おら さん プロフィール

  •  
おらさん: 目を押せば二つに見えるお月様
ハンドル名おら さん
ブログタイトル目を押せば二つに見えるお月様
ブログURLhttp://yabunira.blog.so-net.ne.jp/
サイト紹介文画一的な見方から脱却してみよう。そこに新たな歴史の視点が開けるかもしれない。
自由文Essays on Japanese history trying to get a unique point of view.
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供26回 / 365日(平均0.5回/週) - 参加 2016/01/19 16:04

おら さんのブログ記事

  • 古代日本の政変と疫病
  • 医薬の知識が全くなかった時代には病気に対して「お呪い」しか打つ手はなかった。伝染病の被害はことさら大きなものであっただろう。しかし、伝染病はどこからか病原菌が伝わってこなければ蔓延しない。実は古代日本には伝染病は多くなかったのではないかとも思われるのである。一番古い伝染病は結核で、弥生人の人骨からもカリエスが見いだされる。しかし、縄文人にはこれが見えない。結核は移住してきた弥生人が持ち込んだものだ [続きを読む]
  • 謎の4世紀を考えるーー騎馬民族の侵攻
  • 歴史における日本の記録は、漢書東夷傳のAD57年にさかのぼることができる。九州北部に原初的な国が生まれ、それが発展して行ったことが魏志倭人伝で確認される。これらの国が海峡をまたいだ海峡国家であったことはすでに述べた。238年には邪馬台国の卑弥呼の記録がある。しかし、その後については手掛かりがなく、413年に倭王賛が東晋に朝貢するまで記録は飛んでいるのだ。空白となる4世紀に日本では極めて重大な変化があった。す [続きを読む]
  • 任那日本府の謎
  • 学校で教わった日本史の教科書には任那日本府が562年に滅びたということが出てきた。不思議なことに、ではいつ出来たかと言うことについては何も書いてなかった。日本書紀の仲哀記には神功皇后の三韓征伐という記事があるが、魚が船を運んで新羅中央に飛び込んだら戦わずに新羅は降参してしまい、ついでに百済や高句麗も服属するようになったといった荒唐無稽な内容だ。仲哀天皇や神功皇后の実在自体が極めて疑わしいものだ。どう [続きを読む]
  • アッツとキスカの占領と撤退
  • アッツとキスカはいずれもアリューシャン列島にあるアメリカの島だった。しかし、2600人が全滅したアッツと6500人が生還したキスカでは、戦争に狩り出された人たちの明暗を大きく分けることになった。奪還を目指すアメリカ軍がせまる中、アッツには援軍も食料・弾薬も送らず、全員が戦死することを命じたのだ。一切の援軍を求めることなく自ら徹底抗戦の道を選んだと報道されたが、もちろんウソである。これが「玉砕」という言葉の [続きを読む]
  • 海洋王国の虚構ーー中継貿易の実態
  • web版はこちらです。15世紀から16世紀にかけて、日本で言えば室町時代であるが、この当時琉球は中継貿易で繁栄を極めた海洋王国であったと思われているようだ。多くの歴史本がこれを書いており、小説などもこういった前提のもとに書かれているものが多い。しかし、これは本当だろうか?琉球は海に囲まれており、古くから海外への渡航があったことは確かだ。続日本紀にも南島から大和への来訪があったことが記されており、遣唐使船 [続きを読む]
  • ヤマト王権の成立は七世紀
  • 考古学的検討と中国文献から、日本の古代は、海峡国家から北九州へと発展したことがわかる。これは「古代の日本は海峡国家」で書いた。そうすると、卑弥呼の邪馬台国が九州にあったことも確実ではあるが、ここからヤマト王権による統一国家への過程がまだ解明されていない。九州王朝説では「磐井の乱」がヤマトの制覇であるとしているし、「壬申の乱」が王朝交代だと言う説もある。しかし、二王朝の対決といった構図を確認するには [続きを読む]
  • 古代の日本は海峡国家
  • web版はこちらです。もちろん歴史は原始の時代から続いているのだが、日本の歴史としての始まりは、やはり石器時代が終わり、独得の個性を発揮し始めた頃ということになるだろう。日本に青銅器や鉄器が現れたのは、弥生時代の後半、一世紀頃のことだ。石器時代から青銅器・鉄器時代への変化を技術史的に見直して見るといろんなことが見えてくる。多くの古代文明は、長い青銅器の時代を経て鉄器に至るのだが。これは、銅と鉄の融点 [続きを読む]
  • 「日本史の始まり」再考
  • 以前、「日本史の始まり」という記事を書いた。ブログでは古い記事が読みにくいのでwebページを作って、そちらに収録するようにしようと考えている。まだ制作途中だ。石器時代から青銅器・鉄器時代への変化を技術史的に見てみようというのが狙いだった。多くの古代文明は、長い青銅器の時代を経て鉄器に至るのだが。これは、銅と鉄の融点の違いによるものだ。鉄器の使用は炉技術の発達を待たねばならなかった。ところが、日本では [続きを読む]
  • 道鏡事件はなかった?
  • 中西康裕さんの講演を聞く機会があった。道鏡事件はなかったという大胆な学説だ。道鏡事件は、悪僧道鏡が称徳天皇をたぶらかして、皇位の簒奪を狙った事件だとされている。宇佐八幡宮の神託を偽造したのだが、和気清麻呂が八幡神の正しいお告げをもたらして撃退したという続日本紀の物語だ。道鏡と称徳天皇の男女関係がセンセーショナルに扱われることも多い。しかし、称徳没後も、清麻呂が表彰されたわけでもく、道鏡も失脚はした [続きを読む]
  • 従軍慰安婦問題
  • 第二次世界大戦における日本の反省事項のひとつに従軍慰安婦の問題がある。性に関する裏の存在で有ったため、戦後も七〇年代まで取り上げられることがなかった。千田夏光「従軍慰安婦 “声なき女”八万人の告発 」(一九七三年)が問題提起となり、事実が認識されるようになった。しかし、公式な資料の発掘が難しく多くの論争を呼ぶことになった。もちろん従軍慰安婦というのは千田夏光の造語であり正式名称であったわけではない。 [続きを読む]
  • 女化騒動----牛久助郷一揆
  • 一〇月二一日は国際反戦デーと言われベトナム戦争当時から平和のための活動にとって重要な日であるが、その起源は学徒出陣記念日である。この日は実はもう一つの記念すべき事柄が重なっている。文化元年(一八〇四)一〇月二一日は牛久助郷一揆が終結した日だ。女化騒動とも言われているこの一揆には現代的意味があることを論じてみたい。女化騒動に関しては茨城県立歴史館の図書室で見られる野口三郎家文書「女化騒動治定記」とい [続きを読む]
  • 2.26事件を解明する
  • 2.26事件は、日本が戦争の泥沼に踏み込んで行く端緒となった反乱事件である。しかし、これが何に対する反乱であったのかが定かでないし、何を意図し、何が青年将校たちを思い詰めさせた原因だったのかも、実のところ、よく理解されてない。実は2.26事件の原因は帝国憲法にあり、明治維新の過ちから来る当然の帰結であった。法律の素人である伊藤博文が作った大日本帝国憲法には、いろいろと欠陥があるのだが、最大の問題は、ありと [続きを読む]
  • 日米はなぜ戦ったのか --太平洋戦争の原因 --
  • 太平洋戦争は日本軍による真珠湾の奇襲に始まった。開戦への経過については様々な俗論がある。曰く「海軍は反対したが陸軍が押し切った」。曰く「タイピストが休みで通告が遅れてしまったが奇襲のつもりはなかった」曰く「天皇は開戦に反対だった」。どれもこれもいい加減な話ではあるが、それもいろいろと謎が多いことの反映である。戦争に至る前になぜアメリカとの対立を深めたかも経過的には不可解なところが多く残されている。 [続きを読む]
  • 小野妹子の行き先
  • 聖徳太子が607年に小野妹子を隋に送った、遣隋使がわが国外交の始まりであると教科書にあり、少年達はこれを信じて年号を覚えたりもした。遣隋使を歴史的事実と考える根拠は日本書紀の記述なのだが、実は日本書紀にも遣隋使のことは一言も書いてない。どう書いてあるかと言えば、小野妹子は「遣唐使」と書いてあるのだ。607年にまだ唐の国は無く、隋の時代だからということでこれを勝手に遣隋使と読み変えた本居宣長の解釈が今も引 [続きを読む]
  • 歴史と善悪
  •  「南京大虐殺はなかった」とか「満州国は中国のため」とか、復古調の右翼的論調がかなり蔓延している。このような人たちはいくら事実を突きつけられても見ようとはせず、「正義の日本人がそんなことをするはずが無い」とひたすら信じるのみだから、まともな論争にもならない。バブル崩壊後に落ち目となった日本の国力に落胆し、昔の夢を追いたい気持ちの現れであろう。あせりからくる右傾化現象と言える。中には一応、論を立てる [続きを読む]
  • 戦争の歴史
  • 歴史は言うまでもなく戦争だらけではあるが、いったいどのようにして戦争が生まれたのだろうか。ものごとには全て始まりと終わりがある。ならば戦争の存在が終わることはあるのだろうか。戦争が終わるとすればどのようになくなるのだろうか。戦争の歴史を少しつぶさに見てみよう。もちろん戦争の始まりは喧嘩であっただろう。話は単純で腕力の強いものが勝つ。これが喧嘩の常識だ。しかし、単に自分の腕力だけに頼らず、助っ人をか [続きを読む]
  • 特攻隊の真実
  • 「君のためにこそ俺は死ににいく」は石原慎太郎がプロデュースした特攻隊映画だが僕はこのタイトルを見て、昔学徒兵だった先生と話した時のことを思い出した。あの馬鹿げた戦争に多くの人々が抵抗なく駆り立てられて行ったことが不思議で、「本当に天皇陛下のために死ぬ気だったんですか?」と聞いてみた。「いや、大学生は天皇とかお国のためで死ぬ気になるほど単純じゃない。しかし、日本全体が危機に瀕していて国民同胞のために [続きを読む]
  • 地方の時代はやってくるのか?
  • 「地方の時代」などと言う言葉がt使われ一時はブームにもなった。しかし、いまだにそのような時代の片鱗もない。過疎の村々は年寄りしかいないし、鉄道もどんどん地方は廃線になっている。TPPで農業が壊滅すれば地方が滅びる時代にすらなりかねない。「地方の時代」という言葉は単なる願望によるものでしかないかのように思われる。昔に遡って「地方の時代」考証してみよう。日本の古代はもちろん地方の時代だった。大和政権が国中 [続きを読む]
  • 日清戦争・成歓の闘い
  • 大日本帝国の歴史は戦争の歴史である。開国以来日本は戦争を重ねてきた。その第一歩が日清戦争であり、日清戦争の緒戦が成歓の戦いであり、そのまた最初の衝突が世に言う安城渡の戦あるいは佳龍里の戦闘である。華々しく戦争の世界にデビューした日本の姿を伝える講談調の書き物には事欠かない。どれもが、待ち伏せして襲い掛かる清国兵の大軍、軍人戦死第一号である松崎大尉の鬼神の奮闘、死んでも喇叭を吹き続けた壮烈喇叭手など [続きを読む]
  • 木口小平の真実
  • 岡山から伯備線で一時間、備中高梁に行くと木口小平の記念碑がある。知らない人も多いだろうが、年配の老人は必ず知っている有名人だ。戦時中、むりやりにでも覚えさせられた名前で、最近また有名にしようという動きもある。「つくる会」のアナクロ教科書が戦前復帰で木口小平を復活させた。ところがその記述を見てみると、「死んでもラッパを手から離さなかったとして、その当時、有名になった。」となっている。「手から離さなか [続きを読む]
  • 万次郎と彦の接点
  • 長い鎖国の時代を超えて、日本人の目が世界に見開かれるようになった時に、いち早く英語を身につけたのは、漂流した庶民だった。中浜万次郎とジョセフ彦が、鎖国日本に風穴を開けたと言える。二人が、世界をどのように理解したのか、そして日本が二人をどのように受け入れたのかは、大変興味深い。同じ時代に、同じ分野で活躍した二人ではあるが、実は驚くほど接点が少ない。共同して何かをやり遂げる意思を持ったのではなく、それ [続きを読む]
  • 日本国憲法と国連憲章
  • 日本国憲法は見事な体系性を持っており、法律条文としては、完成度の高いものだ。これが、軍人の集まりに過ぎないGHQから出された草案に基づいているとは驚くしかない。GHQ民生局は、実は、法学者集団であり、日本国憲法は、当時の最高水準の法学的英知を結集したものであった。民生局長ホイットニー准将は法学博士でもあったくらいだ。当然、同時期に作られた国連憲章とも関連がある。日本国憲法と国連憲章の前文を比較してみよう [続きを読む]
  • 日本国憲法の成り立ち
  • 日本国は1947年5月3日に施行された日本国憲法に基づき、以来60年以上に渡り存続している国家である。日本列島にはそれ以前にも大日本帝国があり、別の憲法に基づいていた。大日本帝国憲法は1890年に施行され、57年間だけ続いて終わった。今日の目で見れば、大日本帝国憲法は憲法としての体を成さない粗雑なものと見える。憲法というのは法律作りの法律であり、権力を持つものが勝手に法律を作ることを規制するものである。ところが [続きを読む]
  • 古代日本の様子
  • 日本が初めて歴史に登場したのは、1世紀に書かれた漢書地理誌である。まだ弥生時代であり、稲作も始まってはいたが食物採集の補助程度で、餓死は日常であり、天候が良ければ人口が増え、悪ければ減るという時代だ。働かないで暮らす大王や大勢の役人を養う生産力はないから、統一国家とかは考えられもしない。せいぜいの所いくつかの邑を支配する酋長がいたにすぎない。それでも、中には朝鮮半島に使いする酋長がいたので、「楽浪 [続きを読む]
  • なぜ征韓論が内戦にまでなったのか
  • 征韓論が大問題となった明治6年と言う時期は、重大な内政問題が山積みであり朝鮮と戦争するどころではなかったことが今では誰にでもわかる。だから征韓論が大勢を占め、その始末が政府の分裂から内戦にまで至ったことはなかなか理解しがたい。明治政府の参議筆頭であった西郷隆盛が政権を放り出してしまう必要がどこにあったのか。これを解くには明治維新とは一体何だったかに遡らなければならない。明治維新は大きな変革ではあっ [続きを読む]