武蔵宮 さん プロフィール

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武蔵宮さん: JNR-M
ハンドル名武蔵宮 さん
ブログタイトルJNR-M
ブログURLhttp://jnr-m.sblo.jp/
サイト紹介文北海道から九州まで、旅先で目にしてきた国鉄型機関車などの写真や、線路のある風景を載せております。
自由文国鉄時代の残り香を求めて、時に歩き、時に自転車をこぎ、何だかんだで北へ南へ。現役車両だけでなく、保存車両を探し、廃線跡を眺めて幾星霜。ちょっとした暇つぶしや旅のご参考になれば幸いです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供367回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2016/02/01 19:50

武蔵宮 さんのブログ記事

  • 春は花、秋は紅葉
  • 三渓園の隅にある市民公園で保存されてきたD51-516。製油所が出来るまでは海岸だった場所で、風光明美な海水浴場だった本牧は埋め立て地へ変貌。D51は高度成長期から、ここで開発の光と影を見つめてきました。隣に移設された転車台。高島駅の横浜機関区で使われていたものです。物言わぬ歴史の遺産は、地層の見える段丘で眠りについています。 [続きを読む]
  • 海は見えない
  • 横浜の山をトンネルで抜けた先に広がる根岸駅。製油所に隣接している他、神奈川臨海鉄道も分岐しており、通勤電車に混じって貨物列車が運転されています。根岸駅で扱っているのは、ほとんどが石油。上を通る高速道路はベイブリッジで大黒埠頭へショートカットしており、鉄道は圧倒的に不利です。かつてはここから大船側へ抜ける貨物列車も存在しましたが、東京湾岸の貨物列車減少で消滅。隣の磯子駅では専用線が消え、根岸駅も臨海 [続きを読む]
  • ランガー
  • 根岸線の架道橋を往くEF210-134・EH200-18重連。根岸線は桜木町・大船間の桜大線計画を戦後になって工事再開したもので、1964年に開通した割と新しい路線です。使われている鉄橋も古典的なトラスでなく、安定感のあるアーチ。本数は限られていますが、ここでは通勤電車に混じって走る貨物列車を見る事が出来ます。 [続きを読む]
  • 埋めて掘って埋めた
  • トンネルから出て来たEH200-4。ここには高島駅という、横浜の拠点だった貨物駅がありました。桜木町駅への連絡線のみ単線で残っています。開削工法で浅い地下を通したらしく、上には建物もなく、道路を避けただけのようです。トンネルの入り口は、みなとみらい大橋という新設された橋の所。ここから南側では大規模な埋め立てでかつての地形は失われており、高島駅の痕跡も全く残っていません。 [続きを読む]
  • あやしい
  • 夕暮れの東高島駅。EF65-1115がポツンと止まっています。横浜の貨物線が旺盛な頃、手前の入江駅からは新興駅と多数の専用線、東高島駅からは横浜市場駅と瑞穂埠頭、次の高島駅からは表高島駅と横浜港駅。この界隈は複雑な貨物線網になっていました。今では東高島駅以外は廃止され、貨物扱いもなく、根岸線へ抜ける貨物列車のみ。他にはレール輸送でたまにEF65がやってくる程度でしょうか。遠くに高層建築を望む貨物駅は、横浜駅の [続きを読む]
  • 鳥海の次に
  • 朝5時48分、寝台特急「あけぼの」が高崎線を南下していました。当初は上越線用に長岡機関区へ配備されたEF64。国鉄時代から寝台特急「出羽」を引いて山を降りていました。長岡に残った1051号機にとって、経路の代わった寝台特急「あけぼの」が最後の定期運用。3年前の早朝でした。 [続きを読む]
  • 夏至の頃には
  • 初夏になれば、早朝でも明るくなります。朝5時38分、高崎線で扇町行ホキ10000を引くEF64-1023。早朝にだけ走る姿を見られましたが、他の貨物列車と同じくEF65と交代してしまいました。 [続きを読む]
  • 夕方にいつも
  • 鶴見駅を通過するEF200-4。かつてEF200は夕方にタンク車をひいて、のんびりと横浜の街を走っていました。この時すでに故郷の新鶴見機関区を離れ、間合い運用で使われている状態。わずか1年後、同じ時間にEF200の姿はありませんでした。 [続きを読む]
  • 鶴見川を渡って
  • 鶴見駅にやってきた今はなきDE10-1556。東海道本線の貨物列車が最初に通る要衝で、内陸の新鶴見操車場と沿岸の塩浜操車場から来る貨物線が合流し、内陸の横浜羽沢駅と沿岸の高島駅へ分かれる場所。操車場はなくなりましたが、今も東海道本線経由の貨物列車は全てここを通ります。 [続きを読む]
  • 消える廃墟
  • 線路の撤去が進む田町電車区、隅に高架橋の廃墟がありました。これは戦前の改良計画によって建設されたもので、東海道本線と共用だった横須賀線を品川駅から北で京浜東北線に合流させる計画でした。後から山手線と京浜東北線の改良工事で取り壊されましたが、一部は残ったまま。何十年もの間、どこにもつながらない高架橋がありました。知らない人には何だかわからない廃墟と化していましたが、これも田町電車区とともに忘れ去られ [続きを読む]
  • 田町電車区
  • 1930年の横須賀線電車化で誕生した田町電車区。新幹線開業後も急行型や荷物電車・事業用車など様々な電車が配置されていました。品川駅の界隈は国鉄で最大規模の鉄道施設を抱えており、上下線の間に東京機関区・品川客車区・田町電車区、東の外側に新幹線東京第一運転所・貨物取扱所・品川機関区が存在。今でこそビルの並ぶ品川駅東口ですが、元は長い地下道を通った貨物取扱所の外れ。外側の施設から再開発が始まり、EF65・EF58の [続きを読む]
  • 下り到着線
  • 関東地区から配置のなくなったEF64。昼に新鶴見信号場を出る東海道本線の貨物列車で稲沢駅へ。貨物列車には新鶴見操車場の到着線部分を再利用した着発線が使われており、出発線と仕訳線のあった南側は廃止されています。 [続きを読む]
  • 新鶴見機関区
  • 新鶴見機関区を通過するEF64-1020。この部分は新鶴見操車場の中心部に37番線もあった方向別仕訳線の北側集約部。操車場廃止で機関区の横を道路が通るようになったので、近くで機関車を見る事が出来るようになりました。 [続きを読む]
  • 枯草
  • 夕方の新鶴見機関区。品川の東京機関区と並ぶ基地で、国鉄末期にはEF65とEF15を擁した貨物輸送の拠点。特にEF65は民営化後も長らく配置されていましたが、既に0番台の姿はなく、今も止まることなく世代交代が続いています。 [続きを読む]
  • 東新
  • 東新潟機関区所属のDE10-3505が本拠地で待機中。信越本線から分かれた白新線には、新潟操車場がありました。廃止された跡地に新潟貨物ターミナル駅が整備され、現在も貨物の拠点として機能。ただ、支線が減ってしまったため、DE10の出番は減ってしまったようです。 [続きを読む]
  • 最後の支線
  • 沼垂駅の東側を平行する支線、焼島駅です。工場への専用線は廃止されましたが、今も現役。この先に東新潟港駅がありましたが、既に機能していません。さらに東側には臨海鉄道もあった新潟の貨物線でしたが、既にありません。焼島駅の静けさが、時代の移り変わりを感じさせます。 [続きを読む]
  • ぬったり
  • ここは沼垂駅。関東から山を越え海に沿って来た信越本線の終点だった場所。1897年に北越鉄道が開業した際の終点で、1900年に西の市街地にある新潟駅へ延伸。1958年に新しい新潟駅を経由する新線へ切り替えられたため、沼垂駅は支線の貨物駅へ変更されて生き残りました。この先に新潟港駅もありましたが再開発されており、痕跡は沼垂駅周辺のみ。かつて関東から山越えをしたEF15やEF58が乗り入れていた駅には架線柱も残っていますが [続きを読む]
  • 北越
  • 北陸新幹線開業の迫ったある日、末期の485系特急「北越」が富山駅へ。とにかく利用者が少なく、金沢・長岡間で乗車率30%程度。上越新幹線と重複する長岡・新潟間は10%を割る状況。特急「北越」は新幹線開業に関係なく廃止される運命だったのかもしれません。 [続きを読む]
  • 立山
  • 原型ライトで残っていたクモハ475-48。ほんの少し前まで当たり前だった、北陸本線の日常。最後まで残っていた国鉄急行型の系譜は、急行廃止後も長らく北陸の顔でした。 [続きを読む]
  • 北限
  • 北陸本線を走るキハ47。高岡駅から乗り入れて富山駅へ来る城端線用です。使われているのは一般型の0・1000番台。さらに北上した新潟では寒地型500・1500番台で、この辺りが各地で使われている一般型の北限になります。 [続きを読む]
  • 時代の狭間で
  • 仙台でも見かけたDE10-3500番台。東新潟機関区にはDE15を編入したグループが配置されているため、富山貨物駅では常駐する複数のDE10を見られます。向こう側には真新しい新幹線の高架橋。時代は確実に動いており、編入したグループもそう遠くない将来に姿を消してしまう事でしょう。 [続きを読む]