happygogo さん プロフィール

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happygogoさん: 青い風のような貴公子たち
ハンドル名happygogo さん
ブログタイトル青い風のような貴公子たち
ブログURLhttp://aoikaze.sblo.jp/
サイト紹介文青春文学です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供136回 / 365日(平均2.6回/週) - 参加 2015/09/15 21:22

happygogo さんのブログ記事

  • 横浜新港にて
  • 1970年6月4日パスポートやら種痘の接種など、渡航に必要な手続きを済ませて指定された時刻に横浜の新港の桟橋にタカシは向かった。船体は下がオレンジで船橋は白である。オレンジ色もはげた部分もあって古い貨物船である。これでボルネオまで行くのかと思うと多少タカシは不安になった。船名は和光丸、2千トンクラスの中型クラスの貨物船である。クレーンで次から次へと貨物が船倉に積み下ろされている。一等航海士にパスポートを [続きを読む]
  • 佳子への手紙その2
  • 佳子への手紙「日本脱出。この旅で新しい日本像を僕は掴むだろう。そこにすごい成長があると思う。青春の息吹を感じている。長い間、この時を待っていたように思う。冒険と華やかさ。これがなければ面白くない。砂をかむような味気ない生活から脱出。今は毎日が生き生きとしている。初めての海外旅行。横浜から船が出るとき心が躍る。まだ見ぬ東南アジアへ思いを馳せるとき心は高まる。君は海外旅行へは何度も行っているから感動と [続きを読む]
  • 佳子への手紙
  • 佳子への手紙「青春がやってきたという感じ。日本を脱出するのだと思うと心がわくわくしてくる。外から日本を眺めるのはとても大切な観点だと思う。外国から日本はどう見えるのか、これはとても興味ある観点だ。日本にいると日本のことはよくわからないが外国から日本を眺めると日本の問題点が鮮明な形で浮かび上がってくる。これは以前から知りたいと思っていた。日本とは一体なんであるか。今度の旅な中でしっかりそのことを考え [続きを読む]
  • 佳子への手紙
  • 佳子に報告しょうと思うけど、佳子は電話に出ない。外出中と佳子の母親は言う。変だなと思う。そこで佳子に手紙を書く。「6月にボルネオに行くことになった。飛行機ではなく貨物船に乗って。ラワン材の集荷を取材する。ひと月以上。新聞記者の漫遊記のようなものを書けと会社の専務は言う。漫遊記ならさほどむずかしくはない。自分でもできると専務に言ったけれど、本当は自信がない。香港、台湾、フィリピンから記事は送る。海外 [続きを読む]
  • ボルネオ行き
  • 佳子から返事がこなかったのでタカシはがっかりした。仕事は忙しかった。毎朝7時に出て帰宅は午後10時であった。こんな生活が嫌になった。タカシは次第に自分が嫌になっていた。ストレスが溜まっていった。悩んでいるとき専務からラワン材の取材でボルネオに行ってくれないかと相談があった。貨物船に乗って香港、台湾、フィリッピンをひと月かけて周るのである。日本脱出、これは愉快だとタカシは思った。今までの鬱憤を晴らす [続きを読む]
  • 佳子への手紙
  • 佳子のへの手紙人との対面の中で自分の自信のなさが出ていやな気がします。もっと自分に自信が持てる人間になりたいのです。青春には大きな夢があるはずですが、今の僕のそれは猥雑で縮小された目標しかないのです。それはあまりにも利己的な夢。これが夢と呼べるだろうか。現実の生活の厳しさに負けて希望を失っているそんな自分がとても嫌なのです。あなたの愛で僕の傷ついた心を慰めてください。あなたの優しい言葉が傷ついた僕 [続きを読む]
  • 佳子への手紙
  • 新聞記者になってからいつも佳子のことを思っていた。時々電話をするのだが、いつもが外出中である。佳子に手紙を書く。「栂野佳子様今は新聞記者をやっています。新聞社といっても業界紙で、林材関係の、住宅グラフという雑誌の編集記者です。農林省や建設省の取材に行かねばならず、結構大変です。嘘はかけないし真実を書かねばなりませんから。朝6時に起床、夜は午後23時帰宅、床に就くのは午前1時です。忙しいばかりでこれでい [続きを読む]
  • 記者の世界
  • 必死の思いで担当者に会って記事を書いても編集長が書き換えててしまうので、自分の記事は原形をとどめていない。編集長の記事に化けている。これにはタカシもがっかりした。どちらかと言うと人とあまり会うのが好きではないタカシにとって取材は得意ではなかった。経験が浅かったので相手と名刺を交換するときに手が震えて困ってしまう。病的だと相手は変に思うし、それでは取材はうまくいかない。相手に自分の心の中が読み取られ [続きを読む]
  • 記者の一日
  • 就職先が決まったので大学に休学届を出して、5月からタカシは木場の業界紙の記者になった。朝、8時出勤なので朝寝坊などしていられない。8時半には編集長と打ち合わせをして、カメラマンとともに9時には現場に向かう。住宅に関する雑誌を出していたので、農林省や建設省に取材に行く。農林省は現在農林水産省に改称されている。建設省は現在は国土交通省に再編された。局長などの大物は会ってくれず、取材の難しさを痛く感じる。下 [続きを読む]
  • 面接
  • 硝子のドアを開けると受付嬢が出てきた、受付嬢といっても50歳くらいのおばさんである。面接にきましたとタカシがいうと、応接室に案内した。しばらくすると,紺色のスーツを着た若い男が出てきた。この会社の専務である。社長の息子である。全般的に丸い感じで、けれど眼だけは眼光炯々としていた。履歴書は持っていかなかったので、代わりに学生証を見せていろいろ話をすると、専務はにっこりして採用ということになった。東京 [続きを読む]
  • 木場にて
  • 新聞記者をやりたいとタカシは思っていた。将来、小説家になろうと思っていたので。作家になるには、新聞記者が最短距離にあると思っていた。けれど、広い東京とはいえ、記者の仕事はなかなかなかった。ある日、突然、新聞で編集記者募集の文字が飛び込んでいた。これは奇跡に近かった。日ごろから探し、強い思いだったので、実現したのだろう。タカシは飛び上がって喜んだ。業界紙の記者であったが、そんなことはどうでもよかった [続きを読む]
  • 学生食堂にて
  • 「大学をやめようかどうしょうか迷っている」とタカシが言うと、裕美は反対する。「大学出という肩書は絶対に必要だ」と言う。佳子や中山と同じことを言うのでタカシはがっかりした。佳子や中山と違った言葉を期待したのだが。本当に実力のある者は肩書など必要としない。社会は実力のある者を求めるのであって肩書にしがみついている者など優遇はしない。そんな意味で社会は公平だ。本当に実力をつけたいとタカシは思った。今の自 [続きを読む]
  • 学生食堂にて
  • 経済学の講義が終わって教室をタカシが出ようとすると、誰かが後ろから声を掛けた。振り向くと青木裕美だった。その出立ちは、頭に毛糸の帽子をかぶり、シャツの上にグリーンのプールオーバ、同色のベスト、ジーンズのミニスカート、靴は黄色のパンプスである。どこにでもいる女学生の姿である。学生食堂に行こうと裕美が提案したので、並木通りを経て食堂へ。裕美はBランチ、タカシは貧しい学生が食べるAランチ。Aランチはコロッ [続きを読む]
  • 文芸部にて
  • 「一年、休学して働いてみるのもいいかもしれないね。働いているうちに気がかわるかもしれないよ。勉強したくなるかもしれないよ」と中山。「人が決めるものじゃない。君の将来は君が決めるものさ。君が辞めたいと思うなら辞めたらいいさ。その代わり後悔はダメだぜ」と坂本。自分の将来は自分が決めなければならないが、他人の意見も参考になるので、聞いて損はないとタカシは思う。いやいや、すでにもう腹の中では休学することを [続きを読む]
  • 文芸部にて
  • 「もともと経済が好きではないので」とタカシ。「俺だって経営は好きではないよ。社会に出れば必要な学問だと思うから我慢している。面白くはないが頑張るのさ」と坂本。「やめれば今まで大学に貢いだお金がもったいないからさ。大学卒という肩書は必要だと思うよ。大学中退と卒業ではえらい違いだからね」と中山。「かなり悩んでいるのです」「まぁ、それは君が決めることだから。他人がとやかく言うべきではない。やめたいと思う [続きを読む]
  • 文芸部にて
  • 4月になってから、つまり3年に進級してから、久しぶりにタカシは文芸部を訪ねた。佳子はいなかった。中山と坂本が雑談していた。中山は長袖の紺色のプリントシャツの上にデニムのジャケツトを羽織っていた。坂本はグレーのプルオーバーパーカを着ている。「おう、久しぶりだね」と中山。「顔色悪いな、痩せたじゃないか」と坂本。「ええ」と返事はしたものの、タカシは元気がない。「何か悩みでもあるのかい」と中山。「ええ、大 [続きを読む]
  • 佳子から電話
  • 2,3日してから佳子から電話があった。「大学はやめたら駄目よ」と佳子は言う。休学するのは構わないが、やめたら損だと言う。東京では大学卒という肩書は非常に有利だから絶対に出るべきだと言う。この厳しい現実を貴族主義を持って貴公子として生きていくためには、大学卒は必要条件だと言う。貴公子として生きていこうとは思わなかったが、大学卒という肩書がこの社会において優待券のような働きをすることをタカシは認める。東 [続きを読む]
  • 佳子への手紙
  • 佳子なら自分の苦しい気持ちが分かってくれるかもしれないと思って、手紙を書く。「栂野佳子様しばしご無沙汰しています。大学を今、やめようかどうしょうかと迷っている。もともと経済が好きではなく、興味もないし、バイトばかりやっていたので、講義についていけなくなった。ミクロ経済がどうのマクロ経済がどうのといわれてもさっぱりわからない。うろたえるばかり。4月にはデミをとらなければならないし、続けていく自信がな [続きを読む]
  • 佳子への手紙
  • 佳子ならこの気持ち分かってくれるかもしれないと思ってタカシは手紙を書く。書くことがタカシには慰めだった。「栂尾佳子様大学をやめようかと思って今、悩んでいます。もともと経済が好きではなく、興味もなく4月にはゼミも取らなければいけないし、続けていく自信がない。みんなと比べてもかなり遅れてしまったし、バイトばかりやっているので。講義についていけなくなった。マクロやミクロ経済がなんだかんだと友達は言うけれ [続きを読む]
  • 迷い
  • 4月になればゼミを取らねばならぬ。経済学が好きで専攻しておれば、悩みなどないのだが、興味もない学科を選んだので、講義にタカシはついていけなくなった。大学を辞めて就職しょうかと思ったが、大学中退では肩書にもならない。何のために大学に入ったのかわからない。思い切って一年間、休学しょうかと思った。働いているうちに考えが変わって勉強しょうかという気持ちにかわるかもしれない。このままではどうしょうもないとタ [続きを読む]
  • 迷妄
  • 大学をやめようと思ったが、大学出という肩書も必要だと思ったりした。自分のような弱い者には大学出という言葉は武器になると思った。何だか卑怯な話だが学士様という言葉に執着した。三年に進級すればデミもとらなければならないし、経済が嫌いなので続けられるか心配だった。このまま大学を続けても意味がないように思えた。だからといってやめる勇気もなかった。気持ちは暗かった。どうしていいのか分からなかった。休学する手 [続きを読む]
  • 1970nenn<br />1970nenn<br />1970<br />
  • 1970年は悪い時代ではなかった。東大宇宙研究所が国産衛星≪おおすみ≫を打ち上げ、植村直己がエベレスト登頂に成功し、東京都内で初めて歩行者天国が実施され、三菱自動車が「ギャランGTO]を発売とか時代としては活力があったと思う。ただ3月31日によど号ハイジャック事件が発生したりして、これは暗いニュースであった。アメリカの旅行から帰ってきて2か月ほどはタカシは図書館に通ったりしてのんびり過ごした。専門の経済の [続きを読む]
  • 1970年
  • 三島の割腹事件がなければ1970年は良い年だったのである。街には黒ネコのタンゴという歌が流れ、藤佳子の圭子の夢は夜ひらく、渚ゆう子の京都の恋、菅原洋一の「今日でお別れ」などの歌がテレビやラジオで聞かれた。 藤圭子の夢は夜ひらくはデカダンスを感じるが、独特の歌いかたが庶民の共感を呼んだ。髪型はロングヘア、お嬢様カット。お嬢様カットというのはカットした短い髪を頬のあたりに作るのである。70年代中ごろか [続きを読む]
  • 1970年という時代
  • 1970年。もっとも驚いたのが三島由紀夫の割腹事件である。当時、新聞社の編集のアルバイトをやっていて、農林省に原稿を取りに行き、その帰りに農林省のロビのテレビで三島の割腹自殺をタカシは知った。11月の終わりに近い日の寒い夕方であッた。デパートの電光掲示板が三島の自決を伝えていた。ショックで目の前が暗くなった。潮騒、金閣寺、仮面の告白、美徳のよろめき、どれもタカシのお気に入りの小説である。格調高い文 [続きを読む]
  • 帰国へ
  • 帰りの飛行機は佳子は前の席に、中山と江口は後部の席に、タカシは真ん中の席である。スチュワーデスに毛布を頼む。毛布を腰に巻いてタカシは眠る。行きは佳子が隣にいたから心強かったが、今は一人なので寂しかった。いろいろ将来のことを考えて不安になった。憧れのアメリカの旅も終わったし、東京でアルバイトの生活に戻ろうか、それとも大学をやめて就職しょうか、いろいろ考えると頭が冴えて眠れなかった。羽田空港に飛行機は [続きを読む]