秋葉 奈津子 さん プロフィール

  •  
秋葉 奈津子さん: 奈津子の徒然雑記帳
ハンドル名秋葉 奈津子 さん
ブログタイトル奈津子の徒然雑記帳
ブログURLhttp://415100.blog50.fc2.com/
サイト紹介文世界史の話題を中心に正史、時には外史を交えてエピソードを紹介しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供53回 / 365日(平均1.0回/週) - 参加 2016/01/05 20:26

秋葉 奈津子 さんのブログ記事

  • 歴史を歩く168
  • 38アフリカ・太平洋地域の分割1列強のアフリカ分割(その1)列強のアフリカ分割・1914年当時 近代ヨーロッパの人々から「暗黒大陸」と呼ばれたアフリカ大陸のうち、地中海沿岸の北アフリカやインド航路の港、又奴隷貿易が盛んに行われた西アフリカの沿岸部は早くからヨーロッパ人に知られていましたが、それ以外の地域は、その状態がヨーロッパ人に知られるようになったのは、19世紀中頃のリヴィングストン(1813年〜73年)やス [続きを読む]
  • 歴史を歩く167
  • 7帝国主義の成立と列強の国情⑦7ラテン・アメリカ諸国ラテン・アメリカ諸国の独立 ラテン・アメリカ諸国の殆どは1810年代から20年代に独立を果たしたものの、多くの国では独立後も政情が不安定で、政変も多く、国際紛争にも悩まされ続けました。又経済的には殆どが農業国であり、しかも封建的な大土地所有制が残った結果、貧富の差は非常に大きなものでした。1885年当時のメキシコシティーストリートマーケット 独立後のラテン [続きを読む]
  • 歴史を歩く166
  • 7帝国主義の成立と列強の国情⑥6アメリカ アメリカの資本主義は、南北戦争(1861年〜65年)後、めざましい発展をとげました。工業生産額は1860年〜90年迄の30年間に5倍に達し、1890年頃迄にはイギリスを追い抜いて世界一の工業国に成長します。スタンダード・オイル第1製油所、オハイオ州クリーブランド1899年 この間、主要な産業ではトラスト(企業合同)が形成され、独占と集中が進みました。 「石油王」として有名なロックフ [続きを読む]
  • 歴史を歩く165
  • 7帝国主義の成立と列強の国情⑤5ロシア 1861年の農奴解放以後、徐々に発展したロシアの資本主義は、1890年代に入ると、特に露仏同盟の成立後(1891年〜94年に成立)、フランス資本の援助が増大して重工業を中心に急速に発展しますが、ロシアは国内市場が狭小の為、市場を求めて極東や中央アジアに進出して行きました。シベリア鉄道の地図(1897年当時の路線、ドイツで出版されたもの) ヨーロッパ・ロシアと極東を結ぶ世界最長の [続きを読む]
  • 歴史を歩く164
  • 37帝国主義の成立と列強の国情④4ドイツ1848年、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世とビスマルク ドイツの統一後、ビスマルク(1815年〜98年)はドイツ帝国宰相(在任1871年〜90年)として約20年間にわたって独裁的な権力を奮いました。この間、フランスの復讐に備えてオーストリア・ロシアとの間に三帝同盟を結び(1873年)、更にオーストリア・イタリアとの間で三国同盟を結んで(1882年)フランスの孤立化を図りました [続きを読む]
  • 歴史を歩く163
  • 37帝国主義の成立と列強の国情③3フランスアルザス・ロレーヌの位置 フランスは、普仏戦争(1870年〜71年)に敗れてアルザス・ロレーヌをドイツに割譲したために工業生産の発展が鈍化し、1870年代にはアメリカ・ドイツに追い抜かれてその生産力は第4位に後退しました。又、工業では小企業が乱立し、農業でも小経営が多かった為、国内には有利な資本の投下先が少なく、結果として国内の資本はもっぱら有利な海外投資に向けられ、フ [続きを読む]
  • 歴史を歩く162
  • 37帝国主義の成立と列強の国情②2イギリス初代ビーコンズフィールド伯爵ベンジャミン・ディズレーリ(Benjamin Disraeli, 1st Earl of Beaconsfield, 1804年12月21日 - 1881年4月19日)肖像画は1857年当時 帝国主義と云う言葉は、1870年代後半に、保守党首相ディズレーリ(在任1868年、1874年〜80年)が、その頃高まりつつあった小英国主義(植民地は財政負担を増す重荷に過ぎないとして植民地放棄を唱える立場)を攻撃し、植民 [続きを読む]
  • 歴史を歩く161
  • 37帝国主義の成立と列強の国情1帝国主義ウラジーミル・イリイチ・レーニン(Влади?мир Ильи?ч Ле?нин、1870年4月22日 ? 1924年1月21日)本名、ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ(Влади?мир Ильи?ч Улья?нов) 19世紀末から20世紀初頭にかけて世界は帝国主義の時代に入って行きました。ロシア革命の指導者レーニンはその著『帝国主義論(資本主義の最高段階としての帝国主義)』 [続きを読む]
  • 歴史を歩く160
  • 36東アジアの激動⑥7日清戦争崔済愚(1824年〜64年) 朝鮮には、18世紀後半に中国からキリスト教が伝わり、天主教と呼ばれました。李朝は天主教を禁止して弾圧を加えますが、社会不安を背景に天主教信者は次第に増加して行きます。19世紀後半にキリスト教(天主教)に対抗する新しい宗教である東学が創始され、没落両班出身の崔済愚(1824年〜64年)は、在来の民間信仰を基に東洋的な儒教・仏教・道教を融合して東学を創始しまし [続きを読む]
  • 歴史を歩く159
  • 36東アジアの激動⑥5日本の変革マシュー・カルブレイス・ペリー(Matthew Calbraith Perry, 1794年4月10日 ? 1858年3月4日) 1853年7月、アメリカ東インド艦隊司令官ペリー(1794年〜1858年)が4隻の軍艦を率いて浦賀に来航し、日本に開国を迫りました。黒船来航 江戸幕府は、開国か攘夷かをめぐる激しい対立の中で、翌1854年に日米和親条約を結び、下田・箱館2港の開港や最恵国待遇の供与等を認め、 更に1858年の日米修好通商 [続きを読む]
  • 歴史を歩く158
  • 36東アジアの激動⑤4洋務運動の進展 アヘン戦争・アロー戦争・太平天国の乱等によって西洋の軍事技術が優れている事を認めた清朝は、1860年頃から西洋の軍事技術等の導入による富国強兵運動を進め、これを洋務運動と呼びます。天津フランス領事館 北京条約(1860年)によって外国公使が北京に駐在することになり、清朝は1861年に総理各国事務衙門(総理衙門、そうりがもん)を設けて外交事務の処理機関とすると共に、ヨーロッパ [続きを読む]
  • 歴史を歩く157
  • 36東アジアの激動④3太平天国の興亡太平天国の乱100週年切手・中華人民共和国郵政 清がアヘン戦争(1840年〜42年)・アロー戦争(1856年〜60年)の対外的な問題に直面している時期、国内では太平天国の乱(1851年〜64年)が発生します。 アヘン戦争による多額の戦費と賠償金の支払いは、銀価の高騰をまねき、又重税となって農民の生活を圧迫し、その上水害・干害・蝗害等の天災が相次ぎ、多くの窮乏化した農民は流民となり、全国 [続きを読む]
  • 歴史を歩く156
  • 36東アジアの激動③2アロー戦争とロシア南京条約によって開港した5港 イギリスは、アヘン戦争後の南京条約による五港の開港・公行の廃止によって、対中国貿易が飛躍的に増大することを期待しましたが、戦後もイギリス製品の輸出は増えず期待したほどの利益はあがりませんでした。 イギリスは、貿易不振の原因が、開港場が南に片寄っていて首都北京の近くに存在せず、又広州では領事の駐在や居留地設置が延期されるなど、中国側に [続きを読む]
  • 歴史を歩く155
  • 36東アジアの激動②1アヘン戦争②阿片倉庫清朝はアヘンの吸飲が全国に広まる中で、早くからアヘンの吸飲や密輸に対する禁令を出しおり、主な禁令を挙げれば、アヘン輸入の禁止(1796年)・アヘンの販売厳禁(1813年)・ケシの栽培とアヘンの製造の禁止(1823年)・アヘン輸入の厳禁(1831年)・英船のアヘン密売禁止(1834年)等が有りますが、このように度々禁令が出ている事実は、これらの諸禁令が守られていないことを意味し、 [続きを読む]
  • 歴史を歩く154
  • 36東アジアの激動1アヘン戦争 康煕・雍正・乾隆の3代130余年(1661年〜1795年)に最盛期を迎えた清朝も乾隆帝(在位1735年〜95年)の晩年には政治の綱紀も乱れ、白蓮教徒の乱などがおこり、衰退のきざしが見えてきました。白蓮教徒の乱 白蓮教徒の乱(1796年〜1804年)は、弥勒下生(みろくげしょう)信仰(弥勒仏が救世主として現れるという信仰)の秘密結社を中心とする農民反乱で、湖北・河南・陝西・四川・甘粛の各省に広が [続きを読む]
  • 歴史を歩く153
  • 35南アジア・東南アジアの植民地化④4東南アジア大陸部の変動阮3兄弟 ヴェトナムでは、黎朝(1428年〜1527年、1532年〜1789年)の衰退に乗じて西山党の阮3兄弟が反乱を起こし(1773年)、黎朝の権臣である阮氏と鄭氏を滅ぼして西山朝(1778年〜1802年)を開きます。後期黎朝(1532年〜1789年)のもとで事実上南ヴェトナムを支配していた阮氏一族は1777年に西山朝に滅ぼされ、この時、阮氏一族の中でただ一人阮福映(1762年〜1820 [続きを読む]
  • 歴史を歩く152
  • 35南アジア・東南アジアの植民地化③3東南アジア諸島部の植民地化18世紀のバタヴィア オランダは、17世紀以来、ジャワ島のバタヴィアを拠点として香料貿易を独占し、18世紀中頃にはマタラム王国(16世紀末〜1755年)を滅ぼしてジャワ島の大部分を領有しました。オランダ東インド会社(正式名、連合東インド会社): Vereenigde Oostindische Compagnie、略称VOC しかし、18世紀末にオランダ本国がナポレオンに征服されるとオラン [続きを読む]
  • 歴史を歩く151
  • 35南アジア・東南アジアの植民地化②2インド大反乱とインド帝国の成立シパーヒー(セポイ)の反乱 イギリスによるインド支配が進むにつれて、インドの伝統的な生活が破壊されるなかで、イギリス支配に対するインド人の不満と反感が広い階層に広まりました。こうした状況を背景として1857年にインド初の民族的大反乱であるシパーヒー(セポイ)の反乱が勃発します。 シパーヒー(セポイ)とはイギリス東インド会社に雇われたイン [続きを読む]
  • 歴史を歩く150
  • 35南アジア・東南アジアの植民地化1イギリスのインド支配プラッシーの戦い・イギリスと内通したジャアファル 1757年にプラッシーの戦いで、フランス・ベンガル太守連合軍を撃破したイギリス東インド会社軍は、同じ頃南インドでも3回にわたるカーナティック(カルナータカ)戦争(1744年〜63年)でもフランスを破って支配領域を広げて行きました。初代クライブ男爵ロバート・クライヴ (Major-General Robert Clive, 1st Baron Cl [続きを読む]
  • 歴史を歩149
  • 34オスマン帝国支配の動揺とアラブの覚醒④4イランとアフガニスタンの動向 イランでは、18世紀前半にサファヴィー朝(1501年〜1736年)が滅亡し、以後アフシャール朝(1736年〜96年)ザンド朝(1750年〜95年)の短命な王朝が続きましたが、18世紀末にはカージャール朝(1796年〜1925年)が成立します。カージャール朝と周辺諸国の位置関係 カージャール朝はトルコ系王朝でテヘランを都とし、19世紀前半に2度ロシアと戦って敗れ( [続きを読む]
  • 歴史を歩く148
  • 34オスマン帝国支配の動揺とアラブの覚醒③3オスマン帝国の改革 第2次ウィーン包囲失敗(1683年)、カルロヴィッツ条約締結(1699年)以来、オスマン・トルコは否応なしにヨーロッパの軍事力の優越を認めざるを得なくなっていました。マフムト2世(Mahmud II, 1785年7月20日 - 1839年7月1日) 18世紀末に即位したセリム3世(第28代皇帝、在位1789年〜1807年)は軍事的改革を中心とする近代化改革を進めますが保守勢力の抵抗によ [続きを読む]
  • 歴史を歩く147
  • 34オスマン帝国支配の動揺とアラブの覚醒②2アラブ民族の覚醒 18世紀に入りオスマン・トルコ帝国が衰退していく中で、西アジアから北アフリカに至るオスマン・トルコの支配下のアラブ地域に於いて民族的な自立を求める動きが始まります。ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブ ( ???? ?? ??? ??????,Muhammad ibn ?Abd al-Wahhab; 1703年? 1792年6月22日) 18世紀中庸、アラビア半島でムハンマド・ブン・ [続きを読む]
  • 歴史を歩く146
  • 34オスマン帝国支配の動揺とアラブの覚醒1オスマン帝国支配の動揺 オスマン・トルコ帝国は、16世紀の最盛期にはアジア、アフリカ、ヨーロッパにまたがる大帝国を形成しましたが、その頃にはヨーロッパでは「大航海時代」が始まっていました。これによってヨーロッパ人はアフリカの南端を回ってアジアへ到達する事が可能となり、ヨーロッパとアジアの要の位置を占めていたオスマン・トルコの世界交通上の重要な地位は失われる事に [続きを読む]
  • 歴絵を歩く145
  • 33 19世紀のヨーロッパ文化⑤5地理上の探検 19世紀は探検家の時代でもありました。探検家達は未知の土地を求めてアフリカ、北極、南極、中央アジアへと足を伸ばします。ジェームズ・クック(James Cook、 1728年10月27日 - 1779年2月14日)赤は第1回航海、緑は第2回航海、青は第3回航海をあらわす。青の点線は、クック死後の航海ルート 18世紀後半、イギリスのクック(1728年〜79年)は3回にわたって太平洋を調査航海し、第1次 [続きを読む]
  • 歴史を歩く144
  • 33 19世紀のヨーロッパ文化④4自然科学と技術 19世紀は「科学の世紀」とも呼ばれています。18世紀迄にほぼ基礎が確立されていた近代自然科学は、産業革命による工業の飛躍的な発展に伴い、19世紀中頃からめざましく進歩しました。エネルギー保存の法則(概念) 物理学に於ける「エネルギー保存の法則」の発見、生物学での進化論及び生物体の細胞説の確立は、19世紀に於ける自然科学の三大業績と呼ばれています。ユリウス・ロベ [続きを読む]