ひろゆき さん プロフィール

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ひろゆきさん: 流れる時代を見る
ハンドル名ひろゆき さん
ブログタイトル流れる時代を見る
ブログURLhttp://thetimes.seesaa.net/
サイト紹介文現代と言う時代の流れで、宗教はどのような解釈をされるのか?
自由文宗教の多くは、作られた時代の道しるべでした。
では、現代であれば、どのような解釈がなされるか?

自らの人生と共に仏教の教えを考えています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供43回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2015/10/16 10:25

ひろゆき さんのブログ記事

  • 平家物語
  • 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅雙樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。猛き者もつひには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。平家物語の冒頭として有名な言葉です。この後もまだ続きますが、私が学びたいと思うことはこの中にあります。私が好きな名作集の一つです。全文覚えてはいるのですが、聞いてくれる人がいないのが残念です。祇園精舎祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどく [続きを読む]
  • 温良恭倹譲
  • 私の知り合いに農学で博士号を取得した人がいます。農業に詳しくない私ですが、研究の数々や活動には日頃から感服します。・無臭ニンニクを開発・中国固有の植物である文冠果を使った至徳湶という健康食品の開発・貝化石を利用したカルシウム肥料の開発また、白鳥の保護活動や、海岸の美観活動だけでなく、モンゴルへ赴き研究活動を行い多くの政治家とも付き合いを行ってらっしゃいました。85歳となられた現在も、今日は広島、明日 [続きを読む]
  • 現世中心主義が仏教をダメにした②
  • 新興宗教には大きな弱点がありました。仏教系の新興宗教は在家仏教徒の集団であり、聖職者つまり僧侶が存在しなかったのです。そのため、信者の家に死者が出ても、葬式を出す事ができません。信者達は捨ててきたはずの故郷の宗派に従い葬式を上げることになったのです。そのときだけは既成仏教の力を借りなければいけなかったのです。それは葬儀を契機に信者たちが元の宗教へ戻ってしまう事を意味していました。しかし新興宗教の中 [続きを読む]
  • 現世中心主義が仏教をダメにした①
  • 江戸時代には思想的な立場から仏教批判が行われました。幕末から明治維新にかけ、神道や国学の側からの廃仏論が盛んとなったのです。そのため地域によっては、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、多くの寺院や仏像が破壊されました。近代社会を形成する上で、仏教は時代遅れの宗教として排斥されようとしていたのです。明治の知識人や僧侶の中には仏教の改革を志すものもいました。しかし、さほど社会的な影響力をもたなかったのです。そして [続きを読む]
  • 花まつり【灌仏会(かんぶつえ) 仏生会】
  • 旧暦の4月8日は、お釈迦さまの誕生日を祝う華やかな行事が花まつりです。灌仏会・仏生会ともいいます。お釈迦さまが生まれたのは紀元前6世紀です。生まれた地は北インド父はカピラ城を都とするカピラ国の国王スッドーダナ(浄飯王)母は王妃の摩耶夫人お釈迦さまの誕生にあたっては、二匹の竜が天空から甘い雨を注いで祝福し、同時に生まれたばかりのお釈迦さまを灌頂(かんじょう)【頭に水を注ぐ】をしたのです。「花まつり」の [続きを読む]
  • 江戸時代の仏教の堕落
  • 寺請制度の元で、各寺院は檀家の構成員の状態について記録(宗旨人別帳)します。寺は、宗旨人別帳を各藩に対して定期的に提出する義務を負うようになったのです。住民の管理のために檀家の家族の生没・婚姻・離婚さらには旅行や移住・奉公人の出入りなど寺院は民衆を統制する役割を果たすようになったのです。そして、寺院は死者に対する葬式や供養を受け持つことになります。いわゆる「葬式仏教」として民家の間に定着したのです [続きを読む]
  • 仏教の歴史は堕落の軌跡
  • 日本に渡来した仏教は、最初から権力との強い結びつきを持っていました。海を越え、中国から仏教の教えを移入することが出来たのは、天皇・豪族・貴族などの権力者です。日本に仏教を広めるにあたって、最初に活躍した聖徳太子は用明天皇の皇子でした。僧侶の活動は国家の保護と統制のもとに置かれていたのです。出家するにも国の認可を必要とし、一般人が勝手に出家をすることは禁じられていました。東大寺の大仏建立(752年)は [続きを読む]
  • 仏教を理解できない日本人
  • 私達が関心を寄せる心の拠り所とする仏教のイメージと現実のなかで出会う仏教の間には、大きな距離があります。その距離はなかなか埋めがたいものです。しかも、習俗としての強制力を持つため、仏教式の葬儀から逃れることはできません。自主的に求めるものではないため、仏教に対しより複雑な気持ちを持つことになります。私達は仏教を求めていながら、仏教の世界に触れる機会はありません。仏教に心の安らぎを求めようとしても、 [続きを読む]
  • 現代日本の仏教
  • 現在の日本社会において、仏教の関心は決して低いものではありません。仏教関連の書籍は数多く刊行され、購入者もいます。仏典を読む講座の人気は高く、受講者の関心は持続し、同じ講座に通い続ける人も珍しくありません。各地の有名な寺院を訪れる人達も、観光目的と言うだけでなく、そこに安置された仏像を通し仏教の世界に触れたいと言う思いを抱いている人もいます。禅寺を訪れて座禅を組む人、写経に励む人もいます。退職後に [続きを読む]
  • 除夜の鐘の意味
  • 一年で最後の夜を「除夜」といいます。除夜は1年を除くと言う意味です。その語源は、人々が夜を守って暮れゆくこの一年を惜しむところから、この夜を送る意味と言う説があります。この夜は年が改まるまで眠らない習慣があり、早く眠ると歳をとるとも言われています。年越しソバを食べるのは、ソバのように細く長く生きられるようにとの願いを込めたものです。東北地方では社寺にお籠もりすれば翌年の災厄をよけられると言って参籠 [続きを読む]
  • お寺の節分
  • 節分の節は、季節が変わると言う意味を持ちます。もともとは立春・立夏・立秋・立冬など二十四節気に移るときの節目を全て節分と言っていたのです。いつの頃からか立春に移る前日のことを、節分と言うようになったのです。現在は、だいたい二月三日が節分です。節分はその昔、百鬼夜行(鬼や妖怪が群れ歩いている)の時と考えられていたのです。そこで新しい季節を迎えるにあたり、鬼の類を追い払う必要性があったのです。鬼を追い [続きを読む]
  • 法事を営むときの常識
  • 年回忌の法事は、故人の死亡した同月同日【祥月命日(しょうつきめいにち)】に行うのが最善であることは言うまでもありません。しかし、その日がウィークデーだと参列者の都合上、変更せざるを得ない場合もあります。その時は、命日前の土曜日や日曜日が良いでしょう。後にずらすのは、故人に対する心の表し方です。後にすることで「粗略する」と感じられ、良くないとされているからです。施主は故人との血縁が最も深かった立場の [続きを読む]
  • 仏との縁を結ぶ(結縁)のための「法事」
  • 初七日を初めとして、一周忌や三回忌など一連のある一定の周期を持った仏教行事を、「法事」と呼んでいます。近親の者を偲(しの)んで供養するといっても、毎日というのは実際問題としては不可能なことです。それならば時にふれ折にふれて供養のための催しをした方が良い。そんな風に考えられるようになったのでしょう。また法事つまり追善供養(回向)の追善とは追薦(ついせん)追福ともいいます。死者が浄土へ無事往生し幸せに [続きを読む]
  • 戒名(法名)は死者の名前?
  • 「戒名」とは一言で説明するなら「僧名」のことです。出家して坊主になったときに頂く僧名です。或いは仏の弟子としての名前をいいます。ですから本来、戒名は死後ではなく生前に与えられるものなのです。仏教の厳しい戒律を受けた仏弟子に授けられるものです。なぜ死後に戒名をつけるようになったのか?在家つまり僧侶ではない一般人の場合は「没後作僧(ぼつごさぞう)」といい、死後に戒律を授け仏弟子にしようとするためです。 [続きを読む]
  • 香典・お布施 葬儀にまつわる金銭の持つ意味
  • 香典の「香」は文字通り、お香を意味します。また香典の「典」は、元々は奠と言う字であり「すすめる」と言った意味を持つ言葉です。つまり香典の本来の形は、お香を供える事または香を焚きその薫(かおり)を供える事でした。それが死者の霊前に金銭や供物を供える事に変化したのです。時代が下がるにつれて、この香典の内容は現金とすることが増えてきました。現金が多くなったことの一つには香典が喪家に対する相互扶助の意味も [続きを読む]
  • 死への旅立ちを見送る 通夜の由来
  • 遺体は北枕遺体を寝かせる際には、頭を北向きになるようにします。これを北枕といいます。これはお釈迦さまが亡くなられた際の姿勢に由来があります。いろんな経典に釈尊が入滅するときの様子が書かれています。涅槃経から語る北枕「そのときお釈迦さまは右脇を下にして横たわり、頭を北方向、足は南を指すようにされた。顔は西に向かい背は東を後ろにしていた」このことを頭北面西右脇臥(ずほくめんさいうきょうが)と言います。 [続きを読む]
  • 葬儀の流儀と仏教の関わり
  • お釈迦さまが生きていた頃の僧侶は、自分の両親か同じ仲間である僧の死にのみ葬送していました。もともと仏教の僧侶と葬儀は直接的な関係はなかったのです。ではなぜ、仏式葬儀が広く普及したのでしょう?それは仏教が死と言うものに対し「死」が穢れに満ち、悪霊が跳梁(ちょうりょう)する原因ではなく、浄土への旅立ちだと言う見解を打ち出したからです。死者は浄土で救済されると言う考えかたは、遺された者にとっては心が救わ [続きを読む]
  • 古代から変化してきた葬儀の流儀
  • 現在判っている最も古い日本の葬儀の形式は、三世紀ごろの「魏志倭人伝」に記されています。・死者が出ると近親者は10日余り喪に服して肉食をせず喪主は号泣する。・その他の者は柩(ひつぎ)の周辺で酒を飲み歌い踊る。・埋葬して身を清める。このように書かれています。日本で行われていた葬式は、元来土葬や風葬であったことが調査の結果わかっています。縄文時代死者は身体から死霊が抜けださないように手足を曲げ、縛ってから [続きを読む]
  • 日本仏教の流れ④
  • 日本の仏教宗派は十三宗五十六派仏教は悟りにいたるための教えです。目的は同じでありながら、宗派が別れるのは何故でしょう。それは、悟りに至る時期(死後か?生きている間か?)や、悟りに至るための手段、中心とする経典の違いが原因です。平安時代に最澄が比叡山で開いた天台宗が日本では最初の宗派です。天台宗の本山にあたる比叡に学んだ高僧・名僧が次々と別宗派を興していきます。その下に僧侶や信者が集まり、更に多くの [続きを読む]
  • 日本仏教の流れ③
  • 末法の世の危機の中から平安時代も末期に入ると、一つの特徴的な考え方が生まれました。仏教が衰えると言う予言的な思想が、貴族・庶民の間に色濃く漂い始めたのです。末法思想とは仏教の歴史観ともいうべきもので、3つに分かれます。1、正法 釈尊の没後千年は正しい仏教が伝えられ、修行すればその高価が現れる時期。2、像法 その後の千年は仏教の教え場残っているが、教えに従って修行しても効果は得にくい時期。 (悟りを開 [続きを読む]
  • 日本仏教の流れ② 鎮護国家の奈良仏教
  • 奈良時代に入ると、仏教は最盛期を迎えます。しかし仏教そのものとしての発展ではありませんでした。仏教は国家の保護のもと、国家統治の方法として利用され国家の支配下に置かれたからです。その最高潮が聖武天皇の時代です。全国の国ごとに官立の国分寺(総国分寺が東大寺)が建立されました。僧侶も国家公務員として扱われたのです。そして、仏教教義の研究が行われました。その中心的な存在が当時栄えた六つの宗派「南都六宗」 [続きを読む]
  • 日本仏教の流れ①
  • 釈迦が教えを説いていた時代には、宗派と言うものはありませんでした。釈迦の教えそのものが全てだったからです。しかし釈迦入滅後、時代が下るにしたがって戒律や教義に対する解釈の違いが増えてきます。そのため仏教は20近くのグループに分かれていったのです。これが部派仏教と言われるものです。これらはやがて小乗仏教・大乗仏教の二つの大きな流れにまとまっていきます。中国に伝えられた仏教はインドの仏典を中国語に翻訳す [続きを読む]
  • 仏教宗派別に分けられた成仏の方法
  • 密教と顕教の考え方の違い顕教とは密教以外の仏教をいいます。密教は、大日如来の究極の教えを真理そのものとした教えです。師匠から弟子へと厳格なルールのもと教えや作法が伝えられます。神秘的な要素が多く、非公開的な部分が多い秘密の教えです。顕教は、釈尊が相手の理解力に応じ、判りやすい言語文字で明らかにされた経典を基本とした教えです。密教と顕教の修行の違い大乗仏教には、顕教も密教も含まれています。共通すべき [続きを読む]
  • ヒンドゥー教と密教
  • インドの密教には2つの特色があります。神秘主義宇宙の中心的存在であり絶対者であるものと、自分とが内面的に結びつく。呪術の組織化呪術的な要素の組織化この2つは相互的に働きかけます。 悟りに至るために真言・陀羅尼(だらに)と呼ばれる呪文。象徴的なものを表現する指や手の平の形、組み方。または、様々な仏や菩薩を描いた曼荼羅。これらを使うことはそれまでに無いものでした。仏教が最終目的とした彼岸に渡ること(涅槃 [続きを読む]
  • 大乗仏教から発展した密教
  • 「密教」とは顕教(秘密にせず説かれた仏教)と対比された教えです。密教は極めて神秘的・象徴的な教義を教団内部の師資相承により伝持します。それが密教の特徴ともいえるのです。日本の密教密教を導入した最澄を開祖とする天台宗(台密)と密教は空海を開祖とする真言宗(いわゆる東密)が、知られています。空海も最澄も共に平安時代(804年)に遣唐使として唐に渡ったのです。最澄は視察目的の短期留学当時主流だった天台宗を [続きを読む]