古事記・日本書紀・万葉集を読む さん プロフィール

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古事記・日本書紀・万葉集を読むさん: 古事記・日本書紀・万葉集を読む
ハンドル名古事記・日本書紀・万葉集を読む さん
ブログタイトル古事記・日本書紀・万葉集を読む
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu
サイト紹介文コピペで学位は自己責任で。 「上代語ニュース」にまとめも。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供100回 / 365日(平均1.9回/週) - 参加 2015/12/13 00:06

古事記・日本書紀・万葉集を読む さんのブログ記事

  • リオのバド、高松ぺア決勝
  • 試合中に笑っているフロー体験ってやつだ大柄の選手と対戦する機会はあまりないので面白かったとコメントしてたcf.亀山佳明『生成する身体の社会学―スポーツ・パフォーマンス/フロー体験/リズム―』世界思想社、2012年。チクセントミハイ『楽しみの社会学』今村浩明訳、新思索社、2001年。(この出版社はもうありません。) [続きを読む]
  • 万葉集の「幄」について(大伴家持作歌)
  •  大伴家持には、「幄」字を使った前文、題詞の歌がある。  掾(じょう)大伴宿祢池主(いけぬし)に贈れる悲しびの歌二首 忽ちに枉疾(わうしつ)に沈み、旬を累ねて痛み苦しむ。百神を祷み恃みて且(かつ)消損(せうそん)を得たり。而も由(なほ)身体疼み羸(つか)れ筋力怯軟(けふなん)にして、未だ展謝に堪(あ)へず。係恋(けいれん)弥(いいよ)深し。方今(いまし)春朝には春花、馥(にほひ)を春苑に流(つた) [続きを読む]
  • 引っ掛けられた鞍覆(二条城行幸図屏風)
  •  馬に乗るときの鞍は、室町時代には実用しているけど工芸品になっていました。大切にしたいから、外出して馬を下りてしばらく乗らない時にはカバーをかけました。鞍覆(くらおおい)と言っています。その鞍覆について、毛氈が舶来していたのでそれを使い出し、赤い緋毛氈の鞍覆は足利将軍専用ものとして外出の際の権威の象徴にしていました。他の人の使用は原則、禁止です。きぬがさの袋の白いのも同じ扱いで、自分たちだけが使え [続きを読む]
  • 玉手箱(サントリー美術館)
  •  サントリー美術館「神の宝の玉手箱」展(〜7/17(月・祝))に、手箱が並んでいました。移転10周年の「玉手箱(注1)」展です。浮線綾螺鈿蒔絵手箱(鎌倉時代、13世紀、サントリー美術館蔵) 修復後、初公開とのことです。おそらく赤い紐がついて結わえられていたのでしょう。どのようにして結っていたかを自分で覚えておいて、もし次に開く時に感じが違ったら、誰かが開けたのだと疑ったのだといいます。北条政子のことです。 [続きを読む]
  • 仁徳天皇は「聖帝」か 其の二
  • (承前) ◆(礻偏に咸)は、示偏(礻)であるが、衣偏(衤)の字は、「??」という字である。「??」は字書に載る字で、「旌旗之游也」、つまり、幡足(ばんそく)のことである。ひるがえる幡足(東大寺慶讃法要・庭儀、昭和63年5月2日、井上博道『東大寺』中央公論社、1989年、69頁)幡足(飛鳥〜奈良時代、幅約15cm、法隆寺献納宝物、東博展示品) 和名抄に見える「旒」に当たる。 幡〈旒附〉 考工記に云はく、幡〈音翻、 [続きを読む]
  • 仁徳天皇は「聖帝」か 其の一
  •  仁徳天皇には、「高き屋に のぼりて見れば 煙(けぶり)立つ 民の竃は 賑ひにけり」(新古今707)なる伝承歌があり、あたかも本当に「聖帝」であったかのように語られることがある。 是に天皇、高き山に登りて四方(よも)の国を見て詔りたまはく、「国の中(うち)に烟(けぶり)発たず。国皆貧窮(まづ)し。故、今より三年に至るまで、悉く人民(おほみたから)の課?(えつき)を除(ゆる)せ」とのたまふ。是を以て、 [続きを読む]
  • 「日下」=「くさか」論
  •  クサカさんという方がおられる。「日下」と漢字表記されることが多い。その歴史は古い。 然、上古之時、言意並朴、敷文構句、於字即難。已因訓述者、詞不逮心、全以音連者、事趣更長。是以今、或一句之中、交用音訓、或一事之内、全以訓録。即、辞理叵見、以注明、意況易解、更非注。亦、於姓日下謂玖沙訶、於名帯字謂多羅斯、如此之類、随本不改。(記序) 然れども、上古(いにしへ)の時、言(こと)と意(こころ)と並びに [続きを読む]
  • 埴輪起源話 其の四
  • (承前)(注13)日本書紀の「号二○○一曰(謂)二△△一」の「○○」に指示詞の入る例は、次のとおりである。 故号二彼地一曰二竹屋一。(神代紀第九段一書第三) 因改号二其津一曰二盾津一。(神武前紀戊午年四月) 時人因号二其地一曰二母木邑一。(〃) 時人因号二其処一曰二雄水門一。(〃) 因号二其所至之処一曰二菟田穿邑一。(神武前紀戊午年六月) 故号二其地一曰二菟田血原一。(神武前紀戊午年八月) 因改号二 [続きを読む]
  • 埴輪起源話 其の三
  • (承前) 「立物」という言い方については、円筒埴輪が立っているから立物であり、殉死者が埋め立てられていた代わりだから立者であるばかりでなく、近習者が立って待って居たから立者である。埴輪製作の立役者、土師氏(注27)が付き従った野見宿禰については、当摩蹶速(たぎまのくゑはや)との相撲の記事に登場する。それは、垂仁天皇が、当摩蹶速よりも相撲の強い人物がいないかと群臣に問うたところ、一人がノミノスクネとい [続きを読む]
  • 埴輪起源話 其の二
  • (承前) 日本書紀に、地名や人名、物名などの縁起を示すために取られる「号二○○一曰(謂)二△△一」の形のうち、○○に「この」、「その」、「あの」、「かの」といった指示詞が入るケースは全部で47例ある。そのうちのほとんど、43例は指示詞が「其」である(注13)。 号二其津一曰二盾津一。(神武前紀戊午年四月) 例外的に、「其」以外のものが入るケースがある。 号二彼地一曰二竹屋一。(神代紀第九段一書第三) 号 [続きを読む]
  • 埴輪起源話 其の一
  •  垂仁紀に、それまでの殉死の風習を嫌い、埴輪を置くようになったとの言い伝えが載る。 倭彦命(やまとひこのみこと)を身狭(むさ)の桃花鳥坂(つきさか)に葬(はふ)りまつる。是に、近習者(ちかくつかへまつりしひと)を集(つど)へて、悉(ことごとく)に生けながらにして陵(みさざき)の域(めぐり)に埋(うづ)み立つ。日を数(へ)て死なずして、昼に夜に泣(いさ)ち吟(のどよ)ふ。遂に死(まか)りて爛(く)ち [続きを読む]
  • 鳳凰刺繡断片(東博)のこと
  •  東京国立博物館で、「トーハクでバードウォッチング」展が開かれています(〜2017.6.4)→「1089ブログ(神辺知加)」様。そのなかに、用途不明の不思議なものがあります。鳳凰刺繡断片(絹製、刺繍、中国・初唐または飛鳥〜奈良時代、7〜8世紀) 解説には、「仏教では、汚い泥の中から美しく咲く蓮(はす)の花が仏さまの知恵や優しい心の象徴とされました。この作品は両面に刺繡がほどこされているため、裏からでも表からでも [続きを読む]
  • 埴輪起源話 其の〇(サマリー)
  • 梗概 日本書紀垂仁天皇条に記載の埴輪起源説話は、これまで、史実を語るものではないとされてきた。きちんと読めていなかったから誤解されている。 野見宿禰が殉死生き埋めの代わりにと提案した「是土物」は、「人馬及種々物形」の形象埴輪であるが、垂仁天皇は「其土物」を墓に立てている。「是の」と「其の」は違うから、別のものである円筒埴輪を表している。広告代理店の提案したコンセプトは踏襲するものの、デザインは替え [続きを読む]
  • 挿絵本の楽しみ(静嘉堂文庫)
  •  静嘉堂文庫「挿絵本の楽しみ」展(〜2017.5.28)に、書物において絵を入れて表すとはどういうことか、という興味深いテーマの展示が行われている。取扱説明書に絵(または図)が載っていることの始まりについて、考えさせられるものがある。全部で5つのテーマがあげられている。①神仏をめぐる挿絵……仏画のある書物(お経)を作っていたのは、言われただけではホトケがイメージできないからである。②辞書・参考書をめぐる挿絵 [続きを読む]
  • 灯明台ふたつ
  •  いずれも灯明台である。灯明台(平城宮跡資料館展示品)緑釉熊形灯(中国、後漢時代、1〜3世紀、横河民輔氏寄贈、東博展示品) 灯明の油を入れるお皿を上に乗せて使っている。古代には胡麻油のような植物性オイルが使われたように思う。荏胡麻などは今、健康食ブームで食されている。菜種油登場まではとてつもなく高くて、庶民はおよそ使うことができなかった。蝋燭となればさらに高い。徳川吉宗の頃でも輸入していたらしい。鯨 [続きを読む]
  • 「飛鳥」と書いてアスカと訓むのは
  •  「飛鳥」と書いてアスカと訓む理由については、従来、枕詞「飛ぶ鳥の」が地名アスカにかかることから説明されてきた(注1)。足利健亮『景観から歴史を読む―地図を読む楽しみ―』(日本放送出版協会(NHKライブラリー)、1998年)は、新しい地名解釈、地名論の例として取りあげた。そこでの主張は、アスカと呼ぶ土地・地域が先にあり、それに流入した漢字文化において漢字を当てようとして「安宿」とし、「安宿」と記すと飛 [続きを読む]
  • 火熨斗のこと
  •  このところ、火熨斗を見ることに恵まれた。古墳時代からすでに存在する。銅の鋳造品らしい。銅の鋳造技術は、大仏が作れるぐらいだから飛鳥大仏を作った時点で相当なものがあったのであろう。そして、ついこの間まで現役で活躍していたものでもある。考古学的に発見されてずいぶん古いなあと感じ、はたして実用に耐えるかなどと考えるかもしれない。けれども、考古学者がそこで試してみるというのは、むろん禁止されているわけで [続きを読む]
  • 大物主神の御前を翳(さしば)で祭れ 其の二
  • (承前) 天皇の夢に出てきたオホタタネコという名は、ハ(翳、fa)であるとわかった。翳で大物主神を隠すように祭れば、祟りを鎮めることができて国家太平になる。人目にさらされるのが苦手な神さまが、三輪山に鎮座している大物主神ということである。よって、今日まで山は禁足地として立ち入りを制限されている。どうして神の祟りを、翳を使うことで鎮めることができるのか。それには二重の証明がある。第一に、ハという言葉は [続きを読む]
  • 大物主神の御前を翳(さしば)で祭れ 其の一
  •  三輪山伝説の主話については、本ブログ「三輪山伝説 其の一」以下で詳述した。夜な夜な活玉依毘売のもとを訪れていた神の素性について、はにわり(半月、黄門、pa??aka)であることを明らかにした。今回は、その前に記されている崇神朝の疫病と人口減少、オホタタネコによる祭祀によって疫病が止んで国家が太平を取り戻した記事について解説する。 此の天皇の御世(みよ)に、?病(えやみ)多(さは)に起りて、人民(おほ [続きを読む]
  • 牓示札(ぼうじさつ)のこと
  • 加賀郡牓示札(石川県津幡町賀茂遺跡出土、9世紀半ば、「石川県埋蔵文化財センター」様)「加賀郡牓示札の掲示状況」(平川南『日本の原像―新視点古代史―全集日本の歴史第二巻』小学館、2008年、口絵5頁続をモノクロ化した。) 牓示札として石川県津幡町賀茂遺跡出土品が知られている。平川南、同上書に、「この牓示札は一一五〇年前、九世紀なかばの古代の村に立てられていた『御触書(おふれがき)』なのである。」(14頁)、 [続きを読む]
  • 十七条憲法の「和」について 其の三
  • (承前)(注1)和辻、前掲書に、「この憲法は、憲法と呼ばれているにかかわらず、形式の上で道徳的訓戒に近いものである。……憲法は、国家のことに関する限りの人の道を説いたものである……。従ってそれは、官吏に対して、官吏としての道徳的な心がけを説いたものである。その関心するところは公共的生活であって、私的生活ではない。その説くところの心がけも、おのずから国家の倫理的意義を説くことになるのである。」(115頁 [続きを読む]
  • 十七条憲法の「和」について 其の二
  • (承前) 憲法十七条には、「和」の字が4字使われている。それを文意に応じて読み分けることをしたのか。例えば、「與」という字も4字使われている。「與公」(第十二条)、「與衆」(第十七条)とある個所は、助詞のトと訓み、「與聞」(第十三条)は、動詞でアヅカリと訓んでいる。同じ字でも前後を見渡して読み分けられている。この例からすれば、同じ「和」とあっても、違うヤマトコトバで訓んでかまわない。太子がプレゼンで [続きを読む]
  • 十七条憲法の「和」について 其の一
  •  夏四月丙寅朔戊辰皇太子親肇作憲法十七條一曰以和為貴無忤為宗人皆有黨亦少達者是以或不順君父乍違于隣里然上和下睦諧於論事則事理自通何事不成二曰篤敬三々寶々者佛法僧也則四生之終歸萬國之極宗何世何人非貴是法人鮮尤悪能教従之其不歸三寶何以直枉三曰承詔必謹君則天之臣則地之天覆地載四時順行万氣得通地欲覆天則致壊耳是以君言臣承上行下靡故承詔必慎不謹自敗四曰羣卿百寮以礼為本其治民之本要在乎礼上不礼而下非齊下無礼以 [続きを読む]