Mr.TA さん プロフィール

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Mr.TAさん: My Real Life Story
ハンドル名Mr.TA さん
ブログタイトルMy Real Life Story
ブログURLhttp://mrta.jugem.jp/
サイト紹介文a long journey
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供9回 / 365日(平均0.2回/週) - 参加 2015/09/21 03:51

Mr.TA さんのブログ記事

  • 「母物語」3.そして父
  • 父はある部分において非常に問題があるが、一見するだけでは全く分かるわけもなく温厚で物静かそうにしか見えない。おおよそ問題があるといえば家族を借金地獄に突き落とすとか暴力を振るうとか相場は決まっている。だが父は決してそのようなことは無い。父を一言で表せば、無感情、無関心、お金への異常な執着心、幼児レベルの精神年齢などと言えるのではないだろうか。50年以上にわたって母を悩まし、重荷となってきた。そして最 [続きを読む]
  • 「母物語」2.始まり
  • 母は苦労が続く中、結婚することになる。気がついた時には親がすでに籍を入れていた。今の感覚からすると信じ難いことであるが、戦後間もない日本の片田舎ではそんなにめずらしいことでもなかったに違いない。父との出会いである。私はこの事実をどう受け止めれば良いのだろうか。私は母を心底すばらしい人間であると思い母の子であることを心から感謝している。母はまともな教育は受けておらず学歴もない、だがその頭脳の明晰さは [続きを読む]
  • 「母物語」1.原点
  • 私の両親は戦中の生まれである。母は7人兄弟の長女だった。「おしん」という日本中が涙したNHKの連続ドラマのように、母は弟をおぶって小学校に通ったりした。そんな母は言った、「おしんなんて自分の苦労に比べれば大したことない。」母は勉強がとても好きだったが、家の手伝いを優先させられて学校に行かせてもらえないことも多かった。たとえ学校に行っても非難訓練ばかりで防空壕に隠れる練習をやったりと勉強はほとんどできな [続きを読む]
  • 「母物語」0.呪縛
  • 「母物語」は、私の人生における大きな障壁、矛盾、無力感、呪縛となっている事柄についてのストーリー。私の呪縛とは私の両親のことであり、その間に存在する私自身のことである。私の両親は関係が非常に悪く、そもそも関係が良かったことなどはじめからない。私はもの心がつくかつかないかの頃より母の姿を見て育った。私の中には父の存在は微塵もない、微塵でも存在するなどと考えたくもない。だがDNAを受け継いでいるかと思う [続きを読む]
  • そして今、私は生きている
  • 随分長い時間が過ぎた。あまりにも多くのことがあり、多くの医療を拒否した。自分が選択した結果今がある。私が心臓疾患などの困った病気に気がつく遥か前に「母物語」という実話を、母をそして自分自身を癒すために書いた。この物語を再掲するとともに途切れた後のストーリーをただ書きたいと思った。 にほんブログ村 [続きを読む]
  • Unwelcome letter
  • 自宅で静養して日々目に見えて回復していた。普通に歩けるようにもなってきたし、傷口の痛みも少しずつであるが緩和していた。そんなある日、執刀医からレターが届いた。そのレターは執刀医から先天性や特殊な心臓疾患を専門に扱っているドクターへのレターだった。そのレターには「手術の時、実際に見てみると大動脈の大きさに驚いた、中膜への浸透もかなり進んでいると思われる。組織検査の結果、高安病であることを確認した。こ [続きを読む]
  • 味覚が変わった
  • 手術後しばらくして食べ物の好みが変化していることに気が付いた。以前は比較的甘いものが好きだったのに手術後は好んで食べたいとは思わなくなった。パンもかなり好きだったのにとにかくご飯が食べたくなった。食後はチョコレートやお菓子などを良く食べていたのだがそういうものも食べたくなくなり、お菓子の味やにおいがとても化学的なものに感じられようになった。あとやたらとキムチが食べたくなった。そんなに好んで食べたい [続きを読む]
  • 退院、そして家
  • ついに退院の日が来た。まだ普通に歩くにはほど遠いレベルだが随分回復した。手術後8日での退院となった。その日から病院で行っていた投薬を自宅で行い静養することになった。まだ抜糸をした後の傷があるのでシャワーを浴びれるのは次の日からだった。家の階段の上り下りが大変だった、少し動くとすぐに息が上がってしまった。それでも手術前の体調よりは良いと思った。食欲が以前よりあるし、何より体温が上がったことが嬉しかっ [続きを読む]
  • 抜糸の日
  • その後順調に回復し退院日が決まり抜糸をすることになった。開胸した傷は首の下あたりから縦に20cmくらいだった。看護師がガチガチに張ってあったガムテープのようなものを剥がし、太い釣り糸のようなステッチをパチン、パチンと切る音をたてながら少しずつ取っていった。ときどき深い切り傷のような痛みがした。ステッチを外し終わると、次は心臓のペースメーカーのために埋め込まれた針金のようなワイヤーを外す。私は針金のよう [続きを読む]
  • あたりまえだったことがあたりまえではなくなった
  • 病気になる前は当たり前だったことがすごいことだと分かった。点滴針があるので腕を自由に曲げられない。寝返りが打てない。トイレに行くことすることがものすごく大変。シャワーを浴びれない。自分で服を着ることができない。体重が激減した。病気になる前と比べると、もう出血する可能性のあるスポーツはできない。納豆を食べることができない、緑黄色野菜の中でたくさん食べることができないものがたくさんある、クランベリージ [続きを読む]
  • Warfarinに敏感な体
  • 病室に移って4日目くらいから食欲が出てきた。夜中におなかがすいて朝食が待ち遠しかった。しかし、朝食が運ばれる直前くらいから急に冷や汗が出してきて頭がくらくらしてきた。気分が悪くすぐにベルを押した。看護師はすぐに鼻に酸素のチューブを付けて血圧をはかった。すぐにドクターに診てもらったが、特に異常はなく水分を取り続けるように言われた。2日前から血液をサラサラにする薬(Warfarin)の服用を開始していた。私の体 [続きを読む]
  • 食べ物だけはどうにもならない
  • その後、「タカヤス」という言葉について触れられることはなかった。私も全く忘れて日々病室で回復につとめていた。病室に移って2日たつが食欲は全くなかった。食べれなくても毎回食事は運ばれてきた。もちろんおかゆなど無いし、消化に良さそうな和食などあるわけがなかった。大きなお皿に大量のスクランブルエッグがのせられていたり、大味のスープやパンである。大変申し訳ないのだが、見ただけで「ウッ」となりそうなものばか [続きを読む]
  • タ・カ・ヤ・ス... イシュ−?
  • 次の日の夕方に執刀医が病室にきた。一通りの診察を終えて話をした。手術は実に上手くいった、本当によかった、と言われた。私は大動脈について質問をした。執刀医は、その後、詳しく調べてた結果 "タカ・ヤス イシュー " だ、と言った。日本人に多く見られる病気で日本人医師によって発見されたためこのような名前が付いている、と説明した。私は何のことなのか全く分からなかった。初めて聞く言葉だったが、とにかく置換する必要 [続きを読む]
  • rare case... what..?
  • 病室に移った日の夜10時を過ぎたころ、1人のドクターが診察に来た。君の病状は非常にレアなケースなのだが、予想外に回復が早くて驚いている、と最初に説明を受けた。これを聞いたときは「?」だった。何がレアなのか分からなかったが、心臓弁や大動脈を同時に手術することは稀なのだろうと勝手に理解した。回復が早くて驚いていると言われて嬉しくないはずはない。私は手術の内容を確認した。私「心臓弁は1つ置換し、もう一つも置 [続きを読む]
  • ICUのスタッフ
  • ICUのスタッフの人たちには本当に感謝している。もちろんその人たちだけではなく医療に携わっているすべての人を尊敬している。国も違い近親者でもない私を自分の家族のようにケアしてくれた。いくら仕事とはいえ誰にでもできることではないと思った。そこで働いている人たちは基本的にみな愛情が深い人たちなのだと思う。体を拭いてくれたり、リフレッシュしようと言って歯磨きをしてくれたりもした。夜通し付きっ切りでモニター [続きを読む]
  • ICU day 3
  • 朝なのか夜なのか何時なのか全く分からなかった。その日はベッドから起こされイスに座らされた。コンソメスープのようなものが出された。ティースプーン1杯ほどのスープものどを通らなかった。手術の時に心臓を停止させ人工心臓によって生命を維持した。そのときに同時に胃腸なのどの機能も停止するため、手術後2日経ったくらいでは食欲などあるわけが無かった。水を取り続けるように言われ、嫌だったが少しずつ無理やり飲んだ。と [続きを読む]
  • Terminology ; 用語
  • 病名Takayasu disease ; 高安病、高安大動脈炎、大動脈炎大動脈が炎症を起こし様々な合併症を引き起こす。原因はよくわかっていないが免疫システムの異常が影響しているといわれている。私の場合、合併症は重度心臓弁膜症としてあらわれた。自分の中では、潰瘍性大腸炎や咽頭炎なども大動脈炎が原因と考えるとつじつまが合い、過去の「点」としての出来事が「線」として繋がる。医師からは、断定は不可能だが先天性の可能性が高い [続きを読む]
  • ICU day 2
  • 苦痛が果てしなく続くと感じられた。麻酔が残った状態で気分が悪い。床ずれ防止のためか眠らせないためなのか、自動的にベッドのマット部分が様々な動きを繰り返した。完全に眠りに落ちそうになると、看護師から完全に寝てはだめだ、呼吸が弱くなり心拍が落ちてしまうのでしっかり呼吸を続けて、と言われた。頭では心臓弁を直したのだから回復すれば良くなることは分かっていても、目の前の苦痛が辛くて二度と起き上がれなくても良 [続きを読む]
  • ICU day 1
  • 一瞬とても眩しかった。その一瞬の間に頭の中で様々ことが高速で巡った。自分は生きて戻ってこれたのか、ここは天国なのか、でもこんなことを考える自分がいるということは生きて戻ってきたということなのか。そしてまた記憶は途切れた。あとで家族に聞いたが、それは手術後ICUに移され6-7時間経過したあとに一瞬目が開いた瞬間だった。家族は、看護師からできるだけ起きた方がよいので声をかけてくれ、と言われていた。私は一瞬目 [続きを読む]
  • ついに当日
  • 手術の日がきた。5時半の起床の予定だったが5時過ぎには目が覚めた。昨晩はシャワーを浴びたあと殺菌のためのウェットタオルで全身を拭いたが、当日の起床後も全く同じことを繰り返した。その後、手術用の衣類に着替えベッドに横になった。夜明け前の空がうっすらと白みがかっているなか、なんとも言えない緊張感が部屋全体に漂っていた。ベッドに横になっていると、看護師からリラックスのためだといい2錠ほどの薬を手渡され、そ [続きを読む]
  • そして入院
  • ついに入院する日がきた。手術の前日に病院に入ることになっていた。病院に入りadmission手続きを終え病室に案内された。ベッドで横になってると執刀医が入って来た。手術前の最後の説明と質問への回答、そしてconsent formへの私のサインを受け取るためだった。手術の概要の説明をもう一度受けたあと、大動脈弁と僧帽弁が悪くなったことによって左心房が肥大したのか、それとも大動脈の肥大により心房が肥大したのか、前回の面談 [続きを読む]