悠村隆道 さん プロフィール

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悠村隆道さん: 中論を勉強してます
ハンドル名悠村隆道 さん
ブログタイトル中論を勉強してます
ブログURLhttp://sekisinhenpen.blog.fc2.com/
サイト紹介文西嶋和夫先生がサンスクリット語から直訳された中論を勉強しています
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供53回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2015/10/14 16:44

悠村隆道 さんのブログ記事

  • 中論・8−3頌 抽象的な世界と行為や行為をする人
  • 第三頌 抽象的な世界と行為や行為をする人西嶋先生の訳抽象的な世界が機能している場合には、行為や行為の実行も抽象的なものを作り出している。行為は理論的にはっきりしないものとして存在する可能性があり、行為をする人も理論的にはっきりしないものとして存在する可能性がある。中論を勉強しています頭だけで考える世界においては、行為や行為の実行も現実のものではなく頭の中で考えている世界を作り出している。行為は理屈 [続きを読む]
  • 中論・8−2頌 現実の行いと行為および行為をする人
  • 第二頌 現実の行いと行為および行為をする人西嶋先生の訳現実の世界における実行が実際にない限り、行為という抽象概念は、恐らく現実の行いをしていることとは何の関係もないであろう。現実の世界における実行が実際にない限り、行為をする人も恐らく行為をすることと無関係になってしまっているであろう。中論を勉強しています現実の世界において行いが実際になされないならば、抽象的概念である行為という言葉は、恐らく現実の [続きを読む]
  • 中論・8−1頌 行為と動作と現実
  • 第一頌 行為と動作と現実西嶋先生の訳現実に在るものが動作であり行為であって、現実に在るものがこの世の中を作り出す訳ではない。動作は抽象的なものでは絶対にあり得ないし、行為という抽象概念はあくまでも抽象的な世界を追い求めるように宿命付けられている。中論を勉強しています現実に存在するものは行いの外見である動作であり行いの抽象的概念である行為である。今現実に存在する動作と行為が改めて新しくこの世の中を作 [続きを読む]
  • 中論・第八章 行為と動作との融合に関する検証
  • 第八章 行為と動作との融合に関する検証に入る前に西嶋先生の解説です。この第八章から第二十一章までの十四章が、仏教哲学の中心である行為の哲学に関する解説に使われている。一般的に云って仏教哲学の中心は、現実の世界における行為にあると考えることができる。欧米文化の世界においては、人間がものを考える能力を基礎として、この世の中を専ら精神的な世界と考える観念論と、人間がさまざまの外界の世界からの刺激を感受す [続きを読む]
  • 中論・7−34頌 現実の世界と言葉に依る説明
  • 第三十四頌 現実の世界と言葉に依る説明西嶋先生の訳たとえば幻想であるとか、夢であるとか、ガンダルヴァと呼ばれる架空の都市とかは、生起であるとか継続であるとか消滅であるとかと同じように、単に言葉による説明に過ぎない。中論を勉強しています幻想とか夢とかガンダルヴァと呼ばれる架空の都市とかは、抽象的なものであり言葉による説明に過ぎず実在しない。現在の瞬間の出来事は現在の瞬間の事実なのに、例えば生起である [続きを読む]
  • 中論・7−33頌 綜合的な客観世界と現実の世界
  • 第三十三頌 綜合的な客観世界と現実の世界 西嶋先生の訳綜合的な客観世界は、生起、継続、消滅(という時間的な推移)の中には実在し得ないし、現実的でないものの中にも実在し得ない。綜合的な客観世界がまだ充分に現実的なものになっていない場合には、綜合的な客観世界でない世界が実現するということも、将来といえども決してあり得ない。中論を勉強しています生起、継続、消滅は現在の瞬間の具体的な事実として綜合的な客観 [続きを読む]
  • 中論・7−32頌 自己管理と霊魂の働き
  • 第三十二頌 自己管理と霊魂の働き西嶋先生の訳自己管理は個人の主観的な霊魂の働きによって実現するものではないし、自己管理が客観的な霊魂の働きと同じものであるということもない。そのような純粋な意味での現象そのものは、人間の主観的な霊魂の働きに依存しているものでもなければ、客観的な霊魂の働きに依存しているものでもない。中論を勉強しています現在の瞬間の事実である自己管理は主観的な考え方によって実現する訳で [続きを読む]
  • 中論・7−31頌 頭脳細胞の働きと現実の世界
  • 第三十一頌 頭脳細胞の働きと現実の世界 西嶋先生の訳抽象的なものが自己管理された存在として現われて来ることは決してない。そのような二次元的な頭脳の働きは、個々ばらばらに独立して存在する事物が、実は現実の世界そのものであることを、見抜くことができないものである。中論を勉強しています頭で考え出した抽象的な内容が自分を縛るものとして現われて来ることは決してない。頭で考える働きや感受する働きでは、この世の [続きを読む]
  • 中論・7−30頌 抽象的な世界と自己管理
  • 第三十頌 抽象的な世界と自己管理西嶋先生の訳現実から遊離すればする程、存在の中における自己管理は現われて来ない。存在は決してたった一箇所にある訳ではないのであるから、存在しないという事実が姿を現わすことも決してあり得ない。中論を勉強しています現実から目をそらし頭で存在というものを考えれば考えるほど、存在の中にある自分で自分の事を決める事が現われて来なくなる。存在というものは決して一箇所だけにある訳 [続きを読む]
  • 中論・7−29頌 宇宙の現象と自己管理の状態
  • 第二十九頌 宇宙の現象と自己管理の状態西嶋先生の訳全ての均衡した境地における最高の境地が現われていない場合には、全ての均衡した境地における最高の自己管理も、現われてこない。中論を勉強しています全ての拘りのない状態において、いまだに最高の境地が具体化されていない場合には全ての拘りのない状態における最高の自己管理も同じように具体化しない。坐禅をしましたこの世の中は様々の要素を含んだ拘りのないありのまま [続きを読む]
  • 中論・7−28頌 具体的な事実や抽象的な想念と自己管理
  • 第二十八頌 具体的な事実や抽象的な想念と自己管理 西嶋先生の訳具体的な事実に依存した場合でも、環境に依存した場合でも、現実の事態が、改めて自己管理された状態になるということはあり得ないのであるから、具体的な事実以外の抽象的な想念に依存した場合でも、環境に依存した場合でも、具体的な事実以外の抽象的な想念が、改めて自己管理された状態になるということは、絶対にあり得ない。中論を勉強していますたとえ、眼の [続きを読む]
  • 中論・7−27頌 さまざまの状態と自己管理
  • 第二十七頌 さまざまの状態と自己管理西嶋先生の訳存在が固定化していればいる程、自己管理の状態は現われて来にくいものである。存在が固定化していない場合には、やはり自己管理された状態が姿を現わし易いものである。中論を勉強しています存在というものが決められてしまえばしまうほど、自分で決められる状態は現われて来にくいものである。存在というものが決められていなければいないほど、自分で決められる状態が姿を現わ [続きを読む]
  • 中論・7−26頌 管理された状態の独自性
  • 第二十六頌 管理された状態の独自性西嶋先生の訳管理されていないものが管理されているということはないし、管理されているものでさえも(更に)管理されるということがない。そこにおいては、管理されている状態が既にあるだけのことであって、まだ生まれていないものが管理されるというようなことがどうしてあり得よう。中論を勉強しています隠されていないものが隠されているという事は当然あり得ない。もしも隠されているもの [続きを読む]
  • 中論・7−25頌 安定した状態と霊魂
  • 第二十五頌 安定した状態と霊魂西嶋先生の訳安定した状態に頼ろうと、それ以外の状態に頼ろうと、本当の意味での安定は、この世の中のどのような状態によっても管理されるということが絶対にない。そのような状況の中においては、本当の意味での現象が、主観的な霊魂に根拠を置いているということもないし、客観的な霊魂に根拠を置いているということも絶対にない。中論を勉強しています本当の意味での変わらないものは、変わらな [続きを読む]
  • 中論・7−24頌 老化や死滅と安定した状態
  • 第二十四頌 老化や死滅と安定した状態西嶋先生の訳老化や死滅を含む宇宙のさまざまの事物の中において、(または)すべての存在や一切の時点において、それらのさまざまの存在は、老化や死滅なしにはほんの僅かのものといえども、安定しているということがあり得ない。中論を勉強しています老化や死滅を当然の事として備えているこの世の中に存在する様々の事物において、またはすべての空間において、そして一切の時間において、 [続きを読む]
  • 中論・7−23頌 自己管理された状態と現実の存在
  • 第二十三頌 自己管理された状態と現実の存在西嶋先生の訳安定した状態は自己管理された状況の中に存在しているのであって、存在(という抽象概念)の中に現われて来る訳ではない。安定した状態が正に自己管理されていない状況の中にある場合には、そのような存在は決して現われて来る筈がない。中論を勉強しています自己管理された状況の中において安定した状態は存在しているのであって、頭で考える抽象的な存在というものの中に [続きを読む]
  • 中論・7−22頌 安定した状態と存在
  • 第二十二頌 安定した状態と存在西嶋先生の訳安定していないものが、存在(という抽象概念)として存在するということはあり得ないし、既に安定している存在が、更に改めて安定するということもない。現に安定している状態が更に改めて安定するということはないのであるから、現に姿を見せていないものが、更に改めて安定するということも絶対にあり得ない。中論を勉強しています立ち止まらないものが、一定の状態を保たまま存在と [続きを読む]
  • 中論・7−21頌 自己管理と現実の世界
  • 第二十一頌 自己管理と現実の世界西嶋先生の訳自己管理された状況の中で現われて来る現実の実状は、存在(という抽象概念)の中に現われて来るということがない。その実状が正に自己管理されていない状況の場合には、現実の存在の現われて来る筈がない。中論を勉強しています自己管理された状態において隠れている何かが現われて来る現実の状態は、存在という抽象概念の中に現われる事はない。自己管理された状態でない場合には隠 [続きを読む]
  • 中論・7−20頌 現実的なものと抽象的なもの
  • 第二十頌 現実的なものと抽象的なもの西嶋先生の訳現実の現象が現に現われているのと同じ程度に、抽象的なものは全く何の拘束も受けていない。現実的なものも抽象的なものもまだ存在していない以前に、既に出来上がったものが目の前に現われている。中論を勉強しています現実の現象が何の拘束もなくこの世の中に現われている。それと同じ程度に頭で考えた内容は全てにおいて何ものにも拘束を受けることはない。現実的なものも抽象 [続きを読む]
  • 中論・7−19頌 この世の中と現象世界との不一致
  • 第十九頌 この世の中と現象世界との不一致西嶋先生の訳もしも上記とは違った形がこの世の中を発現させている場合には、この現象世界が非常に不安定な世界になってしまう。そこにおいては、まだ発現していないものが現に現われていることになってしまい、したがって全てのものが既に現われて来ていることになってしまう。中論を勉強しています目の前に現われている事実そのものがこの世の中であるのだが、もしもそうではなくこの世 [続きを読む]
  • 中論・7−17頌 現象と存在
  • 第十七頌 現象と存在西嶋先生の訳この世の中にはあり得ないものが、少しでも存在するものと考えられるような事態は、絶対に何処にも認めることができない。このような状況の中では、現実的なものも一体何であるかがはっきりしなくなり、存在という言葉でさえ非現実的なものとして現われて来る。中論を勉強していますこの世の中には絶対にあり得ないものが、少し位存在するのではないかと考える例があるが、しかしその様なものはこ [続きを読む]
  • 中論・7−18頌 現象と綜合的な客観世界
  • 第十八頌 現象と綜合的な客観世界西嶋先生の訳現に目の前に現われている事実そのものが、現象であるということが分かって来ると、この綜合的な客観世界が正に現われて来る。この世の中が現象として現われて来ると、現象がむしろ優先して捉えられる。中論を勉強しています現実に我々の目の前に現われている事実そのものが客観世界の現象であるという事が理解できるようになると、我々の住むこの綜合的な客観世界が正に現われて来る [続きを読む]
  • 中論・7−16頌 個々の事物の実状
  • 第十六頌 個々の事物の実状西嶋先生の訳個々の事物が一つ一つ明白に存在しているという事実がこの世の中であり、そのような世の中が落ち着いたものとして、主観的にあると考えられている。したがって現に目の前に見えておりしかも落ち着いている状態が、現に目の前にみえているものの実状である。中論を勉強しています我々の目の前に個々の事物が一つ一つ独立して確かに存在しているという事実がこの世の中そのものである、しかも [続きを読む]
  • 中論・7−15頌 綜合的な客観世界には接近も誕生もない
  • 第十五頌 綜合的な客観世界には接近も誕生もない西嶋先生の訳現に目の前に現われつつあるという事実が正に現象であるから、したがってこの世の中は何時でも近付いて来るものでは決してない。現に目の前に見えている事実が、明々白々とした誕生と関係しているということは決してあり得ない。中論を勉強しています現実に我々の目の前に現われている事実が正にこの世の中の現象である。したがってこの世の中というものは何処かに別の [続きを読む]
  • 中論・7−14頌 想念と現実との違い
  • 第十四頌 想念と現実との違い西嶋先生の訳現に目の前に現われていないものは、現象ではあり得ないのであって、現に現われていないものはどのような意味から見ても、完全に何ものでもあり得ない。この世の中は、言葉では表現することの出来ない何かとして存在しているのであって、その実状については第二章で説いた「行きつつある」、「行った」、「まだ行っていない」という頭の中の判断と実際に行くという現実の行いとの違いと同 [続きを読む]