古事記・日本書紀・万葉集を読む さん プロフィール

  •  
古事記・日本書紀・万葉集を読むさん: 古事記・日本書紀・万葉集を読む
ハンドル名古事記・日本書紀・万葉集を読む さん
ブログタイトル古事記・日本書紀・万葉集を読む
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu
サイト紹介文コピペで学位は自己責任で。 「上代語ニュース」にまとめも。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供107回 / 365日(平均2.1回/週) - 参加 2015/12/13 00:06

古事記・日本書紀・万葉集を読む さんのブログ記事

  • 十握剣(とつかのつるぎ)を逆(さかしま)に立てる事
  •  十握剣(十掬剣)(とつかのつるぎ)が「逆(さかしま)」に立つ例は、次の3例である。はじめに、今日、ほぼ定訓とされている形で示す。 二(ふたはしら)の神、是に、出雲国の五十田狭(いたさ)の小汀(をはま)に降到(あまくだ)りて、則ち十握剣(とつかのつるぎ)を抜きて、倒(さかしま)に地(つち)に植(つきた)てて、其の鋒端(さき)に踞(うちあぐみにゐ)て、大己貴神(おほあなむちのかみ)に問ひて曰はく、… [続きを読む]
  • 剣大刀(つるぎたち)について
  •  万葉集のなかで、ツルギタチの語があるのは、次の22例である。ツルギの字には、釼(13例)、剱(1例)、??(3例)、劔(2例)、また、仮名書きで、都流伎(2例)、都流藝(1例)と用いられている。枕詞とされている「剣大刀(つるぎたち)」として万葉集中に、それがかかる語は、(a)「身に添(副)ふ」(万194・217・2637・3485)、(b)「磨(と)ぐ」(万3326・4467)、(c)「斎(いは)ふ」(万3227)、(d)「名(な)」(万616 [続きを読む]
  • 「族(うがら)負けじ」について 其の二
  • (承前) また、天秤棒の場合も、両側が釣り合うように荷や錘をかけている。荷を担ぐに際しては真ん中に人の肩がくる。鵜飼いの場合も、鵜籠を前と後ろに掛け、それぞれの籠に多ければ4羽ずつ鵜を入れて鵜舟へ運んでいる。この場合、必ず天秤棒の前と後ろに籠を掛ける。2羽だけ運ぶ場合にも、前籠、後籠に1羽ずつ入れて運ぶ。バランスがとれていなければ天秤棒は担げない。釣り合いのないチギリはあり得ない。「婚姻は、両性の合 [続きを読む]
  • 「族(うがら)負けじ」について 其の一
  •  族(うがら)という語は、親族の内でも限られた範囲を指すとされている。同じ「族」という字を用いても、ヤカラはかなり範囲の広い一族郎党のことを指す。では、ウガラという語はどのような結び付きを表しているのであろうか。 家族や一族があるのは、もとより婚姻によって子供ができて家族の成員が増えていくことに依る。子どものいない独身の高齢者は、親族に含まれることはあっても自ら親族を構成していくことはほとんどない [続きを読む]
  • 井戸への呪詛話
  •  雄略紀に、井戸(注1)を呪詛する話が載る。 是月、御馬皇子(みまのみこ)、曾(いむさき)より三輪君身狭(みわのきみむさ)に善(うるは)しかりしを以ての故に、慮(みこころ)遣(や)らむと思欲(おもほ)して往(い)でます。不意(おもひのほか)に、道に邀軍(たふるいくさ)に逢ひて、三輪の磐井(いはゐ)の側(ほとり)にして逆(あひ)戦ふ。久(ひさ)にあらずして捉はる。刑(つみ)せらるるに臨みて井を指して [続きを読む]
  • トーハクくんと滑石製刀子のこと
  •  トーハクくんはゆるキャラグランプリにエントリーしています。本日、8月1日から投票開始です。トーハクくんの本業は、ダンサーではなくて馬引きです。馬子(まご)とも言います。孫のようにかわいがってください。 さて、新指定の重要文化財、世田谷区の野毛大塚古墳出土品に、滑石製のミニチュアがあります。①水の祭祀に関係があるものとして、水槽や下駄、②器として、坩(かん)と呼ばれる器やお皿、③生産用具として、斧や [続きを読む]
  • 吉備の反乱?(女相撲と闘鶏) 其の二
  • (承前)鳴鏑(頭部:ヤマグワ、七廻り鏡塚古墳、栃木県大平町、古墳時代後期、6世紀、山田昌久遍『考古資料大観 第八巻 弥生・古墳時代 木・繊維製品』小学館、2003年、14頁)鏑矢作り(宮次男・角川源義偏『日本絵巻物全集23 遊行上人縁起絵』角川書店、昭和43年、原色版図版二)鏑矢の利用(男衾三郎絵巻、紙本着色、鎌倉時代、13世紀、東博展示品) 鏑 丁狄反、入、箭鏃、矢佐支(さき)、又、奈利加夫良(なりかぶら)。( [続きを読む]
  • 吉備の反乱?(女相撲と闘鶏) 其の一
  •  雄略紀に、吉備勢力へのヤマト朝廷からの一連の弾圧と見られている記述に不思議なものがある。 八月に、官者(とねり)吉備弓削部虚空(きびのゆげべのおほぞら)、取急(あからさま)に家に帰る。吉備下道臣前津屋(きびのしもつみちのおみさきつや)〈或本に云はく、国造(くにのみやつこ)吉備臣山(きびのおみやま)といふ。〉虚空を留め使ふ。月を経るまで京都(みやこ)に聴(ゆる)し上(まうのぼ)らせ肯(か)へにす( [続きを読む]
  • 呪詛に関するヤマトコトバ序説
  •  呪詛に関するヤマトコトバとしては、トゴフ、ノロフ、カシルといった語があげられる。それらの語彙の示すところは何か、どのように区別して使われているか、不分明である。日本書紀古訓にすでに複数訓をもって入り乱れており、了解されるに至っていない。ただ、何となくではあるが、それらの語の印象は捉えられている。 伴信友「方術源論」に、細部に至ると信憑性が疑われるものの、本質的には鋭い議論が行われている。「トゴヒ [続きを読む]
  • 角鹿の塩を呪詛忘れ 其の二
  • (承前)(注1)記紀の話に角鹿(敦賀)が登場する個所を論ったものや、呪詛一般ならびにその言葉について、また、角鹿の塩と若狭の塩の関係を論じたものはいくつか見られる。 保坂達雄「「角鹿」というトポス」『神話の生成と折口学の射程』岩田書院、2014年。 井上隼人「『古事記』における角鹿の性格―応神天皇の誕生―」『古代文学』第54号、2015年。 森陽香「御食を得る天皇―角鹿の入鹿魚と応神と―」『藝文研究』第109号 [続きを読む]
  • 角鹿の塩を呪詛忘れ 其の一
  •  日本書紀の武烈天皇条に、角鹿の塩の詛い忘れについての記述がある。武烈紀の研究は、そこに載る歌謡問答と、暴虐の君主像が考察の対象とされたものがほとんどである。「角鹿の塩」については、歴史学的なアプローチがあるが、詛い忘れに関する研究は見られない(注1)。けれども、日本書紀の編者がおろそかに書いているとは思われない。 是に、大伴[金村]大連、兵(いくさ)を率(ゐ)て自ら将(いくさのきみ)として、[平 [続きを読む]
  • 「椎の葉に盛る」考(万142番歌、有間皇子作歌)
  •  有間皇子の自傷歌は、万葉集の挽歌の初めを飾る名歌として古来名高い。しかし、その第2首目の、「椎の葉」にご飯を盛るのかについては疑問とされたままである。  有間皇子の自ら傷(いた)みて松が枝(え)を結ぶ歌二首 磐白(いはしろ)の 浜松が枝(え)を 引き結ぶ ま幸(さき)くあらば また還り見む(万141) 家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る(万142) 万142番歌の古来 [続きを読む]
  • リオのバド、高松ぺア決勝
  • 試合中に笑っているフロー体験ってやつだ大柄の選手と対戦する機会はあまりないので面白かったとコメントしてたcf.亀山佳明『生成する身体の社会学―スポーツ・パフォーマンス/フロー体験/リズム―』世界思想社、2012年。チクセントミハイ『楽しみの社会学』今村浩明訳、新思索社、2001年。(この出版社はもうありません。) [続きを読む]
  • 万葉集の「幄」について(大伴家持作歌)
  •  大伴家持には、「幄」字を使った前文、題詞の歌がある。  掾(じょう)大伴宿祢池主(いけぬし)に贈れる悲しびの歌二首 忽ちに枉疾(わうしつ)に沈み、旬を累ねて痛み苦しむ。百神を祷み恃みて且(かつ)消損(せうそん)を得たり。而も由(なほ)身体疼み羸(つか)れ筋力怯軟(けふなん)にして、未だ展謝に堪(あ)へず。係恋(けいれん)弥(いいよ)深し。方今(いまし)春朝には春花、馥(にほひ)を春苑に流(つた) [続きを読む]
  • 引っ掛けられた鞍覆(二条城行幸図屏風)
  •  馬に乗るときの鞍は、室町時代には実用しているけど工芸品になっていました。大切にしたいから、外出して馬を下りてしばらく乗らない時にはカバーをかけました。鞍覆(くらおおい)と言っています。その鞍覆について、毛氈が舶来していたのでそれを使い出し、赤い緋毛氈の鞍覆は足利将軍専用ものとして外出の際の権威の象徴にしていました。他の人の使用は原則、禁止です。きぬがさの袋の白いのも同じ扱いで、自分たちだけが使え [続きを読む]
  • 玉手箱(サントリー美術館)
  •  サントリー美術館「神の宝の玉手箱」展(〜7/17(月・祝))に、手箱が並んでいました。移転10周年の「玉手箱(注1)」展です。浮線綾螺鈿蒔絵手箱(鎌倉時代、13世紀、サントリー美術館蔵) 修復後、初公開とのことです。おそらく赤い紐がついて結わえられていたのでしょう。どのようにして結っていたかを自分で覚えておいて、もし次に開く時に感じが違ったら、誰かが開けたのだと疑ったのだといいます。北条政子のことです。 [続きを読む]
  • 仁徳天皇は「聖帝」か 其の二
  • (承前) ◆(礻偏に咸)は、示偏(礻)であるが、衣偏(衤)の字は、「??」という字である。「??」は字書に載る字で、「旌旗之游也」、つまり、幡足(ばんそく)のことである。ひるがえる幡足(東大寺慶讃法要・庭儀、昭和63年5月2日、井上博道『東大寺』中央公論社、1989年、69頁)幡足(飛鳥〜奈良時代、幅約15cm、法隆寺献納宝物、東博展示品) 和名抄に見える「旒」に当たる。 幡〈旒附〉 考工記に云はく、幡〈音翻、 [続きを読む]
  • 仁徳天皇は「聖帝」か 其の一
  •  仁徳天皇には、「高き屋に のぼりて見れば 煙(けぶり)立つ 民の竃は 賑ひにけり」(新古今707)なる伝承歌があり、あたかも本当に「聖帝」であったかのように語られることがある。 是に天皇、高き山に登りて四方(よも)の国を見て詔りたまはく、「国の中(うち)に烟(けぶり)発たず。国皆貧窮(まづ)し。故、今より三年に至るまで、悉く人民(おほみたから)の課?(えつき)を除(ゆる)せ」とのたまふ。是を以て、 [続きを読む]
  • 「日下」=「くさか」論
  •  クサカさんという方がおられる。「日下」と漢字表記されることが多い。その歴史は古い。 然、上古之時、言意並朴、敷文構句、於字即難。已因訓述者、詞不逮心、全以音連者、事趣更長。是以今、或一句之中、交用音訓、或一事之内、全以訓録。即、辞理叵見、以注明、意況易解、更非注。亦、於姓日下謂玖沙訶、於名帯字謂多羅斯、如此之類、随本不改。(記序) 然れども、上古(いにしへ)の時、言(こと)と意(こころ)と並びに [続きを読む]
  • 埴輪起源話 其の四
  • (承前)(注13)日本書紀の「号二○○一曰(謂)二△△一」の「○○」に指示詞の入る例は、次のとおりである。 故号二彼地一曰二竹屋一。(神代紀第九段一書第三) 因改号二其津一曰二盾津一。(神武前紀戊午年四月) 時人因号二其地一曰二母木邑一。(〃) 時人因号二其処一曰二雄水門一。(〃) 因号二其所至之処一曰二菟田穿邑一。(神武前紀戊午年六月) 故号二其地一曰二菟田血原一。(神武前紀戊午年八月) 因改号二 [続きを読む]
  • 埴輪起源話 其の三
  • (承前) 「立物」という言い方については、円筒埴輪が立っているから立物であり、殉死者が埋め立てられていた代わりだから立者であるばかりでなく、近習者が立って待って居たから立者である。埴輪製作の立役者、土師氏(注27)が付き従った野見宿禰については、当摩蹶速(たぎまのくゑはや)との相撲の記事に登場する。それは、垂仁天皇が、当摩蹶速よりも相撲の強い人物がいないかと群臣に問うたところ、一人がノミノスクネとい [続きを読む]