 小説「新・人間革命」
  • 力走 六十一 山本伸一たちが幡多会館に到着したのは、午後六時過ぎであり、辺りは、すっかり暗くなっていた。出迎えてくれた管理者をねぎらい、伸一の到着を待っていた幡多地域のメンバーと、時間の許す限り懇談した。時を最大に生かしてこそ、命は輝く。 彼は、四、五十分後には幡多会館を出発し、高知市へ戻るため、中村駅から列車に乗った。帰りの車中でも、途中から乗車してきた学会員の一家と語らいを続けた。高知文化会館 [続きを読む]
  • 小説「新・人間革命」
  • 力走 六十 島寺義憲が中浜万次郎像の顔を指さしながら、山本伸一に説明した。 「先生。この像は、ホイットフィールド船長が住んでいたアメリカのフェアヘイブンの方角を向いているということです」 伸一は、「そうか」と頷き、言葉をついだ。 「万次郎は、普仏戦争が起こると、視察団としてヨーロッパに派遣される。その途次、アメリカのフェアへイブンを二十年ぶりに訪れている。親代わりであり、師でもあったホイットフィー [続きを読む]
  • 小説「新・人間革命」
  • 力走 五十九  時代の激流は、万次郎を歴史の表舞台に押し上げていった。時代が彼の力を必要としていたのだ。 土佐で万次郎は士分を与えられ、藩校「教授館」で教えることになった。岩崎弥太郎や後藤象二郎も、彼に影響を受けている。さらに、江戸に呼ばれ、軍艦教授所の教授を務める一方、翻訳なども行っている。 だが、そんな万次郎に、嫉妬する者も後を絶たなかった。彼が、自分たちにはない優れた能力、技量をもっているこ [続きを読む]
  • 小説「新・人間革命」
  • 力走 五十八 万次郎は、皆から「ジョン・マン」と呼ばれた。それは、捕鯨船「ジョン・ハウランド号」の船名にちなんだ愛称であった。 彼はよく働き、捕鯨船の乗組員たちから愛されていた。なかでも、船長ホイットフィールドは、向学心旺盛で聡明な彼を、息子のようにいとおしく思い、アメリカで教育を受けさせたいと考える。 万次郎は、ホイットフィールド船長と共にアメリカ本土へ渡り、マサチューセッツ州のフェアヘイブンで [続きを読む]
  • 小説「新・人間革命」
  • 力走 五十七 レストランで同志を励ました山本伸一は、車で足摺岬灯台をめざした。 一キロほど走り、駐車場で車を降りると、灯台へ続く入り口広場に立つ、和服姿の銅像が見えた。台座を含め、像の高さは、六、七メートルであろうか。 島寺義憲が、すぐに説明を始めた。 「先生。あれは中浜万次郎、つまりジョン万次郎の銅像です」 一行は、万次郎像の前まで行き、像を見上げた。そして、語らいが始まった。 「ジョン万次郎」 [続きを読む]
  • 小説「新・人間革命」
  • 力走 五十六 山本伸一の激励は、高知研修道場を出発する間際まで続いた。ロビーでも、愛媛県の南予から来た婦人に声をかけ、南予訪問を約束し、悪僧の仕打ちに泣かされてきた同志へ、励ましの言葉を託した。 研修道場の玄関を出た伸一は、雄大な景色を生命に刻みつけるように、しばらく周囲をゆっくりと歩いた。見送る同志に、大きく手を振って、車上の人となった。 彼は、それから足摺岬へ向かった。そこでレストランや土産物 [続きを読む]
  • 小説「新・人間革命」
  • 力走 五十五 山本伸一は、高齢の芝山太三郎の手を、ぎゅっと握ったまま語っていった。 「お会いできてよかった。同志もいない山間の集落で、病弱な奥さんと共に、あなたは敢然と広宣流布に立ち上がった。苦労したでしょう。辛い思いもしたでしょう。何度も悔し涙を流したことでしょう。 でも、歯を食いしばり、御本尊を抱きかかえるようにして、日蓮大聖人の仏法の正義を叫び抜いてきた。まさに、地涌の菩薩の使命を果たしてこ [続きを読む]
  • 小説「新・人間革命」
  • 力走 五十四 十二月九日、山本伸一は、三泊四日にわたる高知研修道場での指導を終えて、高知市に戻ることになっていた。伸一は、正午過ぎから、研修道場に集って来た、四、五十人ほどの人たちと勤行して、出発することにした。 勤行が終わり、皆の方を向くと、「先生!」と声をかける人がいた。補聴器をつけた、高齢の男性であった。土佐清水市の中心部から二十数キロ離れた集落で、最初に入会した芝山太三郎である。その集落は [続きを読む]
  • 小説「新・人間革命」
  • 力走 五十三 山本伸一は、研修道場で役員のメンバーと入浴し、皆でロビーに出た。すると、人目を忍ぶようにして、帰途に就こうとしている若い女性の姿が見えた。 「あの方は?」 伸一は、県長の島寺義憲に尋ねた。 「地元の女子部の大ブロック長(後の地区リーダー)で金山智美さんといいます。研修道場の事務所を手伝ってくれております」 実は、彼女は膠原病を患い、薬の副作用による肌荒れや目の充血があった。そのなかで [続きを読む]
  • 小説「新・人間革命」
  • 力走 五十二 山本伸一は、愛媛県の南予から来たメンバーや、模擬店の役員とも記念撮影をした。 その後、地元メンバーの勧めで、近くにある足摺海底館などを訪れた。 夕刻、高知研修道場に戻った伸一は、地元の幡多地域本部の代表らと懇談した。 さらに、研修道場の大浴場で、役員の男子部員らと一緒に入浴し、懇談を続けた。湯につかりながら、皆の仕事のこと、家庭生活のこと、学会活動のことなどを尋ねた。 伸一は、幡多地 [続きを読む]
  • 小説「新・人間革命」
  • 力走 五十一 天宮四郎・繁美は、夫妻で地域広布の草創の歴史を拓き、さらに、広布第二章の今も、支部長・婦人部長として、地域のため、社会のために力走を続けていたのである。 天宮は、よく皆に、こう訴えてきた。 「心のなかに迷いがあったら、本気で信心に取り組むことはできんし、力を出すこともできん。日蓮大聖人も、『一人の心なれども二つの心あれば其の心たが(違)いて成ずる事なし』(御書一四六三ページ)と言われ [続きを読む]
  • 小説「新・人間革命」
  • 力走 四十九 高知研修道場の広場では、勤行会参加者のために、タコ焼きや豚汁などの模擬店が開かれていた。山本伸一は、そこにも足を運び、茅葺きの東屋で、皆の様子を見守りながら、高知の県幹部らと懇談した。 県長の島寺義憲が、研修道場の整備作業の中心となってきた壮年を紹介した。 「天宮四郎さんです」 伸一は、丁重にあいさつした。 「多大なご尽力をいただき、大変にありがとうございます。四郎さんとおっしゃるん [続きを読む]