卑弥呼様は天照大神 さん プロフィール

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卑弥呼様は天照大神さん: 邪馬台国探訪
ハンドル名卑弥呼様は天照大神 さん
ブログタイトル邪馬台国探訪
ブログURLhttp://ameblo.jp/makoto-kodama/
サイト紹介文邪馬台国論争はもう三百年も続いている。いい加減決着をつけねば、日本の古代史研究が全然進まないゾ!
自由文卑弥呼時代の倭国は九州北部の小国三十国の連合国であり、邪馬台国は倭女王卑弥呼が定めた倭国の首都である。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供39回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2015/12/21 18:53

卑弥呼様は天照大神 さんのブログ記事

  • 安本美典氏による連続する二十一国の比定
  • 【反時計回り連続説】(その9) 連続する二十一国は邪馬台国九州説派の第一人者、安本美典氏も比定しておられます。 実を云うと私は以前、安本美典氏に話を聞いていただく機会がありまして、喜んで【反時計回り連続説】を紹介させてもらったのですが、安本氏は碌に話を聞き終わらないうちにみるみる不機嫌となり、『私の書いた本を読んで出直して来い』!と “一喝” されてしまいました。 その時安本氏が言っ [続きを読む]
  • 「橋本増吉」による二十一国の比定地
  • 【反時計回り連続説】(その8) 前回は邪馬台国畿内説派の重鎮、京都大学派の「内藤湖南」による連続する二十一国の比定国を検証してみましたが、今回は邪馬台国九州説を採る、東京大学派の「橋本増吉」による連続する二十一国の地名比定国を検証してみたいと思います。 「橋本増吉」は「内藤湖南」の比定に習って、連続する二十一国を比定したようですが、その場合、平安時代の承平年間(931年 - 938年)に作られたと [続きを読む]
  • 女王国の北の二十一国の過去の考察
  • 【反時計回り連続説】(その七) それでは過去の研究者は連続する二十一国をどのような国に比定してきたのでしょうか? 【邪馬台国畿内説派】重鎮で京都大学派の内藤湖南教授は、『日本書紀』の示唆する卑弥呼=神宮皇后説を江戸時代中期に唱えた松下見林、新井白石以来久々に【邪馬台国畿内説】に立ち返ると、新たな説として、卑弥呼を第11代垂仁天皇の皇女倭姫命に比定し、新井白石に習って帯方郡から邪馬台国へ至る [続きを読む]
  • 女王国以北の二十一国の読み
  • 【反時計回り連続説】(その6) 中国語の発音表邪馬台国研究においては、『魏志倭人伝』に出てくる漢字の読み方には中古代音が使われていると云う、極めて尤もらしい説があり、この説を語る人は、中古代音の母音には甲音と乙音が有ったなどと、さも『魏志倭人伝』の漢字の発音が解っているようなことを言います。ところが私は昔、中国残留孤児帰国者の方に一頃中国語を習っていましたが、熟達する前に投げ出してしまった [続きを読む]
  • 連続する二十一国の合理的解釈=反時計回り連続説
  • 【反時計回り連続説】(その5) さて、前回范曄の考える『倭国像』が、現実には成り立たないことが証明されました。それでは、范曄の考え=過去の多くの研究者の考えである、「女王国=邪馬台国以北の戸数・道理が略裁可能な国は対馬国〜投馬国迄の七か国で、連続する二十一国とは女王国より南に有る其の余の旁国である」が成り立たないならば、問題の文、女王国以北は其の戸数・道理を略載可なれども、其の余の旁国は遠絶 [続きを読む]
  • 【反時計回り連続説】(その四)
  • 混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうり れきだい こくとのず)龍谷大学大宮図書館所蔵図 范曄の考えに近い倭国地図である混一疆理歴代国都之図は明時代(十五世紀:1402年)に李氏朝鮮において作られた歴史上の首都の一覧図であります。だが、五世紀に生きていた范曄が、この地図を参考に『後漢書東夷伝』を書けるはずもなく、この地図が弥生時代の倭国についての中国人思想を反映しているわけでもありません [続きを読む]
  • 【反時計回り連続説】(その三)
  • それでは問題の文、女王国以北は其の戸数・道里を略載可なれども其の余の旁国は遠絶にて詳らかにし得ずはどう訳すべきでしょうか?  過去の研究者によるこの文の解釈では、女王国=邪馬台国より北の戸数・道里が略載可能な国とは、この文の前に帯方郡から邪馬台国迄、郡使の行程に従って、順繰りに列記してある道程上の国、即ち、対馬国、壱岐国、末蘆国、伊都国、奴国、不彌国、投馬国、の七か国のみに実際、戸数・ [続きを読む]
  • 【反時計回り連続説】(その二)
  • さて、『魏志倭人伝』は帯方郡から邪馬台国へ至る道程を、対馬国、壱岐国、末蘆国、伊都国、奴国、不彌国、投馬国、邪馬台国、と郡使の行程に従って、順繰りに列記した後に問題の文、女王国以北は、其の戸数・道里を略載可なれど、其の余の旁国は遠絶にて詳らかにしえず。と断わると、次に斯馬國有り、次に己百支國有り、次に伊邪國有り、次に郡支國有り、次に彌奴國有り、次に好古都國有り、次に不呼國有り、次に姐奴國有 [続きを読む]
  • 【反時計回り連続説】(その一)
  • 【反時計回り連続説】は、私は邪馬台国論関係でよくある、単なる思いつき論ではなく、論理的にしっかりと筋の通った学術理論だと考えています。しかも3百年以上続いた『邪馬台国論争』に決着を付ける可能性が高い、古代史研究史上画期的な歴史的理論だと思われます。 だが、この度【反時計回り連続説】を『全国邪馬台国連絡協議会』の「研究発表会」で講演して解ったことは、私の説明が下手な為でもあるかとは思われ [続きを読む]
  • 2017年4月9日 東京三田で【反時計回り連続説】を発表しました。
  • ①奴国は一つであり、現在の福岡市圏内に在った国であることは、金印が福岡市の志賀島で出土していることからも明白である。 女王國より以北は其の戸数・道里を略載可なりしも、其の余の旁國は遠絶にて詳らかにし得ず。 ?『魏志倭人伝』の記載中、最も難解な文章 次有斯馬國、次有己百支國、次有伊邪國、次有郡支國、次有彌奴國、次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有対蘇國、次有蘇奴國、次有呼邑國、次有華 [続きを読む]
  • 東京三田で【反時計回り連続説】を発表いたします。
  • 例の『全国邪馬台国連絡協議会』における、 この間3月6日に行われた「討論型・研究発表会、景初2年3年問題」に引き続き、第5回会員研究発表会において、私も発表することになりました。 どうぞ皆様、お友達とお誘いあわせの上、是非聴講にご参加願います。 1.日時場所は以下の通りです。 発表会 4月9日(日)13:00-16:50 三田いきいきプラザ集会室C  都営三田線 A9番出口 徒歩1分  JR山手線・ [続きを読む]
  • 邪馬台国はヤマト国であり、ヤマタイ国ではない。
  • 邪馬台国問題の一番の間違いは、邪馬台国をヤマタイ国と読むことであろう。私は、邪馬台国の正しい読み方はヤマト国だと考えている。もし、邪馬台国がヤマト国であれば、その場所は自ずから決まってくる。 だが、その根拠を中国語の発音から辿ることは難しい。実際そのせいで邪馬台国はヤマタイ国と読まれるようになったのであるが、中国語の発音は画一的ではなく、地域により大きく異なり、しかも時代と共に急速に変化して [続きを読む]
  • 筑後山門と肥後山門を併せて邪馬台国
  • 私はこのブログに何度も書き込んだように今迄、筑後山門を邪馬台国に比定してきました。卑弥呼の宮殿の所在地と思われる山門郡瀬高町の在るみやま市、それに筑後市、柳川市、大牟田市、八女市の一部(多分立花町)位迄が邪馬台国の範囲となるでしょう。この地域は矢部川流域を中心として台地状を為す広大な平野が拡がっており、特にみやま市には数多くの縄文時代〜弥生時代〜古墳時代にかけての遺跡があります。http://www.geoc [続きを読む]
  • 【卑弥呼】の魏朝貢は景初二年(AD238)
  • 長野 剛 氏のイメージした卑弥呼像 (2013) 『魏志倭人伝』には倭女王卑弥呼は景初二年(AD238)に魏に朝貢したと記されますが、現在の古代史学界や考古学界の大勢、及び推理作家の故松本清張氏、邪馬台国九州説派重鎮である安本美典氏、その他多くの邪馬台国研究者がこの景初二年の朝貢は間違いで、景初三年(AD239)の朝貢が正しいと主張しておられます。 しかし私はやはり『魏志倭人伝』に記されたとおり、卑弥呼の使者が帯方 [続きを読む]
  • 倭女王卑弥呼と倭国の範囲
  • 私は基本的に、一般的に日本列島、日本人の意味を示す【倭】と国名の【倭国】は別物だと考えている。実際に中国の古代文献、『漢書』『後漢書』『魏志倭人伝』他、いろいろな『倭国伝』では、【倭】と【倭国】の文字は、そのように別けられて使われているようである。 卑弥呼ファンの私が最も不満に思うことは、多くの日本人が卑弥呼(日巫女)のことを、【邪馬台国女王卑弥呼】と呼び、【倭女王卑弥呼】と呼ぶ人は滅 [続きを読む]
  • 【邪馬台国九州説】の本来の姿
  • さて私は、邪馬台国研究者は弥生時代の倭の姿をまるで解っていないと感じています。研究者たちは弥生時代の倭の姿を全く想像しようともしない、出来ないが故に、現代人感覚で捉えた『邪馬台国論』を多量に濫造している状況だと思うのです。 例えば、古田武彦説=日程距離帯方郡起点説を信じている方は割と多いようですが、私が先日検証した結果、論理的に成り立たないことが判明しました。更には私が考えた古田武彦改変説= [続きを読む]
  • 投馬国は本当に薩摩国に比定できるのか?
  • 前回私は、薩摩(さつま)国=殺馬(蔑字)国=投馬(略字)国と見做すことで、投馬国をいともあっさりと薩摩国に比定し(古田武彦説と同じ)、それを基にして、【投馬国に至る南水行二十日】【邪馬台国に至る南水行十日陸行一月】の記事の、帯方郡起点説(古田説改変説)を説明しました。 ところが本来、投馬国は邪馬台国と同程度に位置比定が困難な国なのです。その証拠に投馬国の国名抜きに、道程から比定を試みる [続きを読む]
  • 帯方郡基点説は邪馬台国への道程を説明可能か?
  • 前回結局、古田武彦説も【邪馬台国】へ至る道程を巧く説明出来ませんでした。 しかしその他の説も、未だ道程記事を完全に説明できたと云う話は聞いていません。現在の邪馬台国【九州説】及び【畿内説】両派閥の見解は以下の通りです。 【邪馬台国畿内説】派は、『魏志倭人伝』自体が曖昧な記述で出来た文献であり、『魏志倭人伝』の記事から【邪馬台国】の位置を判定するのは最早不可能と見做し、考古学的所見のみから [続きを読む]
  • 古田武彦氏は【邪馬台国九州説】派を撹乱させたか?
  • 昨年亡くなった古田武彦氏(享年89歳)は、【邪馬台国九州説】派ではありますが、邪馬台国(邪馬臺国)は間違い?で、邪馬壱国(邪馬壹国)が正しい〇との強い拘りを見せ、邪馬壱国は実は奴国に隣接する地域だったと云う、一風変わった説を唱えました。それで【邪馬台国朝倉説】を唱える『邪馬台国の会』主菅の安本美典氏とは仲が悪く、【邪馬台国九州説】派どうしで、激しいバトルを展開してきたようです。 古田武彦氏が亡 [続きを読む]
  • 【邪馬台国九州説】が完全勝利できない理由
  • 前回【邪馬台国畿内説】が絶対成り立たない理由を述べましたが、今回は絶対成り立つはずの【邪馬台国九州説】派が何故今迄完全勝利を納めきれずに、いつまでも愚図愚図しているのかについての理由を述べたいと思います。 それは【邪馬台国九州説】派の方でも、実は未だに『邪馬台国へ至る道程』の説明を上手く出来ないでいるから、らしいのです。 この問題の核心はほぼ不彌国以降、或いは伊都国以降の「南投馬国へ至る [続きを読む]
  • 【邪馬台国畿内説】が成り立たない理由
  • 世間ではマス・メディアによる【邪馬台国畿内説】有利との報道が飛び交い、『なぁんだ。邪馬台国って、やっぱり奈良の纏向辺りに有ったんだ?』と思い込まされている方が多いようだが、【邪馬台国畿内説】は、実は文献的にも考古学的にも絶対に成り立たない、全くピントはずれの説なのです。 【邪馬台国畿内説】が成り立たない(理由その一)『魏志倭人伝』に「郡使常所駐」と記される【伊都国】が、考古学的にも、筑前国怡 [続きを読む]
  • 新・倭女王は【壱与(いよ)】或いは【台与(とよ)】
  • 前回、【邪馬台国】と【邪馬壹(壱)国】のどちらが正しいかについて論じ、やはり【邪馬台国】=【邪馬臺国】が正しいのだろうという話になりました。 今回は【卑弥呼】の後継者となった新・倭女王は【壱与】か【台与】かの問題です。伝統的に【壱与(壹與)】は(いよ)、【台与(臺與)】は(とよ)と読まれています。 前回のブログでも紹介しましたように、12世紀に刊行された『魏志倭人伝』刊行本の「紹興本」や [続きを読む]
  • 【邪馬台国】か【邪馬壱国】かについての私見
  • 今回は【邪馬台国】と【邪馬壱国】のどちらが正しいかについて、私見を述べたいと思います。 現代の日本では御存じのとおり、学校教科書を始めとする多くの出版物で、倭女王卑弥呼が【倭国】の都と定めた所は【邪馬台国】と書かれており、(やまたいこく)と読んでいます。この【邪馬台国】の「台」の字は「臺」の略字であり、本来は【邪馬臺国】なのです。 しかし『魏志倭人伝』の原本にはどう書かれているかと云うと [続きを読む]