名作を読む さん プロフィール

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名作を読むさん: 日本の古典文学を読む
ハンドル名名作を読む さん
ブログタイトル日本の古典文学を読む
ブログURLhttp://ameblo.jp/meisakuyomu/
サイト紹介文古典文学は、現代の日本人の心の中に生き続けています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供17回 / 365日(平均0.3回/週) - 参加 2016/01/13 15:51

名作を読む さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 西鶴私訳!「世間胸算用」<巻三 第三話 小判は寝姿(ねすがた)の夢>
  • <私訳> 「夢にも暮らしのことを忘れるな」とは、長者の言葉である。思うことはかならず夢に見るものであるが、うれしい事もあり、悲しい事もある。さまざまの中に、銀(かね)を拾う夢はさもしいものである。今の世に銀を落とす人はいない。みんな、銀は命と思って大事に扱っている。どうしてどうして、万日廻向が終わった場所でも、天満祭りの明くる日も、銭一文でも落ちていない。とにかく、自分の働きでなくては銀 [続きを読む]
  • 西鶴私訳!「世間胸算用」<巻三 第一話 都の顔見世芝居>
  • <私訳>  今日の三番叟も「所繁盛」と舞い納め。天下の町人であるためか、京都の人々は何か大事なときは気前がよいといわれるが、まさにその通りである。これは、常日頃胸算用して随分倹約した結果である。 去年の秋、京都において加賀の金春の太夫が勧進能を行う時に、四日間の桟敷を一軒銀十枚(四百三十匁)ずつと決めたところ、皆借り切られて空席がなく、しかも能が始まる前に代金をすませた。このたび、大事な [続きを読む]
  • 西鶴私訳!「世間胸算用」<巻二 第一話 会費一匁の講>
  • <私訳>  人が金持になるのは運がよかったからだというのは言葉だけのことである。実のところは、おのおのが知恵を出し、才覚を以って稼ぎ出して、その家は栄えるのである。これは、福の神の恵比寿殿も思い通りにならないことである。 大坂の裕福な者たちは、よく大黒講を結んで集まる。彼らは、諸国の大名衆への融資の相談を、酒宴遊興よりはこの世の楽しみと思い定めている。寄合座敷は、色里に近い場所を避けて、 [続きを読む]
  • 西鶴私訳!「世間胸算用」<巻一 第四話 鼠の文使い>
  • <私訳>  毎年、煤払いは十二月十三日と決まっている。ここに、菩提寺の笹竹を祝い物だといって月の数だけ十二本もらい、煤払いに使ったあと、その笹を取葺(とりぶき)屋根の押さえ竹に使い、枝は箒につけて塵もほこりも残さぬという随分こまかく倹約する人がいる。 この人の家では、去年、十三日が忙しく、大晦日に煤払いをして年に一度の水風呂をたいた。この人は、五月の粽の殻、盆で使う蓮の葉までも次から次に [続きを読む]
  • 西鶴私訳!「世間胸算用」<巻一 第二話 質草は昔の長刀(なぎなた)の鞘>
  • <私訳>  元日の日蝕は六十九年前にもあったが、また元禄五年壬申(みずのえさる)にもある。元日の曙に日蝕が見れるとはたいへんめずらしい。そもそも、持統天皇四年に儀鳳暦が採用されて、日蝕・月蝕がこの暦通りなので、この暦を疑う者はいない。 さて、暦の初めの元日から始まり、末の大晦日になると、浄瑠璃・小唄の声一つ出なくなる。今日一日になった年の暮れは、ことさら小さな家のたてこんだ所では、喧嘩と [続きを読む]
  • 西鶴私訳!「世間胸算用」<巻一 第一話 問屋の贅沢女>
  • <私訳>  世の中の定まりごととして、大晦日が闇の夜であることは、天照大神が天の岩戸にお隠れになった神代以来、当たり前のことであるにもかかわらず、普段の生活に油断して、毎年、大晦日になると、ひとつの計算違いで、年を越す算段ができず、結局、にっちもさっちもいかず困りはてるのは、おのおのの心がけが悪いからだ。よくよく注意せよ! 大晦日の一日は千両にも代え難い。銭と銀(かね)がなければ越すに越 [続きを読む]
  • 井原西鶴「<世間胸算用 巻一>第二話 長刀はむかしの鞘」を読む
  •  江戸時代、大晦日は借金取りが来て、それは苦しい一日であった。しかし、借金取りが来るのはあくまでも掛け売り(つけで買うこと)ができる人の場合で、場末の裏長屋に住む貧乏人には借金取りは来なかった。 貧乏人は、掛け売りで買うことができず、必要なものは現金で買い、長屋の賃料は月ごとに支払った。そのため、大晦日は借金取りに苦しむことがなかったが、その代わり、正月の準備をする金の工面をしなければならなかった [続きを読む]
  • 井原西鶴「<日本永代蔵 巻五>大豆一粒(まめいちりふ)の光り堂」を読む
  •  初代が切磋琢磨して莫大な財産を築き、二代目が放蕩の末にそれを使い果たす。これが典型的な二代目没落譚で、西鶴の最も得意とする話である。 一口に二代目没落譚といっては簡単であるが、一つ一つの話は実に個性的である。西鶴の成功譚といえば、始末(倹約のこと)ということがすぐに思い浮かぶが、何も始末だけで富豪になれるわけではない。富豪になるためには入ってくることが必要で、倹約して出るをおさえることによって十 [続きを読む]
  • 井原西鶴「<日本永代蔵 巻四>伊勢海老の高買ひ」を読む
  •  「堺は始末で立つ」とは、堺商人の倹約さを称えたものである。〜商人とよくいわれるが、歴史上、国政に最も重要な役割を果たしたのは堺商人ではなかろうか。信長が本能寺の変で殺された裏には堺商人の影がちらつく。それだけ堺商人が富を持っていたということであろう。 本当の金持ちとは、ふだんは倹約を旨として質素に暮らし、いざというときには大金を動かすものであると西鶴は指摘する。西鶴は、商人にとって大切な徳の一つ [続きを読む]
  • 井原西鶴「<日本永代蔵 巻二>天狗は家名風車」を読む
  •  和歌山県太地町は近年、西洋諸国から批判の嵐にみまわれている。太地町の伝統あるイルカ漁が残酷だというのである。イルカ漁だけではない。日本の捕鯨も批判されている。この問題は日本人と西洋人の鯨とイルカに対する見方の違いによって起こるのであるから、結局のところ、本質的には解決しないであろう。 日本人にとって鯨とイルカ、特に鯨との関係は切っても切れない関係にある。何も希少動物である鯨を食べなくてもという輩 [続きを読む]
  • 井原西鶴「<日本永代蔵 巻一>二代目に破る扇の風」を読む
  •  四十年近く、古今東西の文学作品というものを読んできたが、衝撃的な作品というものはそうざらにあるものではない。もちろん、すばらしい作品、いわゆる名作というものは数えあげられないくらいたくさんあるが、心を抉るほどの感動を与えるものは、私に限っては多くはない。私の場合、ドストエフスキーの「罪と罰」、夏目漱石の「こころ」を筆頭に、デュマの「モンテクリスト伯」、森鴎外の「雁」、井原西鶴の「日本永代蔵」、近 [続きを読む]
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