welfair10 さん プロフィール

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welfair10さん: 僕の文学散歩
ハンドル名welfair10 さん
ブログタイトル僕の文学散歩
ブログURLhttp://bokuno1.sblo.jp/
サイト紹介文文学を通じて幸福を考えよう。
自由文文学を通じて真の幸福を考えてゆこう。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供58回 / 365日(平均1.1回/週) - 参加 2015/09/15 19:17

welfair10 さんのブログ記事

  • 三島由紀夫の「女神」について
  • 妻の依子が人からもらった香水をつけて夜会に行こうとすると、夫の周伍は怒って妻を浴室につれこみ手ずから石鹸で妻の全身を洗うのである。これは嫉妬ではなく、周伍の幻想が壊された怒りである。男の心情としては理解できるところである。夫婦とはこんなものであろう。デイヴァンに横たわった依子を見て、周伍は歓声を上げ、その自然のポーズを美しいと言って褒める。女としては迷惑な話ではあるが、男の気持ちの中には演出家の要 [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「女神」について
  • 食事の前に、食前酒を飲んだり、女の注文する酒は女の酒でなくてはならぬこと、その日着ている洋服の色に合った色でなくてはならぬことなど朝子は父親に教えられるわけだが、父親の気持ちとしてはよくわかるところである。そういう表情の陰に自分の別の感情を隠す娘の技術を父親は誇りに思うわけだがこの心理の動きはかなり深い。href="http://novel.blogmura.com/novel_literary/ranking.html" target="_blank">にほんブログ村.. [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「女神」について
  • 女神は三島由紀夫の作品の中では好きな作品の一つである。周伍の朝子に対する父親の気持もよくわかるし、婦人の依子の心理も理解できる。劇的な感じもあるし、何よりも構成力が素晴らしいと思う。この父親はとてつもなく親切であるし、とてつもなくエゴイストである。しかしながら男というものは一般的にそうしたものであるし、周伍だけが特別にエゴイストというわけではない。世の男性の多くは手前勝手なものである。href="http:/ [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • 玄関の扉が開いた。次いで客間のドアがおそろしい勢いで開け放たれた。その勢いにおぞろいて、思わず鏡子はドアのほうへ振り向いた。7匹のシエパァドとグレードデンがドアからいつせいに駆け込んできた。あたりは犬の咆哮にとどろき、広い客間はたちまち犬の匂いに充たされた。この物語のラスト・シーンなのだが、犬好きの亭主が帰ってくるのだが、非常に印象的である。犬の咆哮、犬の匂い、犬たちでにぎやかになった客間。犬たち [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • 神秘の魅力というものは本当に伝えにくい。その魅力の第一は、われわれに世界の縁のところにいるという感じを抱かせることだ。自分が人間の住む世界の外れの外れまで歩いてきて、身一つで直に他界に接しているという思いなのだ。自分の前には目のくらむような空虚が立っている。神秘家たちの最も重要な仕事は、この世とあの世の交信、実体と虚無との交信である。神秘家は、世界の解釈を放棄し、その言葉はすみずみまでおどろ謎に充 [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • 清一郎は間もなくキューバから来た混血の女と親しくなる。その肌は乾燥した沈んだ光沢を持っていて、熱帯の銘木のようである。光線が当たると、滑らかな肌の表が金粉を塗ったように照る.白人よりはるかに緻密な汚点も生毛もない肌には細い体躯であるのに、その底に太陽の弾力を秘めているよう感じがある。髪は漆黒で長く、スペイン風の顔立をしていて、影にいても目の白いところが時々つややかに光る。キューバからきた混血の女の [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • 僕はニューヨークには行ったことがないので、想像するしかないのだが、道を走る枯葉、身を切るような北風、水色の空、世界中で≪幸福≫という言葉に一等縁のない大都会と三島は書いている。孤独でない筈の藤子がこの大都会では孤独の種族なのである。みんな幸福につばを吐きかけるようなお面持をして急いでいた、その意味では,ニュ―ヨークこそ世界に稀な男性的都市であると三島は書いているが、そんなものであろうと思う。href="h [続きを読む]
  • 三島由紀<br />三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • 少女の年頃の黒人娼婦が、つと現れてウインクしたのを思い出した。この白昼の真っ黒な娼婦は、黒い服に赤い帽子を被り、赤い手提を下げ、けばけばしい金髪に染めた髪をして、色の濃い口紅の口元をゆがめながら、片手を赤茶けた紅葉の樹の幹に支えていた。アメリカの娼婦の描写だが、非常にうまいと思う。三島由紀夫の人物描写のうまさは、彼の文学才能の秀逸であり、画才もあったということだと思う。再々言うように画工の物を見つ [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • 清一郎と藤子のニューヨークの生活がよく描かれていると思う。6番街に出ると二人は腕を組む。日本では考えられない場面である。藤子は自然を愛するようになる。清一郎は妻の孤独の反映をそこに見た。セントラル.パークでのリスの描写が面白い。落花生を一杯買って二人はリスをおびき寄せる。あるリスは遠くから首をかしげてこちらを見る。あるリスは落花生をくわえて慌てて自分の領域に戻る。もっと大胆なリスは1メートルも離れて [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • 藤子の隣に老婆が座る。「コーヒーいただけないこと」とまるで乞食の口調である。給仕はにこりともしないで不愛想に注文を受ける。老婆は藤子に日本びいきで羅生門に感動したと話す。老婆は濃い口紅の唇をすぼめてオウムのように固い乾いた舌をのぞかせて一気に飲む。老婆は話相手が欲しくてたまらないわけだ。大都会の中での孤独な老婆の寂しさが痛く伝わってくる。孤独な老婆の様子が上手に描かれていると思う。小説の中の登場人 [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • 全日本のチャンピオンに俊吉はなるのだが、酒場でチンピラに喧嘩を売られる。酒場を出るとチンピラに襲われ右手を負傷する。右手は骨が粉砕され、再起不能になってしまう。ボクシングの夢が途絶えた俊吉は正木の紹介で右翼団体に入る。ここのところはもう少し詳しく書くべきだろう。死の思想がなぜ入ってきたのか、よく分からなかった。あまり物事を深く考えない俊吉がなぜ右翼団体に興味を示したのか?正木が右翼団体に導いてゆく [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • 鎮魂玉を何日も見続けるのだが、一向に効験がない。中橋氏に聞くと、節制と断食をすすめる。さっそくやってみるのだが、効験はない。夏雄はがっかりする。収の霊が出現しないかと思うのだが、収の霊は現れない。収の血に関する予言も中橋氏の霊能に属することで自分の霊的能力とは何の関係もないことを知って夏雄はがっかりする。何か急に人間世界の中心に行きたくなって有楽町の切符を買うのだが、間違って「霊界」と言いそうにな [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • 房江は夏雄に秘法を授けるのである。鎮魂玉を探すように言う。夏雄は多摩川で石を探す。見つかった石を清めるのである。鎮魂玉によって夏雄は優しさと寛大さを取り戻すのである。しかしそれは疎外の恐怖から解放されたわけではなく、持薬のような働きをするだけである。ここに夏雄の苦しみの深刻さを感じるのである。せっかく見つけた鎮魂玉も秘法も一時的な薬の役割に過ぎないのである。つまり本質的な心の解放にはなりえないわけ [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • 夏雄の不吉な予感としてこの予言は考えるべきだろう。ただ赤い濃密なシロツプが墨流しのように水に広がっていくのが血のもやが立つ様に感じられたというのは上手な表現で、この場での不気味な感じがよく出ていると思う。芸術における実在とは、実は表現の別の名ではないかと思われた。真の実在は神秘の中にしかないのではないかと夏雄は考えるのだが、これは夏雄の意識の深化である。もっとわかりやすく言うと、見えるものの中に実 [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • 中橋房江を女だと思って夏雄は尋ねるのだが、男だと分かって驚くのである。眼だけが別のところで別のものを映して冷然と澄んでいる。霊能者の特徴をあらわしているわけだが、大そう目尻の切れた仏像風の目という表現は霊能者のイメージがすぐ鮮明に浮かんでくるので上手な表現である。「あなたが見たのは、たぶん近いうちに流れるお友達の血だと思います」とこの霊能者は予言するのだが、これは夏雄の予感だと考えたらいいだろう。 [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • 夏雄の妙な不気味な生活が始まった時、彼の母親は、「今壁にぶっつかつている気持ちはわかりすぎるほどわかっているのよ。夏雄が自力でその壁を乗り超えられるように励ましてやるほかないわ」と言うのだが。夏雄は自分に神秘な超人的な能力の授かるのを待っていた。この辺は心境の変化なんだろう。僕は河口湖への旅に出るまで世界の無意味を少しも恐れなかった。しかし、それ以来、急にそれが恐ろしくなり僕の恐怖の根源になったの [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • ブルジョアは本当の苦悩は他人任せにしておきたく、自分たちがこんな不吉な物質の永大管理人ではありたくない。ブルジョアがこの苦悩と引き代わりに彼らに与える「天才」という称号は一搬的原理から人々の目をそらししばしの安息に身を横たえさせてくれる社会的功労賞のようなもので、こんな仕組みによって「芸術はしばしば心を慰める」ことができるのである。苦悩の総元締、聖者の代わりに芸術家が登場するかどうかはわからないが [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • 清一郎は収の死をこう分析する。あいつが最初から望んでいたことは死だった。後から僕たちにも分かるわけだ。死はいろんな仮面をかぶつてあいつの前に立ちふさがった。彼はひとつひとつその仮面を取って自分の顔に被った。あいつは仮面でだんだん自分を美しくしていった。美しい者になろうとする男の意志は、同じことをねがう女の意志と違って、必ず「死への意志」なのである。収の死の中に三島の美学というものが語られているわけ [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • 「僕の死は、こういうんだよ。僕がたとえば舞台の上で芝居をやっていて芝居と現実の境目がなくなって、芝居したまま、われしらず現実の死に飛び込んでしまう。その二つのものの裂け目がなくなつてしまう。芝居と現実の境目がなくなってしまう。芝居と現実と、生きていることと死んでいることと、僕にはもう大した違いとは思えないんだ」収のこの言葉は、三島の言葉でもあるわけだが、三島の滅びの美学の本質的部分が語られているよ [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • 最近、見っかつたテープの中で三島は私の小説の欠点は劇的すぎることと述べている。しかしそれは欠点であるだろうか。私は三島文学から劇的なものを除くなら面白くないと思う。三島文学の劇的さは小説の面白さであり、趣の少ない人生の凡というものを描くなら興味はなくなってしまう。劇的な文学というもの対しては僕は限りなく憧れをもっている。三島文学の構成力は三島の頭の良さをあらわしていて、物語の初めからクライマックス [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • 清美はカミソリで収の脇腹を切る。「なぜ斬ったんだ」「あんまり肌がきれいだから。じっと見ているうちに切りたくなったの」と清美は答える。突然、清美は収の胴体に斜めに抱きついて、小さな傷口の血を吸った。自分の脇腹に流れる血を見たときに、収はしっかりとわがものにしたことのなかった存在の確信に目覚めたのである。痛みと血が彼の存在を全的に保証し、彼の存在をめぐる完全な展望が開けたといえる。なまめかしい血の流出 [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • 樹々の木というよりは、濃密な緑の、不定形な毛羽立ちとその影の膨大な集積という風に見える。鮮やかな光沢を放つ緑もあれば、ひ弱な若い緑もある。しぶとい緑もあれば、せんさいな緑もある。樹海の描写は見事なものである。画家の視線で見た樹海である。ところが夏雄は樹海が化学薬品のあくどい緑いろの残滓が、蜜集してひしめいている沼のように見えてくるのである。永久の停滞。動きもせず流れもしない。その緑は現実が虚無に蝕 [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • 夏雄は富士山麓の樹海を描こうと思う。夏雄は水平的構成が好きである。なぜなら峰や尖塔の様な、意志の表象がないからである。天才とは美そのものの感受性をわがものにして、その類推から美を造形する人であると夏雄は考える。美にとっては、世界喪失は苦悩ではなくて生誕の賛歌のようなものなのだ。天才の感受性とは、人目にいかほど感じやすく見えようと、決して悲劇に到達しない特質なのである。分かったような分からないような [続きを読む]
  • 三島由紀夫の「鏡子の家」について
  • 収はひるまないで、黄色いポロシャツの腕を組んで壁にもたれた。壁にもたれたという表現は非常にうまい。知的な若者のとるポーズである。実在感がある。私はあなたを買おう思ってきたんだから、証文をお書きなさいと清美は収に言う。これには笑ってしまった。現実にはこんな話はないだろうが、文学にはこうした意表を突くような話があると、俄然面白くなる。現実にはありえない話だが、文学の中に大いに取り入れるべきだろう。物語 [続きを読む]